大門河岸
潮来のアヤメ園に昨年はアヤメ園入口近くの有料駐車場に車を停めましたが、今年は寄り道程度なので街中の長勝寺の方から真っ直ぐ歩いて前川に向かいました。

長勝寺山門から街中の旧道(5号線)をわたってそのまま脇道を進みます。
なかなか趣のある通りです。

このような蔵も古いものでしょうか?
きっとこの辺りも昔は潮来の港の問屋などがあったのでしょうか。

ここにも地蔵さんがおられるようです。
河岸などの近くにあるのは昔からいろいろな信仰もあったのでしょう。

前川の少し手前に小さな公園がありました。
テントを張って何かイベントをやる予定のようでしたが、雨でまだ準備も迷っているようです。


「大門河岸公園」となっています。

そしてアヤメ園のところにやってきました。
この橋はアヤメ園の中心にある「思案橋」だと思いますが、「此のあたり 旧跡大門がし」と石碑が立っています。

そして橋のたもとに「大門河岸跡」とあります。

橋の下から向こう側のアヤメ園を見ました。
大門河岸はこのあたりでは少し川が深くなっているようで潮来の中心の河岸だったようです。

前川の川岸には多くの河岸があったようです。
ここが大門で一番下流側でここからすぐに常陸利根川に出ます。
前にこの上流の「辻」辺りにあった上米河岸跡を紹介しました。(記事はこちら)
そしてこの上米河岸から大門河岸の間に津軽藩の津軽河岸、仙台伊達藩の仙台河岸などもすこしの間隔で並んでいたという。
東北地方から江戸に荷物を運ぶ時に水戸の那珂川から涸沼に入り、涸沼から鉾田まで陸送し、再び舟で北浦を通ってこの潮来に運んでいました。
そしてここで少し大きな船に積み替えていたようです。
そのためこのあたりは、多くの商人たちも行き来して賑やかだったようです。
もちろん潮来といえば昔は花街としてもにぎわったのでしょう。
いろいろな人間模様がそこにはあったのでしょうね。


長勝寺山門から街中の旧道(5号線)をわたってそのまま脇道を進みます。
なかなか趣のある通りです。

このような蔵も古いものでしょうか?
きっとこの辺りも昔は潮来の港の問屋などがあったのでしょうか。

ここにも地蔵さんがおられるようです。
河岸などの近くにあるのは昔からいろいろな信仰もあったのでしょう。

前川の少し手前に小さな公園がありました。
テントを張って何かイベントをやる予定のようでしたが、雨でまだ準備も迷っているようです。


「大門河岸公園」となっています。

そしてアヤメ園のところにやってきました。
この橋はアヤメ園の中心にある「思案橋」だと思いますが、「此のあたり 旧跡大門がし」と石碑が立っています。

そして橋のたもとに「大門河岸跡」とあります。

橋の下から向こう側のアヤメ園を見ました。
大門河岸はこのあたりでは少し川が深くなっているようで潮来の中心の河岸だったようです。

前川の川岸には多くの河岸があったようです。
ここが大門で一番下流側でここからすぐに常陸利根川に出ます。
前にこの上流の「辻」辺りにあった上米河岸跡を紹介しました。(記事はこちら)
そしてこの上米河岸から大門河岸の間に津軽藩の津軽河岸、仙台伊達藩の仙台河岸などもすこしの間隔で並んでいたという。
東北地方から江戸に荷物を運ぶ時に水戸の那珂川から涸沼に入り、涸沼から鉾田まで陸送し、再び舟で北浦を通ってこの潮来に運んでいました。
そしてここで少し大きな船に積み替えていたようです。
そのためこのあたりは、多くの商人たちも行き来して賑やかだったようです。
もちろん潮来といえば昔は花街としてもにぎわったのでしょう。
いろいろな人間模様がそこにはあったのでしょうね。

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