11月は私の誕生月なのだが、もう何年も周りから忘れ去られている。この齢ではどうでもいいといえば、どうでもいいのだが少々癪でもあるので、
10年前から記念日と称して自分で自分を祝うようにしてきた。
なかなか行けないコンサートや歌舞伎に南亭が招待し、私が招待されようというわけのわからない企画である。
ただ昨年は、せっかくの演奏会当日に緊急入院となってしまい、
無念の涙を飲んだことは皆さまよくご存知かと思うが。
今年は用心の甲斐あって、無事に記念日を迎えたのである。
南亭から
「今年はここに行ってくれたまえ」と指示された場所は、汐留だった。
築地本願寺から市場通りを突っ切ると汐留になる。
築地市場は祝日にもかかわらず、人がごった返していた。
異国の言語が飛び交うのは、海外のツアー客が多いからに違いない。
築地が人気の観光地になるなんて、10年前は予想もしなかったことである。
それはさておき、汐留には浜離宮朝日ホールという、朝日新聞東京本社が運営するホールがある。
収容人員550余りの室内楽向けの施設だが、世界で最も響きが美しいとされるシューボックス型の設計で、
弱音による繊細な演奏をすべての座席で満喫できるホールとして、
世界の音楽ホール、その十指に入ると言われているそうだ。
この朝日ホールでチェリスト・鈴木秀美氏のリサイタルが行われたのである。
鈴木秀美氏は1957年生まれ。バロック音楽のチェロ奏者としてはわが国の第一人者であり、
ベルギーの音楽院から教授として招かれるなど、国際的な評価を得ている。
今回は鈴木氏が最も力を入れている、バッハの「無伴奏チェロ組曲」。
そのリサイタルとあって、大いに期待が膨らんだのである。
もちろん、生で聴くのはこれが初めてとあっては、なおさらだ。
その演奏は・・・
先ず有名な第一番のプレリュード、重低音を一拍目に置いた美しい揺らぎが始まった途端、
恥かしながら熱いものがこみ上げてきたのである。
ガット弦(羊の腸の筋をよって作った弦。耐久性に劣るので現在はナイロン弦が主流)が奏でる深みと柔らかさ、
そしてガット弦特有の微かにささくれ立った音は、当然ながらオーディオで聴くのとは比較にならないものだった。
ホールの音響も申し分なく、バッハの傑作に陶然とする一時間半だったが、
(この日は組曲の第一、第三、第五。二、四、六は翌週10日に予定されている)
演奏もさることながら、改めてバッハという巨人を見直す機会にもなった。
弦楽器の独奏とは思えないほどのポリフォ二ー(複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと)的技法は、
複数の声部を時間差で分散させるという、画期的な試みで生まれた。
以後、これを凌駕する音楽家は皆無である。
ヴァイオリンやチェロの無伴奏作品は、バッハ以降僅か数人が作品を残しているのみで、
作曲の技法は基本的にバッハの域を超えていないのだ。
バッハが「音楽の父」と呼ばれる所以は、その巨大な作品群もさることながら、
表現技法の飽くなき創意工夫に対しての敬称だったのだと、思わされた今回のリサイタルであった。
せっかくだから、その秀美氏が弾いたバッハの無伴奏チェロ組曲、その第一番を聴いていただこう。
最初のプレリュードは、お耳にしたことがお有りかと思う。
鈴木一族。鈴木秀美の兄は、オルガン奏者としてまたバロック合奏団の音楽監督として、世界的に有名な鈴木雅明氏であり。
雅明氏の長男がチェンバロ奏者、作曲家として嘱目される優人氏。まさに優れた血統の音楽一家と言えよう。
左から、鈴木雅明、秀美、優人各氏。
幸いにして一昨年の雅明、優人の共演コンサートに続き、
秀美氏の演奏まで見ることが出来たのだから、南亭さまには感謝するばかりである。
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南亭
「どうだった?演奏会は」
わたし
「おかげで、命の洗濯をしたような演奏会でした」
南亭
「それはなにより。ところでその後は例のとおり酒場巡りかね?」
わたし
「はぁ・・・」
南亭
「それも、きちんと報告してくださいよ」
わたし
「ええ、まぁ・・・」
南亭
「なに、その気のない返事は?」
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ということで、次回はその報告をしなければなるまい。