28 ささやきに導かれて
自叙伝『囁きに耳をすませて』第三章 “わたし”を生きる
28 ささやきに導かれて
良子の結婚が決まったことで、サロンは1年で閉鎖した。
そこに投じた金について、啓子が
「花火みたいなものよ」と笑ったことが幸いだった。
もちろん、罪悪感はなかった。
これで縁が切れると安堵したほどだ。
その後は迷わず臨床に励んだ。
知人に鍼灸院を紹介してもらい、
報酬なしで修行させて欲しいと頼み込んだのだ。
おかげで週末は撮影方々、邦夫と田舎物件を見回ることができた。
最初の候補地だった道志村で業者と打ち合わせたものの、
なぜか一向に話が進まなかった。
邦夫が建築物に詳しいことを知って敬遠されたのか、
あるいは広告物件は客引きのためのおとり物件で、
邦夫の提示した予算に尻込みしたとも考えた。
仕方なく、田舎物件の斡旋業者が発行していた月刊誌を取り寄せ、
場所や価格の再検討をすることにした。
「ついでに寄り道して小川村の物件、見に行かない?」
こまめに田舎物件をリサーチしていた私が言った。
「長野県なぁ……場所はいまいちやと思うけど。
まっ、北アルプスもあるし、見るだけ見てみようか……」
2000年の2月半ば、富士山に向かう途中で小川村に立ち寄った。
1mを超える雪の中に点在する古民家の
メルヘンチックな風景に胸を躍らせたものだ。
小川村の面積は58平方㎞。
起伏重畳した複雑な地形に1260戸の民家が点在する僻地の村である。
4ブロックほどに分かれた地名のうち、
物件の所在地は「小川村稲丘」ということだった。
しかし、その稲丘というのが恐ろしく広い。
4ケタの番地の下2けたが異なるだけで尾根を越え、
谷間を下って数㎞の道を辿るはめになる。
都会人の感覚で探し当てることは不可能な地域だ。
だが、邦夫は場所探しの名人である。
JAのミニスーパーと、スポーツ用ドームの位置を頼りに、
ほぼ動物的な感で物件を発見した。
見学という察しがついたのだろう。
スキーウェアを着こんで屋敷内の除雪に勤しんでいた初老の男が、
私たちを見るなり手招きした。
「趣があっていいでしょう?
どうぞ、どうぞ、中に入って見て下さい。
築120年ですけどね。
台所も南側に移したし、床下も基礎から直してね。
あと100年は持ちますよ」
いかにも『お待ちかね』というような、懇切丁寧な応対ぶりだ。
室内は広々としていた。
台所と居間がそれぞれに15畳、床の間のある寝室が10畳、
他に25畳の部屋があって、洋服ダンスや整理ダンス、
室内歩行器を並べても広いスペースが空いていた。
家主の倉田は兜町の証券マンだったという。
田舎暮らしに憧れて定年後に越して来たのだが、
寒冷地の暮らしで持病の喘息が悪化。
医師から転地療養を勧められたらしい。
時折、咳き込む様子から作り話でもなさそうだ。
「すみませんね。ちょっと風邪気味で伏せてまして……。
家内です」
上品な顔立ちの女性が申し訳なさそうにお茶を運んできた。
グレー地にピンクの花柄が刺繍された厚手のセーターが、
いかにも都会人を思わせた。
「お休みの所、こちらこそすみません。
で、どちらに行かれるんですか」
邦夫が、穏やかな口調で倉田に聞いた。
人当たりの柔らかさは天性のものだ。
「温泉と釣り三昧ってことで、別府に移住するつもりでして。
まぁ、この物件が売れればすぐにでもですがね。
当分は家賃の安い市営住宅で暮らすつもりですから、
この応接セットや、テレビなんかも置いておきますよ。
このソファいいでしょう?
家内が気に入って買ったんですがね。
運送費が高いので食器棚も置いときますよ。
いい品でしょう?」
さすがは元証券マン……倉田は駆け引きが上手い。
もっとも家具の一部を提供してもらうのはありがたかった。
大阪の所帯道具を運んでも、部屋が広すぎて
格好がつきそうにもなかったからだ。
「買ったときは台所が暗い西側にあって、
牛用の水場なんかありましてね。
天井はすすで真黒だし畳は腐ってるし、
そりゃあ大変でした。
改装に900万ほどかけたものですから、
売値はそれを基準にしたわけですが。どうでしょう?」
倉田が核心に迫った。
「そうですねぇ……実は私、写真が趣味でして。
田舎暮らしは富士山の近くを希望してるんです。
と言っても、値段が高くて思案しているんですが。
今日も富士山の撮影に行く途中でしてね。
ちょっと寄り道して、見るだけ見ようかってことで。
即決と言うわけにはいきませんが、
2、3日考えて返事させてもらいます」
邦夫がやんわりと言った。
同感だった。
価格には納得したが、あまりにも僻地で
病院やスーパーまでの距離に不安を感じていた。
それに雪の多さだ。
倉田夫妻と話し込んでいる間に数10センチの雪が積もり、
ハイラックス サーフのタイヤが埋もれかかっていた。
改装の必要もなく大自然も美しい。
だが、暮らすには相当の覚悟が必要だと思った。
それでも物件の位置的な全体感を観ようと、
標高1030mの大洞高原まで足を伸ばした。
そこは鬼無里村に至る峠で、村の中でも一際、
北アルプスの眺望に秀でた場所である。
物件は、ここから車で5分ほど下った所に位置していることが判った。
大洞高原に車を停めて、
私たちは白銀の北アルプスに見入っていた。
北アルプスの主役は、
何といっても端麗な双耳峰を持つ鹿島槍ケ岳だ。
それを挟んで右側が五龍岳、さらに唐松岳を経て白馬連峰に続き、
左側は爺ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳から穂高連峰に至る。
この場所からは名の通った岳の特徴がよくわかる。
岳の高さや形状の違い、キレットの深さまで鮮明に見える。
連峰全体を眺めるにしても遠過ぎず近過ぎず、
その迫力と優雅さを同時に堪能できる絶景スポットである。
「きれい!すごい迫力やねぇ。しかも距離感がいいよね」
「ほんま、いいなぁ。こんな角度で見られるって知らんかったわ」
雪が降りしきって撮影こそできなかったが、
私たちは無言でアルプスを見つめた。
「ここだ!」
突如、頭の中で何者かがささやいた。
「えっ?ここ?……なんで?」
テレパシーで尋ねたが返事はなかった。
ワァオ!久しぶりの啓示だ……けど、理由は?
いや、いい。
このささやきは無視できない。
何度も々、助けてもらった賢者のささやきなんだから……。
「決めよう!ここがいい」
私が言った。
「えっ?ここにするの?……なんでや?」
「値段も手ごろ。家具付きですぐにでも暮らせるし。あとは直感。
さっきね『ここだ!』って誰かがささやいて……。
まぁ、なんでか理由はわかれへんけど」
「そうでっか……誰かがねぇ。
まぁ、お前がいいんならいいよ……決めよか」
邦夫は、私の頭の中で起こることに関しては半信半疑である。
だが、意外にもすんなりと受け止めてくれた。
邦夫が好む被写体は富士山と白川郷だが、
ここからだと同じような距離で両方向に通える。
しかも、新たな被写体は、理想的なビューポイントで撮れる。
さらに年金暮らしの身には、物件の価格が手ごろなことも
決め手のひとつになった。
それにしても……どうして『ココ』なのだろう。
★ブログ終了のご挨拶
自叙伝『ささやきに耳をすませて』は、これで終わります。
もっとも物語は、カテゴリー『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし』
(18話)の『➀プロローグ』に続いていますので、
興味のある方はそちらを覗いてみてください。
このブログのセカンドコンセプト……。
『わたしたちはどこから来て、どこへ帰るのか』。
終始一貫、魂が不滅であることを書いてきましたが、
皆さんはどうを感じられましたか?
たぶん、大半の方が『ふ~ん…』もしくは、
『そんなバカな……』なんでしょうが、
“心と身体”部門の順位は最高が25位。
悪くても『80位~115位』でしたから、
予想より多くの方が読み続けて下さったようです。
裏返すと、それは秘められた知的好奇心の表れ。
・死んだら終わりなのか?
・魂はあるのか?
・魂があるなら生まれ変わるのか?
主に、この3点に関する好奇心なんでしょうね。
ひとつだけ……。
絶対に信じた方が“お得”な情報を残しておきます。
魂は想像より大きく、あなたを包んでいます。
あなたはハイヤーセルフ(高次の自分)と、
守護霊のダブルサポートを受けています。
そのパワーを全開させる秘訣は『信じる』こと。
なりたい自分像の青写真を描き、
すでにそうなっている自分を信じること。
長年、読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんのブログにはおじゃまするつもりですので、
コメントでの交流でもしましょう。
ブログ閉鎖の主な理由は『眼の不調』……視力の衰退です。
電磁波防御シールを貼り、ルテインを摂取して2年。
やっと人並みに老眼鏡で針に糸が通るほど回復しましたが、
パソコン画面を1時間以上見ているとダメ。
涙ショボショボ、乱視↑↑↑で、テレビも見れなくなるんです。
さらに花粉や黄砂のひどいときは、家にこもったりして……。
自伝は過去に書いておいた原稿をコピペするだけで楽でしたが、
新しく発信するとすれば好みは自然界の法則や生命科学ネタで、
長時間のネット検索が欠かせません。
今でもパソコンは1時間が限度で、それを1日に何度か繰り返して、
主なニュースを読んだり、皆さんのページに行ったりしていました。
どう考えてもフル思考、検索、推敲の記事更新は無理なんです。
余暇は、再び粘土や手芸の造形でもしようと思っています。
ジブリが好きなので、トトロなどのキャラクターを作るとか…。
では、ありがとうございました……さようなら。
愛をこめて……(* ・´з)(ε`・ *)chu♪ 風子