思うままでない完全性 | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 いや、いや…
 これほど何日間もブログの更新できなかったのは、開設から3年半で初めてのことです。

 手を付けられない状態のまま、いったい何をしていたのかというと――、
 実に平和なことに、息子の通う高校のPTA役員の仕事で日々奮闘しておりました…。


 PTAの活動がずいぶん熱心な私立校で、秋の学園祭・体育祭には、父母が屋台でおよそ1000人分の「焼きそば」とか「唐揚げ」とか「フルーツ・ポンチ」とかをいろいろ作って販売している。

 その収益が毎年200万円ほどあって、それを学校に寄付して生徒の部活動(主に遠征試合の交通費など)に役立てられている。
 何億円ものプール金が問題になった大阪の有名校の財力とは、まったく比べものにならないけれど…。


 僕が担当したのは、参加できる父母の手配や、会計管理などだ。そのためこの2週間ほど、パソコンに向かう時間があれば、ひたすら書類をまとめたり、次から次へと連絡のメールを書いたりと、やたらとあわただしくなってしまった。

 せっかく前回のブログ記事で、「無為」とか「暇」をテーマにしたところなのに。
 こういうのは、本当に言ったとおりにはいかないというか、世の中そういうものというか…、面白いところですね。


 そうしていま、やっと一連の行事が晴れて終わり、これからは平常運転に戻れます。

 ただし、「晴れて終わり」というのは言葉のあやであって、本当はぜんぜん晴れて終わらなかった…。


 先々週に行われた学園祭は、幸いにも、暑いくらいの好天に恵まれた。

 一方、先週土曜に予定されていた体育祭のほうは――、前日にずっと降り続いた雨のせいで、グラウンドが使用不能のため日曜に順延。
 しかし、日曜に参加可能な父母の人数がけっこう足りなくて、バタバタで再招集をかけた。

 すると、多くの人が気をきかせて都合を付けてくれて、何とか予定通りの人数をそろえることができた。本当に有り難いことです。
 グラウンドもきれいに乾いて、役割分担なども組み直し、あとは当日を待つばかり。


 ところが、こともあろうか――、日曜の未明に局地的な大雨が降り、グラウンドがふたたび水浸しに…。
 勤続30年の先生が「こんなのは初めて」というような状態で(多少の雨でも例年は何とか決行した)、けっきょく体育祭は、さらに月曜に順延することになった。

 さすがに月曜は、父母がほとんど出られない。
 屋台用に納品された1000人分もの食材は、肉・野菜などの生ものが多くて、返品が効かない。

 で、結局どうしたかと言うと――、作れるものは全部作り、この日に200人ほどの生徒が準備・練習のために登校してきたので、その子たちに無料で配ることにした。

 高校生の胃袋というのはやはり恐るべきもので、焼きそばとフランクフルトをそれぞれ3人前ほど平らげたのち、さらにうどんは「別腹」という感じに、次々とお腹に収まっていく。
 何割かは仕方なく廃棄だろうなと思っていた食べ物の山が、見る見るはけていく。そのうち「大食い選手権」の調理場みたいに、作るほうが追い付かないほどになった…。

 前回記事で「不食」をテーマにしておきながら心苦しいのだけど…、若い子たちが満面の笑みを輝かせながら、食べきれないほどの食事をどんどん口にしている姿というのは、見ていてとても痛快でうれしいものです。

 そうして見事、1000人分のメニューを200人の生徒が、きれいに完食してくれた。


 で――、本来は売り物になるべきものを、そんなふうにタダで配ったのだから、今年度のPTAの会計は「大赤字」になったと思うでしょう。
 ところが閉めてみたら、何と前年比で数万円のプラス!…

 前週の学園祭の屋台の売り上げが、天気が良くて人出も多く、例年になく好調だったからだ。


 そうして終わってしまえば――、不順な天候に振り回され、色々と計画・手配してきたことがすべてパーになってしまい、その対処にあわてふためいたときの混乱した気持ちは、一体何だったのだろうという感じ。

 結果的にはまさしく、「すべてよし」という形になったわけですしね…。


 つくづく痛感するのは、起こる出来事に対して、私たち自身には本当に「コントロール権がない」ということだ。
 とくに局地的な大雨なんて、誰にもどうしようもできない。

 でも、思いのままに進むことが何ひとつなくても、最終的には「すべてよし」といえるような、最適・最善な結果がもたらされる――
 こういうのが、この宇宙の完全性なのだなと、あらためて感じさせられる。

 もちろん、たとえ最善に思えないようなものであっても、それもまた宇宙の完全性の現れに違いないのでしょう。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Neil H.「Divine」。

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コメント
8216
こんばんは。

面白いですね。
色々なことがあって最後は全てよし、となる。
思うと、毎日の小さな事でも様々な人達が関係して
完全性を現そうとしている・・・

一陣の風が吹く事でも様々な事が関係しているのだとか・・
宇宙の営みとは摩訶不思議なものですね。
コメが抽象すぎてすみません・・・

学園祭、体育祭もお疲れさまでした。


8217
お疲れまでした。コントロール権はないけれど、予想できないことにワクワク感はあるし、意外は発見を楽しむことができます。コントロールできないからこそ楽しいのかもしれません。操縦不能となったら困りますがね。落ち着くところに落ち着くという感じでしょうか。落ちるのではありませんよ。

8218
お疲れ様でした

ドタバタでしたね!
でもこういうドタバタの思い出の方が、順調に終わった思い出より後々まで心に残り、笑話になって心を和ませる潤滑油になる事もあるんでしょうね。

8219
daru様

 こんにちは!

 まさに私たちは、精妙な曼荼羅の中の、砂ひと粒という感じでしょう。

 でもその曼荼羅全体がこそが、「私」そのものでもあります。

8220
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 コントロールも予想もできないからこそ、経験が楽しいというのは、本当にそうです。

 一方でまた別の見方で――、コントロールや予想に意味がなくて、どのような経験に感じられようとも、すべてが宇宙の完全性の現れであるとすると…、
 そもそもコントロールしようとしたり、経験者としての自分の存在自体が、実は「無」なのではないか、という考え方もできてしまいます。

 これもまた重要なポイントかなと思います。

8221
焼ソバ食べたい様

 こんにちは!

 こういうドタバタだからこそ、ブログのネタにもなるわけですよね…。
 「順調に終わりました」では、読み物としてはあまり面白くないでしょうし。


 ドタバタとは違うことですが、球聖と呼ばれるゴルファーのボビー・ジョーンズのこの言葉はとても好きです――

 「私は、勝ったゲームから、まだ何ひとつとして教えられたことがない。私が学んだのは、常に負けたゲームからだ」

8222
こんにちは。
すごくすてきなお話ですね。なんか当日のドキドキが伝わってきます。人間らしい温かさを感じます。きっと、どうしようもない自然の力と向き合いながら、でも、私利私欲なく純粋にわが子のために寄り添おうとする保護者の方々の姿があったからなのだと思いました。
いつもありがとうございます。

8223
いつも読ませて頂いてます
ありがとうございます
しばらく更新していらしゃらなかったので
どうしたのかなと思っておりました
お疲れ様でした
日常の生活は普通に続いてそれに対処しなければなりませんよね
学校のお手伝いとか町内会とか・・・・・
今私は息子が学校に行っていないし、仕事以外はあまり外との接触がないのですが、仕事での相談業務では皆さんのお話をきいていて「コントロール権」はないんだな思える出来事をきかされます
でもそれが結局は自分へのメッセージだったりするから
納得してしまったり

そこをあわてふためくのか、こなしていくかで、その問題も問題とおもえなくなってくるんだとおもいました
でも、ほんとうにおもっていたこととはまったく予測外のことがおこるものですよね
というか予測してておこるんでしょうか・・・・・・
現実にいきてるということを実感させられます




8224
光奈さん、こんにちは。拍手で珍しく、ピンクのサクラソウが出ました。
楽しいPTA活動の報告ありがとうございました。
予想外の展開はわくわくで面白いですよね。

結局、いいも悪いもなく、すべて私たちを幸せに導くんでしょうね。
自分の思い通りにしようとしない方が、良い結果になりますね。

確かに失敗や負けからしか、人は学べないようにできてますね。
失敗だらけの自分を責めるのではなく、よく学んだ!とほめてやります。

テレビを無駄につけなくなって、他の仕事が進む、進む。電気代も節約。
食と同様、たまに見るテレビはもっと楽しめそうです。

8226
それは大変でしたね、おつかれさまでした!!その時は死ぬほど大変なのに、後から振り返ると、楽しかったな良かったな〜なんて思えちゃうことありますよね。あと他人事として距離を置いて聞くと、それも楽しそうかもなんて、今回の記事読んで私は思っちゃいましたが(笑)

最近ある友人が、もう人生なんて思い通りにいかないしつらいばっかりだし、死んだらもう二度とこんな世界に生まれてくるもんかって言ってたので、でもやっぱりまた生まれたいって思っちゃうらしいよ〜と言っておきました(笑)

8227
実の所、私も不食に興味はありつつも
自発的には出来ないかな~と思っています^^;食べる事も,お茶など飲む事も好きなので・・・でも、知識として持っているだけでも違うと思います。

今朝、「悪夢」を見たのですが・・・最後の辺は大きな熊が家の中にいるが捕まえられない、一旦捕まえたが目を離している隙に逃げられ、見つけられない・・・みたいなものでした。
当然その恐れはリアルなものでしたが。

この世界は夢だとよく言われますね。実際、そうでなければ奇跡的な現実創造も起こる訳がないし、不食だってやれるはずがない。

私がこの世界で感じている「恐れ」と、いわゆる夢の中で熊に感じていた「恐れ」は、感情としては同じだなあと思いました。
状況が違うだけで(この世界では熊が家の中にいる状況は滅多にないですが)感情は同じ。
・・・・私がこの世界で「あれが怖い」「これが怖い」と思っているのは、夢の中で「熊が怖い」と思ってるのと同様なのかもなあ、と思いました。夢を見ている時には色々恐怖を感じているものですが、目が覚めてしまえば何という事も無い。

コントロールは・・・自分は「晴れ女」「晴れ男」と心から信じている人の行く所では不思議に雨が上がったりするので、実際には天候だってコントロール出来るのかもしれません。
でも、コントロールを手放して夢が進むままにしているのも、どういう展開になるか分からないという意味で面白いと思います。


8228
PTAの活動、お疲れさまでした。結果的に「すべてよし」になって良かったですね。
今回の記事を読んで、このような混乱する出来事だけでなく、日常の何気ない事も含めて、すべての事がうまく運ばれていているのだろうなと思いました。
一瞬一瞬奇跡が起こっているような気がしてきて、感動してしまいました。(大げさですね。)
とても幸せな感覚になりました。ありがとうございました。

8229
nagarerukomo様

 こんにちは!

 母性・父性による力はやはり大きいですね。
 まさに、それだけが支えのボランティアです…。

8230
kanonnaroma様

 コメントを有難うございます!

 そもそもPTA活動に男性というのは、かなり希少な存在なのですが…
 こうした色んな事態にも、人を動かして効率よく業務を進められるのは、大きな会社で管理職サラリーマンをしていた経験のお陰でもあります。

 人生の全体として、あるいは人のつながりの全体として、何が役立つ本当にか分からないものです…。

8232
ruri様

 こんにちは!

 「やっぱりまた生まれたいって思っちゃう」というのは、そうらしいですね。

 あの世に行ったら、ゲーム機と同じような「リプレイ」のボタンがあって、誰もが「もう1回!」と言ってそれを押して、この世に再び転生してくる、なんて話もあります…。

8233
おはようございます
ほんとうにお疲れさまでした。

読ませていただき、
大雨の問題はとても大きいけれど、
その事態をうまく、乗り越えられていると感心しました。
高校生の食欲もエネルギッシュだったでしょうねえ。

8234
Clary Sage様

 こんにちは!

 きっとそこの世界の人生を終えたときには、まさに夢から覚めたときと同じように、「なんであんな状況を怖がっていたのか?…」と思えるのでしょう。

 そういえば、自分が見たいように夢をコントロールできる人というのもいますよね。
 単に、「夢をコントロールできている夢」を見ているのかもしれませんが。

8235
rei様

 こんにちは!

 一瞬一瞬が「奇跡」というのもしょうでしょうし、また「それ以外には起こり得ない状態」であり、ある意味で「完璧」でもあると思います。

 こうして現に目の前に起こっている「今」以外に、ほかに選べる「今」というのはないですしね…。
 そのような形に、神なり全宇宙が現れ出ていると言えるのでしょう。

8236
森須もりん様

 こんにちは!

 息子が高校3年なので、間もなくPTA活動もお役御免になります。

 これくらいの歳になったら、人生の大部分は「同じことの繰り返し」みたいになってしまいますけど…、その中でPTAは(特に男性だからでしょうけど)異色ともいえる新鮮な経験でしたね。

8237
読者としても思うままにならない完全性
4~5日おきに更新され続けた広大さんのブログ。
PTA活動と知りながら、更新を楽しみに4~5日おきにページを訪れていました。

今までは、4~5日おき更新が当然のような感覚で、
次々と、テーマや、コメントを消化していたにも関わらず、
この期間は、さまざまな思いを巡らせました。(-ι_- )))。。

「この深いテーマで4~5日おきって、けっこう大変。
よく更新されたものだぁ」

「よほど忙殺されているのだろうか?」

「ひょっとして体調崩した?」

「読めなくなったら淋しい。
ファンは、みんな同じ気持ちだろうなぁ」

「読み返しても、どのテーマも心打たれるものばかり」

「いゃぁ、今更ながら…ありがたかったなぁ」etc……。


この心理って、そのまま読者側も
『思うままでない完全性』に繋がっていましたぁ。

突発的なことも含めて、出来事ってすごいですね。
忙殺、翻弄、失敗、失言、失望などは、
確かに、人の成長促進剤のようなものですね。

8238
人の嫌がる事 お疲れさまでした
今出来ることに全力を注ぐ…ですね

PTAに係わる時期は 子育てに係わる時期と一緒で
その時期にしかできない事ですよね
忙しいとか 煩わしいとか いろいろな言い訳を
頭の中で繰り返し 自分で納得出来る理由を見つけて
ホッと胸をなでおろす親御さんがなんと多くなっているのかしら

昭和の戦後は良い悪いは別にして 我が子の通う学校といかに関りサポートして行けるか 親はそれが当たり前の常識でした お金の為 自分の為ではなく それ以外の無償の活動だから 得る物がとても大きいのではと思います

自分に自信が出来た50代60代になってPTA活動をしたいなんて出来る訳もなく ちょうどいい時期に ちょうどいい活動が準備されていると思います

9年間PTAに係わった中で 広大さんのように「えっ」て思われる状況に…なった事がなんどかありますよ
明日は「とんど」という前夜 事前会議の途中から 途切れる事の無い雪 
あれあれという間に20㌢は積もり 道路ははツルツル状態に…
翌日は中止にという意見も出ましたが 会長の「やる」の声に 全員が前向きに当日は学校始まっての大雪(30~40㌢)で 注文していたうどんは従業員が通勤できないので 急遽 袋入りの物に変更 機械での生産体制になりました
麺屋さんも 「やるんですか~?」って驚かれ・・・

当日 校庭は雪一色 ゲレンデに早変わり
雪遊びが出来て子ども達は大はしゃぎ 親は車が出せないので
歩いての準備でしたが 今でもOBが集まるとその時の話で盛り上がります

一瞬一瞬を大事に生きて行く 変化にも順応出来る柔らかさと
瞬間を楽しむハートがあれば 確実に経験という糧がもたされるのですね 
「終わりよければすべてよし」ではない場合も 過程を受け入れる度量があれば 人生は豊かな日々が送れますね
 
「苦労は買ってでもしろ」 先人のことわざにハズレは無いですね

さあこれから先 どんな面白い事が待っているのでしょうか(にこり)


8239
光奈さん、こんばんは^^

PTAの活動、お疲れさまでした。

記事の中盤あたりで、

『前回記事で「不食」をテーマにしておきながら心苦しいのだけど…、』

と、書いていらっしゃいましたが、『心苦しい』と思うのはなんでなのかなぁと思いまして。

すっごく細かいことなんですが、気になったらダメもとで訊いてみようが私の今の課題でもありまして、質問させてくださいませー<(_ _)>

もしお答えいただけましたら幸いです。

8240
風子様

 こんにちは!

 ブログを楽しみにしれいただいて、とても嬉しく思います。

 スピリチュアル系のブログの中には、毎日更新しながら何年も続いているものもありますから、そういうのは見ていて「すごいなぁ」と感心しますね。

 僕の場合、文章はどうしても「左脳」で書いている感じで、その左脳の働きがどんどん緩慢になっていることも強く実感しています…。
 そういうのも、これからの展開が読めないことですね…。

8241
あおむし様

 こんにちは!

 きのう投稿したと思っていた返信がうまくアップされていなくて、順番が入れ違ってしまいました…。

 善しあしを判断する「分離した個」の観点かが抜け落ちれば、すべてが完全性の現れといえます。
 まさにそれこそが、この世界の本当のありようなのでしょう。

 テレビのメリットは正直言ってほとんど何もないから、けっこう容易に離れていけると思いますよ。

8242
光子様

 こんにちは!

 PTAの活動は全国にものすごい数があるし、以前はそのすべてが「あってもなくても変わらない、どうでもいいものだろう」くらいにしか思っていませんでした…。

 でもその数だけ、それぞれの物語が展開されていると考えると――、やはり世界は想像できないほど多様で広いのだな、と感じずにいられないですね!

8243
真知子様

 こんにちは!

 その「心苦しい」には、たいした意味はないです。

 「前回のブログ記事とはまるで正反対の内容になっちゃいますけど、済みませんねぇ…」といった、やや「社交的なおちゃらけ」として「心苦しい」なんて言葉をあてがっただけです。
 何か本当に「心が苦しんでいる」わけではないです。
 
 たとえば「手前みそな話で、何ともお恥ずかしい限り」と言っても、実際に「恥じ入っている」わけではないのと同じです。

 そのへんは、もっと気楽に読んでください。

8244
光奈さん、こんにちは。

あぁ、大した意味はないんですね^^

どうも、妙なところが気になっちゃうもので(苦笑)
ご親切にお答えいただきありがとうございましたー<(_ _)>

8250
ドタバタ劇を引寄せたもの
 ズバリ、あなたの心です。
広大さん自身が、「無為」、「暇」、「不食」、「無」等について迷いがあり、それがあの現実を引寄せたのです。(鏡の法則)
あなたの教育・学習のために神霊界が動いたとも言えます。私もちょっとお手伝いをしましたが。(雨の神は国常さん麾下の龍神の1柱ですから)


8257
666様

 こんにちは!

 ブログ記事として続いたから、そのような見方ができるのも分かるのですが…。

 でも、僕自身の日々の「実生活の全体」の中では、ブログの各回のテーマというのは、やはりかなり限定的な一部分にすぎないです。

 またPTAの経験も、人生のこの時期における、ちょっとしたいい思い出のひとつです。

 この2つを「因果」で結び付けることに、僕自身はそれほどは意味を感じないです。


 もちろん、すべてのことは見えない力による配剤であり、そしてあらゆるものごとがどこかで何らかの作用を及ぼし合ってはいるのでしょうけれど…
 今回は深読みする値打ちはあまりないかな。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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