“ちょっぴり発達凸凹”のぐるぐる日記 自己受容
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2017-08-12 (Sat)
「私の中には、もうひとりの私がいます」

という私に、所長と福祉士さんは「え?」という表情を浮かべる。
認知行動療法の話をしている時に、ネガティブ思考の自分の中にポジティブ思考の自分を創り、その自分と会話するという話になった。
つまり、もうひとりの私。
ネガティブ&ポジティブという区分ではないけど、今事業所でみんなと会話を楽しみ笑顔で毎日を過ごしている私の中には、「ひとりが好き!」なもうひとりの私がいる。
幼いころに心の奥に閉じ込めてしまった、人との交流を求めない私。
彼女は鍵のかけられた暗い部屋の中でずっと「ひとりになりたいよ~」「人と話すのは苦しいよ~」って叫んでいたのに、私は意識の底に彼女を沈め、いつの間にかその存在を忘れていた。
彼女こそが、私の本質だったのに。

閉じ込めたところで、本質は変わらない。
だから、なぜ人と関わることでこんなに疲弊するのか訳が分からないまま苦しんだ。
うつ病になったのをきっかけにもうひとりの私の存在に気づいた私は、鍵を開け、彼女を受け入れた。(→ブログ「自己受容~今更ながらの『365日の紙飛行機』」をご参照ください)
そして発達障害について調べるうちに、それが「人との交流を求めない」社会性の障害特性であることを知った。
そのせいであんなに疲れ切っていたのか。

このもうひとりの私はいわば “先天的” な私で、社会で人との交流を楽しむ私は “後天的” な私。
本来人は生まれ落ちた “先天的” な自分から成長していくものだろうけど、私は彼女を閉じ込めて別の人生を歩んできたので、今の私の中には、ふたりの私が存在することになったのだ。

“後天的” な私は精神的疲労と引き換えに素敵な仲間たちとの時間を楽しみ、様々なことにチャレンジすることに喜びを感じている。
でも、“先天的” な私は時々「もうヤダ~!ひとりの世界に帰りたい!」と駄々をこねたり、しくしく泣きだしたりする。
そうなると心が追い詰められて苦しくなるんだけど、今は週末にひとりの時間を満喫することで均衡を保っている
この私がいなくなれば、正反対の感情に振り回されることもないだろうけど・・・



「もうひとりいても、いいと思うんです」

と、私は微笑んだ。

たとえ生きづらくなったとしても、私はもう、彼女を閉じ込めたくはない。
だから、一緒に生きていくことにした。
だって、これが私なのだから。
もうひとりの私がいなくなると、それはもう別人だ。
なんだか深みがなくなるというか・・・薄っぺらい感じがする。
こんな葛藤を抱えた私という人間だからこそ、当事者として障害のある人たちの苦しみに寄り添えるのではないだろうか。

私と私 

「いつかどちらかが消えるのか、それともひとりに統合されるのか、ずっと二人なのかは分かりませんけど」

今はこのままでいい。
どちらの私も、大切な私なのだから。
 


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2017-05-02 (Tue)
パソコン内のデータを整理していて、ある記事のメモを見つけた。
データの日付は、2015年12月26日



ある中年フリーターの言葉


なんというか、
 
本当に不安は、意外なほどないんです。
 
ただ、それ以前に、
 
希望が、ない。





これはきっと、あの頃の私の言葉。
障害者手帳を手にする前の、空っぽの空間に立ち尽くしていた私の言葉。
未来なんていらないと思っていた、私の言葉。





 2015年の私へ―

   “希望” 、見つけたよ。
 


花びら 

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2017-04-28 (Fri)
水曜日の午後、事業所を早退した。
心の電池切れで、話すこと、笑うことが辛くなってしまったから。


朝から「心が疲れてるなあ・・・」と感じつつも、この日のスケジュールは自主学習メインの予定だったので、そんなに人と交流しなくてもいいから大丈夫だろうと思い通所。
ところが、スケジュール変更で午後はアロマ検定講座&ハンドリフレ実習をすることになり、私は動揺した。
このプログラムだと、思いっきり交流することになってしまう。
これまでだったらエネルギーを絞り出して笑顔で対応していたに違いないけど、今の私はここは頑張りどころじゃないのでは?」と揺れ動いた。
いや、これは甘えなのか? 自責の念が頭をもたげる。
午前の自習の間、ぐるぐるぐるぐる考える。
結論が出ないまま、お昼休みになった。
そして会話を始めた途端、「今日はもう無理だよ~」と心の声が聞こえた。
今日はもう、帰ろう。
少々後ろめたさを感じながら、所長さんたちに早退を願い出た。
 


どうしてこんなに心の電池が枯渇してしまったのか。
実はその前日に、事業所で『NHKドキュメンタリー 自閉症の君が教えてくれたこと』というDVDを鑑賞し、利用者さん、スタッフさんと意見交換を行った。
このDVDは私が昨年12月に観て衝撃を受けた番組で、ぜひいろんな人の感想を聴きたいと思っていた。
ところが、鑑賞し始めると当時の辛かった記憶がフラッシュバックし、私の感情は大きな波に飲み込まれた。
何とか抑えながら鑑賞後に感想を述べあっていると、今度はみんなの感情が流れ込んでくる。
もちろんシャットアウトも可能だと思うけど、私は相手を知りたいと思うと心全開状態になってしまうのだ。
そして、私はこの事業所の人たちのことをもっともっと知りたかった。

自分の感情とみんなの感情が私の中で嵐のように吹き荒れ、いっぱいいっぱいになってくる。

時々涙をこぼしながらも、いろんな想いを共有し合えた貴重な時間だったと思う。

事業所が終わってからも、私の中の嵐はなかなか治まってはくれず、眠るまでずっとその感情たちと向き合っていた。
そして朝目覚めたとき、あまりに感情が大きく動いたために心の電池が消耗していることに気がついたのだ。
 
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


心配してくれる利用者さんに
「大丈夫!嬉しいことも辛いことも、いろんな感情をいっぱい感じることができる・・・それはとても嬉しいことだから」と笑いかける。

私の心は、以前よりも敏感になった。
うつになる前はいつの間にやらたくさんの鎧を身につけ防御していたけど、それらを脱ぎ去って身軽になると、生々しくリアルな感情を無防備な状態で受け止めることになった。
もちろん心は大きく揺れ動くけど、いろんなことを全身で感じることができる。

それらはきっと、私自身の感情に深みを与え、成長させてくれるだろう。
そして、相手を理解したいと思ったときにも力を発揮してくれるに違いない。
だから私は、いつも心全開で向き合っていきたい。

 
双葉 

| 自己受容 | COM(8) | | TB(0) | |
2017-02-26 (Sun)
発達障害についてはまさに “マイブーム” でよく勉強されてますが、
どうしてうつはその対象にならないんですか?」
      

以前、福祉士さんに聞かれ、うつの存在をすっかり忘れていたことに気がついた。
そういえば、自分が “ちょっぴり発達凸凹” だと知るまでは、うつに関する本を読んだりカウンセリング講座を受けてみたり自律訓練法に挑戦したり、自分の心をなんとかしようとジタバタしていた。
それなのに、今はほったらかし状態だ。

「そういえばそうですね~」と言いながら、その理由を考えてみる。

私のうつは軽い。
 実体験が伴わないものは今一つ興味がわかないので、研究範囲が狭い。

一度にふたつのことに興味を持てない(ひとつのことに没頭してしまう)。

うつを研究している人はいっぱいいるし、世の中に認知されている。
 だから、
まだ認知度の浅い発達障害を追求したい。

発達障害は生まれ持った脳のカタチなので、その事実を受け入れればいい。
 でも、うつは治すことができるから、「私、治すために何かしなくちゃいけないの??」と
 思い詰めてしまう。

発達障害は未知の世界なので、興味が尽きない。

発達障害を知り受け入れることで、2次障害であるうつは改善されると
 思っている。


・・・理由っていろいろあるなあ。

でも一言でいえば、「発達障害研究が面白いから」に尽きる。
調べれば調べるほど、その情報が自分のこれまでの人生とリンクしていく。
苦手だったこと、辛かったことの原因がわかり、ストンと心に落ちていく。
一気に視界が開けるような、なんともいえない不思議な感覚。


私にとって発達障害研究とは、
「自己発見」
「自己受容」のプロセスなのだ。

確かに発達凸凹があるために生きづらかったりするけど、これが私。


子どもの頃から「みんなと同じはイヤ!」と独自性にこだわっていた私にとって、
「変わってるね」は褒め言葉だった。
だから、自分が  “ちょっぴり発達凸凹”  であるということはお墨付きをもらったようなもので、
私はルンルン気分で発達障害研究にいそしんでいる。
申し訳ないけど、うつ研究の入る余地はなさそうだ。
――これで答えになったでしょうか?
 

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2017-02-07 (Tue)
先日、就労移行支援事業所を早退し、発達障害サポーター講座~発達障害 発達凸凹
こんな力を持っています
という講演会に参加してきた。

当事者である私がなぜサポーター講座を受講するのか。
それには二つの理由がある。
一つ目は、社会が発達障害をどのように捉えているのか興味があったから。
二つ目は、ピアサポートに興味があったから。
いつかちゃんと働いて生活を立て直すことができたら、同じ障害を持つ人たちのために自分にできることを見つけたいなあと、密かに思ってたりするのだ。


さて、こんな思いを抱きながら参加した講演会だけど、なかなか興味深かった。
10分間の休憩を挟みながらも3時間半、みっちりお勉強。
その中で、とても印象に残ったお話がある。
NPO法人発達障害を持つ大人の会(DDAC)代表:広野ゆい氏は、「発達凸凹 働くうえでの適応術」と題し、アスペルガー傾向のあるADHDという当事者目線でお話をしてくださった。
発達障害を理解するポイント、NPO法人を設立する経緯、そしてセルフヘルプグループ(自助グループ)で得られるもの、職場での対処の実例など内容は多岐にわたった。
特にセルフヘルプグループについてはご自身が活動されているので、その有効性についての説明には力が入っていたように思う。
同じ障害を持つ仲間と交流することで、自己受容が進み、情報を共有しそこから学び、自尊心を回復することができるのだと。
ここで、以前福祉士さんから教えてもらった言葉“ヘルパーセラピー”が登場した。
誰かに手を差し伸べることで自分も救われる・・・つまり、自尊心の回復。
今通ってる就労移行支援事業所も、そんな一面があるのかもしれない。

そして、広野氏の講演で私が一番気に入った言葉は
「大人になったら、できないことはあきらめましょう!」だった。

「エネルギーには限りがあるのだから、子どもの頃は別として、できないことに時間を割くのはもったいない。自分のできることをして生きていきましょう!」

なんて勇気づけられる言葉なんだろう。
能力に凸凹がある発達障害の人たち。
大人になるまでさんざん格闘し、それでもどうにもならなかったこと・・・
もうそれはいいじゃないって。
もう・・・闘わなくてもいいんだ。

そしてお話の最後に、ガイドブック『発達凸凹活用マニュアル1・2』の紹介があった。
実は、私はこの冊子をすでに持っている。
発達障害研究がマイブームになっていた昨年の春、偶然ネット上で見つけダウンロードした。
これには、発達障害者が働く現場でどのようなことが起こっているのか、凸凹を活かすにはどのような工夫をすればいいか、企業と当事者どちらにとっても有益な情報がいっぱい詰まっている。
私もこれを読んで、職場でどんなことに苦労していたかよく分かった。

発達凸凹活用マニュアル  
『発達凸凹活用マニュアル1・2』
ホームページ「ぴあさぽDeコンサル」から無料ダウンロード➡http://consul.piasapo.com
 


講座の後半は、「発達凸凹のある人の活躍できる職場づくり」をテーマに、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの藤原崇氏が、企業側から見た障害者雇用についてお話をしてくださった。
これはなかなか衝撃的な内容だった。

<企業の捉え方
“合理的配慮” は企業においては、能力発揮の “コスト” と捉えられる。
                         (出所:三菱UFJリサーチ&コンサルティング)


つまり、障害者を雇用するということは、健常者には必要ないコストがかかるということだ。
それを考えると、障害者雇用を躊躇するのも分かる。
いかに効率よく、いかにコストをかけずに収益を上げるかが、企業にとっては重要なのだから。

前途多難だなあと少々気持ちが重くなってしまったけど、最後に紹介してくださった体験談が、
これからの道を少し明るくしてくれた。
それは、初めて発達障害者を雇用した社長の言葉だった。

「取説さえ間違えなければ使えるね!」

乱暴な言い方だけど、核心をついているのではないだろうか。
発達障害者は配慮を受けながらできることをすれば、その集中力やこだわり等の特性を十分に発揮して、なかなかいい仕事ができるはずなのだ。
企業と障害者それぞれが頑張ることで、コストを上回って十分な利益を生み出すことができると信じたい。
 

この講座に参加して、本当によかった。
やっぱり生きている情報を聴くのは楽しいし、そこから考えがぐるぐる回り始める。
これからも様々な方法で自己理解を深め、社会における発達障害者の在り方を学んでいきたい。
そしていつか、それを社会に還元できればいいなと改めて思ったのだった。



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