水銀Q&A|水俣病の発生と原因

水銀Q&A

水俣病の発生と原因

Q

水俣病はいつから発生したのですか?

A

公式な報告としては、水俣病の患者が初めて確認されたのは昭和31年(1956)になり、この年を発生した年としました。その後の調査で昭和28年(1953)に発症した女児が第一号患者とされました。

昭和31年(1956)に水俣市に住む5歳と2歳の姉妹が公式に報告された最初の患者でした。
この姉妹は、運動障害や全身のけいれんがあり、手足が曲がったようになって、突然叫び声をあげるなどの症状がありました。
その後の調査でこの年に確認された54人の患者のうち、当時すでに17人が亡くなっていました。
昭和17年(1942)の発生の可能性を指摘する研究報告もあります。

Q

水俣病の原因は何ですか?

A

化学工場から海に流され、魚介類に蓄積されたメチル水銀です。

新日本窒素肥料株式会社(現在のJNC株式会社)水俣工場から八代海に流された廃液は海を汚染し、廃液に含まれていたメチル水銀は、そこに生息していた魚介類に食物連鎖により高い濃度で蓄積しました。
メチル水銀に汚染された魚は見た目には普通の魚と変わらなかったため、このような魚をたくさん食べた人たちに水俣病が発生したのです。メチル水銀はアミノ酸のひとつであるシステインと結びついて消化管から簡単に吸収され、身体の中でいろいろなところに入り込む性質を持っています。このため、脳の中に入り込んで神経細胞に傷害を与えたり、お母さんと胎児をつなぐ胎盤の関門を通り抜けて、胎児の身体にも入ったりします。これにより水俣病が発症します。

Q

水俣病発生の原因を作ったのはどのような会社ですか?

A

水俣市にあった新日本窒素肥料株式会社です。

昭和30年(1955)頃、新日本窒素肥料株式会社水俣工場は、アセトアルデヒドという原材料を大量に生産していました。
アセトアルデヒドはプラスチックなどの化学物質の原料として、当時大きな需要がありました。
この生産の過程で、有害なメチル水銀を含む廃液ができましたが、それがそのまま海に大量に流されてしまいました。

Q

水俣病の原因はどのようにしてわかったのですか?

A

患者の診察・住民調査や動物実験、化学分析などによって調べられました。

魚介類をたくさん食べる漁民に患者が多く、ネコにも異常が見られたため、有害物質で汚染された魚が原因ではないかとまず疑われました。
さらに、患者の症状の特徴、尿中の水銀、ネコにメチル水銀を含む餌を食べさせた実験、工場の排水にメチル水銀が含まれていたことなどにより、水俣病の原因が次第に明らかにされていきました。

Q

八代海沿岸地域以外でも水俣病の発生はありましたか?

A

新潟県の阿賀野川流域で新潟水俣病(第二水俣病)が発生しました。

水俣病発生から9年後、昭和40年(1965)に、新潟県の阿賀野川流域で水俣病と同じ病気が発生しました。
これは、昭和電工株式会社鹿瀬工場の排水に含まれたメチル水銀によるものでした。
これら二つの水俣病は、四日市ぜんそく、イタイイタイ病とともに四大公害病とされています。

Q

水俣病の患者さんは何人ですか?

A

認定された患者さんは熊本・鹿児島・新潟の3県であわせて約3,000人です。

水俣病の認定は「公害健康被害の補償等に関する法律」に基づき行われており、令和3年(2021)10月末までに認定された患者さんは、2,999人(熊本県1,790人、鹿児島県493人、新潟県716人)です。このうち、生存されている方は、397人(熊本県213人、鹿児島県71人、新潟県113人)です。

また、認定されていなくても感覚障害や魚介類の多食等の条件に当てはまる人には総合対策医療事業が実施されており、その対象者は、38,320人(熊本県、鹿児島県、新潟県の3県合計)です。