ふつうのオバちゃんが死ぬまでに伝えたいこと
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28 ささやきに導かれて

自叙伝『囁きに耳をすませて』
06 /01 2021
無意識

第三章 “わたし”を生きる


28 ささやきに導かれて

良子の結婚が決まったことで、サロンは1年で閉鎖した。
そこに投じた金について、啓子が
「花火みたいなものよ」と笑ったことが幸いだった。
もちろん、罪悪感はなかった。
これで縁が切れると安堵したほどだ。

その後は迷わず臨床に励んだ。
知人に鍼灸院を紹介してもらい、
報酬なしで修行させて欲しいと頼み込んだのだ。
おかげで週末は撮影方々、邦夫と田舎物件を見回ることができた。

最初の候補地だった道志村で業者と打ち合わせたものの、
なぜか一向に話が進まなかった。
邦夫が建築物に詳しいことを知って敬遠されたのか、
あるいは広告物件は客引きのためのおとり物件で、
邦夫の提示した予算に尻込みしたとも考えた。

仕方なく、田舎物件の斡旋業者が発行していた月刊誌を取り寄せ、
場所や価格の再検討をすることにした。

「ついでに寄り道して小川村の物件、見に行かない?」

こまめに田舎物件をリサーチしていた私が言った。

「長野県なぁ……場所はいまいちやと思うけど。
まっ、北アルプスもあるし、見るだけ見てみようか……」

2000年の2月半ば、富士山に向かう途中で小川村に立ち寄った。
1mを超える雪の中に点在する古民家の
メルヘンチックな風景に胸を躍らせたものだ。

小川村の面積は58平方㎞。
起伏重畳した複雑な地形に1260戸の民家が点在する僻地の村である。
4ブロックほどに分かれた地名のうち、
物件の所在地は「小川村稲丘」ということだった。
しかし、その稲丘というのが恐ろしく広い。
4ケタの番地の下2けたが異なるだけで尾根を越え、
谷間を下って数㎞の道を辿るはめになる。
都会人の感覚で探し当てることは不可能な地域だ。

だが、邦夫は場所探しの名人である。
JAのミニスーパーと、スポーツ用ドームの位置を頼りに、
ほぼ動物的な感で物件を発見した。

見学という察しがついたのだろう。
スキーウェアを着こんで屋敷内の除雪に勤しんでいた初老の男が、
私たちを見るなり手招きした。

「趣があっていいでしょう?
どうぞ、どうぞ、中に入って見て下さい。
築120年ですけどね。
台所も南側に移したし、床下も基礎から直してね。
あと100年は持ちますよ」

いかにも『お待ちかね』というような、懇切丁寧な応対ぶりだ。

室内は広々としていた。
台所と居間がそれぞれに15畳、床の間のある寝室が10畳、
他に25畳の部屋があって、洋服ダンスや整理ダンス、
室内歩行器を並べても広いスペースが空いていた。

家主の倉田は兜町の証券マンだったという。
田舎暮らしに憧れて定年後に越して来たのだが、
寒冷地の暮らしで持病の喘息が悪化。
医師から転地療養を勧められたらしい。
時折、咳き込む様子から作り話でもなさそうだ。

「すみませんね。ちょっと風邪気味で伏せてまして……。
家内です」

上品な顔立ちの女性が申し訳なさそうにお茶を運んできた。
グレー地にピンクの花柄が刺繍された厚手のセーターが、
いかにも都会人を思わせた。

「お休みの所、こちらこそすみません。
で、どちらに行かれるんですか」

邦夫が、穏やかな口調で倉田に聞いた。
人当たりの柔らかさは天性のものだ。

「温泉と釣り三昧ってことで、別府に移住するつもりでして。
まぁ、この物件が売れればすぐにでもですがね。
当分は家賃の安い市営住宅で暮らすつもりですから、
この応接セットや、テレビなんかも置いておきますよ。
このソファいいでしょう?
家内が気に入って買ったんですがね。
運送費が高いので食器棚も置いときますよ。
いい品でしょう?」

さすがは元証券マン……倉田は駆け引きが上手い。
もっとも家具の一部を提供してもらうのはありがたかった。
大阪の所帯道具を運んでも、部屋が広すぎて
格好がつきそうにもなかったからだ。

「買ったときは台所が暗い西側にあって、
牛用の水場なんかありましてね。
天井はすすで真黒だし畳は腐ってるし、
そりゃあ大変でした。
改装に900万ほどかけたものですから、
売値はそれを基準にしたわけですが。どうでしょう?」

倉田が核心に迫った。

「そうですねぇ……実は私、写真が趣味でして。
田舎暮らしは富士山の近くを希望してるんです。
と言っても、値段が高くて思案しているんですが。
今日も富士山の撮影に行く途中でしてね。
ちょっと寄り道して、見るだけ見ようかってことで。
即決と言うわけにはいきませんが、
2、3日考えて返事させてもらいます」

邦夫がやんわりと言った。
同感だった。
価格には納得したが、あまりにも僻地で
病院やスーパーまでの距離に不安を感じていた。
それに雪の多さだ。
倉田夫妻と話し込んでいる間に数10センチの雪が積もり、
ハイラックス サーフのタイヤが埋もれかかっていた。
改装の必要もなく大自然も美しい。
だが、暮らすには相当の覚悟が必要だと思った。

それでも物件の位置的な全体感を観ようと、
標高1030mの大洞高原まで足を伸ばした。
そこは鬼無里村に至る峠で、村の中でも一際、
北アルプスの眺望に秀でた場所である。
物件は、ここから車で5分ほど下った所に位置していることが判った。

大洞高原に車を停めて、
私たちは白銀の北アルプスに見入っていた。

北アルプスの主役は、
何といっても端麗な双耳峰を持つ鹿島槍ケ岳だ。
それを挟んで右側が五龍岳、さらに唐松岳を経て白馬連峰に続き、
左側は爺ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳から穂高連峰に至る。
この場所からは名の通った岳の特徴がよくわかる。
岳の高さや形状の違い、キレットの深さまで鮮明に見える。
連峰全体を眺めるにしても遠過ぎず近過ぎず、
その迫力と優雅さを同時に堪能できる絶景スポットである。

「きれい!すごい迫力やねぇ。しかも距離感がいいよね」

「ほんま、いいなぁ。こんな角度で見られるって知らんかったわ」

雪が降りしきって撮影こそできなかったが、
私たちは無言でアルプスを見つめた。


「ここだ!」

突如、頭の中で何者かがささやいた。

「えっ?ここ?……なんで?」

テレパシーで尋ねたが返事はなかった。
ワァオ!久しぶりの啓示だ……けど、理由は? 
いや、いい。
このささやきは無視できない。
何度も々、助けてもらった賢者のささやきなんだから……。

「決めよう!ここがいい」

私が言った。

「えっ?ここにするの?……なんでや?」

「値段も手ごろ。家具付きですぐにでも暮らせるし。あとは直感。
さっきね『ここだ!』って誰かがささやいて……。
まぁ、なんでか理由はわかれへんけど」

「そうでっか……誰かがねぇ。
まぁ、お前がいいんならいいよ……決めよか」 

邦夫は、私の頭の中で起こることに関しては半信半疑である。
だが、意外にもすんなりと受け止めてくれた。
邦夫が好む被写体は富士山と白川郷だが、
ここからだと同じような距離で両方向に通える。
しかも、新たな被写体は、理想的なビューポイントで撮れる。
さらに年金暮らしの身には、物件の価格が手ごろなことも
決め手のひとつになった。

それにしても……どうして『ココ』なのだろう。





★ブログ終了のご挨拶

自叙伝『ささやきに耳をすませて』は、これで終わります。
もっとも物語は、カテゴリー『鍼灸オバちゃんの田舎暮らし』
(18話)の『➀プロローグ』に続いていますので、
興味のある方はそちらを覗いてみてください。

このブログのセカンドコンセプト……。
『わたしたちはどこから来て、どこへ帰るのか』。
終始一貫、魂が不滅であることを書いてきましたが、
皆さんはどうを感じられましたか?

たぶん、大半の方が『ふ~ん…』もしくは、
『そんなバカな……』なんでしょうが、
“心と身体”部門の順位は最高が25位。
悪くても『80位~115位』でしたから、
予想より多くの方が読み続けて下さったようです。

裏返すと、それは秘められた知的好奇心の表れ。
・死んだら終わりなのか?
・魂はあるのか?
・魂があるなら生まれ変わるのか?
主に、この3点に関する好奇心なんでしょうね。

ひとつだけ……。
絶対に信じた方が“お得”な情報を残しておきます。

魂は想像より大きく、あなたを包んでいます。
あなたはハイヤーセルフ(高次の自分)と、
守護霊のダブルサポートを受けています。
そのパワーを全開させる秘訣は『信じる』こと。
なりたい自分像の青写真を描き、
すでにそうなっている自分を信じること。


長年、読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんのブログにはおじゃまするつもりですので、
コメントでの交流でもしましょう。

ブログ閉鎖の主な理由は『眼の不調』……視力の衰退です。
電磁波防御シールを貼り、ルテインを摂取して2年。
やっと人並みに老眼鏡で針に糸が通るほど回復しましたが、
パソコン画面を1時間以上見ているとダメ。
涙ショボショボ、乱視↑↑↑で、テレビも見れなくなるんです。
さらに花粉や黄砂のひどいときは、家にこもったりして……。

自伝は過去に書いておいた原稿をコピペするだけで楽でしたが、
新しく発信するとすれば好みは自然界の法則や生命科学ネタで、
長時間のネット検索が欠かせません。
今でもパソコンは1時間が限度で、それを1日に何度か繰り返して、
主なニュースを読んだり、皆さんのページに行ったりしていました。
どう考えてもフル思考、検索、推敲の記事更新は無理なんです。

余暇は、再び粘土や手芸の造形でもしようと思っています。
ジブリが好きなので、トトロなどのキャラクターを作るとか…。

では、ありがとうございました……さようなら。
愛をこめて……(* ・´з)(ε`・ *)chu♪ 風子

27 天使のリング

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /15 2021

           書架幻想

第三章 “わたし”を生きる


27 天使のリング

夢の中で、「天空の湖」を目指して岸壁を登っていた。

恐ろしくはなかった。
足で探ると、欲しいと思う所に足場があったのだ。

ふと岩肌をみて驚いた。
アメジストやザクロ石、エメラルドグリーンや、
乳白色の鉱物に覆われた岩山を登っていたのだ。
凄い!やっぱり、湖はこの上に広がっているに違いない。

そう思った瞬間、すでに頂上に立っていた。
そこは絵画のような世界だった。
湖を挟んで、遠くに天高くそびえる岩山が見えた。
それは緑に覆われた広い裾野から一気に突き出た山で、
ふたつの尖峰の間から白煙が上っていた。
傾斜の緩い山裾には赤茶けた幾筋もの溝が刻まれ、
かつての溶岩流を想像させた。
鉛色の独立峰から広がる裾野は丘や草原の緑に続き、
花々が咲き乱れる湖のほとりで終わっていた。

湖は透きとおっていた。
雲が映り込んだ湖面の魚影の群れを凝視した。
すると奇妙なことが起きた。
突如、目がズームして水中に入り、
魚たちを間近に見ていたのだ。

ん?……水中にいるんだ。面白~い!
そう思った瞬間、なぜか湖は断崖絶壁の下に広がっていた。
足が震えた。
目のズームが錯覚だったと判ったからだ。
降りたいけど、こんな絶壁どうしようもない。
あきらめて立ちつくしていると、湖面に大きな影が映った。
鳥にしては大きい。
そう思いながら空を見上げて仰天した。

天使だった。
それも集団で飛んでいるではないか。

「降りたいの?」

ひとりの天使が近づいてきて言った。

「ぜひにも!湖で遊びたい」

「お安い御用よ。どうぞ、これにつかまって」

そういうと天使は、親指と人差し指でリングを作って差し出すではないか。

「これで?……ダメ、ダメ。私、重いもん。これでは落ちてしまう」

「大丈夫。信じなさい」

天使があきれるように言った。
急に恥ずかしくなった。
桜島の光と同様、またしても疑っているのだ。

天使だよ、天使。
落ちるわけない。
そう自分に言い聞かせてリングを作り、天使のそれに引っかけた。

私は軽やかに空を舞っていた。重力が消えていた。

「ありがとう!またね」

湖面に降り立ち、天使たちに別れを告げた。

そっかぁ……そうなんだ。
何でも信じればいいんだ。
そう確信しながら透明な水中を泳いでいた。

なぜだろう……息ができた。
すごい!なんでもありなんだ。
だったら魚が透明に見えたらいいのに。

そう思った瞬間、魚たちが透けた。
内臓の微妙な動きや、血流まで見える透明魚になっていた。

『すご~い!解りやす~い!楽しい!』 


自分の寝言に驚いて飛び起きていた。
時計は午前2時を回っていたが、走りだしたい気分だった。
鮮やかな総天然色の夢なんて何年ぶりだろう。
しかも状況と事態、展開などを細部まで記憶していた。
あたかも現実だったかのように……。

この夢が暗示したものは何だろう。
朝方まで意味を考え続けた。

まず、岩山をよじ登ることに必死で、
岩壁の美しさに気づかなかった。
ものの見方が近視眼的だということだろうか。
それとも幸せは足元にあるという暗示だろうか。

では目がズームしたり、
一転、恐怖の断崖絶壁に気づいたのはなぜだろう。
近視眼的な観念の危険性、油断への警告だろうか。
それとも、心の状態で現象が変わる。
私たちは見たいものを見るという、
深淵な『宇宙の法則』を体感したのだろうか。

それにしても素晴らしい夢だった。
猜疑心を捨てて信じれば、どんなことでも叶ったのだ。

ん……どんなことでも? 
ふと、邦夫との未来を思った。

邦夫や、その妻に対する猜疑心を捨て、とにかく信じよう
天使が示した指のリングに身を任せたように、
信じれば……きっと何でもありなんだろう。


      次回はいよいよ最終投稿
      6/1 『ささやきに導かれて』に続きます。

26 希望と影

自叙伝『囁きに耳をすませて』
05 /01 2021
富士 竜ヶ峰


第三章 “わたし”を生きる



26 希望と影

正月休暇に入り、邦夫と竜ケ岳山頂に向かった。
富士山のご来光を撮影する人気スポットだ。

竜ケ岳は、その昔『小富士』と呼ばれていたという。
富士山の噴火で本栖湖に溶岩が流れ込み、
湖の主だった竜は熱さに耐えきれなくなって小富士に駆け登ったらしい。
以来、小富士は竜ヶ岳と呼ばれるようになったということだ。


夜の11時頃、湖畔の駐車場から登山道に入った。
撮影の場所取りをするために頂上でテント泊をするのだ。
へッドライトを頼りに、ジグザグ道を2時間ほど登ると頂上に着いた。
そこには格子造りの小屋があって、小さな地蔵が祭られていた。
その前の平らな草地にテントを張り、寒さも忘れて富士山に見入った。

満天の星空に端麗な富士山のシルエットが浮かび上がっていた。
流れるようなすそ野は威風堂々として、
その神々しさに圧倒されるばかりだった。

「すご~い!これぞ独立峰って感じ。
周囲の余計なものが見えへんからかなぁ。
昼間よりインパクト強いし、満天の星とのコントラストも最高!
モノトーンの世界がこんなにも美しいなんてねぇ。
見ているだけでウルウルするわ……」

なぜだろう。
この星に生まれて良かった。
生きていて良かったと思った。
しかも、この世界観を邦夫と共有している喜びに感動していた。

「そうやろう? 
こんな景色、毎日見れたら最高や。
田舎暮らし頑張ろな!」

邦夫が意外なことを口走った。

「えっ?……うっそう。
田舎暮らしって、私とする気あるん?」

「あるさ。まぁ問題はあるけどな。
だから頑張ろな、言うてんのや」

「へぇ……その気あるんだぁ」

胸がいっぱいになった。
だが同時に、離婚に向けてエネルギーを消耗するであろう邦夫が
気の毒でならなかった。

その夜、私たちはテントの中で激しく抱き合った。
期待は棄てていたのに、30数年連れ添った妻を捨て私を選ぶなんて。
あの過去生の情念を成就させるのだろうか。
なんて愛しい人なんだ。
だとしたら、真心を尽くして過去生の罪を贖おう。
大丈夫、邦夫となら本物の夫婦として暮らせる。


「こんな所にテント張って……」

夜明け前、登山者のあきれたような声で目が覚めた。
ご来光撮影の第一陣が到着したのだ。
急がなければならない。

カチカチに凍ったペットボトルの水を温めて溶かし、
コーヒーとパンで朝食を済ませると、邦夫は素早くテントを撤収した。
若い頃に登山に熱中しただけに手慣れたものだ。

空が白んでくると、雲ひとつない快晴だった。
地蔵小屋近くの小高い場所にある東屋がカメラマンで埋まった。
予測通りのにぎわいだ。
邪魔にならないように、私は東屋の下に移動してご来光を待った。

7時30分、ほのかに富士山の頂上が輝きだし、
瞬く間に明るさが増してきた。
幾筋もの鮮烈な光の帯は人々の歓喜を呼び起こす。
だが感動のあまり声が出ないようだ。
静寂の中でカシャ、カシャとシャッターを切る連続音だけが響き渡る。
カメラマンたちの命が輝く瞬間だ。

太陽は10分ほどで昇りきり、かすかに雲が湧き上ってきた。
カメラマンたちの撮影談義が始まる。

「いゃぁ、良かった!去年はダメで。
今年は本栖湖にしようかと思いながら来たんですけど」

「そうですか。去年はね、山中湖で初めて笠雲が撮れまして」

「いや、惜しいなぁ、あの雲。
もうちょっと早くかかって笠になってくれたら」

それぞれの言い分に、そこここで爆笑が起こった。
富士山にかかる笠雲は1枚で雨、2枚で風雨といわれるほど
気象を予兆するらしい。
それらは7月や11月に多い。
厳冬の富士山では望めそうもないのだが、
小父さん方の注文は尽きない。
リタイヤ組ではないのだろう。
彼らは休日とシャッターチャンスの両方に恵まれる
確率の低さに一喜一憂する。



サロンは相変わらずの閑古鳥で、
私と良子は1日の大半を勉強や雑談で過ごすしかなかった。
しかも良子の恋愛はピークを迎えているようで、
首筋にキスマークを付けて出勤することも珍しくなかった。

「良子ちゃん!うなじ、ごちそうさま!目立ち過ぎやでぇ」

派手なキスマークを指差して、からかうように言った。

「えっ?ほんとですか。やだぁ……」

慌てて鏡を見る良子の顔が真っ赤に染まった。

「結婚は時間の問題みたいやね。
もう両親に言ったん?」

「はい。来週くらいに会ってもらうことになって」

「そうなんや。お父さんの反応どうだった」

「全然……。
ほとんど無反応というか、放任というか。
啓子さん以外、どうでもいいんですよ。
啓子さんも特に驚きもしないし、あら、そうなのって感じでした。
奈良に住むようになるので残念がってましたが」

「そっかぁ。じゃあ、サロンの存続も考えざるを得ないって感じかな」

「ですよね。俊子さんはどうされるんですかぁ」

良子が申し訳なさそうに言った。

「私? ああ、心配しなくていいよ。
このサロン、宣伝できないって知ったときから無理だと思ってた。
けど、その時点で機器は揃えていたし、良子ちゃんのやる気はあったし、
流される感じで始めただけで。
正直、良子ちゃんのスピード婚には驚かされた。
けど実は……。
私にも好きな人がいてね。
いずれ田舎暮らししようってことになってて。
実行に移すまでの期間は本腰入れて臨床修行でもするわ」

「えぇっ!そうなんですかぁ」

「いい歳して、だけど」

良子に話せば早晩、啓子の耳には入るだろうと打ち明けた。
彼女の結婚が決まった以上、啓子が私の行く末を案じなくて済むからだ。
 

邦夫は、定年まで2年を残して早期退職することを選択した。
退職後は富士山の近くで暮らし、撮影三昧の余生を楽しみたいと言う。
そこで撮影を兼ねながら数か所の物件を見て回った。
しかし、どの物件も予想以上に高値だった。
30坪程度の中古物件でも2千万は下らない。
それが別荘地内となると年間の管理費が5、6万もかかるのだ。
しかもスーパーの物価は大阪より格段に高い。
冬季の暖房費や、車2台の維持費などを見積もると
生計が成り立ちそうになかった。
妥協案として道志村の物件資料を取り寄せた。
富士山まで車で30分ほどかかるが、
過疎の村だけに価格帯が妥当に思えたからだ。

「この新築物件で1500万だって……。どう?」

「ふ~ん。まぁ、場所は悪くないけど、けっこうするもんやなぁ」

いかにも驚いたように邦夫が言った。
大規模マンションの建設工事を指揮する邦夫は、
下請けを泣かせて単価をたたく。
その習性で相場を測るために、
小さな建売業者の価格設定が不満なのだ。

「これはモデルハウスでね。
デザインは自由らしいから現地で交渉したらどう? 
邦夫ちゃんみたいに詳しいと業者はやりにくいだろうけど」

「そうやなぁ。一度、行ってみるか」

「そうそう。具体的に動かないとね」

私が煽るような言い方をした。
写真撮影を除けば邦夫は積極的に行動するタイプではない。
移住候補地の下見に出かけているというのに、
妻には離婚をほのめかしてもいない様子だった。

「ところで、奥さんに何か予告めいたこと言ったの?……」

思いきって聞いてみた。

「まだ何も……。
話したらたとえ1年でもギクシャクして過ごさなあかんしなぁ」

「まぁね。私の場合、子供との関係で必要最小限の会話はしたけど、
夕飯の片づけが終わったら2階に上がって顔を合わせないようにしてた。
はっきり言って家庭内別居状態。
そうやって意志の強さを見せつけたって感じ」

「そうやろ。そんな雰囲気で過ごすのは嫌やからな。
直前に話そう思て」

「直前?……それって残酷じゃない?
事前に意志表示して、邦夫ちゃん自身の気持ちが
強固なことを示さなあかんし……。
奥さんの心の準備のためにも時間は大事だと思うけど」

邦夫は無反応だった。
ある日突然、夫から離婚届を渡される妻の逆上ぶりを想像すると、
恐ろしく不安になった。
だからといって、そのタイミングについて指図めくわけにもいかない。
せめて邦夫の真剣度を確かめるしかないと思った。

「すごく聞きにくいけど……。
奥さんとの離婚、どんな条件出そうと思てんの?」

「そうやなぁ‥‥。
退職金の5千万を折半して、マンションを譲ろうと思ってんのや。
今は下がってるけど4千万以上で買った物件やし、そんでいいやろ」

「なるほど……。
ただ、邦夫ちゃんて優しい人やから、
ほんまにちゃんと話つけられるかどうかが不安。
田舎に行ったわ。いつまでも離婚できないなんてことにならないように。
大阪にいる間に勇気を持って決着はつけてね」

優柔不断さを、あえて優しいと表現した。
内心、退職金の5千万を折半するという算段は軽率だと思っていた。

邦夫は家計全般に無頓着である。
給料の中から5万円を小遣いとしてもらっているようだが、
残りの給与の使い道については妻にまかせっきりらしい。
30数年経った今も預金高さえ知らないのだ。

もっとも、邦夫には現場責任者としての余録があった。
利益率に応じた臨時ボーナスのようなものだが、
その額たるや中小企業のボーナスに匹敵。
それを内緒で使っていて小遣いに不自由しなかったせいかもしれない。

それにしても呑気過ぎる。
4千万の物件を40年弱のローンにすれば、
利息込みの総額は8千万近くになる。
毎月10万円、ポ―ナス時に20万返したとしても年間に160万だ。
40年間払っても全額は返済できていないわけで、
退職金のうち2千万は住宅ローンの返済に消える。
まさか、それも知らずに退職金を半分に分けると言ったのだろうか。

邦夫は贅沢に暮らしてきたようだ。
クラウン級の車を7台も乗り潰し、釣りにゴルフ、
写真など金のかかる趣味事を楽しんできたらしい。
あるとき、それらの金の出所を聞いた。
全ては余録で、家計から使い込んだことは一度もないというのだ。
なるほど。給料から支出していたら家計は破綻するはず。
そもそも妻が黙っているはずもない。
だが妻側の生活設計にも問題があろう。
小遣いを差し引いて45万ほどの給料があるのに、
内入れ返済もせずに金利を払い続けてきたわけだ。
妻がまとまった金をヘソ食っているならいいが、
夫婦そろってザルだったら……。
ふと、そんなことを想像して憂鬱になった。

「あのな、離婚のことは俺たち夫婦の問題や。
おまえは心配せんでも大丈夫や」

邦夫が怒ったように言った。
急に無口になった私へのフォローのつもりかもしれない。
だったらいい。腹を立て、断言することが肝心だ。
女性問題を黙認して主婦の座を守ってきた妻が相手だ。
退職金を折半できないとなれば、もめることは目に見えている。
だが、それこそ邦夫自身の選択である。

私はもう充分に悩み苦しんだ。
今、この瞬間でも別れたいと言えばオーケー。
未練を押し殺してでも了解する。
幾日泣き明かしてでも、私は潔く実行できる性格なのだ。
あとは邦夫の意志と実行力の問題だ。
私との未来を願うなら頑張ってもらうしかない。

とはいえ、この状況は私にとっても正念場になるはず。
内なる魂を探求して、生き方を学ぼうとしている途上の身に
生じたことだからだ。
しかも過去生など世間には通用しない。
他人の夫を奪ったという責めを負う覚悟を
決めなければならないのだから。



眠りに就く前のひとときに、私は再び瞑想をはじめた。
選択しようとしている未来について、
何者かの判断を仰ぎたくなっていたのかもしれない。

光よ、教えて下さい。
他者の夫を奪うことは罪ですよね。
ですが、それらは今生という短いスパンで測るものでしょうか。
私はあきらめていたのですよ。
未来のない関係を清算しようと何度も決意しました。
しかし、邦夫は私との晩年を選択しました。
その結果を今生だけで判断すると、
私たちは共通の罪を犯そうとしているわけです。

ですが前世絡みの想いとなると違いませんか。
男だった私が不貞を働き、それを苦に自殺した婚約者との再会となれば、
互いが惹かれあって当然じゃないですか。
そもそも過去生の因果というのは、邦夫の妻にもあるのではないですか。
例えば過去生で誰かを容赦なく離縁したとしましょう。
そのため今生では、離婚される側の無念を経験するという
カリキュラムを背負って転生したとか。
そうであれば、邦夫と妻は別れるだろうと想像しています。
今生の自分に都合よく解釈しているのではありません。
輪廻転生を信じている者の客観的な想像です。
間違っていますか……? 

今生、私は離婚を経験しました。
夫への未練は微塵もありませんでした。
しかし、息子を引き取れなかったこと。
彼に平和な家庭環境を与えられなかった無念さを抱えました。

もっとも、そのことを除けば、
13年にわたる一人暮らしは心地良いものでした。
死ぬまで一人で人生を全うしたいと思ったほどです。
ですが神秘体験をしてからというもの、人としての成長が気になりました。
転生の目的がキリスト意識に到達するレッスン過程だと知り、
気楽さを優先することに罪悪感を覚えはじめたのです。

私自身の意識の変化とともに、万にひとつのような偶然が生じました。
通常の行動パターンでは、そこにいるはずのない邦夫が
電車に乗っていたのです。
たった5分間の再会が物足らず、迷わず電話番号を教えました。
瞬間、この人と交わるだろう、と直感しました。
離婚して5年もの間、意識にものぼらない人だったにも関わらずです。
だからこそ、邦夫との過去性の関係を思い出したことは衝撃でした。
脳の記憶ではなく、魂レベルの記憶でした。
愕然とする日々が過ぎ、自らの罪の重さや、
かつての恋人に対する愛しさに涙があふれました。

逢瀬を重ねるうちに、邦夫との人生を考えるようになりました。
結婚すれば邦夫との約束が成就される。
邦夫の潜在意識が、それを切望していることは
交わりの最中に感じとっていました。
邦夫となら、結婚生活も喜びに満ちたものになることでしょう。
夫婦として愛し合うことでカルマを返済し、
自らが選択したであろう、女の生を学びたいと思いました。

というのも、私は多くの生を男として生きた感覚があるのです。
たとえば自衛隊の訓練や、ジープなどの隊列を見ていると、
なぜか戦いたい衝動が湧き起こります。
ものの見方も男っぽく、妬みや、誹り、うわさ話などに明け暮れる
女性たちには嫌悪感を感じてしまいます。
なんてくだらないことに時間を費やすのだろうと思うわけです。

身体的な特徴も男に近いと思っています。
大きな顔と太短い首。頭髪は固い直毛で、
襟足の広さや毛の濃さから美しいヘアースタイルにはなりません。
かろうじて女性を感じられるのは、小さな唇と手足くらいでしょう。
しかも生殖臓器が未熟で、出産には問題がつきまといました。
子宮孔が浅く、妊娠しても切迫流産の危険が伴います。
二度目の流産徴候はホルモン剤で防いだものの、
妊娠中における苦痛は想像を絶するものでした。
初期はつわりに苦しみ、中期以降は胸やけ、後期には
異常な体重の増加に嫌気がさしました。
母になる喜びよりも心身の苦痛が勝っていたのです。
もっとも最悪なのは精神状態でした。
出産したら真剣に離婚を考えようと思っていたんです。
その意識のせいで苦痛が増したのかもしれません。

出産すれば、少なくても肉体的な苦痛からは解放される。
そう自らを励まして臨んだ出産も悲痛なものでした。
子宮収縮剤による強烈な陣痛に七転八倒し、
鉗子の挿入で膣から肛門に向かって裂け、
そのショックで糞尿が垂れ流し状態になりました。
もっとも、その症状は時間の経過とともに治まったもの、
母乳の出が悪く、搾乳機で絞ったために腱鞘炎になり、
主婦業もこなせない日々が続きました。

出産は2度とごめんです。
「第2子は肘まで手を挿入して引っ張り出さないとだめだろうねぇ…」
そう言った医師の言葉が忘れられません。
男としての転生が多かったのでしょうね。
私は出産に適さない身体だったようです。

その後、神秘体験をして精神世界にのめり込みました。
ですが瞑想によって得られる過去生の記憶は、
映画のフィルムに例えたら断片に過ぎません。
ショーのように繰り広げられる映像には前後の関連性がなく、
場所や時代も支離滅裂です。
ただ、自分だとわかる登場人物は男ばかりなのです。
それは白昼夢として現れることもあります。
突如、高い塔から落下した瞬間を感じたり、
待ち合わせた相手が現れた瞬間に、この人知っている。
かつて息子だったというような、奇想天外な閃きが出現するのです。

また、あるときの瞑想で、穏やかに死を迎えている自分の姿を見ました。
左手に障子のある日本家屋の2階で床に伏している私。
その人生に満足しながら、優しい雨音に耳を傾けています。
頭側にあるふすまが静かに開いて誰かが私に話しかけます。

「何か食べる?」
すると私は……
「ああ、もう死ぬからいいよ。ありがとう…」
そう答えました。
相手が誰なのかは釈然としません。
ですが、泣いたり、うろたえたりはしていません。
愛に満ちたまなざしを向けて見守ってくれているのです。

この状況は過去の出来事なのか未来なのか判りません。
ですが、脳という臓器の創作でないことは確かです。
なぜなら私の脳は、その映像を見ながら同時進行で、
それを客観視しているからです。

自分に起きている状況を客観視する
もうひとりの自分とは何者なのか。
精神科の医師なら迷わず二重人格を持った精神障害と断定するでしょうが、
シャーリーが言う『ハイヤーセルフ(高次の自己)』だと思います。
子供の頃から感じていた異次元の世界感が、今では真実となりました。
ですが、この感覚や体験を信じてくれる人は少ないでしょう。
ですから宇宙に、光の世界にコミュニケーションを求めるのです。
私の意識を観察して、なんらかのアドバイスを下さい。
どんな時でも、求めれば与えられると信じています。


そんな思いを巡らせて1ヶ月が過ぎた。

         
           次回投稿は5/15『27 天使のリング』に続きます

25 なりゆき

自叙伝『囁きに耳をすませて』
04 /15 2021
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第三章 “わたし”を生きる


25 なりゆき


通販会社を退職した後、
リラクゼーションサロン開業の準備を始めた。
まずコースを定めて費用を決め、関連する備品を調達して回ったのだ。

機器による全身マッサージと足浴の後、
30分のフットマッサージを行いながら体調を問診しておく。
それから調節的鍼灸施術を行い、最後にハーブティを楽しんでもらう。
そのフルコースが5000円で、単独のフットセラピーと鍼灸施術は、
それぞれに3000円に決めた。
また本格的なヒーリングコースは5000円に設定した。
ストレスの内容に応じてオリジナルの瞑想テープを作成するからだ。

次の課題は販売促進だ。
マンションの一室だけに、何らかの宣伝は必要不可欠である。
高額の看板設置などは無理にしても、ネットでの宣伝や、
新聞の折り込みチラシを利用するつもりだった。
その作成にとりかかっていたとき、
打ち合わせに来た啓子からストップがかかった。

「えぇ~っ❢ チラシまいたらアカンの。なんで?」

「住居として買い上げた物件だから営業用に使ったらだめなのよ」

啓子がしゃあしゃあと言った。
一瞬、めまいがした。

「はぁ?それわかってて、サロンやるって言ったの?
管理人に内緒でやる気だった? 
けど、人が出入りしてたらすぐにばれるやんか。
第一、宣伝しなかったら客なんか来ないでしょう?」

「管理人にはね、友人、知人たちと楽しむための
プライベートな部屋だと言ってあるのよ。
大丈夫!客は私が連れてくるから」

「連れて来るって……。
田村事務所の関係者やシャンソン仲間、ブティックのオーナー?
そりゃあ義理で1、2回は来るだろうけど、
経営ってそんな甘いもんじゃないよ。
備品や機器関係で200万近く出費するんよ。
リピーターが定着するまでは私の給料分も捻出できないんよ。
無茶だわ……いつまでも給料泥棒なんて耐えられへん。
その辺の展望について、啓子さんはどう考えてんの?」

答えによっては白紙撤回する勢いで聞いた。

「そんなに心配しなくても、どうってことないわよ。
下の娘なんて400万かけて獣医師になるための専門学校行って、
試験に落ちてパァよ。それで再挑戦するかと思えば、
もうやりたくないんですって。
まぁ無理に社会に出なくてもいいのよね。
うちの人のお気に入りだし。
私が外出するときなんか、旦那の守役にうってつけなのよ。
アハハハ……。
それから思えば俊子さんに支払う給料なんて20万そこそこでしょう?
生活費とは別に私も事務所から給与もらってるしね。
良子だってそう。事務所の給与で遊んでいられる身なんだから、
俊子さんに技術を教わってると思えば安いものよ。
私ね、足つぼのセラピーは週に1回、鍼灸だって月に2回は通ってんのよ。
それで身体がもっている状態だし、サロンは自分のためでもあるのよ。
だから俊子さん、気を使うことなんてないのよ。
前の会社ほど高級支払ってあげられないけど、
俊子さんにとっても施術の練習になっていいでしょう?」

啓子の言い分を聞いているうちに、すっかり拍子抜けしていた。
世の中、こんな感覚で金を使う人間がいるとは。
しかし、オーナーが言うんだからいいとするか。
今さら後戻りするより、サロンに必要な知識と技術を良子に教え、
早々に退散して田舎暮らしを実行に移すしかないかも。
スタート時点で、そんな思いを巡らせていた。 

案の定、義理を果たそうとする啓子の客は、
オープンして1ケ月足らずで底をついた。

ブティックのオーナーが2人と、その知人。
司法書士事務所の経理を請け負う高齢の女性と、その友人たち。
良子の親友の合計10人ほどだ。
いずれも身体的な不具合は見られず、
いかにもギブアンドテイクという印象だった。

無理もない。
啓子には損得勘定抜きの友人などいないのだ。
彼女の話はいつだってワンパターンで、
破天荒な夫の守の大変さが80%を占める。
どれほど夫に尽くしているかをアピールする以外は、
ゴージャスな暮らしぶりの自慢ばかりで、
会話のキャッチボールにはならない。
聞いている側にすれば、疲れるばかりでアホらしい。
それは隣組だったときも同じだ。
井戸端会議に花が咲いていても、啓子が現れると座が白けた。
誰もが用事を思い出したように家に戻ってしまうわけだ。

集客の打つ手もない日々のなか、
啓子は次々と買い物をしてサロンの空き部屋に運び込んだ。
2年ほど前から始めたというシャンソンの発表会用ドレスが数着。
1点で30数万円の絵画や、装飾品である。
まさか、集客のための新たな義理を買ったのだろうか? 
いや、彼女の欲求だと思いたい。
いずれにしても正雄に内緒の品々であることは明らかだった。

「なぁ、良子ちゃん。
こんなことしてて、ほんまにいいんかなぁ」

ある日、私が呟くように言った。

「衣装のことですか……だったらいいんです。
啓子さんの生きがいですから…」

相変わらず母に敬称をつける良子である。

「生きがいなぁ……。
ちょっと前までは自立するための模索をしてて、
私もできる限り協力はしたけど。
結局、夫の収入を自在に操ることに生きがいを求めたんやなぁ」

「そうそう、俊子さんに啓発されて、
例の化粧品やる気はあったんですけどね。
あのときは本当にご迷惑をかけました。
でも、正雄さんの荒れようが凄くて……。
殴るわ、蹴るわですよ。
家族全員が巻き込まれて大変でした。
本当はシャンソンも気に入らないんですけどね。
喧嘩になるから、さすがの正雄さんも
しぶしぶ黙認してるんじゃないですか」

「確かに歌は上手だし、シャンソンもいいと思うよ。
けど、本気でやってんのんかなぁ。
先生への付け届けがどうの、発表会の花束がどうのって話はよく聞くけど、
選曲や、発声テクニックなんかの話、聞いたことないねん。
良子ちゃんに言うのもなんだけど、お母さんって歌を唄いたいのか、
着飾ってスポットライトを浴びたいのか、わかれへん」

「両方でしょう。
仕事は持てなくても何か夢中になれるものが欲しい。
働かなくても正雄さんのご機嫌さえとっておけば贅沢はできますから。
それで、豪華なドレスを着て歌うシャンソンになったんじゃないですかね。
でも続くかどうか。啓子さんて熱しやすく冷めやすい性格ですから」

「へぇ、驚いた。良子ちゃんて、冷静に観察してんなぁ。
ところで、良子ちゃん自身の未来像はどんなん? 
なんてったって灘高出の才女やもんなぁ。
受身の人生じゃなく、何らかの仕事を持ちたいって気持ちは強いの?」

「もちろんです。母のような人生は嫌ですから」

「ほんまにそう思ってんの?
だったら今からでも遅くないわ。
鍼灸かマッサージの免許とったら?
解剖学や生理学を学んだら応用力が広がるよ。
この部屋の使用条件でサロンの採算は無理だろうけど、
資格があったら勤めることもできるし、開業してもいいやんか。
良子ちゃんには資金と時間は充分にある。
恵まれた環境の独身時代って貴重だと思うけどなぁ」

そうけしかけると、良子は愛想笑いを浮かべた。

「確かにそうですよねぇ。
けど、勉強って好きじゃないんですよねぇ。
学校って3年も行くんでしょう」

「まあね。けど半日学校行って、
半日はサロンで実技となると勉強が生きるよ。
解剖学知ったら、顔の表情筋の美顔やっても効果は得やすいし、
真剣に考えてみたら?」

「……そうですね」

良子が気のない相槌を打った。
セラピーが好き。
仕事を持ちたいと言ったのは、果たして本心だろうか。


サロンをオープンして3ヶ月が過ぎた。
2人のリピーターが月に2回。
啓子ファミリーの不定期的な施術をこなすと、
あとは時間を持て余す日々が続いた。
そこで専門学校の仲間に声をかけて、
格安の費用で定期勉強会を開くことにした。
過去に学んだオステオパシーや、中国整体の技術、
誘導瞑想などを復習するためだ。

かつて、私はカウンセラー養成講座に通って基礎過程を修了した。
その先を受講しなかったのには理由がある。

受講資格が問われていないためか、
講座には暇を持て余した主婦などが多く参加していた。
お茶に誘われて驚いたのだが、話題といえば姑や夫の愚痴ばかりで、
カウンセラー志望というよりカウンセリングが必要な人々の集団に観えた。
しかも内容のわりに受講料が高いと思った。
協会の認定証を得るためには200万かかるが、
それでカウンセリングができるわけではない。
心理学を専攻した先生方の助手がせいぜいだということだった。
ということは、資格商法の一環かもしれないと疑ったものだ。

財団法人や、社団法人を名乗る怪しい組織は多い。
労働省の諮問機関云々という工学技術員の認定書と同じように、
実際に講座さえ開いていれば法には触れない。
そうであれば受講資格を問わないことも腑に落ちるというものだ。

猜疑心もあってか、講座は退屈きわまりないものだった。
どの講師も無表情のままボソボソと喋る。
専門書で独学している方がましだった。
学者でも人を相手にするからにはハートが大切だろうに。
話術に創意工夫のない彼らが、
臨床で人の心を開けるだろうかとさえ思っていた。
それでも基礎講座だけは消化しようと、半年ほどは真面目に通った。
だが、ユングやフロイトなどの心理分析を優先させ、
悩める者に対する愛や、思いやりの精神が語られことは一度もなかった。

私はよく自問自答したものだ。
よほどの精神病でない限り、精神分析など必要だろうか。
相手の言い分に耳を傾けるだけで、たいていの人は元気になれる。
その手法は、ただ無条件に愛すること。
耳を傾けている間中、愛の波動を送り、
相手の言い分を全面的に肯定することだろう。
心理分析のための絵を書かせることではないはずだと。
結局、カウンセリングの講座は基礎コースを修了して辞めた。

『病は気から』と言われるように、
多くの人はストレスからさまざまな病気にかかる。
うつ病や、パニック障害、適応障害などは精神科の手に委ねられるが、
同じようにストレスが原因と言われる胃潰瘍や円形性脱毛症、不眠、
食欲不振、便秘、めまい、吹き出もの、腰痛、石灰沈着性肩関節痛などは
内科の診療対象となる。
注射や薬剤でコントロールできる場合が多いからだ。

これらの病気にかかる人は、誠実で責任感の強い努力家が多い。
自制心が強く、何事も堪えてしまうからだ。
そんなタイプの人は静寂の中での瞑想するのが効果的だ。
他人に依存せず、自身の治る力を活用できる前向きの人が多いからだ。

私は施術家になる前から、その重要性を学び続けていた。
ただ、人々の役に立ちたくても資格がなければ身体に触れることはできない。
かといって会話だけだと新興宗教のようなイメージが付きまとってしまう。
私は単純に、そんな理由で鍼灸師の資格を得たようなものだ。
だから施術はするが、ストレス対策に最善を尽くす。
患者自身が方法を覚えれば、薬や心理分析に頼らなくても
多くの病気は治るからだ。 

サロンでの勉強会は週に1度で、修行中の鍼灸師2人と、
その仲間の合計3人に実技を教えた。
五十肩や、寝違いに即効性のある頚椎テクニックを教えると、
実際に具合の悪い患者を連れてきて実践となった。
またストレスからうつ状態になった小児科の女医には
誘導瞑想の個人プログラムを組んで対応した。

「俊子さん、すごいですねぇ。
病院なんか行かなくても、本当にちょっとしたことで良くなるんだぁ。
精神的なことも凄いですよね。
あの女医さん、俊子さんと話したら笑顔ですもん」

臨床を見学していた良子が言った。

「そうや。基本的な技術は必要やけど、あとは愛。
『わたしを通して、この人を癒してください!』って、
おまじないかけるんやけどなぁ。
どぉ?何週間か見学して、学校のことも含めて考えてみた」

勉強会を思いついたのは、良子のためでもあった。

「3年ですよね。考えたんですけど……。
無理です。飛べなくなる」

「飛ぶって?」

「2年ほど前から、カイトで飛んでるんです。
やっと面白くなってきて。今度の土、日も行くんですけど」

「へぇ!空飛んでるんだぁ。そりゃあ楽しいだろうね。
ひょっとして好きな人でもいて一緒に飛んでるとか……。
違う?」

「わかりますかぁ。啓子さんには内緒なんですけど、
実はカイトの仲間だった人とつき合ってるんです。
なんでわかったんですか?」

「だって良子ちゃん幸せそうだもん。
人間、暗中模索してたら深刻な顔してるよ。
苛立ちや焦燥感も表面化するはず。
けど良子ちゃんって急きも慌てもしてないもんなぁ。
お母さんの要求には全面的に従うし。
いかにも事務的だけど、なんかこう、
今だけやり過ごせばいいって感じの割り切りしてるやんか。
それに、私が容赦なく両親の悪口言っても、
良子ちゃんって客観視してるもん。
心ここにあらずって感じ。
それって、良子ちゃんの心を支配している別の存在がある。
または結婚を意識してるってことじゃないかなぁ」

「さすが俊子さん。するどい❢」

頬を紅潮させながら良子が言った。

「となると、近い将来、結婚もあるってこと?」

「1、2年先になると思います。もう26歳ですし。
30歳までには結婚したいと思ってて。
その人、奈良の人なんですよ。
彼の仕事が終わってから逢ってたら帰りが遅くなるでしょう。
だから週末を利用して2泊3日くらいで飛びに行くんです。
それだと両親にも怪しまれないし。この前も……」

良子が珍しく聞きもしないことを喋りはじめた。
親密になった状況や、その魅力を饒舌に語る良子は幸せそうだった。
もう誰にも止められるものではない。
聞き上手を装いながら、私は意欲を削がれていった。

「そっかぁ、その人のこと大好きなんやなぁ。
1、2年先に結婚するとして、まさか奈良から通ってサロンやれんわなぁ」

「そうなんですよねぇ。彼氏とのこと、こんなに急展開するって思わなくて」

良子が申し訳なさそうに言った。

結論が出たと感じた。
問題は良子がどのタイミングで両親に打ち明けるかである。
ああ、なんてことだ。娘も母親と同じではないか。
理想はあっても努力を嫌う。
結局のところ、金の力で娘の能力を潰したようなものだ。
どうしよう。
残された日々に、私は何をすべきなんだろう。


            次回投稿は5/1『26 希望と影』に続きます。

24 転機

自叙伝『囁きに耳をすませて』
04 /01 2021
赤富士 ②


第三章 “わたし”を生きる


24 転機


邦夫は風景を撮るアマチュアカメラマンだ。
なかでも富士山や白川郷が好きで、
週休2日になった私を撮影に誘ってくれるようになった。

二十曲峠からの富士山は端麗だ。
しかも水場やトイレがあり、撮影の待機場所として人気のスポットである。
もっとも、シャッターチャンスに恵まれるか否かは天気しだいだ。
観光客目線とは違い、快晴の富士山はカメラマンたちに敬遠される。
誰もが知っている形を撮るだけでは能がないからだ。
富士山は背景となる個性的な雲があってこそ美しい。
雲の姿によってオリジナリティが際立つというわけだ。
多過ぎず、少な過ぎず、富士山には雲が欲しい。
たなびくような薄雲が背景にあれば見事な朝焼けが撮れるし、
手前にあれば富士山の立体感が増す。
欲をいえば山頂に笠雲や吊し雲がかかって欲しいのだ。

2日目の朝、富士山頂は雲に覆われていた。
そんなときはカメラマン同士で世間話をしながら
気象の変化を待つしかない。
よほどの曇天でなければ雲は変化するし、
上昇気流の加減で笠雲や吊るしになる可能性もあるからだ。

撮りためた自慢の写真を見せ合う者。
車内の造作ノウハウを伝授する者など、
待機中の交流は情報収集の絶好の機会でもある。

アマチュアカメラマンの大半は、
何日も車で寝起きしながらシャッターチャンスを待つ。
寝袋や鍋窯、インスタントや、レトルト食品などを持参して自炊するのだ。
どの車も限られた空間の効率的な収納は創意工夫に充ちている。
まずは寝床を確保し、その下に引き出し式の
収納スペースを造っている者が圧倒的だ。
羨ましいことにワンボックスカーの屋根にソーラーを取り付け、
炊飯はもとよりテレビやパソコンを楽しむ者もいる。
移動式個室で撮影三昧の晩年を楽しむというわけだ。

「いろいろ見せてもらったけど、皆さんすごいねぇ!
邦夫ちゃんも未来的には同類になりたいって思ってんの?」

「まぁ、定年退職したらな。キャンピングカーは無理にしても、
ワンボックスカーに買い替えて改造しよう思てんねん。
まずは北海道やな。
1ケ月くらい放浪したらいい写真撮れると思うでぇ。
一緒に行くか」

邦夫が夢見るように言った。

「そりゃあ、一緒に行きたいよ。けど、1ヶ月なんて無理。
遊んでられる身じゃないし。車で寝るなんて1週間が限度。
夏は密室で暑いし窓開けたら蚊だらけやし。
冬なんか外で自炊ってのも寒くて辛いやん。
ボトルの水は凍ってるし、それ溶かしてお湯わかさなあかんし。
そりゃあ年に何回かくらいならサバイバルも楽しいよ。
けど、邦夫ちゃんと車中泊してつくづく思った。
今まではあたりまえって思ってたけど、
蛇口ひねったらお湯の出る暮らしのありがたいこと。
それに手足が伸ばせない寝袋はしんどい。
ちゃんとしたベッドが恋しくなるし……」

「へぇ。俺なんかどこでも寝れるし、何日でも平気やけどなぁ」

いびきの豪快さから、仲間から『ライオン丸』と呼ばれる
邦夫らしい反応だった。

「ほんま、邦夫ちゃんの寝つきの速さには驚くわ。
あいづち打ってたのに1分後には爆睡やもんねぇ。
交感神経と副交感神経のバトンタッチが瞬時の人なんて珍しい。
ほんま、生理学の理屈ってなんやねんって思うわ。
まっ、特技といえば特技かも」

「だから身体がもつんや。
運転してても眠くなったら側道に停めて
10分寝たらシャキッとするもんなぁ」

「羨ましい。私なんか寝る前には儀式のような時間が必要やよ。
まずはスタンドの明りで活字を読む。
小1時間ほどで眠気もよおしても、
真っ暗にしないと寝つかれへんもんねぇ。
だから邦夫ちゃんと車中泊する初日はほとんど眠れない。
さすがに疲れて2日目には熟睡できるけど」

たわいもない会話を楽しみながら帰路についた。
高速道路を利用しても大阪までは6、7時間かかる。
願っていた白昼のデートとして、最適の時間と空間を
与えられたようなものだ。
おかげで息子のことや会社の状況、
時々の心情まで吐露することができて心が癒されていった。
ハンドルを握る邦夫の横顔を見つめながら何度思ったことだろう。
参ったなぁ。やっぱり大好きだと……。


「そんなこんなで、会社も過渡期って感じ……」

「ふ~ん。俺が知ってる限りでもな。
急成長した会社が失敗するのは異業種への投資やでぇ。
堅実にやってたらいいのに、なんでやろなぁ……」

「ほんま。通販業者がいきなり宇宙戦艦ヤマトだもんねぇ。
支店長の動きも変だし、そろそろ潮時かなぁ」

「辞めるんか?」

「まぁ、時期を見て。
というのも、サロンやってくれないかって話が浮上してて。
臨床の腕を磨くには絶好のチャンスかもとは思てんねん。
オーナーは知人でね、内輪のもめごとまで知ってる関係で
善し悪しなんだけど。
会社に問題が発生した直後の話だけにね。
何者かに道を示されてんのかなぁと思うわけよ。
家賃の高い大阪で開業なんか無理やし、
まずは試験的に舞台を与えられたのかも……」

「ふ~ん。まぁ、お前の思うようにしい」

いつもの反応だが、容認するように邦夫が言った。

邦夫はほとんど自己主張をしない。
つきあった男では初めてのタイプで、
事後報告で終わらせる者にとっては心地良い存在だ。


邦夫は昭和17年生まれの末っ子で、
しっかり者の姉たちに可愛がられて育った。
父親が軍専属の大工だったことから、
戦時中でも食料に事欠くことはなかったそうだ。
電車で釣り場に通うこともだが、小学生の趣味に
父親が定期券を買い与えたという話には驚かされたものだ。
何不自由なく愛されて育った邦夫は、穏やかで寛大な男になった。
反骨精神に育てられたような私にすれば、
羨ましい性格に思えたものだ。

もっとも、性格の善し悪しは表裏関係だろう。
穏やかな邦夫の美点も、裏返すと呑気で無神経だとも感じる。
人生の岐路で悩んでいるときなどは、頼り甲斐のない愛人なのだ。
逢瀬の約束はしないし、誕生日も覚えていない。
国家試験に合格したり新居を構えても、
ただ言葉で祝ってくれるだけだ。
与えられて育った者は与える喜びを知らないのかもしれない。

とはいえ、短所は長所でもある。
邦夫は些細なことで怒ったりしないし、
人を誹謗中傷することもない。
呑気で無責任に思える言動も無邪気さゆえだし、
自分本位の生き方も悪いとは言えない。
欲しい物を手に入れ、好きな趣味に没頭すれば
ストレスも生じないからだ。
世の中、そんなふうに生きられない人が多い。
その結果、さまざまな病気を発症するわけで、
見方によっては正直で健全な男なのだ。

愚かなことに慢性的なストレスを抱えていた頃の私は、
そんなふうに思えなかった。
邦夫には端から備わっていないもの。
折々のプレゼントや、心情を察知してくれる言葉を求めて
イライラを募らせていたのだ。

そんなとき、ある書物の一節に出会った。
求めさえすれば、宇宙は必要なときに必要なものを与えてくれる。

『悟りとは、結果を放棄することである。
決して情熱を放棄することではない。
愛情関係が失敗するとき、
その原因はそもそも間違った理由で関係を結んだことにある。
ほとんどの人は、相手との関係で何を得られるだろうかと考えて関係を結ぶ。
人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、
本当の自分は何者であるかを決定し、分かち合う相手を持つことであって、
相手のどんな完全な部分を把握し、
つかまえておきたいかを決めることではない……』


思わず涙があふれた。
つまるところ、自分を愛せるのは自分しかいない。
相手に備わっていないものを期待して不満を募らせるより、
自らを慈しんで育て、成長した自分を
さらに愛そうと心を定めた一節である。

人は、人間関係において自分がどんな人間かを知る。
意気投合して仲良くなったとしても、
少しずつ違いが見えてくるものだ。
その違いによって本当の自分が解る。
だが人の愚かさは、その違いを認めずに批評判断、
あるいは攻撃してしまうことだ。
私たちは、その違いを分かち合える関係だろうか。
それができれば単なる男女を超えて愛し合える。

本当の自分は何者なのか。
その未来像について何日も考え、サロンの仕事を受けることにした。
臨床経験として2、3年施術して、
それを良子に引き継がせて田舎暮らしをしよう。
場所は和歌山あたりの田舎。
静寂な場所がいい。
そこでヒーリング鍼灸を生業として生きる。
野菜を育て草花を愛でよう。
癒しを求める者の隠れ家を創ろう。
精神世界を求める者の杖となりたいのだ。

邦夫のことはどうする。
カルマを清算し、新たな因果を発生させない生き方とは? 
いや、よそう。力まなくても男女の情愛は冷める。
当分、成り行きにまかせればいい。
カルマは万人が背負うもの。
邦夫の妻だってそうだろう。
浮気を繰り返す夫を持つこと自体、彼女にも課題はあるはず。
専業主婦にも関わらず家族が楽しみにするような夕食も作らず、
女の存在には目をつむり、亭主元気で留守がいいという
妥協に富んだ女性である。
それがどんな結果をもたらすか。
何かを学ぶ必要があったに違いないのだから……。
 


帰宅後、博多支店の太田と長電話することが増えた。
経営母体の資金繰りが悪化の一途を辿っていたのだ。
憤慨した様子でかかってくることもあれば、
私と話すことで活路を探っているように感じることもあった。
そんなとき、私は自立を促すような話をした。

電話セールスのノウハウを習得した太田だ。
あとはリストを提供してくれる業者とタイアップすれば
難しいことではない。
そう思っていた矢先、太田の方から社長に、
営業所の閉鎖を提案したという報告があった。

「さすが支店長、いいとこありますね。
ええ格好しいの社長は自分で言えないでしょうから。
それで?……決定ですか」

「躊躇はしてましたが、ホッとしたんじゃないですか。
ですが、大阪営業所に関しては維持するみたいですよ。
一号店だし、いろいろと未練があるんじゃないかなぁ」

太田が、社長の心中を察するように言った。

「ふ~ん……。
けど、これを機に私は辞めますよ。
消費者センターの恐いオバちゃんに叱られることもしばしば。
諍いの絶えない営業員たちを束ねるってのも正直、疲れました。
そんな彼女たちを叱咤激励し、縁の下の力持ちに徹して増益しても、
本社では経営方針が真反対のヘッドが二つ。
湯水のようにお金を使うわけですよね。
実は戦艦ヤマトの投資話を聞いたときから潮時だと感じてて。
そろそろ鍼灸の臨床に力を注ぎたいと思うんですよね」

初めて本音を吐露した。 

「ですか……。
なんか所長やけに落ち着いてるし。
そうじゃないかなぁとは思ってました。
そのこと、社長、まだ知らないですよね」

「もちろんです。支店長を通した方がいいでしょう。
けど、免許を取った時点で予測はしてたと思いますよ。
3年前、私を留まらせるために好条件で社長を説得したのも支店長でしょう?
社長は優しい人ですがプライドが高いから、
支店長ほどの情熱で私をひきとめたりはしないですよ。
ところで、支店長はどうされるんですか。
ひょっとして袴田社長と組んで商売とか?」

袴田は、太田と意気投合している通販業者だ。
薄利多売方式で日用雑貨の通販業を生業としている正直者である。

「なんのこっちゃ、読まれてますね。
僕も所長と同じですよ。
社長はいいとして、どうも専務は理解できまへん。
大きくするための組織づくりを提案する私なんかは嫌われてましてね。
好き勝手にやりたいんでしょう。
まぁ辞めても、社長とは商売を通じて接触するつもりですが」

愛嬌者の太田が、大阪弁を織り交ぜながら言った。
それが出るようなら大丈夫だ。

私としても太田は自立すべきだと思っていた。
働き者で好感のもてる男なのだが、経費と称して金遣いが荒い。
業者はもとより営業員や社員たちとでも一流ホテルや料亭で会食するし
飲み会の頻度や二次会、三次会が多過ぎる。
事務員からの情報によると、ガソリン代の請求も度を越しているらしい。
シティバンク時代のサラリーマン根性が抜けきれないのだ。

社長は時折、私を通して太田の動向を詮索する。
実力は買っているのだが経費の多さに愚痴めくことさえあった。
要するに、稼ぎ頭ではあるが使い方も尋常ではないということだ。

そんな意味で、社長が大阪営業所を存続させたいという気持ちは理解できる。
売り上げは博多方面の総合計に敵わないが、年に1回の慰安旅行と、
目標を達成したときの宴会以外の支出はゼロに近い。
私自身が経営者の立場で利益率を追求したからだ。

「いいんじゃないですか。
袴田社長とゲリラ販売するってのも支店長らしい。
うちの社長だって支店長の良さはよ~く解ってますよ。
ただ、やり手の支店長を警戒している部分があるかも。
そんなところを専務が突くんじゃないですか。
だから、業者として対等に交流した方が
いい関係になれるかもしれませんね」

太田の能力を持ちあげて自立を促した。
オーナーになった方が太田自身の成長に繋がると確信していたからだ。

あしかけ10年の営業と3年の管理職を経て、
1999年の6月に離職した。
大阪営業所は細々とでも継続することになったが、
営業員の動向や、後の管理体制など知りたいとは思わなかった。

        

          次回投稿は4/15『25 なりゆき』に続きます。

風子

1952年、愛媛県生まれ。
子供時代は予知夢をみるような、ちょっと変わった子供。

40歳の頃、神秘体験をきっかけに精神世界を放浪。
それまでの人生観、価値観、死生感などが一新する。
結果、猛烈営業マンから一転、43歳で鍼灸師に転向。
予防医学的な鍼灸施術と、カウンセリングに打ち込む。

2001年 アマチュアカメラマンの夫と、信州の小川村に移住。晴耕雨読の日々を夢見るが、過疎化の村の医療事情を知り、送迎つきの鍼灸院を営むことに。

2004年 NHKテレビ「達人に学ぶ田舎暮らし心得」取材。

2006年 名古屋テレビ「あこがれの田舎暮らし」取材。

2006年 信越テレビ「すばらしき夫婦」取材。
      
2008年 テレビ信州「鹿島ダイヤモンド槍を追え」取材。

2012年 12年の田舎暮らしにピリオドを打ち大阪に戻る。