夢のような美しい幸せなところ | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 先週はめずらしく、色んな予定が盛りだくさんの日々を過ごしたので――、
 気持ちのいい秋晴れの日曜日に、ひさしぶりに趣味の「河川敷ウォーキング」に行ってきました。荒川沿いを、いつもより短めの10kmほど。


 それにしても、自分はどうしてこうも大きな川沿いを歩くのが好きなのか、僕自身いつも不思議に思う…。

 延々と続く一本道を、何も考えずにひたすらウォーキングすることで、内的エネルギーが浄化されるような「心地よさ」があることは、大きな理由の一つだ。

 そしてもう一つが、河川敷から眺める「景色」である。
 大きな川の近くで生まれ育ったわけでは全然ないのに、なぜか胸の奥深くに染み入るような「なつかしさ」を感じるのですよね…。


 これは以前にも書いたことがあるけれど――
 川の「こちら側」の街も見渡しても、見た目どおりの当たり前の市街地にしか見えない。
 特にぱっとしない、即物的な住宅や、店や、会社のビルとかが立ち並んでいるだけだ。


 ところが、川をはさんだ「向こう側」の街のほうを眺めると――、
 自分自身の記憶を超えた、ものすごく根源的な「なつかしい世界」が広がっているように思えてくる…。
 現実的な表層部分とはどこか違う層が、透けて目に映っているような感じさえする。


 そして、遥か彼方にかすんで見える建物の、小さな窓の一つひとつの中に「人々のいとなみ」があることを思うと――、何とも言えないほどの「いとおしい気持ち」が心の奥底からわき上がってくる。

 もしできれば、そこにいる見知らぬ人たちのところへと飛んで行って、その人がどんな暮らしをしているのか、実際に見届けてみたい――
 さらにその人が、たとえどんな状況で、どんな気持ちで生きていたとしても、それをすべて肯定して祝福してあげたい――
 なんていう、ちょっと現実離れした理不尽な思いに包まれていく…。


 で、先日に読んでいた本の中で、いわゆる意識の目覚め(一瞥)を体験した人が、その感覚をこのような表現で振り返っていた――

 「その後もときどき、ふだん思いがけないタイミングで至福のときを体験している。喜びと、畏敬と、信仰と、愛に圧倒され、涙があふれてくる。
 それはある種の郷愁、『どこかにある故郷を思う気持ち』のような感覚というのが、それを表す一番近い表現ではないかと思う。まるですでに知っている、夢のような美しいその幸せなところに戻りたいと願うような感覚なのだ」――


 これを読んで、「あぁ、それそれ!」という感じがした。
 まさに、「どこかにある故郷」「夢のような美しい幸せなところ」、なんですよね。

 僕自身は、一瞥などの特別な体験はしたことはないけど――、体験者がそのときの感覚を思い起こすのにやや近いような感じで、僕は河川敷へとつい足を運ぶのかな…、なんてふうにも思います。


 同じように、人それぞれに、「どこかにある故郷」「夢のような美しい幸せなところ」の感覚が不思議と呼び起される場って、きっとあるのでしょうね!



結びのヒーリング・ミュージックは、Kip Mazuy「Water Falling」。
  ☞ コメント:22

 
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コメント
8670
良いですね~♪
河川敷の絵!良いですね~
このような絵が一番楽しいです。
絵の中で遊べます。
というのも、遠近感が良いのです。
遠方に何が有るのかなと考えられます。

左側の町も良いですね。
遠方に煙突や、塔があると想像が膨らみます。
その理由でユトリロが好きです。

8673
確かに……。
エジプト、メソポタミア、インダス 、黄河文明……。
四大文明って、世界の川沿いに起きていますよね。

根源的な「なつかしい世界」に思え、
それが透けて目に映るようだと、過去生で、
広大さんが愛した場、風景なのかもしれませんね。

大自然が奏でる音もですが、香りや、音楽などは
遠い昔の記憶を、呼び覚ましてくれることが多いですね。
(今生とは限らない)
それらと共に押し寄せる「愛おしい気持ち」って、
よ~く解ります。

17歳の頃、空しさに似た孤独感に苛まれ、
『どこかにあるはずの故郷を思う気持ち』が、
結果的にスピリチュアルの入り口になりました。

日常のふとした瞬間に、
今もフラッシュバックが起ります。
広大さんがおっしゃるように、
『表層部分とはどこか違う層が、透けて目に映っている』
ように、です。

風景の記憶や感情って時空を超えるんでしょうね。
自身の内部に息づき、他者の意識と共振するのかも……。( ◜◡‾)(‾◡◝ )

8675
イアン様

 コメントを有難うございます!

 自分の心象風景の美しさに比べると格段に見劣りしてしまうため、絵をアップするのを少々ためらったのですが…。
 そのように評価いただくと、とても嬉しいです!

 言い当てて下さっている通り、左側の遠くにある小さな白い建物が、この絵のほぼすべてと言っていいくらいです。竜の絵の目みたいなものです。
(本文に書いてあるのとは違って、位置としては川の「こちら側」にあるのですけど…)


 僕も、風景画にざっと描かれ遠景を、目を細めて眺めながら想像するのが、とても楽しいですね。

8676
風子様

 こんにちは!

 確かに、音や香りでも、同じような感覚が起こることがありますね。
(スメタナの「交響詩 モルダウ」の最後の最後に弦楽器が奏でるメロディーなんか、胸が締まるくらいとてつもなく懐かしい感じがします。考えてみたらこれも川を表現した曲だな…)

 きっと、この世の生を終えたあとに、「あぁ、これのことだった」と分かるのでしょう。

8677
こんにちは。
とてもきれいな絵ですね~。
川の水が澄んでいて
静かに流れている水の音が聞こえてきそうです。

「どこかにある故郷」
川の向こうの遥かな懐かしく美しい場所・・・
子どものころを思い出しました♪
川っていい遊び場ですよね。(危険もあるけど)
素敵な絵、ありがとうございます。
広大さんのブログ、
楽しませて頂いてます♪

8678
きなり食堂、おか~やん様

 コメントを有難うございます!

 荒川の水は濁っているのですが、秋の澄んだ空をそのまま映して、まるで川を青で塗ったように鮮やかなんですよね。

 季節ごとに、見応えのある美しさがあります。

8679
いつも、拝見させていただいていますm(_ _ )m
ご挨拶がおくれました、まわいとめゐと申すものですm(_ _ )m

その気持ちというか、
それが自身のブログのタイトルになり、
それを求めて帰るために日々、
いろいろとしております

私も、その理不尽な感情を時折感じます
泣きたいほどに感謝し
胸あふれる思いを抱く時があります

…(^▽^;)、ま、病気なんですけどね(^▽^;)

と、すいません、おやすみなさいませ(^▽^;)!

8682
まわいとめゐ様

 コメントを有難うございます!

 素敵なブログですね。
 まさに私たちは、帰る旅、帰っていくための経験を、いましているのだと思います。

8685
「いとおしい気持ち」わかる気がします。若い頃、名所、旧跡でもない、道をあるくと、出会った家ごとに、それぞれのいとなみや、生活のにおい、にいとおしさを感じました。間違ってバスを降りて、そんな気持ちに出逢うのが楽しかったのを思い出しました。(今は、時間とおっかけっこをしていますが、もっとシンプルに生きたいと思いながら・・・。)

8686
田中志昂様

 コメントを有難うございます!

 見知らぬ土地で不思議な懐かしさを感じることって、確かにありますよね。

 十年ほど前に仕事でベトナムに行ったとき、何気ない路地で、そんな強烈な感覚に包まれたことがあります。
 家々の空気や、行きかう人々が、どういうわけかどれも懐かしい…。

 かなり高齢のおじいさんが、赤ん坊を抱いて窓辺に立ち、澄んだ眼差しでじっと遠くを見つめていた姿が、今も深く心に焼き付いています(実際にその情景を見たのは、ほんの数秒間なんですけどね…)

8687
遠くから見るというのは
それだけで何か、意識が変わるのかもしれないですね。

近くで見れば、ぱっとしない即物的な家や店やビルに見えるのに、遠くから見ると違った風に感じる。
地球を外から見ると非常に感動するそうですが、それもきっと同じでしょう。
死んで、或いは生まれる前に、離れた状態でこの世界を見たら非常に愛おしさを感じるのかもしれないですね。
生まれてしまうと、「ぱっとしない」「即物的だ」「ろくでもない」とか考えがちですが・・・。





8688
イギリスの田舎町へ旅行に行くことがすきです。博物館とか有名な遺跡とかたくさんある国なのに、なぜか興味がなく。だから、ツアーとかでは飽き足らず個人旅行になってしまうのですが。でも、どうして自分はそういうところに惹かれるのだろうと明確な答えもないままでしたが、やっとわかりました。というか、同じ感性なのだと思います。
......
 遥か彼方にかすんで見える建物の、小さな窓の一つひとつの中に「人々のいとなみ」があることを思うと――、何とも言えないほどの「いとおしい気持ち」が心の奥底からわき上がってくる。  ......
言葉も文化も違う、ぜんぜん知らない人々のいとなみを愛おしく思う気持ちだったんですね。何を食べて、何を見て考えて、明日は何をするのか...すごく寄り添いたくなってしまうのです。ただ、そこへ旅行に行ったからといって一緒になって話ができるわけではないので、ただただ思いを馳せるだけなんですけど。
なんか、読ませていただいていつもほっとする自分があります。ありがとうごぜいます。

8689
  私の周辺では良くシンクロ現象が起きます。
今朝は二つありました。

1.霊的な世界に興味を持つことの危うさ
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1312-02.html
 これは、謙虚で心霊現象に疎いという広大さんには関係ありません。
〔要旨〕
 霊的なことに関心を持っているから「魔」に魅入られるのではなく、既にやられてしまっているからそのようなことに目が行き、心が向くようになるのです。
 「我こそは救世主なり」等と決して思わないこと。それこそが偽神(邪神、魔)達の囁きなのです。
謙虚であることが何よりも大事。守護霊の導きを信じて、全肯定、全感謝、全托。

2.夢を追わない
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12101772245.html
 これはオレンジャーから広大さんへのメッセージです。
〔要旨〕
 夢とは、自分だけのために見るものではない。
人の幸せを願い、人の笑顔を生み出すために見るものではないか。
それをただ想うだけではなく、1日1日を大切に生きて、そこに一歩でも近付いて行く姿勢。そこに君達の成長がある。


8690
魂の帰還
光奈さん、こんにちは^^
私も以前、仕事帰りにたくさんの窓の明かりが灯った高層マンションを、ゆったりした気持ちで見上げながら歩いている時、まさにその、『小さな窓の一つひとつの中に「人々のいとなみ」があることを思うと――、何とも言えないほどの「いとおしい気持ち」が心の奥底からわき上がってくる。』という感覚を味わいました。
(こういうのを「共振」?「共鳴」っていうのでしょうか?それとも「同期」?)

そのときの感覚は、なんというか、親心とでもいいましょうか、校庭で遊んでいる子どもたちを温かく見守る校長先生の目線とでもいいましょうか
もしかしてお釈迦様は、天上から、こんな感じで地上の人間の日々の様子を慮ってくれてるのかもしれないなぁ、と思いました、


それはさておき、私も、自然を見ながらお散歩をするのが好きなのですが
半年ぐらい前でしたか、とてもリラックスした状態で歩いている時、ふいに、「私は今、かつてないほど、とっても自由な時代に生きているんだ!全くもって自由なんだ!!」という喜びの感覚が溢れてきたことがありました。
それは、ちょうど圧縮ファイルがポンとダウンロードされて、瞬時に解凍されたような、それに関するいろんな状況や情報などが「一瞬で理解できた!」という感覚。

どうやら私の前世で、自分が望まない結婚を強いられたとか、ある人と深く愛し合いながらもまわりの反対に合い 結ばれずに無念のうちに死んでいったとか その他いろいろな「制約を受けた恋愛」にまつわるまわりの圧力に苦しみ続けていた時代が何度もあったらしいことが 根拠はありませんが自分自身の中では確信として理解できました。
そして、この人生で、ようやくこの時代に生まれてきて、今までのどの人生よりも「自由」なんだ!と感じて、そのことに、今こうしていられることに、深い歓びと感謝を捧げずにはいられませんでした。

昔、私は前世を知りたいと思っていたことがあって、ヒプノセラピーやヘミシンクなどに興味を持ち、CDや書物などを買って読んだり聞いたりしていましたが、いまいち本格的に過去世への旅を試す気持ちにはなっていませんでした。

でも、そういうリラックスした状態で歩いていたりすると、ふとした瞬間にそういうふうに、「何か」を受け取ることができたりするのかもしれません。
そのときの「啓示」のようなものは、たぶん、ずっと前に宇宙にオーダーして(過去世を知りたい!というお願い=注文)いたものが ちょっと間をおいたものの、ある日、予期しないときに突然届いた、みたいに。

前置きが長くなりましたが、つまり、光奈さんが心惹かれる風景と、
そこをゆったりとお散歩するという行為は 
たぶん、光奈さんの魂が 遠い記憶を呼び覚ますために必要な「アクション」なのだよ、と
誰かが(あるいは、光奈さんの心の声が)教えてくれているんじゃないかと思います。

理由はないけど、なんか、ついこうしたくなっちゃうんだよな、とか
これをしていると、(これを見ていると)心が落ち着くんだ、とか
そういう「感覚」って きっと何かが 光奈さんをどこかに(光の国に?あるいは悟りに?)導いてくれているサインなんじゃないかと思うんです^^

素直に、自然に湧き上がってくる欲求に従って行動すると
何か次の扉が少しずつ開いて、新しい世界が見えてくるのかも♪
(ただし、決して期待しないことがポイント=近道なのだそうですけどね^^)

これまでいろんな「秘密の花園」をお散歩・探検してきた光奈さん、
そのドアの先にはさらに、どんな風景が拡がっているか楽しみですね♪



8692
Clary Sage様

 こんにちは!

 なるほど、この世界の全体を遠くから見たら、何とも言えぬいとおしさや美しさを感じることでしょうね。

 そうして天上界から眺めているうちに、「自分もそこに行って、その一人として生きてみたい!」と願って、転生するのかもしれないです。

8693
nagarerukumo様

 こんにちは!

 外国に行ったときこそ、なお強くそんな思いが湧いてくるのかもしれないですね。
 人々がどんな暮らしをしているのか、日本にいるときのようには想像できないですし。

 村上春樹の旅行記「辺境・近境」の中で、中国とロシアを行き来する行商人の親子と寝台列車で乗り合わせたときの様子が、このように綴られています。
 この気持ち、よく分かりますよねぇ…


 「僕らがハイラル駅で降りるときも、彼らはまだ熟睡していた。降りるときに僕はこの人はこれまでいったいどんな運命をたどってきて、これからいったいどういう運命をたどるのだろうとふと思った。そしてこのまま満州里まで、そして国境を超えてロシアまでずっと彼らのあとをついて行って、彼についてのいろんなことを見届けたいという願望に襲われた。
 でもそんなことができるわけがない。僕はあきらめてハイラルで列車を降りた」――

8694
666様

 こんにちは!

 そうなんですよね。ブログを書いていると、僕もシンクロ現象を感じることが本当によくあります。
 見えない形で、多くの人の思いとつながっているからなのでしょうか。

 1日1日を大切に生きる――。本当に大事なことだと感じます。

8695
じゅりあーの様

 こんにちは!

 そうそう、緑の中を散歩しているときなどにふと、わけもなく「人生や世界のすべてが大丈夫」に感じる瞬間ってありますよね。

 「理解」というのとも違って、わざわざ考えたり証明したりする必要もないくらい、当たり前に大丈夫に思えます…。

 余計な疑いや迷いが抜け落ちた、それこそが実は私たちの「自然な感覚」なのかもしれないです。

8696
彼岸という言葉も、川と関係あるんでしょうね。三途の川なのでしょうが。異次元への境界に川があるのでしょうね。また、ふるさとには必ず川の光景が浮かんできますね。いつもいつもどこまでもどこまででも川が流れていますね。銀河の果てまでも。川とは時間の流れの象徴なのかもしれません。なんかふと浮かんだことを書きました。

8698
こころにある遠い記憶

夢のような美しい幸せなところ…ではないのですが
僕にもそんな記憶があります。
人それぞれにそういった風景や記憶があるものですね

いとおしい気持ちがわき上がる…そんな時は、今回の絵の様な
清々しい爽やかな光りに包まれているのでしょうね。
素敵なテーマをありがとうございました。


8699
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 日本の死生観では、川はあの世とこの世の境界にあるものですよね。

 古代エジプトでも、ナイル川の東側に生きる者たちの都市が築かれ、西側には「王家の谷」などの墓群があります。

 全世界的ではないものの、川にはそのような象徴的な意味があるみたいですね。

8700
daru様

 こんにちは!

 何十年も前の古い写真を見ると、その辺の街の風景や、人々の表情、家の中の雑貨までもが、とてもいとおしく映ります。

 当時は当時で、一人ひとりが色々な悩みや問題を抱えていたのだろうけれど、それもみなOKという感じで…。

 
 いま現在のこの日常の場面も、やがてはそうなる――、というより、最初からすべてがいとおしくてOKなものなのでしょうね!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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