幕末多摩・ひがしやまと 2018年08月
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江戸楽アカデミー「徳川家の一族」

ワタクシが講師を勤めます小学館集英社プロダクション主催
江戸楽アカデミー秋期講座のお知らせです。

江戸楽アカデミー 2018年 夏期・秋期講座
徳川家の一族

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開催日時 2018年10月14日(日) 13:30~15:30
会場 小学館集英社プロダクション・SP神保町第3ビル
    (東京都千代田区神田神保町2-18)※座学のみ
講師 関 一成(江戸文化歴史検定1級合格)
受講料 3、240円
定員 38名
講座内容 家康の男系子孫より派生した徳川氏諸家は、宗家のほか御三家、御三卿を
はじめ松平姓を名乗る諸家など、全国に多くの一族が配され250余年にわたる徳川
支配体制を築きます。こうした徳川家の一族を江戸検の直前学習に役立つよう整理し
ながら解説します。(※文章はパンフレットより)

毎年恒例となっております「江戸検直前講座」です。
とはいいましても、特に受験対策講座といった構えではありませんので、江戸検を受験
されない方もご興味のある方はぜひいらしてください。
講座内容は徳川氏の源流・松平氏の起こりから、家康から派生する御三家、御三卿、
御連枝、御家門。さらには十四松平家や御落胤伝説あたりまで、時間の許す限り
オール徳川・松平トークをお届けいたします。

徳川家康a
徳川家康三方ヶ原戦役画像

img004a.jpg
松平清康像(家康の祖父)

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台徳院(徳川秀忠)、崇源院(お江の方)墓

お申込みは「江戸楽アカデミー」のHPをご覧下さい。
「江戸楽アカデミー」クリック!

講座についてのお問合せ先は
TEL 03-3515-6780 
小学館集英社プロダクション・江戸楽アカデミー係(10:00~17:00 土日祝休)
主催/小学館集英社プロダクション 後援/江戸文化歴史検定協会


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[ 2018/08/27 ] 告知 | TB(0) | CM(0)

門番の退職金を農兵隊が負担?

久しぶりに「里正日誌」を読んでみます。
前々回の記事で、横浜の農兵について勉強しましたので、再び多摩の農兵について
「里正日誌」の農兵に関する記述の部分を拾い読みしてみました。
すると、慶応元年(1865)11月にこんな一文がありました。

 丑11月14日 御支配御代官江川太郎左衛門様御屋敷御門番勧化

   御太刀御連名帳
一 年来私は御門番を勤め、御腰掛において各々様方より格別のご贔屓にあずかり、
 おかげをもちまして無難に御奉公を勤め、ありがたきしあわせと存じております。
 つきましては、私は追々年をとりましてご奉公を勤められなくなりましたので、お暇を
 願い、国元へ引きこもろうと考えております。しかしながら国元は遠く、諸雑用の手当
 はありません。当惑のあまり、今までのご厚情も顧みずご一統様方へ御無心を願い
 ますので、多少に限らずご助力のほど偏に願い上げ奉ります。以上。

   慶応元丑年9月                      御門番 房吉

一金 300疋                       和泉屋健蔵
一金 300疋                       植木屋藤兵衛
一金 5両                         八王子組合
一金 5両                         藤澤宿組合
一金 5両                         日野宿組合
一金 3両                         駒木野 小佛組合
一金 1両2分                      日蓮村組合
一金 1両                         中野村組合
一金                            五ヶ市村組2合
一金 300疋                       檜原村
一金 1両                         樋川村組合
一金 2両                         青梅村組合
一金                            拝嶋村組合
一金 1両2分                      蔵敷村組合
一金                            田無村組合
一金                            木曾村組合



房吉という人が、長い間江川代官屋敷の門番を勤めていたんですね。この屋敷とは
芝新銭座だと思います。場合によっては、本所南割下に屋敷があった頃から門番を
勤めていたのかもしれません。
その房吉さんが老齢を理由に門番を引退したいそうです。ところが、引退をしても
故郷に帰る金がない。故郷は遠いし、どうしよう・・・。そうだ、支配地の村々のみなさん
にお願いして退職金を捻出してもらおう!
というのが、書状の趣旨です。
房吉さんは江川家の家臣とか代々奉公しているというような身分ではなく、どこか支配地
の村から勤めにやってきていたのでしょうね。
引退する時点でも蓄えがないとは、江川家の給金はそんなに低かったのでしょうか?

さてさて。そこで、支配地の村々では房吉さんへの退職金を用意することにしました。
記事のタイトルにある「勧化」とは、勧進と同じ意味。現代風にいえば寄付です。
9月に房吉さんが寄付を訴え、11月にそのお金が集まったようです。
私が注目するのは、その寄付をした村々の単位が農兵組合であるということです。
一部金額が記載されていない組合もありますが、すべて江川支配地の農兵組合で
負担しているところが面白いですね。
檜原村は組合となっていませんが、ここは1ヶ村で農兵隊を組織していました。

私は最初、房吉さんがどこかの組合に所属する農兵で、村から派遣されてきていたの
かと思ったのですが、たぶんそうではないでしょう。
房吉さんは老齢のため引退したいと言ってますが、農兵は村役人の兄弟や次三男で
年齢は20代から30代前半が主流です。ちょっと合わない。
それと、以前ブログにも取り上げたと思うのですが、慶応3年の暮れ、代官所が代官
屋敷に農兵を常駐させようとしたところ、村では「それは地域自衛の農兵の主旨に反
する」と反対意見が起こり、怒った代官所が野口村と後ヶ谷村の名主を宿預けにする
という事件が起こります。
房吉さんの引退はその2年前ですが、この事例から見ても農兵に門番をさせていたとは
思えません。

村々を束ねていた組合としては他に改革組合村(寄場組合)がありますが、これは天領、
私領に関わらず防犯上の理由で近隣の村々を取りまとめたもの。房吉さんの引退は
江川代官所のことなので、支配地域だけをまとめた農兵組合が前面に出てきたものと
思われます。
しかし、なぜ出身の村々だけでなく、農兵組合全体で寄付となったのでしょう。
また、寄付(勧化)の筆頭に和泉屋と植木屋という2人が出ていることにも注目したい
ですね。この2つの店は村々が加助郷や支配替えなど難しい問題に直面した際に、村々
と代官所の間に入って交渉役を買っていた所です。
おそらく、房吉さんが代官所の門番を勤めるときも、この両名が間に入っていたのでしょう。
そのあたりの事情がわかると、もっと面白いかもしれません。

房吉さんに集められた退職金は、おそらく30両ほどかそれ以上かもしれません。
それを出身の村々(組合)だけではなく、代官領全体の農兵組合が負担しています。
やはり、門番勤めに農兵が絡んでいたのかな?
他にこのような事例があれば、見てみたいものです。

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[ 2018/08/21 ] 我が東大和市 | TB(0) | CM(2)

新選組漫画 195 芹沢鴨と虎

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お盆休み、みなさんいかがお過ごしですか?
ワタクシは歌舞伎座で「東海道中膝栗毛」のお芝居を観てきました。
お目当てはモチロン、カマキリ先生こと市川中車!
釜桐左衛門の役名で出ておりました。
伝統的な江戸歌舞伎はモチロンですが、この手の新作ギャグ歌舞伎も好きな
ワタクシです。


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[ 2018/08/15 ] 新選組漫画 | TB(0) | CM(0)

横浜歴史博物館 「戊辰の横浜」展

Twitterのフォロワーさんからの情報で、横浜歴史博物館で幕末関連の企画展がある
ことを知りました。題して「戊辰の横浜」
この中で横浜の農兵隊についての展示もあると知り、多摩の農兵隊を調べていく上で
何か参考になることもあるのではないかと思い、先日の休みに行ってまいりました。

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サブタイトルの「名もなき民の慶応四年」とあるように、民衆の側から見た戊辰戦争や
明治維新前後の様子を知ることができるワケです。この中に農兵隊も含まれるワケ
ですね。

いつもは空いている平日に美術館や博物館に行くワタクシが、わざわざ休日に行った
のは、学芸員さんのガイドがあるからでした。
展示は3部に分かれておりまして、

①新政府軍が横浜にやってきた
②幕府代官編成の農兵 綱島農兵と川崎農兵
③治安と支配 上野戦争前後


という編成になっております。

ガイド解説の始まる1時間前に着きましたので、ぐるっと一回りして先ずは展示品や解説
を一通り見学。展示品のほとんどは古文書の類なので、一見すると地味な印象ですが、
書かれてあることは今まで知らなかったことばかり。
非常に興味あることばかりです。

14時になり、学芸員さんのガイドがはじまりました。
見学者は40人ほどもいたでしょうか。最初に展示品を見ておいてよかったです^^;

先ずは①のコーナー。
鳥羽・伏見の戦いのあと、新政府軍は江戸へ向けて進軍してきますが、横浜へは東海道軍
と東征大総督有栖川宮熾仁親王の一行が通行していきます。
その様子を戸塚宿の記録で知ることができます。
戸塚宿の定助郷を務める鍛冶ヶ谷村(栄区)の小岩井家の記録によれば、同宿には計12
藩、5500人の新政府軍が三日間に渡って通行し、それに対応するために2000人余りの
人足が継立に従事したということです。
学芸員さんが仰るには、近隣だけではなく離れた村々からも人足を求めたそうです。この辺り
は東大和市域の村々も蕨への助郷を命じられた経緯と似ています。
この東征軍御一行の行列を、なんと当時15歳の郁之助くんという少年がオールカラーの
絵巻物に描いて残しています。これが非常に細かく描かれていてビックリします。資料として
もかなりの価値があるのではないでしょうか。
これはぜひ、ご覧になっていただきたい!

また、東征軍の進軍に先立って、鳥羽・伏見の戦いに敗れた会津兵が敗走する様子を書いた
古文書も展示されています。それによると、会津兵らは草履、下駄を履き、鎗や刀は鞘もなく、
紙を刀身に巻いていた状態だったそうで、生々しい様子が感じられます。

東征軍通行を円滑に行うために働いたのが、武州金沢藩米倉氏(藩主・米倉昌言)と韮山代官
江川氏(当主・江川英武)で、戸塚~神奈川宿を米倉氏、神奈川~品川宿を江川氏が賄い方
を担当したとのことです。
「里正日誌」によれば、江川英武は新政府に恭順するため上京していますが、残された代官所
ではこんな仕事をさせられていたんですね。この担当地域は江川氏の代官支配地域ではない
ので、元々の支配地域である多摩の村々はこの状況をどう思ったのか、興味のある所です。

さらに興味深く思ったのは、川崎宿の賄い方下役を務めた市場村名主の添田七郎右衛門が
その功績を認められて、江川氏から苗字を名乗ることを許されているんですね。川崎は江川氏
の支配地域ではないけれど、賄い方を江川氏が務めていたため江川氏が許したとのこと。
こういう例は初めて知りました。

②はいよいよ農兵の話。ワタクシにとってはメインディッシュ。
横浜市域には綱島農兵隊、川崎農兵隊(呼称は便宜上)という2つの農兵隊がありました。
これは綱島村寄場組合、川崎村寄場組合という文政の改革組合村を基に編成されたようで、
多摩の蔵敷村組合や田無村組合のように、農兵のために新たに編成され直したものではない
ようです。
農兵隊結成の契機となったのは慶応2年(1866)6月の武州世直し一揆で、多摩農兵隊が
一揆鎮圧に活躍したのを見て、当地の代官今川要作が取り立ての意向を示します。組合村
でも取立願いを提出し慶応3年(1867)1月に結成されました。
ただ、綱島村では世直し一揆の際、日野宿農兵隊と連絡を取り合い、多摩川の渡船場警衛
についているので、元々の自衛意識は高かったものと思われます。

今回の展示では、日野宿名主・佐藤彦五郎の日記の一部も展示してあります。
慶応4年(1868)1月、彦五郎の日野宿農兵隊は横浜で20挺の元込め小銃を買いつけ
ますが、それは長尾村の人物(具体的には不明)の伝手によるものだったそうです。
時期的には鳥羽・伏見の戦いの直後であり、日野農兵隊は独自の行動をとりますが、
そこに川崎周辺も何らかの関係を持っていたことを窺わせます。

綱島・川崎両農兵隊とも、小銃は代官からの支給ですが、かかる経費は村負担という所は
江川農兵隊と変わりません。目的が地域自衛という所も一緒です。
しかし、彼らは代官以外に神奈川奉行の支配も受け、有事の際には横浜の港やその周辺
も警衛する役目を負っていました。
蔵敷村組合農兵では2回ほど臨時で観音崎台場の警衛に行かされたり、芝新銭座の代官
屋敷に詰めるように命令がありましたが、村では免除の願いを出していました。この辺りは
違いがあったようですね。
庄内藩による薩摩藩邸焼討事件の際には、逃げてきた薩摩藩邸の浪士2名を綱島農兵隊
が取り押さえるという手柄も取っています。

また興味深いのは、江戸城開城前の3月12日に横浜市域に入った新政府軍の岡山藩が
農兵隊の銃を回収していったということです。これは綱島・川崎の農兵隊だけではなく、周囲
の村々の獣害対策用の火縄銃まで回収し、さらには農兵隊の制服などまで持って行ったと
いうのですから、かなりの念の入れようです。このことによって、事実上農兵隊は解散。
蔵敷村組合でも、戊辰戦争終結後からしばらく経った明治3年(1870)4月に政府が銃の
回収を行いますが、このような早い時期に、しかも岡山藩という一藩がこのような行動を
とったというのは面白いですね。どのような理由があったのでしょうか?

③は上野に屯集した彰義隊が、ときどき横浜にもやってきて、献金を求めてきた資料などが
目を引きました。
村々では一応要求には答えるものの、要求額を一部に押さえて支払うなどしてやりすごした
ようです。これも東大和市域に振武軍がやってきたときと同じ対応ですね。
中にはニセ彰義隊もあったようで、ニセモノだとバレたときには人足たちから制裁を受けて
しまったとか。きっとボッコボコにされたんでしょうね。悪いことはしちゃダメです。
さらには正体不明の報恩隊という部隊や、仁義隊なども金銭を要求。仁義隊は「里正日誌」
に出てきた八王子に屯集して、村々から献金を要求した部隊と同じ隊でしょうか。

ざっと、こんな感じの企画展。
もっとたくさんの内容がありますし、展示品もゲベール銃やミニエー銃、上野戦争の錦絵など
もあり、充実しております。
学芸員さんも仰っていましたが、今回の企画展には一般的に有名な人物は出てきません。
(かろうじて江川英武あたり?)また、横浜は戊辰戦争の戦闘の舞台にはなっておりません。
ただ、そんな中だからこその、リアルな民衆の視線から見た幕末・維新を感じられたような
気がいたしました。
学芸員さんのお話で、多摩と横浜の農兵の比較ができて余は満足。

お近くにお住まいの方はぜひ!
(まぁ、ワタクシは車でちょい渋滞有りーので、片道2時間かかったけどね)


                                    

前回の記事でご案内した江戸楽アカデミー講座 「世間を騒がせた江戸の女性たち」 は
おかげさまで申込み数が上限いっぱい、SOLD OUTになりました。
ありがとうございました。ガンバリマス!


メガ106


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[ 2018/08/08 ] 番外編 | TB(0) | CM(2)