潮来と延方(1)-二十三夜尊と延方郷校孔子堂 まほらにふく風に乗って
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潮来と延方(1)-二十三夜尊と延方郷校孔子堂

 潮来から鹿島神宮に向かう途中、北浦の手前に「延方(のぶかた)」という場所がある。
前から気になっていた名前だが、先日、吉田松陰が潮来-牛堀から銚子に行ったことを調べていた時に、この潮来の地で「宮本茶村」という名前を見つけた。

茶村は潮来村の名主であったが儒学者として名が知られているようだ。

松陰も鹿島から潮来経由で銚子に行った時にこの茶村や津宮(香取神宮の入口にある)の久保木清淵を訪ねているようだ。

この宮本茶村も津宮(つのみや)の久保木清淵(竹窓)もこの延方にあった水戸藩の郷校で教えていたという。

そこで延方にあった郷校とはどんなところか知りたくなった。

まずは今でもその建物が一部残されているというので潮来の街中にある「二十三夜尊」に行って見た。

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石岡にも二十三夜尊があるのでそれほど不思議にも思わないが、あまり他所にこのようなものは残っていない。

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上の写真が二十三夜尊堂といわれる旧延方郷校の聖堂で孔子の教えを説いていたので「孔子聖堂」という。

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茨城県教育委員会の説明によると、「この堂宇は、茨城県における学校の始祖としてその偉容を誇った旧延方郷校の聖堂で、1807年(文化4)に水戸藩主徳川斉昭公が延方内田山に自ら篆書した「至聖先師孔子神位」の木碑を祀った建物であったが、1872年(明治5)廃校に伴い、1878年(明治11)現在地に移建されたものである」という。

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石岡の二十三夜尊の本尊は「勢至菩薩」であるというが、ここの二十三夜尊は「月読尊」だという。
この違いがわからないのでネット検索した。

(真夜中に出る二十三夜の月の出を待つ)二十三夜講での信仰対象は、仏教では勢至菩薩を、神道では月読尊を祀ったということのようです。

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さて、この二十三夜尊がここでは安産・子育てにご利益があるとして祀られているのですが、これについては

「神社としての創建は貞享2年(1685)、月読命の分霊を勧請したのが始まりとされ、古くから神仏習合し月読命の本地である勢至菩薩が同時に信仰されました。勢至菩薩は二十三夜講の本尊でもあり、周辺住民の講中の拠点として信仰され、特に月読命は女神で勢至菩薩は女性的な印象が強い事から安産、子育て、子授かりに御利益があるとして女性から支持されました」
という説明がありました。(茨城県:歴史・観光・見所<いば旅>:こちら

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今回のタイトルを「潮来と延方」として、この潮来から延方周辺を何回かに分けて紹介します。

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潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/24 20:26
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