帰郷への羽ばたき | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 私たちは、この人生の旅を終えたあと、魂のふるさとへと帰っていきます。

 その、ふるさとに向かって羽ばたいていく力というのは――、生きている間に「私自身」のことをどれだけ愛したのか?――、その愛の大きさにかかっているといえます。

 「私自身」への愛が大きければ大きいほど、より速く、そしてふるさとの深奥へと、戻っていくことが可能になるのです。


 魂のふるさととは、すなわち、「真の私」の源のこと。

 「私自身」を愛することは、「真の私」を希求することを意味します。


 そうして、生を終えたあと――

 私自身への愛が求心力となり、
 私自身への愛に導かれていく。


 自らを愛するそのハートの感覚や香りを手がかりに、自らが帰るべき原点へと向かって、遡上していくのです。


 もし、愛のエネルギーが不足していると、途中で迷子になってしまうかもしれません…。

 私自身への愛の大きさは、今こうして生きている時間にしか高めることができないものです。


 私たちはいつも、魂にとって特に重要なこの問いに直面しているのです――

 「いま、どれだけ私自身のことを愛していますか?」




 結びのヒーリング・ミュージックは、Oöphoi & Louisa John-Krol「A Vessel for Michael」。
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コメント
8738
シャングリラからの伝言
魂の源についての記事を書き終えて予約投稿。
引き続き、シャングリラからの伝言(映像)を見ていて、
ページを展開させたら光奈さんの更新記事が……。

今回、光奈さんにしては珍しいテーマですし、
内容もシンプルで、どこか超越していていいですねぇ。


『わたし自身への愛の大きさ』について、
私の場合は、ここ数年が最大かも?と思っています。

泣いたり笑ったり、腹を立てたり怒ったり……。
未だにエゴと仲よくはしていますが、
そんな自分を、そのまんま、愛せるようになりました。

自分で、理想の自分を思い描いても、
言葉や行動が追随しなければ意味がありませんもの。

地球人やってる間は、エゴと二人三脚でいい。
この世界が『幻想』だと知ってはいても、
日々の出来事を楽しんでいる。
そんな自分が、今生では最高って感じです。

いつも深いテーマを共有させて頂き、
本当に感謝しています。(*^^*)



8740
光奈さん、こんばんは^^

記事の一番上にある絵をぽけーっと見ていると、私には、風を感じるというか、その空間全体がこちらに迫ってくるような感じがしました。

共に空を翔けたくなるような素敵な絵ですね!


8741
きっと私は人から見ると変わっている人間に見られていると思います。でも構わない。常識人であるかどうかはわかりませんが、こんな自分が一番好きですね。どこまで自分らしく生きられるか。それはどこまでこの世にこういう風に生まれたことにありがたいと思っていきていけるかだと。27歳の時に、「自分で命を絶つことだけはやめよう」と誓ってからなんかものすごく自分を大事にしようと思っているようです。生きるって大変だけれど、楽しいです。今、素直に思う。どんなこんな変わった人間はどんな最期を迎えるのでしょうか。楽しみにしています。

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風子です
うっかりmax111873……風子です。すみません。

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光奈さん、こんにちは。拍手で大好きなドクダミの花、出ました!

色々なこと(良いとは言えないことも)が起きています。
そのことに対して、動揺しない私がいます。
過去の決断や成り行きが幸いなことだったのだとも思ったりもして。

何かが起きると、自分の本心がわかりますね。
意外な自分の本心にびっくりしたり。

人から良く思われたい。この思いは強いですね。
それで身動きがぎこちなくなり、本当の私が小さくなります。

自分を愛することを最優先にしたら、他人は気になりませんよね。
本当にやりたいことをやった時のように。

自分を心から愛して、他人も同じように愛せるようになるための
途上にいる私なのでしょうね。

何があっても私は幸せなのだ。その思いは確固たるものです。

8745
風子様

 こんにちは!

 いいですね。
 さまざまな感情や思いも含めて、そのままの自分を最大級に愛することは、本当に素敵だと思います!

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真知子様

 こんにちは!

 絵に風を感じられるって言っていただけて、とてもうれしいですね。

 あまり関係のないことですけれど…
 絵の中のものがこちらに飛んで来るように見えるか、向こうに飛んで行くように見えるかの心理クイズについて、過去記事で書いたことがあります。

http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-183.html

8747
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 どんな人生でも、自分に愛されながら最期を迎えられることが、いちばん素晴らしいだろうなと思います。

 ある意味で、そのような最期を迎えるために、ここに生まれてきて、こうして生きているくらいに言っても、言い過ぎではないのでしょう。

8748
あおむし様

 こんにちは!

 全員が全員ではないでしょうけれど、こうしたブログを読む人って、放っておけば自分のことをそっちのけで、他人のことばかり考えてしまうタイプの人が多いと思います。

 「ちょっと自分のことを優先しすぎでは…」と感じるくらいで、ちょうどいいバランスかのかもしれませんね。


 アニータ・ムアジャーニさんのこの言葉は、とても言い得ていると思います――

 「『自分自身への愛』が強すぎる、ということはあり得ないのです。利己主義や自分勝手との違いはどこなのかと尋ねてくる人もいますが、利己主義は『自分自身への愛』が足りないために起こることなのです」

8749
こんにちわ^^
さて、人(命)の本体は電波の如き波動で、目には見えないが存在する。
あらゆる命の波動が世界を動かし、誕生も死も、目に見えるありとあらゆる現象を司る。
と、聞いた事があります…えぇ、一匹の虫でも思念はあります。良くも悪くも人(生命)の思念による。
人が見ているテロも戦争も、電波の如き命の本体が具現化したもの…なので全ての生命が消滅すれば世界は穏やかになる(笑)

8751
故郷へと帰郷するものばかりではないと思います。

前回の記事の孔子ですが、こういう捉え方もあるのではないでしょうか。
政治家になり制度を変えようと人の魂の奥にまで入り込んだ世界の毒は取り除けない。
人の寿命に比べ天(世界)の寿命のなんと長いことか。
制度を変え、国を変えてもいずれは滅ぶ。
国は滅んでも人は生き続ける。
ならば、人そのものを変えることにしよう。
と。
そして死ぬときにはこう思ったのでないでしょうか。
「さぁ準備は済んだ。お前が変わるのに何十年かかる?
いいぞ、何十年だろうと何百年だろうと相手になってやる。
お前が変わるのが先か、人の中から私が消えるのが先か。
少し永いケンカをはじめようか。」
と。
そして故郷へ帰ることを忘れいまだに世界とケンカをし続けている。

現実には意味のないことという意見に、孔子の話を使い世界を変える側ではなく人の中身が変わればそれでいい。正解を教えるのではなく正解へとたどり着けるようにする。私とこのブログはそういう側だ、と斬りかえした誰かのように。

それを見ていて何となく仕事人(東山版)を思い出しました。
ちょっとだけ本気で相手の眉間に刀を突きつけながら、相手が実力に気づく、もしくは、参った、というより前にふざけた態度で元のダメ役人の作り笑いに戻りその場をやり過ごすみたいな。

そして、自分が退屈を忘れるほど退屈に慣れてしまっていたのだと気づかされました。
孔子の話を読んだとき、思い出しました。
時代劇とかでよくある、嬉しそうに刀に手をかける時。
そんなときの感覚を。

そのうちコメントという形で斬りかかることもあるかもしれませんがその時をお相手してくれればありがたいです。
参った狙いの寸止め威嚇でなく、読んだ相手を切り伏せる記事期待してます。

8757
sado jo様

 こんにちは!

 地球上の生物だけでなく、星々の生滅など宇宙全体のいとなみもまた、同じ生命の活動なのでしょう。

 その生命のおおもとには、ひとつの根源的な波動があると言われます。
 きっとその波動が、さまざまな面で無常な(単純に穏やかではない)世界を現したいのでしょうね。

8758
野良猫様

 こんにちは!

 孔子が生涯で至ったのは――、
 「六十にして耳従う(他人の意見に反発を感じずに素直に耳を傾けられるようになる)」
 「七十にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず(自分の思うがままに行なっても正道から外れない)」

 ――ということですから、それほどややこしいことは語ってないし、ましてや「ケンカ」とか「斬りかかる」なんていう発送は皆無だったと思いますよ…。

8762
心にしみるお言葉です。

8764
はじめまして
「フレデリックとアリとキリギリス」について検索していたらこちらのブログに辿り着きました。
迷惑についての記事も読まさせていただきましたが、私が漠然と思ってることが書かれて(適切な言葉で)いたので嬉しくなり、ついコメントしてしまいました。
これからもブログ拝見させていただきます☆

8765
テレパシックコミュニケイト様

 有難うございます!

 また何か感じるものがありましたら、ぜひコメントください。

8766
にゃんちゅう様

 初めまして!

 大人で絵本を読むという方は、僕はとても好きですね。
 『フレデリック』を読む人はなおさらですし、しかも「フレデリックとアリとキリギリス」で検索してみるタイプの人とは、きっと相性がいいと思います。

 おそらくほかの記事も、面白く読んでいただけるのではと感じます!


 「迷惑についての記事」というのは、以下のことでしょうか。
 本当に大切な視点だとずっと思っています。 

http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-311.html

9445
Mitsuna さん こんにちは、お久しぶりです。 
いつもは携帯で立ち寄らせていただいていますが、
めずらしくpcでお伺いしています。

Mitsuna さん お元気でしょうか?

此処にお伺いすると、思っていないページにポンと飛んでほんとにぴったりとする言葉を発見する、ということが今までもよくありましたが、今回もそのようになって、偶然のことでこのページが最初にでてきて、
此処で、今の私に重要なことだと気がつきました。
また今度も、光奈さんには感謝しています。

言われても言われなくても状況は変ることは無いのですが、私は、基本的に誠実に出来るだけのことはすると心がけているのですが、好きでかって気ままにしている近い身内からの甘えからくる耳障りで心が苦しくなる言葉使いが、最近増えてきだしていることに、ときどき困っています。
前からこんな人じゃなかったのに・・・

>「私自身」を愛することは、「真の私」を希求することを意味します。


> そうして、生を終えたあと――

> 私自身への愛が求心力となり、
> 私自身への愛に導かれていく。


> 自らを愛するそのハートの感覚や香りを手がかりに、自らが帰るべき原点へと向かって、遡上していくのです。

思いを支えられたら、心からだいじょうぶな感じになれると信じて変って行けます。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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