幼少期のルーツ:椎名林檎①
1998年「幸福論」でデビュー、1999年に「無罪モラトリアム」の発売を経て2000年、椎名林檎は2枚目の「勝訴ストリップ」を発売し、このサブスクの時代からはもはや想像もつかない、CD200万枚以上という記録的な売り上げを成し遂げた。
しかし、そんな見かけの数字は幼いわたしには露も関係がないまま、あれはたぶん中学生の頃で、2003年だったと思う。「加爾基 精液 栗ノ花」が発売され、デビュー当時からファンだった父は、「勝訴ストリップ」から休止を経て3年ぶりのアルバム、しかもえげつないほど攻めた音源の詰まったこのCDを毎日のように流しまくっていた。当然、多大なる影響を受けた。
中学受験も終わり物心つき始めた当時のわたしは、特に「宗教(M1)」「とりこし苦労(M7)」を理解するには人生が足りない、もっと大人にならないといけない、と幼心ながら思っていた。このところいい歳になってきて、世間から見れば立派な大人であって然るべきなのに、それでもまだよく理解できていないと思える。自分が成長しているなんて、自分自身では一生かかっても実感できない気がする。
それでも、内容を完全に理解できようができまいが、人生で初めて衝動や憤りの拠り所になってくれた音楽を生み出した椎名林檎は、わたしにとっては唯一無二で、他とは比べることができない。
アルバムもシングルもすべて父が購入しており、自宅で好きなだけ聴いた。ひと回りして「警告」「月に負け犬」「アイデンティティ」「ギャンブル」あたりをヘビロテしていた頃、自宅に父が買ったであろう2000年4月のSWITCHがあり、表紙が椎名林檎だったこともあり、手が伸びた。
衝撃的だった。インタビューと書いてあるし、だけど冒頭いきなり引用で始まっているし、喧嘩のような応酬もあるし。この文章はなんなんだ? と。
内容はこうだ。当時、要するに「売れた」状態だった椎名林檎は、得てして耳に入ってくる憶測、評判、偏見、勝手な解釈等々に辟易し、ほとんど呆然としていた。閑静なロケーションでまずはゆっくり落ち着きながら、徐々に今後の展望でも、と思っていた著者より前のめりに、「椎名林檎としてはアルバムは3枚しか出さない」の話(これは当時ファンの間では有名な話だった)をし始める。そこから、少しずつ彼女が今考えていることや、自分の作品のこと、音楽のことなどを話し、「しばらくちょっと待っていてほしい」と何度も言う。最後は著者が「そう、だからその時まではもう誰も、彼女に何も訊かないでくれ」と締めくくっている。
このインタビューの中で、著者は混乱の中にいる椎名林檎に対して、それでもあなたの作る音楽が好きだ、と一貫して伝えている。だから、彼女が過激な発言をすれば、それに半ば怒ったように返す。真剣にだ。極端にいえば、自殺しようとしている人を必死に止めるみたいに。なんかこれって要は、ラブレターみたいなことなんじゃないか?
そういえば同じくらいの時期に、Quick Japanにも椎名林檎の記事があった。
Quick Japanは当時、本人にインタビューを申し込んだが何度も拒否されたと書いてあり、そうなるとこれに至ってはいよいよ本当にラブレターだ。だって、まず、タイトル「拝啓 椎名林檎様」だし。当然本人は不在、内容も、用語集やら漫画やらを含め猥雑としており、有り体にいえばカオスなのだが、だけど一貫して、やはりあなたをもっと知りたい、こんなことを知っている、話がしたいと主張している。
なにかを真剣に好きという気持ちは、たぶんすべて、こういう類いの「熱意」に帰結する。その熱意をどのように表明するかは人によるだろうが、少なくともわたしは、この2冊のラブレターを読んで、同じ気持ちで椎名林檎とその音楽を愛している人がいるなんて、と、胸が痛くなるくらい感動した。
この感動の原点が、まずもって椎名林檎がいてくれたことであることは言わずもがなだ。
時が経って、椎名林檎は結局アルバム3枚で終わらず、東京事変を経て椎名林檎としての活動を再開し、そして2020年、また東京事変が復活しようとしている。オリンピックもある。願ったり叶ったりだ。
「都会では冬の匂いも正しくない」(正しい街)と郷愁を歌い、「この先も今も無いだけなのに」(アイデンティティ)と嘆き、「大事な生命 壱ツだけ だうか持つていかれませぬ様に」(茎)と叫び、かと思えば東京事変を立ち上げて「新宿は豪雨 誰か此処へ来て」(群青日和)とまた叫んだあとに「心と云う毎日聞いているものの所在だって 私は全く知らない儘大人になってしまったんだ」(心)と立ち返りながら、最近では「死に気付かぬゴーストの様に この快適さを永遠のものに! そう願うには、若過ぎたんだあまりに」(和訳・JLOO5便で)と過去を悔やみ、かといったら「奪われるものか 私は自由 この人生は夢だらけ」(人生は夢だらけ)と高らかに歌ってみたり、「一寸女盛りを如何しやう」(長く短い祭)と盛り上がってみたり、彼女が楽しそうに音楽をしているのをみて、またこちらは、胸が熱くなり、なんとも泣けてしまう。
東京事変については別途書きたいが、要するに、椎名林檎は偉大だ。少なくともわたしにとって、そして、世の中にほかにもいらっしゃるであろう、椎名林檎によって熱意が突き動かされたすべての方々にとって。音楽理論や難しいことはほとんどわからないが、好きな音楽を生み出してくれた音楽家の活動をこれからも楽しみに待てるなんて、なんて原始的で最高の喜びだろう。