聞くことの話 | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 誰にでも簡単にできる何でもないことのように思えて、実はものすごく難しいことの代表といえるのが――、「相手の話を聞くこと」でしょう。

 色んな人間関係の問題、とりわけ家族の関係性においては、この「聞くこと」こそが要点だったりもする。
 そして、まさにそれこそがすべてと言っていいくらい、解決の力を発揮するケースもある。


 ミヒャエル・エンデのファンタジー物語『モモ』の中にも、聞くことの大切さが語られている。

 町はずれに住み着いた浮浪児の少女モモを、はじめは大人たちがかわいそうに思って手助けしてあげるのだけど――、
 やがてこの小さな少女がものすごく人の役に立つことが分かり、町の人々が何か困った問題があるごとにモモのところへ相談に行くという場面がある。

 別に彼女が賢いアイデアを出してあげたり、慰めの言葉を与えたりするわけではない。
 モモがしたのは、ただ相手の話をじっと聞くということだけだった。
 物語ではこのようにつづられている――

 「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。相手の話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと。と皆さんは言うでしょうね。話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないかって。
 ところが、本当に聞くことのできる人はめったにいないものです。その点でモモは、ほかに例のない素晴らしい才能を持っていたのです。

 モモに話を聞いてもらっていると、どんな人も急にまともな考えが浮かんでくるのです。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問した、というわけではないのです。彼女はただじっと座って、注意深く聞いているだけです。その大きな黒い目は、相手をじっと見つめています。すると相手には、自分のどこにそんなものが潜んでいたかと驚くような考えが、すっと心に浮かび上がってくるのです」――


 物語では、殺し合いになりかねない大げんかをした隣近所の男2人が、モモに話を聞いてもらっているうちに互いの立場をだんだんと分かり合い、やがて完全に打ち解けて仲直りするというやり取りが描かれている。
 そのあたりの描写は、さすがエンデと思わせるほど、ファンタジーを超えたリアルな説得力がありますね。


 僕自身も、「聞くこと」によって家族のぎすぎすした問題などが解決されていったという経験は少なくないし、自分の「聞く力」をもっと高めることができればと願っている。

 「聞くこと」について書かれた本の中で、僕にとっていちばん素晴らしいなと思えるのが、鈴木秀子著『愛と癒しのコミュニオン』だ。

 この本で説いているのは「アクティブ・リスニング」という手法。相手の話に進んで耳を傾ける姿勢で、ただ「聞くこと」にひたすら専念するというもの。
 解釈や提案などをいっさい口にせずに、なるほどと言いながら、ずっと共感的理解をもって聞く。

 そうして、「相手の言葉を聞くことで、相手の魂の中に入り込む」、「愛とは全霊をもって聞いて受け入れることで、つまりその人と一致して存在すること」だと著者は述べる。

 アクティブ・リスニングは臨床心理学の手法なのだけど、この本で語られているのは、けっこうスピリチュアル寄りの見方のようにも思える(ちなみに著者の鈴木氏は臨死体験者でもある…)


 ところが実際にこれを心掛けようと思ってもなかなか難しいのは――、話を聞いているうちに、ついついこちらの考えや意見を口にしてしまうことだ。

 私たちは「問題を抱える人には教訓や指示が必要だ」と考え、良かれと思ってそうしている。
 しかしそれが実は、相手の心を閉ざしてしまう最大の要因なのだそうだ。


 話を聞きながら賛成・反対の反応が浮かぶと、その考えがだんだんと心の中で大きな位置を占めてくる。
 すると心の中の「相手の話が入って来るスペース」が狭まってしまう…。

 さらに聞き手が、「聞くこと」と「判断すること」の間を行ったり来たりしていると、自分と相手との意識の距離を遠ざけていくことになる。
 そして、自分の解釈や判断を口にして、「相手を変えよう」という意思を示したならば、相手はその意思に抵抗することに精力を使い、問題自体を見つめなくなるのだという――。


 これはなるほどというか、自分自身が過去に経験した「うまくいかなかった対話」を思い返してみると、当てはまるところがけっこうあるのではないでしょうか…。


 でも、他人事の話ならば、自分の意見を交えずに「聞くに徹する」こともしやすいけれど――、家族との対話においては、ことはそう簡単ではない。

 何しろ相手が口にする批判の矛先が、ほかならぬ聞き手の自分だったりもする。
 また子供が、親の意向に沿わないような考えであれば、それを何とか正したいと思って意見するのがふつうだろう…。

 でも、この本ではこのように強調している――

 「自分を批判する言葉を聞くあいだも心をざわつかせず、言い訳や反対や拒否を返す考えが生じても、引っかからない。
 結論を急ぎたい、丸くおさめたいという衝動を抑えて、相手の話に最後まで付き合っていく。相手と一致して存在し、ひとりで歩み出すまで、全身を耳にして付いて行く」――


 「聞くこと」とは、何ともそこまで難しいものなのかと思えてしまうのだけど…、
 でも、そのために必要なのは実にシンプルで、まずは「沈黙しながらあいづちを打つ」こと、そして「受容の言葉」だ。

 これはたとえば「勉強したくない」という子供に対して、「なるほど、勉強したくないのだね」と応じて、その気持ちを認めてあげること。

 逆に聞く側がよく「非受容」な態度を示してしまうのは、そこに必ず「恐れ」が介在しているためだという。
 家族が相手なら、余裕のなさの度合いが高まり、何とか助けたいと思うゆえに動揺してしまう。
 そうして「恐れ」から逃れるために、評価やアドバイス、非難をしてしまう、というわけだ…。


 アクティブ・リスニングでは、「誰もが自分の問題を、自力で解決する能力がある」と考えている。

 問題を抱えている人でも、最初はいったい何が問題であるのかはっきり分からずに、心に渦巻く非常な不快さを味わっている。
 その感覚や思いを人に聞いてもらうことによって、ストレスで隠されていた自分の心の中をしっかりのぞき込み、自分の声を聞くことができるのだという。
 そこから、覆われていた「潜在意識の知恵」が出てくる。

 「人は、自由に語ることが許され、否定されない安心感があるとき、自主的に自分の問題に答えを出し、人生の中で成長する」――、と著者は語っている。


 そのように言われると、「聞くこと」は単なる受動的な行為ではなく、まさに人を成長へといざなう非常に大きな力なのだなと感じますよね。

 さらに言えば…
 実はいちばん話を聞いてもらって、成長に導いてもらいたいと願っているのは、問題を抱える他者や家族でもなく――、自分自身の内にいる「小さな自分」なのでしょう。

 そうなるとちょっと別テーマになってしまうけれど、方法とか姿勢は今回の話と同じだと思います。



 結びのヒーリングKarl Jenkins「Adiemus」。

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コメント
7897
似たような経験ありました。
自分自身の経験でも同様にありました。

仕事で行き詰まっている時、問題内容を他人に説明している最中に、ふと解法がひらめくことが大変多くありました。
また、同様に逆の立場でも、話を聞くだけで、勝手に問題解決になった事もあります。
自己解決っていう導きで、同僚に説明していますが、このことって立派な本があるんですね。

「モモ」っていう本も、たしか小学生の時に父親から勧められたけど、スルーしていた本でした。
amazonのレビューを拝見したら、ほぼ★5ばかりですんごい驚きました。
すぐに購入したいと思いました。

「話を聞く」ってことの学びを頂けて、感謝いたします。ありがとうございます。

7898
みつき様

 こんにちは!

 仕事で問題内容を話しているときに解決策がひらめくって、まさに今回のテーマの典型みたいですね。素晴らしい経験だと思います!

 「モモ」は、ファンタジーが嫌いでなければ、読んでおくべき価値のある一冊でしょう。

 過去記事で僕の感想も書いています。
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-277.html

7899
私にとってドンピシャで知りたいなぁと思っていた内容の本をご紹介くださってありがとうございます♪

読んでみます<(_ _)>

7900
私はけっこうな大人になるまで「私の話は聞いてもらえない」という信念を持っていて、話を聞いてもらえない非常に不快な感覚、逆に話を聞いてもらえるんだと分かった時の涙が出るような幸福感を覚えています。

話を聞いてもらえた(と感じた)かどうかでその人の気持ちや行動さえまったく違ってくるのも、もっともだろうと思います。

私の不快な信念について思い出すのは母親との関係で、長いこと母親を責めていたけれど、やっと最近、私は誰よりも私自身に話を聞いてほしかったのだ、私の話を聞いてなかったのは私だったのだ、ということが少しずつ分かってきました。
話を聞くというのは本当に難しいことだと思いますが、私自身の話を聞くことは逃げずに向き合うしかない課題だなと思います。

7901
モモちゃん・・・そうです。
初心に帰りたいと感じました。
ありがとうございました。

7902
真知子様

 こんにちは!

 「愛と癒しの~」の本を読んだのは5年以上も前なのですが、なぜか今日ふと思い立って、ブログで紹介してみました。

 もしタイミングよく、何かのお役に立てば嬉しいですね!

7904
ruri様

 こんにちは!

 そうなんですよね…
 「話をただ聞いてもらえる」というのは、「そのままの自分を受け入れてもらえる」とか「愛してもらえる」と同じ意味があるんですよね。

 そして、自分の心の奥から聞こえる話を、自分で聞くというのは、まさに「自からを愛する」ということだと言えます。
 本当に大切なことです。

7905
falx様

 コメントを有難うございます。
 モモの物語は素敵ですよね。

 本当に大人にとってこそ、大切なメッセージだと思います。

7906
そっか~・・・
私は「何も言わずに話を聞いてもらいたい」と思った事が(自覚する限り)特にないので、聞く技術というのはあまり縁がないかも。

誰かに話をする時、「自分の言う事に共感して欲しい・ただ話を聞いて欲しいタイプ」と、「問題解決に協力して欲しいタイプ」の2つがあるような気がします。
前者は相手に意見を言って欲しくない。後者は相手に意見を言って欲しい。
前者タイプだと、この記事にあるように相手が色々指摘したりすると「話を邪魔をされた」と感じる。
後者タイプだと、相手が「そうだね」「なるほど」と相槌を打つばかりだと「何も自分の意見を言わないなんて、人の話をちゃんと聞いてるのか」と思う。私は多分こっちです。

傾聴の大切さといった文章は時たま目にするのですが、「全員が全員、何も言わずに話を聞いてもらいたい訳じゃないんだけどなあ」と思います。
勿論、傾聴するにしても意見を言うにしても「相手と真摯に向き合う」というのは必須条件ですが。




7908
あるハリウッドスターさんに悩める日本の監督さんが
「僕はどうしたらいいでしょう?」と、問うとただひとこと
「Listen」と、言われたって。
そのときも、そうかぁって感心したのに・・・出来ていない。
できそうで・・・できないものだなぁ。

7909
受容することの大切さ
困難に直面している人を支援する方法の一つに
ケースワークという手法があります。そこでは
クライエントの話を聞く行為、すなわち傾聴が
最も大切とされています。

人は自分の気持ちを共感してもらい、その思い
を受容してもらうことで、自分が抱える問題に
向き合うことができるようになります。

このように人の話を聞くことは、積極的な対人
援助の方法です。しかし、人の気持ちを受容す
ることは、簡単なことではありません。

私自身も妻や娘や母親の思いを受容することで、
幸せな家庭を築いていきたいと思っていますが、
思ったようにはいきません(笑)。

7910
こんばんは〜
「アクティブリスニング」。
相槌を打ったり、相手の言葉を反復したりして「私はあなたの話を聞いています」ということが相手に伝わるように・・というようなことを学んだことがあります。
聞くが70%で話すが30%を目標にしてますが、気付くと熱弁している自分がいたりします(笑)
久しぶりにもう一度「モモ」を読みたくなりました。

7911
Clary Sage様

 こんにちは!

 確かに色んなタイプの人たちがいるでしょう。
 そもそも「話をちゃんと聞いてるのか」と相手に思われてしまうこと自体、「すすんで聞く」という姿勢が全然できていないのかもしれません。

 僕自身もあまりうまくできないですけど…。

7912
なのはなS様

 こんにちは!

 「聞く」ということは、スピリチュアル分野でよく言われる「考えるな、感じろ」というのに近いかもしれないですね。

7913
wonwon様

 こんにちは!

 あるプロのカウンセラーさんも、「クライアントの支援はセオリー通りにできるけど、自分の家族となるとやはり別…」と告白していました。

 それくらい家族関係には容易でないところがあるし、それこそが人生のテーマなのでしょうね。

7914
節約くま様

 こんにちは!

 とくに、話す側が口数少ない人の場合だと、聞く側のほうについ話すスイッチが入り、自論を奮ってしまったりしますよね…。

 こういう場合こそ、まさに「沈黙は金」なのだと思います。

7915
Clary Sageさんのおっしゃること分かる気がします。私の母は後者タイプなのでしょう。

私(たぶん母も)が学ぶべきは、私たちは別個の感性を持つ別個の人間なんだ、それでいいんだ、それでも思いやりを持ち共存することができる、というようなことかもしれません。

みなさんがおっしゃるように話を聞くことがそれほど難しいのなら、もはや努力目標なのかもしれません、必達目標ではなく。であれば、母は母なりに私と話をしようと努力していた、つまり私は母に愛されていたと言ってもいいのでしょう。

ああ、いつもより意識して話を聞いただけでいろんなことが分かりました、本当だスゴイ(笑)

7916
まさにその通りです。聞くことが最高の癒しです。リラクゼーションの仕事に13年就いていたのですが、そこでの最高の癒しはマッサージをすることではなく、「話を聞く」ことだとわかりました。マッサージに来られるのではなく、話をしに来られるといったほうが当たっています。会話泥棒にならないように、相手が聞いて欲しいないように乗っていくことが癒しにとってどれほど大事な事か。私ももっと聞くことに集中してみて過ごしてみよと再認識させていただきました。

7917
『聞き上手』は、そのままヒーラーかも
30代の頃、あしかけ8年ほど、外回りと内勤の営業職に就いていました。

成績は常に上位で、業界のコンサルタントに、その秘訣を聞かれたとき、
次のように答えました。

『売ろうとせずに、ただひたすら、身体の全細胞を耳にして、
相手の言うことに耳をかたむけるだけ……』


スピに関わるようになってからも、
今回のテーマは最重要課題だと自覚しています。

誰かに聞いてもらっているうちに、
自分の中で答えが定まってくるという経験から、
この10数年は、ひたすら『聞き上手』をしています。

若い頃は、自分の言い分を聞いてほしい……。
いわゆる自己主張MAX状態でしたが、歳をとると、
自然に『聞き上手』になりますね。

というもの、自分の悩みや葛藤に対しては、
すんなりと自己処理ができるようになる。
エゴ VS 自らの高次意識の両方に、
親しみさえ感じられるようになるからでしょうね。

自分自身のコントロールができるようになると、
精神にゆとりが生まれ、
相手に要求(期待)するものがない分、
『全細胞を耳にする』ことが自然にできるようになります。


おっしゃるように、家族に対しては難しく感じることもありますが、
年寄りの長所は、なんといっても多種多様な体験、経験の引き出し。
感情に振り回されたとしても、すぐに軌道修正できるところでしょうか。

『若い頃に、こんな精神を保てていたとしたらなぁ…』
などと思いますが、皮肉なことに、この歳だと先が短い。


子育ては『年寄の仕事』で、若い夫婦は、
通い両親みたいなシステムで暮らしている国とかありますよね。
忙しすぎる日本社会にも導入して欲しいとさえ思います。


前回の『素晴らしさへのスポットライト』と、今回の
『聞くという話』は、意識進化の最重要テーマですよね。

いつも、再認識させていただいてありがとうございます!

7918
ruri様

 こんにちは!

 タイプだけでなく、「どのような場面か」がそれ以上に重要だろうとも思います。
 日常生活での会話や、組織的な意志決定をするときなどは、「ただ聞くだけ」である必要はないでしょう。

 一方で、その人がこれまで頑なに持っていた常識や思い込み、感情パターン、価値意識など、従来の「自分の枠組み」を踏み超えていく瞬間というのもあります。
 それを助けるのが「ただ聞くだけ」という姿勢なのだろうと思います。


 たいていの人は、自分の中にそうした「枠組み」があることに気づいたり苦しんだりしながらも、周りの誰かからの批判や提言などによってそこから踏み出していくことは、おそらくほとんどないでしょう…。
 そのためには、やはり自分の内なる本当の声に、自分自身で触れなくてはならない。
 そうした内面への歩みが、「ただ聞くだけ」によって可能になるのかなと考えます。

 聞き手が途中で意見や批判を交えてしまうと――、けっきょくは従来の「自分の枠組み」にもとづいた主張をしたり、異なる見解を跳ねのけたりして、枠組みを踏み超えるチャンスを逸してしまう…。
 当人は「言いたいことが言えて、考えが受け入れられた」と気持ち良かったりもするけれど、要は「エゴ意識の面目躍如」という感じです。


 今回のブログのテーマは、主にそういう場面のことと言えます。
 でも、人が「自分の枠組み」を踏み越えるきっかけというのは、ふつうの日々の中にもけっこう頻繁にあると思います。

7919
光奈さん、こんにちは。

ファンタジー嫌いではないのですが、まだ「モモ」読んでいません。
念願だった、読書の夏、になっていません(笑)。

私は母の10倍話すタイプですが
(母は私と違って返答に時間がかかる。よく無言になる)、
ある日母の話しをじっくり聞いたところ、
母がとても恵まれていたことに自分自身で気付いたことがありました。
母はきょとんとしていました。

私が思い浮かぶことを勝手に話すことで(私は話す時に頭がカラッポ)、
相手が自分で納得する結論に辿り着くこともありましたね。

聴くことは本当に重要なこと(難しいこと)と認識しつつも
こちらも話したいことは話す姿勢でいいのだと思っています。
目に見えない何かに言わされていることもあるでしょうし。

最近思うのは、噛みあわない会話でも
母と色々話せることだけでも幸せなことだなあということです。

私の口癖は「お母さんの好きなようにして」。
実は母は自分で決めたくないタイプ。
それでいて、人の言うことを聞かず、我が道を進むタイプ。
私の口癖は、言わなくてもいいことですね(笑)。言うのやめます。

7920
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 そう言えば、僕の父親はタクシー運転手だったのですが、「お客さんの話を同意しながら聞く」という単純な方法だけで、相当な額のチップを稼げたそうです。

 まさに現金な話なのですが…、
 でもお客さんにとっては、いくらかのお金を払いたくなるくらい、「聞いてもらう」ことに価値を感じたのだろうと思いますね。

7921
風子様

 こんにちは!

 実に素晴らしいご経験ですね。
 トップ営業マンが書いた本なども色々とありますけど、情報力とかプレゼン能力以上に、「お客さんの話を聞く」ということを秘訣に挙げる人は本当に多いと思います。

 「子育ては年寄りの仕事で、若い夫婦は通い両親みたいなシステム」というのは、『神との対話』の本の中で、地球外の「高度に進化した存在」がそのような社会で暮らしているという描写がありましたね。
 確か、若い人々が子育てをする力があるわけではないから、ということだったと思います。

7922
あおむし様

 こんにちは!

 あおむしさんの親子は、困ったりかみ合わなかったりしながらも、いいバランスを取りながら日々を歩んでいらっしゃる印象を受けますね。

 そういった関係性の妙もまた、この世界の味わいだと思います。

7923
文章の中に
「私たちは、問題を抱える人には教訓や指示が必要だと考え、良かれと思ってそうしている」とありましたが、そりゃ「教訓や指示」なんて上から目線の言い方では、相手は心を閉ざして当然だろうと思います。

私の思うに、肝は「意見を言うか言わないか」ではなく、「対等な立場で共にいる事」ではないかと。

因みにですが、私自身は多分「人の話を聞かないタイプ」ではないです。
「何も言わずに私の話を聞いて欲しい」とは特に思わないですが、それが適切だと感じる時には「なるほど」「それはそうだろう」「分かるよ」という感じで話を聞く事はあります。

ruriさんのお母様が実際どういう感じで話されていたのかは分かりませんが、ruriさんが話し始めると「うるさい!」と話を遮るとか、もしくは批判・非難しか言わないというのでなければ、特に悪意は無かったのでは・・・。



記事内容と関係ないですけど、紹介されていた鈴木秀子さんの本、アマゾンで触りの2,3ページが読めたので読んでみたのですが・・・・18歳の息子がお母さんに暴力を振るったり、妹に物を投げつけるとか・・・こういう話を聞くといつも不思議なんですが、何でお母さんは息子を殴り返さないんでしょうね。
お母さんは大人で、手足が使えるはずなのに・・・自分が幼児で相手が大人というのなら難しいでしょうけど。それに相手は一人で、複数じゃない。多分特に格闘技経験のある相手でもない。可愛い息子には手が上げられないのか、自分は無力だと思っているのか、仕返しが怖いのか・・・それにお父さんも、もうちょっとこう何とか・・・お母さんが殴り返さないという事は結局「無抵抗の者に暴力を振るっていもいいんだ」と教えるようなものなんじゃないかとか、この中で一番話を聞くべきは父親より息子だろう・・・なんて、傾聴とあまり関係ない所に注目してしまいました^^;






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歴史改ざん
人の話を聞く事は人としてとても大切です。自分の主張ばかりで、聞く耳持たず…と言う人が増えてます。
人の話も聞かず「戦争に犠牲は付き物だ」と平気で書いてる記事を、最近よくネット上で見掛ける様になりました。
この連中が結構理屈が上手で人気があるんですが、私の世代は、実際の戦争現場にいた人から本当の話を聞いています。
現実を知ってる私たちは決して屁理屈には騙されませんが、若い人達は威勢の良い連中に釣られてしまうんでしょうね><
人間としてマトモな神経を持っていて欲しいと願っています。

7925
今まさに私に必要な事な気がします
現在八方塞りの我が家。
今、私に必要なのは「聞くこと」だと思いました。
話しを聞いているようで、実は自分の中で
不安や恐れが心を一杯にしてしまっていました。
しっかり聞いてみたいと思います。
ありがとうございました。
本も読んでみます。

7926
聴くこと
最初は・・・聴いてるんです(他人の場合)
ある時までは聴いてるんですが…自分のなかで回答が湧いて来るのですね むらむら~って感じかな・・・
そうすると 今話さないと この解決策(役に立つ話)忘れてしまうって いい提案だからって・・・

最後まで聞くことのむずかしさ 
あぁ~…今回も途中で話 取っちゃいました

ここまでは自分のなかが観れるのですね
もう1歩先に踏み込んで 涌いて来た良い考えをねじ込んで
話してる本人が 自分のなかで湧いてくる思いを
待つことを楽しめると聴き上手になれるかしら

夫の話は責められている様で つい 責められる前に 
責めて勝とうと頑張ってしまいますね
今までの癖が抜けませんね
最近は 肩の力を抜いて 話を聴きたい思いに駆られます


7927
心の声は静寂
光奈さん、こんにちは。

相手が心を開き何か言おうとしたことを遮ってしまい、
結局聞けなかったことが何度もありました。
彼らは何を言いたかったのか、今でも少し気になります。

自分でも不思議なんですが、静かに聞ける自分もいるんです。
私はよくしゃべりますが、沈黙にも耐えられるようになりました。

私の友人で聞くのがとても上手(話すのも)な人がいます。
静かに話し静かに聞いてくれる人です。
自分の言いたいことはちゃんと言ってました。ゆったりとした口調で。

ツイートにあった「心の声は静寂」。納得です。
何か言いたくなるのはエゴ(がほとんでしょう)。
でもエゴがこの人生を彩ってくれているわけで、悪者扱いはしたくないです。

7928
内なる声は静寂、でしたね
心の声、ではなかったですね。
心の声にも耳を傾けていきたいです。

7929
受容・愛・勇気
 女性と会話する上でのコツとして有名なものに、これと似たような話があったような気がします。女性に恋人のグチを聞かされた時には、一緒になってその人を否定せずに相手が語る事にただ耳を傾けていれば、本人の中で思考が整理されて自分で最良の決断を下せるとかなんとか・・・。 
 これは数ある例のうちの(割と俗的な)極一部ですけど、これまでの自分の人生経験も含めて考えると、ある種の真理なのかなとも思えます。

 人体に元々備わった自然治癒能力等と同じように、人は自分の人生に起きる物事の舵をとっていくだけの能力や自由な意志決定権を持ってるし、その人にとって一番頼りになる存在である守護や内なる神性ともいつでも繋がっている。完全な受容の心で相手の話に真摯に耳を傾けることは、それらの機能を促進する効果があるのかもしれません。そもそも「受け入れる」こと自体が愛なので、これを実践できれば素晴らしい相乗効果が起きそうですね。

 自分事ですが、僕は下手に理屈を捏ね過ぎて、外の世界に対して凝り固まった部分があるのかもしれません。小さなマインドが先行して物事をバッサリ判断してしまうことが多いように感じます。今後は受容という愛の形を忘れないように意識して暮らしていきたいです。先ずは愛を発揮するための勇気を持つことから始めていこうかな。
 

7930
 と言ってるそばから既にレッテル張りと投影をしてる自分がいることに気づきました。「聞くこと」がテーマの話でこの始末となると、僕の場合はかなり根が深そうです。難しいなぁ・・・。

7931
こんにちは。
私はまさにここ数年『枠組み』との葛藤の日々です。それに反応している自分を感じて、軌道修正をしてきました。本当に大変な作業ですが、家族の問題からせざる終えない状況でしたので。。

仕事では聞くことも手法になり上手くいくのではと思います。私も上手くできなかったときは手法として家族に接していた時期もありました。

大変な時期はありましたが、今では『聞くこと』は『育むこと』と感じています。

7932
Clary Sage様

 こんにちは!

 その「教訓や指示」のくだりは――、
 この本の中の確か、「学校なんて嫌い」という子供に対して父親が「そんなこと言うもんじゃない」「頑張って行けばいいこともあるよ」と、子供の気持ちを分かろうとせずに、ついそのように応じてしまうという例から語られていたことです。

 家族の関係性はもとより、「相手にこうしてもらいたい」とか「こうすべき」という期待や信念がある場合には、自分の価値意識をもとに指示的な内容になってしまうことはあるでしょうね…。


 本の中ではさらにこう述べられていて、これはClary Sageさんのコメントにも近いでしょう――

 「子供との対話で、指導や指示の願望を感じずにいることは難しい。それができれば、両者の位置関係は上下関係ではなく、同等のものとなる。心の奥深くが見えるようになれば、相互理解が可能となる」

7933
sado jo様

 こんにちは!

 話の理屈上では、戦争や犠牲の意義や必要性を語ることは、いくらでもできるでしょう。
 でも、現実の戦争を経験した世代の人たちの話は、そのような理屈がまったく無意味でしかないことを伝えていると思います。

 そのネット上で書き込む人がどのような立場なのかは分かりませんけれど、おそらく政治的な実行力はないでしょうし、社会のオピニオン形成への影響もあまり大きくはないでしょう。
 わざわざ気にして目を向けなくてもいいように思いますが…。

7934
南無三さんぱうろ様

 こんにちは!

 「八方塞がり」って、何だか大変なご様子ですね…。

 もしかしたら「聞くこと」によって何らかの道筋につながるかもしれませんし、その際に障壁となるのはやはり「恐れ」だと思います。

 本にも書かれているとおり、「恐れ」の気持ちから結論を急いだり丸くおさめようとせずに、じっくり聞くことこそが本当に大切なのでしょう。

7935
光子様

 こんにちは!

 話している相手に対して、つい「勝ちたい」と思ってしまうことはありますよね…。
 責めるような口調の相手には、こちらも攻撃態勢をとりがちです。

 以下、「前世療法」のブライアン・L・ワイスの言葉です。

 「相手に勝つためや、傷つけるために話をするのはやめよう。肯定的なことが心に浮かんでくるまでは、反射的に口を開いてはならない。目的は勝つことでなく、心を開くことなのだから」――

7936
あおむし様

 こんにちは!

 「聞くこと」が難しいときって、相手に腹を立てているときだけでなく、気持ちが舞い上がっているときもそうなんですよね。

 以下は、パウロ・コエーリョの超短編作品です。
 こんな短い文章で、これだけの内容が込められるのはさすがですね…



 ミサを終えたばかりの旅人は、孤独だった。
 と、そこにふいに現れた友人が話しかけてきた。「どうしても君と話がしたくて」と友人は言った。

 旅人はこれは何かのサインに違いないとばかりに興奮して、大事なことをあれやこれやと話し出した。神の恵みや愛について語り、きみは天使から送られてきたサインだと告げた。だって、さっきまで僕は孤独だったのに今はこうして話し相手がいるじゃないか、と。
 友人は黙って旅人の話に耳を傾け、お礼を言って別れた。

 すると、旅人に残されたのは喜びではなくて、これまで感じたことのないほどの孤独だった。そこで彼はハッとした――自分はすっかりのぼせ上がって、友人が何を求めてきたのか忘れていたのだ。話がしたい、と言っていたではないか。

 旅人は地面を見つめた。自分の口から飛び出した言葉がばらばらと歩道に撒き散らされている様子が見えるようだった――。
 あのとき、あの瞬間、宇宙が求めていたのはまったく別のものだったのに。

7937
masahiroGN様

 こんにちは!

 僕自身も、左脳を駆使して理屈をこねるのが得意な性格です…。
 でも最近は、加齢のせいか、波動の変化のためか、それがどんどん苦手になってきました。
 自分が自分でなくなっているような気もするのですが…、ま、いいことでしょうね。


 レッテル貼りや投影から脱却するには、自分がそれをしていることにハッと気付くことが、何よりの鍵だと言われます。

 そのハッという気づきを、自分でも本当にうんざりすくほど繰り返さなくてはなりませんけれど…
 でも自覚なしにレッテルを貼り続けるより、はるかに望ましい生き方に違いないでしょう。

7938
ぼん様

 こんにちは!

 自我という枠組みからの脱却は、魂の最終目標のひとつと言っていいでしょう。

 その大いなる目標へと臨んでいくプロセスのために、あえて逃れられない「家族の問題」が起こるのかもしれません…。

 「聞くこと」は「育むこと」って、素晴らしいですね。
 家族との関係性とともに、まさに自らの魂の力を育んでいるのだと思います。

7940
光奈さん、素敵な短編作品ありがとうございました。

宇宙がもとめていたものから離れてばかりいたために
私は心落ち着くことがなく、アトピーにもなったのでしょうね。

現在は宇宙や地球と共に生きたいと思っています。
日常に起こる様々なことを受け入れ、心の平和を維持していくことが、
宇宙や地球のためにもなると信じて。

7942
今晩は朝晩涼しくなりましたね^^クーラーは昼間だけで夜は寒いぐらいです。

風邪など引かないように気をつけてね。

もうすぐ夏が終わりであっと!言う間でした。

ぽちっと!入れさせていただきます。

最近では嫌がらせのコメントなどございますが、荒らしですので相手にしません。無視して下さいね^^

7943
許容量
こんにちは。
カリメン2号です。

人の話を聞くには、恐らく心の許容量が大きくないと、難しいのかもしれませんね。
自分なんかは、とてもまねの出来ないことです。
この許容量が、人の器量や温厚さ、コミュニケーション能力の高さに、繋がっていくのではないでしょうか。

7944
あおむし様

 こんにちは!

 素晴らしいですね。
 心が平和でることによって、宇宙の求めに応じた生き方ができるのかなと思います!

7945
フェレパパ様

 こんにちは!

 応援ありがとうございます。
 こちらからもランキングをクリックさせていただきました!

7946
カリメン2号様

 こんにちは!

 生身の人間の心としては、「許容量」というのが限られているように思えます。
 その度合いによって、人の性格の一部も決まってくるという側面もあるのでしょう。

 でも私たちの本質的なところでは――、そうした許容量は本当に限りないものなのだろうと思いますね。

7957
コメ書こうとしたら投稿できなかったので自分のブログの方に書かせてもらいました。

7958
野良猫様

 こんにちは!

 僕自身も、自分のブログなのに、よく「不正な投稿です」という表示が出てコメントが跳ね除けられてしまうことがあります。

 どういう仕組みなのでしょうね?…

7959
聞くことは宝探し
私も若いころ、16年ほど「聞く」ことを仕事にしていたことがあります。
正確には「聞いて書く」仕事・・・
海外に旅行や滞在した経験のある方に話を聞いて、その体験談を原稿にまとめる仕事です。
場面的には今回のテーマと違うかもしれませんが、この経験のおかげで聞く力をかなり磨かせてもらいました。(4時間以上聞いても終わらず、日を変えてまたお聞きすることもよくあったんです)

初対面の方にばかり会うのですから、最初は緊張から話を聞き出せなくて…
テープ起こしをしたら材料不足で原稿にならず、アセルこともたびたび。
それが年数を経るとともに図太くなり、逆に話を誘導してしまって、取材者の方の不興を買うこともあったり。
面白くなったのは、聞かせてもらうお話の中に、自分がその時抱えていた問題へのヒントやメッセージのようなものが含まれていることがある・・・ということに気付き始めてからでした。

そうなると「今日はどんなお宝メッセージをいただけるかしら」と、苦手だった「聞く」仕事が楽しみになり、
逆にお返しもしなければ・・・とばかりに、相手の方の顔が輝くような感想や相槌、さらには自分の話なども披露したりして…

最終的にはラジオ番組として放送される原稿だったので、オンエアを聞いた取材者の方の感想も時折り伺える機会があったのですが、
「まるで一緒に旅行してたみたいに映像が目に浮かびました」とか「そうそう、そういうことが言いたかったのよ…って何度も思いました。言葉に出来なかった私の思いが、よくわかりましたね」
と言われたのが、一番嬉しかったです(かなり自慢してます…笑)。

聞くことには忍耐が大切ですが、その中にもギフトが隠れていることに気づくと、それこそ「許容量」は無限に広がりますね。

7960
光奈さん、こんにちは。

ボランティア先のスタッフの方が45歳で急逝されました。
約1か月前に、その方から話しかけられ(初めて話しました)
親切で意欲的な方だなあという印象を持ちました。

その後まもなく腹部の腫瘍が発見され、1か月弱での旅立ち。
そういうこともあるなとは思っていましたが、驚きました。

話したり、聞いたり、悩んだり、喜んだりできることの幸せ。
誰かの死は生きることの素晴らしさを教えてくれますね。

7962
シンクロのようでした
フェースブックを拝見してブログ記事の「聞く」の文字
今私が探していたテーマでした。ドンピシャ!
私はどちらかと言うとお喋りなほうです。
何十年間人の話を聞いていなかったと思い知ったことがあります。知っているようで知らない他人の事。
それは人の話を聞いていないからだと気づきました。
そこからチャレンジしようと
最後まで聞こうと意識するが・・まるで出来ない。
自分なら・私の場合は・・と直ぐに意見してしまう始末。
う~ん。聞くって大変。
因みに、聞くことでストレス溜まらないのですかね?
ちょっと頑張った後に聞いてくれる友人にベラベラと
喋りに行きストレス軽減させて頂いてます。
ご紹介頂いた本を読んでみたいです。
いつも為になる記事を有難うございます。

7963
月子様

 こんにちは!

 僕も会社勤めで編集の仕事をしていたときに、インタビューはずいぶんしました。

 その道の「専門家」とか「語り部」的な人は、原稿にまとめる立場としてもやりやすいのですが、ふつうの一般の方のインタビューはいちばん難しいですね…。

 しかし、語り手と聞き手の波長がうまく合えば――、ありがちな「予定調和」的な原稿を超えた、ものすごく読み応えのある内容になりますよね。

7964
あおむし様

 こんにちは!

 40代とは本当に早すぎますね…。
 話を聞いたり話したりする時間と関係性が、魂の発露なのだと思います。

 「それを大切にしなくてはならない」ということを、早世する人たちは伝えてくれているように思えます。

 死の事実は変えられなくても、その死によって、周りの私たちは変わっていけるのでしょう…。

7966
黄味子様

 こんにちは!
 シンクロになって嬉しいです。

 「いっぱいしゃべって気持ちいい」というのはあっても、「いっぱい聞いて気持ちいい」というのは普通あまりないですよね(カラオケに似ているかも…。どれほど上手な歌でも、ひたすら聞くだけではあまり楽しいと思えないですし)
 それくらい、話すことのほうは自我にとって「快」であり、聞くことはその逆といえるかもしれません。


 また聞くことが大事といっても、もちろん単純に「聞く一方」ではあまり意味がなくて――、聞きながら「相手との関係性をどう確かにしていくか」が本当の要点でしょう。
 そこが「聞くこと」のいちばん難しいところであり、最も力を発揮するところでもあると思います。

7967
やっぱり
過去記事で出版関係にお勤めだったと記憶していましたが、編集者としてご活躍だったのですね。
だからこその筆力と読書量・・・大いに納得です。

結びのヒーリング音楽「Adiemus」、ライブ映像を初めて観させていただきました♪
コンピレーション・アルバムでしか聴いたことがなかったのですが、ライブは凄い迫力ですね。
人の声の持つチカラと波動を感じさせてくれるというか・・・

合唱──人の声を聴いて自らの声と合わせる事で生まれるハーモニーの素晴らしさ・・・テーマにピッタリの選曲にも感じ入りました。

7973
月子様

 こんにちは!

 Adiemusの曲は以前からとても好きですね。
 アフリカっぽい架空言語の響きは魅力です。

 CDも何枚か持っていますが、中でも声の力という点では、短い曲の「Chorale I (Za Ma Ba)」がお気に入りです。

https://youtu.be/mHnrgE1cVis

7995
うちのも
こんにちは。

うちの兄たちも、「自分の話を聞いてほしい」が、わりと昔からだったのと、私自身が「話すより聞く」ほうが好きなたちなんで。
家族でも、それ以外でも、一応「聞き上手」と言われますが。
なんだか、「まだまだだなあ」と思いました。笑

7998
月凪あゆむ様

 こんにちは!

 家族の中でじょうずに聞けるというのは、とても大切なことだと思います。
 会社では話を聞けても、家族が相手だとどうも苦手になる、という人だっていますから。

 「話し方」についての本やセミナーはあっても、「聞き方」はほとんどないですよね。
 でも聞くことは、誰もが伸ばすべき、本当に大事な能力だと実感しています。素晴らしい才能をお持ちですね!

8014
こんにちは!
こちらのブログには、よくお邪魔させてもらっていますが、コメントは、ほんとうに久しぶりです

「聞くこと」 

私が、いつも自分の課題にしてることです
じっと人の話に耳を傾けることの難しさをいつも感じています

このブログを読ませて頂いて、さっそく図書館で「モモ」の本を借りてきて読んでいます
続けて、是非、鈴木秀子著『愛と癒しのコミュニオン』の本も読んでみたいと思っています
いい機会を頂きました
ありがとうございます

8015
あなたの意見など求めていない
ただ自分の話を黙って聞け、相槌を打っていればいいんだという人もいます。
「それを強要されても困る」という話ですが。

本文やコメントを読んでいると、自分に聞く事を強要している部分もあるのでは?と感じます。
そんなに大変ならば、無理にしなくてもいいのに・・・と思うのですが。

確かに「聞く事」が大事な場面は少なくないと思います。しかし、聞く事は魔法の杖ではない。
相手の愚痴を何年もずーっと我慢して黙って聞き続けているが、相手は何も変わらない、なんてケースも珍しくはないでしょう。

誰かに「何も言わずに相手の話を聞け」なんて言われたらムッとしますよね。
自分に同じ事を言わなくてもいいのでは。








8020
sora様

 こんにちは!
 お久しぶりのコメントを嬉しく思います。

 「愛と癒しのコミュニオン」の本は、「聞くこと」についての参考になるポイントが本当に詳しく述べられています。
 今回のブログ記事では割愛した要点も多いので、一読してみる価値が十分にあると思いますよ。
 新書版ですから、すぐに読める内容です。

8021
Clary Sage様

 こんにちは!

 コメントをくださっている方々も、自分自身にとっての「相手の話を聞くことがとても大切な場面」を想定しながら、考えを述べられているのではないでしょうか。

 杓子定規な「絶対的鉄則」としてではなく、皆さんバランスをもってとらえていらっしゃると思いますよ。

8028
ならいいんですが
どうも、こういう話になるとそこはかとなく漂う「もっと相手の話を黙って聞かなくては」「今のままの自分(の聞く能力)じゃ駄目だ」という雰囲気が気になります。
私個人の感覚なので、「そんなものは全く感じない」としても不思議じゃないですが。

大抵の人もそうですが、私自身も様々な事でこうしたプレッシャーを自分にかけていると思います。
「もっと~しなくては」とか、「今のままの自分では駄目だ」とか。

ただ、私は「聞く事」に関しては、特にそうしたプレッシャーをかけてないので気になるのかもしれないですね。
必要な時にはそうするだろうとしか・・・・「頑張って聞く能力を高めようとする」というのがどうもよく分からない。
私が楽観的なのか、それとも「聞く事」を分かってないのか・・・どっちかな?

8034
Clary Sage様

 こんにちは!

 相手の話を聞くことがとても大切なときに、僕は互いの関係性を包む「場」のようになります。

 そうして、相手が語ることをじっと受け入れます。
 同時に、自分の中に色んな感情反応が湧き上がっては消え去っていくのを、ただ眺めています。

 そのような「場」の中で、これまで固執していた自我の「枠組み」を超えて、本来の自由な在り方を取り戻していく――
 そして、何かが両者を導いてくれて、相手の内にも新しい気付きが生じ、より自然で発展的な関係性がはぐくまれていく――

 そのような経験をときどきします。

8373
本読んでみました!
過去記事にコメントですみません
図書館でやっと本を手にすることができて
「モモ」と「愛と癒しのコミュニオン」を読み終えました
とってもよかったです!
後者の本は、もう一度読み返してみたいと思っています
本の中の「人は、心にゆとりがないと聞くことができない」という文章が心に残っています
時に「ゆとり」あるような、ないような…の私ですので、読んでいて頷くことが多々ありました

8376
聞くというと
どうしても「他者の話を聞く」というイメージしかないですが、「自分の話を聞く」というのはある意味もっと大事な事かもしれません。
頭の中で考える事・・・「あーでこーで」「こうした方がよかったんじゃないか」「自分はこういう所が駄目だ」「あの人はこうだからああだから」といった話(考え)を真摯に聞く。
聞きたくもない他人の話を無理に聞く義理はないですが、自分の考えには責任があります。

バーソロミューが「すべての人が自分を愛する事が出来れば何も問題も無い」みたいな事を言ってますが、同様に「すべての人が自分の話を聞くようになれば何の問題も無い」気がします。
「自分を愛してくれる他者」を必要とするのも、「自分の話を聞いてくれる他者」を必要とするのも似たようなものでしょう。本来、それは自分の責任において自分がやるべき事なのだと思います。

8377
sora様

 こんにちは!

 「愛と癒しのコミュニオン」は、僕は何度も読みました。
 さらにポイントとなるところをパソコンに書き写して、それを今もことあるごとに何度も読み返しています。

 それくらいしてやっと、「聞くこと」が体質として身に付いてきたように感じます。

8378
Clary Sage様

 こんにちは!

 「自分の話を聞く」ことは本当に大事だと思います。

 ただ、話すほうも聞くほうも当人であるだけに、お決まりの思考パターンに陥りがちなのが難点で、やはり相応の姿勢とテクニックなども必要になるでしょうね…。

 有名なバイロン・ケイティーのワークも、ある意味でそういう技法なのかもしれません。
 彼女の映画「ターン・アラウンド」の日本語版が、10月31日まで無料で見られるようです。

http://www.storeforthework.com/collections/digital-downloads/products/turn-it-around-the-movie-dvd

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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