ユッカリーナのヨガ的雑記帳
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ユッカリーナのヨガ的雑記帳

ヨガとは“つながり”の事。偏食系主婦が好きなこと、見聞したこと、感じことを、様々な方向に繋げていく記録ノート。

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ビートクラブBOX-3の話 その2 ~ ティナとピンクレディと、ボランと永野

西独の伝説的音楽番組ビートクラブ、今回はファッション史料としての話をいたしましょう。

60年代前半の黒人のアーティストと言えば、代表されるのはモータウン。彼・彼女らは皆、仕立ての良いスーツやワンピース等の上品な服に身を包み、振付もエレガント、感じの良い笑みを湛えながら歌う。と言うのが定番だった。いわば、白人社会のマナーに寄せてってたのだが、それが60年代後半から、肉感テイスト出しまくるファンキー勢力が、優勢になってきた。

ってな時代の空気を伝えてくれるのがティナ・ターナー。1971年の圧巻のパフォーマンス‼️全身をブルブル震わせ、バックダンサートリオ、アイケッツ を従え、歩くだけでもダンスになっちゃう姿に打ちのめされた。



ホンキートンクのカバーだって、ミックジャガーが平伏したのも納得😁



で、当時は白人のおねーさん達が真似して、ゴーゴーガールなんてのが生まれたらしい。ロンドンでの取材VTRに、ティナの曲で踊るロンドン娘達が登場。しかい、それが全然ファンキーじゃなくて、ダセえなあ、うすら笑いつつも、

ちょい「ヤバい」と焦る。のは、ティナ&アイケッツの衣装とか踊りが、どう見てもピンクレディーの元ネタっぽいんだよね~😅フリンジ付いたマイクロミニのスリップドレスとか、ウォンテッドじゃーん😅イギリス人笑えんのよね。



と、冷や汗をかいたのであった。ミュージカル「ヘアー」の影響もあって、日本でもアフロやカーリーが増殖して、ニワカファンキーだった70年代。子供だった私にも記憶がある。ミニスカートとかホットパンツとかヤバかったな~😅私の母親でさえカーリーヘアにしてた。余談だが、ジャニー喜多川はフォーリーブスにスライの曲とか、ライブで歌わせてたらしい😉

それにしても、アイク&なのに、ダンサーもアイケッツなのに、あんまカメラで抜いてもらえん夫アイク。時々カメラに写った時の目が、何かコワ😱

と思っちゃうんは、嫉妬深いDV夫だったとの情報があるからか😅エルヴィスを音楽ドロボーと呼んで、サンレコードのサム・フィリップスから「そんなこと言うなよ」と諭されてた姿を思い出すのだが、アイクが60年代に被ってたビートルズ風カットのヅラを辞めたのは、正解だと思う。

そして、もう一人、注目したのがマーク・ボラン。そのファッションがツボった。

一曲目Jeepster で、この水色のシャツ見たことあんぞ、



もしや❔と思ったら、

次のLifesAGas で確信した。だって赤いジャケット着てるんだもーん😁



水色と赤の服だったら、それはもう永野!



何気に、番組プレゼンターのドイツ女子Uschi Nerkeの衣装も、ピンクレディーっぽかったね。とにかく70年代は肌露出多めだった。

以上、その3へ(いつか)続



ビートクラブBOX-3の話 その1 ダモ鈴木の衝撃

2023年に買って良かったものNo.1はビートクラブ の8枚組DVDボックス3😁西ドイツの伝説的ロック番組の1970~1972年放送分です。

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どのタイミングでポストするか考えてた時に、ダモ鈴木の訃報が~😢

このボックスで一番の衝撃だったのは、CAN(カン)のPaper Houseですた。



ロン毛、ヒゲ、半裸と言う、この時代の必須ファッションアイテム❔を網羅するダモの隣りに、お揃いの格好で、ベースブンブンのホルガー・シューカイ 😅

小汚なかったり、国籍不詳だったり、男も髪伸ばしたり化粧したりでジェンダーレス、を模索してた時代。得体の知れないものに「何だこれは⁉️」と脳内岡本太郎が囁く。私にはこれが楽しみなんだなあ。

ドイツの番組だから、当然なのかもしれないが、カン以外にも、独バンドが多数登場。この時代から面白いバンドが沢山出てきて、ジュリアンコープ もクラウトロック に嵌まったんだろうね。

ノイが出て来なかったのは残念だけど、アモンデュールII、ポポルヴー、グルグル 、どれも個性的で面白かった。ほいで、ELPやYESなんかも登場するのだが、やっぱ自分には相性悪いなあ😁Vo.が圧倒的に詰まらなくて~😅(ファンの方はゴメンネゴメンネ🙇‍♀️💦💦)

実はボックス1と2は日本盤(解説DVDとリーフレット付)が出た時に、割と早めに入手してたのだけど、3は年代的に苦手なプログレ多そうだから、ずっと見ずにいました。昨年Amazonで戯れに検索したら、独盤の中古が何と2000円❕と言う安さに釣られて買っちゃった😁ら、メチャクチャ面白いのでビックリでした。

昔は欧州のPAL映像は、変換しないとテレビで見れなかったけど、今ではパソコンでOK❕良い時代になりました。かつて、違法コピーVHS売ってた西新宿のAと言う店に、結構なお金を落としてしまった私は、染々思うのであった😅

ビートクラブネタは、今後もちょいちょいポストしてくつもりです😁何たって、8枚もあるし😅

この数年、中々更新出来てなかったブログでしたが、最近やっとスマホでの投稿の仕方を学び、インスタ記事からコピペに少し加筆して、アップしていきたいと思っております。
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「ひるどき!さいたまーず」で「浦和ミュージックサタデー」の思い出話してきました(^^;)

またもや1年以上休眠してた当ブログですが、
先週の金曜日(2月2日)に、NHKさいたまFM、お昼のローカル番組「ひるどき!さいたまーず」という番組に出演してきました。

私がティーン時代に関わった「浦和ミュージックサタデー」という番組の、思い出話をして、大好きなテレヴィジョン(及びトム・ヴァ―レイン)の話も、ちょこっとさせて頂きました。

下記リンクは、アプリなくてもワンクリックで聴けるみたいなので、良かったどうぞ。

ひるどき!さいたまーず (2月2日放送分聴きのがし配信)

とは言え、配信は明日9(金)の夕方6時までです(^^;

ブログにロックかかってたり、PCの不具合もあり、投稿に手間どってしまいますた(^^;)

ちなみに、思い出の曲として欠けてもらったのはこちら、



昨年1月28日にトムの訃報があり、丁度1年だったので、メモリアルな体験をさせて頂きました。
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ルイ・フェルディナン・セリーヌとユダヤ陰謀論

数か月前に読み終えた『セリーヌ私の愛した男』は、フランスの作家ルイ・フェルディナン・セリーヌの二番目の妻で舞踏家であった、リュセット・デトゥーシュの回想録。共著のヴェロニック・ロベールは彼女のダンスの弟子であり、リュセットの言葉を書き起こしたと思われる。

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セリーヌと言えば、『夜の果てへの旅』を読んだのが20代の終わりだったので、それなりの衝撃を受け、ジャック・ケルアックの『路上』あたりと同じ匂いを感じたのだけど、セリーヌが何故この世を呪うような言葉を書き連ねてたのか、この本を読んだら、ちょっと腑に落ちるとこがあった。非常に興味深い内容であった。作家セリーヌと、一個人としてのデトゥーシュは別ものであり、インタビュアーはセリーヌに見世物の怪物を期待し、それに応えるように怪物を演じていた。と妻の目からは見えたらしい。

さて、セリーヌと言えば、反ユダヤ主義のパンフレットを書いて国家反逆罪に問われた。そのスキャンダラスな部分に、やはり興味が向いてしまうのだけれど、この本の中には私的にかなりタイムリーな情報があった。こうしてブログに書くととにしたのは、以下の内容による。

それは、どうやらセリーヌは陰謀論者二世であったらしい、ということ。リュセットがセリーヌと出会ったのは、くだんの父親の死後で、直接会ったことはないというのだけれど、夫から聞かされた話として、

彼の父親は、自分の不幸のすべてを、ユダヤ人とフリーメイソンのせいにしていた。

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と言うのは、結構重要なことではないのか。

「あのころたくさんのひとがそうであったように」とは、ユダヤ陰謀論にハマっていた人は珍しくなかったということ。セリーヌは、容疑の証拠となった自分の文章を読み直しても、「どこにも問題はない」と言ったらしい。そして、パンフレットを書いたことを後悔したとか、自分が間違っていたとは決して言わなかった。何故ならば、セリーヌの中では、

ユダヤ人が戦争を仕掛けていたから、それを避けるため

に書いたから。祖国フランスの平和の為だった、と言うのだ。

と言う訳で、私が陰謀論に興味を持ったのは、やはり2020年の米大統領選挙における騒動。

不正選挙だ
投票用紙にGPSを仕込んでた
フランクフルトで銃撃戦がー

などという荒唐無稽な話が次々と湧いて出てきた頃、自ずと、ディープステート、軍産複合体、なんつーワードが飛び交う中で、世の中の事象を、光=善と闇=悪の真っ二つに両断、諸悪の根源は全て○○!というパターンで単純化された論、即ち陰謀論なるものも知るに至った。

そんな訳で、明けて2021年1月、米連邦議会を襲撃したトランプ信者の皆様は、祖国の平和の為の聖戦!ってマジで思ってたのかも。と改めて背筋が凍ったのでした。

ちなみに、フリーメイソンと言えば、やりすぎ都市伝説で、何度も取り上げられてるけど、あれってTV取材が何度も出来てる時点で、別にそんな怖い団体じゃないんじゃね?と思ってた。しかし、何でユダヤ陰謀論とセットのなってるのか、疑問に思い、陰謀論の本を出されてる郵便学者内藤陽介さんのブログを検索したところ、とても分かりやすい記事がありました。

 これは、1942年1月1日、セルビアで発行された“反フリーメイソン博覧会”の記念切手の1種で、“ユダヤと結託したフリーメイソン”を打倒するとして、民族服姿のセルビア人がダヴィデの星を踏みつけながら、フリーメイソンを象徴する柱を打ち破っている絵が描かれています。ちなみに、“反フリーメイソン博覧会”は1941年10月22日から開催されたイベントで、切手の寄附金は反フリーメイソン宣伝の資金として使われました...

 きちんと学ぼう!ユダヤと世界史(新番組)



記事で予告している番組『きちんと学ぼう!ユダヤと世界史』の動画は、現在もYouTubeで見ることが出来ます。第一回だけ貼っておきます。サムネの右側、セルビアで1941年に発行された切手は、結託したユダヤとフリーメイソンを打倒!というプロパガンダ。



フリーメイソンはキリスト教徒の中でも、派閥戦争していた時代に、宗教や国を問わない自由な活動が危険視されていた。表立って活動出来ない期間があった為、怪しまれてしまった。ということらしい。そこで、ユダヤの陰謀論とセット販売😅し始めたのは、ヒトラーで、セルビアの切手はヒトラー組に入ってた時代のものである。

ちなみに、セリーヌの父はヒトラー以前の世代なので、もっと前かれ、市民レベルではユダヤとフリーメイソンを同列で語るのは、あったのかもしれませんけど。

実を言うと、問題となったセリーヌのパンフレットの文は、現在全集でしか読めないそうで、ネット上で引用文ないか探してみたものの見つかりませんでした。そんな状態で彼に罪があるかどうかは、到底判断できないのですが、父親からユダヤ人の悪口聞いて育った、と言う事実は、周知されて良いのではと思った次第です。

Patti SmithとIvan Kralとチェコスロヴァキア

2年以上放置してたブログですが、お久しぶりです。

インスタグラムは週に数回くらいのペースで続けていて、3カ月前のロシアによるウクライナ侵攻からは、東欧絡み投稿が増えたので、その辺りを少しブログでまとめてみたくなってきました。

取り敢えず、現在進行中のチェコスロヴァキア関連の話。

先月NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」にて、初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルとルー・リードの交流話がありましたが、私がインスタで取り上げたのは、パティ・スミス・グループのアイヴァン・クラールでした。

このブログでも昔取り上げたパティの自叙伝、Just Kidsにもアイヴァンとの出会いの話が出てきました。1968年ロシア(パティはUSSRでなくRussiaと記述)のチェコスロヴァキア侵攻を逃れて、ニューヨークへやってきたアイヴァンは、故国ではSazeというバンドのメンバーでポップスターでした。そして、彼の父親は新聞記者で、共産党に粛清されたらしい。4枚目のアルバムWave収録のCitzen Shipという曲は、アイヴァンのことを歌っていたとか。

YouTubeでこんな動画見つけました。チェコのTVで放送された、アイヴァンのドキュメンタリーらしいです。



パティと一緒に、ポエトリーリーディングに参加してるアイヴァンが出てきます。後ろで、Scared =怖い、と言い続けるアイヴァン。初めて見ました。

因みにPSGにはソ連&ロシアの被害者がもう一人。レニー・ケイの両親は、20世紀初頭ロシアでのポグロムからNYへ逃れてきたユダヤ人だそう。

こうして言論の自由のない権威主義国家は、優秀な人材を流出し続けるのでありましょう。
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プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
刺繍作家でヨギ―で、時々ギターおばさんなアラ還主婦です。

トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨ブランド
『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』は、東京谷中の雑貨店クリコさんと、

ミンネ・ギャラリーにて販売しております。

また、時々ハンドメイドイベントにも参加しております。

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