浮世離れの世迷言・続

2024年03月17日

がっかりばっかりだったりばったり

行くたびに、帰ってきて思うことは「もう二度と行かない」なのに、少し間が開くとその感情を失念してしまう。
それで行ったらやっぱり帰ってきて「もう二度と行かないぞ」という強い憤懣が沸き上がるのである。
さすがに今後はその気持ちを維持できるだろう、そう期待したい。

もちろん京都のことであるね。


今日から入院なので、ぎりぎりまで奈良と京都を楽しむ日程にした。
初めはコンパクトに4泊5日の予定を立てていたのだけれど、二人の友人がそれぞれオレも行くと言い出したので前側に二日追加し、元の予定の最後の二日間に予約抽選が必要な見物どころの当選があったのでそれは外しがたく、ホテルは少しずつ追加したりずらしたりの調整をしたうえで6泊7日の行程となってしまった。

実際のところオレたちのような高齢者になれば旅行で行動を共にするということはさほど意味がないどころか好き勝手にしたいというところだしそもそも二人とも昔から一人旅派なのである。だから、あまり可能性はない想像だとは思うが、もしかしたら手術を控えたオレを励ますために同行同道するなんて気持ちが少しはあったのかもしれないなあとその時は思ったのだけれど、行ってみれば、それはなかったねww。

IMG_9658


でもまあ、オレにとっての初日の夕方に奈良で落ち合い、ものすごい激寒の中で東大寺の修二会の行のお松明を見物し、二日目にはレンタカーで室生寺と金峯山寺を見物し、三日目は朝イチで戒壇堂・指図堂・法華堂を見物し、などと珍しく行動を共にした。一人だとあまり車を借りるところまではしないので、普段行かない奥地に行けるのはこんな機会だからだと思えばありがたい。

そうしてまず一人帰り、残った二人は相手の希望で唐招提寺に行き、その晩二度目のお松明見物をし、四日目の朝の特急あをによしで京都駅まで一緒に行ってさようならを言った。


そのあとは京都でスカばかり、と言うのは見物に行ったら特別公開期間が一昨日まででしたとか、バスが渋滞で乱れて遅れて1時間半もかけてたどり着いたお店は水曜日は定休日とて閉まっていて、それならばと次のお店にまたまたバスで30分もかけて行ったら今度は水曜日木曜日定休で閉まっていて、そのあとには確実に開いている店に行ってなんとか盛り返したけれど、夕方にわざわざ、今度はへばった足を棒にしていったお店がやっぱり水曜日は店休で、えらいがっかりばっかりだった。

そのうえ、サラリーマン時代の昔から行っていた店がどこも信じられないような並び列で、結局諦めてばかりだったり。
街中はものすごい人波で、連中は絶対によけないし譲らないし、バスも電車もひどい混雑だし、ホテルの大浴場にグループで入ってきて浴槽を占拠したまま10分以上もべらべら喋ってどかないのでこっちは湯に入れないで冷えて風邪を引くし、振り返ってみると散々な思いをしただけだったのだった。

IMG_0164


そもそも京都は、欲しいものを買うための日程だったと思えばその点ではまずまずの満足だったからそれでいいやと言う気持ちだったのだけれど、それなら、買うだけならタクシーを雇ってぐるっと回って用事買い物を済まして泊まらずに帰れば良かったと大真面目に反省している。
なまじついでだからここやあすこを見物しようなんて思うからヤな思いをするわけで、
こいつはオレが悪かった。

さすがは春だ、お坊吉三入ったね。

IMG_0177


そもそも大浴場のあるホテルを選ばなければ非常識な浴槽占拠状態に遭遇することもなく風邪もひかなかったろうと言うこともある。
この手の文化断絶由来や、あるいは数を恃む傲岸さによる非常識は今後もなくならないだろうから、大浴場が選択必須であるという意識を変えれば良いのであろう。
大浴場をあたかも日本文化体験のアクティビティであるかのようにきっと外国に向けて宣伝しているような薄っぺらいインバウント対応施策のホテルに泊まるオレが馬鹿だということでもあるからね。
というか、そもそも京都に行くこと自体が間違っているということはあるかもね。

IMG_0333


要するに思考と行動をごっそり変えないといかんなと思う京都旅なのであった。

いや、そうではないか、今までもそう思ってきたのだから、
問題はその気持ちを忘れないようにしろということで、

毎度毎度忘れて、何してんだ馬鹿、

と言う話でした。


IMG_0322
IMG_0321



まあ、いいです。

noonuki at 09:53|PermalinkComments(2)旅日記 | 好きなお店

2024年03月06日

旅の楽しみ

だんだんと予定日が迫って、ずぼらなオレでも気持ちがざわざわする。
ずぼらと言うよりはがさつと言うべきか、いずれにしても碌でもない性格なわけだが、そのくせなんだかプワプワした感じで落ち着かない。

だから、と言うわけではないが、その前にちょっと旅に出るつもりだ。

毎年この時期はある期間限定の行事を観に行っているので今年もと言うわけだが、そのついでに、たまたまそれこそ手術しないとアキマヘンデーと言われた、もちろんそんな間抜けな言い方はされなかったけれど、その日は昼前にいくつかの予備の検査があって、その後に主治医との面談だったから少しインタバルがあった。
インタバルと言うと日豊本線の新田原駅(シンデンバル)に似てるね。

それでスマホを駆使して、と威張るほどのことではないけれど、宮内庁管轄の施設の見物申し込みをしたら二つあるどちらも取れたので仰天したので、それも組み込むことにした。
まあね、オレなどはもともと歴史なんてものにはてんで疎いし、その手のあれこれにも微塵の興味もないし、源氏物語よりは平家物語の方が好きな質だし、平家物語よりも近松の方が好きなので、見物したところで何の価値もないし世間に何か影響があるはずもないし、でも今まではあまりの施設見物予約の出足の早さだか速さだかについていけず全く引っかかる余地がなかったところを応募できてしかも当選したので、そりゃあ行こうと思ったわけだ。

そういうわけで見納め的な意識もあって行ってくることにした。

そうしたら友人が二人オラも行くべえとなったので、初めの方だけだが思わぬ道中が実現することになった。
現地集合現地解散で同道は一日ちょいだけれど、それならばとレンタカーを借りて遠出することにした。

オレは芝居に興味があって、三大名作と言われている菅原とか義経とか忠臣蔵なんてのは世間がそういうからオレも好きなんだけれど、源氏物語より平家物語が好きと書いたけれど、本物の武士の源氏の棟梁なんて連中に較べたら源氏物語の世界は断然好きで、オレはそもそも源氏の白旗が嫌いで平家の赤旗が好きなわけで、それはいろいろな局面でも、と言うのはラグビーであれフットボールであれファッションであれ社会的のあれこれであれ赤色が好きで、オレは着る服は赤ばっかりで、でも紅は好きじゃないのは、おお、これは案外と奥が深い書きようだな。

ギケイセンボンオウ(義経千本桜)はもちろんそんな読み方をするはずもないけれど、好きな芝居の三十本には間違いなく入るわけで、あれは概ね「碇知盛」か「鮨屋=いがみの権太」か「川連法眼館=四の切」か、あるいは所作なら「道行」がそれぞれ独立した狂言として舞台になるわけで、まあ中でも碇知盛は亡くなった吉右衛門の当たり役だし、仁左衛門もこないだ一世一代をやっちゃったけれど当たり役で、まあ一番面白いようでもあって一番観ているんだろう。
川連館は狐の飛び出しとか外連たっぷりの見どころがあって人気だ。あれをむかしむかしこんぴら芝居で観たときは、あの古風な小屋で狐が飛び出すところなんざ痺れました。

と言うような話に較べると鮨屋=いがみの権太はなかなか難しいところで、関西ではとても人気で、やんちゃと言うかきかん気の強い気の荒い悪童を権太とか権太してるとか言うらしく、それでいてどこか憎めないようなニュアンスを醸し出すらしいので、こちらでチンピラと言うのとはずいぶん違うようだが、そのもともとが鮨屋の主役であるいがみの権太なのであるね。
まあ誰でも知ってることだけど。

その権太は奈良の吉野の手前の下市の鮨屋の倅で、その鮨屋はほんとにあって今でも営業してる鮨屋で、それで鮨屋の名前を取って(登場人物名でもあるけれど)鮨を食うという意味でやすけにいきましょうとか言う通言になったらしい。
もちろんオレはそんなことは言わない。

そのお店が通り道なので行くことにしたのだが、少し前に近場に行ったときに電話して今から席取れるかと尋ねたら、一人はお受けしませんと言われて諦めた。
たいそうがっかりしたので、オレのようなおひとり様は縁がねんだなと思い諦めた。

ところへ今度の旅である。
それで好い機会と思い同道者にこれこれこういう経緯で以前は断られたのだが、こんどは一人じゃないから行こうよと誘ったら、そんな無体を言う店なんか行きたかねえよ、と言うことだったので仕方ないと諦めた。
ところが二週間ほどしたら、あの時はああ言ったけど調べたら好い店みたいだから行こうと言われたので予約を試みたが、まあ電話が全然つながらない。
そのたびに20回ほどはコールしてみるのだけれど、出てくれないから何度も諦めた。

そう言ったら友人が電話したみたいで、だいぶコールしたら出たけれど、こっちの都合の良い日時は満席だと断られたと。

まあ仕方ない。
何度も何度もアクセスしたけれど、人数の点でもコール数の点でも日時の点でも、とにかく全部ダメなんだから元来縁が無かったというこっちゃ。
ひと月以上も前から何度も電話してあかんかったんやからしゃあないで。
もともとのタイミングで電話しても同じこったろうしね。
もう向後止しにする。
ついでに店の電話番号もスマホから消し、芝居の鮨屋は観ないことにする。
こないだたまたま録画した菊之助が権太をやった鮨屋も視ないで消すことにする。

そもそも何にも無かったことにすればガッカリ感も腹立たしさも、ぜーんぶ消える。
なるほど、今のオレにぴったりでちょうど良い機会だなと思ったのであった。

まあ、いいです。

2024年02月14日

さらに一日

深川からの帰り、もちろん箱崎から高速に乗ればらくなのは判るけど、たまには手土産を持って帰ろうと思ったので向島まで行くことにした。
清澄通りに出るつもりだったところを、歩行者が横丁を横断しているのが見えたので面倒に思い直進したのだけれど、次の右折も面倒になったので左折したのだけれど、その次の交差点で門仲に戻るのが誰も見ていないというのに恥ずかしい気持ちになっのたでわざわざ右折して結局永代橋を渡る羽目になってしまった。
走りたかった道路にすぐそこの右折左折で入れたところを面倒くさがったので大回りに一周して入るのが気恥ずかしいというわけだが、いかにも江戸っ子らしい気風の良さが溢れる所作で、実に粋だね。
江戸っ子じゃないけど。

IMG_9271
◆吾妻橋東詰から見上げるプッシュアップの塔。信号、長いんだよね。


そういや学校の後輩にこのあたりの出身で、名字がまるぎりお芝居の主人公という江戸っ子を絵に描いたような男がいたけれど、元気だろうか。
あんな苗字、本当にいるんだねえ。いまも一度会うことができたらサインもらおうかなと思っちゃう。

ともかくそうしてようよう向島堤にでて桜餅を買って、それで気が済んだので向島から首都高に乗った。

長命寺の桜餅が好きなのでしばしば寄るのだけれど、以前は歩いても買いに行ったけれど、今はもうどさくさから歩くのがしんどくなって、こんなふうで車の時に寄るしか行かないようになった。寄る年波ってやつかね。

IMG_9273
◆松崎の桜かどうか、それは知らない。←もちろんウルトラマンの『侵略者を撃て』からの剽窃。


以前に西伊豆の松崎というところの棚田を維持する目的の素人田んぼ維持クラブみたいのに参加させてもらったことがある。田植えと草取りと刈り取りの3回は素人が遊山と海の幸を求めて松崎に行くのだけれど、あとは地元の農家が普通に育ててくれるという企画だった。
その田植えと稲刈りに行ったのだけれど、棚田の周りは大島桜のあれは畑だそうで、つまり桜餅のくるみに使うやわらかな葉を収穫するための桜の畑なのであった。
だから当然手入れ収穫しやすいように背の低い桜樹で、ああ春はさぞ見事であろうなと、京都の御室の背の低い御室桜を思い出しつつも、海を見下ろす素晴らしい景色を堪能したのだった。

長命寺の桜餅の葉が松崎の桜だかどうかは知らないけれど、縦長にたっぷり三枚の桜葉でくるんだ桜餅はとても良い香が移り、美味しい。
オレは牛じゃねえから派で葉っぱは食べないけれど、老母や、何人か知っている女性はみんな葉ごとむしゃむしゃ食べる。
オレも昔はそういうものだと思うことにして食べたけれど、素直に生きることにしてもう30年は食べないでいる。人間だもの、みつを。

IMG_9272
◆ああ、今年も咲くね。


あの道は、と言うのは大川の向島堤の下を堤に沿って走る墨堤通りのことだけれど、時分どきに走ると、あの桜から一斉に花弁が流れ落ちる桜吹雪の下を走る機会に巡り合うことがある。
もうだいぶ以前にそんな折に走ったことがある。
まだまだ残る堤の桜並木から目の前が真っ白になるような花吹雪が流れ落ちて降り注ぎ陽光にキラキラ輝いて、白い幕の向こうの堤の上は抜けるような青空で、思い出すだけで動機が高まるほど美しい彩度明度の花が咲く世界だった。
以来毎年そのころを目指して走るのだけれど、あのような壮麗な桜吹雪にあったためしがない。荘厳金襴に勝る眼福の極みで、絶後の壮観であった。知ってる言葉を連ねてこれが限界だった。


でも、なんとなく今年はその景色がありそうで(景色自体は毎年あるんだろうが)、そうしてオレは絶対にそれを観ることができないということは種々の確定日程で解っている。

毎年あと何度この景色を見ることができるかなと、墨堤はもとより千鳥ヶ淵でも権現堂でも、時々は御室弘前紫野でも思うのだけれど、その貴重な一度を失うのはとても残念な話である。
花を観ることができない人生に何の意味があるのだろう。

まあ、いいです。