2025-03-11 Tue
先日、社協の届け物をする際、我が家のすぐ近くに住んでおられた高齢の男性が亡くなられたと聞き、驚き、動揺した。
連れ合いの女性を亡くされて、男性1人暮らしで、
社協や老人会の活動を頑張っておられ、
いつお会いしても、にこやかな笑顔で挨拶してくださる、
優しいお爺さんだった。
息子さんはナカリの保育所の先輩にあたる。
引っ越してきてから30年近くの長い繋がりがあった方だ。
言葉にならない寂しさ悲しさ。
社協の活動をしてなければ、もっと長く知らないままだったろう、と思うと、
ご近所付き合いについても、改めて考えさせられた。
今日は3.11。
人にとって、家族とは、家とは、故郷とは、人の繋がりとは、などなど考えさせられる。
亡くなった両親が、今もナカリの夢によく出てきてくれるようで、
ナカリから、質問される。
曰く、おじいちゃんおばあちゃん今どこにいるん?
30歳も近いナカリだけれど、
いわゆる精神年齢はだいぶ若くて、今も子ども時代の夢の中だったりする。
そうやねー。
燃えて骨になってお墓にいるけど、煙になってチリになって世界中旅してるかもねー。
そう話しながら、胸が詰まった。
今年になってから、ナカリと揉めていない。
ずいぶん穏やかに過ごせるようになった。
亡くなった母が一番心配していた私とナカリの喧嘩。
それが無い状態が長く続いている…お母さん見てるかな?
ごめんなさい、と、ありがとう、を
充分伝えられないまま、茫然としながら看取った母。
呪縛が解けて、改めて振り返ると、感謝と後悔と。
クリスチャンの両親の墓には、ピリピの、国籍在天、という言葉が刻んである。
魂は天に帰ったのかな。
ナカリが愛してやまない人形たちにも魂が宿っているだろうか。
自分が居なくなった後のあれこれを考える。
召される時には何も持っていけない。
そう思うと、もっとモノの整理をしないと、
と、少し焦りも出てきた。
あとに何を遺すか、も。
静かに亡くなられた方々の冥福を祈る夜。
もう中年ウサギさんになったアキちゃんと、
見つめ合うと、少し心が通じている気持ちで愛おしい。
数日前のへやんぽ(部屋遊び)で、
ホリホリしてからコテンと横たわる時、
勢い余ってヘソ天状態になり、一瞬固まったアキちゃん。
そのまま一回転してビックリ‼️
動画が撮れたのですが、あげられないので、ヘソ天の写真だけ切り取ってご紹介…
アキちゃんの命も、愛おしい。
生きていてくれてありがとう。
もうすぐ私の年齢を追い越すくらい、駆け抜けていく。
一日一日、大切。
どの命にも魂はあるのかな。
子どもの時からの大ファンの手塚治虫先生。
火の鳥という作品に込められた、先生の思いが
この年になって、しみじみと身体中に沁み渡ります。
なかなか更新出来ないのに、ご訪問いただき、
拍手もいただき、皆さんに感謝いっぱいです。
繰り返しになるけれど、命は大切、生きないと。
そう思いつつ、ゆっくりペースで生きていきます。
小さな願いながら、皆さんのご無事を心からお祈りしています。
今日も最後までありがとうございました。
2025-02-07 Fri
長く更新を休んでしまいました。その間にも、見に来てくださった皆さんに感謝いっぱいです。
欝々としながら、回れるところを見て戻ると、拍手の数が増えていてウルっとしたことも。
波がありましたが、今、落ち着いていて、カウンセリングでも穏やかな報告ができました。
私の後ろに、おんぶお化けのようにのしかかっている両親の影に対して、
「罪悪感」を引きずり続けていましたが、
やっと少し手放すことができました。
ナカリが、「おばあちゃんも、おじいちゃんを好きで結婚したんだから、辛いことがあっても
それはおばあちゃんの責任やから仕方ない」と、
数日前に突然言ってくれたので、とても腑に落ちて、
自分の残りの人生と、母の終わった人生を、並べて考える必要がない、と気づきました。
人それぞれ抱えるものは違って、自分の人生は自分自身が背負う以外ない、
誰かに肩代わりしてもらったり、誰かに責任を押し付けたりすることはできない。
私がいたせいで、両親が別れられれなかったとしても、
それは両親の選択であって私は責任を負う必要はないし、罪悪感を持つ必要もない。
そう思うと、少し気持ちが楽になりました。
同じように、ナカリの人生も、ナカリ自身が背負わないといけないもので、
親としてサポートするけれど、どこかで切り分けて考えないと共依存の沼に落ちてしまう。
私はもうそんなに長くは生きなくていい、と思っていたけれど、
自分を大切にして、自分にしかできないことを考えて、可能な限り「その時」が来るまで、精一杯生きないと、
そう思えるようになりました。
ナカリに対する声かけのトーンや内容にも、気を付けるようになったし、
なるべく小さな不満やひっかりを、具体的にきちんと聞いて、都度解決していく、
こちらに非があれば素直に謝る・・・そういう心がけひとつで、
ナカリの反応も大きく変わった気がします。
親亡き後も、可能な準備はしておくけれど、多分きっとナカリ自身の力で何とかなる。
そんな、心の「ゆとり」が、自分を楽にしてくれていることに、
カウンセラーさんに近況を話しながら、改めて気づいたところです。
私は幸せだ。
家族も幸せだ。
その感謝、を忘れずに、ゆっくりペースで、とにかく、日々生きていこう。
そんな気持ちです。
心配してくださった方々に、
あらためて感謝と、これからも良ければ見守っていただきたい、という気持ちを込めて。
お正月休みに帰省していた息子がピアノ版で練習していたバッハのコラールを、
オルガン版で貼っておきます。
読んでくださってありがとうございました。
厳しい寒さや、自然災害や事件事故など続いていますが、
皆様どうぞご無事でありますように・・・
2024-11-29 Fri
今日は3か月ぶりにカウンセリングに行ってきました。タイトルの通り、胃カメラで引っかかって服薬治療中なのに、
大腸は、ドクター曰く「キレイです、問題なし」。
引き続き、胃の服薬治療は継続しますが、
次の大腸カメラは3年後とのことで、ちょっとチカラが抜けました。
喜ぶべきところを、なんでこう低空飛行のままなのか、
救いを求めてカウンセリングに行ってきました。
いろいろ改善しているのに、この、しんどさは何?
1時間みっちり話をして、主因は私の抱えるスキーマ、
自分だけ楽しんではいけない、幸せになってはいけない、〜ここにあるんだな、と、改めて目から鱗。
両親とも亡くなって、もう10年近いのに、まだ縛られている。
振り解こうと格闘すればするほど、身動きが取れなくなっているみたい。
カウンセラーさんは、
私自身の中に、今の自分、と、過去の自分、が共存しているから、過去を振り解こうとするのでなく、過去を抱きしめてあげて受け入れて、今と共に進む事、
を勧められました。
何か亡霊のような存在感がまとわりついている両親の事が、やっと腑に落ちて、霧が晴れてくるような気持ちで、お礼を伝えて次回の予約をとりました。
急な寒さで色づいた街路樹を見ながら、2人の自分、と共に生きていく方法を考えながら、自転車をこぎました。
どうでもいい、と投げ出すには早い、まだ、この世ですべきことがある、と、ほんの少しだけど、自分の年齢を忘れる事にしました。
2024-11-09 Sat
骨折のリハビリは、まだ続いていますが、日常生活は特に問題なく、穏やかに過ぎていて、
半分、夢の中を漂っているようでもあります。
気温の変化が大きい中、お散歩日和だった日に、
ナカリが散歩に行こう、と言ったので、
久しぶりの親子散歩に出かけました。
秋らしくない秋、と言われつつも、
雲一つない青空に、
ちょうどいいくらいの気温で、
気持ちよく歩けました。
このところ、振り返って、本当に、
間違えて死ななくて良かった、
という気持ちがしみじみと湧き上がり、
だからと言って長生きしたいわけではなく、
いつ何があっても悔いはないかなと、
長かった過去を振り返っています。
人間ドックで指摘されて服薬治療中だった内臓について、この間の胃腸の様子を伝えただけで、
女医先生、即、大腸カメラ撮りましょう、と。
サラリと言われて、月末に日にちが決まりました。
ガンになっちゃえ!と暴飲を続けながら、
いざ、となると、
余命はもう少しほしい、というのが本音。
さて、どうなるかなあ。
更新も訪問も滞りがちですが、月末の検査結果が出たら
ご報告しますので、それまで気長に見守ってやってください。
あと数日で、息子の著作が講◯社学術文庫の新刊で出版されるのを楽しみに待っています。
息子も、やり切った感が強いのか、
この本が出たら、いつ死んでもいい、と言っています。
頑張ったねぇ、ここまでこれて感謝です。
電線や電柱の写真を撮るのが好きだった、昔の息子を思い出しつつ。
今日も最後までありがとうございました。
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2024-10-09 Wed
こんばんは。9月からナカリの訪問看護が週2回になりました。
これに、月2回ずつのアートセラピーとガイドヘルプ、当事者会、
が加わって、あいまに精神科の通院や、歯科の通院が入りながら、
慌ただしいながら、なんとかかんとか穏やかな毎日が過ぎています。
そんな中、私が入院する前にNHKで見ていたフランスの警察?ドラマ、
「アストリッドとラファエル」をHuluで見れるよ、と、夫が教えてくれて、
最終回以外、未視聴だった第1シーズンを堪能しました。
今はもう、かつての「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」といった呼び名は
「ASD 自閉スペクトラム症」に統一されていますが、
見るからに、かなりの自閉症、
ただ知能的な遅れはなく、むしろ突出した観察力をもつ主人公が、
最初は周りの偏見や、過去の学校時代のいじめのトラウマに苦しみながら、
少しずつ理解されていき、しっかり対応してもらえるようになっていく様子が、
過去に見たアメリカのドラマ「ボーンズ」に少し重なり、
すっかり虜になっています。
「自閉症」という言葉に反応する周りの人たちが、「レインウーマン」とはやしたり、
わざと爪楊枝を落として本数を尋ねたり・・・
でも、自閉症は、一人ひとり異なる個性を持っていること、かつ、共有する個性もあること、を、
「当事者会」での発言や様子から考えさせてくれます。
予定外のことに遭遇して、周りのあらゆる刺激が雪崩のように頭に入ってきてパニックになる様子や、
ナンパされた相手に、ムッシューと丁寧に対応しながら、理屈っぽい断りの言葉を並べる様子。
もう、いろいろ、ナカリに重なりすぎて、夫も第一話を見た時点で虜になりました。
現在、シーズン5まで制作されていて、日本では4まで放送済みのようです。
入院中だったこともあり、ほとんど見られなかったのが、今になって残念です。
最初はぎくしゃくしていた周りとの関係が、周囲の側の理解(自閉症について)が進むにつれ、
穏やかなものに変わっていく様子が、ドラマ「ボーンズ」を思い出させ、
アメリカとフランスでの、アプローチの違いにも刺激を受けながら、
「自立」「後見」といった、今後を考えるヒントをたくさん得られたように思います。
Huluを見ることができる方には、今のところシーズン1だけですが、ぜひおすすめです。
今日は、広告?だけですみません。
横目で見ていたナカリが、
主人公がロッキングする様子(椅子に座って体を揺らす)が自分と同じだ、
とか、周囲の刺激にパニックになりそうになる気持ちがすごくわかる、とか、
共感していたので、彼女の感覚の理解のためにも、続きを見たい、と思っています。
間違って死ななくてよかったなあと、今は、生きていることに感謝の毎日です。
あともう少し、時間をもらって、ナカリのこの先、を準備していきたいと思っています。
今日もご訪問くださり、ありがとうございました。