文学というのは全て一定の形式に内容をいれるものようであるが、俳句
のテレビ番組を見ていたら形式文学という言葉が浮かんできた。
形式の縛りが強く、表現の内容が形式によって固定化されているまでに
なっている。
季語というのも縛りであれば五・七・五という字数の縛りもある。
約束事を守れば誰にでも作れるものであるが、それゆえ複雑な表現には
向かない。
誰にでも開放されている表現のようだが、専門家の秘儀もあるようであ
る。
専門の修行を積んだ表現者には素人は敵わないもののようである。
一種の職人技というのであろうが、その技を言語化するのは誰にでもで
きるものではあるまい。
テレビでタレントが作る俳句を添削するアイデアはテレビ的で斬新であ
ったがそろそろ飽きてきた。
形式文学は誰にでもできるがゆえ底の深さに視聴者が気づくこともあま
りないのかもしれない。
表現者が形式に目を奪われて自分の人生の深いところを表現していない
のも退屈の理由だが、テレビにそれを求めるのは酷だろうと思うから観
ないようにする。
自由律は形式文学の頸木を逃れようとする試みであろうが、形式を全否
定できないから鬼子に終わるのだろう。
形式文学は親しまれる理由が軽く見られる理由にもなっているのだろう。
表現が誰にでも解放されているということは、表現の玉石混交を招き、
玉も石も区別のつかないものになりかねないからだ。
文学の底は深いと思うから私は手を出さない。
偏哲
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最終更新日 : 2020-02-28