備忘録 2015年04月
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備忘録

少し前にアメリカの有名な女性が「ガンになる前に可能性のある部分を切除する」という荒技に挑戦したと聞いた。

最初に彼女の「ガン恐怖」について知ったとき「ガンに罹る前に切除する」という発想はいかにもアメリカ的で大笑いしてしまった。それ以降、特に乳ガンがらみで名前を見るたびに違和感を感じていた。

彼女が恐れているものの正体はガンではない。言動を見てわかるとおり彼女に学はなく人生は不安そのもので無学故に底なし沼で溺れている風に見える。もし学があればもう少しましな生き方が出来たのかもしれない。人生に対する不安なんて誰にでもあること。そこをみんななんとか生きているもの。

有名になったから世間が相手にしてくれているだけで彼女の実像はこの近所でで薬物中毒になっている若い女の子と選ぶところがないように感じてしまう。何年か前にメタンフェタミンで有罪になった近所の女性と雰囲気が重なって仕方がない。彼女は社会的には高いといわれる仕事をしていたのに薬物で有罪判決を受け免職になった。

この他にも似た人がいる、息子の同級生のお母さんで感情の起伏が激しい。激しいでは説明できないくらいもうめちゃくちゃ。その彼女とそっくりだ。この癌予防切除話を聞いて写真を見たらこんなに身近に何人も似た人がいることに驚いた。

はっきり言うと、なんでこんなヤバイやつが公衆の面前にでているのかが理解できない。こんな顔を見ていて不愉快にならないのか?まあ世の中は美人だけじゃなくていろんな顔があるから不美人なのは問題じゃない。でもこの人の場合は美醜というよりは見ていて不愉快になる表情。やっぱりなぜ売れるのかがとんと理解出来ない。

聞くと彼女は重篤な慈善病、寄付病らしい。寄付や慈善行為を行うことの代償として常に人からの賞賛や注目を浴びていないと不安で仕方がないんだろう。本当の寄付や慈善事業は名声とはべつの次元でやるものだけどな。

うちでは子供達に堅く言ってあることがいくつかあってそのうちの一つが寄付や慈善事業に関すること。市内に寄付者の名前の付いた施設がいくつかある。こういうのはアメリカじゃ珍しくない、でも「日本人はこんな所に名前を書かれたら恥ずかしくて死んでしまう。将来大金を寄付することがあってもこんな恥ずかしいことをしてはならない。おまえ達の寄付したお金で施設が整備されても絶対に名前を晒すな。寄付したければ黙ってお金を振り込めばいい。善意とはそういうもんや。」
その逆に、大きな功績のあった人を称える意味で公園や建物に名前が付くことがある。これは結構なことだとも。

まあアメリカ人だから仕方のない部分があるのかもしれないけれど重篤な寄付病や慈善病罹患者は他人からの賞賛に弱い。他でもない他人からの賞賛や注目が欲しいが故の病である。

昨日、テレビで彼女の「癌候補切除」に対してのまともなコメントがあった。「やるなら黙ってやればいい。」「そんな手術をしたくても出来ない人がほとんどだ(医療費が凄まじく高額なので)。」「本当に乳ガンや子宮癌で闘病している人の気持ちなんか彼女は全然理解できていない。」真っ当な意見だと感心してしまった。そりゃ子宮癌で苦しむ人の気持ちが理解できるわけないよ、自分を見てほしいだけだから。

こういう状況を見ていて皆目理解できないのは夫や親族がなぜ彼女に「おまえが本当に怖いのは癌なんかじゃなくて別のものなんだ。そういうことの分かる専門家の助力を仰ぎなさい」こう言えないのか?取り除くのは体ではなく心の病だとなぜ教えてあげないんだろう?
彼女の身内というのはそんなに薄情なのか?それとも無知なのか?どちらにしてもこの異常さを治療しない限り際限なく「切除癖」はエスカレートするだろう。

素人考えだけれど、これは形を変えた自傷行為じゃないのかという気がしている。最後には毛と爪以外は全て切除するんだろう。毛と爪だけ残ればもうガンの心配はない。でもやっぱり不安はなくならない。この人の異常さが癒されない限り毛と爪以外の全て切除しても恐怖は消えない。さあそのとき彼女は何を思うんだろうか?
  1. 2015/04/10(金) 08:41:20|
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しばらく放置していたらスパムだらけで消すのに手間がかかりました。
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  1. 2015/04/10(金) 08:32:38|
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