2014年12月 まほらにふく風に乗って
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陣屋門移転(2)

 新旧の陣屋門の屋根に着目して見ましょう。

下の写真の上が旧陣屋門でその下が今回の新築された陣屋門です。

何故こんなに変えてしまったのでしょうか?

jinya03.jpg
(2011.9撮影 旧陣屋門)

陣屋門02
(新陣屋門の屋根)

まず一番違いがわかるのが鬼がわらの家紋です。

今回の展示されたパンフレットによる説明を読むと、
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 陣屋門の瓦は、これまでにも何度か葺きかえられてきました。今回の改修でも、瓦は痛みが激しかったため、すべてを交換することになりました。
 一口に「瓦」といっても、いろいろな種類があります。まず、屋根の大棟両側にある鯱(しゃちほこ)は現存する最古のもの(製作年代は不明)をモデルに製作しました。担当したのは、滋賀県大津市の美濃邉鬼瓦工房代表の美濃邉恵一さん。美濃邉さんはNHKの番組「プロフェッショナル」でも紹介された一流の鬼師(鬼瓦職人)です。
もちろん、鯱の下にある鬼瓦も、美濃邉鬼瓦工房に製作をお願いしました。
 なお、今回の改修では、鬼瓦にあしらう府中松平家の家紋を「替紋」から「定紋」に改めています。
江戸時代、それぞれの家は公式に用いる「定紋」(「表紋」「本紋」「正紋などとも言う)のほか、「替紋」(「裏紋」「別紋」「副紋」「控紋」などとも言う)も用いました。
府中松平家は、定紋に「隅切角内葵巴紋」、替紋に「花葵紋」を用いており、これまでの鬼瓦には「替紋」があしらわれておりました。
 「替紋」がいつから鬼瓦に用いられていたか定かではありませんが(明治以降、破損のたびに改修が繰り返されたと思われますが、記録が残っていません)、門の顔ともいえる鬼瓦には定紋が用いられるのが一般的ですし、替紋の下から商家の紋らしきものが現れるなど、明治期以降に転用された鬼瓦と考えられたことから、今回は紋を「隅切角内葵巴紋」に改めることにしました。
 屋根全体に用いられる桟瓦、軒先の軒瓦は、石岡市内で瓦制作を行なっている桜井瓦工業が担当。桜井瓦工業の櫻井茂幸氏は、第25回技能コンクール(かわらぶき部門)で内閣総理大臣賞を受けるなど、第一線で活躍している瓦葺師です。
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どうも読んでいてスッキリしません。
紋を変更した正当性をぐだぐだと並べているが、どうも言い訳しているだけのように読める。
後から変更したことを後悔しなければ良いのだが・・・・。

陣屋門06

上の写真が今回取り外された昔の家紋です。
小石川の藩邸に対し、常陸府中の陣屋は「替紋」(裏紋)を用いたのではないかと思います。

近くにある照光寺にある松平家の墓所の家紋は定紋が使われていますが、これは小石川の松平家の墓を明治になって移したものだと聞いています。

kamon001.jpg
(照光寺の松平家墓所の家紋)

陣屋門05

陣屋門04

鯱鉾も大分スマートでした。今回少しふっくらしたようです。
大分面白い鯱鉾だと前には思っていたので、今回の変更で何処か普通の鯱鉾になってしまったと思うのは私くらいなのでしょうか。

陣屋門03

新しくしなければならないこともわかります。
今回の変更分は良く記録に残しておいてほしいと思います。

陣屋門の歴史と今回の工事のあらましが写真などのパネルとして展示されていました。

陣屋パネル01


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街中の様子 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2014/12/01 20:42

もう師走

 今日はもう12月2日です。
今、銚子の仕事先から戻りました。

夕方暗くなるのが早く寒さもしみますね。

年々1年が早く感じるように思います。

先日友達からメールが来ました。

「10歳の子供は1年は人生の10分の1ですが、50歳になると50分の1だから、今までの人生の長さに反比例して1年の長さが短くなるのです。」

と書かれていました。

確かにとても納得できる考えなのですが、本当にそれだけでしょうか・・・。

路地
(路地:右手は石岡市民プールで元の市役所のあった場所です)

1年の長さはどうも私は少し違って解釈しています。

将来に残された希望が多いか少ないかではないかと・・・
定年頃になれば、後は先が見えてしまいます。頑張ってもそれ程代わり映えしないと・・・

そうすると時間はあまり意味をなさなくなり過ぎて見れば、「一体何をしたのだろう?」となります。

また定年を数年後に控えて「後何年」などと数えていた時には1年がとても短く感じました。
でも過ぎてしまえばそれ程でもありません。

どうでしょう。みなさんも思い当たることがきっとあるでしょう。

蔦
(蔦の絡まる家屋:石岡の青屋神社入り口)

年とっても、新たな目標を持ちいろいろなことにチャレンジしていれば時間も有意義になり満足感も得られるのだと。

もう少しまだ頑張っていきたいと思います。
毎日やらなければならないことがたくさんあります。
来年またやりたいこともあります。

時間が足りない思いです。

さて、でも少しペースを落とすことも考え中です・・・・。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/02 20:17

煎餅屋仙七(真壁)

 今日は真壁町のお煎餅屋さんを紹介します。
真壁町の街中から少し離れた山側に少し入ったところにあります。

真壁には石岡市街から上曽峠を越えて30~40分ほどでいけます。
雛まつり以外はあまり多くの観光客もおりません。

今日は峠を過ぎたあたりで崖ののり面の工事をしており一部が片側通行となっていました。

煎餅01

このお煎餅屋さんは笠間の稲荷の前に店を出しており、また小山にも店があるようです。
ネットでみたら楽天市場でも販売しているようです。

煎餅02

ここでは主に濡れせんべいを買っています。
濡れせんべいというと銚子を思い浮かべますが、こちらの方が安くて美味しいです。

煎餅03

美味しそうなお煎餅が並んでいます。

煎餅04

入口にガマの置物が置かれています。筑波山に近いからでしょうか。

煎餅05

煎餅のほかに団子もあります。

煎餅06

すぐ目の前に神社(鹿島神社)があり、その向こうに筑波山が見えます。

煎餅07

揚ごまあんこ団子(100円)と焼しょうゆ団子(80円)。
美味しかったです。特に揚ごまが独特ですね。


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特産品他 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/12/03 20:31

西蓮寺の1000年銀杏

 先日銚子に行く途中で行方市西蓮寺の大銀杏を見に立ち寄った。

朝まだ9時頃だったがすでに先客のカメラマンが3~4人いた。

西蓮寺01

私は出掛ける途中であり適当にアングルを決めて数枚撮ってさっさと引き揚げてきたが、皆さん立派なカメラを持ってどう撮ろうかと考えながら写真をとっていた。

西蓮寺02

何時ももう少しじっくり考えてとればもう少し良い写真も撮れるかもしれないが・・・
私のカメラは今はオリンパスのミラーレス一眼レフでとても小さい。


西蓮寺04

これでも十分だ。
ここ西蓮寺には樹齢1000年程の大イチョウの木が2本ある。
何時も黄葉が遅い。

西蓮寺05

西蓮寺06

上の写真の右に写っているのは相輪橖(そうりんとう)で、元寇(弘安の役)の戦勝を祈念して、弘安十年(1287)に建立したものとして伝えられている。

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霞ケ浦の自然 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2014/12/04 19:58

木比提稲荷

 木比提は「きびさげ」と読む。読みにくい名前だ。

石岡の泉町から杉並へ向かう旧水戸街道の入口から東に細い道を大分入ったところにある。

この神社は今は忘れ去られたようになっているが、その昔はかなり広大な敷地を持ち大きな神社だったという。

元アルコール工場があり、現在のカスミなどのあるショッピングモールにかわった場所も元はこの稲荷神社の敷地であったとも言う。

きびさげ稲荷

赤い鳥居は各地にあるがこの白木の鳥居が特徴的だ。

きびさげ稲荷02

拝殿は昭和59年に火災で焼けて建てなおした。
まわりにはたくさんの狐像がある。

きびさげ稲荷03

境内に「金・・・円」とか「奉納杉苗1千本」だとかの石柱があちこちにあるが、ほとんどは東京の住所の方だ。
昔は東京からもたくさんの講中でにぎわったという。

きびさげ稲荷04

本殿は火災の跡がはっきりわかる。
創建年代不詳。
常陸大掾氏の祈願所と伝えられ、鬼門除けとして社殿が築かれたといわれている。

銀杏01

境内裏にある銀杏が黄葉してきれいだ。
その先の下には芝生の広場が広がる。
これは石岡市の施設で「木比提子供の遊び場」と名前がついている。
(そのまんまですね)

このお稲荷さんには「キツネの恩返し」の話が残されている。
助けてもらった狐が夢枕でお告げをがあり、小判が1枚づつ授かり、何回も続いてとうとう100枚にもなった。
この評判が広がり、ご利益にあやかろうと参拝講が出来た。

狐さんどうか私にも恵んでくださいな。宝くじでも買ってお参りすれば当たるのでしょうか?

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石岡市内 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/12/05 20:39

新神宮橋(鹿島)

 今日はこれから東京に行きます。
毎年この時期に大学に友達と集まります。

もう10年以上続いています。

そして最近は年2回になりました。
やはり歳のたつのは早いですね。

更新が夜遅くなりそうなので繋ぎの記事を先にアップさせていただきます。

鹿島橋
(サムネイルです。クリックで拡大します)

先日鹿島神宮近くに行きました。

国道51号線は鹿島へ渡る橋は2本あり、いつもだと昔の面影の残る旧橋を渡るのですが、今回は新しい方の橋を通りました。
この橋(新神宮橋)からは右(東)に旧橋(神宮橋)、左(西)に鹿島線の鉄橋が見えます。

写真は国道上で車を止めて鹿島線側を撮影しました。(前後に車がいなかったので少しの間、橋の上で停車しました。)

前に記事にした旧橋(神宮橋)はこちらを見てください → こちら


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鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/06 13:48

高速バス

 昨日は午後3時前の高速バスで東京に行きました。

この高速バスは水戸から2つのルートを通って東京まで走っていますが、ここ石岡が最後の停車場となります。
ここから先は乗る人はいません。

高速バス01

常磐高速道路上にこのようなバス停が置かれています。
多い時は1時間に6本くらい、少ない時でも1~2本は走っています。

それが鉄道に代わって便利になって結構多くの人が利用し始めました。

料金は石岡~東京間は1500円(往復で2800円)で座っていけますのでJR(普通料金1490円+特急930円)よりかなり安くなります。

普段は朝の混雑に巻き込まれますので時間的に余裕がないと大変ですが、休みの日や帰りの時は特に便利さを実感します。

今回も帰りは八重洲口ですぐ前に停まっていたバスに飛び乗って、1時間7分で石岡までやってきます。
我が家はここから歩いて帰れますので飲んだ時など特に楽ちんです。

高速バス02

今回はバスの時間が10分以上遅れました。
これは良くあるのでもう少し遅れているかの情報がほしいところですが、特に今回感じたことを書かせていただきます。

それは、バスが到着して乗り込むと、座席は片側2人がけの席もほとんどを若い女性?が占領しており、残りの半分に7~8割くらいの方が荷物を置いていて、乗ってきた人が座ってほしくないとばかり荷物をどかさずに素知らぬ顔なのです。
いったい日本人のマナーもまだここでは大昔のままなのでしょうか。

そう言えばもう50年ほど前に常磐線に乗ろうと列に並んでいた時のことです。
列車が到着すると窓から荷物を先に置いて順番などお構いないといった光景が展開されました。

今ではこんな光景は見かけなくなり、発展途上国などで見られる列への割り込みなどもほとんどなくなりました。

でもこのバスの光景は結構皆さんも思い当たる節はあるのではないでしょうか。

さて、上の写真は斜め前の座席をとったものですが、ここに座っているのは窓側に女性が1人ずつで、通路側にはそれぞれ荷物を堂々と置いています。

私の隣りは座らないで・・・他に開いている席があるのだから・・・ 聞こえてきそうです。
さて、この荷物たくさん持っていると思ったのですが、降りる間際になったらこのポリ袋の中にはお煎餅がたくさん入っていて、これを隣のリュックサックに詰めていました。
すなわちリュックサックはほとんど空で、煎餅など軽いものを後から詰めていたのです。

何だ、こんなのなら最初からリュックに詰めて網棚にでも載せればよいのにと思ったものです。

高速バス04

バスは浅草、上野経由で東京駅の日本橋口に到着です。
浅草など本当に人であふれかえっていました。
東京スカイツリーが出来て、人力車も走り屋形船もありますので今や観光客が増えたのですね。
東京駅周辺もかなり人が多かったのですが、今や浅草の方が多いくらいでした。

高速バス03

こちらは八重洲口です。新しく綺麗になりました。
帰りはバスはここから出発です。

夜は特に利用客が多く、帰りのチケットを持っているので目の前に待っていたバスに飛び乗りました。

残りの座席が2席しかなく、今度はどの席も荷物でふさいでいる所はありませんでした。
どうもその前に運転手が座席の確認をして空けるように言って回ったようです。

2つしか開いていなかったので若い男性の隣りに座りました。
すると自分の足元にキャリーバックを足が窮屈そうに置いており、「ごめんなさい、荷物が合って少し狭くなって・・・」と言ってきました。
もちろんこちらも気持ち良く座れました。お互いに気持ち良く過ごしたいものですね。


マンホール

こちらは東京駅の近くで見かけた下水のマンホールです。今まで気がつかなかったのか?初めてみた気がします。

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近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/12/07 13:09

日本橋さくら通り

 東京駅周辺はイルミネーションがきれいですね。

今まで銀座方面は何度か通っていますが、今回は日本橋近辺を歩いてみました。

さくら道01

八重洲から高島屋へ向かう道には両側に桜の木が植えられ、「さくら通り」と命名されていました。

さくら道02

そしてその桜の木にLEDのイルミネーションが輝いていました。
なかなかきれいです。

高島屋02

そして高島屋はクリスマス商戦の装いです。

高島屋03

ちょっと周辺を回っただけですが何処もきれいですね。

イルミ01


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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/08 19:15

十割蕎麦処「伊豆屋」

 石岡の先日紹介した木比提稲荷神社のすぐ近くに十割蕎麦の名店がある。
食べログで人気のお店だというので入って見た。

伊豆屋01

狭い道を入った奥でこんなところによ言った場所だが、店の前は広く開いており車はたくさん停められる。
店構えは比較的シンプルで、この旗が無ければお蕎麦屋さんとは思われない。

伊豆屋02

お店に入ると大将が一人。
平日で昼時より少し早かったので他の客はなし。
座敷に上がって片隅の席に座り壁を見ると色々な絵が飾ってある。

伊豆屋03

その中に五色そばの文字が目に入りました。

伊豆屋04

十割蕎麦でも500円です。大盛りは200円増し。それにしても変わった器です。

伊豆屋05

では三色天もりそばをいただいてみましょう。

伊豆屋06

注文すると三色はメインが十割蕎麦でもう二色を上に書かれていた五色の中から選んでくれとのこと。
そこで色合いを考えて「赤パプリカ切りそば」と今が旬の「ゆず切りそば」をお願いしました。

伊豆屋08

出てきたのは手作りのような陶器のお皿です。
このお店はその他もごつごつとしたような陶器の入れ物や皿が使われているようです。
写真の左からゆず切り、パプリカ切り、十割そばです。

やはりこの十割蕎麦が特に美味しいです。

伊豆屋09

それにしてもこの天ぷらはボルーム満点でした。
普通のそばに良くついている天ぷらの3倍ほどのボリュームです。
エビが2尾になす、かぼちゃ、はす、サツマイモなど野菜が8種類近くもはいっています。

少し欲を言えばもう少しカラッと揚がっていてくれたら言うことはありません。

昼時になり3人ほど近くの現場の人などが入ってきました。
またそのうちに十割そばを食べに行きたいと思います。

夜はまた蕎麦意外にも酒のつまみとなるようなものも結構やっていますので人気があるのかもしれません。


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食事処 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/09 19:26

人情物落語

 今日は出前落語で函館の落語家夢助さんの落語を聞きに行った。

今泉さん01

前座は今泉さんの三味線で「お伊勢参りから弁天小僧」「お富さん」「刈干切唄」と皆で「花はさく」を・・・

今泉さん02

弁天小僧が「知らざあ言って聞かせやしょう」と啖呵を・・・

お富さんの歌は知っていましたが、その内容までは初めて聞きました。

夢助さん01

夢助さんの落語は今回はいつもの落語と違って人情物で・・・

夢助さん02

昔、佐倉藩の百姓の年貢の取り立てが厳しく、それをお上に訴えた名主のお話でした。

夢助さん03

歌舞伎などで演じられている義民・惣五郎伝説「佐倉義民伝」の山場の一つである「甚平渡し」の話でした。


夢助さん04

将軍への直訴を決意した名主の惣五郎が、密かに江戸から家族のもとに戻る時の話だ。
妻や子供に別れを告げ、自分の罪で家族に害が及ばないように離縁をするためにこの印旛沼の渡しを雪の降る夜に渡ろうとする場面です。

その惣五郎の必死の思いに渡し守の甚平が、役人が繋いでいた船の鎖を断ち切るのでした。

ここまでの話を熱演でしたが、この話をもっと知っていればきっともっと中身に入り込めたと思います。

調べたところ、印旛沼周辺では良く知られているようです。
この後、話としては 惣五郎を無事渡し終えた甚平は、自ら沼に身を投じたといいます。
そして妻と離縁し子供とも絶縁した惣五郎は江戸に戻り1652年に上野寛永寺に参詣する将軍家綱を、下谷広小路黒門前の三枚橋の、中の橋の下に隠れて待ち、将軍に訴状を渡すことに成功します。

しかし直訴はご法度ですから当然惣五郎は捕らえられ、佐倉藩主堀田正信に引き渡され、磔になります。
しかし絶縁した妻や子(1男3女)も死罪となりました。
妻は助命嘆願で何とか助かり、その後尼となり惣五郎父子の墓守として半生を捧げ、54歳でこの世を去ったという。

この義人話が今も伝わっているのだそうだ。

こんな話もやはりもう少し勉強しないとわからない。

この近くでは義人助六一揆の話もあるので少し重なってきた。

今週末に親戚の結婚式があるので金曜日から福岡に行く。
このため、夜になって選挙の期日前投票に行ってきた。
夜8時まで受け付けているのでこの方が楽だ。

それにしても毎日名前を連呼する選挙戦は勘弁願いたい。
何をやりたいのかがわからない。
県会議員選挙が重なったのでうるさくてたまらない。

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おはなし劇場 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/10 20:53
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