馬頭広重美術館
茨城の県名についてのお話の途中ですが、今日出かけたことの話題を間に挟みます。
今日は朝は大雨が降っていましたが、出かける用事があり早めに家を出て、途中で栃木県の那珂川町に行ってきました。
「馬頭広重美術館」に立ち寄りました。
歌川広重の版画(東海道五十三次など)を展示するために13~14年前に建てられたものです。
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この美術館の建物は素晴らしい設計です。
隈研吾氏の設計によるもので切妻屋根の平屋の建物は落ち着いた景観が素敵です。
天井や壁のルーバー式の板には八溝山の杉を使い、床は芦野石、壁には烏山和紙が使われているそうです。
栃木にこだわって作られているのがわかります。
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中庭は竹をうまく使って、裏の乾徳寺の山の風情ともうまくマッチしていました。
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本当に石岡にもこんなものが欲しい。ゆったりと落ち着く空間は素晴らしいです。
維持管理していくのは大変でしょうが、このようなものが町の中心にあるのは素晴らしいですね。
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この建物は平成7年の阪神淡路大震災にあわれた栃木県現さくら市に生まれた青木藤作氏のコレクション(歌川広重の版画・版木(東海道五十三次など))の寄贈を受けて建てられたものだそうです。
美術館の方に確認したところ、この建物の敷地にはタバコ畑(訂正:専売公社)があったと伺いました。
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行った時は「川瀬巴水(かわせはすい)」の版画特別展をやっていました。
このため普段は入場料500円ですが、特別展のため700円でした。
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巴水の作品は巴水人形など懐かしいものが多くありましたが、特に「東京二十景」の版画は見ごたえがありました。
これは関東大震災の時に全てそれまでに書きためていたものが焼けてしまい、その後に精力的にまた書いたものだといいます。
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旧馬頭町の街並み。この通りは昔の街道のようです。
電線が地中化され、石岡の中町・香丸通りに似ています。
今のメイン通りは1本北側になってしまい、車の量もこちらは少ないようです。
那珂川町(旧馬頭町)は東北高速道路からかなり離れていますので、少し交通は不便ですが、那珂川上流の歴史のあるところです。歴史を調べている者にとっては面白いところです。
侍塚古墳、那須国造碑がある温泉以外にもとても興味深い場所です。
石岡からは少し遠いのでなかなか行けないのですが、行って良かったと思っています。
大雨かと思いましたが、あまり雨も大したことが無く助かりました。
← よろしければクリックお願いします。
今日は朝は大雨が降っていましたが、出かける用事があり早めに家を出て、途中で栃木県の那珂川町に行ってきました。
「馬頭広重美術館」に立ち寄りました。
歌川広重の版画(東海道五十三次など)を展示するために13~14年前に建てられたものです。
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この美術館の建物は素晴らしい設計です。
隈研吾氏の設計によるもので切妻屋根の平屋の建物は落ち着いた景観が素敵です。
天井や壁のルーバー式の板には八溝山の杉を使い、床は芦野石、壁には烏山和紙が使われているそうです。
栃木にこだわって作られているのがわかります。
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中庭は竹をうまく使って、裏の乾徳寺の山の風情ともうまくマッチしていました。
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本当に石岡にもこんなものが欲しい。ゆったりと落ち着く空間は素晴らしいです。
維持管理していくのは大変でしょうが、このようなものが町の中心にあるのは素晴らしいですね。
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この建物は平成7年の阪神淡路大震災にあわれた栃木県現さくら市に生まれた青木藤作氏のコレクション(歌川広重の版画・版木(東海道五十三次など))の寄贈を受けて建てられたものだそうです。
美術館の方に確認したところ、この建物の敷地には
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行った時は「川瀬巴水(かわせはすい)」の版画特別展をやっていました。
このため普段は入場料500円ですが、特別展のため700円でした。
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巴水の作品は巴水人形など懐かしいものが多くありましたが、特に「東京二十景」の版画は見ごたえがありました。
これは関東大震災の時に全てそれまでに書きためていたものが焼けてしまい、その後に精力的にまた書いたものだといいます。
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旧馬頭町の街並み。この通りは昔の街道のようです。
電線が地中化され、石岡の中町・香丸通りに似ています。
今のメイン通りは1本北側になってしまい、車の量もこちらは少ないようです。
那珂川町(旧馬頭町)は東北高速道路からかなり離れていますので、少し交通は不便ですが、那珂川上流の歴史のあるところです。歴史を調べている者にとっては面白いところです。
侍塚古墳、那須国造碑がある温泉以外にもとても興味深い場所です。
石岡からは少し遠いのでなかなか行けないのですが、行って良かったと思っています。
大雨かと思いましたが、あまり雨も大したことが無く助かりました。
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乾徳寺(馬頭)(1)
先日の土曜日に行った栃木県の那珂川町(旧馬頭町)にある乾徳寺を紹介します。
雨も降ったりやんだりの生憎の空模様で、カメラも安物で撮影していますので、写真はイマイチです。
場所は先日紹介した広重美術館の横道を入ったところです。
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このお寺はとても素敵なところでした。
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入口の山門前には幾つもの地蔵さんが並んでいます。
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この地蔵群の裏にはたくさんの青や黄色の風車がまわっています。
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向こうに見えるのが寺の山門です。
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この地蔵さんはいつごろのものでしょうか? 最近のお顔ではないようです。
とても好きです。
歴史的な話題を一つ。
この寺は「武茂(むも)氏」の菩提寺です。武茂氏は下野(しもつけ)国を治めていた宇都宮氏7代当主(景綱)の息子の泰宗が下野国武茂郡に住んだことからはじまります。
佐竹氏などとも抗争がつづいたようですが、豊臣秀吉の太閤検地で常陸国(久慈郡大賀村)に国替えとなり、江戸時代は佐竹氏とともに秋田に移っています。
秋田久保田藩では、南部藩領との国境の備えを固めるために設けられた大館城代の家老職を勤めたようです。
いまでも大館には武茂病院などもあるようですね。
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雨も降ったりやんだりの生憎の空模様で、カメラも安物で撮影していますので、写真はイマイチです。
場所は先日紹介した広重美術館の横道を入ったところです。
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このお寺はとても素敵なところでした。
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入口の山門前には幾つもの地蔵さんが並んでいます。
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この地蔵群の裏にはたくさんの青や黄色の風車がまわっています。
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向こうに見えるのが寺の山門です。
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この地蔵さんはいつごろのものでしょうか? 最近のお顔ではないようです。
とても好きです。
歴史的な話題を一つ。
この寺は「武茂(むも)氏」の菩提寺です。武茂氏は下野(しもつけ)国を治めていた宇都宮氏7代当主(景綱)の息子の泰宗が下野国武茂郡に住んだことからはじまります。
佐竹氏などとも抗争がつづいたようですが、豊臣秀吉の太閤検地で常陸国(久慈郡大賀村)に国替えとなり、江戸時代は佐竹氏とともに秋田に移っています。
秋田久保田藩では、南部藩領との国境の備えを固めるために設けられた大館城代の家老職を勤めたようです。
いまでも大館には武茂病院などもあるようですね。
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乾徳寺(馬頭)(2)
昨日に続いて今日も那珂川町(旧馬頭町)の乾徳寺を紹介します。
昨日は入口にあるたくさんの地蔵さんをUPしましたが、この地蔵の後ろに色とりどりの風車がありました。
やはり、これは水子地蔵さんなのでしょう。子供の日(5月5日)に例祭が行なわれるようです。
子供が喜ぶということで水子地蔵に風車が置かれるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
この寺にはたくさんの観音様がおいでになります。
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山門脇の道路沿いにもおられますよ。
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門をくぐった境内にも。ここは「武茂三十三観音霊場」と書かれています。。
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これは八角堂でしょうか。宝徳殿と名前がついているようです。
これは観音霊場にふさわしいお堂を建立したいと、法隆寺の夢殿を模して昭和59年に建てられたそうです。
中には大般若教の経巻が奉納されています。

八溝七福神の旗が立っています。那珂川沿いに七か所のお寺を巡るのだそうです。
この乾徳寺は「福禄寿(ふくろくじゅ)」さんです。
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お寺の本堂です。この本堂の前に藤棚があります。これは白い藤だそうです。白藤はきれいですよね。
この頃もいいでしょうね。裏山の方では小川が流れ、水芭蕉なんかもみられるようです。
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昨日は入口にあるたくさんの地蔵さんをUPしましたが、この地蔵の後ろに色とりどりの風車がありました。
やはり、これは水子地蔵さんなのでしょう。子供の日(5月5日)に例祭が行なわれるようです。
子供が喜ぶということで水子地蔵に風車が置かれるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
この寺にはたくさんの観音様がおいでになります。
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山門脇の道路沿いにもおられますよ。
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門をくぐった境内にも。ここは「武茂三十三観音霊場」と書かれています。。
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これは八角堂でしょうか。宝徳殿と名前がついているようです。
これは観音霊場にふさわしいお堂を建立したいと、法隆寺の夢殿を模して昭和59年に建てられたそうです。
中には大般若教の経巻が奉納されています。
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八溝七福神の旗が立っています。那珂川沿いに七か所のお寺を巡るのだそうです。
この乾徳寺は「福禄寿(ふくろくじゅ)」さんです。
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お寺の本堂です。この本堂の前に藤棚があります。これは白い藤だそうです。白藤はきれいですよね。
この頃もいいでしょうね。裏山の方では小川が流れ、水芭蕉なんかもみられるようです。
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乾徳寺(馬頭)(3)
旧馬頭町の観音霊場「乾徳寺」さんの紹介3回目(最後)です。
お寺の本堂の裏手は「権現山」という小高い山になっており、この山の中腹にかけてたくさんのお墓が眠っています。
元々はこの一帯は戦国時代まで、武茂氏の城があったと言われています。
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山間の木々の緑の中を縫うように続いています。
その中にお寺を見下ろす位置に「武茂(むも)氏歴代の墓」が置かれています。
武茂氏は江戸時代が始まる時には秋田に佐竹氏とともに移った宇都宮氏(藤原氏一族)の同族です。
五輪塔は戦国時代末期のものが多いと書かれていました。
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分かれ道のところには、かわいらしい石像がありました。
これは石岡近くの長興寺の石像によく似ています。
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このお寺の裏山をぐるっと巻くように道が続いています。「せせらぎの小径」と名付けられていました。
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そして、小径沿いにはたくさんの観音様が置かれています。
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花観音さまです。観音様は花を手に持ち、そのそばには、その名前の花が植えられ句が添えられています。
じっくり手を合わせながらお顔をを拝見していきます。みな良い顔をしています。
白百合観音:「花かおる 風にさそわれ 手を合わす」
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このお寺は季節ごとにきっとその姿が違って見えることでしょう。
今度は天気の良い日に、お花のたくさんある頃に来て見たいと思います。
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お寺の本堂の裏手は「権現山」という小高い山になっており、この山の中腹にかけてたくさんのお墓が眠っています。
元々はこの一帯は戦国時代まで、武茂氏の城があったと言われています。
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山間の木々の緑の中を縫うように続いています。
その中にお寺を見下ろす位置に「武茂(むも)氏歴代の墓」が置かれています。
武茂氏は江戸時代が始まる時には秋田に佐竹氏とともに移った宇都宮氏(藤原氏一族)の同族です。
五輪塔は戦国時代末期のものが多いと書かれていました。
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分かれ道のところには、かわいらしい石像がありました。
これは石岡近くの長興寺の石像によく似ています。
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このお寺の裏山をぐるっと巻くように道が続いています。「せせらぎの小径」と名付けられていました。
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そして、小径沿いにはたくさんの観音様が置かれています。
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花観音さまです。観音様は花を手に持ち、そのそばには、その名前の花が植えられ句が添えられています。
じっくり手を合わせながらお顔をを拝見していきます。みな良い顔をしています。
白百合観音:「花かおる 風にさそわれ 手を合わす」
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このお寺は季節ごとにきっとその姿が違って見えることでしょう。
今度は天気の良い日に、お花のたくさんある頃に来て見たいと思います。
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馬頭院(那珂川町)
乾徳寺に続いて訪れた「馬頭院」を紹介します。 本日2回目の更新です。
広重美術館の乾徳寺とは反対側の横の道を少し行った高台に馬頭院はあります。
ここに行く気になったのは、すぐ近くということもありますが、江戸時代に10万石の格式を貰っていたと聞いていたからです。
ちょうど町を見下ろすような位置に立っていました。
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「武茂山 十輪寺 馬頭院(真言宗)」 1217年に京都醍醐寺 光宝法印大和尚(中納言藤原光雅の子)の開創。
平安時代の作とみられる「延命地蔵菩薩坐像」は県の重要文化財に指定されているそうです。
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1692年に水戸光圀が十万石の格式を与え、朱印寺とした。
光圀は参詣の記念に「枝垂栗」を植樹した。これが今の県の天然記念物に指定されている枝垂栗だ。
写真の木がこの枝垂栗だが、これはたしかに見事な木だ。三度栗ともいわれるらしい。
理由を調べたら、約15日の間をおいて3回開花するためだそうである。それにしても樹齢300年の栗の木も初めてみた。
うしろは「本堂」(金堂)です。立派な本堂です。
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こちらは「観音堂」。
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観音堂の横の石段を登ったところに「地蔵堂」がある。
この地蔵堂は後ろから見ると町を見晴らすように建てられたのがわかる。
屋根の形もいいですね。
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鐘楼堂。境内の一番町に近いところに置かれています。
境内のこの鐘楼の近くに「御霊馬堂」という建屋がありました。お堂の中には造り物の馬が置かれていました。
馬頭と言うくらいですから馬が大切にされたのでしょうか。
今回茨城県を離れて栃木県に来てしまいましたが、この馬頭町(現那珂川町)は常陸国の一部でした。
そのため、水戸光圀公のお出ましとなったわけです。
武茂氏が佐竹氏の配下になり、秋田に共に転封されたのですから、これも何かの縁もあるのでしょう。
常陸国に絡んだ歴史の1ページに組み入れてもよさそうです。
また、ここ馬頭は日本で最初に金が発見されたことで知られ、奈良の大仏殿建立のために、ここから金を大量に運んだと記録が残っているそうです。
← よろしければクリックお願いします。
広重美術館の乾徳寺とは反対側の横の道を少し行った高台に馬頭院はあります。
ここに行く気になったのは、すぐ近くということもありますが、江戸時代に10万石の格式を貰っていたと聞いていたからです。
ちょうど町を見下ろすような位置に立っていました。
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「武茂山 十輪寺 馬頭院(真言宗)」 1217年に京都醍醐寺 光宝法印大和尚(中納言藤原光雅の子)の開創。
平安時代の作とみられる「延命地蔵菩薩坐像」は県の重要文化財に指定されているそうです。
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1692年に水戸光圀が十万石の格式を与え、朱印寺とした。
光圀は参詣の記念に「枝垂栗」を植樹した。これが今の県の天然記念物に指定されている枝垂栗だ。
写真の木がこの枝垂栗だが、これはたしかに見事な木だ。三度栗ともいわれるらしい。
理由を調べたら、約15日の間をおいて3回開花するためだそうである。それにしても樹齢300年の栗の木も初めてみた。
うしろは「本堂」(金堂)です。立派な本堂です。
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こちらは「観音堂」。
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観音堂の横の石段を登ったところに「地蔵堂」がある。
この地蔵堂は後ろから見ると町を見晴らすように建てられたのがわかる。
屋根の形もいいですね。
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鐘楼堂。境内の一番町に近いところに置かれています。
境内のこの鐘楼の近くに「御霊馬堂」という建屋がありました。お堂の中には造り物の馬が置かれていました。
馬頭と言うくらいですから馬が大切にされたのでしょうか。
今回茨城県を離れて栃木県に来てしまいましたが、この馬頭町(現那珂川町)は常陸国の一部でした。
そのため、水戸光圀公のお出ましとなったわけです。
武茂氏が佐竹氏の配下になり、秋田に共に転封されたのですから、これも何かの縁もあるのでしょう。
常陸国に絡んだ歴史の1ページに組み入れてもよさそうです。
また、ここ馬頭は日本で最初に金が発見されたことで知られ、奈良の大仏殿建立のために、ここから金を大量に運んだと記録が残っているそうです。
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健武山神社-奈良東大寺に使われた金の記録
昨日取手山館について書いた時に、この周りの戦国末期の様子や城や館の配置を調べていた。
しかしかなり古いことでもあり、また負けた側にとっては多くが犠牲になり歴史も残っていかないようだ。
この問題はもう少し時間のある時に別なテーマでまた書く事にする。
今日は先日栃木県の雲巌寺に行った。この時に馬頭(現那珂川町)を通って行ったが、途中街道沿いにあった神社の前に掲げられた看板が目に付いた。
「ここが那須野ゆりがねの里」と書かれていた。神社の名前は「健武山(たけぶやま)神社」である。
馬頭の町から武茂川に沿って県道52号線で少し山側に入ったところだ。この神社は延喜式の式内社である。
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この那珂川町(旧馬頭町)には町営の日帰り温泉施設「ゆりがねの湯」があり、昔近くに行った時に立寄り入浴した事がある。
その時にこの「ゆりがね」の由来を聞き調べたこともある。
それが今回この場所だったのだと知った。
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神社は通りからこの石段を登ったすぐ上にある。
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古木に覆われ、境内もそれほど広くはないがどっしりとした雰囲気がある。
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創建は大同元年(806年)という。これは古い神社に行くと同じ年の創建が多い。
「ゆりがね」というのは金のことだ。
日本で産金が確認されている場所の最古の場所がここだと言う。これはあまり知られていない。
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聖武天皇が全国の国分寺の総本山として奈良に東大寺を建立した。(8世紀前半)
この東大寺の大仏などに使う金が不足して困っていた。
そこにこの下野の地で金がとれることが伝わってきた。
そしてこの金が奈良の都に運ばれた。
これが日本の産金の最古という。それではそれまでは金はどうしていたのか?
東大寺よりも古いお寺としては、奈良に「百済寺(くだらじ)」があり、これは7世紀前半の建立とされている。
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百済と倭(昔の日本)との関係は切っても切れないつながりがある。
紀元前18年に朝鮮半島南西部に百済国(十済)が出来たともいわれる(韓国などでの教科書)が、この頃はあまり国家としての形をなしていなかったようでもあり、はっきりしない。
ようはこの百済と倭国がかなり密接につながっていて、人の交流も盛んであった。
しかし、346年に近肖古王が即位し、385年に仏教が伝わり、660年に滅びてしまった。
そして百済から仏教やいろいろが技術も伝わってきた。
それと同時に多くの位の高い人びとが倭国に逃げて来た。
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663年に起きた「白村江(はくすきのえ)の戦い」は百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍の戦いだったが、百済人が倭国(日本)に逃げてくるための戦いだったのかもしれない。
この時日本からは3万7千人程が戦に出陣している。
大敗したが、百済人の多くが日本に亡命した。
一方『日本書紀』では応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて(一説では18,760人)帰化したと記される弓月君(ゆづきのきみ)がおり、彼が秦の始皇帝の末裔とも称され、その後の秦氏の祖とされています。
新羅系なのか、百済系なのかこの辺りがはっきりしません。
でも大昔の日本で中国語が読めたり話せたりしたことを考えても、これらの帰化人がたくさんこの国にやって来ていたことはうかがい知ることが出来ます。
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そして、大和朝廷も多くの百済からの亡命者を要人として採用し、蝦夷征伐にもかなり重要な役割を担い、多くの産業や薬の製法などもこの人びとから伝わっていったものと思う。
那須国の国造はこの帰化人の多くを受け入れたようだ。
そしてこの地(当時はまだ蝦夷地への最前線基地)に住み着いた。
そして産金技術もこの地に伝わったのだろう。
那珂川沿いに「那須国造の碑」が建てられているが、これはこの地にやって来て帰化した人々が感謝のために立てたものだと言う。(飛鳥時代の建造で国宝)
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本殿。
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「古代産金の里」の碑
古代産金としては宮城県遠田郡涌谷町に黄金山神社がありますが、ここも陸奥守百済王敬福が東大寺大仏の建立に黄金900両(13.5kg)を送ったそうですので、みな百済の王族が関係しているようです。
常陸国も初代常陸守として西暦700年に百済王遠寶が任命されています。
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こちらの「健」の字は「徤」の字が使われています。
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しかしかなり古いことでもあり、また負けた側にとっては多くが犠牲になり歴史も残っていかないようだ。
この問題はもう少し時間のある時に別なテーマでまた書く事にする。
今日は先日栃木県の雲巌寺に行った。この時に馬頭(現那珂川町)を通って行ったが、途中街道沿いにあった神社の前に掲げられた看板が目に付いた。
「ここが那須野ゆりがねの里」と書かれていた。神社の名前は「健武山(たけぶやま)神社」である。
馬頭の町から武茂川に沿って県道52号線で少し山側に入ったところだ。この神社は延喜式の式内社である。
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この那珂川町(旧馬頭町)には町営の日帰り温泉施設「ゆりがねの湯」があり、昔近くに行った時に立寄り入浴した事がある。
その時にこの「ゆりがね」の由来を聞き調べたこともある。
それが今回この場所だったのだと知った。
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神社は通りからこの石段を登ったすぐ上にある。
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古木に覆われ、境内もそれほど広くはないがどっしりとした雰囲気がある。
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創建は大同元年(806年)という。これは古い神社に行くと同じ年の創建が多い。
「ゆりがね」というのは金のことだ。
日本で産金が確認されている場所の最古の場所がここだと言う。これはあまり知られていない。
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聖武天皇が全国の国分寺の総本山として奈良に東大寺を建立した。(8世紀前半)
この東大寺の大仏などに使う金が不足して困っていた。
そこにこの下野の地で金がとれることが伝わってきた。
そしてこの金が奈良の都に運ばれた。
これが日本の産金の最古という。それではそれまでは金はどうしていたのか?
東大寺よりも古いお寺としては、奈良に「百済寺(くだらじ)」があり、これは7世紀前半の建立とされている。
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百済と倭(昔の日本)との関係は切っても切れないつながりがある。
紀元前18年に朝鮮半島南西部に百済国(十済)が出来たともいわれる(韓国などでの教科書)が、この頃はあまり国家としての形をなしていなかったようでもあり、はっきりしない。
ようはこの百済と倭国がかなり密接につながっていて、人の交流も盛んであった。
しかし、346年に近肖古王が即位し、385年に仏教が伝わり、660年に滅びてしまった。
そして百済から仏教やいろいろが技術も伝わってきた。
それと同時に多くの位の高い人びとが倭国に逃げて来た。
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663年に起きた「白村江(はくすきのえ)の戦い」は百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍の戦いだったが、百済人が倭国(日本)に逃げてくるための戦いだったのかもしれない。
この時日本からは3万7千人程が戦に出陣している。
大敗したが、百済人の多くが日本に亡命した。
一方『日本書紀』では応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて(一説では18,760人)帰化したと記される弓月君(ゆづきのきみ)がおり、彼が秦の始皇帝の末裔とも称され、その後の秦氏の祖とされています。
新羅系なのか、百済系なのかこの辺りがはっきりしません。
でも大昔の日本で中国語が読めたり話せたりしたことを考えても、これらの帰化人がたくさんこの国にやって来ていたことはうかがい知ることが出来ます。
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そして、大和朝廷も多くの百済からの亡命者を要人として採用し、蝦夷征伐にもかなり重要な役割を担い、多くの産業や薬の製法などもこの人びとから伝わっていったものと思う。
那須国の国造はこの帰化人の多くを受け入れたようだ。
そしてこの地(当時はまだ蝦夷地への最前線基地)に住み着いた。
そして産金技術もこの地に伝わったのだろう。
那珂川沿いに「那須国造の碑」が建てられているが、これはこの地にやって来て帰化した人々が感謝のために立てたものだと言う。(飛鳥時代の建造で国宝)
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本殿。
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「古代産金の里」の碑
古代産金としては宮城県遠田郡涌谷町に黄金山神社がありますが、ここも陸奥守百済王敬福が東大寺大仏の建立に黄金900両(13.5kg)を送ったそうですので、みな百済の王族が関係しているようです。
常陸国も初代常陸守として西暦700年に百済王遠寶が任命されています。
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こちらの「健」の字は「徤」の字が使われています。
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雲厳寺(1)
栃木県大田原市に雲厳寺(雲岩寺)という素敵な寺があると聞いていたので、先日行ってきました。
噂に聞いていた通り素晴らしい寺でした。
茨城県の大子町からもそれほど遠くない。
コースは馬頭(栃木県那珂川町)から行って、帰りは袋田の滝のある大子町に出たが、調べて見ると黒羽街道が近くを通っていた。
芭蕉が奥の細道を旅した時に黒羽(くろばね)(現、栃木県大田原市)に14日も滞在している。
そしてたくさんの句を詠んでいる。
そしてこの雲厳寺にも立寄った。この地に長く滞在したのもこの雲厳寺の存在が大きかったのかもしれない。
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(クリックすると大きな写真となります)
このかなり奥まった土地にこのような大きな寺があるのに驚くばかりだ。
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(クリックすると大きな写真となります)
寺をWikipediaで調べて見ると「雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、1283年(弘安6年)に時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の寄進のもと仏国国師によって開山されたといわれる」と書かれています。
そして戦国末期に臨済宗妙心寺派に改宗したが、戦火で焼け、数年後に再建し300年経った大正時代に改築したという。
手を加えたにしても江戸時代の始まり頃から仏堂の建物はあった。
朱塗りの反り橋(爪瓞(かてつ)橋)を渡った先に見上げる山門は本当に美しい。
この爪瓞(かてつ)という字が難しいので調べると「爪瓞綿綿(かてつめんめん)」という言葉が出てきました。
意味は子孫が長く綿々と続いて反映することだそうです。
瓞=てつ は小さな爪で、大きな爪から小さな爪につながって行くということのようです。(知らなかった)
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入口の山門。紅葉の時期は特に美しいと言うが、雪の時もかなり見ごたえがありそうだ。
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(クリックすると大きな写真となります)
山門をくぐった先の正面にあるのが仏殿。姿のよいどっしりとした建物だ。
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(クリックすると大きな写真となります)
こちらは左手にある「平和観音堂」だ。この建物の裏手に戦没者墓がある。
この左側の石が芭蕉の句碑だ。(下の写真)
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竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)
木啄(きつつき)も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
ここにあるように和尚は粗末な草庵に住んでいたようです。
啄木鳥(きつつき)もこの草庵をつついて破る事はないだろうと芭蕉が詠んでいますね。
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(クリックすると大きな写真となります)
ここに書かれているように仏頂和尚をこの地に訪ねているが、「仏頂和尚は常陸国鹿島根本寺の住職で鹿島神宮との寺領争いを提訴ために江戸深川の臨川庵に滞在していた」と書かれている。
そこで思い出したが、この根本寺は前に訪れている。(こちら)
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(クリックすると大きな写真となります)
平和観音堂から仏殿と鐘楼を見たところ。
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(クリックすると大きな写真となります)
こちらは仏殿とその裏手の高台に「方丈」がある。ここにもまた階段を上って行く。
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(クリックすると大きな写真となります)
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仏殿のなかの仏像だが、暗くてぶれてしまった。
(もう少し次回に続きます)
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噂に聞いていた通り素晴らしい寺でした。
茨城県の大子町からもそれほど遠くない。
コースは馬頭(栃木県那珂川町)から行って、帰りは袋田の滝のある大子町に出たが、調べて見ると黒羽街道が近くを通っていた。
芭蕉が奥の細道を旅した時に黒羽(くろばね)(現、栃木県大田原市)に14日も滞在している。
そしてたくさんの句を詠んでいる。
そしてこの雲厳寺にも立寄った。この地に長く滞在したのもこの雲厳寺の存在が大きかったのかもしれない。
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(クリックすると大きな写真となります)
このかなり奥まった土地にこのような大きな寺があるのに驚くばかりだ。
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寺をWikipediaで調べて見ると「雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、1283年(弘安6年)に時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の寄進のもと仏国国師によって開山されたといわれる」と書かれています。
そして戦国末期に臨済宗妙心寺派に改宗したが、戦火で焼け、数年後に再建し300年経った大正時代に改築したという。
手を加えたにしても江戸時代の始まり頃から仏堂の建物はあった。
朱塗りの反り橋(爪瓞(かてつ)橋)を渡った先に見上げる山門は本当に美しい。
この爪瓞(かてつ)という字が難しいので調べると「爪瓞綿綿(かてつめんめん)」という言葉が出てきました。
意味は子孫が長く綿々と続いて反映することだそうです。
瓞=てつ は小さな爪で、大きな爪から小さな爪につながって行くということのようです。(知らなかった)
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入口の山門。紅葉の時期は特に美しいと言うが、雪の時もかなり見ごたえがありそうだ。
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山門をくぐった先の正面にあるのが仏殿。姿のよいどっしりとした建物だ。
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こちらは左手にある「平和観音堂」だ。この建物の裏手に戦没者墓がある。
この左側の石が芭蕉の句碑だ。(下の写真)
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竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)
木啄(きつつき)も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
ここにあるように和尚は粗末な草庵に住んでいたようです。
啄木鳥(きつつき)もこの草庵をつついて破る事はないだろうと芭蕉が詠んでいますね。
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ここに書かれているように仏頂和尚をこの地に訪ねているが、「仏頂和尚は常陸国鹿島根本寺の住職で鹿島神宮との寺領争いを提訴ために江戸深川の臨川庵に滞在していた」と書かれている。
そこで思い出したが、この根本寺は前に訪れている。(こちら)
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平和観音堂から仏殿と鐘楼を見たところ。
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こちらは仏殿とその裏手の高台に「方丈」がある。ここにもまた階段を上って行く。
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仏殿のなかの仏像だが、暗くてぶれてしまった。
(もう少し次回に続きます)
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雲厳寺(2)
栃木県大田原市(黒羽)の雲厳寺の続きです。
あまり説明はありません。
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寺全体の地図です。 昨日の説明は、山門から仏殿、平和観音、芭蕉句碑です。
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今度は鐘楼から右手に少し下って行く道がありますので右手の奥に進んでみました。
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これがその道です。右手の方に少し下りていきます。
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裏門に出ました。裏門から入ると正面に赤い鳥居があります。
神社です。地図では熊野神社となっています。
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さらに先に行くと梅林に囲まれた建物が現われました。
しかし敷地の廻りの柵が閉じられており中には入れません。
地図には「三仏塔」となっています。
ここの紅葉も素晴らしいことでしょう。やはり紅葉の時期に来るべきだったかもしれません。
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(クリックすると大きな写真となります)
更に進むと広場が現われ、一つのお堂がありました。掲げられていた額には「東雲山」となっているように読めたが、詳しくはわからない。
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(クリックすると大きな写真となります)
さて、この裏手から寺の庫裡、方丈の方に回って見ました。
この上から下を眺めるとまた美しいです。
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(クリックすると大きな写真となります)
方丈の正面から仏殿、山門を見下ろしたところです。
なかなか姿の良い建物ですね。
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こちらが方丈から「経蔵」と「禅堂」方面を眺めたところです。
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方丈の正面です。
「人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む」
と書かれているそうです。(でもよく読めなかった。)
ここは聖福寺(筑前)、永平寺(越前)、興国寺(紀州)とともに禅宗の四大道場の一つと言われているそうです。
機会があれば、もう少し調べてまた紅葉などの時季にでも来たいと思います。
また芭蕉が訪ねたという仏頂禅師の山居跡はここから山道を入って行った所にあったというが、その道は今は使われていないようである。
← よろしければクリックお願いします。
あまり説明はありません。
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寺全体の地図です。 昨日の説明は、山門から仏殿、平和観音、芭蕉句碑です。
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今度は鐘楼から右手に少し下って行く道がありますので右手の奥に進んでみました。
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これがその道です。右手の方に少し下りていきます。
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裏門に出ました。裏門から入ると正面に赤い鳥居があります。
神社です。地図では熊野神社となっています。
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さらに先に行くと梅林に囲まれた建物が現われました。
しかし敷地の廻りの柵が閉じられており中には入れません。
地図には「三仏塔」となっています。
ここの紅葉も素晴らしいことでしょう。やはり紅葉の時期に来るべきだったかもしれません。
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更に進むと広場が現われ、一つのお堂がありました。掲げられていた額には「東雲山」となっているように読めたが、詳しくはわからない。
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さて、この裏手から寺の庫裡、方丈の方に回って見ました。
この上から下を眺めるとまた美しいです。
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(クリックすると大きな写真となります)
方丈の正面から仏殿、山門を見下ろしたところです。
なかなか姿の良い建物ですね。
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こちらが方丈から「経蔵」と「禅堂」方面を眺めたところです。
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方丈の正面です。
「人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む」
と書かれているそうです。(でもよく読めなかった。)
ここは聖福寺(筑前)、永平寺(越前)、興国寺(紀州)とともに禅宗の四大道場の一つと言われているそうです。
機会があれば、もう少し調べてまた紅葉などの時季にでも来たいと思います。
また芭蕉が訪ねたという仏頂禅師の山居跡はここから山道を入って行った所にあったというが、その道は今は使われていないようである。
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御前岩
雲厳寺より武茂川に沿って南に馬頭方面に下って行くと、「御前岩」と書かれた観光名所らしき場所があった。
全く知らない所だが、ついでなので見ていくことにした。
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(クリックすると大きな写真になります)
説明看板が設置され、内容を読んでみたがよく意味がわからない。
要は光圀が「天下の奇岩」なので通りから見えないように竹の木を植えさせて目隠しをしたのだという。
何故、見えないようにさせたのかが岩の形を見て納得した。
この説明は写真を見ていただくだけにしよう。
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(クリックすると大きな写真になります)
端の方から川沿いの遊歩道が続いていた。
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(クリックすると大きな写真になります)
これが「御前岩」だそうだ。
この川の反対側は通りがあり物産センターがあるのだが、岩の正面は竹などの木々で覆われ行き来も出来ない。

(クリックすると大きな写真になります)
遊歩道もかなり進んでやっと通り側に出られた。正面から見えない。見せない。

(クリックすると大きな写真になります)
今回も、まあこんなものもある程度に紹介しておきましょう。
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全く知らない所だが、ついでなので見ていくことにした。
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説明看板が設置され、内容を読んでみたがよく意味がわからない。
要は光圀が「天下の奇岩」なので通りから見えないように竹の木を植えさせて目隠しをしたのだという。
何故、見えないようにさせたのかが岩の形を見て納得した。
この説明は写真を見ていただくだけにしよう。
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端の方から川沿いの遊歩道が続いていた。
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これが「御前岩」だそうだ。
この川の反対側は通りがあり物産センターがあるのだが、岩の正面は竹などの木々で覆われ行き来も出来ない。
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遊歩道もかなり進んでやっと通り側に出られた。正面から見えない。見せない。
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今回も、まあこんなものもある程度に紹介しておきましょう。
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