内なる敵意と癒やし | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 終末期医療の草分けである精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスの話は、このブログでしょっちゅう引用しています。

 彼女は、終末期医療のあり方について端的にこう語る。
 「愛において、人生において、臨終において、そばにいることはすべてである」――

 この考え方は、彼女が「わたしの最高の師」と生涯にわたって呼び続けた、ある無名の人物との出会いがきっかけとなっている。
 以前もブログで紹介した有名なエピソードだけど、ちょっとあらためて書いてみますね――


 若き日のキューブラー・ロスが、アメリカの大学病院に勤めていたときのこと、あるとても奇妙な出来事に気が付いた。

 病院には、一人の黒人女性が清掃員として働いていた。
 その黒人女性が病室の掃除を終えて出ていくたびに――、ベッドにいる瀕死の末期患者たちの表情が、明らかに変化しているのだった。
 もはや治る見込みのない状態なのに、精神的に急に元気になっている様子だった。

 清掃員の女性が、医師のいない病室の中で、一体どんなことをしているのか…
 キューブラー・ロスは何としてでも知りたくなり、その女性と廊下ですれ違いざまに、「私が担当する患者たちに、あなたは何をしているの?」と出し抜けに尋ねてみた。
 するとその女性は、「私はお掃除をしているだけです」とこわばった声で答え、すぐに立ち去ってしまった。

 50年前当時のアメリカにおいて、黒人の清掃員が、白人の医学部教授と普通に話をすることの難しさを、スイス出身のキューブラー・ロスは理解してなかったのだという…。


 それから何週間か後のこと、キューブラー・ロスが一人で廊下を歩いていると、その黒人女性にいきなり腕をつかまれ、誰もいない小部屋に連れて行かれた。
 そしてそこで、自身の身の上話を聞かされた――

 彼女は以前、スラム街の劣悪な暮らしの中で子育てをしていたという。
 電気や水道はなく、食べ物も貧しく、医者にかかるなんて特別なぜいたくだった。

 ある冬の夜、3歳の息子が重い肺炎にかかってしまった。地元の病院に連れて行ったが、過去に10ドルの未払いがあったために診てもらえなかった。
 彼女はあきらめず、遠くにある公立病院まで息子を抱いて歩いていった。そこならば、お金のない貧困者でも診てもらえるはずだった。

 その病院で、何時間も絶望的な気持ちになりながら、医者が来るのを待った。しかし、誰も来なかった。
 自分の腕の中で、小さな我が子が死んでいくのを、彼女はただじっと見守るほかなかった…。


 清掃員の女性は、この悲痛な体験を、否定的な言葉を口にせず、人を責めたりせずに、ただ静かに語ったという。
 キューブラー・ロスは、「なぜそんな話を私にしてくれたの?」と尋ねた。
 すると彼女は、こう続けた――

 「私にとって、死はなじみ深いものなんです。死にそうな患者さんの部屋に入っていくと、すごくおびえていることがよくあります。石のように固くなっているもともあります。話してくれる相手が、誰もいないんです。
 それを見ると、私はついそばに行って、体に触れずにはいられないんです。ときには手を握って、心配することはないと言ってあげるんです。私が死をたくさん見てきたこと、死はそんなに怖いものじゃないと。
 あとはただ、そばいにいてあげるだけです。ときどき逃げ出したくなることもありますが、逃げません。その人のために、そばにいてあげようと、思ってしまうのです」


 このやり取りが、延命のみを至上目的としてきた医療のあり方に、キューブラー・ロスが一石を投じていく大きな契機となった。

 それから間もなくしてキューブラー・ロスは、何と、この清掃員の黒人女性を、自分の助手として採用したのだ。
 大学の同僚たちは、その行動に仰天してしまったという…。


 ――以上は、過去の記事でも紹介したことのある内容で、実はここまでが今回の前置きになります。

 このエピソードは、彼女の著書のいくつかに共通して出てくる。
 その一冊に『死ぬ瞬間と死後の生』という本があって、これはキューブラー・ロス自身が執筆したものとは少し違い、彼女の講演を録音したテープを、後年に編集者が書き起こしたものだ。

 そのため、会場での聴衆の反応とか、講演中の言葉の調子などが、カッコ書きで添えてあるところが特徴的である。


 で、講演の中で「清掃員の黒人女性を助手に採用し、医学部の同僚たちから仰天された」というこのエピソードを話したとき――、当然のことながら会場から大きな拍手喝采がわき起こった。

 ところが意外なことに…
 キューブラー・ロスは、その拍手の中に、人々が秘めるとてもネガティブな感情があることに気づき、話を中断してしまう。それに会場の皆が驚いてシーンと静まり返る――、という場面が描写されている。

 そのあたりを、やや長めですけれど、以下に引用してみます――


 「あなたの教師は変装して現れます。子供の姿で、よぼよぼのおばあちゃんの姿で、または黒人の清掃員の姿で、あなたの前にやって来るのです。
 あの清掃員は、自分が何者であるかを知りません。自分がどんな役割を果たしたのか、自分がどれだけの人の命に触れたのかも分かっていません。
 私はこの女性を最初の助手に採用しました。大学の同僚たちは仰天しました(笑いと拍手喝采)。なぜならこの人は……

 (ここで話を中断し、聴衆に向かって穏やかな調子で聞いた)正直に答えてください。さっき拍手をした人の中で、何人が敵意なしに拍手をしたでしょうか?(会場は驚いたようにシーンとなる)
 では何人が敵意を抱いて拍手をしたでしょうか?(静まり返った雰囲気が続く)
 医者や権威に対する敵意でしょうか?(拍手と笑いがばらばらと起こり、やがて「ブラボー」という声)。そうね。でも、皆さんが敵意を抱いている限り、事態が良くならないのは皆さんの責任です(しぶしぶながらという雰囲気だが、拍手が広がる)

 (あいかわらず穏やかな声で)大切なことなので、どうか学んでください。私たちは悪態をつき、疑問を抱き、非難し、見下します。そのようにして非難したり見下したりするたびに、世界に対してマイナスの感情を付け加えているのです。
 (とても穏やかな調子で)もし世の中を癒やしたいなら、まずこのことを理解してください。自分自身を癒やさない限り、世の中を癒やすことはできません。
 誰かを攻撃したり、非難したり、見下したりする限り、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、アウシュビッツ、マイダネクで起こったことの責任はあなたにあるのです。このことははっきり申し上げます(会場、シーンとなる)」――


 …という内容です。
 もし自分が講演会場にいたとしても、あの話の個所では、ふつう拍手するでしょう。

 清掃員を助手に採用するなんて、今の医学部教授でもあり得ないことだ。
 そんなことを、常識などお構いなしにやってのけてしまう型破りなところが、いかにもキューブラー・ロスらしくて痛快だし――、「権威主義のお堅い医師たちにガツンと言ってやれ!」みたいな皆の共有感覚と場の空気で、拍手がわき起こったに違いない。

 ところが、講演者である彼女自身は、その聴衆の感覚の中に、見過ごすことのできないような敵意や攻撃性が潜在しているのを読み取った。

 キューブラー・ロス自身、十代後半を第二次大戦中のヨーロッパで過ごし、終戦直後に医療ボランティアとして破壊されたポーランドの街やユダヤ人強制収容所の救済に駆けつけた。
 人間がこれほどまで容易に残虐で凶暴になって、地獄絵のような世界を作り出せてしまうという現実をまざまざと知らされた。

 そうした体験を通じて、人の心に潜む敵意こそが「戦争へとつながる真因」であり――、それを癒やさない限り戦争はなくならないし、自らの内を癒すことが「世界に対する私たち自身の責任」であるということを、きっと痛切に感じていたのだろうと思う。


 その敵意は、ほとんどの人に大なり小なりあるものだろう。
 たとえばネット上の書き込みを見ても――、権威のある政治家や有名人だから、いくらでも非難を浴びせても構わないといった考え方で書かれた誹謗中傷はたくさん目にする。

 間違った考えを持つ悪い人物だから、見下すべき犯罪者だから、こてんぱんに攻撃してやろうというものも多い。
 彼らはそうされるに値する者であって、自分は正義を発揮しているのであり、善の側に立っていると言わんばかりに…。


 もちろん、異なる考え方に意見したり、権力者などの行き過ぎに抗議するのはむしろ大事なことだ。
 ただ、外見上はそのような正当な衣をまといながらも、実は内に秘められた「敵意」の現れだったり、それにもとづいた感情のはけ口になっているケースは、本当に少なくないのではないかと思う…。

 反戦や平和を訴える場合でも、特定の政治家などをターゲットに挙げて、攻撃的に非難していることも多い。
 でも、実際に国が戦争に向かうとき――、時の指導者は、人々の心にあるまさにその「敵意」をたくみに利用して、それが敵国への憎しみと戦意に向かうようにうまく仕向けるんですよね…。


 私たちは、過去に日本が日米開戦へと突き進んだのと同じ敵意、ナチスドイツがユダヤ人を迫害したときと同じ敵意、アメリカが原爆投下したのと同じ敵意を――、全人類で共有するように、心の奥底でひそかに抱えている。
 そしてその敵意がある限り、同じような戦争をいくらでも起こす可能性があるだろう…。

 キューブラー・ロスが語った、「自分自身を癒やす」という道――
 それがまさに、地球を戦争のない星にしていくための、本当に唯一の道なのではないかと感じます。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Llewellyn & Juliana「Marble Halls」。

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コメント
7773
心から共感します
久しぶりにコメントさせていただきます☆。
今回の記事、心から共感します。
光奈さんのような知識もボキャブラリーもないので気持ちを上手く表現できないのですが…。
よく「戦争反対!」ということを掲げている方がいらっしゃいますが
そのエネルギーこそが「戦い」のエネルギーで…。
その気持ちもすっごくわかるのですが、矛盾していて、悲しく感じます。
平和は、自分のすべてを受け入れ、全てを愛することから始まるんですよね。
たった一人のエネルギーでも、何千、何万と集まると
とても大きなエネルギーになりますから、
私もその一人として、日々自分を愛していこうと思います。
途方もないことのように思いますが、それしかないし、それが一番の近道なんですよね(*^_^*)。

7774
難しい所ですね。
例えば、非常に多くの日本人が軍部に対して、天皇を旗印に戦争をする事に対して攻撃的に非難していたら、果たして戦争は起きたかどうか。
ナチスに対して非常に多くのドイツ人が攻撃的に非難していたら、ナチスが政権を取れたかどうか。

私は攻撃的な非難と言うのは、主に何かを止める時にどうしても必要になる時がある気がします。
それは暴力でも敵意でもない、「それを止める」という明確な意志であり、その表現と感じます。


反面、「あーこの怒りや敵意はまずいな・・」と思う事も確かによくありますね。
この2つの違いは、必ずしも言葉のチョイスで決まる訳ではなく、雰囲気というかエネルギーというか・・・・。

私はこの2つを同じものと見なすのはどうかな・・・と思っています。
激烈な表現だとしても、それを止めようという真っ直ぐな意志を感じる場合もあるし、穏やかな表現でも、内在的な敵意や攻撃性を感じる場合もあります。勿論その逆でも。










7775
はじめまして。
毎度、ブログを拝見させて頂いています。
いつもワクワクさせられる気持ちにさせて頂き、ありがとうございます。
さて、今回は、社会現状と比べましても、特に議論をしなければならない話題かと思われます。
詳細は省略させて頂きまして、結論の部分だけ、若輩者の私ながら思ったことを聞いて下さい。
まず、自分自身を癒やす、つまり、死という最大の矛盾に出逢う経験等を経て、或いは死を見つめて、自身に還元する、といった(私の勝手な解釈で恐縮ですが)観点に重点を置かれた点に痛く感動しました。
次に、グレゴリー・ペック主演の映画『紳士協定』の中で、
差別をする人はさることながら、
差別を見て見ぬふりをする人も罪である、
として、差別に立ち向かう主人公の持つ勇敢さ、強さも見逃してはならないと。
以上、自分自身を癒やすこと、自分も含め他人までをも内蔵する差別と闘う勇気も、欠かせない(他人までにも手を出す姿勢が自由主義に反するかもしれませんが)と思います。

7776
そもそも人間に備わっている
本能的な欲求があって、その欲求の危機に伴う不安、恐れ、敵意などの心理がベースになった巧妙なシステムで世の中が動いているから、大多数の人にとって敵意を手放すというのは違う人格に変わろうとするくらい不可能に感じられるでしょうね。

私は光奈さんのブログと出会って以来、多くの気付きを頂いたおかげで、自分の自我意識に対して「嫌いな人がいたら、その人の成功と幸せを祈る。」とか、「出来事全てに対して自分に必要なものとして受け取り感謝する。」とか、「怒りや不安、敵意や否定には風船を付けて空に飛ばす。」「自分は常に幸せである。」などといった前提で思考展開するように意識付けの努力をしてきました。

結果、「自分の意識を変えると、その分だけ何もかもが変わっていくというのは、どうやら本当のようだな。」と実感できるようになってきました。
たぶん、自分が徐々にシフトすると、宇宙や地球や日本のシナリオも少しずつシフトしているんじゃないかなと。
それが人々の数だけパラレルワールドとして無数に存在しているんじゃないかなって、今は漠然と思っています。

だから、どんな理由であれ闘いや攻撃が必要だと思う人には、いつまでもそれが必要な現実が現れ続けるのかもしれませんね。

7777
実輝様

 こんにちは!

 確かにこれまでは、敵意に対して敵意で対抗し、暴力性に対しては暴力性をもって封じるというのが、ある意味で仕方がなかった時代構造だったのかもしれません…。

 そうした状況は今後も続いていくでしょうけれど、でもいつか決意して、過去とは違う新しい在り方へと踏み出さなくてはならない。

 今は、それが着々と始まっているときだと思っています。

7778
Clary Sage様

 こんにちは!

 ヒトラーも最初、武力クーデターによって政権を取ろうとしましたが、失敗して投獄されました。

 でもその後に、反ユダヤを掲げて民衆の「敵意」に訴えかけることで、選挙によって合法的に政権を手にすることに成功しました。

 この点、「暴力」と「敵意」は違うものだということを熟知した上で、たくみに利用したのでしょう…。


 当時、もしナチスに対して「攻撃的に非難」する民衆運動があたっとしたら――
 たぶん「敵意をうまく操る」ほうが勝っただろうと思います。

 その点では、ナチスのほうが圧倒的に長けていたでしょう。

7779
ふがいないぼくはつぶやく様

 はじめまして。コメントを有難うございます!

 「差別を見て見ぬふりをする人も罪である」というのはその通りで、そうした非道を放置しておいては私たちに何の進歩もないでしょう。

 でも、差別をする人って、けっきょくは自らの「弱さ」や「不満」が原因なんですよね…。

 その「内なる原因」に目を向けないまま、行為や理念のほうだけ力づくで改めさせようとしても――、どうしても新たな抑圧を生じ続けてしまうことになります。(現在の刑罰はそういう仕組みですけれど…)


 不正や非道に立ち向かうときも、自分と相手とが意識の面で「分離」している状態では、効果が薄いでしょう。

 実際のやり方は難しいですけれど、彼らが本当に心の底で求めているのは、心を開いた「共感」なんですよね。
 共感によって、自らの内にある弱さや不満を癒やしてもらいたい…。

 その内なる原因を癒やすことによって初めて、差別が終わるのだと思います。


 そして、そんな相手にまで共感と癒しの手を差し伸べるためには――、やはりまず自分自身を癒やすことが何より重要になると思います。

7780
ももんが様

 こんにちは!

 素晴らしいですね! まさにその通りだと思います。

 「どんな理由であれ闘いや攻撃が必要だと思う人には、いつまでもそれが必要な現実が現れ続ける」というのも、僕もそのように考えています。

 そうして、ビジョンの異なる人たちが別々の道筋へと進んでいくことも、避けられないプロセスでしょう。

 でもきっと、敵意や攻撃の道筋を選んだ人も――、やがて「これを終わらせなくてはならない」と自ら気づいて、全体の道筋が統合されていくのだろうと思っています。

7781
私は、マイノリティー意識があり、天邪鬼で、判官贔屓奈人間なので、どうしても左巻きになりますが、
最近の左翼言論を見ていると、虚偽やダブルスタンダードを使わずに行われるものが無いので、少々がっかりしています。
事実のみを正論で語ると説得力が無いので、
虚偽的なものや妄想的なもので人々の恐れを刺激したいのだろうと思います。
SEALsなんていうのが、「戦争法案」だとか「徴兵制」だとか「安部はヒトラー」だとか、
事実に反する妄想と、妄想が生み出す恐怖と敵意によって大騒ぎしています。
SEALsに参加する学生は採用しないと言って炎上した人がいますが、
事実と妄想の区別ができない、目的を達成するためには虚偽によって人を貶めることが平気な人間を、
採用したい人なんかいるわけはないと思うのですが・・・

7782
korva様

 こんにちは!

 虚偽や妄想を取り除いて、誰もが純粋な「事実」だけを見たならば――、きっとこの世界から「問題」というものがなくなっていくことでしょう。

 自らの価値意識や信念やイデオロギーをもとに「問題解決」しようとして、逆に問題を生み続けているというのが実情のように思います…。

7783
おはようございます。ハチの誕生日も終わってヤレヤレです。私も今日から盆休みに入りました^^

予定は無いので家でごろごろしてます。5連休^^

フェレット一匹が体調悪いので様子を見なければ~何処もいけませんよ。

盆休みの予定はいかがでしょうか遠出の方は安全運転で気をつけてね!

ポチっ!して帰ります^^

7784
愛を否定する人は少ないとおもうし、差別の良くないことも多くは、理解しているおもう。

 だから、どの国も、どの政党も愛や平和を旗印にしている。「どの道」を通って愛や平和や自由や平等の世界にたどり着けるのかってところかな?

 でもそれと、戦争は別と思う。
戦争は利権争いだから。アフリカで民族紛争が起きるのは
本当は民族間の憎しみ合いなんかじゃなく、どちらの民族の長が覇権を握るか争いだ。
 民族が違うということを利用されているにすぎない。
ドイツ人もユダヤ人を迫害しなければ生きていけないくらい
社会が疲弊していたから、賤しい仕事とされた金融業で富んだユダヤ人を悪者にした。
 愛とか抽象的な言葉では戦争は止められない。戦争始める人も愛と勇気を口にするから。
正義は一つではないし、真実も。
 私たちは知らなければならないんだと思う。

7785
いや、私が言いたいのは
反ユダヤを掲げたナチスに対して、大勢の人が攻撃・非難していたら、ナチスは選挙で政権を取れなかったろうという事です。
「ユダヤ人に対する敵意を利用して選挙に勝とうとは、何という卑劣な奴らだ(と思っていた人たちは当時もそこそこいたでしょう)」と非常に多くの人が思っていたら。


雰囲気・エネルギーと書いてしまいましたが、要するに一言で言えば「動機」ですね。
恐れから口をつぐんでいる・スルーしているだけなのに、「自分は平和主義者だ」「自分はスルー力があり、大人の対応が出来る」と思う、といった事はよくあります。(ツィッターにも「自分を騙すのはとても簡単だ。自分の信じたい事を信じればいいだけだからだ。ケチな人間は”自分は節約しているだけだ”と考える」といったものがありましたが)

私は、この「戦争反対デモ」の気持ちがすごく分かる気がします。
かつて、恐れて何も言わなかった。黙り込んでしまった。「命は紙より軽い」とか言われても「ふざけんな!」と返せなかった。
自分たちの、国民の命をとことんまで軽んじた人間達に唯々諾々と従った。何も出来ないと諦め切って。
あの時と同じ過ちを2度と繰り返したくない。私はそんな思いを感じます。


スピリチュアリティ関連のブログを見ても、見方は二つに分かれますね。
「敵意はどんなものでも良くない。戦争反対と叫ぶのは攻撃的なエネルギーに力を与えるだけだ」というのと、「必要な時にはきちんと反対するべきだ」というのと。
どっちでもいいんですけど、この二つが対立・攻撃関係になってはいけないとは思っています。

しかし、「攻撃・非難が必要だと思う人はそういう現実を創り続ける」というのは、かなり攻撃的な言葉ですね(笑)









7786
ブログに転載させていただきました。
たびたびすみません。自分のブログに転載させていただきました。

7787
人類にとっての『最強課題』
『内なる敵意』を、微塵も感じない生き方って、本当に難しいですね。

歴史上の悲惨な出来事もですが、最近のニュースでも、ISに斬首された後藤さんや、マレーシア機の墜落(ロシア製ミサイルの破片発見)などを見聞きすると、自分の中の『敵意』、それに近い感情が沸き起こることを否定できません。

講演会場での、キューブラー・ロス博士の洞察に対し耳の痛い内容ですが、彼女自身も、自らに降りかかる問題には感情的、衝動的に振る舞う場面が多いので、『人間らしいなぁ』と、つい安心したり、いたずらっぽく笑ったり……。

正直、本日のテーマは、私を含めた全人類の『最強、最難度の課題』だと感じています。

中には、自分の中の欲求不満や、敵意を認めず(知らず)、慈善や、ボランティア活動に走って『立派な人』を演じる場合もあるでしょうから。

プライドを捨てて、自らの意識下に潜む敵意に気づき、
まずは自分を癒すことが理想ですが、大抵の人は『わたしは善人だ!』と、思い込んでいることでしょう。

だからこそ、言葉や文章には依存せず、
(言葉や文章は本心とは限らない)
内なるエゴと、ハイヤーセルフの真剣勝負でない限り、
『内なる敵意』を癒せる手段はないですからねぇ。

阪神大震災の時、仕事を放棄して(後先を考えず)現地に
急行した無名の大工さんがいました。
後にインタビューされ、彼は次のように言いました。
『それが……気がついたら神戸に来てて…』でした。

このように、瞬時に体が反応する人って『魂として在る人』ですよね。

そのとき、二足のわらじ状態だった私は、
『仕事が、学校が……』と、結局は募金をしただけでした。

日頃、立派なことを言い、書いても、
いざという時に『できない理由』を挙げる自分です。
私の場合、この、エゴとの格闘って、死ぬまで続くんでしょうね。

ですが、広大さんに、こうやって反省と進化の機会(テーマ)を与えてもらって幸せです。

7788
フェレパパ様

 こんにちは。いつも応援を有難うございます!

 ご家族のこと、お大事になさってください。

7789
Clary Sage様

 こんにちは!

 ヒトラーを描いた映画の中で、当時の老人たちは「あんな男の言うことを信用してはならない!」と警告するのだけど、若者たちは聞く耳を持たずヒトラーに心酔していくという場面がありましたね…。


 反戦デモは、もちろん意義ある必要な行動だと思います。それが世論に働きかけ、政府の行き過ぎにストップをかける力は十分にあります。

 そうした中でも、私たちは自らの内に、戦争の根本原因にもなり得る「敵意」を宿しているということを、自覚しておくことが大事だと思っています。

7790
月光様

 こんにちは!

 ブログの紹介や転載は、ご自由にしていただいて結構です。
 よろしくお願いします。

7791
風子様

 こんにちは!

 キューブラー・ロスは「内なるヒトラー」と呼んでますね。
 自らの中にあるそれに苦しめられながら、浄化のワークに取り組むところも、自伝の中に出てきます。

 また、人は死に向かうとき「怒りの段階」があることを説き、そして彼女自身も死ぬ前に周囲に怒りをまき散らしました…。

 まさに、聖女ではなく人間らしいところが、この人の魅力だと思います。
 きっと「考える前に体が瞬時に反応する人」だろうと思います。


 ただ、もしも身近にいたら、きっと僕はあまり好きになれないタイプかもしれません…。

7793
キューブラー・ロス博士ご自身も医師だから
こういう事を言ったのかも、というのも何となくこの発言を素直に受け取れない一因かな。
仲間意識や、自分をかばう意味合いで言っているような気がしないでもない。
これが自分とは全く違う職業の人の話、しかも普通明らかに非難されるような人たち・・・・例えば、マフィアや麻薬カルテル、武器商人や人身売買組織の話をしていて拍手が起きた時に「非難したり敵意を持つのはいけない」というのなら、少なくとも「本気で言っているんだな」とは思います。

確かにそういう人たちにも、差別をする人と同様、理解と共感と愛が必要(というかある意味一番必要)だと思います。
でも彼らに敵意や非難の気持ちを持つのも自然な事です。(医者も残念ながらそういうケースが少なくない。ドクハラなんて言葉もあるくらいで)
そうした感情は認められない、というのはどうかな~。せめて認めてやればと思うんですけど、戦争や大量虐殺につながるからダメ?(本当に??)

しかも、博士自身も本を読む限り、怒りや攻撃性が決して少なくない性格の方に思えます。(それが悪い訳ではないです)
だからその意味でも違和感があるかな。心底穏やかな人が言ったのなら「そうねえ」と思えたかもしれませんが・・・・。

自分の敵意を自覚するのが大事と言うのはその通りですね。
気付かないのが一番まずい。
敵意があれば必ず自動的に利用される訳ではない。金銭欲がある人が全員詐欺に引っかかる訳ではないのと同じですね。
自分の敵意や欲を”利用しよう”という動きには、結構勘付くものです。そりゃ気付かない場合も少なくはないですが。

敵意や欲は無いのが一番、それは同意です。
無ければ悪用されようがないですし。
ただ・・・「戦争に反対するのはいけない」という人が、戦争反対する人たちを(暗に)見下したりするのもよくある事です。(その逆もありますが、こっちはあまり「暗に」じゃないですね)
こういうのが無ければ、本当の平和主義なんだけどな~・・とよく思います。










7794
同感です
>キューブラー・ロスが語った、「自分自身を癒やす」という道――
 
〇まさに同感です。問題は、このような考えに立てない人も多いということでしょうか。
 なお、黒人看護婦の話については、拙ブログ(野菜を食べやさい)でも、アフリカとの関連で引用(リンク)させていただきました。本当に興味深い記事でした。ありがとうございます。

7795
人の所為で自分は不幸になったと思う。その気持ちがある限り、憎しみは消えないし、戦争は終わらないですね。人の所為にする前に、自分はそうならないないように何をしたかをまず問うべきなんだと思います。自分を不幸というものに陥らせた原因のわずか1%でもいい。自分は防げなかったのかと。事故の後には30ものミスが隠されているといいます。その一つでもなかったら、事故がなかったということに。その一つだけでいいから、防ぐことが自分はできなかったのかと。内なる敵意に目を向けることができなくなったとき、人の所為にして、自分さえも不幸にしていくだろうのに、戦争に向かっていくのだと思います。

7796
ちょっと悲観的に
こんばんわ
今回のテーマは気になってしまってまたコメントしてすみません。
自分は死にたくない。自分の子供の命は自分の命に代えても守りたい。
こんな普通の本能的な要求がある限り敵意が生まれ戦争に導かれていくのでしょうか。
「平和の為に備えましょう。」という政府が平和を理由に敵意をうまく操りいつのまにか戦争に導いていくのが先か反戦って言っている人達が敵意を利用されその反対している戦争に巻き込まれるのが先かってことでしょうか。
豊かな今の日本でも
社会に不満がある人がもっとも容易に敵意をうまく操られてしまうのでしょう
大衆化するとエネルギーが膨れ上がるって確かに怖いですが
そこまで大衆って馬鹿でしょうか。過去の過ちを忘れないようにすることが大切なんですね。
今は無人の兵器や核兵器など開発されているし、結局憲法も大衆も関係なく政府の一存、国の利権で戦争が起こるかどうか決まってしまうのか
民意で政府の暴走反対の意志は示しておくべきと私も思います。
あまりスピリチュアルなことが書けなくてすみません。

7798
Clary Sage様

 こんにちは!

 キューブラー・ロスが、医師としての仲間内をかばったり、自己保身をしようという意図はまずなかったと思いますよ…。

 最大のタブーである「死」をテーマに語る人物として、当時の医学界から異端視されてけむたがられ(医師である夫にも離婚され)、ほとんど孤立していたわけですし。

7799
ささげくん様

 こんにちは!

 「自分自身を癒やす」ということについて、いわば総論としては同感だけど、こういう場合は例外であるという考えの人は多いでしょうね。

 でも案外、その「例外」としているものの中に、その人にとって、あるいは私たち人類にとって、最も重要なテーマが含まれていることもあります。

7800
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 やや次元の違うとらえ方ですけど、「起こるべきことがただ起こっている」という視点もまた、大事だったりすることがあります。

 それを「誰かのせい」と決め付けたとき、敵意が発動するのでしょう。

7801
昆布茶好き様

 こんにちは!

 「自分は死にたくない。自分の子供の命は自分の命に代えても守りたい」というのは、まさに普通の本能であり、人として美しく崇高な意志でもあります。


 ところが、以前のブログでも紹介したナチス高官が語ったところによると…

 「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。
 外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいい」――

 …ということなのです。

 まさにその意志が、戦争に向かうときに利用されてしまうケースもあるという点が、この問題の難しいところだと思います。

 先のイラク戦争でも、アメリカ政府は「イラクは大量破壊兵器を保有する世界の脅威である」と主張して民意を巻き込み、戦争に踏み切ったわけですから(結局は大量破壊兵器は存在しなかった)。
 「今の私たちは、そう簡単にはだまされない」と言い切れないのが、つらいところでもあります…。

7802
なのはなS様

 こんにちは!

 投稿したと思っていたのがアップされていなくて、返信の順序が入れ替わってしましました…。

 「民族が違うということを利用されているにすぎない」というのはその通りで、対立や争いは必ず「分離」の感覚に根差しています。

 そして、第一次大戦の賠償金のために経済破綻したドイツのように、そこには「不足」の状況があります。

 その分離と不足が世界にある限り、戦いは今後も繰り返される可能性があるでしょう。


 愛とか抽象的な言葉では戦争は止められないのは確かなのですが…
 でも、分離と不足を乗り越えて、「私たちはひとつ」であることを認識し、互いに「分かち合う」世界のあり方へと変容していくためには――、そうした言葉が指し示す「自らの内側」と向き合うことが、私たちにとってやはり不可欠な道だと思っています。

7803
光奈さん、こんにちは。

昔、占いで「敵にも助けられる」と出ました。

私には「敵」という意識がよくわからなくて
たとえば会社だったら共に働く仲間。意見は違っても協力し合って
いい仕事をしていきたいと考えていました。

ライバルしかり。好敵手というのは
共に高みを目指している仲間ではないかと思っています。

差別しかり。共に地球に生きる仲間ですよね。
人種などで差別するのがわかりません。反論する言葉が思いつかない。
だから差別に対する反対運動もできません。

自分の中に善と悪が存在するように、私の中に「敵」も存在するでしょう。

若い頃、大学に進学させてくれなかった父が大嫌いでした。
当時は私にとって父は「敵」だったのでしょうね。
そんな父とも仲良く暮らせるようになり、父は早々旅立ちました。
今では父への思いは感謝だけになりました。

お盆ですね。父への感謝の思いを供え物(父の好物)などでも表現します。
ちなみに、亡き父は結構差別意識のある人でしたね。

7804
こんにちは
なんとなくこうなのかなと思うことですが。私たちが住む色の世界は様々な色があります。青、赤、黄、紫、紺、金、銀、数え切れないほど。心の状態にも様々な状態が同じようにあります。愛、平和、憎しみ、悲しみ、復讐心、殺意、友情、競争、恐怖、不安などなど。 
仮にの話ですが、赤と青だけしか好きじゃないからそのほかの色は無くしていこう、それ以外の色はあってはいけないっていくらさけんでも黄色は存在しますし紫もありつづけます。愛と平和で満たそうってさけんでもどうなんでしょう。
個人の生まれた環境、境遇はあまりにも様々です。憎しみや嫉妬心、保身に駆られる人は愚かで劣等人間でしょうか。世の中って個人の望むものだけがその人の人生に顕現して来るという風にはできていない。 
なんか一定の割合が機械的にきまってるようにすらおもうんですよねえ。アリの法則っていうのがありましたよね。http://blogs.yahoo.co.jp/edy2milage/16635438.htmlにもありますが。愛と平和と受容を最重要視するひとたちだけをかきあつめて世界を作っても今と同じような世の中になると思います。そう、割合があるていど決まっているんじゃないかと。それがこの世の性質ではないかと。例えば光奈さんが憎しみに駆られやすい性格に変化したとしても、世界のどこかのテロリストが何かをきっかけとしてキリストのような心を持つ人に変化したり。ある要素を誰が担うかは常に変化しつづけるけれど全体で見たら割合は変化しない。この世はただただ数え切れないぐらいの様々なバリエーションがあるきまった割合で顕現し続けるようになっているのではないかと思います。

7805
イラク戦争では
全米各地で大規模反戦デモが起きました。日本でも、他の国々でも反対運動やデモが起きています。
いや、あれに心底騙されてたなんて人はそんなに多くないですよ。というか、殆どの人が「大量破壊兵器」を口実にした利権のための戦争(というか、戦争ですらない。空爆で民間人を大量虐殺しただけだから)と知っていたと思います。
「えっ大量破壊兵器は無かったの!?」と思った人はどれほどいたか。
大抵が「あーやっぱりね」という反応だったと思いますよ。

「人間は賢い」とまでは言えないのは残念ですが、そこまで愚かではないです。


施政者(権力者)が情報を隠す理由として「大衆は愚かだから判断できない」というのがあるとか何とか。
これが言い訳なのか、本気で思っているのかは知りませんが、これを聞いたら大抵の人は「ふざけんな」と思うでしょう。(「市民」と言わず、「大衆」と言うのがいかにもですが)

光奈さんも、もう少し信頼していいんじゃないかと思います。
人間(人類)は何だかんだ言っても、経験から学んではいます。そこそこといったレベルかもしれませんが。












7806
などと分析しつつも
僕個人は戦争より平和、憎しみより愛、すべての人が癒されるほうがよいって当たり前に思う一個人ではあります。

7807
内なる敵
 内なる敵意を無くして貰いたいのは、中・韓・露の方です。日本人ではありません。アメリカも、戦争をやりたがらなくなっています。だから、集団的自衛権でアメリカの局地的な戦争に付き合うことも実際は起らないでしょう。
もし、起りそうになったら、その時こそ、大規模な反戦デモをやったら宜しい。そのために、憲法九条は残してあるのです。
 安倍内閣は、ナチス政権がユダヤに対してやったような、敵意を煽るプロパガンダなど全然やっていません。逆に、批判勢力の方が「ヒットラー」だの、「戦争法案」だの、事実と違う危険なプロパガンダをやっています。
彼等が付け込んでいるのは「敵意」ではなく、戦争をしたくないという「心情」です。日露戦争時の与謝野晶子みたいなものです。そして、結果的に日本を危険に曝します。彼等反日工作員の思う壺です。
 問題なのは、スピ系の人達が、その危険な工作員のプロパガンダの方を支持することです。あなた方の最大の弱点は、情動し易く、冷徹で客観的な現実的視点を持てないことです。


7808
Man in the Mirror
光奈様

いつもお世話様でありがとうございます。
今回の記事も素晴らしかった。

https://www.youtube.com/watch?v=ljpl0neGk2Q

マイケル・ジャクソンほどの人物が、
「世界を変えたければ自分から始めなさい」
といって、自分の中に世界の矛盾の相似形を見出していると思うと、自分はなおさらだと思わされます。

外に対して不満を抱いたときは、
自分の中にそれを探すと、すぐに簡単に見つかります。
さっきまで怒っていた自分が笑えます。
世に満ちる素晴らしさも、醜さも、すべて自分の中に見つけることができるようになっています。

7809
掃除第一
 広大さんがこの記事で言っていることは別に間違ってはいないけれど、ではどうするかというところが曖昧です。
その点、日月神示は明快に答えています。掃除即ちカルマの償却。
不幸も、災害も、戦争もその一環です。ここの人達は皆、考えが甘い!

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。(上つ巻 第1帖)

始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、 イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦許(イクサばか)りでないぞ、(ウメの巻 第18帖)


7810
反射的に沸く感情・思考に向き合う
この記事には深いコメントが多いですね。
 人が何かに対して反応する時、感情や思考として反射的に出てくる衝動を深く掘り下げていくと、その最奥には人間誰しもが持つ「際限の無い欲望」という病巣があると思うのです。その欲望が刺激への致命的な弱さとなっているのでしょう。欲望は暴力性・虚栄心・手持ち無沙汰感・・・挙げ始めればきりがありませんが、大元からたくさんの分野に派生しています。世の中にはそれを熟知して巧みに煽る一部の存在とその手先、そして僕達自身が生み出した娯楽や嗜好品といった刺激物で溢れかえってますね。
 根本原因である病巣が初めからない状態というのはこの地球ではまず有り得ないことなので、既にある病原を治療するという手段をとることになります。そのための手段が自分のふとした感情や思考に気づいて、癒し清めることなのですね。確かに僕達一人一人がそれを地道に継続していけば世界は着実に良い方向に変わっていくでしょう。僕も安易に逃げずに責任を持って、自分自身の内に潜む「認めたくないもの」と向き合っていこうと思います。
 地球はある一定の領域を体験するための受け皿として長らく使われてきましたが、その状況もこれから変わっていくという話をあちこちで聞きます。僕も何か役に立ちたいところですが、実際のところ大したことはできてないです。恐れずに自然体で世の中の問題に切り込んでいくkoudaiさんの姿勢にエネルギーを分けてもらってます。

7811
こんにちわ^^
そう言えば明日は8月15日「終戦記念日」ですね^^
思いますに、日本が右傾化しおかしくなってるのは、死と言うものに無知だからだと思います。
昔は老人は、みんな家族に見守られながら、自宅で息を引き取りました。
今は病院の集中治療室です…中年以降の世代は誰も現実の人の死を見た事が無い><
ならば「自宅で死ぬ権利=尊厳死法案」を作って、子供や若者に、人の死の現実を見せてやればいいのでは?
そしたら、最近少年が起すイジメや残虐犯罪も減るし、ネットで見掛ける若い右翼の考えも180度変りますよ。
賭けてもいいです♪

7812
あおむし様

 こんにちは!

 親に嫌悪の感情を持つケースは、少なくないと思います。

 でも、それが後年に感謝や許しに転じることによって――、私たちが共有する意識の一部が浄化されるように思います。

 それは個人の人生にとってだけでなく、地上世界の全体にとって非常に大切なことだと感じます。

7813
タカヒロ様

 こんにちは!

 働きアリや、企業の従業員の生産性などに共通してよく見られる「8:2の法則」は、この世界に広く作用している法則性のひとつだと思います。

 それによって、抜け出ることのできない現実が、繰り返し延々と展開されていきます。
 この世界の出来事を経験するプロセスとしては、効果的な作用をもたらしているともいえます。


 ただし、根源的な魂がこの世界を創造した目的というのは――、そうした世界を永久に際限なく経験し続けることではないでしょう。
 やがては法則性の重力圏から脱して、新たな在り方へとシフトすることにあるはずです。

 私たちは、自らの選択によってその法則性を超えていく方向へと、向かっていると思います。

7814
Clary Sage様

 こんにちは!

 イラク戦争に対する見方は、僕もClary Sageさんとほぼ同じに思っています。
 
 ただそれでも、アメリカ国内では「God Bless America」という大義を掲げたナショナリズムが高まってましたし、イギリスとオーストラリアも(議会の承認を経て)参戦しました。
 その現実的な結果として、イラクの地では広島原爆を上回るほどの人々が犠牲となって、憎しみの連鎖が今もずっと続いているわけですから……、「あれは茶番だったし、多くの人はだまされなかった」という形で割り切れる気は僕自身はちょっとしないです。


 もちろん、時代を経ながら私たちが進歩しているのは確かです。私たちの歩みついては信頼しています。

 その歩みゆく課程においては、「私たち自身について、忘れてはならないことがある」と思っています。

7815
666様

 こんにちは!

 戦争と平和にまつわるテーマについては、ほとんどの人がそれぞれの一家言を持っていると思います。

 ただ、反政権をとなえる人たちのやり方や理非善悪を評することが今回のブログ記事の趣旨では全然なくて――、むしろ「自分の側が正しくて、相手のほうが誤っている」という信念構造そのものの問題点について触れた内容ではあるのですが…。


 「己の心を見よ」「何より掃除が第一」というのは、まさにそれこそが、例外なくすべての人にとって肝要だと考えています。
 隣国の人々にとっても、日本人にとっても、そして「自分が正しい」と考えている人にとっても、そうでしょう。

7816
しし様

 こんにちは!

 「世界を変えたければ、自分から始めなさい」というのは、本当に大切なメッセージだと思います。

 よく言われることですけれど、私たちは同じ世界の中に生きているように見えて、実は全く異なった世界を生きている。
 それぞれ自らが信じ込んでいる世界観・人生観をもとに、周りの現実を生み出して、その中で暮らしている――

 まさしく、世界の発端が、自分自身の内にあるのだと思います。

7817
masahiroGN様

 こんにちは!

 私たち自身が世界に役立つことって、必ずしもオピニオンを語ったり行動を起こすことではなく、まさしくmasahiroGNさんが言われる「反射的に湧く感情・思考に向き合う」ことがやはり何より大事だと思っています。


 アメリカ先住民の以下の言葉はとても好きですね――

 「『真実の平和』というのは、私たちの魂の内に生まれる。他者との間や、あるいは部族間の平和というのは、『真実の平和』の似姿にすぎない。まず『真実の平和』を知っておかない限り、ほかの平和などとうてい実現しないことを、何よりも理解しなくてはならない」

7818
sado jo様

 こんにちは!

 僕の実家にいた祖父母とも、90歳以上まで生きました。
 祖母は認知症のため高齢者施設に入ってから亡くなったのですが、祖父のほうは最後まで普通に生活して自宅の畳の上で亡くなりました。

 そのようにして自宅で亡くなるケースって、全体の1割ほどに過ぎないそうですね。
 誰もがそのような最期を望みますが、ただ望み通りに最後まで元気に家にいることって、なかなか簡単ではないだろうな…、というのが祖父母のケースを見ていて思ったことです。

7819
何回もコメント本当にすみません。返信は気にしないでください。
>「自分は死にたくない。自分の子供の命は自分の命に代えても守りたい」というのは、まさに普通の本能であり、人として美しく崇高な意志でもあります。

私もそう思います。

しかし集団的自衛権容認派はきっとこう言いたいのでしょう「自分の子供が殺されそうになったら、あなたは殺そうとする相手と戦いますよね。戦争しますよね。戦争するのがいやなら備えればいいんです。戦争を直接しなくて済みます。他国の戦争のお手伝いをちょっとすればいいんです。そうすればあなたが戦争のお手伝いをした国があなたのお子様を守ってくれるでしょう。」

それで他国で犠牲になった人達は次に何をすると思いますか?

Mitsuna さんに尋ねることじゃないですね
すみません 個人の心の平和ですね

7820
私も割り切れる訳じゃないですが
「今の私たちはそう簡単にはだまされないと言い切れないのが、つらい所です・・・」と書かれていたので。


民間人が300万人以上虐殺されたと言われていますが、あれも意味のある事だったのか。
よく、どんなに悲惨な事であっても「すべての出来事には意味がある」と言われます。そんな事はとても受け入れられないと思いますが、かと言って「何の意味も無い」としたら、そっちの方がある意味もっと受け入れがたいですね・・・・。


アフガン・イラクの空爆は、あまりの非道さに多くの人が反対し止めようとしましたが、結局止められなかった。
何故だろう?と考えた事はあります。
もう事が走り始めていて、止めるには遅すぎたのか。

あの時、特にスピリチュアリティに関心のある人たちは「多くの人が心を合わせればきっと止められるはずだ」と思っていたでしょう。
でも出来なかった。その結果に失望した人は少なくなかったと思います。

私もその一人ですが、でも、どこかに「無理な気がする」という気持ちはありました。そういう気持ちがあったから、大勢の人が強い信念を持たなかったから駄目だったのだという考えもありますが・・・・個人的には、何かを止めるにはタイミングが重要という気がしています。
予防医学じゃないですが、病気が現れる前、事象として現れる前に止めるのが一番効果がある。
だから、私は今の反戦デモに肯定的です。例えそれがヒステリックに見えようとも。


公平に見れば、「戦争反対」する人、「戦争反対する事に反対」する人、どちらにも一理あります。どちらの理屈も分かる。
前にも書きましたが、こうした異なった考え方が対立するのは良くないですね。
自分が正しくて、相手が間違っているというのはね。
私もつい説得したくなってしまいますが(笑)立ち位置や物の見方が違うだけで、どちらがより分かっているとか分かっていないとか考えるのはまずい。
どうしても、「自分の方がより分かっているんだ!」と考えがちですが。
それぞれ、そう考えるなりの理由がある。これまでの経験とか、色々と。
自分の考え・意見は表明しつつ、それは心に納めておかないと・・・と思います。
















7822
戦争にも意味がある  
 戦争を経験しない平和主義など屁のようなものです。
日本は大東亜戦争で負けたから戦争嫌いになったのではありませんか?
アメリカはベトナムやイラクで戦った後遺症から民間レベルでは厭戦気分が支配的になったのではありませんか? オバマも戦争が好きではありません。次の大統領に誰がなるかを良く見ておきましょう。それが集団的自衛権の命運を左右します。
中国、ロシア、韓国は未だ懲りていないから危険なのです。

 日月神示に「始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、」と書いてあることは、戦争が「霊的な大掃除」を兼ていることを意味します。総合的に進化という観点からは、短期間で多方面に物凄い促進効果があるのです。(多分、誤解されるでしょうが)
掃除が済んでカルマのない人は、戦争であろうと、天変地異であろうと、経済破綻であろうと、何も心配する必要はありません。
神示は「人が悪と思っていることに善が沢山ある」とも言っています。
 序に言えば、スピ系の人が死を恐れるのは理屈に合いません。霊は死なないし、霊界の方がずっと良いことを知っている筈ですから。

 それから、「正義は人の数だけある」けれども、そのレベルは皆違います。
だから、「異なった考え方が対立するのは良くない」というのも間違ったスピリチュアリズムです。
何のために、元は一なるものが分離して個別化したのか。「学びのため」ではないですか。成長するためには大いに切磋琢磨すべし。


7823
コメント、はじめましてです。
いつもお世話になっているfalxです。
新しいブログ、twitterで始めたのでフォローさせていただきました。
記事と関係のないコメント失礼しました。

7824
トラブルに感謝しました
光奈さん、こんにちは。

昨日、防災関連で充電池のチェックをしたんです。
未使用アルカリ電池が古くなったせいか液漏れを起こしたようで、
一緒に保管していた充電池3本にも液がついていました。
まだ使えそうでしたが、処分することにしました。

夕方、散歩中にふと最近使っていないリモコンが気になり見てみると、
なんと使用期限2005年の電池が入っていました。
2009年頃に買った機器の付属品なのに。なぜか中国製。液漏れなしでした。
液漏れ防止にその電池を抜きました。

何だか不思議な感じがしました。
小さなトラブルは大きなトラブルを防ぐために起きてくれるのかな。

戦争という大きなトラブルが起きる前にすることはたくさんありますね。
自分でできることは自分の心の平和。でもこれが実は一番難しいのかな。

7825
でも、もし・・・
ホロコースト、原爆投下、東京大空襲、ベトナム、イラク、etc,etc・・・・といった、何十万人、何百万人の大量虐殺が意味のある事だとしたら。
個人の人生で受け入れられないものなど何もないでしょうね。

どうしても「これには(この出来事には)意味があったのか」とか、「これは受け入れられない」と考えてしまいますが、大量虐殺に意味があるなら、何にだって意味はあると言えます。

現れるものごとはすべて、真のあなたがそれに対して「イエス」と言ったということだ。そのように受け入れられていない限り、ものごとは現れない。
真のあなたがすべてを受け入れるのを許そう。ものごとを「問題」だと主張するのは、思考が作り上げた幻の自分なのだ。(ルパート・スパイラ)

というツィッターの言葉がありますが、これが本当なら、「現れるものごと」というのは当然個人的な事には限らないでしょう。
ホロコーストも、原爆も、ベトナムも、イラクも、その他何であれ「真の私がそれに対してイエスと言った」という事になります。

「何でノーと言わなかったんだこのド阿呆!」と真の私に言っても仕方ないですし・・・・・・「真の私がすべてを受け入れるのを許す」しかないのか。







7826
昆布茶好き様

 こんにちは!

 あくまでも今回の法案そのものではなく、その「話の筋立て」をどう思うかについて言ってみますと――

 「国の戦争」を「子供を守る親」になぞらえるのは、あたかも縮図のように見えながらも、実際はかなり異質なものだと思います。

 仮定としてイメージをするぶんには、なるほど思えても、現実にあった戦争を考えてみると――、
 太平洋戦争も、ベトナム戦争も、イラク戦争も、はたして「親としての本能」にどの程度うまく当てはまるものなのか?…

7828
Clary Sage様

 こんにちは!

 地上で起こり続ける非道について、誰もがやり切れない思いを持っているはずですし、隣人としての問題意識を持って考えたり行動することは、私たちにとっての学びであることに違いはないと思います。

 一方、これはぜんぜん違う角度からの話になりますが――、
 臨死体験者や退行催眠の被験者の証言などを読んで気づくのは、死後の世界で、そうした世界規模のテーマに対する認識や行動について問われたという例が、ほぼまったく見当たらないことです…。
 肉体を離れた後、自らの生をかえりみて問われるのは、周りの人たちに愛を与えたかなど、極端なほど身近で内的なことばかりです。

 きっと魂にとってはそれくらい「内的テーマの優先度が高い」のでしょう。

 複雑な現実世界に生きる実感としては、何十万とか何百万もの犠牲者が同じ世界の中で出ているのに、それほどまで単純で極端なのはおかしいだろうとも思えてしまいます…。
 これもこれで割り切れる気はしないのですが、でも、そのような真実の側面もあるのでしょうね。

7829
666様

 こんにちは!

 僕自身も、戦争というのは、実は「愛」の現れの一部であると考えています。
 宇宙の根源である大いなる愛は、戦争や暴力も、差別や虐待などのどんな非道も、あらゆるものを隔たりなく一つに内包するものでしょう。まさに完全なる「無条件」です。


 私たちが分離して存在しているのは、それによる「対立」や「争い」だけが目的というわけではないでしょう…。
 互いの「理解」とか「許し」「分かち合い」なども、分離しているからこそ可能な経験ですし、皆のレベルがばらばらの世界でそれをするからこそ、意味があるように感じます。

 このような見方が甘かったり、ある人々にとってはそんな考えがむしろ進歩の妨げになったり、悪意ある者に付け入る隙を与える可能性があるのかもしれませんが――、
 でも、これだけたくさんに分離した存在のうちの1人が、永遠無限の命の中の1回の生でそのように考えていることに対して、神や宇宙はとくに問題なく大目に(というか無条件に)見てくれているのではと思いますけど…。

7830
Noelia様

 こんにちは!

 ツイッターのフォローを有難うございます。
 こちらからもリフォローいたしました。

7831
あおむし様

 こんにちは!

 古い乾電池の液漏れは、機器を故障させてしまいますからね。
 私たちの内にある、古い感情エネルギーのようなものです。

 早く取り去ったほうがいいでしょう。

 …って、ちょっとこじ付け過ぎですね。

7845
キューブラロス先生素晴らしい
始めてコメントします。

キューブラロス博士の本は20年前に出会って衝撃的でした。

癒しの意味、頭では分かってるつもり、当時もそうだったと思います。
今は常に外側には何もない自分の内側が目の前に現れてるって、心の中の世界って本当に葛藤だらけだと思います。

会社、電車の中、人と関わる以上、避けられないこと、だからこそ自分の内側だけはその負の波に飲み込まれないように、呼吸と共に心平安でいることだけは、忘れないようにして行きたいと思います。

嫌な人許せない人色んな心の状態、正直今もあります。

だけど、そこにエネルギーかければかけるほど1番苦しくなるのは自分。

今日このブログに出会って読んで、改めて、一人ひとりの心の在り方の大切さをこの場で皆さんと共有できた事、顔は見えませんが一人じゃない、すべてはワンネスなんですね^ ^

一瞬一瞬 穏やかな思いで行きたいと思いました。
ありがとうございます。


7847
ミッチン様

 こんにちは!

 キューブラー・ロスは、本来はスピリチュアル領域の人ではないかもしれないですけれど――、人の心の問題や、魂の目的、見えない世界の存在などについて、まさに地に足をつけた観点から説く、並はずれた語り部だと感じます。


 許せないことや嫌いなことに「エネルギーかければかけるほど、苦しくなるのは自分」というのは、本当にそうですね。

 以下はロシア人のヴァジム・ゼランドの言葉で、分かりやすい比喩だなと思います。

 「あなたはこの世界で、非難したり変更を加える権利を何も持たない。展覧会の絵のように、好む好まざるにかかわらず、すべてを受け入れなくてはならない。
 展覧会では、良いとは思えない絵もたくさん展示されている。だが、それらを撤去することは思いも寄らない。それと同じだ」――


 まさに「世界」という展覧会には、気に入らない絵はとても多いけれど…、でも、もっと目を見張るべき素晴らしい作品にもたくさん出会えますよね!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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