稲敷散歩(9)-水辺の街(江戸崎) まほらにふく風に乗って
FC2ブログ

稲敷散歩(9)-水辺の街(江戸崎)

 江戸崎町(現稲敷市)は古代から中世、江戸、明治などにそれぞれ独特の文化が花開いた場所だと思う。

このように書くと、今の江戸崎を知っているだけの人はきっと不思議に思われるかもしれない。
私もつい最近までこの街をまともに見てこなかった。

古代縄文時代には霞ヶ浦(流海)による豊富な魚介類、製塩などで豊かな暮らしがあった。
律令制に入ると、そこには新たな人たちがやってきて支配した。
付近一帯は大きな入江のように静かな湖面(海面:昔は霞ヶ浦は海)が広がっていた。

古渡(ふっと)なんて珍しい地名にも首をフットフットと狩って付いたなどという話が残され、その本来の意味する縄文語(多分?)もちがった意味になっていった(個人的な想像です)。

この場所が下総国と常陸国の境をなす場所であって、物部氏の残した足跡などがそこらじゅうに散らばっている。

また平将門の孫が住み、相馬氏となったなどという話も伝わる。
戦国末期には芦名氏(佐竹氏の次男)が入り、天海僧正にまつわる話も多い。

霞ヶ浦水運により醤油産業が発達し、大豆問屋などで大きくなった問屋も多いようだ。
じっくり掘り起こせばいろいろなものがきっと出てくるに違いない。

この場所を知らない人も多いのだから、水辺の町の景色も紹介しましょう。

taishoubasi01.jpg

江戸崎市街地はすぐ小野川の分流川(正式には沼里川)に接しています。

taishoubasi02.jpg

右側の青い橋が「大正橋」で、その川の向こう側が旧市街地に当たります。

taishoubasi03.jpg

上の写真から見る角度をそのまま左に振ったところです。 
写真に見える古めかしい建物は「稲敷市役所」です。

taishoubasi04.jpg

きっとこのあたりは大昔(1000年以上前)に「榎の浦」と呼ばれた場所なのでしょう。
もっともっと大きな水面が一面に広がっていたと思われます。
写真は「江戸崎総合運動公園」側から稲敷市役所側を見ています。

この運動公園内に江戸崎八景の一つ「高田の落雁」(高田の落雁芳洲を渡る)の碑があるとありましたが気が付きませんでした。この景色に近いのでしょう。

また、市役所の敷地内にも八景の碑「浜河岸の帰帆」(浜河岸(はまがし)の帰帆高楼に映ず)というのがあるそうです。
この大正橋あたりのことを詠んだものでしょう。
霞ヶ浦の水運が発達していた時には川岸がこの橋の近辺にあって賑わったのでしょう。

takadabasi01.jpg

市街地から大正橋を渡って東に来ると小野川の本流があり、「高田橋」という橋があります。
この橋から眺めた小野川もゆったりと流れています。

上の写真は高田橋側より霞ヶ浦方面を見ています。
古渡(ふっと)を経由して霞ヶ浦に注ぎます。

takadabasi02.jpg

こちらは少し下流から川の上流側を見たところです。この橋が「高田橋」です。

edosakimap.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

ネットショップ「ふるさと風Shop」
稲敷散歩(江戸崎周辺) | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/07/02 19:24
コメント

管理者のみに表示