ホームチーム 9 離婚した原因
9 離婚した原因
四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。場所は、落ち着いた雰囲気の和食レストラン。卓真と詩織とで前もって決めておいた店だ。メニューが豊富で味もいい。何より、個室が用意されているというのが一番の決め手となった。話し合いを深め、それぞれの距離を近づけるには最適な場所と言えるだろう。
卓真は、正面の席で微笑みながら話す詩織と、隣でカレーうどんをすする大也とを交互に見つめた。和食屋に来てまで、カレーを注文することはないだろう、と心の中で苦笑しながら見つめた。
「大也君は、どう思うの? アメリカから来たっていう、あの大きな人のこと。マウンテンズで活躍できるかな」
「投げてみないと、わからないです」
「私は、何となくやってくれそうな気がする。だって、名前がいいじゃない。ハル何とかっていうんでしょ」
「ハル・オースティン」
「あ、そうそう。そんな名前だった。やっぱりいいでしょ? ハルさんっていうのが。マウンテンズに、春を運んできてくれたハルさん」
「投げてみないと、わからないです」
積極的な詩織の問いに、大也もポツリポツリと答えを返していた。返す言葉は相変わらずのつまらなさだが、息子にしてはこれでも上出来な方だろう。
目の前の刺身定食に、時々箸を伸ばしつつ、卓真は、黙って二人のやり取りを見守った。今回は、もっと子供たちとも話をしよう。それが卓真の考えだった。もちろん、詩織も了解済みの計画である。
「ハコベで思い出したんだけど……」
天ぷらを一口食べてから、詩織はうれしそうに言った。
「大也君のおうちで、セキセイインコ飼ってるんだってね。あれって、お世話は大変なの? 私たちのところでも、何かペットがいればいいなって思ってるんだけど」
「別に、世話は簡単です」
大也は、ちょっと困ったような口ぶりで、「あのう、どうして、ハコベで思い出したんですか?」と一つ質問を返した。
「だって、セキセイインコ、ハコベ大好物じゃなかった?」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。たぶん。いや、違ったかな。でも、やっぱりそう。きっと……」
詩織は、「ねえ、そうよね?」と、隣に座る孝子へと目をやった。
大也は大也で、「そうだったの?」と卓真の方を見やる。
「それは、そうなんだろうけど……」
卓真がうなずくのよりも、孝子の口が開く方が先だった。
「ハコベから、セキセイインコを思い出したのはわかるけど、そのハコベっていうのは、いったいどこから舞い降りてきたわけ?」
「そりゃあ、春からの連想じゃないかな」と、卓真が代わりに答えた。
「あ、そうです。よくわかりましたね。春です、春。ハル何とかさんの」と詩織。
「ハル・オースティン」と大也。
詩織は、改めて大也に視線を戻した。
「大也君、ごめんなさいね。私、説明するのがとっても苦手なの。この間の、大発明の時もそうだった。あ、まだこの話してなかったのよね。あれは、ホントすごい発明だったの。何を発明したかは覚えてないんだけど、すごい発明だってことだけははっきりと覚えてて、あ、これ夢の中での出来事だって、私言ったっけ? その発明の瞬間、あまりの喜びに、ついついノートに記録しておくことを忘れちゃってたのね。私、いつも研究ノートっていうの持ってて、新しい商品のアイデアだとか……」
大也は、黙って詩織の話を聞いていた。意味の通じない部分があるのだろう。時折首をかしげることもあった。それでも、嫌がるという風では決してない。彼は彼なりに、詩織のことを真剣に受け入れようとしているのかもしれない。卓真にはそう見えた。
息子よ。カレー好きの息子よ。今目の前で微笑んでいる女性こそが、近い将来お前のお母さんになる人なんだぞ。そして、お前のお姉さんになる人が……。
その時、卓真と孝子の視線がぶつかった。心の声が聞こえたのだろうか。そう勘違いしてしまうほど、孝子の視線は、まっすぐと卓真の瞳を捕えていた。
「ママ、私にも、ちょっとしゃべらせて」
卓真は、思わず姿勢を正した。孝子のしゃべりたい相手というのは、どうやら自分らしいということに気がついたからだ。
「ねえママったら」と、孝子はもう一度詩織に声をかけた。視線は、なおも卓真に向けられたままだ。
「あ、うんうん。ごめん、私ばっかりしゃべっちゃって」
詩織は、研究ノートに書いた文字が、自分でも読めない時がある、というような話を途中でやめ、照れくさそうに三人の顔を順に見つめた。
そして、部屋に妙な空気が流れた。
孝子は、黙ったまま卓真を見つめ続け、詩織は、困ったように孝子を見やり、大也は、じっとメニュー表を眺めている。
卓真は、のんきな息子をチラリと横目で一瞥してから、またすぐに孝子へと向き直った。そして、うながすように言った。
「俺に、何か質問がありそうだけど」
四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。前回同様、場所を決めたのは火野卓真なのだろう。詩織に相談ぐらいはしたかもしれないが、決定権はやはり卓真側にあったに違いない。そもそも母には、自分の意志を押し通すだけの、心の強さというものがないのだから。
詩織のことを守ってあげられるのは、この自分しかいない。苦しい時期を、母とともに乗り越えてきた娘の自分しかいないのだ。
孝子は、ソフトボールの試合で、大事な一球を投げる前いつもそうするのと同じように、一度だけゆっくりとまばたきをした。
「何聞いてもいいですか? 正直に答えてもらえますか?」
卓真に向かって、思い通りの落ち着いた声を出すことができた。この調子、この調子、と孝子は心の中で繰り返す。前回のような突っ張った態度は、かえって逆効果にもなりかねない。ソフトボールでもそうではないか。相手が手強いほど、こちらには冷静さが求められるというものだ。
「ああ、もちろん、何を聞いたって構わないよ」
穏やかな口調でそう言うと、卓真は、手にしていた箸を静かにテーブルの上へと置いた。
「火野さんの、結婚観について知りたいんですが」
孝子はさっそく切り出した。
「うーん。いきなり難しい質問だなあ」
「たとえば、奥さんになる人には、一番何を求めてますか?」
「求めること。そうだなあ。変わらないことかな。うん。結婚前と変わらずにいてくれたら、それだけで満足だよ」
「それだけですか? 家事は、やらなくてもいいんですか? 掃除、洗濯、食事の支度も、全部火野さんがやってくれるんですか?」
「そうじゃなくて、今の質問は、確か、一番は何かってことだったよね」
「じゃあ、今度は二番目を教えてください」
「うーん、困ったな。一番だろうが、百番だろうが、理想を言えば、きりがなくなる話なんだよ。お互いにね。しお、いや、奥さんになる人とは、できるだけよく話し合って、それでも、そう。やっぱりルールは少ない方がいいから、それぞれの意志を尊重しつつ……」
「前の奥さんとは、どうして失敗したんですか?」
短い間があった。それからまず詩織が口を開き、「孝子」と一言だけ発する。たしなめるというよりは、反射的に漏れ出た声という感じに聞こえた。
卓真の表情には、さほど変化は見られない。「いいよいいよ」と言いながら、あたふたする詩織を落ち着かせる。
「何を聞いてもいいっていう約束だったからね」
「そうですよね。ぜひ教えてください。火野さんが離婚した原因を」
「さっきの話じゃないけど、前の結婚生活には、ルールがありすぎたのかもしれない。お互いに守りきれなくなったんだと思う」
「途中から、ルール変更することはできなかったんですか?」
「ああ、できなかった」
「どうしてです?」
「俺が、認めなかったからだ」
「悪いのは、火野さんの方だったってことですか?」
黙りこむ卓真。それでも、孝子の次なる質問に対しては、すぐに答えが返ってきた。
「奥さんが悪かったんですか?」
「いや、違う。俺だ。悪いのは俺の方だ」
孝子の中で軽い驚きがあった。自分の罪を素直に認めるあたりは、評価してもいいかもしれない。とは思う。とは思うが、これだけでは、何について反省しているのか、あまりに抽象的すぎてよくわからない。
新たな質問をすべく、孝子はさっそく、「もっと、具体的なことを教えてほしいんですが」と早口で切り出した。
「奥さんの方は、いったい何を望んでいた……」
しかし、言葉の勢いはすぐになくなった。
正面に座る大也の表情が目に入ったからだ。孝子の視界の隅で、彼は何かに耐えるように、うつむかせた顔を苦しげに歪めていたのである。
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四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。場所は、落ち着いた雰囲気の和食レストラン。卓真と詩織とで前もって決めておいた店だ。メニューが豊富で味もいい。何より、個室が用意されているというのが一番の決め手となった。話し合いを深め、それぞれの距離を近づけるには最適な場所と言えるだろう。
卓真は、正面の席で微笑みながら話す詩織と、隣でカレーうどんをすする大也とを交互に見つめた。和食屋に来てまで、カレーを注文することはないだろう、と心の中で苦笑しながら見つめた。
「大也君は、どう思うの? アメリカから来たっていう、あの大きな人のこと。マウンテンズで活躍できるかな」
「投げてみないと、わからないです」
「私は、何となくやってくれそうな気がする。だって、名前がいいじゃない。ハル何とかっていうんでしょ」
「ハル・オースティン」
「あ、そうそう。そんな名前だった。やっぱりいいでしょ? ハルさんっていうのが。マウンテンズに、春を運んできてくれたハルさん」
「投げてみないと、わからないです」
積極的な詩織の問いに、大也もポツリポツリと答えを返していた。返す言葉は相変わらずのつまらなさだが、息子にしてはこれでも上出来な方だろう。
目の前の刺身定食に、時々箸を伸ばしつつ、卓真は、黙って二人のやり取りを見守った。今回は、もっと子供たちとも話をしよう。それが卓真の考えだった。もちろん、詩織も了解済みの計画である。
「ハコベで思い出したんだけど……」
天ぷらを一口食べてから、詩織はうれしそうに言った。
「大也君のおうちで、セキセイインコ飼ってるんだってね。あれって、お世話は大変なの? 私たちのところでも、何かペットがいればいいなって思ってるんだけど」
「別に、世話は簡単です」
大也は、ちょっと困ったような口ぶりで、「あのう、どうして、ハコベで思い出したんですか?」と一つ質問を返した。
「だって、セキセイインコ、ハコベ大好物じゃなかった?」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。たぶん。いや、違ったかな。でも、やっぱりそう。きっと……」
詩織は、「ねえ、そうよね?」と、隣に座る孝子へと目をやった。
大也は大也で、「そうだったの?」と卓真の方を見やる。
「それは、そうなんだろうけど……」
卓真がうなずくのよりも、孝子の口が開く方が先だった。
「ハコベから、セキセイインコを思い出したのはわかるけど、そのハコベっていうのは、いったいどこから舞い降りてきたわけ?」
「そりゃあ、春からの連想じゃないかな」と、卓真が代わりに答えた。
「あ、そうです。よくわかりましたね。春です、春。ハル何とかさんの」と詩織。
「ハル・オースティン」と大也。
詩織は、改めて大也に視線を戻した。
「大也君、ごめんなさいね。私、説明するのがとっても苦手なの。この間の、大発明の時もそうだった。あ、まだこの話してなかったのよね。あれは、ホントすごい発明だったの。何を発明したかは覚えてないんだけど、すごい発明だってことだけははっきりと覚えてて、あ、これ夢の中での出来事だって、私言ったっけ? その発明の瞬間、あまりの喜びに、ついついノートに記録しておくことを忘れちゃってたのね。私、いつも研究ノートっていうの持ってて、新しい商品のアイデアだとか……」
大也は、黙って詩織の話を聞いていた。意味の通じない部分があるのだろう。時折首をかしげることもあった。それでも、嫌がるという風では決してない。彼は彼なりに、詩織のことを真剣に受け入れようとしているのかもしれない。卓真にはそう見えた。
息子よ。カレー好きの息子よ。今目の前で微笑んでいる女性こそが、近い将来お前のお母さんになる人なんだぞ。そして、お前のお姉さんになる人が……。
その時、卓真と孝子の視線がぶつかった。心の声が聞こえたのだろうか。そう勘違いしてしまうほど、孝子の視線は、まっすぐと卓真の瞳を捕えていた。
「ママ、私にも、ちょっとしゃべらせて」
卓真は、思わず姿勢を正した。孝子のしゃべりたい相手というのは、どうやら自分らしいということに気がついたからだ。
「ねえママったら」と、孝子はもう一度詩織に声をかけた。視線は、なおも卓真に向けられたままだ。
「あ、うんうん。ごめん、私ばっかりしゃべっちゃって」
詩織は、研究ノートに書いた文字が、自分でも読めない時がある、というような話を途中でやめ、照れくさそうに三人の顔を順に見つめた。
そして、部屋に妙な空気が流れた。
孝子は、黙ったまま卓真を見つめ続け、詩織は、困ったように孝子を見やり、大也は、じっとメニュー表を眺めている。
卓真は、のんきな息子をチラリと横目で一瞥してから、またすぐに孝子へと向き直った。そして、うながすように言った。
「俺に、何か質問がありそうだけど」
四人揃っての食事会は、今回で二度目になる。前回同様、場所を決めたのは火野卓真なのだろう。詩織に相談ぐらいはしたかもしれないが、決定権はやはり卓真側にあったに違いない。そもそも母には、自分の意志を押し通すだけの、心の強さというものがないのだから。
詩織のことを守ってあげられるのは、この自分しかいない。苦しい時期を、母とともに乗り越えてきた娘の自分しかいないのだ。
孝子は、ソフトボールの試合で、大事な一球を投げる前いつもそうするのと同じように、一度だけゆっくりとまばたきをした。
「何聞いてもいいですか? 正直に答えてもらえますか?」
卓真に向かって、思い通りの落ち着いた声を出すことができた。この調子、この調子、と孝子は心の中で繰り返す。前回のような突っ張った態度は、かえって逆効果にもなりかねない。ソフトボールでもそうではないか。相手が手強いほど、こちらには冷静さが求められるというものだ。
「ああ、もちろん、何を聞いたって構わないよ」
穏やかな口調でそう言うと、卓真は、手にしていた箸を静かにテーブルの上へと置いた。
「火野さんの、結婚観について知りたいんですが」
孝子はさっそく切り出した。
「うーん。いきなり難しい質問だなあ」
「たとえば、奥さんになる人には、一番何を求めてますか?」
「求めること。そうだなあ。変わらないことかな。うん。結婚前と変わらずにいてくれたら、それだけで満足だよ」
「それだけですか? 家事は、やらなくてもいいんですか? 掃除、洗濯、食事の支度も、全部火野さんがやってくれるんですか?」
「そうじゃなくて、今の質問は、確か、一番は何かってことだったよね」
「じゃあ、今度は二番目を教えてください」
「うーん、困ったな。一番だろうが、百番だろうが、理想を言えば、きりがなくなる話なんだよ。お互いにね。しお、いや、奥さんになる人とは、できるだけよく話し合って、それでも、そう。やっぱりルールは少ない方がいいから、それぞれの意志を尊重しつつ……」
「前の奥さんとは、どうして失敗したんですか?」
短い間があった。それからまず詩織が口を開き、「孝子」と一言だけ発する。たしなめるというよりは、反射的に漏れ出た声という感じに聞こえた。
卓真の表情には、さほど変化は見られない。「いいよいいよ」と言いながら、あたふたする詩織を落ち着かせる。
「何を聞いてもいいっていう約束だったからね」
「そうですよね。ぜひ教えてください。火野さんが離婚した原因を」
「さっきの話じゃないけど、前の結婚生活には、ルールがありすぎたのかもしれない。お互いに守りきれなくなったんだと思う」
「途中から、ルール変更することはできなかったんですか?」
「ああ、できなかった」
「どうしてです?」
「俺が、認めなかったからだ」
「悪いのは、火野さんの方だったってことですか?」
黙りこむ卓真。それでも、孝子の次なる質問に対しては、すぐに答えが返ってきた。
「奥さんが悪かったんですか?」
「いや、違う。俺だ。悪いのは俺の方だ」
孝子の中で軽い驚きがあった。自分の罪を素直に認めるあたりは、評価してもいいかもしれない。とは思う。とは思うが、これだけでは、何について反省しているのか、あまりに抽象的すぎてよくわからない。
新たな質問をすべく、孝子はさっそく、「もっと、具体的なことを教えてほしいんですが」と早口で切り出した。
「奥さんの方は、いったい何を望んでいた……」
しかし、言葉の勢いはすぐになくなった。
正面に座る大也の表情が目に入ったからだ。孝子の視界の隅で、彼は何かに耐えるように、うつむかせた顔を苦しげに歪めていたのである。
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