“ちょっぴり発達凸凹”のぐるぐる日記
~発達障害、“ちょっぴり”でも生きづらいんです~
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2017-02-28 (Tue)
昨日は、最後の面談日だった。
福祉士さんと、いつもの場所で出会う最後の日。
(「別れの予感」参照)
福祉士さんと、いつもの場所で出会う最後の日。
(「別れの予感」参照)
この日のために、私にできることはないだろうか。
花束とか?
記念品とか? ・・・なんだか私らしくない。
やっぱり、メッセージカードだろうと思った。
花束とか?
記念品とか? ・・・なんだか私らしくない。
やっぱり、メッセージカードだろうと思った。
でも、何を書けばいいのだろう?
伝えたいことがたくさんありすぎて、いざ書こうとすると何を書けばいいのかわからない。
伝えたいことがたくさんありすぎて、いざ書こうとすると何を書けばいいのかわからない。
つまるところ、私が言いたい言葉は
「ありがとうございました」なのだ。
「ありがとうございました」なのだ。
それならわざわざカードにしたためなくてもいいのでは?
また会いましょうって約束したし。
また会いましょうって約束したし。
どんなデザインのカードにすればいいのかわからなくて、そんな思いが頭をよぎる。
そうやって一度はあきらめかけたメッセージカード。
でも直前になって、どうしてもちゃんと形にして思いを伝えたくなって、前日になってパソコンに
向かった。
向かった。
文字は手書きのほうがいいに決まってるけど、字を書くのが苦手なのと、デザイン的に美しくない!と納得いかなくて、すべてパソコンで作成した。
手作りのカードを携え、最後の面談に臨む。
不思議なことに、私はほとんど泣かなかった。
号泣するんじゃないかと思ってたのに。
どうして泣かなかったのだろう?
号泣するんじゃないかと思ってたのに。
どうして泣かなかったのだろう?
多分、先週先生に話を聞いてもらって、心の混乱が少し治まっていたからだと思う。
もう、ひとしきり泣いたから。
ついでにカードを作りながらも泣いたし。
それから、面談前の診察で、先生から新しい福祉士さんとの顔合わせを告げられ、
心が少しファイティングポーズになってたのも原因だろう。
そしてそして、最大の要因は、私が心を決めたから。
これからも福祉士さんを信じ続ける決意。
また会えると、信じてる。
一緒に歩いていけると、信じてる。
そして、彼女を信じる自分を信じる。
発達特性ゆえに人と近づけば近づくほど逃げ出したくなってしまう私だけど、
これから先、どんな形であっても、私の人生劇場の登場人物であってほしい。
一緒に歩いていけると、信じてる。
そして、彼女を信じる自分を信じる。
発達特性ゆえに人と近づけば近づくほど逃げ出したくなってしまう私だけど、
これから先、どんな形であっても、私の人生劇場の登場人物であってほしい。
2017-02-26 (Sun)
以前、福祉士さんに聞かれ、うつの存在をすっかり忘れていたことに気がついた。
そういえば、自分が “ちょっぴり発達凸凹” だと知るまでは、うつに関する本を読んだりカウンセリング講座を受けてみたり自律訓練法に挑戦したり、自分の心をなんとかしようとジタバタしていた。
それなのに、今はほったらかし状態だ。
それなのに、今はほったらかし状態だ。
「そういえばそうですね~」と言いながら、その理由を考えてみる。
◆私のうつは軽い。
実体験が伴わないものは今一つ興味がわかないので、研究範囲が狭い。
実体験が伴わないものは今一つ興味がわかないので、研究範囲が狭い。
◆一度にふたつのことに興味を持てない(ひとつのことに没頭してしまう)。
◆うつを研究している人はいっぱいいるし、世の中に認知されている。
だから、まだ認知度の浅い発達障害を追求したい。
だから、まだ認知度の浅い発達障害を追求したい。
◆発達障害は生まれ持った脳のカタチなので、その事実を受け入れればいい。
でも、うつは治すことができるから、「私、治すために何かしなくちゃいけないの??」と
思い詰めてしまう。
でも、うつは治すことができるから、「私、治すために何かしなくちゃいけないの??」と
思い詰めてしまう。
◆発達障害は未知の世界なので、興味が尽きない。
◆発達障害を知り受け入れることで、2次障害であるうつは改善されると
思っている。
思っている。
・・・理由っていろいろあるなあ。
でも一言でいえば、「発達障害研究が面白いから」に尽きる。
調べれば調べるほど、その情報が自分のこれまでの人生とリンクしていく。
苦手だったこと、辛かったことの原因がわかり、ストンと心に落ちていく。
一気に視界が開けるような、なんともいえない不思議な感覚。
私にとって発達障害研究とは、
「自己発見」→「自己受容」のプロセスなのだ。
確かに発達凸凹があるために生きづらかったりするけど、これが私。
子どもの頃から「みんなと同じはイヤ!」と独自性にこだわっていた私にとって、
「変わってるね」は褒め言葉だった。
「変わってるね」は褒め言葉だった。
だから、自分が “ちょっぴり発達凸凹” であるということはお墨付きをもらったようなもので、
私はルンルン気分で発達障害研究にいそしんでいる。
私はルンルン気分で発達障害研究にいそしんでいる。
申し訳ないけど、うつ研究の入る余地はなさそうだ。
――これで答えになったでしょうか?
2017-02-23 (Thu)
先日、今の自分の状態を知りたくて、病院へ行ってきた。
診察室に入り「疲れました・・・」と最初の言葉を発した途端、涙があふれてきた。
それまで何の予兆もなかったので、今日は泣かないだろうと思ってたのに。
話せば話すほど、意思とは関係なくポロポロ・・・
結局最後まで泣いていた。
結局最後まで泣いていた。
9日の “ 福祉士さんショック ”(「別れの予感」参照)をきっかけに、これまで張りつめていた糸が切れたのか、心の疲れがどっと押し寄せてきていた。
とにかく事業所に行くのが辛くて、ひとりになりたくて。
そして自分の未来も見えなくて。
そして自分の未来も見えなくて。
でも、うつの真っただ中にいた2年前を思えば、今の状態なんて可愛いもんだ。
まだまだ頑張れるんじゃないかと思う。
これくらいで休むのは甘えか逃避でしかないと思った。
これくらいで休むのは甘えか逃避でしかないと思った。
その反面、あまり頑張りすぎると深みに落ち込んでいくんじゃないかという不安もよぎる。
それに、可愛いもんだけど、かなりキツイ。
それに、可愛いもんだけど、かなりキツイ。
どこまでが頑張るところで、どこからが休んでいいんだろう?
そして、私は今、どんな状態なのだろう?
まだ頑張るべきなのだろうか?
そして、私は今、どんな状態なのだろう?
まだ頑張るべきなのだろうか?
頑張って走り続けてはバタッと倒れるような生き方をしてきたから、その加減がわからない。
今度は倒れたくないので、それを知りたかった。
「先生、私のコップの水は今どれくらいなんでしょう?」
と先生に聞くと、
と先生に聞くと、
「もう満杯です! 表面張力で保ってる状態です」
と返事が返ってきた。
と返事が返ってきた。
もう、満杯・・・?
じゃあ私、もう頑張らなくていいんですね?
少し休んでいいんですよね?
これは甘えじゃないんですよね?
じゃあ私、もう頑張らなくていいんですね?
少し休んでいいんですよね?
これは甘えじゃないんですよね?
そうか、これが私のコップの容量だったのか。
これまでは水があふれて周りが水浸しになって滑って転んで複雑骨折して・・・
これまでは水があふれて周りが水浸しになって滑って転んで複雑骨折して・・・
そうなるまで自分に頑張ることを強いていた。
でも、自分の容量はこんなに小さかったんだ。
でも、自分の容量はこんなに小さかったんだ。
先生に相談してよかった。
自分で自分の状態に気づきにくい私だから、「まだ大丈夫?」と自分自身に問いかけても
「多分・・・もうちょっといけるかなあ」というあやふやな返事しか返ってこない。
わからないときは、頑張る前に聞きに行こう。
そして、「もう満杯!」とわかったら、無理をせずに心を休ませよう。
そして、「もう満杯!」とわかったら、無理をせずに心を休ませよう。
そう思えるようになっただけでも、私にしては大進歩だ。
(余談)
今日から月末まで、心のメンテナンスのため事業所を休むことに(=_=)
雨が上がったら、のんびりと海へ散歩にでもでかけよう。
今日から月末まで、心のメンテナンスのため事業所を休むことに(=_=)
雨が上がったら、のんびりと海へ散歩にでもでかけよう。
2017-02-20 (Mon)
今日、就労移行支援事業所で S さんの修了式があった。
彼とはよくおしゃべりしてたので、“いるのが当たり前” の人だった。
だから、明日からはもういないんだという実感がわかない。
だから、明日からはもういないんだという実感がわかない。
実は、スタッフさん以外で私の涙を見た最初の人が S さんなのだ。
あれは昨年12月のこと。
通所し始めて2日目の、クリーンキャンペーンで駅周辺の掃除をした日のことだった。
反省会の後、感情がいっぱいいっぱいになってしまい動けずにいた私に、
「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのが S さんだった。
その声に応えようとした途端、涙がポロリ・・・。
それ以来、S さんとは顔を合わせると話をし、しょうもない話題で笑いあった。
その彼が、事業所を去っていく。
就職が決まり、新しい人生を歩き始めるのだ。
S さんの事業所最後の手記が、ホームページの利用者ダイアリーに掲載されている。
彼は、やりたいことより自分の能力を生かす道を選んだ。
その覚悟と信念が、文章から伝わってくる。
就職が決まり、新しい人生を歩き始めるのだ。
S さんの事業所最後の手記が、ホームページの利用者ダイアリーに掲載されている。
彼は、やりたいことより自分の能力を生かす道を選んだ。
その覚悟と信念が、文章から伝わってくる。
「何かの犠牲なしに何も得る事は出来ない」
と、身をもって示してくれた。
彼はきっと これから力強く自分の道を歩いて行くのだろう。
と、身をもって示してくれた。
彼はきっと これから力強く自分の道を歩いて行くのだろう。
S さん、ありがとうございました!
2017-02-17 (Fri)
先日、久しぶりに海へ行った。
2月になってから初めての海。
今月から事業所へ週4日通うことになり、まだ心に余裕がなくて、足が遠のいていた。
2月になってから初めての海。
今月から事業所へ週4日通うことになり、まだ心に余裕がなくて、足が遠のいていた。
いつものように、海辺に沿うように作れた階段に腰を下ろし、目を閉じて波音に身を委ねる。
冷たい風が吹く中、雲間から漏れる朝陽がほんのりと頬を温めてくれる。
10分ほどそうやって海を味わっていると足元から冷えてきたので、引き上げることにした。
この季節は、長居は禁物。
冷たい風が吹く中、雲間から漏れる朝陽がほんのりと頬を温めてくれる。
10分ほどそうやって海を味わっていると足元から冷えてきたので、引き上げることにした。
この季節は、長居は禁物。
いつもは遊歩道を歩くんだけど、この日はなぜか砂浜を歩きたくなった。
ザクッザクッと靴に砂が入らないよう、慎重に足を運ぶ。
足元に目をやると、先まで続くたくさんの足跡。
足元に目をやると、先まで続くたくさんの足跡。
いろんな靴底模様は、人の足跡。
可愛らしい肉球スタンプは、犬の足跡。
小さな3本の松葉は、鳥の足跡。
可愛らしい肉球スタンプは、犬の足跡。
小さな3本の松葉は、鳥の足跡。
なんだか楽しくなって、ひとりで笑った。
公園を通り抜ける。
わざと歩道を外れ、芝生の中に形成されたけもの道を歩く。
足の裏に感じる土の感触が気持ちいい。
ニマニマしながら歩く私は、さぞかしおかしな人に見えただろう。
わざと歩道を外れ、芝生の中に形成されたけもの道を歩く。
足の裏に感じる土の感触が気持ちいい。
ニマニマしながら歩く私は、さぞかしおかしな人に見えただろう。
重度の自閉症である東田直樹くんは、13歳のときに書いた『自閉症の僕が飛びはねる理由』(角川文庫)で、自然と遊ぶのが楽しみだと書いている。
“自然は、いつでも僕たちを優しく包んでくれます。”
“見ているだけで吸い込まれそうで、その瞬間、僕は自分の身体が生まれる前の小さな分子になって、自然の中にとけていくような感覚に襲われます。
とてもいい気持で、自分が人だということも、障害者だということも忘れてしまうのです。” (P.110)
とてもいい気持で、自分が人だということも、障害者だということも忘れてしまうのです。” (P.110)
私は海と空に溶け込んでいくとき、彼と同じような感覚を味わっている。
でも、社会に戻ることを意識し始めてから、その感覚は薄くなってしまった。
でも、社会に戻ることを意識し始めてから、その感覚は薄くなってしまった。
生きていくために必要だった仮面や鎧を脱ぎ捨て何もかも手放して、素っ裸の自分に戻っていたあのときだけの、奇跡のような時間。
自然にうまく溶け込めなくなったのは、また鎧をつけてしまったということなのだろうか。
でも、社会に戻るのに素っ裸では心もとないじゃないか。
でも、社会に戻るのに素っ裸では心もとないじゃないか。
せめて以前のようなガチガチの鎧ではなく、しなやかな素材のものを新調したい。
そして、ONとOFFの切り替えが下手な私でも大丈夫な、着脱が容易な鎧がいい。
そんな鎧を手に入れたら、休日には鎧を外して海へ行こう。
そうすればまた、あの海と空に溶け込めるかもしれない。
そうすればまた、あの海と空に溶け込めるかもしれない。
2017-02-13 (Mon)
「かなさん、これが発達障害の特性だとわかってますか?」
「はい。でも、これほど頑固なのも・・・ですか?」
「 “これほど” なんです。それが特性なんですよ」
「はい。でも、これほど頑固なのも・・・ですか?」
「 “これほど” なんです。それが特性なんですよ」
“急な予定の変更に対処できない”
という、発達障害の特性。
先日の福祉士さんとの面談で、私は自分の頑固さ、融通の利かなさを痛感し辛かった話を
した。
それは、先月末のこと・・・
という、発達障害の特性。
先日の福祉士さんとの面談で、私は自分の頑固さ、融通の利かなさを痛感し辛かった話を
した。
それは、先月末のこと・・・
*(当日の日記より抜粋)***********************
朝、就労移行支援事業所から電話があった。
「明日の午後、退所する利用者さんの修了式なので、参加しませんか」
という連絡だった。
朝、就労移行支援事業所から電話があった。
「明日の午後、退所する利用者さんの修了式なので、参加しませんか」
という連絡だった。
連休中で翌日も休みの私に、振替で他の日を休みにすればいいとも言ってくださった。
でも私は「すみません、明日は用事があるので」と断ってしまった。
ほんの少し予定を変更すれば済むことだったのに。
本当は私も彼を見送りたい。
ほんの少し予定を変更すれば済むことだったのに。
本当は私も彼を見送りたい。
不器用ながらも自分のことを話してくれて、私のことも気にかけてくれていた彼。
最後は直接「ありがとうございました」って言いたかった。
最後は直接「ありがとうございました」って言いたかった。
それなのに、それでも・・・
私は切り替えができなかった。
今朝も「明日もまだ休みだから大丈夫!」と心の中で確認し、まだ事業所へ気持ちを向けなくてもいいと自分に言い聞かせたばかり。
そこへいきなり「明日来ませんか?」と言われても、私には対処することができない。
一気に緊張が高まり、とまどい、混乱する。
そして、彼を見送ることより自分の予定とひとりの時間を守ろうとする自分を嫌悪しながらも、
どうしても譲ることはできなかった。
私は切り替えができなかった。
今朝も「明日もまだ休みだから大丈夫!」と心の中で確認し、まだ事業所へ気持ちを向けなくてもいいと自分に言い聞かせたばかり。
そこへいきなり「明日来ませんか?」と言われても、私には対処することができない。
一気に緊張が高まり、とまどい、混乱する。
そして、彼を見送ることより自分の予定とひとりの時間を守ろうとする自分を嫌悪しながらも、
どうしても譲ることはできなかった。
苦しい。
困惑、悲しみ、怒り、いろんなものがごちゃ混ぜになって涙がこぼれ落ちる。
困惑、悲しみ、怒り、いろんなものがごちゃ混ぜになって涙がこぼれ落ちる。
こんなに苦しいのに、自分の心の欲求を通そうとする私。
「行きます」と言ってしまえば、きっとそこから心を作っていけただろうに。
「行きます」と言ってしまえば、きっとそこから心を作っていけただろうに。
休日はまた巡ってくるけど、彼とはもう会うこともないだろう。
それなのに、それなのに・・・
そう思いながらも、私は決断を翻そうとしないのだ。
それよりもこの苦しさを払拭しようと、日記に書いて忘れようとしている。
それなのに、それなのに・・・
そう思いながらも、私は決断を翻そうとしないのだ。
それよりもこの苦しさを払拭しようと、日記に書いて忘れようとしている。
罪悪感を抱えたまま連休を過ごすより、明日通所するほうがいいんじゃないの?と
普通なら思うかもしれない。
普通なら思うかもしれない。
これまで何度同じようなことを繰り返してきたのだろう。
理性ではわかっているけどそう思えないところが、
私の困ったところなのだ・・・
理性ではわかっているけどそう思えないところが、
私の困ったところなのだ・・・
*************************ヽ( ̄д ̄;)ノ*******
「かなさんは “グレーゾーン” だからこそ、罪悪感を感じて辛い思いをするんですよ」
しっかり発達障害してる人なら「行かない」で終わり、らしい。
「本当に・・・本当に辛かったでしょう。
これは特性です。もう自分を責めないでください」
また一つ、自分の特性を知ることができた。
そして、どうにもならなかった自分を許し、受け止めることも。
そして、どうにもならなかった自分を許し、受け止めることも。
まだまだ私の中には知らない私が存在しているハズ。
こうやって、私の “発達障害マイブーム” はこれからも続く。
こうやって、私の “発達障害マイブーム” はこれからも続く。
2017-02-09 (Thu)
「大切なお話があります。
実は、福祉士が2月いっぱいで退職することになりました」
診察室で先生の言葉を聞いた瞬間、“やっぱり・・・” と思った。
実は、福祉士が2月いっぱいで退職することになりました」
診察室で先生の言葉を聞いた瞬間、“やっぱり・・・” と思った。
今日は福祉士さんとの面談の日。
いつものように待合室に腰を下ろし先生の診察を待っていると、なぜか福祉士さんがいなくなってしまうような不安がよぎった。
だから先生から言われて、“やっぱり・・・ついにこの日が来たか” と、静かに聞いていた。
前々からそんな予感はしていた。
この人はきっといつか、新たな場所に挑戦していくのだろうと。
ただ、予感はしていても覚悟はできていなかった。
いつものように待合室に腰を下ろし先生の診察を待っていると、なぜか福祉士さんがいなくなってしまうような不安がよぎった。
だから先生から言われて、“やっぱり・・・ついにこの日が来たか” と、静かに聞いていた。
前々からそんな予感はしていた。
この人はきっといつか、新たな場所に挑戦していくのだろうと。
ただ、予感はしていても覚悟はできていなかった。
先生は私の心を心配しながら、ゆっくりと説明して下さった。
聞いているうちに徐々にその事実が心に深く突き刺さり、現実として認識してしまうと、
涙があふれてきた。
本当に、いなくなっちゃうんだ・・・
涙があふれてきた。
本当に、いなくなっちゃうんだ・・・
先生の診察が終わり待合室で面談を待っている間も、ポロポロ涙がこぼれて止まらない。
頭では理解しているけど、感情がついてこない。
この先の不安より、ただただ今この瞬間、彼女との別れが間近に近づいているという事実に
衝撃を受けていた。
衝撃を受けていた。
福祉士さんと最初に何を話したのか、よく覚えていない。
とにかく彼女の今後の話を聞き、いつものように私の用意した資料を見ながら、いつものように笑ったり泣いたりして・・・
そう、いつものように。
とにかく彼女の今後の話を聞き、いつものように私の用意した資料を見ながら、いつものように笑ったり泣いたりして・・・
そう、いつものように。
そして、
「先生も私も、かなさんのこれからのことを心配しています。
もしよかったら、また会ってください。
先生に言っていただければ大丈夫ですから」
と言ってくださった。
そんな言葉、私から言いたい。
「先生も私も、かなさんのこれからのことを心配しています。
もしよかったら、また会ってください。
先生に言っていただければ大丈夫ですから」
と言ってくださった。
そんな言葉、私から言いたい。
また、会ってください。会いたいです。
これから先のことはわからない。
でも、「かなさんと先生と私のトライアングルは続けていきましょう!」
という福祉士さん笑顔が、とても嬉しかった。
でも、「かなさんと先生と私のトライアングルは続けていきましょう!」
という福祉士さん笑顔が、とても嬉しかった。
2017-02-07 (Tue)
先日、就労移行支援事業所を早退し、『発達障害サポーター講座~発達障害 発達凸凹
こんな力を持っています』という講演会に参加してきた。
こんな力を持っています』という講演会に参加してきた。
当事者である私がなぜサポーター講座を受講するのか。
それには二つの理由がある。
一つ目は、社会が発達障害をどのように捉えているのか興味があったから。
二つ目は、ピアサポートに興味があったから。
いつかちゃんと働いて生活を立て直すことができたら、同じ障害を持つ人たちのために自分にできることを見つけたいなあと、密かに思ってたりするのだ。
一つ目は、社会が発達障害をどのように捉えているのか興味があったから。
二つ目は、ピアサポートに興味があったから。
いつかちゃんと働いて生活を立て直すことができたら、同じ障害を持つ人たちのために自分にできることを見つけたいなあと、密かに思ってたりするのだ。
さて、こんな思いを抱きながら参加した講演会だけど、なかなか興味深かった。
10分間の休憩を挟みながらも3時間半、みっちりお勉強。
その中で、とても印象に残ったお話がある。
その中で、とても印象に残ったお話がある。
NPO法人発達障害を持つ大人の会(DDAC)代表:広野ゆい氏は、「発達凸凹 働くうえでの適応術」と題し、アスペルガー傾向のあるADHDという当事者目線でお話をしてくださった。
発達障害を理解するポイント、NPO法人を設立する経緯、そしてセルフヘルプグループ(自助グループ)で得られるもの、職場での対処の実例など内容は多岐にわたった。
特にセルフヘルプグループについてはご自身が活動されているので、その有効性についての説明には力が入っていたように思う。
同じ障害を持つ仲間と交流することで、自己受容が進み、情報を共有しそこから学び、自尊心を回復することができるのだと。
ここで、以前福祉士さんから教えてもらった言葉“ヘルパーセラピー”が登場した。
発達障害を理解するポイント、NPO法人を設立する経緯、そしてセルフヘルプグループ(自助グループ)で得られるもの、職場での対処の実例など内容は多岐にわたった。
特にセルフヘルプグループについてはご自身が活動されているので、その有効性についての説明には力が入っていたように思う。
同じ障害を持つ仲間と交流することで、自己受容が進み、情報を共有しそこから学び、自尊心を回復することができるのだと。
ここで、以前福祉士さんから教えてもらった言葉“ヘルパーセラピー”が登場した。
誰かに手を差し伸べることで自分も救われる・・・つまり、自尊心の回復。
今通ってる就労移行支援事業所も、そんな一面があるのかもしれない。
今通ってる就労移行支援事業所も、そんな一面があるのかもしれない。
そして、広野氏の講演で私が一番気に入った言葉は
「大人になったら、できないことはあきらめましょう!」だった。
「大人になったら、できないことはあきらめましょう!」だった。
「エネルギーには限りがあるのだから、子どもの頃は別として、できないことに時間を割くのはもったいない。自分のできることをして生きていきましょう!」
なんて勇気づけられる言葉なんだろう。
能力に凸凹がある発達障害の人たち。
大人になるまでさんざん格闘し、それでもどうにもならなかったこと・・・
もうそれはいいじゃないって。
もう・・・闘わなくてもいいんだ。
大人になるまでさんざん格闘し、それでもどうにもならなかったこと・・・
もうそれはいいじゃないって。
もう・・・闘わなくてもいいんだ。
そしてお話の最後に、ガイドブック『発達凸凹活用マニュアル1・2』の紹介があった。
実は、私はこの冊子をすでに持っている。
発達障害研究がマイブームになっていた昨年の春、偶然ネット上で見つけダウンロードした。
発達障害研究がマイブームになっていた昨年の春、偶然ネット上で見つけダウンロードした。
これには、発達障害者が働く現場でどのようなことが起こっているのか、凸凹を活かすにはどのような工夫をすればいいか、企業と当事者どちらにとっても有益な情報がいっぱい詰まっている。
私もこれを読んで、職場でどんなことに苦労していたかよく分かった。
私もこれを読んで、職場でどんなことに苦労していたかよく分かった。
『発達凸凹活用マニュアル1・2』
ホームページ「ぴあさぽDeコンサル」から無料ダウンロード➡http://consul.piasapo.com
講座の後半は、「発達凸凹のある人の活躍できる職場づくり」をテーマに、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの藤原崇氏が、企業側から見た障害者雇用についてお話をしてくださった。
これはなかなか衝撃的な内容だった。
これはなかなか衝撃的な内容だった。
<企業の捉え方>
“合理的配慮” は企業においては、能力発揮の “コスト” と捉えられる。
“合理的配慮” は企業においては、能力発揮の “コスト” と捉えられる。
(出所:三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
つまり、障害者を雇用するということは、健常者には必要ないコストがかかるということだ。
それを考えると、障害者雇用を躊躇するのも分かる。
いかに効率よく、いかにコストをかけずに収益を上げるかが、企業にとっては重要なのだから。
いかに効率よく、いかにコストをかけずに収益を上げるかが、企業にとっては重要なのだから。
前途多難だなあと少々気持ちが重くなってしまったけど、最後に紹介してくださった体験談が、
これからの道を少し明るくしてくれた。
それは、初めて発達障害者を雇用した社長の言葉だった。
「取説さえ間違えなければ使えるね!」
乱暴な言い方だけど、核心をついているのではないだろうか。
乱暴な言い方だけど、核心をついているのではないだろうか。
発達障害者は配慮を受けながらできることをすれば、その集中力やこだわり等の特性を十分に発揮して、なかなかいい仕事ができるはずなのだ。
企業と障害者それぞれが頑張ることで、コストを上回って十分な利益を生み出すことができると信じたい。
この講座に参加して、本当によかった。
やっぱり生きている情報を聴くのは楽しいし、そこから考えがぐるぐる回り始める。
これからも様々な方法で自己理解を深め、社会における発達障害者の在り方を学んでいきたい。
そしていつか、それを社会に還元できればいいなと改めて思ったのだった。
やっぱり生きている情報を聴くのは楽しいし、そこから考えがぐるぐる回り始める。
これからも様々な方法で自己理解を深め、社会における発達障害者の在り方を学んでいきたい。
そしていつか、それを社会に還元できればいいなと改めて思ったのだった。
2017-02-03 (Fri)
昨年もブログでちょっと触れたんだけど、以前勤めていたお寺の住職さんから聴いたお話を紹介しようと思う。
10カ月(実働7カ月)という短い間だったけど、住職さんはいろんなお話をしてくださった。
仏教にまつわるお話は難しく、しかも機嫌のいい時は1時間以上続くこともある。
みんなが話を聴くことを避ける中、仏教に興味があり人の話を聞くことが好きな私は、率先して聴き役に徹していた。
聴いている間は苦手な電話に出なくてもいい・・・そんな姑息な算段があったことも確かだけど。
仏教にまつわるお話は難しく、しかも機嫌のいい時は1時間以上続くこともある。
みんなが話を聴くことを避ける中、仏教に興味があり人の話を聞くことが好きな私は、率先して聴き役に徹していた。
聴いている間は苦手な電話に出なくてもいい・・・そんな姑息な算段があったことも確かだけど。
そして、私がうつ病で退職する日も、住職さんはいつものようにお話をしてくださった。
「人はみんな曲がってる。
自分は真っすぐで周りが曲がってるんだと思っていても、
そんなあなたも曲がっている。
自分は真っすぐで周りが曲がってるんだと思っていても、
そんなあなたも曲がっている。
そしてその曲がり方は人それぞれなので、
そこにストレスを感じてしまうんだ。」
そこにストレスを感じてしまうんだ。」
そして、住職さんは
「自分の曲がり方に人を合わせようとするからイライラする」とおっしゃった。
そのとき、私は思った。
私の場合は、相手の曲がり方を必死で見極めその曲がり方に合わせようとしてぐったりしてしまうのだと。
今思えば、“ちょっぴり発達凸凹” というちょっぴり変わった曲がり方をしている私が、健常者の曲がり方に合わそうとしていたのだから、そりゃあ大変だったろう。
そもそも健常者同士でも、相手の曲がり方にぴったり合わせるなんてことは不可能に違いない。
そして、ぴったり合わせる必要もないのだ。
人はみんな曲がってる。
それは誰が正解というものでもなく、どの曲がり方も尊重されるべきものだ。
それは誰が正解というものでもなく、どの曲がり方も尊重されるべきものだ。
住職さんのお話は、コミュニケーション論につながる思う。
より良いコミュニケーションとは・・・
「自分を無理に曲げない」+「相手の曲がり方を尊重する」
つまり、お互いの思いやりと歩み寄りが大切ってことなのかな。
頭ではわかってるんだけど、これがなかなか難しいんだよなあ・・・
「自分を無理に曲げない」+「相手の曲がり方を尊重する」
つまり、お互いの思いやりと歩み寄りが大切ってことなのかな。
頭ではわかってるんだけど、これがなかなか難しいんだよなあ・・・
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