雨と虹の日々 14 外出が嫌い
14 外出が嫌い
俺は外出が嫌いだ。
もちろん、この間の長旅のせいもある。しかし、そんな風に感じるようになったのは、もっと前の話だ。虹子との生活。いや、この部屋の居心地の良さ。それが原因なのだろう。
雨風をしのぐことのできる暖かな寝床。そのおかげなのか、最近では、悪夢を見ることも少なくなってきている。昨夜見たのは、でっかい図体した百獣の王ライオンを、コテンパンにやっつけるっていう、胸の空くご機嫌な夢だったっけ。
飢えに苦しむこともなくなった。それどころか、栄養満点の食い物のおかげで、今じゃ俺の毛並はつやつやの一級品だぜ。
外敵や交通事故に注意する必要もない。寝たいだけ寝て、食いたいだけ食う。そんな天国みたいな生活が、もうどれぐらい続いているのだろう。虹子はやっぱり天使だったのではないかと、いまだに勘違いしてしまうことさえあるぐらいだ。
一方では、何か大事なものを失いつつあるような気もする。外での暮らしってやつは、確かに過酷だった。だが、そこには自由があった。何よりこの俺には、猫としての気概のようなものがあった。
「どう、ですか?」
俺を膝に乗せたまま、直人は遠慮がちな口調で言った。部屋には、たった今まで音楽が流れていた。どうやら、その感想を求めているらしい。
「ちょっと待って。もう一回聴いてみたいから」
虹子はいったんソファーから離れると、パソコンデスクへと向かい、何やらカチャカチャと操作し始めた。
「いきなり連絡したりして、今日はホントにすいませんです。すごくいい曲ができたんで、あ、勝手に僕がそう思っただけなんですけど。とにかく、虹子先輩に早く聴かせたくて、あ、聴いてもらいたくてです」
虹子が、「直人君、猫好きなんだね」と言いながら、ソファーへと戻ってきた。俺と直人の斜向かいの位置に座る。
「あ、はい。小さい頃、うちで飼ってたことあって」
直人の指先が、俺の耳の下をやさしく撫でる。確かに悪くない撫でっぷりだった。ツボを心得ていると言ってもいいだろう。再び流れ出した音楽を、名曲だと錯覚してしまいそうになるほどの心地良さである。
いつもなら、麗子と一緒に来ることの多かった直人。珍しく、今日は彼一人での訪問だ。先ほどから、何度も頭を下げ、「すいませんです」を連発している。突然連絡したことについて。デモ演奏の音質が悪いことについて。一人暮らしの女性の部屋に、男一人でお邪魔することについて。履いてきた靴下に、穴が空いていたことについて。まあ、とにかく謝ることの大好きな男だ。
「何となく、直人君らしくない曲……」
虹子はそこまで言うと、今度は慌てて、「悪い意味じゃなくてね」と付け加えた。
「今回、その辺は意識して変えてみたんです。虹子先輩の詞から、何となくインスピレーションが湧いて。それから、幸助先輩の曲も、ちょっと参考にさせてもらって……。あ、すいませんです」
「麗子には、もう聴かせたの?」
「あ、まだです。聴かせようと思っても、大学は休んでるみたいだし、電話しても、ぜんぜん繋がらないし、あれ以来……。あ、すいませんです」
相変わらず、謝るのが大好きな直人である。そういえば、彼が部屋のギターをいじっていた時に、虹子が突然叫び声を上げる、という事件が以前あったっけ。そのことを直人は警戒しているのかもしれない。
「バンドをめちゃくちゃにしたの、私のせいだよね。せっかくのチャンス、みんなの夢も、台無しにしちゃった。直人君だって、ライブの話、すごく乗り気だったもんね」
寂しげに言うと、虹子は大きく一度ため息をついた。
音楽が鳴りやみ、部屋が静寂に包まれる。
「猫って……」
俺の喉を撫でていた直人が、しばらくしてからポツリと呟いた。
「うちの中で飼われる方が、やっぱり幸せなのかなあ」
伏し目がちだった虹子が、「どうして?」と顔を上げる。
「昔うちにいた猫、家出しちゃったんですよ」
「事故にあったとかじゃないの?」
「そうかもですけど、何となく、自分の意志で出て行ったような気がするんですよね。よく窓から外眺めてたし」
「それぐらいのことなら、レインにだってあるよ。でもそれは、ただ眺めてるっていうだけのことでしょ?」
「ううん。どう言えばいいんだろう。……外を見ていたその時のココアの、あ、ココアっていうのが猫の名前です。その時の顔が……」
「顔が?」
「ええと、笑われそうなんですけど、家を出ようかどうか、迷っているような顔だったんです。レインの顔見てたら、なぜかあの時のココアのこと思い出しちゃって……。すいませんです」
「レインも……」
一瞬苦笑しかけた虹子だったが、すぐに表情を引き締め、「ここを出て行きたがっている、て言いたいの?」と、ややムキになったような口調で言った。
もうこうなってしまうと、直人に残された言葉はただ一つ。
「すいませんです」
ということになる。
ある意味、直人は俺の心を読み取っていた。確かに迷っている。その通りだ。この場所には、求めている以上の安定と、必要以上の安全がある。その結果、俺は外出することを嫌うように、いや、正直に言えば、外出することを恐れるようにさえなってしまったのだ。外での生活が当たり前だった、この俺がである。おのれの生存能力だけを頼りに生きてきた、この俺がである。
「ニャッ!」
直人の膝を飛び降り、俺は窓辺へと急いだ。矢も楯もたまらずに、というのはこういうことを言うのだろう。
「レイン、どうした?」という直人の声。
どうしたもこうしたもない。こんな気持ちになるのは、俺だって初めてなのだ。
「もう、お腹空いちゃったの?」という虹子の声。
腹の方はまだ空いちゃいない。ただ、とてつもなく空虚なだけだ。
カーテンの隙間から覗く外の世界は、相変わらず危険に満ち溢れて見える。ほんの前まで俺が暮らしていた世界だ。今ではそれも、遠い昔の出来事のようにさえ思えてくるのだが。
人に捨てられたのだと思えば、お前はただの捨て猫にしかなれない。人の助けを拒絶したのだと思えば、お前は誇り高き勇者になれる。
記憶の底から、ふとそんな言葉が蘇ってくる。この俺に、生きる意味を教えてくれたのがそいつだった。薄汚れた茶色い毛の、かなり歳を食った猫だったっけ。やつも昔、人に飼われていたことがあったのだという。その時付けられた名前が“ココア”。確かそう言っていた。
「後姿が、ココアに似てるんだよなあ」
「レインは、外眺めるのが好きなだけだってば」
「あ、すいませんです」
「ここを出て行きたいだなんて思うはずない。レインには、何不自由ない生活させてあげてるんだから」
虹子と直人のやり取りは、その後もしばらく続いた。最初は言い争っているように思えたが、実はそうでもないようである。虹子の声音は明るく、他のバンドメンバーに対するものとはまるで違っていた。直人も同様に、猫の思い出話に声を弾ませている。
「僕思うんですけど、きっとココアにとっては、それで良かったんだって、その、何というか、自分の居場所は、僕のうちではなかったってことに気づいたんじゃないかな、なんてこと言っても馬鹿みたいですよね。すいませんです」
「悪いけど、私には、その理屈ぜんぜんわかんない」
「理屈の話をしてるんじゃなくて……。たとえば、さっき聴いてもらった曲。虹子先輩に詞を付けてもらって、一つの作品として完成させたい。そう強く思ってます。それは、バンドがこのまま解散したとしても、一生誰にも評価されなかったとしても、その思いだけは変わらない。理屈じゃないんです。それは、自分の中の何かが、そうしたいと望んでいるから……。すいませんです。熱くなりすぎちゃったかもです」
窓の向こう側の世界には、いったいどれだけの猫が暮らしているのだろう。少なくとも、そこにはもうココアの姿はない。やつは死んだ。直前に食った毒入りソーセージが原因だったらしい。人を信じた、その一瞬が、やつにとっての命取りだったわけだ。
「私、たった今思いついたんだけど」
「はい」
「これから、動物園行かない?」
「はい?」
「理屈じゃなくて、私のなかの何かが、動物園を望んでるんだから、しょうがないじゃない」
「すいませんです」
どういう話の流れだったのか、虹子と直人は、いそいそと外出の準備をし始めた。
「レイン」
サイドボードの上へと飛び乗った俺に、着替えを済ませた虹子が近づいて来る。
「ちょっと出かけて来るから、いい子に留守番しててね」
笑顔でそう言うと、今度は、なぜか俺の耳に顔を寄せてきた。「ただの動物園だから、やきもち焼かないでね」と声をひそめる。
それは、取り越し苦労ってもんだぜ。俺は猫だ。それ以上でも、それ以下でもない。他の動物に対するライバル意識なんてものは、鼻っから持ち合わせちゃいないのさ。
ココアは死んだ。人の笑顔にだまされて命を落とした。しかし、やつは恨み言一つ口にしなかった。やつが残した最後の言葉を、俺は今でもはっきりと思い出すことができる。
猫として死ねることを、俺は誇りに思う。
虹色日記
今日、何年ぶりかで動物園に行って来ました。急に思いついちゃったんですよね。目的は、もちろん動物を見ること。でも今までとは、その見方っていうのがちょっと違うんです。興味があったのは、動物の表情。今、何を考え、何を望んでいるか。それを表情から読み取ろうと思ったんです。
結論としては、成果ゼロでした。当たり前ですよね。動物が何を考えてるかなんて、人間にわかるはずがない。
本当はみんな檻から出たがってるんだ。自由な世界を望んでるんだ。一緒に行ったSP君の目には、そんな風に見えたらしいですよ。これって、どうにでも見えちゃいますよね。それに、いかにもロック少年が言いそうなことだったんで、RC、思わず吹き出しちゃいましたよ。
SP君については、前にも少し書いたことがあると思うんですけど、うちのバンドのギタリストです。二人っきりで会ったのは今日が初めて。まさか、こんなに話が盛り上がるとは思わなかったなあ。
だからといって、この先恋愛に発展するとかはないですからね。皆さん誤解のないように。SP君は、ただのバンド仲間です。しかも年下。HAと比べると、やっぱり子供っぽい感じがする。
バンドでは、RCが作詞、SP君が作曲を担当してる。いい作品を完成させるには、これからは、もっと二人で話し合った方がいいんでしょうね。たとえ、バンドが崩壊したとしても。
そうなんです。実は今、バンドが危機的状態にあるんです。しかもそれは、RCのせいでした。BCの計画した通りにしてさえいれば、たぶんビッグチャンスを掴めたはずなんですよ。
SP君が、今日すごく気になることを言ってました。
理屈じゃなくて、自分の中の何かが、そうしたいと望んでいること。
何だか、今頃になって、その意味がはっきりとわかってきたんです。
ビッグチャンスを失うことになったとしても、RCの中には、絶対に譲ることのできない何かがあった。それは確か。
それにしても、BC以外のバンド仲間、特にSP君には悪いことしちゃったなあ。今日初めて知ったんですけど、大学の授業料や生活費、結構苦労してるみたいなんですよね。親がいないから、しょうがないんだって言ってましたけど。
SP君にお詫びするのに、何かいいプレゼントないですかね。猫好きみたいだから、いっそのこと、レインを引き取ってもらおうかな。なーんちゃって。レインごめん。今のは冗談。これからも、レインにはずっとRCのそばにいてもらうんだからね。
皆さんの明日に、どうか虹色の橋がかかりますように!
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俺は外出が嫌いだ。
もちろん、この間の長旅のせいもある。しかし、そんな風に感じるようになったのは、もっと前の話だ。虹子との生活。いや、この部屋の居心地の良さ。それが原因なのだろう。
雨風をしのぐことのできる暖かな寝床。そのおかげなのか、最近では、悪夢を見ることも少なくなってきている。昨夜見たのは、でっかい図体した百獣の王ライオンを、コテンパンにやっつけるっていう、胸の空くご機嫌な夢だったっけ。
飢えに苦しむこともなくなった。それどころか、栄養満点の食い物のおかげで、今じゃ俺の毛並はつやつやの一級品だぜ。
外敵や交通事故に注意する必要もない。寝たいだけ寝て、食いたいだけ食う。そんな天国みたいな生活が、もうどれぐらい続いているのだろう。虹子はやっぱり天使だったのではないかと、いまだに勘違いしてしまうことさえあるぐらいだ。
一方では、何か大事なものを失いつつあるような気もする。外での暮らしってやつは、確かに過酷だった。だが、そこには自由があった。何よりこの俺には、猫としての気概のようなものがあった。
「どう、ですか?」
俺を膝に乗せたまま、直人は遠慮がちな口調で言った。部屋には、たった今まで音楽が流れていた。どうやら、その感想を求めているらしい。
「ちょっと待って。もう一回聴いてみたいから」
虹子はいったんソファーから離れると、パソコンデスクへと向かい、何やらカチャカチャと操作し始めた。
「いきなり連絡したりして、今日はホントにすいませんです。すごくいい曲ができたんで、あ、勝手に僕がそう思っただけなんですけど。とにかく、虹子先輩に早く聴かせたくて、あ、聴いてもらいたくてです」
虹子が、「直人君、猫好きなんだね」と言いながら、ソファーへと戻ってきた。俺と直人の斜向かいの位置に座る。
「あ、はい。小さい頃、うちで飼ってたことあって」
直人の指先が、俺の耳の下をやさしく撫でる。確かに悪くない撫でっぷりだった。ツボを心得ていると言ってもいいだろう。再び流れ出した音楽を、名曲だと錯覚してしまいそうになるほどの心地良さである。
いつもなら、麗子と一緒に来ることの多かった直人。珍しく、今日は彼一人での訪問だ。先ほどから、何度も頭を下げ、「すいませんです」を連発している。突然連絡したことについて。デモ演奏の音質が悪いことについて。一人暮らしの女性の部屋に、男一人でお邪魔することについて。履いてきた靴下に、穴が空いていたことについて。まあ、とにかく謝ることの大好きな男だ。
「何となく、直人君らしくない曲……」
虹子はそこまで言うと、今度は慌てて、「悪い意味じゃなくてね」と付け加えた。
「今回、その辺は意識して変えてみたんです。虹子先輩の詞から、何となくインスピレーションが湧いて。それから、幸助先輩の曲も、ちょっと参考にさせてもらって……。あ、すいませんです」
「麗子には、もう聴かせたの?」
「あ、まだです。聴かせようと思っても、大学は休んでるみたいだし、電話しても、ぜんぜん繋がらないし、あれ以来……。あ、すいませんです」
相変わらず、謝るのが大好きな直人である。そういえば、彼が部屋のギターをいじっていた時に、虹子が突然叫び声を上げる、という事件が以前あったっけ。そのことを直人は警戒しているのかもしれない。
「バンドをめちゃくちゃにしたの、私のせいだよね。せっかくのチャンス、みんなの夢も、台無しにしちゃった。直人君だって、ライブの話、すごく乗り気だったもんね」
寂しげに言うと、虹子は大きく一度ため息をついた。
音楽が鳴りやみ、部屋が静寂に包まれる。
「猫って……」
俺の喉を撫でていた直人が、しばらくしてからポツリと呟いた。
「うちの中で飼われる方が、やっぱり幸せなのかなあ」
伏し目がちだった虹子が、「どうして?」と顔を上げる。
「昔うちにいた猫、家出しちゃったんですよ」
「事故にあったとかじゃないの?」
「そうかもですけど、何となく、自分の意志で出て行ったような気がするんですよね。よく窓から外眺めてたし」
「それぐらいのことなら、レインにだってあるよ。でもそれは、ただ眺めてるっていうだけのことでしょ?」
「ううん。どう言えばいいんだろう。……外を見ていたその時のココアの、あ、ココアっていうのが猫の名前です。その時の顔が……」
「顔が?」
「ええと、笑われそうなんですけど、家を出ようかどうか、迷っているような顔だったんです。レインの顔見てたら、なぜかあの時のココアのこと思い出しちゃって……。すいませんです」
「レインも……」
一瞬苦笑しかけた虹子だったが、すぐに表情を引き締め、「ここを出て行きたがっている、て言いたいの?」と、ややムキになったような口調で言った。
もうこうなってしまうと、直人に残された言葉はただ一つ。
「すいませんです」
ということになる。
ある意味、直人は俺の心を読み取っていた。確かに迷っている。その通りだ。この場所には、求めている以上の安定と、必要以上の安全がある。その結果、俺は外出することを嫌うように、いや、正直に言えば、外出することを恐れるようにさえなってしまったのだ。外での生活が当たり前だった、この俺がである。おのれの生存能力だけを頼りに生きてきた、この俺がである。
「ニャッ!」
直人の膝を飛び降り、俺は窓辺へと急いだ。矢も楯もたまらずに、というのはこういうことを言うのだろう。
「レイン、どうした?」という直人の声。
どうしたもこうしたもない。こんな気持ちになるのは、俺だって初めてなのだ。
「もう、お腹空いちゃったの?」という虹子の声。
腹の方はまだ空いちゃいない。ただ、とてつもなく空虚なだけだ。
カーテンの隙間から覗く外の世界は、相変わらず危険に満ち溢れて見える。ほんの前まで俺が暮らしていた世界だ。今ではそれも、遠い昔の出来事のようにさえ思えてくるのだが。
人に捨てられたのだと思えば、お前はただの捨て猫にしかなれない。人の助けを拒絶したのだと思えば、お前は誇り高き勇者になれる。
記憶の底から、ふとそんな言葉が蘇ってくる。この俺に、生きる意味を教えてくれたのがそいつだった。薄汚れた茶色い毛の、かなり歳を食った猫だったっけ。やつも昔、人に飼われていたことがあったのだという。その時付けられた名前が“ココア”。確かそう言っていた。
「後姿が、ココアに似てるんだよなあ」
「レインは、外眺めるのが好きなだけだってば」
「あ、すいませんです」
「ここを出て行きたいだなんて思うはずない。レインには、何不自由ない生活させてあげてるんだから」
虹子と直人のやり取りは、その後もしばらく続いた。最初は言い争っているように思えたが、実はそうでもないようである。虹子の声音は明るく、他のバンドメンバーに対するものとはまるで違っていた。直人も同様に、猫の思い出話に声を弾ませている。
「僕思うんですけど、きっとココアにとっては、それで良かったんだって、その、何というか、自分の居場所は、僕のうちではなかったってことに気づいたんじゃないかな、なんてこと言っても馬鹿みたいですよね。すいませんです」
「悪いけど、私には、その理屈ぜんぜんわかんない」
「理屈の話をしてるんじゃなくて……。たとえば、さっき聴いてもらった曲。虹子先輩に詞を付けてもらって、一つの作品として完成させたい。そう強く思ってます。それは、バンドがこのまま解散したとしても、一生誰にも評価されなかったとしても、その思いだけは変わらない。理屈じゃないんです。それは、自分の中の何かが、そうしたいと望んでいるから……。すいませんです。熱くなりすぎちゃったかもです」
窓の向こう側の世界には、いったいどれだけの猫が暮らしているのだろう。少なくとも、そこにはもうココアの姿はない。やつは死んだ。直前に食った毒入りソーセージが原因だったらしい。人を信じた、その一瞬が、やつにとっての命取りだったわけだ。
「私、たった今思いついたんだけど」
「はい」
「これから、動物園行かない?」
「はい?」
「理屈じゃなくて、私のなかの何かが、動物園を望んでるんだから、しょうがないじゃない」
「すいませんです」
どういう話の流れだったのか、虹子と直人は、いそいそと外出の準備をし始めた。
「レイン」
サイドボードの上へと飛び乗った俺に、着替えを済ませた虹子が近づいて来る。
「ちょっと出かけて来るから、いい子に留守番しててね」
笑顔でそう言うと、今度は、なぜか俺の耳に顔を寄せてきた。「ただの動物園だから、やきもち焼かないでね」と声をひそめる。
それは、取り越し苦労ってもんだぜ。俺は猫だ。それ以上でも、それ以下でもない。他の動物に対するライバル意識なんてものは、鼻っから持ち合わせちゃいないのさ。
ココアは死んだ。人の笑顔にだまされて命を落とした。しかし、やつは恨み言一つ口にしなかった。やつが残した最後の言葉を、俺は今でもはっきりと思い出すことができる。
猫として死ねることを、俺は誇りに思う。
虹色日記
今日、何年ぶりかで動物園に行って来ました。急に思いついちゃったんですよね。目的は、もちろん動物を見ること。でも今までとは、その見方っていうのがちょっと違うんです。興味があったのは、動物の表情。今、何を考え、何を望んでいるか。それを表情から読み取ろうと思ったんです。
結論としては、成果ゼロでした。当たり前ですよね。動物が何を考えてるかなんて、人間にわかるはずがない。
本当はみんな檻から出たがってるんだ。自由な世界を望んでるんだ。一緒に行ったSP君の目には、そんな風に見えたらしいですよ。これって、どうにでも見えちゃいますよね。それに、いかにもロック少年が言いそうなことだったんで、RC、思わず吹き出しちゃいましたよ。
SP君については、前にも少し書いたことがあると思うんですけど、うちのバンドのギタリストです。二人っきりで会ったのは今日が初めて。まさか、こんなに話が盛り上がるとは思わなかったなあ。
だからといって、この先恋愛に発展するとかはないですからね。皆さん誤解のないように。SP君は、ただのバンド仲間です。しかも年下。HAと比べると、やっぱり子供っぽい感じがする。
バンドでは、RCが作詞、SP君が作曲を担当してる。いい作品を完成させるには、これからは、もっと二人で話し合った方がいいんでしょうね。たとえ、バンドが崩壊したとしても。
そうなんです。実は今、バンドが危機的状態にあるんです。しかもそれは、RCのせいでした。BCの計画した通りにしてさえいれば、たぶんビッグチャンスを掴めたはずなんですよ。
SP君が、今日すごく気になることを言ってました。
理屈じゃなくて、自分の中の何かが、そうしたいと望んでいること。
何だか、今頃になって、その意味がはっきりとわかってきたんです。
ビッグチャンスを失うことになったとしても、RCの中には、絶対に譲ることのできない何かがあった。それは確か。
それにしても、BC以外のバンド仲間、特にSP君には悪いことしちゃったなあ。今日初めて知ったんですけど、大学の授業料や生活費、結構苦労してるみたいなんですよね。親がいないから、しょうがないんだって言ってましたけど。
SP君にお詫びするのに、何かいいプレゼントないですかね。猫好きみたいだから、いっそのこと、レインを引き取ってもらおうかな。なーんちゃって。レインごめん。今のは冗談。これからも、レインにはずっとRCのそばにいてもらうんだからね。
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