Buttercorn Lady/Art Blakey & The New Jazz Messengers - 1966.01.09 Sun
[sales data] 1966/3 (Rec:1966/1/1&9) [producer] Jack Tracy [member] Art Blakey(ds) Chunk Mangione(tp) Frank Mitchell(sax) Keith Jarrett(p) Reggie Johnson(b) | Buttercorn Lady/ Art Blakey & The New Jazz Messengers |
ハバードさんが脱退、モーガンさんが復帰、ショーターさんが抜け、ハバードさん復帰など
メンバーの出入りが激しくなり
1966年はフルモデルチェンジでチャック・マンジョーネ&フランク・ミッチェルさんの2管
レジー・ジョンソン&ブレイキーとリズムセクションを組むピアニストは驚くことに
キース・ジャレットさんというメンバーによるライトハウスでのライヴ盤。
(これがキースさんの初レコーディングになるようです)
私のキース・ジャレット探訪は良くも悪くも「ケルン・コンサート」から身動きがとれず
悶々していたので思いがけずこんなところでキースさんと出会えるとは思いもしませんでした。
キースさんはボストン音楽学校での学びと並行して、ヴィレッジ・バンガードで演奏していたところ
トニー・スコットのセッションに呼ばれ、その後ローランド・カークとのセッションに参加した後
ブレイキーの傘下に入り、この後、チャールズ・ロイド・グループに加入して
名をあげることになり、ディジョネットと一緒にマイルスに目をつけられることになるようです。
このメンバーによる音源はこの作品しかないのでファンはこの時のメッセンジャーズを
便宜上「The New Messangers」と区別して呼称しているようです。
今や大ベテランとなったチャック・マンジョーネさんもレジー・ジョンソンさんもこの時25歳。
キースも若くして亡くなってしまうフランク・ミッチェルさんもまだ20歳と
ブレイキーさんにしてみれば自分のバンドから新しいスターを生み出したいという
意図があっての大幅な若返りだったのかもしれませんが、相変わらずブレイキーさんの
新人発掘の嗅覚は鋭いなと。
後年のブレイキー談
「名前はちょっと出てこないが」と忘れたふりをして(笑)
「あの白いガキはよくピアノをならしていたよ」
注目のキースさんですが「Recuerdo」ではピアノの弦を指で弾く異端ぶりを発揮していますが
総じて大人しく、そもそもリズムセクション型ではなくメロディ主体の鍵盤奏者なので
まあこんなものかなと。
この作品の聴き所はアルバム半分の楽曲を提供しリトルマイルスっぷりを発揮している
マンジョーネさんの演奏でしょう。
この後のメッセンジャーズは暗黒期と呼ばれていますが、80年代にはウィントン・マルサリスが登場し
再復活を果たすようなので、機を見て少しづつ聴き進めていこいうと思います。
'S Make It/Art Blakey & The Jazz Messengers - 1964.11.25 Wed
[sales data] 1965 (Rec:1964/11/15-16&25) [producer] Jack Tracy [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp) Curtis Fuller(trombone) John Gilmore(sax) John Hicks(p) Victor Sproles(b) | 'S Make It/ Art Blakey & The Jazz Messengers |
クインシー・ジョーンズの肝いりでスタートしたマーキュリー傘下の
ライムライトレーベル第一号としてリリースされた作品です。
メッセンジャーズは1961年からハバード、フラー、ショーターの3管体制が続きましたが
ハバードさんが抜けた頃からアルバムごとにメンバーが変わる慌ただしさで
1964年ブルーノートから、ライムライトに移籍するのを機にバンドメンバーが大幅に代わります。
まず前作(Indestructible)からハバードと入れ替わり、リー・モーガンさんが再加入。
そしてショーターさんがマイルスバンドに加入するためジョン・ギルモアさんに代わり
ピアノはジョン・ヒックスさん、ベースはビクター・スプロールズさんというメンバーです。
音楽監督のショーターさんの抜けた影響は大きく、今までのメッセンジャーズにあった
サウンドの芯が無くなってしまい、ブレイキーさんがこうしたいんだ!という強い意志も
感じません。
(モーガン3曲、ジョン・ヒックス2曲、フラー1曲)
その分、新加入のジョン・ギルモア、ジョン・ヒックスさんの鮮度が今までのメッセンジャーズに
なかった爽やかさを演出しています。
ギルモア&スプロールズさんはサン・ラ・アーケストラからの参加なので
宇宙ジャズみたいな感じもあるのかなと思いましたが、普通のハードバップな演奏でした(笑)
ブルーノートではあまりなかったことだと思うのですが、3曲ほどフェイドアウトします。
ライオンさんはアルバム収録時間の都合で大胆に曲をカットしましたが、ライムライトは
長尺物を嫌い、コンパクト化する方針だったのでしょうか?ちょっと奇異に感じます。
Mosaic/Art Blakey and The Jazz Messangers - 1961.10.02 Mon
[sales data] 1962/1 (Rec:1961/10/2) [producer] Alfred Lion [member] Art Blakey(ds) Freddie Hubbard(tp) Curtis Fuller(trombone) Wayne Shorter(sax) Cedar Walton(p) Jymie Merritt(b) | Mosaic/ Art Blakey and The Jazz Messangers |
ショーター、モーガン、フラーのフロント3管で新装したメッセンジャ―スは
何故かインパルスからイレギュラーな1枚を挟んでいるのですが、
ダメ出し連発だったライオンさんのお目にようやくかかりリリースされた
メッセンジャーズ名義のブルーノート作品。
しかしここにはモーガンさんの姿はなく、フレディ・ハバードさんが新加入、
ピアノもティモンズさんからシダー・ウォルトンさんに交代しています。
作曲は「Mosaic」がシダー・ウォルトン、「Down Under」と「Crisis」がフレディ・ハバード、
「Children of The Night」がウェイン・ショーター、「Arabia」がカーティス・フラーと
民主的な作りになっています。
結果論から言えば、新しい音作りの中に主役のブレイキーさんの見せ場(聴かせ所)が
多いということが、GOサインの決め手になったのかも。
この作品のことを調べていたら面白いネタを見つけました。
今年(2023年)公開された音の聴こえるアニメと評判のジャズアニメ映画「BLUE GIANT」の
登場人物、ドラム初心者の玉田俊二君の座右の一枚が本作(Mosaic)になるようです。
[映画『BLUE GIANT』の劇中でジャズ・ファンをうならせる3つのこだわりポイント]
Art Blakey and the Jazz Messengers (A La Mode/1961 album) - 1961.06.14 Wed
[sales data] 1961/9/1 (Rec:1961/6/13&14) [producer] Bob Thiele [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp) Curtis Fuller(trombone) Wayne Shorter(sax) Bobby Timmons(p) Jymie Merritt(b) | A La Mode/1961 album |
1961年、日本に初来日して大旋風を巻き起こしたジャズ・メッセンジャーズ(JM)は当時の人気と裏腹に
マンネリ打破のため転換期を迎え、フロントが3管になって初めてのスタジオ盤なのですが、
少々事情がややこしいので整理しておきますと、ショーターさん加入後のJMは複数枚アルバムを録音しますが、
[発売が見送られた作品]
・Africaine(Rec:1959/11/10)
・Like Someone in Love(Rec:1960/8/7&14)
・Pisces(Rec:1961/2/12,5/27&1964/4/15)
・Roots & Herbs(Rec:1961/2/12,18 & 5/27)
・The Witch Doctor(Rec:1961/3/14)
正規に発売されたのは「The Freedom Rider」(Rec:1961/5/27)のみ
ことごとくライオンさんに却下されお蔵入りの憂き目にあっていたのですが、
ショーターさんの発案でフラーさんを入れた3管体制になってのこの作品は
何故かブルーノートではなくインパルスからの発売なのです。
私の邪推だと現状、ライオンさんの監修下でアルバムを出すのは難しいので
実験的に3管にしてセールス実績を示せばライオンさんも納得するのではないか云々の
話し合いがあったかどうかわかりませんが、そのような流れでインパルスに話を
持って行ったのではないかと思いますが、この辺の事情をご存じの方
コメントより教えていただけると幸いです。
さて3管体制になったわけですが、何故か音がそんなに厚くなっていないばかりか
かなりスマートに洗練されてしまってJMっぽくないのがなんとも・・・
(ブレイキーさんの静けさが不気味(苦笑)
この頃のJM作品がことごとく陽の目を見なかったのは「Moanin'」の大ヒットの後遺症とも
いえるのですが、キラーチューンがないんですよね。
この作品はバンド名だけのため国内盤はフラーさんの提供曲「A La Mode」という
サブタイトルで流通しているようです。
JMはこの後モーガンさんが脱退しフレディ・ハバードが加わった新3管体制になります。
The Witch Doctor/Art Blakey and The Jazz Messangers - 1961.03.14 Tue
[sales data] 1969/1 (Rec:1961/3/14) [producer] Alfred Lion [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp/flugelhorn) Wayne Shorter(sax) Bobby Timmons(p) Jymie Merritt(b) | The Witch Doctor/ Art Blakey and The Jazz Messangers |
ショーターさんが加わったジャズ・メッセンジャーズは頻繁にスタジオセッションと
レコーディングを行っているのですが、リリース品質に厳しいライオンさんのダメ出しを食らい、
発売が見送られた5作品のうちの1枚です。
・Africaine(Rec:1959/11/10)
・Like Someone in Love(Rec:1960/8/7&14)
・Pisces(Rec:1961/2/12,5/27&1964/4/15)
・Roots & Herbs(Rec:1961/2/12,18 & 5/27)
・The Witch Doctor(Rec:1961/3/14)
モーガン2曲、ショーター2曲、ティモンズ1曲、クリフォード・ジョーダン1曲
凝ったアレンジ曲が多く特にモーガンさんの「Afrique」はかなりユニークな楽曲です。
「Roots & Herbs」の記事にも書きましたが、内容が悪いわけではないのに
発売に踏み切るにはライオンさんを納得させる何かが物足りなかったらしく
バンドはこの後ショーターさんの進言でフラーさんを加えた3管でバンドを刷新することに
なるのですが、バンド内にこのままライオンさんの監修の下ではアルバムが1枚も出せないという
危機感があったためか?何故かブルーノートではなくこの後インパルスとイレギュラーな
ショット契約のアルバム(Art Blakey and the Jazz Messengers)1枚を挟むことになります。
Roots & Herbs/Art Blakey and The Jazz Messengers - 1961.02.18 Sat
[sales data] 1970/10 (Rec:1961/2/12&2/18) [producer] Alfred Lion [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp) Wayne Shorter(sax) Bobby Timmons(p) Walter Davis Jr.(p) Jymie Merritt(ds) | Roots & Herbs/ Art Blakey and The Jazz Messengers |
ショーターさんが加わったジャズ・メッセンジャーズは頻繁にスタジオセッションと
レコーディングを行っているのですが、リリース品質に厳しいライオンさんのダメ出しを食らい、
以下の5作品の発売が見送られています(現在は全て陽の目をみました)
・Africaine(Rec:1959/11/10)
・Like Someone in Love(Rec:1960/8/7&14)
・Pisces(Rec:1961/2/12,5/27&1964/4/15)
・Roots & Herbs(Rec:1961/2/12,18 & 5/27)
・The Witch Doctor(Rec:1961/3/14)
本作はその内の1枚で1970年に陽の目を見た作品になります。
(ショーターさんが加わったメンバーで1959年の欧州ツアーをでピアノを弾いていた
ウォルター・ディヴィス・ジュニアさんが2曲弾いています)
全曲ショーターさんのオリジナル。
全然悪くないのですが、ショーターさんの時代を先取りした感覚があまりに斬新なため
当時人気絶頂のアート・ブレイキーの写真をドカ~ンと乗せて売るには、
JMのバンドイメージと合わないと判断したのかもしれませんね。
A Night in Tunisia/Art Blakey & The Jazz Messengers - 1960.08.14 Sun
[sales data] 1961/5 (Rec:1960/8/7&14) [producer] Alfred Lion [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp) Wayne Shorter(sax) Bobby Timmons(p) Jymie Merritt(b) | A Night in Tunisia/ Art Blakey & The Jazz Messengers |
メッセンジャ―スの定番曲といえば「モーニン」とナイアガラロールが炸裂する「チュニジアの夜」
ロックがまだ産声をあげ始めたばかりの頃、ジャズに興味のない若者たちの中にも
このド派手なリズムに殺られた人はかなり多かっただろうと思います。
逆にジャズの保守層はこのうるさい音楽に眉を潜めたかもしれず
2曲目以降は通常運転に戻り、モーガン2曲、ショーター、ティモンズ各1曲の
オリジナル曲の名演奏が続くのでジャズ保守層はタイトル曲を飛ばし2曲目から聴く人が
多かったかも(笑)
ティモンズさんの「So Tired」はのちの「The Sidewinder」を彷彿させますね。
収録曲にメンバーの奥様に捧げられた曲が2曲収録されており、
ショーターさんの「Sincerely Diana」はブレイキーさんのダイアナ夫人に
モーガンさんの「Yama」は当時の奥様の旧姓「山本」(Kiko Yamamoto)にかけているようです。
モーガンさんの女性関係は射殺するヘレンさんのイメージが強すぎて知りませんでしたが
モーガンさんの奥さんって日本人だったんですね。
(「Kozo's Waltz」のKozoってなんだろうと思ったら日本語の「小僧」なんですね。
これは奥さんの入れ知恵なんでしょう)
(なんでもジャズメンが日本人女性と結婚する先駆けだとか)
Kikoさんと別れていなければモーガンさんの演奏はもうちょっと長く続いたのでしょうが・・・
尚、このセッションには多数の未発表曲あるようで、後年「Like Someone In Love」という
タイトルで発売されています。
The Big Beat/Art Blakey and The Jazz Messangers - 1960.03.06 Sun
[sales data] 1960 (Rec:1960/3/6) [producer] Alfred Lion [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp/flugelhorn) Wayne Shorter(sax) Bobby Timmons(p) Jymie Merritt(b) | The Big Beat/ Art Blakey and The Jazz Messangers |
「Moanin'」で息を吹き返したブレイキーさんがモーガン&ショーターの2管フロントで
叩きまくるジャズ・メッセンジャーズのスタジオ録音。
発売時はショーターさんが参加した初めてのメッセンジャーズ作品でしたが
現在はショーターさんがバンドに加わった1959年末~1960年の欧州ツアー音源や
セッション音源が非公式を含めて複数あるので、どれがショーターさんの初参加盤なのか
調べたところ「Africaine」というスタジオ録音でしたが、当時はお蔵入りしたようで
1981年に蔵出しされていました。
この時期のバンドは頻繁にメンバーチェンジが行われていましたが、キャノンボールグループに
参加していたボビー・ティモンズさんが復帰して新旧メンバーが揃ったなかなかの面構えです。
ショーターさんは既に頭角を現しており3曲を提供、
ティモンズさんが提供した「Dat Dere」はキャノンボールカルテットでもおなじみの人気曲。
メッセンジャーズの曲は非常にキャッチ―で親しみやすいメロディのものが多く
日本で人気が高い理由も分かりますが、バンドはこのメンバーで1961年に初来日を果たし、
蕎麦屋の出前持ちが「モーニン」を口笛で吹きながら自転車を漕いでいたというエピソードが残っているほど
日本に空前のジャズブームを巻き起こすことになるのですが、
この時の高音質の初出ライヴ音源が2021年に発売されファンを驚かせました。
Paris Jam Session/Art Blakey & The Jazz Messengers feat Bud Powell - 1959.12.08 Tue
[sales data] 1961 (Rec:1959/12/8) [producer] Marcel Romano [member] Art Blakey(ds) Wayne Shorter(sax) Lee Morgan(tp) Jimmy Merritt(b) Walter Davis Junior(p) ***** Bud Powell(p) Barney Wilen(sax) | Paris Jam Session/Art Blakey & The Jazz Messengers feat Bud Powell |
メッセンジャーズにショーターさんが加入した直後に行った欧州ツアーの
1959年12月18日、パリのシャンゼリゼ劇場で行ったライヴ。
この日のライヴには既に欧州に移住していたバド・パウエルさんと移住後のパウエルさんと
共演作の多い仏ミュージシャンのバルネ・ウィランさんがゲスト参加。
(パネルさんはマイルスが仏で録音した「死刑台のエレベーター」のセッションにも参加していましたね)
又このツアーのピアノはティモンズさんではなく一時的にウォルター・デイヴィス・ジュニアさんです。
ピアノトリオのイメージが強いパウエルさんが、サイドマンとしてメッセンジャーズで
演奏しているのが何だか妙ですが、敬意を表されてか?あ~う~言いながらかなり長い
ピアノソロをとっています。
(パウエルさんが参加している2曲はバルネ・ウィランさんの曲)
観客の拍手歓声は編集されているのでしょうが、米のジャズクラブのような雑多な感じではなく
そこは欧州っぽいお洒落な反応なのが面白いですね。
ラストの「チュニジアの夜」はもうお約束のお祭りワッショイです(笑)
Art Blakey et les Jazz-Messengers au club St. Germain/Art Blakey and Les Jazz Messangers - 1958.12.21 Sun
[sales data] 1959 (Rec:1958/12/21) [producer] Daniel Filipacchi [member] Art Blakey(ds) Lee Morgan(tp) Benny Golson(sax) Bobby Timmons(p) Jymie Merritt(b) Kenny Clarke(ds) Gana M'Bow(bongos) | (au club St. Germain vol.1) (au club St. Germain vol.2) (au club St. Germain vol.3) |
「モーニン」録音メンバーによる58年11月から12月に行ったフランスツアーから
12月21日、クラブ「サンジェルマン」でのライヴ。
(CDはアナログ盤同様3枚バラ売りですが私の所有しているものは3枚組(BVCJ-8606-8)です)
客席から手を伸ばせば触れ合える「ジャズの距離感」といいますか、
大きな会場では絶対に生まれない空気の振動が漏れなく収録されています。
大ヒット曲「モーニン」はイントロ部でどっと沸かないことからまだ一般に知れ渡っていない
時期の演奏であることが分かりますが、曲クレジットに「Moanin' with Hazel」とあるのは
ディモンズさんのソロ最中にライヴ会場に居合わせたヘイゼル・スコットさんが
感極まって「Oh Lord have mercy!」と叫ぶ声が収録されているためだそうです。
(この日のティモンズさんのピアノは絶好調です)
私はジャズファンクが好きなのは間違いないのですが、ジャンルにこだわらなければ
「ご機嫌な音楽」が好きなわけで、特にこのライヴ盤は3枚組にもかかわらず
全く時間が気にならず、一気に聴き通せてしまう、ご機嫌この上ない極上ものです。
ちなみに昨年末の大掃除の時、このライヴ盤をBGMにしたところ作業が大変はかどった
ことをご報告いたします。