潮来と延方(6)-鹿嶋吉田神社1
潮来という地区のイメージはやはり水郷やアヤメがすぐに浮かんでくる。
一昔前なら「潮来笠」や「潮来花嫁さん」などといういう歌が思い浮かんだが、それもはるか遠い昔の気がする。
今回ブログの地域紹介のタイトルを「潮来と延方」(いたことのぶかた)としたのは、この水郷のイメージとは少し異なる潮来周辺のイメージを持ったためである。
そのきっかけとなったのが「延方郷校」であった。
少し内容を知りたいと思って延方(のぶかた)と検索すると、たくさん「延方相撲」という言葉が出てきた。
確かにこれは聞いたことがある。
今日紹介するのはこの延方相撲が行なわれている「鹿嶋吉田神社」である。

先日紹介した旧延方村役場(現公民館)の前の通りに一の鳥居があり、そこから長い参道がずーと続いている。

参道の両脇には桜の並木が続く。

訪れたのは桜が大分散り始めた時。

この桜並木をしばらく進むと電車のガードをくぐり、二の鳥居が見える。

こちらの鳥居の横に「鹿嶋吉田神社」と書かれた石柱がある。

そして「県指定 民俗文化財 延方相撲」と書かれた看板が立っている。

そしてこの桜並木説明文があった。
「ふるさと創生 桜並木」の字は時の内閣総理大臣「竹下登」だ。
この桜並木の説明も色々感じる物がある。
この神社の歴史は少し後から書くとして、江戸時代には桜ではなく松並木があったようだ。
それを日露戦争の時に供出するために伐採されたという。
1904年のことですね。
そして桜が植えられて桜並木もできていたが馬場となり、次第に荒廃してこの桜もすべてなくなってしまった。
それを「ふるさと創生」で昔の桜並木を復活させようとし、今のこの並木ができたということのようだ。
この碑が建てられたのは昭和63年(1988)。それから今年で27年である。
桜は20年も立つとかなり立派な並木になる。
東北の復興なども20年ほどで立派な花見もできるようになるのだと思う。

参道わきには農村公園というアスレチックなどの遊具がある公園がある。
神社についてはもう少し調べたいこともあるので明日また書きます。
一昔前なら「潮来笠」や「潮来花嫁さん」などといういう歌が思い浮かんだが、それもはるか遠い昔の気がする。
今回ブログの地域紹介のタイトルを「潮来と延方」(いたことのぶかた)としたのは、この水郷のイメージとは少し異なる潮来周辺のイメージを持ったためである。
そのきっかけとなったのが「延方郷校」であった。
少し内容を知りたいと思って延方(のぶかた)と検索すると、たくさん「延方相撲」という言葉が出てきた。
確かにこれは聞いたことがある。
今日紹介するのはこの延方相撲が行なわれている「鹿嶋吉田神社」である。

先日紹介した旧延方村役場(現公民館)の前の通りに一の鳥居があり、そこから長い参道がずーと続いている。

参道の両脇には桜の並木が続く。

訪れたのは桜が大分散り始めた時。

この桜並木をしばらく進むと電車のガードをくぐり、二の鳥居が見える。

こちらの鳥居の横に「鹿嶋吉田神社」と書かれた石柱がある。

そして「県指定 民俗文化財 延方相撲」と書かれた看板が立っている。

そしてこの桜並木説明文があった。
「ふるさと創生 桜並木」の字は時の内閣総理大臣「竹下登」だ。
この桜並木の説明も色々感じる物がある。
この神社の歴史は少し後から書くとして、江戸時代には桜ではなく松並木があったようだ。
それを日露戦争の時に供出するために伐採されたという。
1904年のことですね。
そして桜が植えられて桜並木もできていたが馬場となり、次第に荒廃してこの桜もすべてなくなってしまった。
それを「ふるさと創生」で昔の桜並木を復活させようとし、今のこの並木ができたということのようだ。
この碑が建てられたのは昭和63年(1988)。それから今年で27年である。
桜は20年も立つとかなり立派な並木になる。
東北の復興なども20年ほどで立派な花見もできるようになるのだと思う。

参道わきには農村公園というアスレチックなどの遊具がある公園がある。
神社についてはもう少し調べたいこともあるので明日また書きます。
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