坊っちゃん
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少年時代から無鉄砲な江戸っ子の坊っちゃんと、肉親から疎んじられる彼に無償の愛を注ぐ女中である清の描写から『坊っちゃん』の物語は幕を開く。
坊っちゃんは両親と死別後、清とも離れ、四国の旧制中学校に数学の教師として赴任する。着任早々、校長には狸、教頭には赤シャツ、画学の教師には野だいこ、英語の教師にはうらなり、数学の主任教師には山嵐と、それぞれにあだ名を付けた。
坊っちゃんは授業の時に生徒達から、てんぷらそばを四杯食べた件等の私事について執拗に冷やかされる。また初めての宿直の夜には、寄宿生達から蒲団の中に大量のバッタ(厳密にはイナゴ)を入れられる等の嫌がらせを受け、激怒して、何としても犯人を突き止めようとしたため、大事になってしまう。
坊っちゃんは赤シャツとその腰巾着である野だいこから、生徒による嫌がらせは山嵐の扇動によるものであると婉曲的に吹き込まれ、一時は真に受けてしまう。しかし、後日の職員会議において、先の寄宿生の不祥事に坊っちゃんが毅然とした措置を主張したところ、狸をはじめとする事なかれ主義の職員達は取り合ってくれなかったのに対し、山嵐だけが坊っちゃんを支持してくれた。お互いに対する誤解は解けていき、坊っちゃんと山嵐とは、かえって強い友情で結ばれるようになる。
うらなりには、マドンナとあだ名される婚約者がいたが、赤シャツがマドンナへの横恋慕から、お人好しのうらなりを体良く延岡に左遷したという事実を知り、坊っちゃんは義憤にかられる。実は山嵐も、赤シャツの横恋慕を糾弾したため、逆恨みされていたのであった。
日露戦争の祝勝会の日に、坊っちゃんと山嵐は赤シャツの謀略により、中学校と師範学校の生徒同士の乱闘騒ぎに巻き込まれた上、いわれ無き生徒扇動の罪を着せられ、山嵐が辞職に追い込まれる。卑劣な仕打ちに憤激した坊っちゃんと山嵐は、赤シャツと野だいこの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと野だいこを取り押さえる。そして芸者遊びについて詰問するも、しらを切られたため、業を煮やし、激しく暴行を加えた。
即刻辞職した坊っちゃんは、帰郷後、街鉄(現在の都電)の技手となって、再び、清と同居生活を始めるが、清が亡くなり、遺言通り小日向の養源寺に葬った事を記して、『坊っちゃん』の物語は幕を閉じる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坊っちゃんは両親と死別後、清とも離れ、四国の旧制中学校に数学の教師として赴任する。着任早々、校長には狸、教頭には赤シャツ、画学の教師には野だいこ、英語の教師にはうらなり、数学の主任教師には山嵐と、それぞれにあだ名を付けた。
坊っちゃんは授業の時に生徒達から、てんぷらそばを四杯食べた件等の私事について執拗に冷やかされる。また初めての宿直の夜には、寄宿生達から蒲団の中に大量のバッタ(厳密にはイナゴ)を入れられる等の嫌がらせを受け、激怒して、何としても犯人を突き止めようとしたため、大事になってしまう。
坊っちゃんは赤シャツとその腰巾着である野だいこから、生徒による嫌がらせは山嵐の扇動によるものであると婉曲的に吹き込まれ、一時は真に受けてしまう。しかし、後日の職員会議において、先の寄宿生の不祥事に坊っちゃんが毅然とした措置を主張したところ、狸をはじめとする事なかれ主義の職員達は取り合ってくれなかったのに対し、山嵐だけが坊っちゃんを支持してくれた。お互いに対する誤解は解けていき、坊っちゃんと山嵐とは、かえって強い友情で結ばれるようになる。
うらなりには、マドンナとあだ名される婚約者がいたが、赤シャツがマドンナへの横恋慕から、お人好しのうらなりを体良く延岡に左遷したという事実を知り、坊っちゃんは義憤にかられる。実は山嵐も、赤シャツの横恋慕を糾弾したため、逆恨みされていたのであった。
日露戦争の祝勝会の日に、坊っちゃんと山嵐は赤シャツの謀略により、中学校と師範学校の生徒同士の乱闘騒ぎに巻き込まれた上、いわれ無き生徒扇動の罪を着せられ、山嵐が辞職に追い込まれる。卑劣な仕打ちに憤激した坊っちゃんと山嵐は、赤シャツと野だいこの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと野だいこを取り押さえる。そして芸者遊びについて詰問するも、しらを切られたため、業を煮やし、激しく暴行を加えた。
即刻辞職した坊っちゃんは、帰郷後、街鉄(現在の都電)の技手となって、再び、清と同居生活を始めるが、清が亡くなり、遺言通り小日向の養源寺に葬った事を記して、『坊っちゃん』の物語は幕を閉じる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
»» 2009.02.25.
* Novel 長篇 完結 日本
作品名: 坊っちゃん
作品名読み: ぼっちゃん
著者名: 夏目 漱石
出典: 青空文庫
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
作品名読み: ぼっちゃん
著者名: 夏目 漱石
出典: 青空文庫
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
»» 2009.02.25.
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»» 2009.02.26.
»» 2009.02.26.
分類: 著者
作家名: 夏目 漱石
作家名読み: なつめ そうせき
ローマ字表記: Natsume, Soseki
生年: 1867-02-09
没年: 1916-12-09
人物について: 慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
底本: ちくま日本文学全集 夏目漱石
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年1月20日
入力に使用: 1992(平成4)年1月20日第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年3月15日第2刷
底本の親本: 夏目漱石全集
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年10月27日
作家名: 夏目 漱石
作家名読み: なつめ そうせき
ローマ字表記: Natsume, Soseki
生年: 1867-02-09
没年: 1916-12-09
人物について: 慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
底本: ちくま日本文学全集 夏目漱石
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年1月20日
入力に使用: 1992(平成4)年1月20日第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年3月15日第2刷
底本の親本: 夏目漱石全集
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年10月27日
»» 2009.02.26.
雪の女王
SNEDRONNINGEN
七つのお話でできているおとぎ物語
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
楠山正雄訳 出典: 青空文庫
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
SNEDRONNINGEN
七つのお話でできているおとぎ物語
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
楠山正雄訳 出典: 青空文庫
底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
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少年時代から無鉄砲な江戸っ子の坊っちゃんと、肉親から疎んじられる彼に無償の愛を注ぐ女中である清の描写から『坊っちゃん』の物語は幕を開く。
坊っちゃんは両親と死別後、清とも離れ、四国の旧制中学校に数学の教師として赴任する。着任早々、校長には狸、教頭には赤シャツ、画学の教師には野だいこ、英語の教師にはうらなり、数学の主任教師には山嵐と、それぞれにあだ名を付けた。
坊っちゃんは授業の時に生徒達から、てんぷらそばを四杯食べた件等の私事について執拗に冷やかされる。また初めての宿直の夜には、寄宿生達から蒲団の中に大量のバッタ(厳密にはイナゴ)を入れられる等の嫌がらせを受け、激怒して、何としても犯人を突き止めようとしたため、大事になってしまう。
坊っちゃんは赤シャツとその腰巾着である野だいこから、生徒による嫌がらせは山嵐の扇動によるものであると婉曲的に吹き込まれ、一時は真に受けてしまう。しかし、後日の職員会議において、先の寄宿生の不祥事に坊っちゃんが毅然とした措置を主張したところ、狸をはじめとする事なかれ主義の職員達は取り合ってくれなかったのに対し、山嵐だけが坊っちゃんを支持してくれた。お互いに対する誤解は解けていき、坊っちゃんと山嵐とは、かえって強い友情で結ばれるようになる。
うらなりには、マドンナとあだ名される婚約者がいたが、赤シャツがマドンナへの横恋慕から、お人好しのうらなりを体良く延岡に左遷したという事実を知り、坊っちゃんは義憤にかられる。実は山嵐も、赤シャツの横恋慕を糾弾したため、逆恨みされていたのであった。
日露戦争の祝勝会の日に、坊っちゃんと山嵐は赤シャツの謀略により、中学校と師範学校の生徒同士の乱闘騒ぎに巻き込まれた上、いわれ無き生徒扇動の罪を着せられ、山嵐が辞職に追い込まれる。卑劣な仕打ちに憤激した坊っちゃんと山嵐は、赤シャツと野だいこの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと野だいこを取り押さえる。そして芸者遊びについて詰問するも、しらを切られたため、業を煮やし、激しく暴行を加えた。
即刻辞職した坊っちゃんは、帰郷後、街鉄(現在の都電)の技手となって、再び、清と同居生活を始めるが、清が亡くなり、遺言通り小日向の養源寺に葬った事を記して、『坊っちゃん』の物語は幕を閉じる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坊っちゃんは両親と死別後、清とも離れ、四国の旧制中学校に数学の教師として赴任する。着任早々、校長には狸、教頭には赤シャツ、画学の教師には野だいこ、英語の教師にはうらなり、数学の主任教師には山嵐と、それぞれにあだ名を付けた。
坊っちゃんは授業の時に生徒達から、てんぷらそばを四杯食べた件等の私事について執拗に冷やかされる。また初めての宿直の夜には、寄宿生達から蒲団の中に大量のバッタ(厳密にはイナゴ)を入れられる等の嫌がらせを受け、激怒して、何としても犯人を突き止めようとしたため、大事になってしまう。
坊っちゃんは赤シャツとその腰巾着である野だいこから、生徒による嫌がらせは山嵐の扇動によるものであると婉曲的に吹き込まれ、一時は真に受けてしまう。しかし、後日の職員会議において、先の寄宿生の不祥事に坊っちゃんが毅然とした措置を主張したところ、狸をはじめとする事なかれ主義の職員達は取り合ってくれなかったのに対し、山嵐だけが坊っちゃんを支持してくれた。お互いに対する誤解は解けていき、坊っちゃんと山嵐とは、かえって強い友情で結ばれるようになる。
うらなりには、マドンナとあだ名される婚約者がいたが、赤シャツがマドンナへの横恋慕から、お人好しのうらなりを体良く延岡に左遷したという事実を知り、坊っちゃんは義憤にかられる。実は山嵐も、赤シャツの横恋慕を糾弾したため、逆恨みされていたのであった。
日露戦争の祝勝会の日に、坊っちゃんと山嵐は赤シャツの謀略により、中学校と師範学校の生徒同士の乱闘騒ぎに巻き込まれた上、いわれ無き生徒扇動の罪を着せられ、山嵐が辞職に追い込まれる。卑劣な仕打ちに憤激した坊っちゃんと山嵐は、赤シャツと野だいこの不祥事を暴くための監視を始め、ついに芸者遊び帰りの赤シャツと野だいこを取り押さえる。そして芸者遊びについて詰問するも、しらを切られたため、業を煮やし、激しく暴行を加えた。
即刻辞職した坊っちゃんは、帰郷後、街鉄(現在の都電)の技手となって、再び、清と同居生活を始めるが、清が亡くなり、遺言通り小日向の養源寺に葬った事を記して、『坊っちゃん』の物語は幕を閉じる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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[Edit]* Novel 長篇 完結 日本
作品名: 坊っちゃん
作品名読み: ぼっちゃん
著者名: 夏目 漱石
出典: 青空文庫
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
作品名読み: ぼっちゃん
著者名: 夏目 漱石
出典: 青空文庫
親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕(きずあと)は死ぬまで消えぬ。
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分類: 著者
作家名: 夏目 漱石
作家名読み: なつめ そうせき
ローマ字表記: Natsume, Soseki
生年: 1867-02-09
没年: 1916-12-09
人物について: 慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
底本: ちくま日本文学全集 夏目漱石
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年1月20日
入力に使用: 1992(平成4)年1月20日第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年3月15日第2刷
底本の親本: 夏目漱石全集
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年10月27日
作家名: 夏目 漱石
作家名読み: なつめ そうせき
ローマ字表記: Natsume, Soseki
生年: 1867-02-09
没年: 1916-12-09
人物について: 慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
底本: ちくま日本文学全集 夏目漱石
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年1月20日
入力に使用: 1992(平成4)年1月20日第1刷
校正に使用: 1998(平成10)年3月15日第2刷
底本の親本: 夏目漱石全集
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年10月27日
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