ラ・フォル・ジュルネTOKYO。
五月といえば連休の三日間、有楽町の東京フォーラムで音楽の祭典が開催される。
曇りがちだが夏らしい陽気の中で始まった音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ」
今年14回目になるが、すっかり盛大な音楽祭になってきたようだ。
ラ・フォル・ジュルネは、フランスのナントで年に一度開催される、フランス最大級のクラシックの音楽祭だ。
日本ではそのまま訳して「熱狂の日」音楽祭とも呼ばれる。
2005年から東京で開催されるようになったが、私は2010年から毎年参加していた。
ところが2019年からはコロナで中止となり、コロナが収ったは良いが、
今度は私が癌治療で人込みに出ることが出来なくなったのだ。
だから、今年も含めて6年間音楽祭から遠ざかっていたということになる。
そういう訳で良き思い出に浸るためにも、
また読者の皆様にこのような素晴らしい音楽祭が、毎年開催されることを知っていただきたいという思いから、
2018年のラ・フォル・ジュルネの様子をご覧になっていただきたいと、下手な写真を投稿したのである。
2018年は更に音楽ファンで賑わっていた。
なにしろ世界的なオーケストラや演奏家の演奏が、1500円から3000円で聴けると知って、
一日に4公演はおろか三日間浸りきりという、つわものも居るほどだ。
さっそく今日選んだ最初の演奏会場に向う。
プログラムはエンリコ・バーチェのピアノリサイタル。
イタリア出身で1989年の「リスト国際ピアノ・コンクール」で優勝したピアニストらしい。
演奏はその経歴にふさわしく、リストの作品「知的で宗教的な調べ」全10曲から、
〈祈り〉〈死者の追憶〉〈眠りから覚めた子供〉〈葬送曲〉〈愛の賛歌〉の5曲。
リストは超絶技巧のピアニストとして華やかな音楽人生を送っていたが、
聖職に就いた晩年は思索的な作品を多く残すようになった。
今回の「知的で宗教的な調べ」も高度な技巧はそのままだが、宗教的な色合いの濃い作品になっている。
エンリコ・バーチェが演奏したこのGホールは、150席のこじんまりしたホールで、
しかも演奏者と客席との段差をなくしているためリストの交響的な響きが、
聴衆の頭から足の先まで轟くように鳴り渡るのであった。
リストやショパンが生きていた時代は、貴族や富豪たちのサロンが演奏会場だったそうだから、
この小さなホールで鳴り渡る音こそ、当時の聴衆が感じた音楽だったに違いない。
そうしてみると、1000人以上収容する大ホールでのピアノ演奏は、
音響設備がいかに優れていても、
フォルティッシモの暴力的な音響はもちろん、
ペダルから足を離すときのクンという微かな音を感じることはあるまい。
さて次のプログラムまでは一時間以上ある。
ラ・フォル・ジュルネは東京フォーラムはもちろん、丸の内の各所で生演奏が聴けるようになっている。
もちろん、全て無料である。
ビルのコンコースや路上で、名も無い演奏家たちが奏でる様々な音楽を、
つまみ食いのように聴きまわるのも、この祭典ならではの楽しみだろう。
また、フォーラムの広場に並ぶ屋台の美味しそうな料理を物色して、
ワインやビールとともに野外演奏を聴くのも一興。
この日二つ目のコンサートはイギリスの室内オーケストラ、
ロイヤル・ノーザン・シンフォニアによる演奏だ。
指揮はドイツの新進指揮者ラルス・フォークト。
一曲目はハイドンの交響曲103番、「太鼓連打」の名で知られている。
ティンパニの連打で始まることから、この名が付けられた。
ハイドンの作品はあまり聴いたことがない。
というのも天才モーツアルトとベートーベンの間に、埋もれてしまったような存在と思っていたからだろう。
しかしこうしてしっかり対面してみると、実に巧みなオーケストレーションに驚き、
チャーミングな旋律に思わず身体を揺さぶりそうになったのである。
さすが「パパ・ハイドン」と敬愛されたハイドンらしい作品だった。
二曲目はこの日一番期待していたプロコフィエフの交響曲第一番。
「古典交響曲」の名で親しまれている代表作だ。
生で聴くのは二度目だが、あれから随分時が流れている。
新たな発見があるのではないかと、楽しみにしていたのである。
この曲は「現代人が住んでいる古い町」という言葉で例えられることもあり、
全曲を通じて意表を突くような転調の面白さや不思議な感覚に溢れ、
短いながら非常に満腹感のあるシンフォニーなのだが、
殊に第二楽章冒頭の美しさは、何度聴いても夢のような心地にさせてくれる。
耳の肥えた人にはどうか判らないが、私には十分満足のゆく演奏だったと思っている。
その「古典交響曲」から第二楽章「ラルゲット」を聴いていただこう。
これは娘が小さい頃、眠れる音楽集としてテープに編集した中の一曲でもある。
ただ現在はその第二楽章だけの映像が見つからないので、最初から聴くことになってしまうが、
絶対に第二楽章だけ聴きたいという方は、マウスで画面下の赤い丸を右に引っ張り、
タイム表示(4:07)に持ってくると、ぴったり第二楽章が始まる筈です。
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ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2019毎年五月の連休といえば、この一日が全てになった。
そう、例の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」である。
聞き飽きたと言われるだろうが、先ずはその音楽祭について・・・
ラ・フォル・ジュルネ音楽祭は、1995年にフランスのナントで誕生した音楽祭である。
「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」と題された音楽祭は、
その後リスボン、スペインのビルバオ、リオデジャネイロ、ワルシャワへと広がった。
東京では2005年「ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン」として初めて開催されたが、
来場者数32万人という、クラシックの音楽祭としては驚異的な動員を記録し、
この13年間でのべ900万人もの来場者を集めるほどの一大イヴェントとなった。
7つの会場で行われる130余の有料コンサートと、
丸の内エリア各所での無料コンサートも数知れずという音楽ファンにとって「たまらない3日間」なのである。
しかも嬉しいことに有料コンサートは、いずれも1500円から3000円。
1万円で5、6公演聴けるとあって全国から愛好家はもちろん、
クラシックの初心者もお祭り気分で参加できる音楽イヴェントとあって、
この日も東京フォーラムの周辺は熱気に溢れかえっていた。
今年、私がどうしても見て聴きたかったのは、アンヌ・ケフェレックという演奏家だった。
アンヌ・ケフェレックはフランス生まれの女流ピアニストで、
マルタ・アルゲリッチとともに、今やレジェンドと呼んでもいい存在である。
1948年生まれというから今年71歳。ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝して以来半世紀以上、
国際舞台の中心で演奏をつづけてきた。
映画「アマデウス」の中のピアノ協奏曲は、知る人ぞ知る彼女の演奏である。
この日のプログラムは、そのモーツアルトのピアノ協奏曲第25番K622。
モーツアルトの中では華麗で堂々とした作品、どちらかというとベートーヴェン的なコンチェルトだが、
割と演奏機会が少なく、まして生で聴くのは初めてだったから、非常に期待した演目だったのである。
初めて目にするケフェレックさんは、いかにもフランス人らしいチャーミングな方で、
それでいてとても71歳とは思えないダイナミックな演奏が、聴衆を感動させたようだ。
もちろん私もその一人だった。
東京フォーラムのコンコースでは何台もの屋台車が並ぶ。
好みの料理やワインを求めた人たちは、無料の演奏や大きなスクリーンに映る演奏会の映像を観ながら、
ラ・フォル・ジュルネの熱気に酔い痴れるのである。
無料コンサートも、様々な楽器のソロあり合奏ありで、しかも丸の内一帯が会場となっているから、
その気になれば、なんとも忙しい一日となる。
さあ、次のプログラムは同じくモーツアルトのクラリネット協奏曲だ。
死の二ヶ月前に完成したというこの作品は、木管楽器のための曲として最高峰だと思っている。
いや、モーツアルトの全作品の中でも五本の指に数えられるだろう。
独奏はアメリカの新鋭クラリネット奏者、ニコラ・バルデイルー。
この協奏曲は音域によって音色が変化するクラリネットの特質が、巧みに活かされた稀有の作品であり、
また第二楽章の天国的な美しさは、モーツアルトの全作品中でも特筆すべきと思っている。
これも生演奏は初めてだったがライヴで聴くクラリネット、
その七変化の音色をこの日ほどはっきりと感じたことはなかったように思う。
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次回は、またかとうんざりするだろうけど、「夜のラ・フォル」に場面転換する。
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記念日(2018)。11月は私の誕生月ですが、もう何年も周りから忘れ去られています。この齢ではどうでもいいといえば、どうでもいいのですが少々癪でもあるので、
10年前から記念日と称して自分で自分を祝うようにしてきました。
なかなか行けないコンサートや歌舞伎に南亭が招待し、私が招待されようというわけのわからない企画です。
さて今年は・・・
池袋の東京芸術劇場への招待だそうです。
東京芸術劇場?それは何ですか!
しかも東京都交響楽団?名前は知っていますが演奏を聴いた記憶はありません。
ところが、
ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」と「交響曲4番」という黄金の組み合わせ。
特に「4番狂」といっていい私には、猫にマタタビのプログラムです!
さっそくのご招待、有り難く頂戴しますです。
さて、その池袋が全くの不案内な街でした。
「ジュク(新宿)はよく遊んだけど、ブクロ(池袋)は知らねえな」てなところですかね。
ともあれ、一時半かけてやってきました池袋。
コンサートの前に腹ごしらえをしておかなくては。
飲食街を歩いていると、ナンテイ好みのラーメン屋を見つけました。
手もみラーメンというのを頼みます。
正しい醤油ラーメンですが、少々、八角の匂いがします。
多分チャーシューの味付けではないでしょうか。
そういえば、店主・調理人と思しき人は中国出身のように見受けました。
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東京芸術劇場は、池袋西口から3分のところにあります。
なかなか立派な建物ではありませんか。
この五階ホールが今日のコンサート会場です。
プログラムの最初はブラームス唯一の「ヴァイオリン協奏曲」。
ヴァイオリニストは
レイ・チェンという台湾出身の新鋭です。
たいへん難度が高く重厚なこの曲を、堂々と演奏しきった力量はとても20代とは思えません。
後から知ったことですが、ヴァイオリン界の貴公子と呼ばれるほど人気が高いそうです。
(別のリサイタル・パンフレットから)休憩を挟んでいよいよ交響曲第4番です。
出だしから心をぐっと掴まれるような切ない旋律。
交互に訪れる諦めと希望。悔恨と甘美な思い出・・・。
それらがない交ぜになった老境の哀歓、それがブラームスの4番なのです。
指揮は初めて見た小泉和裕氏。
衒いのない指揮振りは、この都響を磨き上げた名指揮者、故渡辺暁雄氏と重なるところがあります。
特にブラームスは向いている指揮者、向いていない指揮者がはっきり分かれるのが不思議です。
都響のみなさん、小泉さん。
久しぶりに胸が熱くなった50分、いやレイ・チェンさんも入れての2時間。
ありがとうございました。
こうして昼の部が滞りなく終わったわけですが、
長くお付き合いいただいてます方々は、この後のおバカな時間をよくご存知かと思います。
またか!?と眉を顰められる方。次回は飛ばしてくださいますよう。
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ところで私の「4番狂」とは、どういうことなのか・・・。
お暇な方はこちらをご覧ください。
「マニア?」
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記念日(2017)。
11月は私の誕生月なのだが、もう何年も周りから忘れ去られている。この齢ではどうでもいいといえば、どうでもいいのだが少々癪でもあるので、
10年前から記念日と称して自分で自分を祝うようにしてきた。
なかなか行けないコンサートや歌舞伎に南亭が招待し、私が招待されようというわけのわからない企画である。
ただ昨年は、せっかくの演奏会当日に緊急入院となってしまい、
無念の涙を飲んだことは皆さまよくご存知かと思うが。
今年は用心の甲斐あって、無事に記念日を迎えたのである。
南亭から
「今年はここに行ってくれたまえ」と指示された場所は、汐留だった。
築地本願寺から市場通りを突っ切ると汐留になる。
築地市場は祝日にもかかわらず、人がごった返していた。
異国の言語が飛び交うのは、海外のツアー客が多いからに違いない。
築地が人気の観光地になるなんて、10年前は予想もしなかったことである。
それはさておき、汐留には浜離宮朝日ホールという、朝日新聞東京本社が運営するホールがある。
収容人員550余りの室内楽向けの施設だが、世界で最も響きが美しいとされるシューボックス型の設計で、
弱音による繊細な演奏をすべての座席で満喫できるホールとして、
世界の音楽ホール、その十指に入ると言われているそうだ。
この朝日ホールでチェリスト・鈴木秀美氏のリサイタルが行われたのである。
鈴木秀美氏は1957年生まれ。バロック音楽のチェロ奏者としてはわが国の第一人者であり、
ベルギーの音楽院から教授として招かれるなど、国際的な評価を得ている。
今回は鈴木氏が最も力を入れている、バッハの「無伴奏チェロ組曲」。
そのリサイタルとあって、大いに期待が膨らんだのである。
もちろん、生で聴くのはこれが初めてとあっては、なおさらだ。
その演奏は・・・
先ず有名な第一番のプレリュード、重低音を一拍目に置いた美しい揺らぎが始まった途端、
恥かしながら熱いものがこみ上げてきたのである。
ガット弦(羊の腸の筋をよって作った弦。耐久性に劣るので現在はナイロン弦が主流)が奏でる深みと柔らかさ、
そしてガット弦特有の微かにささくれ立った音は、当然ながらオーディオで聴くのとは比較にならないものだった。
ホールの音響も申し分なく、バッハの傑作に陶然とする一時間半だったが、
(この日は組曲の第一、第三、第五。二、四、六は翌週10日に予定されている)
演奏もさることながら、改めてバッハという巨人を見直す機会にもなった。
弦楽器の独奏とは思えないほどのポリフォ二ー(複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと)的技法は、
複数の声部を時間差で分散させるという、画期的な試みで生まれた。
以後、これを凌駕する音楽家は皆無である。
ヴァイオリンやチェロの無伴奏作品は、バッハ以降僅か数人が作品を残しているのみで、
作曲の技法は基本的にバッハの域を超えていないのだ。
バッハが「音楽の父」と呼ばれる所以は、その巨大な作品群もさることながら、
表現技法の飽くなき創意工夫に対しての敬称だったのだと、思わされた今回のリサイタルであった。
せっかくだから、その秀美氏が弾いたバッハの無伴奏チェロ組曲、その第一番を聴いていただこう。
最初のプレリュードは、お耳にしたことがお有りかと思う。
鈴木一族。鈴木秀美の兄は、オルガン奏者としてまたバロック合奏団の音楽監督として、世界的に有名な鈴木雅明氏であり。
雅明氏の長男がチェンバロ奏者、作曲家として嘱目される優人氏。まさに優れた血統の音楽一家と言えよう。
左から、鈴木雅明、秀美、優人各氏。
幸いにして一昨年の雅明、優人の共演コンサートに続き、
秀美氏の演奏まで見ることが出来たのだから、南亭さまには感謝するばかりである。
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南亭
「どうだった?演奏会は」
わたし
「おかげで、命の洗濯をしたような演奏会でした」
南亭
「それはなにより。ところでその後は例のとおり酒場巡りかね?」
わたし
「はぁ・・・」
南亭
「それも、きちんと報告してくださいよ」
わたし
「ええ、まぁ・・・」
南亭
「なに、その気のない返事は?」
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ということで、次回はその報告をしなければなるまい。
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今年も晴天に恵まれたGW。ここは有楽町の東京フォーラム。この混雑は黄金週間恒例となったクラシックの祭典で、今年13回目を迎える。
ラ・フォル・ジュルネ音楽祭は、1995年にフランスのナントで誕生した音楽祭である。
「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」と題された音楽祭は、
その後リスボン、スペインのビルバオ、リオデジャネイロ、ワルシャワへと広がった。
東京では2005年「ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン」として初めて開催されたが、
来場者数32万人という、クラシックの音楽祭としては驚異的な動員を記録し、
この12年間でのべ850万人もの来場者を集めるという一大イヴェントとなった。
13年目の今年は《ラ・ダンス 舞曲の祭典》をテーマに、5月4、5、6の3日間、
8つの会場で計150近くのコンサートが催される。
有料コンサートは、いずれも1500円から3000円。
泊まりがけで三日間楽しむ方も多いという。
ともあれ、音楽ファンにとっては熱い三日間である。
この日も私は気になる2公演を選んだ。
先ずは弦楽四重奏で2曲。
アルデオ弦楽四重奏団は女性だけのカルテットだが、その実力は世界から高い評価を受けているそうだ。
色彩豊かなシューマンの作品もさりながら、ピアソラの「ブエノスアイレス」は情熱に満ちた迫力満点の演奏だった。
アルゼンチンの作曲家ピアソラは、タンゴの革命者として知られいる。
その代表作「リベルタンゴ」は、チェロ奏者ヨーヨーマが演奏録音したことによって一躍世界的な名曲となった。
今回の「ブエノスアイレス」も原曲はバンドネオンを中心としたタンゴバンド用だが、
弦楽四重奏では弦を弾き、また楽器の胴を叩くなど原曲に劣らぬ激しい表現も見ものだった。
さて、次のプログラムまで2時間はある。
有料の他に無料のコンサートも数多く企画されていて、それらを梯子するのも楽しい。
東京フォーラム以外のストリートやビルのロビーなど、丸の内全体がコンサート会場といっていいだろう。
丸の内は想像以上に緑が多い。
この仲通りも往時からは信じられないほど、新緑に飾られてまことに美しい。
そんなストリートで小さな演奏会を楽しむ人々の眉間は伸びきっている。
一方で屋台を物色する人も多い。
野外コンサートの音を聴きながら、気に入った料理とワインを飲む。
こんな幸せがあろうか。
そうこうしているうちに、二つ目のプログラムが始まる。
ウラル・フィルハーモニー、知っている人は少ないようだが、創設は1936年というから戦前からの管弦楽団である。
本拠地はエカテリンブルグ。モスクワからはるか東のウラル地方、カザフスタンに近い都市で人口130万。
エリツィン大統領の出身地として記憶されている。
ラフマニノフの舞曲は交響曲といってもいいほど壮大な作品で、
いわゆる”ラフマニノフ節”満載のドラマチックな大作である。
ところで最近の管弦楽団にも女性が目立つようになってきたが、
このウラル・フィルのメンバーも女性が非常に多い。
特にコントラバスを除く弦楽器は殆ど女性と思われるほどである。
初夏のようなこの季節、女性楽団員たちのコスチュームはノースリーブ。
二階席から眺めていると黒づくめの楽団の中に、数十本の真っ白な腕が一斉に同じ動きをする様子は、
ともすると音楽そっちのけになりそうな光景だった。
最後にこの日の曲目ではないが、ピアソラの「リベルタンゴ」を、ヨーヨーマのチェロでお届けしよう。
●
ホールを出ると、街は黄昏に染まり始めていたが、
迎えの馬車がくるまで、時間はたっぷりある・・・
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