Solo Monk/Thelonious Monk - 1965.03.02 Tue
[sales data] 1965 (Rec:1964/10/31 & 1965/3/2) [producer] Teo Macero [member] Thelonious Monk(p) | Solo Monk/Thelonious Monk |
欧州遠征後の1962年、リバーサイドからコロンビア移籍後のモンクさんの作品群はまだ手付かずなのですが
戦闘機のパイロットに扮したモンクさんのアニメジャケのこの作品は人気があるとのことで
すっ飛ばして先に聴いてみました。
何故こんな絵柄のジャケットになったのか気になるところですが、
作画のポール・デイヴィスさんによると実はこのレコーディングはバンド形式のセッションが
準備されていたものの、モンクさんがレコーディングに遅刻したので、他のミュージシャンは
帰ってしまったため、企画変更でソロでレコーディングした単独飛行の情熱という
コンセプトで描かれたとのことです。
リバーサイド期の「ヒムセルフ」、「アローン・イン・サンフランシスコ」以来のソロ作品。
(コロンビア期のプロデューサーはやりすぎ編集長のテオ・マセロさんが担当)
とっくにピークは過ぎているのですが、一聴してモンクさんと分かる打楽器奏法は健在。
モンクさんのタイムで進行する癖の強い太いピアノ音の好き嫌いはあるかもしれませんが、
これまでのソロ作に比べて内容が明るく(選曲のせい?)万人受けしたのがよくわかる感じです。
Monk in France/Thelonious Monk - 1961.04.18 Tue
[sales data] 1965 (Rec:1961/4/18) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Charlie Rouse(sax) John Ore(b) Frankie Dunlop(ds) | Monk in France/Thelonious Monk |
1961年にセロニアス・モンクさんが行った欧州ツアーのライヴ音源は海賊盤を含め
複数ありますが、本CDはアナログ盤「Two Hours With Thelonious~Olympia Concert」
というタイトルで2時間もの長時間録音で発売されていたものを短縮編集したものに
なるようです。
(基本カルテット演奏ですが2曲がピアノソロ)
1960年代初頭、多くのジャズメンが欧州に渡った理由にジャズ本はジャズ不況を
原因にあげているのですが、突っ込んで歴史を調べてみても、ロックが台頭し始めた影響は
あったもののジャズが潰されるというほどのものではなく、その理由として適切なものは
第二次世界大戦後のベビーブームで育った欧州の若者の間でジャズ需要が高まったことと
(米黒人ブルースも同じように英国に流入しハードロックの礎になります)
同時期、公民権運動が激化したため自分の身の安全を案じた黒人ミュージシャンが
一時的な非難先として欧州を目指したということなのではないかと思います。
晩年のモンクさんの演奏はあまり語られることはありませんが、このライヴは
熱烈に歓迎してくれるパリの観衆に気を良くして、軽やかなピアノ演奏を披露しています。
この頃結成したカルテットメンバー、チャーリー・ラウズ、ジョン・オア、フランキー・ダンロップとは
ウマが合ったらしく、長年この4人で活動し、ベースがブッチ・ウォーレンに代わった直後の
1963年5月に初来日しています。
このライヴは全体的にテンポが速めなのが特徴的で、特にラウズさんが
欧州に自分の名前を売り込むためにはりきっていることが
モンクさんを刺激しているように感じます。
Thelonious Monk at the Blackhawk - 1960.04.29 Fri
[sales data] 1960 (Rec:1960/4/29) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Joe Gordon(tp) Harold Land(sax) Charlie Rouse(sax) John Ore(b) Billy Higgins(ds) | Thelonious Monk at the Blackhawk |
1年前ここブラックホークでのライヴの合間に「フガジ・ホール」という場所で
無観客で録音したモンクさんが再びブラックホークにて
レギュラー・カルテットに西海岸プレイヤーのジョー・ゴードン&ハロルド・ランドを
加えた編成で繰り広げたライヴ盤。
オリン・キープニュースさんのメモによるとサム・ジョーンズとアート・テイラーさんが
抜けた後、ベースがロン・カーター~ジョン・オアになり、当初はモンクとシェリー・マンさんの
それぞれのリーダー作品を録音する予定だったようですが、不調でオジャンとなり、
不在のドラムはオーネット・コールマンのバンドにいたビリー・ヒギンズさんが、
キャバレーカードを失い西海岸に戻るのを知ったモンクさんが、急遽採用。
マンと組む予定だったゴードン&ハロルドさんがモンクのグループに加わったという
かなりドタバタしたやっつけ感の強いバンド編成です。
そのため2テナーを含む3管という重厚なフロントのわりには淡々としていて
又独特のピアノタッチで難解なイメージがつきまとうモンクさんですが、
本作はウエストコースト風を吸い込んだリラックスした演奏で非常に聴きやすいです。
(逆にモンクさんのコアなファンには物足りないかも)
翌1961年、モンクさんは欧州に渡り、積極的にツアーを行っており
欧州各国(イタリア・フランス・オランダ・デンマークなど)のライヴ盤が
非公式含め多数リリースされています。
Thelonious Alone in San Francisco/Thelonious Monk - 1959.10.22 Thu
[sales data] 1959 (Rec:1959/10/21&22) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) | Thelonious Alone in San Francisco |
サンフランシスコの「フガジ・ホール」という場所で無観客で録音したモンクさんの
ピアノソロライヴ録音。
何故わざわざ西海岸のシスコに行ってまで無観客で録音したのか調べてみると
(まさかシスコ名物のケーブルカーのジャケット画を撮るためではないとは思いますが(笑)
同時期シスコのブラックホークでカルテットによるライブが組まれており
(メンバー不明:この1960年のブラックホークのライヴ盤とは異なります)
その合間にオリン・キープニュースがソロの録音を企てたようです。
モンクのピアノソロの最高作と言われる「Thelonious Himself」に比べると
ウエストコースト風にあたって気分が落ち着いたのかとてもリラックスした感じで
ジャズの敷居の高さを感じさせない「明るく、暖かく、優しく」の3拍子が揃った好作品です。
最初モンクさんの決して流暢ではない独特のピアノ演奏を聴いた時は目が点になりましたが
ここまで聴き進めるうちにピアノというよりモンクさんという人間を聴いて楽しんでいるような
気分になってきました(笑)
5 by Monk by 5/Thelonious Monk - 1959.06.04 Thu
[sales data] 1959 (Rec:1959/6/1,2&4) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Thad Jones(cornet) Charlie Rouse(sax) Sam Jones(b) Art Taylor(ds) | 5 by Monk by 5/Thelonious Monk |
リバーサイドでの最後のスタジオ作品。
「5 by 5」は
(1)太った(2)はっきりと聞こえる、順調な
という意味ですが、CDはオリジナル5曲にボートラがついているのでわかりにくいですが
モンク・クァルテットにサド・ジョーンズさんを加えた5人でオリジナル5曲を演奏する
という意味をかけているのだと思います。
多分初共演のサド・ジョーンズさんのコルネット演奏とかトピックスはあるのですが
いつもながらのモンク節だし、個人的には格段に好きな特別な作品ではないし
世間でもあまり話題にならないマイナーな1枚でしたが、村上春樹さんが著書
「セロニアス・モンクのいた風景」でモンク作品ベスト5の1枚と紹介したところ、
日本では瞬く間に名盤扱いされるようになったようです。
日本人って著名人推しに弱いよね(笑)
The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall/Thelonious Monk - 1959.02.28 Sat
[sales data] 1959 (Rec:1959/2/28) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Donald Byrd(tp) Eddie Bert(trombone) Robert Northern(French horn) Jay McAllister(tuba) Phil Woods(sax) Charlie Rouse(sax) Pepper Adams(sax) Sam Jones(b) Art Taylor(ds) | The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall |
「セロニアス・モンク・オーケストラ」?
これはタイトルからして妙な感じがしますが、ドナルド・バードなど7管を揃えた
モンクさんをリーダーとする10人編成のビッグバンドスタイルのタウンホールでのライヴ盤。
ホール・オーヴァトンさんという方が超個性的なモンクさんの楽曲をわざわざ
複数楽器パートごとにアレンジした挑戦的な作品です。
大人数にモンクさんのピアノが埋もれてしまって誰得?なんだろうと思っていましたが
そこはさすがモンクさん、存在感はぶっちぎりです(笑)
私は未視聴なのですが、戦場カメラマン、そして報道写真家として有名な
ユージーン・スミスさんの住まいであるロフトで繰り広げられていた
ジャズセッションを映画化した「ジャズ・ロフト」にオーヴァトンとセロニアス・モンクの
貴重な会話や10人編成バンドのリハーサル風景などが取り上げられているとのことです。
Misterioso/Thelonious Monk - 1958.08.07 Thu
[sales data] 1958/12 (Rec:1958/8/7) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Johnny Griffin(sax) Ahmed Abdul-Malik(b) Roy Haynes(ds) | Misterioso/Thelonious Monk |
「Thelonious in Action」と同日の1958年8月7日ファイブスポットで行われた
モンクさんのライヴ盤。
ライヴ盤を2枚に切り売りするのはジャズアルバムの常套手段ですが
vol.1&2のような通し番号ではなく、全く別のタイトルをつけるのは珍しいかも。
私のもっているCDは古いので収録されていないのですが、最近のボートラには
アート・ブレイキーさんが飛び入り参加した音源も収録されているようです。
Thelonious in Action/Thelonious Monk - 1958.08.07 Thu
[sales data] 1958 (Rec:1958/8/7) [producer] Orrin Keepnews [member] Thelonious Monk(p) Johnny Griffin(sax) Ahmed Abdul-Malik(b) Roy Haynes(ds) | Thelonious in Action/Thelonious Monk |
1957年、Five Spotで行われたモンク&コルトレーン共演ライヴ盤の記事でも書きましたが
モンクさんは1951年に麻薬がらみでニューヨークの音楽家組合からクラブ出演禁止処分を
受けていたため、ニューヨークでのライヴ活動が認められていなかったのですが、
1957年に解除されカムバックしたという経緯があります。
そしてコルトレーンの後釜としてジャズ・メッセ―ンジャーズの共演で気にいった
ジョニー・グリフィンさんを起用してファイブスポットで行ったモンクさんの初のライヴ盤。
モンクさんはライヴだからといってグルーヴ感が増すわけではなく、常にマイペース(笑)
その分、グリフィンやヘインズさんが熱い演奏をかまします!
Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall - 1957.11.29 Fri
[sales data] 2005/9/27 (Rec)1957/11/29 [producer] Bruce Lundvall [member] Thelonious Monk(p) John Coltrane(ts) Armed Abdul-Malik(b) Shadow Wilson(ds) | Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall |
1957年のモンクさんとのセッションはコルトレーンさんにとって大きな影響を与えたという説は
その後のコルトレーンさんの大きな変貌ぶりを耳にすれば一聴瞭然なのですが
特にFive Spot出演時のライヴによってコルトレーンという原石はまばゆいばかりの光を放ったと
多くの史実本に記されているものの、世紀の大発見とまで言われ1993年に発掘リリースされた
Five Spotのライヴはプライヴェイト録音のため音が悪く資料程度にしかその良さが分からなかったのが、
2005年にアメリカ議会図書館の技師が何の記載もない箱からこのカーネギーホール出演時の
良質の音源(プライヴェイト録音ではなくステージにも会場にも複数マイクを立てての
ちゃんとした録音)を見つけ出し突如リリースされコルトレーンファンが狂喜乱舞した姿が
目に浮かびます(笑)
1957年11月29日、カーネギーホールに出演した25分間の2セットを収録。
カーネギーという歴史と伝統の舞台ゆえ、演奏中は大きな静寂が支配するため、
くつろいで楽しめるジャズクラブの雰囲気とは異なる緊張感がいい具合に張り詰めています。
しかし何でこんな良質な音源が今まで、破棄同様に放置されていたのかが不思議。
コルトレーンさんがブレイクした直後にプレスティッジが昔の音源をあれやこれや
切り売りして一儲けしたことを考えるとリバーサイドの欲のなさが際立つというか
音源管理がかなりいい加減というか・・・
ちなみにリバーサイドはモンクさんと契約したことで本格的なジャズのレコード制作を
始めるのですが1964年に破産します(苦笑)
Live at the Five Spot Discovery/The Thelonious Monk Quartet with John Coltrane - 1957.08.15 Thu
[sales data] 1993 (Rec:1957/8?~12?) [producer] Michael Cuscuna [member] Thelonious Monk(p) John Coltrane(ts) Armed Abdul-Malik(b) Roy Haynes(ds) | Live at the Five Spot / Thelonious Monk with John Coltrane |
1993年に発掘された1957年のモンク&コルトレーンさんの伝説のFive Spotのライヴ音源。
この音源が多くのジャズファンに衝撃を与えたことはこんな音質の悪いプレイヴェイト音源を
あの「ブルーノート」が公式リリースしたことから想像にたやすいです。
(マスターは奥さんのナイマさんがで録音していたテープだと思われる)
このライヴ盤は勿論、モンク&コルトレーンの共演というのが一番のトピックスですが
実はモンクさんは1951年から麻薬がらみの問題でニューヨークでの演奏許可証(キャバレーカード)が
なかったのですが、1957年晴れて許可証を取得しニューヨークのファイヴ・スポットに登場したという
経緯があります。
夏の録音とされていますが、日時が特定できないのは、モンク&コルトレーンさんが
Five Spotに出演した5か月間の正確なデータがないこととドラムがシャドー・ウィルソンさんではなく
何故かこの音源はロイ・ヘインズさんという謎。
ロイ・へインズさんはこの頃サラ・ヴォーンさんの歌伴専属ドラマーだったので、
ジャズ演奏自体が珍しいようですが、翌58年からモンクさんのバンドに入り
ジャズ活動を活発化させるのでもしかしたらモンクさんの楽屋挨拶に行って
そのまま叩くことになったと考えると、夏ではなく年末だったのではないかなと。
コルトレーンさんのシーツ・オブ・サウンドな豪快な吹きっぷりは確認できるのですが
とにかくモンクさんのピアノ音が壊れたおもちゃのピアノみたいな音なので
歴史的な記録(レコード)として楽しむのが吉。