潮来と延方(2)-硯宮神社 まほらにふく風に乗って
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潮来と延方(2)-硯宮神社

 昨日紹介した二十三夜尊堂の隣りに「硯宮(すずりのみや)神社」があります。
国道51号線を鹿島方面に向かい、潮来市役所を少し過ぎたところに「辻」という信号があり、そこを南に入って突き当った旧道沿いです。

この硯(すずり)の名前は源頼朝が戦勝祈願の為に鹿島神宮に参拝した時にこの地で祈願文を書いたとされ、この時に使った硯をこの神社に奉納したという言い伝えが残されており、それを知った水戸光圀が「硯宮神社」と命名したという。
元々は今宮八幡宮と言われたそうだ。

この潮来(いたこ)の名前も元々「板久」であったのを潮来に変更したのも光圀だといわれている。
このあたりは一体は水戸南領といわれた水戸藩の敷地で、黄門さんの領地でもあった。

水戸南領は玉造周辺一帯もそうであったが、潮来との間には麻生藩があった。

水戸南領を取りまとめていたのは大山守であったようで、玉造の大塲家(おおばけ)が代々水戸藩大山守をつとめていた。
しかし潮来にきて牛堀の治水事業で知られる須田誠太郎氏の須田家もつとめていたような記述を見かけた。

大山守が良くわからず調べて見たがどうやらこの地方の20ヶ村以上にあった水戸藩の御立山(御留山)を管理するのが主の役目で、そのうち名主などを束ねて税の取り立てなどを行なっていたようだ。


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神社の入口には「茨城百景水郷潮来硯宮神社」の碑が置かれています。

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社殿は昭和54年(1979)に火災で焼失し、昭和56年に再建されたもの。

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硯宮神社の裏手には「愛友酒造」という酒蔵所がありました。
創業文化元年(1804)というのでかなり古い。
無料で酒造見学なども年中やってくれるようですので潮来あやめ見物のついでにでも立ち寄って見るのもよさそうです。
(見学前には一度電話で確認して見る必要はあるかもしれません)

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この硯宮神社の隣りが昨日紹介した二十三夜尊でその隣りの空地に「津知村役場跡」と書かれた碑が建てられていました。
この津知村(つじむら)は明治22年から昭和30年まで存在しました。
明治22年前は「辻村」があったようです。この近くの国道51号線の信号名は「辻」です。
明治22年に辻村・築地村が合併して「津知村」となったそうですが、この名前を検索すると神戸市芦屋に同じ津知村というのがあり、やはり辻村とも書いていたようなので名前の関連性がありそうです。

さらに調べて見ると芦屋の津知(つぢ・辻)の名前は交通上の交差点である「辻」がその名前の由来で、西国街道と浜へ向かう道の交わるところにだという。

恐らく潮来の「辻」も鹿島~玉造~石岡(常陸府中)を結ぶ街道から潮来の浜への分かれ道なのだろうと思う。
潮来のあやめ園に続く前川が近くを流れている。

硯宮神社のすぐ北側に地図に「鬼子母尊神社」という名前があったので寄ってみました。

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通りから少し入ったところにありました。
由来やいきさつはわかりません。
雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)が有名ですが、安産・子育てとして昔から信仰されてきたのでしょう。

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潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/25 20:18
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