電車 de リトリート | 自由人の カルマ・ヨガ ノート
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 所用があって、いま京都の実家に帰省しているところです。
 僕が自宅で担当している「主婦業」のほうは、パート・タイマー兼大学院生の妻にしばしバトンタッチしている(家事から解放されるって、本当に嬉しいものですね!)

 で、この数日、身の回りで何かとわさわさすることも多かったので、「日常のものごとを一切考えない、ちょっとリトリート的な時間を持ちたいな」と考え――、実は東京からずっと普通電車に乗って来た。
 料金は新幹線の半分なのだけど、時間は4倍以上の9時間…。コスト効率としてはまったく理にかなわない行為である。

 でもその間、ほとんど何も考える必要もなく、ひたすら座席でじっとしている以外にないわけだから、静かに自分の内に浸るにはとても優れた環境といえる。
 もっともこんな、時間的に非常に無駄で無意味なことは、会社勤めをしているときにはまずできなかった。
 かなり昔のコンビニのCM風に言うと、「辞めてて良かった! いい気ブン」である。


 電車で瞑想などをしながら過ごすのは、これまでにもよくしていた。と言うより、長時間1人で移動するときには、なるべくそのように過ごすように努めていた。
 でも、じっとしながら3時間近く経つと、結局マインドが我慢しきれなくなって、ヘッドフォンを付けて音楽を聴いたり、雑多な思考の世界にふたたび入っていくことになった…。

 今回、自分自身で非常に驚いたのは――、10時間も電車に乗っている間、本当に延々とほぼ何も考えずにいられたことだ。
 以前のブログでも「最近、左脳の働きが遅くなってきた」ということを書いたけど、今回もそうした変化の一環だろうと思う。


 途中、箱根のトンネルを抜けた後、ドアの上の電光表示に「次は函南」という文字が出た。その文字を、特に意味を考えることなく、絵を眺めるようにぼうっととらえていると――、その「は」の字を見つめているうちに、「は」という音がスッと頭の中で連想されて浮かび出てくるのが分かった。
 どうでもいいような頭の中の働きだと言われればそうなのだけど、そんな微細な反応にもありありと気づいてしまうほどの、無思考で何もない静かな世界の中にずっといた。

 もちろん、色んな思考がわっとわき上がってくる瞬間は、ときどきある。
 でも、何かを考えるよりも無思考のほうが明らかに心地よいので、僕は無思考でいることを選ぶ。以前ならそれは選べるものではなかったが、今は選ぶことができる。


 ただ、抵抗するわけでは全くないのだけど――、マインドの片隅に「ここまでものごとを考えずに生きて、本当に自分は大丈夫なのか?」といった認識がちらついているのが分かる。水戸黄門の「うっかり八兵衛」のほうが、まだしっかりしていると思う。
 意識のあり方が、自分でも全く知らないような領域に踏み入りつつあって、そこでマインドがたじろいでいるのだろうと思う…。


 昨日、実は少し奇妙なことがあった――

 実家の近くにある自然豊かな池のほとりを散歩していたときのこと、目の前の茂みの中に、1羽の大きなアオサギがいるのに気づいた。
 首を高く伸ばし、花鳥画のような凛とした姿勢であたりをうかがっている。微風に揺らぐ羽の様子や、野生の鋭敏な目線が、すぐ間近に見て取れる。

 でもすごく不思議なのは――、もうちょっとで手が届くほどの近さなのに、まったく逃げようとしないことだ。

 東京郊外の川沿いのウォーキング中にも、たまにアオサギの姿を見かけることがある。でも普通は10メートル以上は遠くにいたり、こちらが気づくよりも先にバサバサと飛び去っていくものだ。こんな近さはあり得ない。
 「どうして逃げないのだろう? まさか僕の姿が見えていないなんていうことは…。まさかね…」と思い、気になるので少しずつ近づいてみることにした。


 アメリカ先住民の長老から教えを受けたトム・ブラウン・ジュニアの本の中に、鹿などの野生動物の体に触れるという内容がある。
 自分の存在感を消し去り、野生の鋭い感覚でも気づかれないほどの微動だにしない姿勢で、ものすごく時間をかけながらわずかずつ近寄っていく。そして最後に、手を伸ばしてその体に触れるという達人技だ。

 当然ながら僕はそんなことに熟練していないから、足を少し動かすごとにアオサギは「んっ、何か辺りに気配がするぞ」という感じに首をすぼめる。
 でも逃げる様子はなさそうだ。人がこれほどまで接近していることを気に留めていないのか、ひょっとしたら感知していないのか…。
 あまり近寄りすぎて驚かせても悪いから、ある程度でやめたけれど、何だかとても不思議な出来事だった。


 さらにそれ以降も、田舎道の真ん中にスズメやキジバトがいて、僕が近づいても飛び去ろうとせず、踏みそうになったりもした。
 何かの変容の証とかなら素晴らしいものの…、まぁ、単にうっかりな野鳥たちだったのかもしれないですけどね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Kit Watkins「Mirage」。

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コメント
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鳥たち!
みつなさんこんばんは!

今日もステキなお話にたっぷり共感させていただきありがとうございます!!

思考の、始まりの一文字が観える、ということ、あります。大抵はそのまま無自覚に思考(ことば)に形つくられるところを、
意識が鎮まっているときは
水の(ようなところ)中から現れるその最初の一文字を拾わなければそのまま
何も現れない状態になりますよね!

でも普段は思考の運動を無自覚に許可しています。面倒だから(笑)

それと、鳥!!
私の歩き川沿いコースにも、鴨はたくさん、そしてたまにゴイサギ、アオサギ、等に出会います。カラスにしても、名も知らない野鳥も自分がこういうノラネコのような人になってからというもの(?)
ほんとに逃げない。
っていうか、こちらからして
鳥が鳥に感じないのです。
花も花に感じない。
あまりにふつうなのです。
うーん、言い方が難しいですが(^^;;
まさに今日も、川沿いを歩いていた折ふと気づくと目の前にカモのグループが昼寝していて、私もビックリ、
ちょっとごめんねーなど言いながら通してもらいました(笑)彼らは慌てずユックリ川に入ってくれました。

あまりにふつうなので、つい言葉が通じると思えるのです。鳥たちも花も地面も。

そして、彼らがお互いコミニュケーションをとりながら遊んでいるのが
手に取るようにわかったり。(思い込みかもしれませんが)

みつなさんが今日のような話題をブログに書いて下さったので、実に嬉しく思います。






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追伸
すみません、さきほどのコメント、一箇所おかしなところがありました。
普段は面倒なので無自覚に思考の運動を許可、ではなく、「自覚的に許可」です。

この川沿いを歩くことは、思考ルートをはずれることでもあります。
あるとき、この川沿いに来たとき、「ある大笑い」が「向こうからやってきました」。言葉にすると変なことになりますが、(かつ、ベタ過ぎて書きたくないし言いたくないかも)

あ、自分は何でも無かった

です。最初はクスクス笑い、
そのあとは数時間ほど、もう、何を観ても心の大笑いなのでした。表面的な笑いではなく、何かのタガがはずれて、何かがひらききってしまったのでした。
ほんとは言葉ではなく、大笑いが来たのです。
笑いというか震えのような。
世界は神で自分も神なのでした。
そしてすべてが大笑いするほど美しいのでした。

小規模な台風の中を通り抜けた感じでした。あれは一体どうしたことで、一体何だったのだろう???

いまも私にとってその川沿いは台風の目のようなものです。バスを乗り継いで行く秘密基地パワースポット。身体が自動調整を行う場所という感じです。
ただ、好きなだけなのですが(^^;;


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光奈さん、こんにちは!

満腹ライオンのそばには草食動物が警戒することなくお食事しているといいます。我が家のワン公の毛づくろいに向かうこちらの態勢が攻撃的だと、とっとと逃げてしまいますが、〝ボチボチやりましょうかね…“とはじめると逃げることはありません。
言葉のない存在ほど対象のエネルギーレベルを感じとるものなのでしょうね。
私の見果てぬ夢は、野鳥が自分にとまってくれることです。

はじめてこのブログに出会って以来、学ばせていただいております。
折々にご紹介されていた本を購入、アニータ・ムアジャーニ、ダニオン・ブリンクリー、エベン・アレグザンダー…などを読みました。いまは、ルパート・スパイラを…。
どれもすばらしい本で、長年の疑問にこたえがあり、感動しました。
お礼をもうしあげたく、コメントしました。ありがとうございました。



3847
ラン様

 こんにちは。共感いただいて嬉しく思います!

 思考の現れ方や、それが拾い上げられるプロセスを、実に精妙にとらえていらっしゃいますね。
 「自覚的に許可している」ことを、認識されていることがすごいと思います。

 僕も川沿いをウォーキングすることが、もはや趣味以上のライフワークと呼べるくらいです…。
 本当に自分の中の深い部分が、調整されて浄化されるように感じます!

3848
陽様

 こんにちは。丁寧に読んでくださって、有難うございます!

 アニータさんをはじめ、素晴らしい本との出会いのきっかけになれたことを、とても嬉しく思います。
 こうしたメッセージのことを知って生きるのと、知らずに生きるのとでは、自らの生への向き合い方が相当違ってくるのではとも感じます。

 ルパート・スパイラの本は、実はまだ読んでいないんです。読み物としては少々難しそうですが、でも間違いなく自分が引き込まれていく内容だと思います!

3852
私は京都在住ですが、アオサギ、ゴイサギは逃げません。
以前も、休憩中の配送トラックの2m前で佇んでいるのを見かけたことが有ります。
観光客が多くて慣れているからでしょうか!?

3854
ナーキー様

 こんにちは。コメントを有難うございます!

 へぇー! そうだったのですか。
 僕が育ったのは、広沢池と大沢池があるいわゆる北嵯峨のほうなのですが、サギ類はとくに敏感で、昔から間近では見ることができなかったです。

 それほど「世慣れ」してきているとは驚きです。
 最近の傾向なのでしょうかね…。

3855
こんにちは。10時間ぐらい無思考でいられたとは大変興味深いですね。おもしろい領域にはいってきているのかもしれませんね。 
理解へ向けて、最近ルパートスパイラを読んでいます。

3856
光奈さん、こんにちは。
普通電車で9時間。今だからできることのひとつですね。
計画なしの普通電車日帰り旅。私もやってみようかな。

母が入院中に家事を受け持ち、その大変さを実感しました。
家事担当者の方々にも会社員のように休日があった方がいいですよね。

カラス好きの私なので、カラスに会うと声をかけています。
散歩中にネコちゃんやワンちゃんにも声をかけます。

高齢になり目も見えず、耳も聞こえないワンちゃんがいます。
そのワンちゃんが生きているのを確認するのも散歩の楽しみです。

3857
お久しぶりです♪
光奈様
こんにちは
うっかり踏みそうなくらい野生の鳥が逃げないなんて不思議ですね
光奈さんが無思考でいたことと関係があるのかもしれないと思いました

私は無思考でいるのが苦手です
常に何か空想をしていないと頭の中が暇で退屈してしまいます

でも光奈さんの記事を見て、無思考な頭の中が静かな体験もしてみたいと思いました
日常の電車やバスの中では無理でも、ちょっとした旅で景色を見ながらボーっとしたら周りも頭の中も静かな時間がすごせるかもしれません

話は変わりますが、光奈さんがブログの更新をほぼ毎日されていることをとても尊敬しています
私はエッセイストを目指しブログの更新を怠ってはいけないのに、ついついなまけてしまいます
光奈さんを見習って週3回はブログの更新をしようと決意しました
新しく解説したブログの方にも訪問してくださりありがとうございます
とても嬉しく思います

鑑(KAGAMI)

3858
タカヒロ様

 こんにちは!

 ノーマインドの状態が自分にとって自然なものになってきている、と言うか、思考を続ける不自然な自分がかなり薄らいできている、という感じがします…。

 もちろん、電車の乗り換えのときなどには普通に思考活動をしますが、いわば「道具箱を開いて必要な目的のために使う」ような感覚です。
 これまでは、何の用もないのに、開けっ放しの道具箱からノコギリやらハンマーやらを出しては、いつもいじくったり振り回したりしていたようなものですから、ずいぶん余計なことをしていたように思います…。

3859
吉田無ーん様

 こんにちは!

 電車は気軽なリトリートだと思います。
 僕はサラリーマン時代も、朝夕の通勤電車でCDを聴きながら瞑想していました。

 家の中だと「やるべきこと」が周りに色々あって気に掛かったりもするけど、電車の中だととにかく座っているしかないところがいいですよね。
 また、本格的な泊りがけの瞑想リトリートとかだと、不慣れな場所に見知らぬ人たちもいて、けっこう緊張してしまいます。でも電車の中は全くのリラックス状態でいられるのも、かなりの利点だと思いますね!

3860
鑑様

 コメントを有難うございます。

 僕自身ももともとは思考をフル稼働させていて、まさに「常に何か空想をしていないと頭の中が暇で退屈してしまう」タイプでした。
 でも、余計な思考をしていないときのほうが、明らかに「楽」です。

 「努力して思考を止める」というより(当面はそうした練習も大事ですが)、最近は「楽だから考えないでいる」という感じですね。誰だって、自分の内側の状態は、楽なほうがいいでしょう。


 僕のブログの更新は、今のところ「平均して3日に1回」という感じです。
 言葉そのものがスルスルと降りてくればいいのかも知れないけど…、僕の場合は、ぼんやりとしたインスピレーションみたいなのが最初にあって、それを(動きが最近鈍くなった)左脳を使って文章化するというプロセスをたどるので、今くらいの更新ペースが無理ないかな…。

 更新ペースもまた、そのブログなり人そのものの個性だと思います。
 もちろん、書いてアウトプットすることには、自分自身に対する誘発効果もあるでしょう。応援しています!

3861
鳥たちは、光奈さんにお友達のような感覚を持ってくれていたのかも知れませんね。

よく行く公園で上空から飛んできてくれたのですが、
羽ばたいてがっしりした体でぎゃいぎゃいとないていたので
ゴイサギちゃんらしいと思います、
いつも遠くの空とか高いところに飛んでいるのですが、
ゴイサギちゃんの目がはっきり見えるところまできてくれました。
このときは今日はもっと鳥さんにあいたいな~と思っていたのですごく嬉しかったのです!

3863
光奈さん、こんにちは。

30代までは考える&悩むのが大好きでした。
徐々に変化していき、56歳の現在は考えようとしても長続きしません(笑)。

電車ぶらり旅、秋に実行します。
夏までは、科学館でのボランティア体制を整えたいのと
(整えると言っても、私ができることをやるだけですが)
新しく始まる絵てがみ教室を通して、講師として成長したいのです。

起きてきたことに答えがある。導きがある。
絵てがみ指導者を極めたくなりました。
絵てがみは一緒に楽しめればいいという段階を超える時かなと思っています。
指導者と言っても、自分のがんばる&楽しむ姿を見せるだけですけど。

最近、ほしいものがどこかからやってくる感覚があります。
本当に必要なものは与えられる、ということですね。

心配性(鍵をしめたか何度も確認など)の私は相変わらずですが、
鍵をしめることの少ない生活なので助かっています。

3864
はじめまして
こんにちは!アオサギの写真、いいですね。
メディスンアニマルでは不死鳥です。かっこいい出会いでしたね!
最近、夢が変化してませんか?
私は布団のまま、寝たまま、異次元にすいこまれ、インディアンからヒーリング受けてました。もうそういう時代なのか!と興奮してます。また読ませてください。アオサギ、私は縁深いので、
嬉しかったです。

3866
えーそれは羨ましい・・・
「無思考を選べる」「必要な時に思考を出し入れできる」っていいなあ。

9割くらいの思考は必要なかったり単に不愉快なものも多いと思いますが、それをカット出来たら確かに楽でしょうね。

そう言えば、光奈さんは瞑想を時間にしてどのくらいされているんでしょうか?
電車の中で10時間無思考で座っていられるなら2~3時間くらい余裕で出来そうですね。


3867
萌永様

 こんにちは!

 いつも遠くを飛んでいる野鳥をすぐ近くで見ると、「自然の神秘をかいま見た」ような嬉しさがありますよね。

 高いところにとまって、遠い虚空をじっと見つめるような野鳥の目には、いったい何が映っているのでしょう。

3869
吉田無ーん様

 こんにちは!

 電車のぶらり旅は、楽しみですね。

 色々と楽しみながら日々を過ごしていらっしゃるご様子、本当に素敵だと思います。
 きっと自分が楽しんでいると、次の楽しみが寄ってくるのかもしれないですね!

3870
すもも様

 こんにちは!

 そう言えば昨夜、ひさしぶりに夢を見たのですが、内容は忘れてしまいました…。

 サギ類は鋭敏な目つきが素敵ですし、軽々と浮かぶように飛ぶ姿もいいですよね。
 見かけると、心をときめかせてくれる野鳥です。

3872
Clary Sage様

 こんにちは!

 家で瞑想するときは、長くて1時間、通常は20分くらいです。
 家の中では、色々と雑事もしなくてはならないし、これくらいが適当かなと思っています。

 あと長いウォーキング中もほぼ瞑想ですね。

 料理などをしている最中もそうありたいのですが、色んな手順とかもあってなかなか難しいです…。
 禅寺では修行の進んだ僧だけが厨房に入るそうですが、なるほどなと思います。

3906
こんにちは
サギは本当に警戒心が強いから不思議ですね。もう少しで鳥と仲良くなれるかもしれませんね。

将棋の升田幸三のお母さんの周りにはいつも鳥がたくさん近寄ってきて、ある時は畑仕事をして屈んでいるいる背中にカラスがとまって、そのままでいたなんていう話がありますよ。

また、動物は人の持つ恐怖心(=思考)を察知して、怯えて逃げるというのを聞いた事があります。

3910
まやと様

 こんにちは。コメントを有難うございます!

 生き物が不思議と警戒しない人って、本当にいますよね。

 逆に僕は小さい子供のとき犬がとても苦手で、怖がりながら近づくと、おとなしい犬にもほえられました…。
 子供心ながら「こちらの心の中を、犬は分かっている!」ということを実感していましたね。

4021
私も共感です(*^^)
みつなさん、こんにちは。
頷きながら読ませていただきました。
そう・・どうして逃げないのかしら?と、不思議になるようなことがありますよね。
先日も、バラのところに訪れたミツバチさんに気が付き、
撮らせてね・・と伝えてスマホをほんの5センチくらいの
至近距離まで近づけてもじっとたたずんでいました。
まるで、私達を写して・・といっているかのようでした。

4022
wami様

 コメントを有難うございます!

 なるほど。自然の写真を撮られる方は、こうしたことをよく感じていらっしゃるのですね。
 虫たちや花と「つながる」のかも…

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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