403.近江八幡水郷めぐり
9月12日(火)、12人の仲間と近江八幡水郷めぐりに参加する。近江八幡豊年橋から手漕ぎ和舟に乗って、琵琶湖東岸に広がるよし原の水路をめぐる。8人乗りに7人の男性陣が乗り込む。舟頭さんは77歳のおじいさん、といっても我々より若い。
近江八幡駅
豊年橋乗船場
近江八幡は織田信長が安土城を築いたことで有名。その後豊臣秀次が、廃城となった安土に変わり近江の国支配の中心地として八幡山城を築かせたことに始まり、琵琶湖を行き来する全ての船を城の内堀ともいうべき八幡堀に引き入れることで近江国の経済の中心地となり、後の近江商人発祥につながった。乗船場上へ行くバスの車窓から、昔ながらの町屋の並ぶ風景やヴォ―リスの建物が見ることができた。
和舟
船着き場には20そうほどの和舟がつながれていたが、この日のこの時間帯には我々12名以外客の姿は見えない。定期船もあるが我々は貸し切りである。人数がそろえば貸し切りが安上がりである。
乗船
船は八幡掘からよしの生い茂る湿原を進む。高さ2~3mあるよしで外界の様子はわからないがよし原や田んぼが広がっているのだろう。舟頭さんが、干拓で小さくなった西の湖、野焼き、雪景色、司馬遼太郎「街道を行く」の水郷めぐりなどの説明をする。マングローブのようなよしの根元の仕掛け、時々現れる大きな木は柳、水面にたたずむサギ、カイツブリ、蛇も泳いでいる。ゆったり進む舟にそよ風が気持ちいい
舟頭
よし群生
仕掛け
ダイサギ
いくつかの橋をくぐって大海に出てきた。干拓で残された西の湖である。前方はるかに伊吹山、右手は鈴鹿連峰、東に安土城跡、きぬがさ山を望む。
西の湖
ここまで約1時間。帰路は別ルート通る。新しく移転されたヴォーリス記念病院、もとは結核療養所であったという。北之庄沢を守る会」の看板が目立つ。北之庄町の有志で設立され、現在はゴミ収集・清掃を始め自然豊かな沢にするための活動を行っているそうだ。 それでも西の湖の水辺にペットボトルなどの散乱が目についた。後続の舟が見えなくなったのは座礁したのだろうという。深さは1m~2m、舟頭の腕のみせどころである。
西の湖から帰る
よし原を進む
女子組
男子組
約2時間の船旅であったが、舟中で自由が利かず足がしびれ、下船に手間取った。子供の頃に故郷の沼地で手漕ぎ舟に乗せてもらったことがあったが、実に75年ぶりの体験であった。安土城跡や市内観光めぐりにもう一度訪れたい街である。
下船
約2時間、水郷めぐりを終わる
水郷めぐりルート(GPS軌跡)
近江八幡駅
豊年橋乗船場
近江八幡は織田信長が安土城を築いたことで有名。その後豊臣秀次が、廃城となった安土に変わり近江の国支配の中心地として八幡山城を築かせたことに始まり、琵琶湖を行き来する全ての船を城の内堀ともいうべき八幡堀に引き入れることで近江国の経済の中心地となり、後の近江商人発祥につながった。乗船場上へ行くバスの車窓から、昔ながらの町屋の並ぶ風景やヴォ―リスの建物が見ることができた。
和舟
船着き場には20そうほどの和舟がつながれていたが、この日のこの時間帯には我々12名以外客の姿は見えない。定期船もあるが我々は貸し切りである。人数がそろえば貸し切りが安上がりである。
乗船
船は八幡掘からよしの生い茂る湿原を進む。高さ2~3mあるよしで外界の様子はわからないがよし原や田んぼが広がっているのだろう。舟頭さんが、干拓で小さくなった西の湖、野焼き、雪景色、司馬遼太郎「街道を行く」の水郷めぐりなどの説明をする。マングローブのようなよしの根元の仕掛け、時々現れる大きな木は柳、水面にたたずむサギ、カイツブリ、蛇も泳いでいる。ゆったり進む舟にそよ風が気持ちいい
舟頭
よし群生
仕掛け
ダイサギ
いくつかの橋をくぐって大海に出てきた。干拓で残された西の湖である。前方はるかに伊吹山、右手は鈴鹿連峰、東に安土城跡、きぬがさ山を望む。
西の湖
ここまで約1時間。帰路は別ルート通る。新しく移転されたヴォーリス記念病院、もとは結核療養所であったという。北之庄沢を守る会」の看板が目立つ。北之庄町の有志で設立され、現在はゴミ収集・清掃を始め自然豊かな沢にするための活動を行っているそうだ。 それでも西の湖の水辺にペットボトルなどの散乱が目についた。後続の舟が見えなくなったのは座礁したのだろうという。深さは1m~2m、舟頭の腕のみせどころである。
西の湖から帰る
よし原を進む
女子組
男子組
約2時間の船旅であったが、舟中で自由が利かず足がしびれ、下船に手間取った。子供の頃に故郷の沼地で手漕ぎ舟に乗せてもらったことがあったが、実に75年ぶりの体験であった。安土城跡や市内観光めぐりにもう一度訪れたい街である。
下船
約2時間、水郷めぐりを終わる
水郷めぐりルート(GPS軌跡)