みことのいどこ 2014年07月

ホームチーム 9 離婚した原因

9 離婚した原因

 四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。場所は、落ち着いた雰囲気の和食レストラン。卓真と詩織とで前もって決めておいた店だ。メニューが豊富で味もいい。何より、個室が用意されているというのが一番の決め手となった。話し合いを深め、それぞれの距離を近づけるには最適な場所と言えるだろう。
 卓真は、正面の席で微笑みながら話す詩織と、隣でカレーうどんをすする大也とを交互に見つめた。和食屋に来てまで、カレーを注文することはないだろう、と心の中で苦笑しながら見つめた。
「大也君は、どう思うの? アメリカから来たっていう、あの大きな人のこと。マウンテンズで活躍できるかな」
「投げてみないと、わからないです」
「私は、何となくやってくれそうな気がする。だって、名前がいいじゃない。ハル何とかっていうんでしょ」
「ハル・オースティン」
「あ、そうそう。そんな名前だった。やっぱりいいでしょ? ハルさんっていうのが。マウンテンズに、春を運んできてくれたハルさん」
「投げてみないと、わからないです」
 積極的な詩織の問いに、大也もポツリポツリと答えを返していた。返す言葉は相変わらずのつまらなさだが、息子にしてはこれでも上出来な方だろう。
 目の前の刺身定食に、時々箸を伸ばしつつ、卓真は、黙って二人のやり取りを見守った。今回は、もっと子供たちとも話をしよう。それが卓真の考えだった。もちろん、詩織も了解済みの計画である。
「ハコベで思い出したんだけど……」
 天ぷらを一口食べてから、詩織はうれしそうに言った。
「大也君のおうちで、セキセイインコ飼ってるんだってね。あれって、お世話は大変なの? 私たちのところでも、何かペットがいればいいなって思ってるんだけど」
「別に、世話は簡単です」
 大也は、ちょっと困ったような口ぶりで、「あのう、どうして、ハコベで思い出したんですか?」と一つ質問を返した。
「だって、セキセイインコ、ハコベ大好物じゃなかった?」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。たぶん。いや、違ったかな。でも、やっぱりそう。きっと……」
 詩織は、「ねえ、そうよね?」と、隣に座る孝子へと目をやった。
 大也は大也で、「そうだったの?」と卓真の方を見やる。
「それは、そうなんだろうけど……」
 卓真がうなずくのよりも、孝子の口が開く方が先だった。
「ハコベから、セキセイインコを思い出したのはわかるけど、そのハコベっていうのは、いったいどこから舞い降りてきたわけ?」
「そりゃあ、春からの連想じゃないかな」と、卓真が代わりに答えた。
「あ、そうです。よくわかりましたね。春です、春。ハル何とかさんの」と詩織。
「ハル・オースティン」と大也。
 詩織は、改めて大也に視線を戻した。
「大也君、ごめんなさいね。私、説明するのがとっても苦手なの。この間の、大発明の時もそうだった。あ、まだこの話してなかったのよね。あれは、ホントすごい発明だったの。何を発明したかは覚えてないんだけど、すごい発明だってことだけははっきりと覚えてて、あ、これ夢の中での出来事だって、私言ったっけ? その発明の瞬間、あまりの喜びに、ついついノートに記録しておくことを忘れちゃってたのね。私、いつも研究ノートっていうの持ってて、新しい商品のアイデアだとか……」
 大也は、黙って詩織の話を聞いていた。意味の通じない部分があるのだろう。時折首をかしげることもあった。それでも、嫌がるという風では決してない。彼は彼なりに、詩織のことを真剣に受け入れようとしているのかもしれない。卓真にはそう見えた。
 息子よ。カレー好きの息子よ。今目の前で微笑んでいる女性こそが、近い将来お前のお母さんになる人なんだぞ。そして、お前のお姉さんになる人が……。
 その時、卓真と孝子の視線がぶつかった。心の声が聞こえたのだろうか。そう勘違いしてしまうほど、孝子の視線は、まっすぐと卓真の瞳を捕えていた。
「ママ、私にも、ちょっとしゃべらせて」
 卓真は、思わず姿勢を正した。孝子のしゃべりたい相手というのは、どうやら自分らしいということに気がついたからだ。
「ねえママったら」と、孝子はもう一度詩織に声をかけた。視線は、なおも卓真に向けられたままだ。
「あ、うんうん。ごめん、私ばっかりしゃべっちゃって」
 詩織は、研究ノートに書いた文字が、自分でも読めない時がある、というような話を途中でやめ、照れくさそうに三人の顔を順に見つめた。
 そして、部屋に妙な空気が流れた。
 孝子は、黙ったまま卓真を見つめ続け、詩織は、困ったように孝子を見やり、大也は、じっとメニュー表を眺めている。
 卓真は、のんきな息子をチラリと横目で一瞥してから、またすぐに孝子へと向き直った。そして、うながすように言った。
「俺に、何か質問がありそうだけど」

 四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。前回同様、場所を決めたのは火野卓真なのだろう。詩織に相談ぐらいはしたかもしれないが、決定権はやはり卓真側にあったに違いない。そもそも母には、自分の意志を押し通すだけの、心の強さというものがないのだから。
 詩織のことを守ってあげられるのは、この自分しかいない。苦しい時期を、母とともに乗り越えてきた娘の自分しかいないのだ。
 孝子は、ソフトボールの試合で、大事な一球を投げる前いつもそうするのと同じように、一度だけゆっくりとまばたきをした。
「何聞いてもいいですか? 正直に答えてもらえますか?」
 卓真に向かって、思い通りの落ち着いた声を出すことができた。この調子、この調子、と孝子は心の中で繰り返す。前回のような突っ張った態度は、かえって逆効果にもなりかねない。ソフトボールでもそうではないか。相手が手強いほど、こちらには冷静さが求められるというものだ。
「ああ、もちろん、何を聞いたって構わないよ」
 穏やかな口調でそう言うと、卓真は、手にしていた箸を静かにテーブルの上へと置いた。
「火野さんの、結婚観について知りたいんですが」
 孝子はさっそく切り出した。
「うーん。いきなり難しい質問だなあ」
「たとえば、奥さんになる人には、一番何を求めてますか?」
「求めること。そうだなあ。変わらないことかな。うん。結婚前と変わらずにいてくれたら、それだけで満足だよ」
「それだけですか? 家事は、やらなくてもいいんですか? 掃除、洗濯、食事の支度も、全部火野さんがやってくれるんですか?」
「そうじゃなくて、今の質問は、確か、一番は何かってことだったよね」
「じゃあ、今度は二番目を教えてください」
「うーん、困ったな。一番だろうが、百番だろうが、理想を言えば、きりがなくなる話なんだよ。お互いにね。しお、いや、奥さんになる人とは、できるだけよく話し合って、それでも、そう。やっぱりルールは少ない方がいいから、それぞれの意志を尊重しつつ……」
「前の奥さんとは、どうして失敗したんですか?」
 短い間があった。それからまず詩織が口を開き、「孝子」と一言だけ発する。たしなめるというよりは、反射的に漏れ出た声という感じに聞こえた。
 卓真の表情には、さほど変化は見られない。「いいよいいよ」と言いながら、あたふたする詩織を落ち着かせる。
「何を聞いてもいいっていう約束だったからね」
「そうですよね。ぜひ教えてください。火野さんが離婚した原因を」
「さっきの話じゃないけど、前の結婚生活には、ルールがありすぎたのかもしれない。お互いに守りきれなくなったんだと思う」
「途中から、ルール変更することはできなかったんですか?」
「ああ、できなかった」
「どうしてです?」
「俺が、認めなかったからだ」
「悪いのは、火野さんの方だったってことですか?」
 黙りこむ卓真。それでも、孝子の次なる質問に対しては、すぐに答えが返ってきた。
「奥さんが悪かったんですか?」
「いや、違う。俺だ。悪いのは俺の方だ」
 孝子の中で軽い驚きがあった。自分の罪を素直に認めるあたりは、評価してもいいかもしれない。とは思う。とは思うが、これだけでは、何について反省しているのか、あまりに抽象的すぎてよくわからない。
 新たな質問をすべく、孝子はさっそく、「もっと、具体的なことを教えてほしいんですが」と早口で切り出した。
「奥さんの方は、いったい何を望んでいた……」
 しかし、言葉の勢いはすぐになくなった。
 正面に座る大也の表情が目に入ったからだ。孝子の視界の隅で、彼は何かに耐えるように、うつむかせた顔を苦しげに歪めていたのである。

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10 いくつかの記憶
ホームチーム 目次

ホームチーム 8 母と娘の立場

8 母と娘の立場

 中学を無期停学になった友人に、いったいどんな言葉をかけてあげればいいのか。大也は授業中ずっと考えていた。給食時間も食べながら考えていた。下校中も歩きながら考えていた。そして、友人宅の前でしばし立ち止まり、改めて考えてみた。
 けれど、いい答えなどやはり簡単に出るものではない。
 勇気あるね。ドキドキしなかったの? きっと心臓にはよくないんじゃないかな。何回か練習はした? あの<どうしても手に入れたい物>って曲すごくいいよね。
 どれも駄目だ。CDを万引きした友人相手に、果たしてふさわしい話題などあるのだろうか。
 その場でぐずぐずしていると、一人の老人が、庭の方から姿を現した。
「あ、どうも。僕、火野です。木原君いますか?」
「わしも、木原を名乗る人間の一人だが」
「あ、はい。守、木原守君のことなんですが」
「だろうな」
 鋭い眼光でじっと大也を見つめてから、老人はドアを開け、「まあ、よろしく頼むわ」と、部屋の奥に向かって顎をしゃくって見せた。
「おじゃまします」
 大也は、さっそく守の部屋がある二階へと急いだ。ところが、「アロエは好きか?」という老人の声に、その足を階段の途中で止めることとなった。
「え? 何ですか?」
「アロエは好きかと尋ねたんだ」
 階下から大也を見上げながら、老人は軽く手を持ち上げて見せる。そこには、透明なビニール袋が握られており、おそらくそれがアロエなのだろう。中に何やら緑色したものがいくつか入っていた。
「えーと、ア、アロエは……」
 二階からドアの開く音が聞こえ、大也は、助けを求めるような気持でそちらを見上げた。
「いいから、早くこいよ」
 守がドアの隙間から手招きする。
「うん、わかった」と大也。
「うん、じいちゃんも」と老人。
「昨日のテレビのやつ、持ってきたよ」と、鞄からDVDを取り出す大也。
「ようやく食べごろになってきたぞ」と、ビニール袋からアロエを取り出す老人。
「座布団はいいよ。さっきから暑くてしょうがないんだ」と、額の汗を拭う大也。
「その座布団じいちゃんにくれ。近頃膝が病んでしょうがないんだ」と、額の汗を拭う老人。
 それからしばらくは、今年の夏は異常に暑いような気がする、などといったどうでもいい内容のことを、大也と守と、なぜか老人との三人で話し合った。ちなみに、夏バテには、アロエが効く、というのがその話し合った上での結論である。
 木原守は、大也が中学に入ってできた初めての友達だった。ここを訪れるのも、今回で四度目になる。両親は出かけていることが多いらしく、実際、大也はそのどちらとも顔を合わせたことがなかった。
 今日も守一人だけなのだろう、と当たり前のように思っていた。しかし違った。予想していなかった分、その老人の突然の出現は、大也を大いに戸惑わせることとなった。
 守の説明によると、彼の名は木原栄一。一緒に暮らすようになってから、今日で三日目になるのだという。アロエの話は、ただ黙って聞き流してくれればいいとのこと。ちょっと変わり者だけど、怖がる必要はない。守にとっては、何でも話せるやさしいじいちゃんなのだそうだ。
 栄一の説明によると、娘から電話連絡を受けたのが四日前。息子の守が大変なことをしてしまった。私にはどうしていいのかわからない。今すぐ飛んできてくれ、というのがその内容だった。膝が病んでいるため、飛んでは行けなかったが、出来る限りの力で先を急いだのだという。もちろん、アロエの鉢は忘れずに持ってきたのだそうだ。
 その後、三人でDVDを見た。中身はテレビのスポーツニュース。大也が昨日録画したものである。
『ワタシノナマエハ、ハル・オースティン。ニッポン、スキネ。サムライ、モットスキネ』
 記者会見の映像だった。席に座る大男は、メジャーリーグからやってきた剛腕ピッチャー。マウンテンズファン期待の助っ人外国人である。
「これ、すっかり見逃してたよ」
 テレビ画面を食い入るように見つめたまま、守は、「やってくれそうな気がする」と興奮気味に呟いた。
「ああ、きっとやってくれるさ。ほら、あの二の腕見てみろ」と、栄一もすかさず後に続く。
「早ければ、再来週には先発するらしいよ」
 追加情報を口にしつつも、大也の本当に話したいことは別にあった。先ほどから、ずっとそのタイミングを計っているのだが、なかなかうまく切り出すことができない。
 今日ここへ来たのは、万引き事件の真相を知るためだった。野球部の先輩たちが、日頃守にどんな態度を取っているのか、ある程度のことは、噂という形で大也の耳にも入っていた。もちろん悪い噂として。
 先輩の命令は絶対だ。それは、今までに何年も続けられてきた悪しき伝統、野球部に伝わる影の掟なのだという。飲酒の強要や金銭の要求、トレーニングと称しての理不尽な暴力。大也が入部を躊躇したのも、そんな噂話によるものが大きい。
 守がやったというCDの万引きも、もしかすると、先輩の指示によるものではないだろうか。そんな疑念、いや、今では確信と言ってもいいほどの思いが、大也の頭の中にはあった。
 両親や祖父、そして学校側に対して、守はどんな説明をしているのだろうか。もし、先輩からの命令で、と正直に言っているのであれば、守一人だけが停学処分を受けるのはおかしい。
 やはり、掟には逆らえない、ということなのだろうか。いや。そんなのは、絶対に間違っている。
「守、正直に言った方がいいと思うよ」
 大也は思い切ってそう言った。渾身の力をこめたつもりだったが、実際には声が震えてしまっていた。
 それでも、意味は通じたらしい。短い時間の中で、守の表情が二度変化した。はじめはキョトンとし、それからすぐに目つきがきつくなった。余計なこと言うなよ、とその目が語っている。
「なんだ? なんのことだ?」と、しきりに首をかしげる栄一。
『好きな日本料理はありますか?』と、のんきな質問をするインタビュアー。
『ラーメン、スキネ。カレーライス、モットスキネ』と、微妙な答えを返すハル・オースティン。
 そして大也は言った。精一杯のごまかし笑いとともに。
「ああ、俺も一番はカレーだなあ」

 これって、大発明だわ!
 あまりの喜びに、両の拳を天に突き上げた、その次の瞬間だった。
 詩織の耳に届く何者かの声。
 それは、お仕事ごくろうさま、というねぎらいの言葉でもなく、ノーベル賞決定ですね、という賞賛の言葉でもなく、その発明は、我々の組織がいただく、という脅しの言葉でもなかった。
「ねえママ。起きなさいってば」
「ああ、孝子。私の、は、発明品は……」
「なに寝ぼけてんのよ」
 娘の言う通りだった。
 ここは、いつも見慣れた自宅のリビングルーム。詩織がソファーに倒れているのは、決して悪の組織に襲われたからではない。
「ちゃんと自分のベッドで寝てよ。明日も仕事あるんでしょ」
 あきれたように言い、孝子は、「何これ?」とテーブルの脇に手を伸ばし、落ちていた一冊のノートを拾い上げた。
「そのパジャマ、かわいいね。前から持ってたっけ?」
 詩織は、まだぼんやりとした意識で孝子を眺め、それから壁の時計に目をやった。
 午前二時。夢の中での研究は、一時間ぐらいだったようだ。
「あ、そうだ。発明。私、大発明したの。ちょっと、それ返して」
 孝子の手から、大切な研究ノートを奪い取る。すかさず中身をチェック。隅々までチェック。繰り返しチェック、チェック。
「ああ、わ、私の、大発明が……」
 そして詩織はうなだれた。
「何かのレシピみたいだったけど、何なのそれ」と、不思議そうに首をかしげる孝子。
「間に合わなかった。ああ、書き留めておく時間が足りなかったの」
「だから何を?」
「大発明に決まってるじゃない」
「それって、夢の中での話よねえ」
 再びあきれ声に戻った孝子は、「ちなみに、どんな発明だったの?」と、うつむく詩織の顔を覗きこんだ。
「覚えてるぐらいなら、こんなに落ちこんでるわけないでしょ」
「そうだったんだ。かわいそうに」
 孝子の口ぶりは、穏やかでやさしいものに変わっていた。まるで母親。そう。まるでそれは、むずかる子供に対する母親の声音そのものだった。
「今からでも間に合うかもよ。ベッドで、その夢の続き見てきたら?」
 これでは、母と娘の立場が、まるっきり逆ではないか。そう思うと、詩織は急に笑い出したい気分になった。
「そうする。うん。今からなら間に合うような気がしてきた。何かの大発明したのは確かなんだから」
 寝室へと向かいかけた詩織の背中に「ねえ、ママ」という声がかかる。
「楽しみね、あさっての食事会」
 孝子のその言葉、その笑顔は、詩織を少しだけ戸惑わせた。本当に、火野親子との食事会のことを言っているのだろうか? だとすると、娘のその反応はあまりに意外すぎる。
 とはいえ、詩織にとってそれは、決して嫌な驚きではなかった。いい夢の続きが見られそう。そんな気分だった。

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9 離婚した原因
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ホームチーム 7 裏の顔

7 裏の顔

 大也は、落ち着かない気分で夕食のカレーライスを食べていた。決してカレーが苦手だからというわけではない。落ち着かないのは、それが人に見つめられた中での食事だからである。
「どうだ。うまいか? そのカレーうまいのか?」
 卓真はじれったそうに言った。正面の席に陣取り、その熱い視線で、大也を落ち着かない気分にさせているのが彼である。「正直に言ってみろ。嘘はなしだ。嘘をついたって、後でちゃんとわかるんだからな」と、取調べの刑事さながらの口調で続けた。
「うん。おいしいよ」
 大也は答えた。これはきっと、火野家に生まれた人間の宿命みたいなものなのだろう。そんなあきらめを、心の奥に隠しつつ、「マウンテンズカレーよりは、ずっとおいしいよ」と笑顔で付け加えた。
「どんな風においしいんだ? もっと具体的に言ってみろ」
 卓真は追求を緩めない。作り笑顔一つで納得するような、そんな軟な刑事ではなかったようだ。
「具体的にって言われても……。だから、マウンテンズカレーよりは、おいしいってば」
「あんな失敗作と比べてもしょうがないだろ。もっと他に感想ないのか?」
「自分の会社の商品、よくそんな言い方できるね」
「失敗は潔く認める。これが男ってもんだ」
「胸張ってるけど、ぜんぜんカッコよく見えないよ」
「いいから、何か気づいたことはあるだろ? それを教えてくれ。今のお前は、俺の息子なんかじゃないんだ。大きな責任を背負った一人の人間。そう。お前は名誉ある選ばれた人間なんだぞ」
 卓真が勤める食品会社、そこの新商品の試作品ができるたび、大也はこうして一般人代表という、ありがた迷惑とも言える立場に選ばれてしまうのだった。
「気づいたことは……」
 大也は、少し考えたふりをしてから、「卵。うずらの卵が入ってた」と、これも少し感心したふりをしながら言った。
「そうだ。いいところに気がついたな」
 予想通り、単純に喜ぶ父である。
「新しいと思わないか? このチキンカレー。ただのチキンカレーじゃないぞ。親子どんならぬ、親子カレーだ」
「でも、鶏とうずらは親子じゃないよ」
「同じ鳥類じゃないか。それに、うずらの子供からすれば、うずらの親より、鶏の親の方がきっと頼りに見えるはずだ」
「これ、もしかして……」
 大也は目の前の皿を見つめた。味はまあまあだと思う。けれど、一つだけ気になることがあった。
「商品名、<マウンテンズ親子カレー>にするつもり?」
 嫌な沈黙。
「まさか、そんな安易な名前にするわけないよね」
 慌てて続け、「同じ失敗繰り返すわけないか」と、さらに付け加えた。
「マウンテンズってのは付けない。商品名はまだ考え中だ。でも、マウンテンズっていうのだけは、もう絶対に付けない」
 気のせいか、卓真のその口調には、男としての強固な意志のようなものが感じ取れた。
「言っておくけど、ただの、<親子カレー>じゃ、ますます安易だからね」
「そうかな、やっぱり。<親子チキンカレー>でも駄目か?」
「だから、駄目だってば。うずらと鶏なんだからさあ」
「じゃあ、<偽りの親子カレー>でどうだ」
「ああ、食べる気なくしそう」
「<禁じられたチキンカレー>でもいいぞ。そういうの、逆にウケると思うんだがなあ」
 笑いながら話す卓真に、ついつい大也も吹き出してしまう。男としての強固な意志のようなもの。そう感じた先ほどの父の口調は、やはりただの気のせいだったらしい。

「男の人って、ホント馬鹿みたいですよね」
 返事の代わりに、孝子は、その声の主を軽く睨みつけた。男が馬鹿という点に異論はない。ただしそれは、もっと声を潜めるべき話題のはずだ。特に、こんな満員電車の中では。
「あの変態男、何て言ってるか聞きました?」
 こずえのよく通る高音が、ほんの少しだけ小さくなった。女子高ソフトボール部キャプテンの一睨みには、おしゃべり大好き少女の口を封じるだけの力はないらしい。
「静かに」
 孝子は、こずえの耳に顔を近づけ囁いた。電車が揺れ、吊革を握る手に思わず力が入る。
「いいじゃないですか。もう逮捕されたんだし」
 こずえがよろけながら言った。口を少し尖らせ、「先輩、なんでそんなに人の目気にしてるんですか?」と不満げに続ける。
 人の目、正確には男の目。孝子がそれを気にするのにははっきりとした理由があった。男がただの馬鹿でしかないなら、何も問題はないし、何も恐れることはない。その馬鹿さ加減について、大声で心ゆくまま語り尽くせばいい。しかし違うのだ。男とはただの馬鹿ではない。男とは、凶暴性を秘めた馬鹿なのだ。
「あの変態、ソフトボール部なら、そんなに警戒されてないだろうと思ったって、そう言ってるらしいんですよ」
 こずえは小声でしゃべり続けている。不愉快そうな、それでいてどこか楽しげな口調だった。
「本当はテニスウェアの方がよかったんだって、それ私たちに対して失礼じゃないですかあ。ソフトボール部のユニフォームで、我慢したんだって、そういうことでしょ。ひどくないですか、それって」
 こずえが変態と呼んでいるのは、六日前に逮捕された男のことだ。容疑は窃盗罪。自宅アパートからは、大量のセーラー服とテニスウェアが発見された。そして、孝子たちソフトボール部のユニフォームもその中にはあった。
 どういうこだわりなのかわからないが、セーラー服とテニスウェアは、きれいに折りたたまれ、高級なキリの箪笥に仕舞いこまれていたらしい。一方ソフトボール部のユニフォームはというと、ただ乱暴に丸められ、スーパーのレジ袋にレシートと一緒に押しこまれていたのだという。
 確かに、変態と呼ぶにふさわしい男だ。逮捕されて当然。冷たい檻の中で、自分の宝物、大切なコレクションが失われたことを思って、いつまでも悔し涙を流し続ければいい。
 ただし、その男一人逮捕されたからといって、まだまだ安心するのは早い。電車内での痴漢や、卑猥ないたずら電話、通学中に起きたとされるストーカーなど、未解決な騒動は残っている。檻の中に閉じこめておくべき変態男は、まだまだ他にも存在しているのだ。
「部活、いつになったら再開できるんですかね」
 残念そうな口ぶりで言い、こずえは「じゃあ、私ここで」と、止まった電車から足早に出て行った。口調とは裏腹に、後姿はとても残念がっているようには見えない。うまくいけば、しばらくは部活でのきつい練習から解放される、とその軽い足取りは言っている。
 ソフトボール部の活動ができなくなってから、もう三週間近くになる。窃盗犯が逮捕されてからもそれは変わらない。生徒の安全のために、心のケアのために、念のために、という学校側の指示によるものである。
 無邪気でいいなあ、と孝子は胸中で呟き、小さな吐息を窓ガラスへとぶつけた。自分はこずえのように生きることはできない。今日、改めてその事実に気づかされた。
 男性に会うたび、ついその人の裏の顔を想像してしまう。さわやかな笑顔には、嫌悪感を覚え、やさしい言葉には、疑念を抱いてしまう。自分でも悪い癖だとはわかっている。けれど変えることはできない。今だってそうだ。この電車の中に、うちの学校の生徒を狙った痴漢、あるいはストーカーが潜んでいるのではないのか。先ほどのこずえとの会話を、ニヤニヤしながら盗み聞きしていたのではないのか。そんな思いばかりが、孝子の頭の中を支配し続けていた。
 こずえが無邪気でいられるのは、男の怖さを知らないためだ。もしそれを知っているのなら、あんなに無防備ではいられないはず。そう。男の怖さを知っている女なら……。
 孝子の脳裏に、ふと詩織の顔が浮かんだ。孝子以上に、そのことを知っているはずの母。それなのに、なぜ?

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8 母と娘の立場
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ホームチーム 6 離婚後の母

6 離婚後の母

「難しい子です」
 その言葉と小さなため息を持って、詩織はすっかり長くなってしまった説明を締めくくった。
「子供はみんな難しいよ」
 卓真がおどけるように言う。
「部長……」
 詩織はうつむきかけた顔を上げ、「私の今の説明、ちゃんと理解できました?」と恐る恐る尋ねた。
 そもそも詩織には自信がなかった。誰かに向かって、正確に物事を説明する。それ以上困難なものはないとさえ思う。
 職場には、今詩織と卓真二人だけしか残っていない。他の社員が帰ったところで、詩織は説明を始め、そしてたった今それを終えた。
 レストランでの娘、孝子の無礼な振舞。そのお詫び、そしてその理由についての説明だった。
 途中いろいろと脱線したものの、一番重要なポイント、娘は決して卓真を嫌っているわけではなく、男性全体に対する不信感が、彼女にあんな態度を取らせてしまったのだ、という部分だけは伝えられただろう。とは思う。とは思うが、詩織はもう一度聞き返していた。
「もし卓真さんじゃなかったとしても、あの子はたぶんああだったと思うんです。わかりますか?」
 うんうんと卓真はうなずき、「今度会う時は、俺、女装していった方がいいのかな」と笑いながら答えた。
「お願いですから、そこまで無理はしないでください」
「あ、今のは冗談、ただの冗談だから」と卓真は、頭と手を両方振って全力で否定した。
 説明することが苦手な詩織は、相手の言った言葉が、本気なのか、冗談なのかを判断することも、同じぐらいに苦手だった。
「つまり俺としては、何も気にしてはいないってことだよ。孝子ちゃんの態度、最初はああなって当然だと思う。大事なママを、奪われるって思ったんじゃないかな。いや、それより、大事なママのこと、守らなければって考えたのかもね」
 話を聞きながら、詩織は鼻歌を歌い出しそうな気分になっていた。
「君が言った通り、もっと早く四人で会っておくべきだったね。俺としては、まず二人の気持ちをはっきりさせてから、と思っていた。でもそうじゃなかったんだよなあ。子供の気持ちを第一に考えないと、いや、何が一番とか、そういうことでもないか。とにかく、また四人で会う機会を作ろう。なるべく早い方がいい。今度はどこがいいかな。やっぱり食事しながらっていうのが……。あれ? 何その歌」
 話を聞きながら、詩織は実際に鼻歌を歌い出していた。
「素晴らしきレストラン。私のオリジナル曲です」
「ああ。きっとそうだろうなと思った。その明るいメロディーラインが、どことなくオムライスっぽいからね。やっぱり、次もあの店にしようか。それとも別のレストランに……、あれ、今度は急に何笑ってんだ?」
「い、いきなり、頭に、頭に浮かんでしまって……」
 詩織は息も絶え絶えに笑い続けた。頭の中では、花柄ワンピース姿の卓真が、長髪をなびかせながら踊り続けていた。
「た、卓真さん。もう、やめて。もう、踊るのは勘弁してください」

「どう? 中学はもう慣れた?」
 大也は一瞬手を止めたが、またすぐに目の前のロールキャベツへと箸を伸ばした。
「友達は? できた?」と母、理津子の質問は続く。
「一人」
 大也はぶっきらぼうに答え、「だって、まだ二カ月だよ」と言いわけっぽく付け加えた。
 母のマンションに来るのは、三週間ぶりぐらいになる。友達とコンサートに行ってくる、と父には伝えておいた。今回も、特別疑われるようなことはなかった。大也にとっては、いつも通りのちょっとした嘘。そして、父の反応もまたいつも通りのものだった。友達にも分けてやれ、とたくさんのマウンテンズカレーを持たされたのである。
「普段、ちゃんと野菜取ってる?」
 理津子は微笑み、正面からじっと大也の顔を覗きこんだ。
「たまには」
 少し身を引くようにうなずく大也。「あれに、結構いろんなの入ってるみたいだし」と、食器棚の方に目をやる。
 理津子もそちらを見た。そして、積み重ねられたたくさんのレトルトカレーに苦笑する。
「食糧危機が訪れても、きっとしばらくは大丈夫そう」
 理津子は振り返り、「ロールキャベツ、まだ食べるでしょ?」と、テーブルに置かれた皿を手に取った。
「母さん、野球は見てる?」
 鍋の前に立つ母の背中に、大也はぼそっと声をかけた。
「ああ、マウンテンズ。最下位なんでしょ? 仕事が忙しくて、私はなかなか見られないんだけど」
「もうすぐ、メジャーリーグから、一人ピッチャーが来るらしいよ」
「へえ、そうなんだ」
 理津子はそう言うと、テーブルの上に皿を置き、再び大也の正面の席へと腰を下ろした。
 やがて再開される息子への質問攻撃。
「部活には入る気ないの?」
「うん」
「そのお友達って子は、何かやってないの?」
「野球部に入ってるようだけど」
「だったら、一緒に入ればいいじゃない。野球、そんなに好きなんだし」
「見てるだけでいいよ」
「他にあるの? やってみたいこと」
「別に、ない」
「クラスに、かわいい女の子いる?」
「いないよ、そんなの」
「したいことって、本当に何もないの?」
「今したいのは、静かな場所でロールキャベツを食べること」
 大也はぼそぼそと言い、後は何も答えなかった。
 何も答えなかったとはいえ、それぐらいのことでおしゃべりをやめる母ではない。勉強は難しいのか。担任の先生はどんな人なのか。身長はどれぐらいになったのか。友達とはどんな遊びをしているのか。学校では今何が流行っているのか。マリンは何か新しい言葉覚えたのか。などなど。よくもこれだけ聞きたいことがあるものだ、と大也は心の中で苦笑を漏らした。
「母さんって、現場で、迷惑がられたことないの?」
 気がつくと、ついそんな質問を口にしていた。
 理津子をこれほどの好奇心旺盛なおしゃべり人間に変えてしまったのは、グルメ雑誌の記者という立場によるものなのか。それはよくわからない。大也がわかっているのは、離婚後の母は変わった、ということ。しかも、明らかにいい方向へと変わった、ということだった。
「現場? ああ、取材先のことね」
 理津子は軽くかぶりを振り、「迷惑がられるわけないじゃない。いい店の宣伝になるんだし」と笑って見せた。
 そして、今度は真面目な顔で付け加えた。
「人間はみんな、誰かに認めてもらいたいって思うものなのよ」

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7 裏の顔
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片瀬みこと

Author:片瀬みこと
札幌在住のアマチュア作家

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