長国寺(潮来) まほらにふく風に乗って
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長国寺(潮来)

 潮来の牛堀地区の旧道沿いをアヤメ園の方に少し行くと「長国寺」という曹洞宗の禅寺があります。
この長国という名前は戦国時代までこの地を治めていた行方四頭の一人島崎氏の島崎長国の名前からつけられた。

そのためここは島崎氏の菩提寺です。

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大掾氏の一族で行方地方に進出した景幹の4人の子供が行方四頭(小高氏、島崎氏、麻生氏、玉造氏)となり霞ケ浦北側と北浦の地域を鎌倉時代から長い間支配が行なわれた。

次男の島崎氏が領した土地がこのあたりにあったということのようだ。

牛掘地図

島崎氏の城はもう少し北側の山の麓で地図に書き込んだが、お札神社がある辺りだという。
しかし道もせまくあまりこのあたりに行くこともない。
機会があればいつか行って見るつもりだが・・・。

観音寺は徳一法師が建てたといわれる古刹で前に記事を書いた。(こちら

島崎氏は400年ほどこの地を領していたものと思われ、兄弟分の隣りの麻生氏などとも戦になり勝っている。
しかし最後は佐竹氏の南方三十三館の領主皆殺しで滅び去った。

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実は前に小川(小美玉市)の江戸時代の稽医館(けいいかん)という医学の研究所を紹介した時にここで本間道悦という人の紹介をしたことがあります。(こちら

そして天聖寺の墓地でこの本間家の墓と芭蕉の句碑を紹介したのですが、この本間家一世の「本間道悦」の墓がこの長国寺にあると書いたのです。

松尾芭蕉と交流のあったという本間道悦は潮来の医師で、芭蕉に「医術免許状」を書き与えたと伝えられる人物として知られ、芭蕉の鹿島紀行でも鹿島詣での帰りにこの道悦のところに宿したと思われる。(「帰路自準に宿す」と書かれている)

昔は潮来と言ってもこちらの牛堀方面にこのような著名人がいたのでしょう。

潮来ではもう一つ「延方」も気になる土地です。
この後にもう少し調べて見たいと思います。


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寺の入口山門を入って両側にたくさんの石灯篭が並んでいます。

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灯篭沿いの道を少し進んだところに戒壇石柱 『不許葷酒入山門』(文政十二年1829年建立)がおかれています。
なかなか立派なものです。

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正面に本堂があります。

大興山長国寺の本尊は聖観音。
島崎城主第13代島崎長国が文明2年(1470年)に創建したとされ、永正年間(1504~21年)に現在地に移建した。
しかし火災で伽藍は焼失し、安政2年(1855年)に再建されたという。

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樹齢約400年のイヌマキの木。

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潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/21 20:49
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