みことのいどこ http://mikotoduke.blog.fc2.com/ 片瀬みことのオリジナル小説サイト ja http://mikotoduke.blog.fc2.com/blog-entry-152.html ホームチーム あとがき 彼らの観察を終えて あとがき 彼らの観察を終えて 細かなプロットは、登場人物の言動を阻害し、物語の自然な流れを狂わせる場合がある。 それは以前から感じていたことだった。 では、小説にとって、プロットは不必要なものなのか。 イエス、とはなかなか言いにくい。私には失敗した経験があるからだ。 プロットがなければ、キャラクターは行き先を見失い、物語は、終わりのないただの空想日記と化してしまう。 それが失敗作から学んだことだっ
 細かなプロットは、登場人物の言動を阻害し、物語の自然な流れを狂わせる場合がある。
 それは以前から感じていたことだった。
 では、小説にとって、プロットは不必要なものなのか。
 イエス、とはなかなか言いにくい。私には失敗した経験があるからだ。
 プロットがなければ、キャラクターは行き先を見失い、物語は、終わりのないただの空想日記と化してしまう。
 それが失敗作から学んだことだった。
 しかし、学んだと思っていたそれは、ただの経験不足、力量不足からくるものでは? そんな気持ちもなくはなかった。
 そして私は、この長編第三弾で、大きな挑戦をすることにした。つまり、プロットなしでの執筆である。スティーブン・キングの、私はプロットを作らない、という言葉が、背中を強く押してくれた。
 親としての責任に頭を痛める卓真。思っていることを素直に言葉にできない大也。隠したい過去を持つ詩織。男性不信の孝子。メインキャラクターとなるのは、この四人だ。
 最初に決めておいたのは、三人称多視点で、四人それぞれの思いを描く、ということだけ。実は、この形式も、私が苦手とするものの一つだった。
 この“三人称”という表現。経験してみて、初めてその奥の深さに気づかされた。
 語り手と登場人物たちとの距離感。それをどう取るかによって、地の文のあり方も大きく変わっていく。
 この話の語り手には、主人公四人の代弁者、という役割に徹してもらった。結果として、非常に一人称と近い語り口となった。
 俯瞰での描写を入れなかったことで、三人称は苦手、という部分から、少しは抜け出せたような気がする。
 今作品の執筆で、もう一つ大きな発見があった。それは“伏線”についての考え方だ。
 先の展開を知った上で張るのが、プロットがある場合の伏線だ。
 それでは、今回のような場合はどうだったのか。
 すでに書き終えた部分を振り返り、あれこれと思案してみる。あの出来事、あの発言を、伏線として利用できないだろうか、と。つまり、伏線と意識していなかったものを、伏線にしてしまうという考え方だ。
 小説というものの奥深さを感じつつ、週一での連載を、どうにか最後まで続けることができた。
 子連れ同士の恋愛、というスタートから、ある程度のゴールをイメージすることはできていた。つまり、様々な困難を乗り越え、やがて再婚へとたどり着く、というゴールである。何となくではあるが、ハッピーエンドにしたい。ハッピーエンドになってほしい、という気持ちも強かった。
 とはいえ、物語の登場人物たちを、作者の思い通りに操ることは困難だ。それは、プロットの有無に関わらずである。キャラクターに魂を吹きこんでしまった以上、もうそこからは、ある程度彼らの自由意思に任せるしかない。
 だから、私は見守った。幸せになりますようにと願いながら、彼らをじっくりと観察した。物語を発展させるために、ちょっとした困難を与えることもあった。しかし、すっきりとした解決策は教えなかった。スーパーヒーローを登場させることもしなかった。
 そして、物語は幕を下ろした。
 さて、彼らは、困難を乗り越えることができたのだろうか。
 過去を消去することはできない。それを考えれば、彼らには、まだまだ乗り越えなくてはいけない問題が残されているはずだ。詩織の元夫は、これでおとなしく引き下がってくれるだろうか。卓真の元妻は、二人の再婚を邪魔しないだろうか。詩織の秘密は、やがて多くの人に知られてしまうのでは? 孝子や大也が、学校で嫌がらせを受けるのでは? 心配し出すときりがない。
 でも、きっと大丈夫。大丈夫だということに疑いはない。彼らの観察を終えて、今一番強く思う気持ちがそれだ。
 誰かの冗談に、笑い声をあげる別の誰かがいる。
 誰かの決意に、首を縦に振る別の誰かがいる。
 誰かの不安に、耳を傾ける別の誰かがいる。
 誰かの勇気に、拍手を送る別の誰かがいる。
 この四人は、そういう誰かで、そういう別の誰かなのだ。大丈夫な理由なら、それだけで十分だろう。
 そう。人と人との絆を深めるのに、スーパーヒーローの存在など必要ないのである。

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次回作の準備のため、しばらくブログ更新はお休みいたします。

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ホームチーム 本文 2015-04-12T08:28:36+09:00 片瀬みこと FC2-BLOG
http://mikotoduke.blog.fc2.com/blog-entry-151.html ホームチーム 45 新しいチーム 45 新しいチーム 車が止まると、孝子は真っ先に表へと飛び出した。すぐに大也と卓真も続く。「ちょっと待ってください」 そう言って三人の足にブレーキをかけたのは、制服姿の警察官だった。笑顔だが、呼吸はやや荒い。どういうわけだろう。孝子たちの到着を知り、慌てて交番から駆け出してきたらしい。「こ、この間はどうも」 卓真がそう言って頭を下げた。口ぶりがどこかぎこちない。「ど、どうも」と孝子もそれに倣う。ぎこ
 車が止まると、孝子は真っ先に表へと飛び出した。すぐに大也と卓真も続く。
「ちょっと待ってください」
 そう言って三人の足にブレーキをかけたのは、制服姿の警察官だった。笑顔だが、呼吸はやや荒い。どういうわけだろう。孝子たちの到着を知り、慌てて交番から駆け出してきたらしい。
「こ、この間はどうも」
 卓真がそう言って頭を下げた。口ぶりがどこかぎこちない。
「ど、どうも」と孝子もそれに倣う。ぎこちなさまでがそっくりになってしまった。短期間のうちに、同じ警察官のお世話になると、たぶん人間は皆こうなってしまうのだろう。しかも、大也の時と違い、今回家出騒動を起こしたのは、血の繋がりのある実の母親だ。いったいどんな表情をすればいいのかがわからない。
「大也君のお父さんと、孝子さんは、しばらくここで待っていてください」
「え?」
 警察官の言葉に、孝子たち三人の口から、ほぼ同時に疑問の声がこぼれ出た。
「大也君。そう、君一人で入ってください。水本詩織さんが、中で待ってますから。二人きりで話があるそうです。これ、彼女の希望なんですよ」
 どうしよう、という風に、大也が卓真の方を見やる。
「うん。まあ、ここは言われた通りにしよう」
 卓真の表情に浮かんだ戸惑い。しかし、それはほんの一瞬のことだった。大也の後姿が、交番の中に消えた頃には、もうすっかり穏やかな笑みへと変わっていた。
「私も、入っちゃいけないらしいんですよ。なんだか、そういうルールがあるんだそうです」
 苦笑する警察官に、孝子は再び頭を下げることとなった。
「愉快なお母さんですね」
 はははと、警察官の笑いがいっそう大きくなる。愉快なお母さん。それは他人だからこその言葉だ、と思いながら、孝子は熱くなった頬を押さえた。
「ところで……」
 卓真が言った。
「どこで保護されたのか、説明してもらえますか?」
 その問いに、ようやく警察官が笑いを引っこめる。そして、詩織失踪事件の真実を語り始めた。
 女性の叫び声が聞こえる。しかも、かなり奇妙な。
 その通報が、詩織発見のきっかけになったそうだ。通報者が耳にしたのは、次のような言葉だった。
 助けて。こっちへこないで。殺される。どうしてあなたなの。色も違うじゃない。私を食べてもおいしくないわよ。
 確かに奇妙な叫び声だ。そう思った警察官。発見後の詩織が口にした、黒い犬に追いかけられた。という証言を聞いても、その奇妙さは未だに消えていないという。
「どうやら、白い子猫に会うつもりだったらしいんですよ」
 警察官が首を捻りながら言う。
 すみません、を連発してから、孝子は、「どこで発見されたんですか?」と尋ねた。
「犬から身を守るためだったんでしょう。倉庫の中でじっとうずくまっていました。運送会社の倉庫でね」
「す、すみませんでしたあ」
 孝子の口から出たのは、やはりその言葉だった。その運送会社の倉庫というのは、以前大也が発見された倉庫のことですか? とは敢えて聞かなかった。恐ろしくて聞けなかった。
「とにかく、無事でよかった」
 卓真がぽつりと呟く。
「はい、よかったです」
 孝子はうなずき、「でも、いったい何の話なんでしょうね、大也君と二人きりで」と小声で続けた。
 うーん、という唸り声以外何も返ってこない。
「やっぱり、あのことについてでしょうか」
 孝子が言うと、今度は反応があった。
「たぶん、正直な話をしてるんだろうね」
「え? 正直な話?」
「うん。こんな夜は、嘘をついちゃいけないから」
 卓真は夜空を指差し、「そういうルールなんだ」と愉快そうに微笑んだ。
 星の輝く夜だった。
 孝子は、警察官が近くにいないことに気がついた。きっと気を効かせてくれたのだろう。数メートル先に、制服の後姿が見えた。
「卓真さん……」
 一呼吸置いてから、孝子は言った。
「本当に、私の母でいいんですか?」
 聞かずにおこう。ずっとそう思っていた質問だった。
「もちろん」
 即答してから、卓真は続けて何かを言いかけた。
 しかし、開いた口からなかなか言葉は出てこない。周囲を見つめ、もう一度夜空を見上げ、ようやく「どう言えばいいのかなあ」と、困ったように首を傾げた。
「何でも言ってください。ただし、正直に」
 孝子はおどけるように言い、さらに「ルール、ルール」と先を促した。
「うんうん。わかったよ。うまく言えないと思うけど」
 そう言って笑うと、卓真は、途切れ途切れにしゃべりはじめた。
「もう、ずいぶん昔のことになるけど……。俺のおふくろ、男を作って家を出て行ったんだ。おやじと俺を捨ててさ。それからは、一度も会えなかった。いや、会わなかった、というのが正しいかな。生きてるうちにはね。そう。再開したのは葬儀の時だった。それまでも、何度か、うん。何度か連絡はあったんだ。おふくろの方からね。最後にもらった電話は、病院からだった。もう長くは生きられないらしい、というのをその電話で知った。それでも、駄目だったんだよ。俺は会いに行けなかった。おふくろを許せなかった。いや、違うな。許してはいたんだ。うん。許してはいた。だけど駄目だった。許す、の一言が言えなかったんだ。それを、今でもずっと後悔してる。ずっとだよ。もう嫌なんだ。後悔するのがね。ああ、俺なに言ってんだろう。こんなこと、今話すことじゃないよなあ」
 はははと、力なく笑い、卓真は「ほら、やっぱりうまく言えなかった」とため息を漏らした。
 孝子は小さくかぶりを振る。そして、うまく言えてるじゃん、と心の中だけで呟いた。こんなこと、今話すことじゃないよなあ。それは違う。卓真は、今話すべきことを話しただけなのだ。詩織との別れは、大きな後悔に繋がる。たった今、卓真はそれを雄弁に語ったのだ。
「終わったようですよ」
 警察官の声に、孝子は交番の建物へと目をやった。
 照れくさそうに、鼻の頭をかいている大也。いたずらっ子のように、ぺろりと舌を覗かせる詩織。確かにそこに二人はいた。ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。
「よかった、無事で」と卓真が言うと、詩織がぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないでしょ。私たち、大変な目に合って……」
 言いかけたものの、孝子は途中でそれを打ち切った。なぜだろう。いつものような勢いが出ない。何かを言おうとしても、つい笑顔になってしまう。星の輝く夜に、怒りは似合わない。たぶんそういうことなのかもしれない。
「父さん」
 大也の声。しかも、彼にしては珍しい力強い声だった。
「どうした?」と卓真が応じる。
「俺、決めたんだ。自分の友達は自分で選ぶって」
「そうか」
「うん。別に、これは父さんに相談してるわけじゃないよ。決めたってことの宣言だからね」
「宣言か。ずいぶん大げさだなあ」
「言っておくけど、父さんに反対されたって、この決まりを変えるつもりなんてないんだからね」
「ああ、わかったよ」
「え? いいの? じゃあ、木原と付き合ってもいいの?」
「なんだよ。俺が反対しても無駄だって、たった今言ったばかりじゃないか」
「私の勝ち」と、いきなり詩織が声を上げた。「お父さんなら、絶対に許してくれるって方に、私賭けてたの」ぴょんぴょん跳ねながらそう続ける。
 孝子は、ちらりと警察官を窺った。「すみません」ととりあえず頭を下げておく。
「親子だなあ」
 そんな呟きが、心地良い夜風に乗って返ってきた。
 時刻はもうすぐ零時。長かった波乱の一日が、間もなく終わろうとしていた。

 四人揃って球場に来るのは、今回で二度目になる。
 マウンテンズのリーグ優勝は、すでに決まっていた。そのせいもあるのだろう。守りにつく選手たちの表情には、どことなくゆとりのようなものが感じられる。
「本当によかったの?」
 隣の席から孝子の声がする。
 大也はうなずいた。そちらは振り返らず、視線はずっとマウンドを向いたままだ。
「なんだかもったいないなあ。せっかくの権利なのに」
「ちょっと黙っててよ。いいところなんだからさあ」
 せっかくの権利だからこそ譲ったのだ。そう胸中で付け加えながら、大也はその瞬間を待った。
 そして、先発ピッチャー、ハル・オースティンが見守る中、その一球は投じられた。現役の野球部員らしい、ノーバウンドでの見事な投球だった。
 歓声が沸き、木原守の顔に、今日初めて照れ笑いのような笑みが浮かぶ。
「本当は、うらやましいんじゃない?」
 孝子がしつこく聞いてくる。
 マウンドでは、始球式を終えた守と、駆け寄ってきたハル・オースティンとが握手を交わしているところだった。うらやましいに決まっているではないか。
 大也は話題を変えることにした。
「ハルオ、来シーズンもマウンテンズで投げてくれるのかなあ」
「それは、やっぱり契約金次第じゃない?」
 孝子の意見はいつだって現実的だ。
「そのためにも、お父さんの会社、もっと頑張らないとね」
 現実的で、しかも厳しい。
 大也は、孝子の右隣、詩織と卓真の席へと目をやった。他の人人たちの声援で、二人の声は聞き取れない。何の話をしているのだろう。その真剣な顔つきを見る限り、野球のことについてではなさそうだ。
「あの二人、さっそく頑張ってるみたいよ」
 孝子が笑いながら言った。
「え? 何のことさ」
「お仕事。何か、新しい商品アイデアがひらめいたみたい。うまく聞き取れないんだけど、ボールは肉団子にして、ベースは食パンにして、それから、バットはどうしたらいいんだろうって、その辺で今揉めてるところ」
 説明しながら、孝子の笑い声はますます大きくなっていく。
 大也は、グラウンドへと意識を戻した。
 ハル・オースティンが、ツーランホームランを打たれたところだった。とはいえ、彼の表情に、焦りのようなものはない。ファンのブーイングだって、もちろん皆無だ。みんなは知っているのだ。戦いはまだ始まったばかり。逆転する可能性は、これからいくらでもあるのだということを。
 大声援の中、誰にも聞かれないような小声で、大也はそっと呟いてみた。
「お母さん。お姉ちゃん」
 そして、顔が火だるまのように熱くなった。
 自分には、まだ乗り越えなくてはいけない試練が残されていたのだ。
 大也が、お母さん、お姉ちゃん、をマスターするのが先か、マリンが、結婚おめでとう、をマスターするのが先か。明日から始まるだろうそんな戦いを思い、大也は一人苦笑を漏らすのだった。
 お前、どうしておやじの方を選んだんだ?
 不意に、そんな言葉が脳裏に蘇ってきた。それはあのストーカー男からの質問だった。
 母さんの邪魔をしたくないから。
 あの時は、正直にそう答えた。
 でも、そうじゃないのかもしれない、と今は思う。
 卓真が可哀そうに見えた。自分がいないと、この人は駄目になってしまうのではないだろうか。本当は、あの時そう感じたのだ。いや、そう確信したのだ。
 新しいチームでは、いったいどんなことが待っているだろう。たのしいことだけではないはずだ。チームにトラブルはつきもの。泣きたくなることもあるだろう。逃げ出したくなることもあるだろう。
 もっと強くなって、今度は、自分がみんなを守ってあげられるくらいにならないといけない。大也は、密かにそんな野心を燃やしていた。
 きっと大丈夫。新しいチームは、卓真が選んだチームなのだから。そして、自分が選んだチームでもあるのだから。
 そんな思いを抱きながら、大也は、攻撃に移ったマウンテンズに向かって、力いっぱいの声援を送るのだった。



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今までお読みくださった皆様、ありがとうございました。
おかげさまで、長編三作目となるこの作品も、何とか無事完結させることができました。

あとがき 彼らの観察を終えて
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ホームチーム 本文 2015-04-05T09:48:22+09:00 片瀬みこと FC2-BLOG
http://mikotoduke.blog.fc2.com/blog-entry-150.html ホームチーム 44 勘違い 44 勘違い 毒物混入事件。その容疑者として逮捕されたのは、元プロ野球選手だった。しかも、在籍していたのはまうんてんず。 球団に対する逆恨みが、どうやらその犯行動機にあったらしい。「マウンテンズの、元選手かあ」 複雑な思いに駆られながら、大也は大きなため息とともにそう呟いた。 テレビ画面から、ふと三人の大人たちへ目を向ける。 ぽかんとした表情の卓真。不満げに卓真を睨みつける偽教師。その二人を見つめ、
 毒物混入事件。その容疑者として逮捕されたのは、元プロ野球選手だった。しかも、在籍していたのはまうんてんず。
 球団に対する逆恨みが、どうやらその犯行動機にあったらしい。
「マウンテンズの、元選手かあ」
 複雑な思いに駆られながら、大也は大きなため息とともにそう呟いた。
 テレビ画面から、ふと三人の大人たちへ目を向ける。
 ぽかんとした表情の卓真。不満げに卓真を睨みつける偽教師。その二人を見つめ、不思議そうに首を傾げる理津子。
 大也の気持ちは、ますます複雑化する一方だった。
「とりあえず、逮捕されてよかったじゃん」
 とりあえず声をかけてみた。
 真っ先に、偽教師が反応する。
「俺がやったと思ってたのかよ」
 完全に自分の役どころを忘れているようだった。
「普通そう思うだろ。お前に決まってるって」と卓真。
「せ、先生に、何てこと言ってるのよ」と理津子。
「この俺が、食い物に、毒なんか入れるわけねえだろ。こう見えても、俺は飲食店の経営者だぞ」
 興奮を抑えきれない偽教師。というより、すでに教師役は放棄してしまったらしい。
「お、落ち着いてください、先生。きゅ、急に、どうしちゃったんですか?」
 大也の目には、理津子の頭上に浮かぶ、大きなクエスチョンマークがはっきりと見えた。
「もう、こんな猿芝居はおしまいだ。俺は、教師なんかじゃ……」
 男は、そこで口を閉ざした。視線は、孝子に向けられていた。
「誰からだ?」
 その詰問には答えずに、孝子は、じっと手の中の携帯電話を見つめている。
「お母さんからじゃないのかな? それ、ちょっと先生に見せてごらん」
 男が孝子ににじり寄る。いつの間にか教師役も復活したようだ。
「と、友達。部活の後輩からです。あ、なんか、すぐに切れちゃったみたい。たぶん、間違えたんじゃないのかな」
 後ずさりしながら、孝子は、慌てて携帯電話をポケットに仕舞いこんだ。
「かけ直してみなさい。お母さん、きっと心配してるはずだ」
「だ、だから、お母さんじゃないんですって」
「先生が代わりにかけてあげよう」
「いやです」
「いいから、それ、早く渡しなさい」
「こ、こっちへ来ないで……。あ、お客さん?」
 インターホンの響きが、二人の足をストップさせた。
「誰だろう、こんな遅くに」
 一言呟いた卓真だったが、そこから動こうとはしない。
 どうするのだろう、と大也は無言で見守った。どうするべきか。卓真は今必死にそれを考えているはずだ。
「私が出るわ」
 先に動いたのは理津子だった。
「いや……」と卓真が短く発した。しかし、それ以上の言葉は続かなかった。
 全員の注目を集める中、理津子がインターホンの受話器を取る。
「はい。ええ、そうですが……。あ、いいえ。ちょ、ちょっと待ってください」
 送話部を手でふさぎ、「木原さんって方なんだけど」と、小声で卓真に告げた。
「なんで、こんな時に……」
「息子たちのことで、どうしても、もう一度だけ話し合いたいって」
「なんで、今なんだよ」
 卓真が漏らす困惑の呟きは、大也の気持ちを、そしておそらくは、孝子や偽教師の内心をも代弁する言葉だった。
「今、鍵開けますね」
 今回も、やはり理津子が最初に動き出した。これが、事情を知らない人間の強み、というものなのだろう。受話器に一声かけると、後はもうこちらを振り返ることすらなかった。
「なんだか、すごいことになってきたね」
 理津子の姿が、リビングから消えたのを見て、大也はぽつりと呟いた。
「なに呑気なこと言ってんだよ」と、すかさず卓真の声が飛んでくる。
「そうだ。お父さんの言う通りだぞ」と偽教師の声がそれに続く。
 そして、いい年下二人の男は、再び顔を付き合せることとなった。
「今のうちだ。早く庭の方から出て行けよ」
「駄目だ。お前が、あの連中を早く追い出せ」
「あいつが、俺の言うこと素直に聞くわけねえだろ」
「情けねえ男だな。元女房なんだろ」
「お前にだけは言われたくねえよ。元暴力夫め」
「うるせえ。昔はそうでも、今の俺は生まれ変わったんだ」
「なに言ってやがんだ。お前の場合、暴力夫から、ストーカー男に変化しただけだろ」
「お前はどうなんだよ。ずっと情けねえ男のまんまじゃねえか」
「いいから、早く出て行けよ。うんこ野郎」
「うんこはお前の方だ。情けねえうんこ男め」
「そんなことより」と、孝子が二人の間に割って入った。「これからどうするのよ。このまま芝居を続けるつもり? その木原さんっていうの、大也君と同じクラスなんでしょ? それなら、もう誤魔化しきかないんじゃないの?」
 もっともな指摘だった。大也も、すぐにその意味に気づかされた。
 しかし、しょせん時間を止めることなどできない。首を傾げる二人の大人に、その意味を正しく伝える余裕はなかった。
「お、俺と同じクラスってことは、同じ……」
 言いかけた大也の耳に、リビングへと近づいてくる足音、そして理津子の話し声が聞こえてきた。
「ちょうどよかった。私も今、息子のことで大事な話をしていたところだったんですよ」

 卓真は、ドアの方向へと一歩前進していた。何一つ考えがまとまらないままの行動だった。「あ、どうもどうも」と中途半端な挨拶を、中途半端な笑顔で言う。
「こんな遅い時間に、失礼だとは思ったんですが」
 木原守の母、栄子がぺこりと頭を下げる。彼女の後ろには、守の祖父、栄一の姿もあった。
「驚かれたでしょ?」と理津子が苦笑する。「うち、なぜか今日はすごく賑やかなことになっちゃってて」
 まるで、ここが我が家ででもあるかのような口ぶりだ。
 一方、正式な家の主人である卓真はというと、今はただ黙って突っ立っていることしかできない。情けねえ男。先ほど男から言われたその言葉が、苦々しさとともに蘇ってくる。
「こちらが、息子と同じクラスの、ええと、あ、そうそう、秋本さん」
 そう理津子に紹介され、孝子は弾かれたように頭を下げた。
 秋本。偽名はそれで合っていただろうか。卓真にはもう思い出せない。たぶん孝子もそうなのだろう。いったん下げた頭を、なかなか上げようとしないのはそのせいに違いない。
「それから……」
 理津子の視線が、今度は偽教師へと移った。
「息子のクラスで、今担任をして……」
 そこで、唐突に言葉が途切れる。
 名前を忘れたのだろうか、と卓真は思った。こちらにその名前を確認されても困る、とも思った。
 しかし、そうではなかったらしい。
「私ったら、何言ってるのかしら」
 そう言うなり、理津子が急に笑い出したのである。
「木原さんの息子さんも、同じクラスだったのよねえ」
 笑いの意味を理解するまで、卓真には数秒の時間が必要だった。
「初めまして、白鳥というものです」
 偽教師には、たぶんそれ以上の時間が必要だったのだろう。微笑む彼を前に、栄子の表情がみるみる曇っていく。
「そうそう。白鳥先生でしたわね」と、くすくす笑いが止まらない理津子。
 しかし、栄子の次の言葉が、理津子からその笑いを奪い取ることとなった。
「担任の先生、いつお代わりになったんですか?」
 短い沈黙。
 そして、青ざめる偽教師。
 卓真は助け舟を出すことにした。
「た、確か、二週間前、ぐらいでしたよね」
「息子のことで、私、三日前に相談をしに……」
 ぜんぜん助け舟にはなっていなかった。
「ど、どういうこと?」と首を傾げる理津子。
「あなたは、誰なんですか?」と詰問口調になる栄子。
「ああ、最悪」と小声を漏らす孝子。
「おじいちゃん、膝の具合どうなの?」と老人をいたわる大也。
「もう大丈夫だ。アロエが効いたらしい」とうれしそうに答える栄一。
 青ざめていた男の顔色が、今度はみるみる赤くなっていく。
 危険な精神状態を示す、それはまさに赤信号そのものに見えた。
「じ、実は、みんなを驚かそうと思って……」
 卓真は、はははと笑いながら、「これ、どっきりですよ、どっきり」と早口で続けた。
 しかし、次の瞬間には、そう言った卓真自身が、一番驚かされることとなった。一番どっきりさせられることとなった。
「みんな、そこから下がれ!」
 怒鳴り声。そしてテーブルを蹴り飛ばす音。
 男の行動は素早かった。大也の腕を掴んだかと思うと、そのまま強引にテレビの前に立たせた。
「下手な真似したら、ズドンだぞ」と、大也の背後から男が叫ぶ。片手に握られているのは拳銃だ。手提げ鞄から取り出したのだろう。今はその銃口が、大也の頬に強く押し当てられている。
「や、やめろ。落ち着け。どうするつもりなんだよ」
 そう言いながら、卓真はそこから一歩だけ後退した。今は男の指示通りにするしかないのだ。
「詩織だ、詩織」
 男が奇声を発する。
「あいつを今すぐ連れてこい。このガキの命と引き換えだ」
「だ、だから、言ってるじゃないか。わからないんだよ、彼女の居場所が」
 男は、卓真の言葉を無視するように、今度は孝子に向かって怒鳴り声を上げた。
「電話してみろ。さっきのあれ、詩織からだったんだろ?」
「ち、違う。本当に違うんだってば」と、孝子が激しくかぶりを振る。
「嘘をつけ!」
 男の怒声に、大也の、ううっという呻き声が重なった。その苦しげな呻きが、頬に押し当てられている銃口によるものなのか、首を締めつけている男の腕によるものなのか、卓真には判断がつかなかった。今の卓真に判断できるのは、今回灯った赤信号は、ちょっとやそっとじゃ青には切り替わらない、ということだけだった。
「孝子ちゃん、携帯電話、見せてあげたらどうかな」
 孝子がこちらを向く。先ほどの電話が誰からなのか。彼女の表情からそれを読み取ろうとしたが、卓真にはよくわからなかった。
「そ、そうね」と、近くにいた理津子が口を挟んできた。「よくわからないけど、電話見せてあげたら?」震える声でそう続ける。
「そうだ。さっさとこっちによこせ。このガキ、ぶっ殺してもいいのか?」
 男の言葉に、部屋にいる全員が凍りついた。もう誰も動くことができない。もう誰も言葉を発することができない。
 ところが、そうではなかった。それが勘違いだったということに、卓真は数秒経ってから気づくことになる。
「あれって、おもちゃよね」と栄子。
「うん。あれはおもちゃだな」と栄一。
 木原親子は、凍りついてなどいなかった。
 そして、事態は一変した。
 二人が言う“あれ”の意味を、卓真は察した。ほぼ同時に、大也も気がついたらしい。
「うげっ」
 今度の呻き声は、偽教師、いや、ストーカー男のものだった。大也の、後頭部を使っての頭突きが、男の顔面に見事炸裂したのだ。
 おもちゃの拳銃が、男の手から滑り落ちる。おもちゃらしからぬ、ガッシーンという派手な音が響き渡った。
 大也と入れ替わるようにして、卓真は男に飛びかかった。顔を押さえていた男の手を掴み、そのまま勢いよく押し倒す。
 馬乗りになって頭突きを一発。
「父さん頑張って」
「卓真さんしっかり」
 大也と孝子の声援が聞こえる。
 卓真は二人分の頭突きを追加した。
「これって、もしかして本物かも」
「うん。これは間違いなく本物だな」
 木原親子のやり取りが聞こえる。
 卓真は頭突きをやめた。気を失いかけたからだ。
「だ、だ、誰か、け、け、け、警察を呼んでくれ。早く早く」
「あ、警察。そう、そうなんです」
 甲高い声を上げたのは孝子だった。
「卓真さん。さっきの電話、警察からだったんです」
「え? な、な、な、なんだって?」
 男を押さえこんだまま、卓真は後ろを振り返った。孝子が、携帯電話を耳に当てたところだった。
「もしもし、水本です。あ、はい。そうです、孝子です。ああ、やっぱりそうだったんですね。これからすぐに迎えに行きます。よかった。無事だったんですね。本当によかった。はい、どうもすみません。ああ、もう、そんなに笑わないでください……」

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次回、最終話となります。

45 新しいチーム
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ホームチーム 本文 2015-03-29T10:34:48+09:00 片瀬みこと FC2-BLOG
http://mikotoduke.blog.fc2.com/blog-entry-149.html ホームチーム 43 我慢比べ 43 我慢比べ 孝子は、ティーカップを置くと、大也に向かって小声で話しかけた。「凄いことになっちゃってるね」 何気なさを装って、ソファーの左端まで身体を移動させる。右側にはストーカー男、偽中学教師が座っている。彼と距離を取ろうと思えば、今はこれぐらいの手段しかないだろう。「す、凄い?」 大也が声を上ずらせたのは、ほんの一瞬のことだった。「ああ、野球のことだよね」とすぐに理解を示す。「なんだか、決着つ
 孝子は、ティーカップを置くと、大也に向かって小声で話しかけた。
「凄いことになっちゃってるね」
 何気なさを装って、ソファーの左端まで身体を移動させる。右側にはストーカー男、偽中学教師が座っている。彼と距離を取ろうと思えば、今はこれぐらいの手段しかないだろう。
「す、凄い?」
 大也が声を上ずらせたのは、ほんの一瞬のことだった。「ああ、野球のことだよね」とすぐに理解を示す。
「なんだか、決着つきそうもない感じ」
「うん、このまま引き分けっぽいね」と、大也がテレビを見つめたままで答える。
「私、引き分けって大嫌いなの。勝つか負けるか、とにかくはっきりさせてほしい。誰か、ガツンッと大きいの打ってくれないかなあ」
「こういう試合は、たいていミスした方が負けなんだ。今は我慢比べだよ」
「我慢比べねえ」
 ため息混じりにそう言うと、孝子はちらりと三人の大人たちに目をやった。
 理津子、卓真、偽教師。いずれの手にもティーカップが持たれ、いずれの表情にも、どこか気まずさのようなものが感じられる。我慢比べ。まさに今がその最中なのだろう。
「ところで……」
 我慢しきれず、といった風に理津子が口を開いた。
「今日は、どうして先生が?」
 視線の先にいるのは、もちろん偽担任教師である。
「そ、それはですねえ。つまり、詳しいことはちょっと……。個人情報というのもありますし……」
「個人情報といっても、私は母親なんですよ。あの子、大也についてのことでいらしたんですよね。違うんですか? そうでしょ。そうなら、はっきり言ってください。私には聞く権利があります。うちの子、何かしたんですか? ねえ、先生。はっきりおっしゃってください」
 冷や汗を流し、困惑に顔を歪める偽教師。
 いい気味だ、と思わずほくそ笑みそうになる孝子だったが、そんな愉快な気持ちは、一瞬で終わりを迎えることとなった。
「ま、まさか……」
 理津子の声音に、突然の変化が生じる。「あなたたち……」と声を震わせながら、孝子と大也を交互に見つめた。
 彼女の中で、何らかのひらめきがあったらしい。
 孝子はごくりと唾を呑みこみ、理津子の次なる言葉を待った。
「妊娠……」
「違います」
 速攻で否定した。そして、反射的に立ちあがっていた。
「じゃ、じゃあ、どうしてよ。どうして、こんな遅くに先生と生徒が……」
 孝子に釣られたかのように、理津子も椅子から腰を上げる。
「おい、二人とも、落ち着けよ。なあ、お、落ち着けったら」
 慌てふためく卓真。
「とりあえず、二人とも落ち着いてください。私が今説明しますから」
 与えられた役を、冷静に演じ切る偽教師。
「実はですねえ……」
 二人が座るのを待ってから、彼は静かに話し始めた。
「家に帰るように、今彼女を説得していたところなんです。どうやら、お父さんと喧嘩したらしくて……。まあ、この年代の女の子は、とかく父親に対して反抗的になるものですからね。何があったにせよ、とにかく話し合うこと。逃げてばかりいても、絶対に解決などしない。彼女に今そう言い聞かせていたんですよ。お父さんにだって、きっと言い分があるはずだってね。親といえども、完璧な人間などいません。彼女に今必要なのは、聞く耳を持つことです。人を許せるかどうかは、まずそこからじゃないでしょうか。家出はいけませんよ、家出は。今頃、ご両親がどれだけ心配していることか。火野さんにも、これ以上迷惑はかけられませんしね。これから私が、責任を持って彼女を……」

 卓真は、ちらりと右隣に目をやった。
 男の熱弁を、理津子が感心したような表情で聞き入っている。まあ、なんて素敵な先生なの。そう言わんばかりの顔つきだ。
「私、父を許すことは、永遠にないと思います」
 きっぱりとした孝子の言葉が、男の話を中断させた。
「まあ」と、思わず声を漏らす理津子。なんて可愛げのない娘なの。今度はそんな顔つきだ。
「とにかく、白鳥先生……」
 白鳥、で合っていただろうか。そう思いながら、卓真は早口で続けた。
「今日のところは、もう遅いですし、先生もお忙しいでしょうし、あ、秋本さんは、今夜うちで預かりますから……」
 秋本、で合っていただろうか。そう思いながら、卓真は半笑いしながら、「先生の方は、もうそろそろお引き取り願えれば」と続けた。さっさと帰れ、このハゲタカ野郎め、と心の中で付け加える。
「いいえ。これは担任としての責任、いや、それだけじゃない。これは、秋本さんの将来に関わることでもあるんです」
「そうね。私もそう思う。もしかしたら、これをきっかけに、謝った道に進んでしまうかもしれないんだから」
 理津子が、すかさず偽教師の意見に同意する。
「お前は黙ってろよ」
「あなたこそ黙ってなさいよ」
 卓真は黙っていることにした。もうどうにでもなれ。そんな気分だった。
「あなたねえ……」
 理津子の射るような視線が、今度は孝子に向けられた。
「家庭で何があったかわからないけど、家を出て、それからどうするつもりだったの? あなた、ちゃんとその先まで考えてるっていうの?」
 孝子も負けてはいなかった。
「父親なんていりません。そんなのいなくたって、私、何とか生きていけます」
「どうやって生きてくつもり? 具体的に言ってみなさいよ」
「おばさんに言う必要ありませんから」
「どうせ、あなたみたいな子、援助交際だとか、アダルトビデオだとか、その程度のことでしか、生きてく手段なんてないのよ。あ、そうそう。アダルトビデオで思い出したけど、あんなものに一度でも出たら、もう一生幸せになんてなれないわよ。とうぜん親になる資格もなければ、再婚だってできるわけないんだから。そんなの無理無理。世間が許しても、私が許さない」
「お、お前、いい加減にしろよ」
 もう我慢の限界だった。
「帰れ。今日は、もう帰ってくれ」
 腰を上げた卓真を見て、理津子は再び立ち上がった。続いて偽教師。さらには孝子も席を立つ。
「帰れ」と卓真。
「いやよ」と理津子。
「喧嘩はいけません、喧嘩は」と偽教師。
「あんたに、そんなこと言う資格ないでしょ」と孝子。
「父さん、あれ見て」と大也。
「え?」
 卓真に続いて、全員の目が、大也の指差す方向を見た。
 テレビ画面。すでに野球中継は終了している。
『ええ、もう一度繰り返します。ただ今入りました情報によると、一連の毒物混入事件、その容疑者が、先ほど……』
 速報を告げるニュースキャスター。それを先回りするかのように、大也が「逮捕だって、逮捕」と興奮気味に言った。
 卓真の視線が、テレビから偽教師へと移る。
「お前じゃなかったのかあ」
 ほとんど無意識に呟いていた。

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44 勘違い
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ホームチーム 本文 2015-03-22T08:14:28+09:00 片瀬みこと FC2-BLOG
http://mikotoduke.blog.fc2.com/blog-entry-148.html ホームチーム 42 秘策 42 秘策 わずか数秒のうちに、それはすべて孝子の目の前で起こった。 部屋の窓に向かって、猛然と走り出す卓真。 かつらを拾い上げるストーカー男。 カーテンを押さえる卓真。 ナイフを手に、卓真の背後に近づく男。「危ない!」という大也の叫び声。「開けなさい!」という女の叫び声。 踵を返し、大也の背後に屈みこむ男。「カーテンが、引っかかっちゃってさあ」という卓真の引きつった笑い声。 縛られていたロープが切
 わずか数秒のうちに、それはすべて孝子の目の前で起こった。
 部屋の窓に向かって、猛然と走り出す卓真。
 かつらを拾い上げるストーカー男。
 カーテンを押さえる卓真。
 ナイフを手に、卓真の背後に近づく男。
「危ない!」という大也の叫び声。
「開けなさい!」という女の叫び声。
 踵を返し、大也の背後に屈みこむ男。
「カーテンが、引っかかっちゃってさあ」という卓真の引きつった笑い声。
 縛られていたロープが切られ、自由の身となった大也。
 ソファーに戻り、身なりを整える男。
 卓真を押しのけ、部屋に上がりこんでくる女。
「オメデトウ」というマリンの場違いな一言。
 この間、孝子自身何もしなかったわけではない。一つ重要な役割を果たしていた。男が身なりを整えている、その一瞬の隙をついた行動だった。
 孝子の手の平と、男の頬の間で炸裂したその音は、おそらく全員の耳に届いていたことだろう。それだけ豪快な一撃だった。そして、孝子の胸をすっきりさせる一撃でもあった。
「事情を知った以上、このまま帰れるわけないでしょ。どうして、今まで黙ってたのよ。そのこと、大也には話したの? ちゃんとそれを知ってて……」
 女はそこで口を閉ざした。卓真以外の人物の存在を、ようやく認識することができたらしい。
「しょ、紹介するよ。妻、元妻だ。り、理津子、さんだ。それから……」
 卓真の声もそこで途切れた。手をストーカー男に向け、そのまま凍りついたように静止している。
 どうしたらいいだろう。彼の目は、孝子に向かってそう訴えかけていた。
 その視線から逃れるように、孝子は大也の方を見やった。どうしたらいいと思う? 同じように目で訴える。
 今度は大也が視線を逸らす番だった。すぐに男の方を向き、どうしたらいいんでしょうね、という表情を作って見せる。
「どなたたちなの?」
 理津子がそう言ったのは、ストーカー男が、お前ならどうする? という視線をマリンに向けた時だった。
「ど、どなたたちって……。お前の息子じゃないか。忘れたのか? 大也だ。野球大好き火野大也君だ」
 卓真の、はははっという豪快な笑い声は、理津子の「ふざけないで」という一喝によって、すぐに勢いをなくしていった。
「は、初めまして」
 孝子は助け舟を出すことにした。頭を下げる瞬間、ちらりとテレビ画面が目の端に映った。
「私、夏木といいます。火野君と同じクラスの……」
 延長十回の表、相手チームの攻撃を、夏木投手がぴしゃりとノーヒットで押さえたところだった。
「まあ、そうだったの。へえ、でも中学一年にしては、あなたずいぶんと大人っぽいのね」
 ここで初めて理津子の顔に笑みが浮かんだ。
「今の子は、みんな大人っぽいよ。大也がガキンチョすぎるんだ」
 卓真にも元気が蘇ってきた。そして、その笑顔のまま、今度はストーカー男を紹介した。
「先生だよ。二人のクラス担任の……と、鳥越先生だ」
 彼の瞳の中には、きっとマリンの姿が映っていたのだろう。これで、ひとまず配役は決定した。
「そうでしたか。初めまして、私が大也の母です。世界で唯一の母です」
 深々と頭を下げる理津子。
「そうですか。お母様でしたか。世界で唯一の。そうでしょうそうでしょう」
 にこやかに応じる偽教師。泣き腫らした目。しわくちゃのズボン。少し位置のずれたかつら。そして、手の平の跡を、くっきりと頬に浮き出させた偽教師である。
 顔を上げてから、理津子は言った。
「ずいぶんと、個性的な先生なんですね」
 その通りだった。

『大胆な作戦に打って出たマウンテンズ。果たしてこの秘策、吉と出るのか、凶と出るのか』
 実況アナウンサーが言う“秘策”とは、明日先発予定だった夏木投手を、延長十回表のマウンドに立たせたことを差していた。
 いつもの大也であれば、球場にいるマウンテンズファン同様、この展開に驚きの声を上げていたに違いない。
 しかし、今はいつもの大也ではなかった。現在の火野家での状況。それこそが驚きなのだ。孝子が同級生を演じ、ストーカー男が担任教師を演じる。果たしてこの秘策、吉と出るのか、凶と出るのか。というより、こんなことに何か意味があるのだろうか。
「正体がばれないうちに、早いとこ帰った方がいいんじゃないのか?」
「駄目だ。詩織の行方がわかるまでは、絶対に帰るわけにいかない」
 卓真と偽教師は、激しく言い争っていた。ただし、互いに顔を近づけ、互いに声を潜めての言い争いだった。
 理津子がキッチンから戻ってくる、ごくわずかな時間内に、なんとしてでも決着をつけなければ、というのが、今の二人の共通する思いなのだろう。大也にも、それは十分に理解できた。
 しかし、問題はその話の内容である。
「あんたも、本当にしつこい男だなあ」
「うるせえ。このしつこさは、詩織に対する愛の証だ」
「開き直るなよ、このストーカー野郎。屁理屈ばっかり言いやがって」
「お前こそなんだよ。部下に手を出す、ただのセクハラ上司のくせに」
「セクハラなんかじゃねえ。俺と彼女は両想いなんだ。お前と違ってな」
「相手の居場所もわからないで、両想いもクソもねえだろうが」
「黙れ、バツイチ」
「お前もバツイチだろ」
「くそったれの、変態かつら野郎」
「くそったれはお前の方だ。その顔の真ん中についてるものは何だ? 犬のうんこじゃないのか?」
「俺は鼻だけだが、お前の場合は、身体の三分の二がうんこでできている」
「今何か言ったか? ブリブリッとしか聞こえなかったが」
 これでは、まるで子供の喧嘩ではないか。
 そばにいる孝子も、こちらにうんざりとした顔を向けてきた。「大人たちに任せても、無理みたい」と小さく呟く。
 大也も同感だった。
 そして、二人が小声で言い争っているこの隙に、自分の力でどうにかできないだろうか、と考えた。
 あのナイフは、どこへ行ってしまったのだろう。ロープを切った後、男がそれをどうしたのかが思い出せない。鞄の中だろうか。男が持ってきた手提げ鞄なら、今でもテーブルの下に置いたままだ。
 武器になるような物を、まだ何か他にも持っているのだろうか。手を伸ばしさえすれば、鞄を奪い取ることぐらいはできそうだ。それとも、三人がかりで、男を押さえこんだ方が……。
「すみません。お待たせしちゃって」
 理津子の登場により、大也の思考はあっけなく中断された。
「大切なお客様に、お茶もお出ししないなんて」
 元夫を軽く睨みつけてから、理津子は偽教師と偽中学生に笑顔を向けた。トレーからテーブルへ、手早くティーカップを並べはじめる。
「紅茶ぐらいしかなくて、本当にすみません。大也、あんたはココアでいいのね?」
 大也は黙ってうなずいた。孝子も無言のまま頭を下げた。
 そして、卓真と偽教師は、二人揃って額の汗を拭った。

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この連載も、いよいよ残り3回となりました。
長い一日になりましたが、もう少しだけお付き合いください。

43 我慢比べ
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ホームチーム 本文 2015-03-15T12:25:14+09:00 片瀬みこと FC2-BLOG