Where I Should Be/Peter Frampton - 1979.05.30 Wed
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ピーター・フランプトンは「I'm In Youツアー」で1978年に初来日を果たしますが
この頃から、人気に陰りが見え始め、まずケチの付け始めは主演で出演した
映画「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の興行は大コケ・・・
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さらにバハマで交通事故を起こし重症説が流れるなど災難が続きました。
そんな状況下で制作されたアルバムは長年連れ添ったジョン・サイモスの名が消え、
ブッカー・T&ザ・MG's系のドナルド・ダック・ダン、スティーヴ・クロッパーの他、
Tower of Powerが参加しホーン系を強化するなどR&B寄りの新たな試みが見られます。
しかしセールスは落ち込み、80年以降は全く名前を聞かなくなるほどマイナーな存在になりますが
(1987年に高校の先輩であるデヴィッド・ボウイの「Let Me Down」に参加したのが少々話題に)
実はこのアルバムツアーのブートを聴くとかなりR&Bなノリノリファンキーで
この頃のライヴアルバムを蔵出しすれば、ピーター・フランプトンのアイドルとは別の顔、
つまりアーチストとしての才が再評価されるのではないかと思います。
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ピーター・フランプトンはアイドル的なルックスの「Comes Alive」一発屋だと思っている方が
多いと思いますが、フランプトンは全てのソロ作品のプロデュースを手掛け、
ギター以外の楽器もこなす才あるマルチプレイヤーで、唯一不幸だったのは、
「Comes Alive」のセールス結果があまりに過剰だったということだと思います。
I'm In You/Peter Frampton - 1977.05.28 Sat
「Comes Alive」が爆発的に売れモンスターアルバムになってしまったため
新アルバムを制作時、ピーター・フランプトンには「売れなければ」という異常な重圧が
のしかかることになりますが「I'm In You」のシングルヒットが生まれ何とかやり過ごします。
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ゲストにスティーヴィ―・ワンダー、ミック・ジャガー、リンゴ・スターが参加するなど
取り巻き連中にも大きな変化が起こっています。
ザ・ハード時代にアイドル売りされることに嫌気がさし、ハンブルパイに逃げ込んだものの
再び白馬の王子風ジャケットで大規模にアイドル売りが展開されることになるのですが、
ミュージシャン志向の本人の心中いかばかりだったか(笑)
さて、この「I'm In You」のヒットを受けて速攻でパロディとして歌ったミュージシャンがいます。
フランク・ザッパです(笑)
歌詞の検閲反対の急先鋒だったザッパ先生は、アイドル顔のピーター・フランプトンが
取りようによってはあまりに露骨なエロい歌詞に驚き、早速「シーク・ヤブーティ」で
「I Have Been In You」という曲でパロディ化しています(笑)
ザッパ談
「先っぽをちょろっと入れたぐらいで大ヒットしやがって、ならば俺はずっと入れっぱなしだ!」(笑)
個人的にこのアルバムで嬉しいのはハンブルパイ時代にも演奏していたロードランナーが
収録されていることです。
90年代にスティーヴ・マリオットとハンブルパイの再結成の構想があっただけに
マリオットの死で実現せずとても残念です・・・
Comes Alive/Peter Frampton - 1976.01.06 Tue
[sales data] 1976/1/6 [producer] Peter Frampton [member] Peter Frampton(vo/g/talkbox) Bob Mayo(g/p/org) Stanley Sheldon(b) John Siomos(ds) | ![]() |
1975年に行われたアメリカ・ツアー下記4公演のライヴ編集盤。
6月13日 サンラフェル公演
6月14日 サンフランシスコ公演
8月24日 ニューヨーク州ロングアイランド公演
11月22日ニューヨーク州立大学プラッツバーグ校公演
ライヴ盤で2枚組にもかかわらず今までのレコード業界の常識を覆し最近の累計では
全世界で1,800万枚のバカ売れ。
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当時はこのライヴ盤からシングルカットされた「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」「君を求めて」
「紫の夜明け(ライク・ウィ・ドゥ)」がラジオでよくかかっていて、トーキング・モジュレーターと
言えばピーター・フランプトンというほどギター小僧の憧れのエフェクターでしたね(笑)
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米ではまだマイナーだったピーター・フランプトンがこのアルバムセールスのおかげで
一夜にしてスーパースターの仲間入りした要因として、渡米してから会場の大小関係なく
全米くまなくツアーを続けたため、口コミでファンが集まり始めビッグセールスにつながった
というのが一般的な説なのですが、悪くはないですが、そんなに多くの人が買ってまで
聴くアルバムかというのが疑問で、私はこのアルバムが発売された1976年前後に
米で音楽セールスが拡大した別の要因があったのではないかと考えます。
1976年に売れた洋楽アルバムというものをざっと調べてみると
・イーグルス 『ホテル・カリフォルニア』
・ピーター・フランプトン 『フランプトン・カムズ・アライヴ!』
・スティーヴィー・ワンダー 『キー・オブ・ライフ』
・ジョージ・ベンソン 『ブリージン』
・ボズ・スキャッグス 『シルク・ディグリーズ』
・ローリング・ストーンズ 『ブラック・アンド・ブルー』
・ポール・マッカートニー&ウイングス 『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』
『スピード・オブ・サウンド』
・10cc 『びっくり電話』
・エレクトリック・ライト・オーケストラ 『オーロラの救世主』
・ボストン 『幻想飛行』
・ジャクソン・ブラウン 『プリテンダー』
・ボブ・ディラン 『激しい雨』
・ジャコ・パストリアス 『ジャコ・パストリアスの肖像』
・スタンリー・クラーク 『スクール・デイズ』
・ルー・リード 『コニー・アイランド・ベイビー』
・ライ・クーダー 『チキン・スキン・ミュージック』
・ザ・ランナウェイズ 『悩殺爆弾〜禁断のロックン・ロール・クイーン』
などなど
ニュースとしては1975年に泥沼化していたベトナム戦争が集結し、1976年の大統領選で
ウォーターゲート事件のニクソン元大統領に恩赦を与えたフォード大統領(共和党)を
ジミー・カーター大統領(民主党)が破っています。
選挙戦では不利が伝えられたカーター大統領は「正直な外からの改革者」というイメージが
多くの選挙人の心を捉えたいいます。
この頃の米人の心理的な動向を考えるに、社会や政治に対する不信・不安というものを
一掃(「クリーン」)する物や人に飛びついたのではないかと。
特にベトナム戦争の終結というのは実質的な米の敗戦であったにもかかわらず
出口の見えない泥沼状態だったことから、米社会を覆っていた闇に小さいながら明るい光が
差し込んだと考えるのが妥当ではないかと。
(ただし軍事国家である米はレーカン大統領に政権が移るとソ連を「悪の帝国」と規定し
アフガン侵攻、中東紛争に突入するなど自称国際警察としての負の連鎖が断ち切れたとは
言い難いお国柄です・・・)
その明るい光の先にあった音楽がたまたま「Comes Alive」だったのではないかと
考えます。
又このアルバムのビッグセールスを契機にフランプトンが長年かけて全米を回った
草の根ライヴ効果を重視し、マーケット調査やCMの大量スポットなど都市圏に集中していた
プロモート活動を全米に広げ、音楽マーケットを巨大産業に押し上げることになります。
Peter Frampton - 1975.03.30 Sun
[sales data] 1975/3/30 [producer] Peter Frampton [member] Peter Frampton(vo/g/p/talkbox) Andy Bown(b) John Siomos(ds/per) ***** Poli Palmer(vibes) | ![]() |
ピーター・フランプトンは多くのミュージシャンを使って音に厚みを持たせよう
という事は考えていなかったようで、本作もトリオ編成(脱退したリック・ウィルスの
代わりにザ・ハード時代のアンディ・ボーン参加)によるシンプルな作りです。
「Show Me The Way」「君を求めて」のヒット曲が収録されていますが
このアルバムツアー(1975)を収録した「Comes Alive」があれほどの大ヒット作になろうとは
フランプトン本人も思っていなかったのではないでしょうか。
本作は英国のクリアウェル城で録音され、ピーター談
「気候の悪い11月にもかかわらず、この城は僕にとって、とても印象深いものだった。
この石で囲まれた城の中でレコーディングをし、生活をするということは、のくにとって
冒険だった。まさに誰かさんの枕元に立って、さぁこれからランデブー(メイキング・ラヴ)
するぞ!というような気分だった。こうしたロマンチックな気分はキッチンにいてさえも
どこにいても味わえた。城の中のドアじゃ自分の2倍もあり、そこを抜けて素晴らしい部屋に
入ったりすると自分がなんともちっぽけな存在に思えてくる。このアルバムの基本的な
サウンドというのは、もしかすると、たくさんの石たちと、その間に食べた贅沢な
食事に捧げられるようなものかもしれない」
爽やかサウンドを貫いてきたフランプトンですが「Money」では初めてハンブルパイ時代のような
ブルージ―で重いギターリフを聴かせます。
Somethin's Happening/Peter Frampton - 1974.03.15 Fri
[sales data] 1974/3 [producer] Peter Frampton [member] Peter Frampton(vo/g/p/ds) Rick Wills(b) John Siomos(ds/per) *** Nicky Hopkins(p) | ![]() |
前作のFrampton's Camelからは鍵盤のニック・ギャラハーが脱退しトリオ編成での録音。
(ニッキー・ホプキンスがゲスト参加)
意図的にハンブルパイ時代のブルージ―な曲はやらず、新境地開拓の曲作りのコツを
つかんだように軽快な楽曲が並び、フランプトンがこの後の音楽の方向性を定め
自信を深めた作品です。
ドゥ―ビー・ブラザース賛歌だと思われる「Doobie Wah」のみメンバー共作で
他は全てフランプトン作。
後にバカ売れする「Comes Alive」のOPを飾るのはアルバムタイトル「Something's Happening」
ですが、本作では「Baby」というタイトルで収録されています。
(この曲は恋人ペニー・マッコールさんという方との出会いを歌い彼女に捧げたもの)
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私はハンブルパイ後のピーター・フランプトンのギターが聴きたくてソロアルバムを
揃えたのですが、特にギター弾きまくっているわけではなく、英国人らしくなく
陽気な楽曲を繰り出し、楽曲センスも飛びぬけてとてつもない才能のメロディーメーカー
という感じでもなく、何故「Comes Alive」がレコードセールスの歴史を塗り替えるほど
バカ売れしてしまったのか少々謎です・・・
Frampton's Camel/Peter Frampton - 1973.10.20 Sat
[sales data] 1973/10/20 [producer] Peter Frampton [member] Peter Frampton(vo/g/ds/p/etc) Mick Gallagher(p/key/org/etc) Rick Wills(b) John Siomos(ds/per) ***** Frank Carillo(g) | ![]() |
1stアルバムの主要メンバーとFrampton's Camelというパーマネントバンドを結成し
ジミヘンのエレクトリック・スタジオで本アルバム制作中にMike Kellieが
スプーキー・トゥースに戻ってしまったため、ジョン・サイモンを加えてのソロ。
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全体的にソフトロック路線であか抜けない楽曲が多い中「Do You Feel Like We Do」だけが
ブルース調でシングルとしてスマッシュヒットし後にライヴの定番人気曲となります。
(以後楽曲タイトルや歌詞に多く登場する「YOU」(彼女)はフランプトンのキーワードになります)
この曲に関してピーター談
「元々は二日酔いの歌なんだよ。朝起きたら、ワイングラスがベッドの脇に転がってて、
俺は二日酔いのままリハーサルに行った。前の晩にアコースティック・ギターで考えてたコード、
D-F-C-G-D をコーラスにして、リハーサルでジャムってリフを付けた。それで出来上がりだ。
バンドの仲間が「歌詞もほとんど出来てるんだろ」って言うんで、「無理だよ」って答えた。
ほんと、二日酔いで苦しかったんだ。そうしたら、「じゃ、それを歌えばいいじゃないか」。
それで、「朝起きたら、ワイングラスがベッドの脇に転がってて」って歌い始めたわけだ。
今じゃ、俺がそこまで歌うと、後は観客が全部歌ってくれる。
コーラスで「You」を強調して歌うと、それに合わせて、観客みんなが腕を高く挙げて指差す。
曲を作った時には、そんなこと、思ってもいなかった。
みんなが歌い出すと、自分一人じゃなくなって、俺の歌からみんなの歌に変わるんだ。」
このアルバムの楽曲作りに使っていたのが、愛器マーティンD-45だったそうですが
このアルバムツアー中、オハイオで盗まれてしまいフランプトンは相当なショックを受けたようです。
その後アーチストとして成功を収めるとマーチン社に失ったD-45に変わるギター制作を熱望し
誕生したのがD-42"キャメル”だそうです。
エンドピンは本物のラクダの骨で作られているこだわりが施されているそうです。
Wind Of Change/Peter Frampton - 1972.07.15 Sat
アイドル売りを嫌い本格的なロックサウンドを演りたいという共通の目的で
スティーヴ・マリオットとハンブル・パイを結成したものの、深みを増すマリオットの
妥協ないブルースハードなサウンドについていけなくなったピーター・フランプトンが
ハンブルパイ脱退後にリリースした初ソロアルバム。
ビリー・プレストン、リンゴ・スター、スプーキー・トゥーズのミック・ジョーンズ&マイク・ケりー、
ハードの元同僚アンディ・ボウンなどが参加
共同プロデューサーはハンブルパイのRock Onのエンジニア、クリス・キムジーさんですが、
サウンドはハンブル・パイのマリオットの灰汁の強さから逃れた開放感から
アコギ基調の爽やかなサウンドです。
(「風向きが変わった」のタイトルが意味深)
殆どオリジナル曲ですが、ストーンズのJumping Jack Flashのカバーが収録されており
このアルバムの作風の中では異質な感じがします。
この作品は今ではフランプトンの最高傑作の評もありますが、英国ではそこそこの人気が
あったものの米では全く無名で、とにかく米国中をドサ回り営業し徐々に口コミでその評判が広まり
その結果が後にCOMES ALIVEの大ヒットに結びつくことになります。
Paradise Lost(二人だけの誓い)/The Herd - 1969.01.15 Wed
[sales data] 1968 [producer] Steve Rowland [member] Gary Taylor(b) Andrew Steele(ds) Peter Frampton(vo/g/org) Andy Bown(org) | ![]() |
ピーター・フランプトンが在籍していたザ・ハードの唯一のアルバム
バンドは1965年に結成されシングル3枚リリースするもヒットせずメンバー3人が脱退。
1966年に当時16歳のピーター・フランプトンが加入すると絵に描いた美少年であったため
ティーンエイジャーの絶大のアイドル人気を誇ります。
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サウンド面ではフランプトンが主要曲のほとんどの作曲にからんでいますが
アイドル的な売り出しバンドだったため、ギターが前面に出てくるようなロックサウンドは許されず
フランプトンはギタリストとしての野心が満たされず、レコード会社の戦略で王子様を演じ
ファンの嬌声を浴びることに嫌気がさし、この後バンドを脱退し
親友のスティーヴ・マリオットとハンブル・パイを結成します。