オリンピックに続き、パラリンピックでも放送が中断された「青天を衝け」。
仕方がないとはいえ、出来が良いドラマだけに内容が薄くなってしまうのは残念な
気がします。
さて、ブログ記事を本筋に戻しますと、振武軍が田無村に入ってきた時点に戻り
ます。「青天を衝け」では丸々省略された部分です。
振武軍が田無に入って早速行ったことが、寄場組合村(改革組合村)制度を使って
の軍資金集めでした。
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「里正日誌」には、振武軍と、呼び出された各村々名主のやり取りの様子が記されて
います。(◎以下の部分)
「右本陣西光寺着届け致し候処、列席にて惣隊長申し聞くには、
此度徳川氏再興の為金高短冊にて申し達し候通り助力
致し候様頼み入り候旨申し聞かされ、金弐拾両重蔵と申す短冊下げ渡し相成り
候間品々歎願申し述べ候処、強勢に申し威し種々強談に及ばされ候えども、
御申し付けの金高はとても自力に及び難き旨再応歎願致し、詰り
金五両差出し漸く勘弁致し貰い落手相成り、・・・・・」これは蔵敷村の組頭・重蔵さんの一例ですが、総隊長から「今回徳川氏再興のため
ざひとも協力を願う!」と言われ、自分の名前の書いてある短冊を見せられた。そこ
には20両と書いてあったので、とんでもない、そんなには払えませんよと交渉した
けれども、相手は軍隊。さんざん脅かされたけれども、なんとか5両で勘弁して貰った、
という顛末です。
ちなみに成一郎は振武軍では大寄隼人という変名を名乗っていますが、里正日誌の
内野杢左衛門さんはその正体を知っていて、隣に「渋沢成一郎事 変名 大寄隼人」
と書いています。また、「中軍隊長 目付役兼 榛澤新六郎」と書かれているのは
尾高惇忠のことです。
成一郎という人はとてもリアリストな部分があって、戦争するには「先ずは金だ」と、
軍資金がなければ何も始まらないという考えの人だったようですね。
渋沢栄一にしてもそうですが、農民とはいっても商売をしていた人なので、その辺り
の合理的な考え方が先に立つタイプだったのでしょう。
彰義隊に多く集まった隊士たちは、言い方は悪いですが死に場所を求めるというか、
見事武士らしく散りたいと考えて上野に集まった人も多かったと思うんです。武器が
刀槍中心だったというのも、武士の美学、ある種のロマンティシズムを求めていた
ように思えるんですね。
ところが成一郎にとって戦争とは、どんな手を使ってでも勝たねば意味のないもので
あり、そのためには軍資金が絶対に必要だったのでしょう。
将棋の駒では一直線の香車が好きだったという、正義感の強い気持ちで戦うタイプの
天野八郎とは相容れないワケです。
振武軍が田無に至るまで全く金がなかったのかというと、サスガにそうでもなくて。
成一郎が上野から脱走するときに、中野清三郎という人物が「200金」を成一郎に与えた
ということが「彰義隊戦史」に書かれています。
200金とは200両のことでしょうか。
この中野清三郎とはいかなる人物かというと、貨幣改役頭取をしていた人のようで、当時
輪王寺宮の下で納戸役をしていた奥野左京という人と昵懇の間柄だったとのこと。
おそらく奥野から成一郎らのことを聞き、同情してくれたのかも知れません。
まぁしかし、振武軍300人もいれば200両なんてアッという間になくなりますわな。
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」
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