(ゆるキャン△)「この感情を恋と認めるその日まで」
Une seule chose est nécessaire : la solitude. La grande solitude intérieure. Aller en soi-même et ne rencontrer pendant des heures personne, c'est à cela qu'il faut parvenir. Etre seul, comme l'enfant est seul... (Rainer Maria Rilke)
たった一つのものが必要だ。そう、孤独が。大いなる内面の孤独。自分自身の内部に向かうこと、暫しの間、誰にも会わないこと、そういうことへこそたどり着かなければならない。たった一人だということ、子どもがそうであるように……(ライナー・マリア・リルケ)
冬のソロキャンプが好きだ。
変わった趣味だと思う。アウトドアはお金がかかる、どちらかといえば大人の趣味だし、私もおじいちゃんからキャンプ道具をもらわなかったら、実際にキャンプしてみようとは思わなかったかもしれない。ただそれでもあえて冬にキャンプするのは理解しにくいのかな。友だちにも、なんでリンは冬にキャンプするの? 寒いじゃん、といわれたことがある。でも、私は冬の一人キャンプが好きだ。
たとえば、空気が澄んでいて、景色が遠くまで見える。山にかかる雲や、山頂を覆う雪がきれいだ。太陽の光が反射して、湖面が輝く。夜の星の光。ランタンの淡い穏やかな光。たき火のにおい。赤い火。かじかんだ指先と、薪の焼ける音。火の粉。吐く息が白く空中に溶け、お湯をコンロで沸かし、ココアをいれる。カップから上る輪郭の曖昧な湯気。さまざまな白さ。白は冬の色。空気が冷たくて、虫もいない。人もいない。世界に私しかいないような、あるいは世界が私だけを見てくれているような、そんな気分に浸れる。ゆったりと本を読んだり、ラジオを聴いたり、ただぼんやりと時間が過ぎゆくのを感じたり。……そんな時間が私は好きで、だから冬のキャンプが好きかなと思う。あまり人にわかってもらえるとは思っていない。たぶん、お母さんもわかっているとは思わない。それにキャンプの楽しみ方は人それぞれだろうし……と、そんなことを考えていると、スマホが震える。
――リン、またキャンプしてるのー?
メッセージは、斉藤からだった。私は湖畔の写真を返事の代わりに彼女に送る。斉藤は私のアウトドア趣味を知っている数少ない、というか唯一の友だちだった。……斉藤の返信が返ってくる前に、またスマホが振動する。
――リンちゃん、今日は本栖湖のキャンプ?
今度はなでしこから。私は富士山をカメラに収めて、彼女に送る。……最近、私がよくキャンプをしていることを知っている人が増えた。偶然、なでしこと知り合い、学校でも再会して、にわかに交流関係が広がった気がした。
「私がキャンプしてるの知ってたのは、斉藤だけだったんだけどな」
――斉藤と、何がきっかけでよく話すようになったのか、はっきりとは覚えていない。なでしこと知り合ったときみたいな、劇的で忘れがたい出会いというものは実際はひどく珍しいものなんだと思う。もともと人付き合いがあまり上手くない、というかそもそも友だち付き合いといったものに積極的じゃない私が、どうして斉藤のような飄々として人間関係を器用にこなしていく奴と仲よくなったんだろうか。考えてみると、不思議だ。
「斉藤め」
無意識に頭に手を伸ばしている自分に気づいた。今日は少し寝坊したから、髪は結っていない。斉藤には私の髪をいじる癖がある。どこで身につけたのか、人の頭で変なオブジェを自由自在につくる妙な特技を持っている。近ごろの斉藤は、私だけじゃなく、ほかの連中の髪もいじるようになた。被害が拡大している。この前、なでしこや犬山さん、大垣といった野クルの連中が斉藤に人知れず無茶苦茶な髪型にされているのを見た。コミュニケーション力が高い斉藤は、なんなく野クルの人たちとも親しくなり、近しい距離で付き合っているらしい。素直ななでしこがパワーでだれとでも仲よくなってしまうのとはちがって、斉藤はだれが相手でも自然な距離感で接し、相手は彼女に心をゆるしてしまう。斎藤のそういうところ、ずるいと私は思う。
「ちょっと前までは私の髪しかいじらなかったくせに……」
――そう呟いて、思わずハッとする。……こんなこというと、まるで自分が斉藤に構ってもらえなくて拗ねているみたいだ。釈然としない。……気づくと、周囲も暗くなっている。膝下に置いた本の文字も見えなくなっている。ずいぶん長くぼんやりしていたみたいだ。今日はデイキャンプだから、もう帰らないと、何も見えない夜道を帰ることになっちゃう。
「調子狂うな……」
帰り支度を始めながら、私は思い返す。――あれは期末試験前、廊下を歩いていると、家庭科室から賑やかな声が聞こえてきた。見知った声だったので、こっそり覗くと、そこでは斉藤と大垣と犬山さんが、なにやら作業をしていた。遠目からだとよくわからなかったけれど、スキレットをいじっている。アウトドア用具の手入れをしているのかな……と思い、野クルの犬山さんや大垣がスキレットや木皿をあれこれしているのはわかる、でもテスト前にやることかなと若干呆れ、それから、なんで斉藤もいるんだろう、と不思議に思った。――私が知らない間に、斉藤は野クルの奴らとも仲よくなっているのかと気づいた。……そう考えると、無性に何か気に入らなくて、私は家庭科室から踵を返し、まっすぐ家に帰った。なぜ腹立たしいのか、よくわからなかった。ただ、斉藤が気に入らなかった。
(だれとでもすぐ仲よくなる。人たらしめ)
――自転車で、車道を駆け下りる。行きは大変だけれど、本栖湖から身延への帰り道は坂道で、あっという間に麓に降りることができる。鬱蒼とした木々と、木々の隙間を占領する暗闇と、真っ暗な空と、夜空に輝く星と、肌を刺す風を切り裂きながら、私は山を降りていく。またいつもの日常が私を待っている。
斉藤のことを考える。だれとでもすぐ仲よくなる奴。私は何にイライラしているんだろう? ――考えたくない。考えたら、きっと、嫌な結論に至るから。……子どもっぽい独占欲。モヤモヤした曖昧な感情。心を占める、張り裂けそうな、歪んだ、切実な、その感情。その正体を知ってしまったら、きっと取り返しがつかない。だから、私は目をつむる。自分の気持ちに気づかないふりをする。
「あいつのことが好きなんて、絶対、口が裂けても、いってやらない」
心が張り裂けるその日まで、私はいつもの日常とちょっとした非日常を繰り返す。この感情を恋と認めるときが来たら、きっと、私の世界は壊れてしまうだろうから。