タバッコ峠の道
常陸大宮市の北のはずれ美和から高部(たかぶ)を通ってタバッコ峠を越えて、昔金山があった栃原を通って袋田(大子)へ抜ける山道がある。
大子町(袋田の滝)へ行く時は通常は水郡線沿いの国道118号線を通るのが普通だが、一度覚えたこの道(県道32号線:大子美和線)を年に何回か通っている。
沿道の山の風景もなかなかいいので時々は紹介します。
高部を過ぎ東河戸川沿いの道も街並みを過ぎると、僅かな集落が点在するだけになり、その先は峠道になるが、その登る手前に「水分神社」という小さな神社が立っている。
地元の方々により守られている神社なのだろう。地図にも載っていないが、きれいに手入れされて、そこに咲く花々も美しい。
更に先に行くと常陸そばの畑が広がり、住民が手入れされていると思われるカンナの赤い花がアクセントとして日本の風情を作ってくれている。
街道沿いのサルビアやカンナの花は毎年手入れをされていると思う。
地方に行くとそこに住んでおられる方々の心やさしい姿が思い浮かんでくる。
タバッコ峠を越えて栃原の集落に入ると、途中に木材の製材所などもあるが、農家が多いと思う。
奥久慈のコンニャクなどの栽培生産も行なわれている。
今から600年ほど前に発見され、佐竹氏の隠れ金山といわれた栃原の金山。
今も細々と採鉱しているらしいが、以前ひなびた案内板をたよりに横の山道に入ったが、道が悪く断念した想い出がある。
今回も寄らずにきたが、今は金価格が暴騰しているのでもしかしたら採算ベースで採鉱しているかもしれないなどとつまらんことを考えていた。
タバッコ峠は変わった名前で、これについては昔も書いたが、アイヌ語のタワ、タバ(撓むなどの語源?)から来ていると思っている。
大子町(袋田の滝)へ行く時は通常は水郡線沿いの国道118号線を通るのが普通だが、一度覚えたこの道(県道32号線:大子美和線)を年に何回か通っている。
沿道の山の風景もなかなかいいので時々は紹介します。
高部を過ぎ東河戸川沿いの道も街並みを過ぎると、僅かな集落が点在するだけになり、その先は峠道になるが、その登る手前に「水分神社」という小さな神社が立っている。
地元の方々により守られている神社なのだろう。地図にも載っていないが、きれいに手入れされて、そこに咲く花々も美しい。
更に先に行くと常陸そばの畑が広がり、住民が手入れされていると思われるカンナの赤い花がアクセントとして日本の風情を作ってくれている。
街道沿いのサルビアやカンナの花は毎年手入れをされていると思う。
地方に行くとそこに住んでおられる方々の心やさしい姿が思い浮かんでくる。
タバッコ峠を越えて栃原の集落に入ると、途中に木材の製材所などもあるが、農家が多いと思う。
奥久慈のコンニャクなどの栽培生産も行なわれている。
今から600年ほど前に発見され、佐竹氏の隠れ金山といわれた栃原の金山。
今も細々と採鉱しているらしいが、以前ひなびた案内板をたよりに横の山道に入ったが、道が悪く断念した想い出がある。
今回も寄らずにきたが、今は金価格が暴騰しているのでもしかしたら採算ベースで採鉱しているかもしれないなどとつまらんことを考えていた。
タバッコ峠は変わった名前で、これについては昔も書いたが、アイヌ語のタワ、タバ(撓むなどの語源?)から来ていると思っている。
奥久慈清流ライン
この「奥久慈清流ライン」という名前をご存知ですか?
今年7月に決まった「水郡線」(水戸-郡山)の新しい愛称です。
3月の震災では線路、橋が大きく損傷を受け、4月半ばまで運休し、その後も福島原発事故などの風評被害で袋田の滝や温泉地も客足が減ったそうですが、放射線量は比較的少ない地域です。
これからの時期は景色も良いので、是非お出かけくださいね。
袋田近くにまた行ってきましたので、周辺の写真などを少しUPします。
これは、常陸大子の2つ手前、袋田駅の1つ前の駅「上小川駅」です。
かわいいオシャレな駅ですよね。
この駅は近くには久慈川沿いにキャンプ場があり、夏には人が乗り降りも多くなりますが、普段の月は1日乗車人数は100人程度です。
駅には公民館(コミュニティセンター)が併設され、JRから委託を受けて管理しているようです。
コミュニティセンターの2階には何かの展示場のようになっていました。
水郡線は単線なのですが、この駅は上下でホームは分かれておりすれ違い、待ち合わせができるようです。
こちらは、上小川の一つ水戸よりの「西金(さいがね)駅」です。
こちらの駅も公民館(コミュニティセンター)が併設されていますが、民間委託ではなく無人駅(自動券売機設置)のようです。
ホームも単線なので上下とも同じホームです。この駅から乗車した人数は平均1日60人程度だといいます。
近くに砕石場があり、線路は貨物用の線路が設けられ、重機での積み込みなども行なわれているそうです。
西金駅に併設されている公民館は「下小川コミュニティセンター」となっていました。
西金(さいがね)駅前の様子です。国道と並列してはしっている街道沿いです。
駅前にはハイキングコースなどの案内と西金駅建設の碑が建っていました。
奥久慈と言えば袋田の滝と温泉ですが、この時期はりんご狩りも盛んです。
真っ赤なおいしそうなリンゴがたくさん。
国道沿いの売店でリンゴを買ってきました。その場で味を比べて「陽光」大きなりんご5個入りで1000円でした。とても甘くて、少し固さも残っている種類です。
写真に載っている500円は少し小粒の物です。
前にキズりんごとしてお得なものが売られることがあります。
大粒の物も少し日数が経過するとそちらに回されたりします。
今日は置いていなかったですが、キズりんご1個サービスしてくれました。
先日鷲子(トリノコ)和紙の話をしましたが、この久慈川沿いの「西の内」で和紙がまだ作られています。
街道沿いの「菊池五介和紙」の紙漉き場がありました。この日は誰もいなかったので中を覗いてだけです。
紙漉きの水槽が3~4つくらいあったでしょうか。
裏のお店で和紙を販売しています。また食堂(うどんや)も併設しているようです。
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今年7月に決まった「水郡線」(水戸-郡山)の新しい愛称です。
3月の震災では線路、橋が大きく損傷を受け、4月半ばまで運休し、その後も福島原発事故などの風評被害で袋田の滝や温泉地も客足が減ったそうですが、放射線量は比較的少ない地域です。
これからの時期は景色も良いので、是非お出かけくださいね。
袋田近くにまた行ってきましたので、周辺の写真などを少しUPします。
これは、常陸大子の2つ手前、袋田駅の1つ前の駅「上小川駅」です。
かわいいオシャレな駅ですよね。
この駅は近くには久慈川沿いにキャンプ場があり、夏には人が乗り降りも多くなりますが、普段の月は1日乗車人数は100人程度です。
駅には公民館(コミュニティセンター)が併設され、JRから委託を受けて管理しているようです。
コミュニティセンターの2階には何かの展示場のようになっていました。
水郡線は単線なのですが、この駅は上下でホームは分かれておりすれ違い、待ち合わせができるようです。
こちらは、上小川の一つ水戸よりの「西金(さいがね)駅」です。
こちらの駅も公民館(コミュニティセンター)が併設されていますが、民間委託ではなく無人駅(自動券売機設置)のようです。
ホームも単線なので上下とも同じホームです。この駅から乗車した人数は平均1日60人程度だといいます。
近くに砕石場があり、線路は貨物用の線路が設けられ、重機での積み込みなども行なわれているそうです。
西金駅に併設されている公民館は「下小川コミュニティセンター」となっていました。
西金(さいがね)駅前の様子です。国道と並列してはしっている街道沿いです。
駅前にはハイキングコースなどの案内と西金駅建設の碑が建っていました。
奥久慈と言えば袋田の滝と温泉ですが、この時期はりんご狩りも盛んです。
真っ赤なおいしそうなリンゴがたくさん。
国道沿いの売店でリンゴを買ってきました。その場で味を比べて「陽光」大きなりんご5個入りで1000円でした。とても甘くて、少し固さも残っている種類です。
写真に載っている500円は少し小粒の物です。
前にキズりんごとしてお得なものが売られることがあります。
大粒の物も少し日数が経過するとそちらに回されたりします。
今日は置いていなかったですが、キズりんご1個サービスしてくれました。
先日鷲子(トリノコ)和紙の話をしましたが、この久慈川沿いの「西の内」で和紙がまだ作られています。
街道沿いの「菊池五介和紙」の紙漉き場がありました。この日は誰もいなかったので中を覗いてだけです。
紙漉きの水槽が3~4つくらいあったでしょうか。
裏のお店で和紙を販売しています。また食堂(うどんや)も併設しているようです。
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長福寺(大子)
大子町の袋田の滝の方に行った帰りに水郡線の上小川駅の近くにある「長福寺」という寺に行った。
前から花の寺として気になっていたところだが、ここはシャクヤク、花菖蒲が有名で、予約すれば精進料理も食べることができるそうだ。
ただ今の時期は訪れる人は少なく、菖蒲苑は何も咲いていない。
一応この菖蒲苑は有料で、この時期は入口に人はいないが、入場料を払ってくださいと書かれていて、お金を入れる箱が置いてある。
何も咲いていないので誰もいない。 当然お金も入っていない。
しかし、この入口の山門はかなりしっかりした風格がある。歴史的なものはあまり良くわからない。
2階建の楼門で、木組みも立派で高さも高い。
こうしてみると、梅の頃も美しいだろうと思う。
長元2年(1029)梅閑律師が長福山に開創したとのこと。その後、文明元年(1470)に佐竹氏の一族で城主の小川和泉義房が一族の祈願寺にしたために、本堂などは佐竹氏の紋(月丸扇)のマークがついている。
この寺は「奥久慈七福神巡り」の1番寺で「寿老神(じゅろうじん)」をまつる。
健康と長寿の神様だそうだ。
まずはブログを継続できるだけの健康をお祈りしておきましょう。
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前から花の寺として気になっていたところだが、ここはシャクヤク、花菖蒲が有名で、予約すれば精進料理も食べることができるそうだ。
ただ今の時期は訪れる人は少なく、菖蒲苑は何も咲いていない。
一応この菖蒲苑は有料で、この時期は入口に人はいないが、入場料を払ってくださいと書かれていて、お金を入れる箱が置いてある。
何も咲いていないので誰もいない。 当然お金も入っていない。
しかし、この入口の山門はかなりしっかりした風格がある。歴史的なものはあまり良くわからない。
2階建の楼門で、木組みも立派で高さも高い。
こうしてみると、梅の頃も美しいだろうと思う。
長元2年(1029)梅閑律師が長福山に開創したとのこと。その後、文明元年(1470)に佐竹氏の一族で城主の小川和泉義房が一族の祈願寺にしたために、本堂などは佐竹氏の紋(月丸扇)のマークがついている。
この寺は「奥久慈七福神巡り」の1番寺で「寿老神(じゅろうじん)」をまつる。
健康と長寿の神様だそうだ。
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上小川橋
先日久しぶりに奥久慈の袋田の滝近くまで行きました。
数ヶ月ぶりです。
私がここには年に数回訪れます。来るのは観光が目的ではありませんが、観光もしたくなりますね。
普通はこの地に来るのは常陸大宮を通って、久慈川沿いに水郡線に沿った国道118号線を走るのですが、私は御前山で那珂川大橋を渡り(先日紹介した御前山饅頭のところです)、美和からタバッコ峠を越えて栃原経由で入ります。
この道が久慈川を渡り水郡線の上小川駅に出るところにかかる橋を「上小川橋」といいます。
この橋の入り口の隣に何やら大きな石碑が置かれています。
(写真はサムネルです)
どうやら、今架かる橋の前に、この場所に橋がかかっていたようで、この前の橋を架けたことを記念する碑のようです。
現在の橋は平成7年に建て替えられた橋で、その前は昭和8年に架けられたものだそうです。
その前には、大正11年にそれまで渡し舟しかなかったこの場所に、木製の小さな橋がかけられたそうですが、洪水などで度々流されて交通が途絶え、この奥で生活していた人が困っていました。
そこで、当時の上小川村長であった「宮田篤三郎」が、県議会議員に当選して、この道を村道から県道に昇格させることに成功し、県の費用で高い橋桁を持つ立派な橋(長さ150m、幅員4.5m)を昭和8年に完成させたそうです。
この昭和8年に完成した橋の欄干入口の石柱が残されていました。「上小川橋」
こちらが建て替えられた今の上小川橋です。
右側の石柱には「久慈川」と書かれています。
国道118号線よりこの橋(久慈川)を渡り、山側を登っていくと「栃原金山」というところに出ます。
佐竹氏の隠れ金山といわれ300~400年前から金の採掘をした場所です。
しばらく前までは観光用に見学や砂金採りなどの体験が出来たそうですが、今ではそれも行っていないようです。
この金山があったのも昔橋をかけるのに影響していたのかな。
今回はこの橋をわたって、国道118号線に出て、水郡線に沿って温泉にも入って帰りました。
この帰りの途中で街道沿いの売店で奥久慈りんごを買ってきました。
大きなリンゴが6個入って700円という安さです。種類は最近人気の「秋映え(あきばえ)」。
本当は1000円のりんごですが、少し赤みが濃すぎたり、一部形が悪かったりしたものを「天候被害品」として割り引いているものです。
味は変わらないのでお得です。
前にもキズりんごとして半額で売っているものを大量に買ったことがある場所です。
さて、久慈川沿いを走る水郡線はまだ紅葉には早いのですが、そろそろ山の方から見頃になってきます。
名前の通り水戸と郡山を結ぶ鉄道で、奥久慈から三春にかけては山あいを走るので紅葉や温泉も楽しめる観光スポットです。
昨日のニュースではここに真岡鉄道からSL列車を借りてきて、11月30日~12月2日の3日間SL列車が1日1往復走るそうです。
全席予約だそうですので、乗ってみたい方はJRのみどりの窓口で聞いてみてください。
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数ヶ月ぶりです。
私がここには年に数回訪れます。来るのは観光が目的ではありませんが、観光もしたくなりますね。
普通はこの地に来るのは常陸大宮を通って、久慈川沿いに水郡線に沿った国道118号線を走るのですが、私は御前山で那珂川大橋を渡り(先日紹介した御前山饅頭のところです)、美和からタバッコ峠を越えて栃原経由で入ります。
この道が久慈川を渡り水郡線の上小川駅に出るところにかかる橋を「上小川橋」といいます。
この橋の入り口の隣に何やら大きな石碑が置かれています。
(写真はサムネルです)
どうやら、今架かる橋の前に、この場所に橋がかかっていたようで、この前の橋を架けたことを記念する碑のようです。
現在の橋は平成7年に建て替えられた橋で、その前は昭和8年に架けられたものだそうです。
その前には、大正11年にそれまで渡し舟しかなかったこの場所に、木製の小さな橋がかけられたそうですが、洪水などで度々流されて交通が途絶え、この奥で生活していた人が困っていました。
そこで、当時の上小川村長であった「宮田篤三郎」が、県議会議員に当選して、この道を村道から県道に昇格させることに成功し、県の費用で高い橋桁を持つ立派な橋(長さ150m、幅員4.5m)を昭和8年に完成させたそうです。
この昭和8年に完成した橋の欄干入口の石柱が残されていました。「上小川橋」
こちらが建て替えられた今の上小川橋です。
右側の石柱には「久慈川」と書かれています。
国道118号線よりこの橋(久慈川)を渡り、山側を登っていくと「栃原金山」というところに出ます。
佐竹氏の隠れ金山といわれ300~400年前から金の採掘をした場所です。
しばらく前までは観光用に見学や砂金採りなどの体験が出来たそうですが、今ではそれも行っていないようです。
この金山があったのも昔橋をかけるのに影響していたのかな。
今回はこの橋をわたって、国道118号線に出て、水郡線に沿って温泉にも入って帰りました。
この帰りの途中で街道沿いの売店で奥久慈りんごを買ってきました。
大きなリンゴが6個入って700円という安さです。種類は最近人気の「秋映え(あきばえ)」。
本当は1000円のりんごですが、少し赤みが濃すぎたり、一部形が悪かったりしたものを「天候被害品」として割り引いているものです。
味は変わらないのでお得です。
前にもキズりんごとして半額で売っているものを大量に買ったことがある場所です。
さて、久慈川沿いを走る水郡線はまだ紅葉には早いのですが、そろそろ山の方から見頃になってきます。
名前の通り水戸と郡山を結ぶ鉄道で、奥久慈から三春にかけては山あいを走るので紅葉や温泉も楽しめる観光スポットです。
昨日のニュースではここに真岡鉄道からSL列車を借りてきて、11月30日~12月2日の3日間SL列車が1日1往復走るそうです。
全席予約だそうですので、乗ってみたい方はJRのみどりの窓口で聞いてみてください。
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永源寺と紅葉(1)
昨日の続きを載せるつもりでしたが、昨日、奥久慈のもみじ寺「永源寺」に行ってきましたので写真を載せておきます。
最近特に有名になってきたそうで、多くのブログに素晴らしい写真も載っていますが、「百聞は一見に如かず」ですので近くに行ったついでに寄ってきました。
用事があったので行くのが遅くなり午後3時ころでした。
もう観光客はだいぶ少なく、駐車場もガラガラでした。
山の東側斜面に立つ寺ですので、午後は日が陰ってしまいます。
(今回の写真はすべてサムネルです。クリックすると大きな画像になります。)
もみじの最盛期は少し過ぎたようですが、まだ楽しめました。
寺の登り坂はもみじのトンネルができるので有名になったようです。
あまり観光化されたところは趣味に合わないのですが、お寺の住職さんご夫妻?ご法要があったのでしょうか外に出ておられましたが気さくな方という印象をもちました。
去年に比べると今年は紅葉が綺麗ですね。
水郡線の大子駅からそれほど遠くはない場所です。
1446年の創建と伝えられるそうですが、天狗党の乱で寺の多くが消失し、その後建て直したそうです。
そして、これだけ綺麗になっているのですから、多くの人を惹きつけるものがあるのでしょう。
奥久慈の七福神ではこの寺は「弁財天」の寺だそうです。
水の女神様と思いましたが、町のHPでは「芸能の神様」だそうです。
寺の入口のもみじのトンネルは綺麗ですが、この寺全体の山の木々の紅葉も捨てがたいです。
裏山の木々の紅葉も楽しめました。
こちらがお寺の山門です。
六地蔵が2段並んでいます。
意味はきっとあるのだと思いますが、少しいろいろなものが多すぎと感じます。
鐘楼。天狗党の争いで1864年に寺の半分ほどが焼けたそうです。
本堂は60年ほど前に再建され、この鐘楼堂はその後に作られたそうです。
境内にあるお堂です。何か仏像がまつられているのだと思いますが・・・・。
お堂の縁に置かれていました。
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最近特に有名になってきたそうで、多くのブログに素晴らしい写真も載っていますが、「百聞は一見に如かず」ですので近くに行ったついでに寄ってきました。
用事があったので行くのが遅くなり午後3時ころでした。
もう観光客はだいぶ少なく、駐車場もガラガラでした。
山の東側斜面に立つ寺ですので、午後は日が陰ってしまいます。
(今回の写真はすべてサムネルです。クリックすると大きな画像になります。)
もみじの最盛期は少し過ぎたようですが、まだ楽しめました。
寺の登り坂はもみじのトンネルができるので有名になったようです。
あまり観光化されたところは趣味に合わないのですが、お寺の住職さんご夫妻?ご法要があったのでしょうか外に出ておられましたが気さくな方という印象をもちました。
去年に比べると今年は紅葉が綺麗ですね。
水郡線の大子駅からそれほど遠くはない場所です。
1446年の創建と伝えられるそうですが、天狗党の乱で寺の多くが消失し、その後建て直したそうです。
そして、これだけ綺麗になっているのですから、多くの人を惹きつけるものがあるのでしょう。
奥久慈の七福神ではこの寺は「弁財天」の寺だそうです。
水の女神様と思いましたが、町のHPでは「芸能の神様」だそうです。
寺の入口のもみじのトンネルは綺麗ですが、この寺全体の山の木々の紅葉も捨てがたいです。
裏山の木々の紅葉も楽しめました。
こちらがお寺の山門です。
六地蔵が2段並んでいます。
意味はきっとあるのだと思いますが、少しいろいろなものが多すぎと感じます。
鐘楼。天狗党の争いで1864年に寺の半分ほどが焼けたそうです。
本堂は60年ほど前に再建され、この鐘楼堂はその後に作られたそうです。
境内にあるお堂です。何か仏像がまつられているのだと思いますが・・・・。
お堂の縁に置かれていました。
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永源寺と紅葉(2)
昨日の続きです。
(今回の写真も皆サムネルです)
境内の地蔵とシャクナゲ。
時間はすでに3時を過ぎ、日が傾いて、東向きのこの寺には既に山の帳が下り始めていました。
5月の頃にもきっと別な姿を見せてくれるのでしょう。
ご住職の寺の手入れが隅々まで感じられる気持ちの良いお寺です。
寺の裏山には檀家の墓地などもありますが、少し登ってみました。
寺の本堂の裏側です。大きな立派な本堂です。
こちら側から見ると、寺と大子の街並み、それに袋田の滝方面の山に西日があたり輝いているのが見えます。
もう晩秋ですね。
大子(袋田)地方もこれから寒くなります。
ことしも袋田の滝は全面凍結をするのでしょうか?
去年は1月の短い期間だけだったと思います。
少し遅れたもみじ見学となりましたが、遅すぎたというほどでもなく綺麗でした。
また来年も来たいですね。
今回は奥久慈の山全体の紅葉もまだ充分楽しめました。
大子の町にもまだ日は差しています。
そして向こう側の紅葉した山肌に西日が眩しく光ります。
写真は朝に限るとどこかで読んだような気もしますが、この晩秋が暮れゆく様は夕方だけですね。
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(今回の写真も皆サムネルです)
境内の地蔵とシャクナゲ。
時間はすでに3時を過ぎ、日が傾いて、東向きのこの寺には既に山の帳が下り始めていました。
5月の頃にもきっと別な姿を見せてくれるのでしょう。
ご住職の寺の手入れが隅々まで感じられる気持ちの良いお寺です。
寺の裏山には檀家の墓地などもありますが、少し登ってみました。
寺の本堂の裏側です。大きな立派な本堂です。
こちら側から見ると、寺と大子の街並み、それに袋田の滝方面の山に西日があたり輝いているのが見えます。
もう晩秋ですね。
大子(袋田)地方もこれから寒くなります。
ことしも袋田の滝は全面凍結をするのでしょうか?
去年は1月の短い期間だけだったと思います。
少し遅れたもみじ見学となりましたが、遅すぎたというほどでもなく綺麗でした。
また来年も来たいですね。
今回は奥久慈の山全体の紅葉もまだ充分楽しめました。
大子の町にもまだ日は差しています。
そして向こう側の紅葉した山肌に西日が眩しく光ります。
写真は朝に限るとどこかで読んだような気もしますが、この晩秋が暮れゆく様は夕方だけですね。
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常陸大子
本日2本目の記事です。
先程東京の方でも地震がありました。最近地震が多いですね。
昨夜から大きな地震が4つも続きました。やはり心配になります。
日本三大瀑布袋田の滝で知られる水郡線(水戸-郡山)の常陸大子駅に立ち寄った。
紅葉見物に永源寺に行った帰りだが、寺に行くときにこの駅の先の踏切を渡ったのだが、珍しく警報器がなっていてしばらく待たされた。
すると蒸気機関車が機動車に連結されてゆっくりと通過していった。
もちろん蒸気は出していないので運ばれてきたらしい。
あっと思ったが、車から降りるわけにも行かず、帰り際に近くで車を止めて見ると、車庫に格納されているのが見えた。
機関区の敷地に入らないとよく見えないので写真は諦めた。
これが常陸大子(だいご)駅。
駅のとなりの敷地に蒸気機関車が展示されていた。
C12型の蒸気機関車である。D51などに比べてみるとまるで小さい。
迫力はあまりない。
これが昭和45年までこの水郡線を走っていたのだという。
この大子駅にはこの機関車を反転する円形のテーブルが残されているという。
さて、11月30~12/2の3日間なつかしのSLを水郡線に走らせるそうだ。
また11/25~12/2には近くの特設テントにて「鉄道模型博物館・青空市場」も開催されるという。
車庫に入れられたSLはきっとこの時に走らせる蒸気機関車なのだろうと思う。
これは真岡鉄道で走らせているSLを借りてきたらしい。
ここに展示してあるのは「C11187」で、今回走るのは「C11325」?
駅前のすぐ近くにあった石蔵倉庫。
そうそうこの蒸気機関車の運行は旧型客車3両で常陸大子9:00に水戸向かいますが、ジーゼルでの牽引だそうです。
水戸から12:00に常陸大子に向かう時にC12蒸気機関車が煙をはくのだそうですよ。(常陸大子着14:17)
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先程東京の方でも地震がありました。最近地震が多いですね。
昨夜から大きな地震が4つも続きました。やはり心配になります。
日本三大瀑布袋田の滝で知られる水郡線(水戸-郡山)の常陸大子駅に立ち寄った。
紅葉見物に永源寺に行った帰りだが、寺に行くときにこの駅の先の踏切を渡ったのだが、珍しく警報器がなっていてしばらく待たされた。
すると蒸気機関車が機動車に連結されてゆっくりと通過していった。
もちろん蒸気は出していないので運ばれてきたらしい。
あっと思ったが、車から降りるわけにも行かず、帰り際に近くで車を止めて見ると、車庫に格納されているのが見えた。
機関区の敷地に入らないとよく見えないので写真は諦めた。
これが常陸大子(だいご)駅。
駅のとなりの敷地に蒸気機関車が展示されていた。
C12型の蒸気機関車である。D51などに比べてみるとまるで小さい。
迫力はあまりない。
これが昭和45年までこの水郡線を走っていたのだという。
この大子駅にはこの機関車を反転する円形のテーブルが残されているという。
さて、11月30~12/2の3日間なつかしのSLを水郡線に走らせるそうだ。
また11/25~12/2には近くの特設テントにて「鉄道模型博物館・青空市場」も開催されるという。
車庫に入れられたSLはきっとこの時に走らせる蒸気機関車なのだろうと思う。
これは真岡鉄道で走らせているSLを借りてきたらしい。
ここに展示してあるのは「C11187」で、今回走るのは「C11325」?
駅前のすぐ近くにあった石蔵倉庫。
そうそうこの蒸気機関車の運行は旧型客車3両で常陸大子9:00に水戸向かいますが、ジーゼルでの牽引だそうです。
水戸から12:00に常陸大子に向かう時にC12蒸気機関車が煙をはくのだそうですよ。(常陸大子着14:17)
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タバッコ峠とアップルライン
このブログでも何度か紹介している「タバッコ峠」。
カタカナで書く名前の峠の意味は前にも書いているので省略しますが、今回も永源寺に行くときにとおりましたので雰囲気を紹介しておきます。
県道293号線を北上すると常陸大宮市の美和に来ます。
ここは昔、紙街道としても紹介しました。
その「鷲子」(とりのこ)の信号を左折する「道の駅みわ」があり、鷲子山上神社や馬頭の方に行きます。
しかし、地元の人以外にあまりこの右手の道を行く人は少ないようです。
右に曲がってすぐに「三浦杉公園」があります。
ここが三浦杉の公園です。桜の頃来た時は特に綺麗でした。(記事こちら)
この正面の奥に鳥居が見えますが、ここの神社にものすごい杉の木があります。
これも前に何回も紹介しています。
道を先に行くとすぐ尺丈山の方に左折して、その先を袋田方面に進みます。
最初小川に沿った2車線の綺麗な道が続き、里山の風情を楽しむうちに山道に入り1車線の道になります。
杉林の山道を登っていきますが、割合と走りやすい道です。
タバッコ峠は意外に近く、登りきったところがこの峠ですが、峠の名前の書かれているものは何もありません。
町の境界線の標識だけが建っています。
今登ってきた方向は上の写真のとおり。こちらが常陸大宮市(旧美和町)です。
峠からすぐに道は下りになります。これから行く方は「大子町」です。
しばらく山道を下りますが、部落が点在して見えてきます。
この部落は「栃原」です。かなり昔からこの地には人が住んでいたようです。
金が取れたことも関係しているかもしれません。
写真のように製材業の方も結構おられるのでしょう。
家を出るのが遅くなり、このあたりで午後2時半を過ぎてしまいました。
もう山の西側は日陰になり、向こうの山は日が差して明るくなっています。
今までブログには書いていませんでしたが、ここ栃原のこんにゃく屋さんに時々行っています。
ここのこんにゃくが最高に美味しいです。
一度食べたらやめられない。
ほかのコンニャクは食べられません。
「青砥こんにゃく」さん。
この山の中で美味しいコンニャク作りを続けておられます。
こんなに美味しいのにまだまだ知られていないんですよね。
ご主人、奥様とお話しました。
「最近どうですか?都会の方ならきっと売れると思いますよ。銀座にテナントショップもできているのでどうですか?」
「この前に土浦の霞月楼さんの花火弁当に使ってもらいました。まだ東京までは・・・。」
などとお孫さんとおしゃべりしながらお話を伺いました。
いよいよ銀座にも進出してもらいたいな~。
その時は、このパックには大きなこんにゃくが3つ入っているけど2つ位の方が食べやすく買いやすいとおもうな。
刺身にしてわさび醤油で早速いただきました。
お刺身でもよし、おでん、スキヤキ、弁当のおかずなどにもきっと喜ばれるだろうと思います。
醤油だしで煮ても美味しく沢山食べられるのだけれど、今の都会の人は少しでいいんですよね。
お話をいたら、時間も夕方3時少し前になってしまい、永源寺のもみじ見学も諦めようかと話をしたら、この先の道を左に曲がってまっすぐ行けば15分くらいで行けるとのこと。
そこで、綺麗になった道を左へ。標識には「アップルライン」と書かれていました。
山を登っていく道のようです。
少しいったところに道祖神碑の立て看板がありました。
通り沿いに車を停めるスペースがないので、看板近くを見たけれど肝心の道祖神碑は見当たらず。
停車しているのは車がほとんどないのですがあぶないので先に進むことにしました。
(サムネルです)
道は山を登って行き、徐々に見晴らしが良くなってきます。
写真を撮りたいのですが、停車できる場所がなくやっと撮った写真です。
左半分の山は杉林。右側半分が一面に紅葉していました。
カタカナで書く名前の峠の意味は前にも書いているので省略しますが、今回も永源寺に行くときにとおりましたので雰囲気を紹介しておきます。
県道293号線を北上すると常陸大宮市の美和に来ます。
ここは昔、紙街道としても紹介しました。
その「鷲子」(とりのこ)の信号を左折する「道の駅みわ」があり、鷲子山上神社や馬頭の方に行きます。
しかし、地元の人以外にあまりこの右手の道を行く人は少ないようです。
右に曲がってすぐに「三浦杉公園」があります。
ここが三浦杉の公園です。桜の頃来た時は特に綺麗でした。(記事こちら)
この正面の奥に鳥居が見えますが、ここの神社にものすごい杉の木があります。
これも前に何回も紹介しています。
道を先に行くとすぐ尺丈山の方に左折して、その先を袋田方面に進みます。
最初小川に沿った2車線の綺麗な道が続き、里山の風情を楽しむうちに山道に入り1車線の道になります。
杉林の山道を登っていきますが、割合と走りやすい道です。
タバッコ峠は意外に近く、登りきったところがこの峠ですが、峠の名前の書かれているものは何もありません。
町の境界線の標識だけが建っています。
今登ってきた方向は上の写真のとおり。こちらが常陸大宮市(旧美和町)です。
峠からすぐに道は下りになります。これから行く方は「大子町」です。
しばらく山道を下りますが、部落が点在して見えてきます。
この部落は「栃原」です。かなり昔からこの地には人が住んでいたようです。
金が取れたことも関係しているかもしれません。
写真のように製材業の方も結構おられるのでしょう。
家を出るのが遅くなり、このあたりで午後2時半を過ぎてしまいました。
もう山の西側は日陰になり、向こうの山は日が差して明るくなっています。
今までブログには書いていませんでしたが、ここ栃原のこんにゃく屋さんに時々行っています。
ここのこんにゃくが最高に美味しいです。
一度食べたらやめられない。
ほかのコンニャクは食べられません。
「青砥こんにゃく」さん。
この山の中で美味しいコンニャク作りを続けておられます。
こんなに美味しいのにまだまだ知られていないんですよね。
ご主人、奥様とお話しました。
「最近どうですか?都会の方ならきっと売れると思いますよ。銀座にテナントショップもできているのでどうですか?」
「この前に土浦の霞月楼さんの花火弁当に使ってもらいました。まだ東京までは・・・。」
などとお孫さんとおしゃべりしながらお話を伺いました。
いよいよ銀座にも進出してもらいたいな~。
その時は、このパックには大きなこんにゃくが3つ入っているけど2つ位の方が食べやすく買いやすいとおもうな。
刺身にしてわさび醤油で早速いただきました。
お刺身でもよし、おでん、スキヤキ、弁当のおかずなどにもきっと喜ばれるだろうと思います。
醤油だしで煮ても美味しく沢山食べられるのだけれど、今の都会の人は少しでいいんですよね。
お話をいたら、時間も夕方3時少し前になってしまい、永源寺のもみじ見学も諦めようかと話をしたら、この先の道を左に曲がってまっすぐ行けば15分くらいで行けるとのこと。
そこで、綺麗になった道を左へ。標識には「アップルライン」と書かれていました。
山を登っていく道のようです。
少しいったところに道祖神碑の立て看板がありました。
通り沿いに車を停めるスペースがないので、看板近くを見たけれど肝心の道祖神碑は見当たらず。
停車しているのは車がほとんどないのですがあぶないので先に進むことにしました。
(サムネルです)
道は山を登って行き、徐々に見晴らしが良くなってきます。
写真を撮りたいのですが、停車できる場所がなくやっと撮った写真です。
左半分の山は杉林。右側半分が一面に紅葉していました。
袋田の滝-未だ氷結せず
日本三大瀑布といわれる袋田の滝は、完全氷結をすることでも知られています。
昨年は1月の今頃1週間程度しか完全氷結しなかった。
氷結しない年も多いのでこれもタイミングですね。
今日は銚子に行っていて今帰りましたが、昨日は別な用事が有り、袋田の方面に行く機会があったので、足を伸ばして滝見物に行ってきました。
昨日の夜中から朝にかけては、こちらでは雨でしたが、大子周辺ではかなり雪が降ったそうです。
常陸太田を通る里見街道側から回っていったのですが、山道を15kmほど通ることになります。
雪も除雪されて心配ないかとも思ったのですが、山道を登るつれて、道路の雪が増えてきて途中で引き返そうかとも思いました。
でも、危なそうな場所は一部でしたのでノロノロ運転で無事到着。
棚倉街道沿い(水郡線沿い)はそれほど雪もないので、滝に行かれるのなら水郡線側から入ってください。
観瀑台へはこのようなトンネルで行きます。(入場料が300円かかります)
(サムネルです)
滝は上の方が一部氷結しているだけで、まだほとんど凍っていません。
滝は4段で流れ落ちるので、4度の滝と言われています。
冬ですがかなり水量はありました。
(サムネルです)
滝壺から立ち上がる水煙り。 午後3時近くでしたので、お客さんは私を入れて5人。
やはり凍った滝が目当てだったのでしょうね。
今はエレベータができて、滝を高い場所から見ることができます。
エレベータも入場料に含まれるので使わないと損とも思いましたが、まだ」行くところが有り遅くなると道が凍ってきますので早々に引き上げました。
(サムネルです)
(サムネルです)
帰りはトンネルの途中から吊り橋をわたって外に出ました。
(サムネルです)
観瀑台と滝の位置関係がよくわかります。
さて、話は変わりますが、アルジェリアの人質事件で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
犠牲になられた方々が私と同じような年代の方が多くおられたことにあらためて驚きました。
この会社には仕事では随分お世話になり、横浜の本社にも何度もおじゃましました。
毎年会う約束をしている(なかなか忙しくて会えないが)同期の友人もいますので人ごとではありません。
昔イラク戦争前にクエートの人質事件には関係者が何人かいましたが、無事戻れたことを思い出していました。
しかし、今回は残念の極みです。
世の中からこのようなことがなくなる日は訪れないのでしょうか。
イスラムを悪者にしてはいけません。たくさんの友人もいます。
憎むべきはテロリストとそれを支える組織や貧困です。
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昨年は1月の今頃1週間程度しか完全氷結しなかった。
氷結しない年も多いのでこれもタイミングですね。
今日は銚子に行っていて今帰りましたが、昨日は別な用事が有り、袋田の方面に行く機会があったので、足を伸ばして滝見物に行ってきました。
昨日の夜中から朝にかけては、こちらでは雨でしたが、大子周辺ではかなり雪が降ったそうです。
常陸太田を通る里見街道側から回っていったのですが、山道を15kmほど通ることになります。
雪も除雪されて心配ないかとも思ったのですが、山道を登るつれて、道路の雪が増えてきて途中で引き返そうかとも思いました。
でも、危なそうな場所は一部でしたのでノロノロ運転で無事到着。
棚倉街道沿い(水郡線沿い)はそれほど雪もないので、滝に行かれるのなら水郡線側から入ってください。
観瀑台へはこのようなトンネルで行きます。(入場料が300円かかります)
(サムネルです)
滝は上の方が一部氷結しているだけで、まだほとんど凍っていません。
滝は4段で流れ落ちるので、4度の滝と言われています。
冬ですがかなり水量はありました。
(サムネルです)
滝壺から立ち上がる水煙り。 午後3時近くでしたので、お客さんは私を入れて5人。
やはり凍った滝が目当てだったのでしょうね。
今はエレベータができて、滝を高い場所から見ることができます。
エレベータも入場料に含まれるので使わないと損とも思いましたが、まだ」行くところが有り遅くなると道が凍ってきますので早々に引き上げました。
(サムネルです)
(サムネルです)
帰りはトンネルの途中から吊り橋をわたって外に出ました。
(サムネルです)
観瀑台と滝の位置関係がよくわかります。
さて、話は変わりますが、アルジェリアの人質事件で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
犠牲になられた方々が私と同じような年代の方が多くおられたことにあらためて驚きました。
この会社には仕事では随分お世話になり、横浜の本社にも何度もおじゃましました。
毎年会う約束をしている(なかなか忙しくて会えないが)同期の友人もいますので人ごとではありません。
昔イラク戦争前にクエートの人質事件には関係者が何人かいましたが、無事戻れたことを思い出していました。
しかし、今回は残念の極みです。
世の中からこのようなことがなくなる日は訪れないのでしょうか。
イスラムを悪者にしてはいけません。たくさんの友人もいます。
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袋田周辺
茨城県大子町にある袋田の滝に行った時の周りの様子を少し紹介します。
町営の無料駐車場から滝まで1km以上ありますが、近くにもお店の駐車場もあるのですがお店もほとんどしまっています。
滝から流れてくる川には水鳥(鴨?)がのんびり泳いでいます。
水は澄んでいますが寒そうです。 この川は少し先の方で久慈川に注ぎます。
(サムネルです)
袋田の滝は山の高い場所ではなく、比較的麓の方にあります。この山を越えて向こう側に少し行くと福島県(矢祭町)になります。
(サムネルです)
干し柿が吊るされています。
(サムネルです)
ここは滝入口前のお店です。コンニャクなどを売っていたと思いますが、このじきは開いていません。
土日には開くのかもしれません。
(サムネルです)
雪は少ないのですが、旅館も暇そうです。
(サムネルです)
大きな氷柱が目を引きました。
やはりこの滝は全面凍結しないと冬場は人が来ないのですね。
ライブカメラの中継もあるそうです。
せっかくこのブログも見ていただいてのですから、数年前に撮った凍った滝も載せておきますね。
(前にも載せています)
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町営の無料駐車場から滝まで1km以上ありますが、近くにもお店の駐車場もあるのですがお店もほとんどしまっています。
滝から流れてくる川には水鳥(鴨?)がのんびり泳いでいます。
水は澄んでいますが寒そうです。 この川は少し先の方で久慈川に注ぎます。
(サムネルです)
袋田の滝は山の高い場所ではなく、比較的麓の方にあります。この山を越えて向こう側に少し行くと福島県(矢祭町)になります。
(サムネルです)
干し柿が吊るされています。
(サムネルです)
ここは滝入口前のお店です。コンニャクなどを売っていたと思いますが、このじきは開いていません。
土日には開くのかもしれません。
(サムネルです)
雪は少ないのですが、旅館も暇そうです。
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大きな氷柱が目を引きました。
やはりこの滝は全面凍結しないと冬場は人が来ないのですね。
ライブカメラの中継もあるそうです。
せっかくこのブログも見ていただいてのですから、数年前に撮った凍った滝も載せておきますね。
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久慈川-家和楽の桜
4月4日の桜めぐりの続きです。
久慈川を袋田方面に向かって行くと、奥久慈地方に入ります。
この入口付近に山方宿、和紙の里の西ノ内があり、その少し先に「家和楽(やわら)」という地名がある。
少し変わった名前なのでいつも気になっていたところだが、名前は比較的新しい(江戸時代後期)のだそうだ。
しかし、漢字は当て字だとしても何か意味がありそうだ。
県道を進んでいると川沿いに桜の並木が見えた。
運動場などの農村公園という施設が広がり桜が綺麗に咲いていた。
また、久慈川沿いに遊歩道があり、桜のトンネルが続いていた。
久慈川の山あいに流れる清流と桜の花はとても風情がある。
さて、桜はほとんどもう終わりに近づいているが、私の近くでは梨の白い可憐な花畑が目につくようになった。
これもここ数日のことだ。
去年よりも10日ほど早いように思う。
今はほとんどの梨畑では細かい網で周囲を覆い、ヒョウなどが降りそうな天気の時は天井もあみをかぶせるようだ。
これも実が付いたら毎日気にしなければならない。
4月になって新入社員も入ってきてみな初々しい感じの若者をたくさん見かける。
また今日は入学式のところも多かったようで、真新しい学生服の子供達と、付き添いの緊張した面持ちの親御さんたちも多く見かけた。
そういえばこんなこともあったんだなと思い出したりしていた。
(おいおい何年前の話だ??)(自分が親の時もあったし、子供の頃もあった)
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久慈川を袋田方面に向かって行くと、奥久慈地方に入ります。
この入口付近に山方宿、和紙の里の西ノ内があり、その少し先に「家和楽(やわら)」という地名がある。
少し変わった名前なのでいつも気になっていたところだが、名前は比較的新しい(江戸時代後期)のだそうだ。
しかし、漢字は当て字だとしても何か意味がありそうだ。
県道を進んでいると川沿いに桜の並木が見えた。
運動場などの農村公園という施設が広がり桜が綺麗に咲いていた。
また、久慈川沿いに遊歩道があり、桜のトンネルが続いていた。
久慈川の山あいに流れる清流と桜の花はとても風情がある。
さて、桜はほとんどもう終わりに近づいているが、私の近くでは梨の白い可憐な花畑が目につくようになった。
これもここ数日のことだ。
去年よりも10日ほど早いように思う。
今はほとんどの梨畑では細かい網で周囲を覆い、ヒョウなどが降りそうな天気の時は天井もあみをかぶせるようだ。
これも実が付いたら毎日気にしなければならない。
4月になって新入社員も入ってきてみな初々しい感じの若者をたくさん見かける。
また今日は入学式のところも多かったようで、真新しい学生服の子供達と、付き添いの緊張した面持ちの親御さんたちも多く見かけた。
そういえばこんなこともあったんだなと思い出したりしていた。
(おいおい何年前の話だ??)(自分が親の時もあったし、子供の頃もあった)
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栃原金山
袋田の滝のある大子町の手前の上小川駅から西側に入ったところに栃原という場所がある。
ここに戦国時代までこの地を治めていた佐竹氏の隠れ金山がある。
先日、久慈川に架かる「上小川橋」を渡って、タバッコ峠を越え高部(たかぶ)に向かった。
上小川橋は平成7年に新しい橋に架け替えられているが、昭和8年に建設された初代上小川橋の欄干が記念碑とともに残されている。
この地方は山深く、林業が盛んである。
久慈川の支流「大沢川」に沿って山水画のような景色を眺めながら栃原部落に入っていく。
栃原部落に入ってすぐに「栃原金山」のかすれたような大きな看板があり、金山への入口が見える。
上の写真は、入り口に架かるアーチ型の門で、この写真は門をくぐってから振り返った景色である。
奥に見えるのが今来た県道32号線で、右が上小川橋、左がタバッコ峠を越えて高部・美和方面に出る。
アーチ門の脇に車の駐車場と今は使われなくなった金山事務所と食堂・土産物屋が残されている。
ここから金山まで車でも入れるようだが、すれ違いもできない道で、入口の元駐車場に車を置いて10分ほど山道を進んだが、建物などが見えてこないので引き返してきてしまった。
まあ、時間があまり取れなかったので、廃坑の跡を見に苦労することもないだろうという思いが働いたのも事実だ。
あとから調べたら、20分以上かかるようだ。
私がこの金山の存在を知ったのはもうずいぶん前に、金の採掘場の見学と金採り体験ができると記事を見かけてことがあったのである。
戦国時代に常陸国は最後には佐竹氏が支配したが、その頃にこの金山の存在が軍資金を得るのに必要だったという。
茨城最北部の八溝山系に連なるこの領域では昔は金が採れてらしく、佐竹氏も16世紀にこの金山の開発を行い多量の良質な金が採掘されたそうだ。
佐竹氏が秋田に移ってから、この金山は閉鎖され長い間眠っていたのであったが、昭和3年(1928年)に地元の業者が再開発し一気にゴールドラッシュが起こったという。
しかし、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に金の価値の下落とともに採算が合わなくなり閉山となった。
この金山の金の含有率(1トン中の金が30g)が比較的高かったのに目をつけて東洋金属鉱業が昭和62年(1987年)に金山を再興した。
しかしこれもつかの間で、採算が取れなくなると観光資源「砂金探し」として売りだしたのだ。
精錬所などの土や砂利などを水で洗って砂金が結構採れたようで、観光としてもまずまずであったようだが、落盤などがあり、金山はまた閉鎖され、数年前まで行われていた観光も行われなくなったという。
今ではこの地はコンニャク栽培と林業が盛んな場所である。
今回は奥まで入ることをやめてしまったが、今度また山歩きを兼ねて挑戦してみよう。
金山入口までは片道20~30分くらいだが、施設としてはその奥もあるという。
ここに戦国時代までこの地を治めていた佐竹氏の隠れ金山がある。
先日、久慈川に架かる「上小川橋」を渡って、タバッコ峠を越え高部(たかぶ)に向かった。
上小川橋は平成7年に新しい橋に架け替えられているが、昭和8年に建設された初代上小川橋の欄干が記念碑とともに残されている。
この地方は山深く、林業が盛んである。
久慈川の支流「大沢川」に沿って山水画のような景色を眺めながら栃原部落に入っていく。
栃原部落に入ってすぐに「栃原金山」のかすれたような大きな看板があり、金山への入口が見える。
上の写真は、入り口に架かるアーチ型の門で、この写真は門をくぐってから振り返った景色である。
奥に見えるのが今来た県道32号線で、右が上小川橋、左がタバッコ峠を越えて高部・美和方面に出る。
アーチ門の脇に車の駐車場と今は使われなくなった金山事務所と食堂・土産物屋が残されている。
ここから金山まで車でも入れるようだが、すれ違いもできない道で、入口の元駐車場に車を置いて10分ほど山道を進んだが、建物などが見えてこないので引き返してきてしまった。
まあ、時間があまり取れなかったので、廃坑の跡を見に苦労することもないだろうという思いが働いたのも事実だ。
あとから調べたら、20分以上かかるようだ。
私がこの金山の存在を知ったのはもうずいぶん前に、金の採掘場の見学と金採り体験ができると記事を見かけてことがあったのである。
戦国時代に常陸国は最後には佐竹氏が支配したが、その頃にこの金山の存在が軍資金を得るのに必要だったという。
茨城最北部の八溝山系に連なるこの領域では昔は金が採れてらしく、佐竹氏も16世紀にこの金山の開発を行い多量の良質な金が採掘されたそうだ。
佐竹氏が秋田に移ってから、この金山は閉鎖され長い間眠っていたのであったが、昭和3年(1928年)に地元の業者が再開発し一気にゴールドラッシュが起こったという。
しかし、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に金の価値の下落とともに採算が合わなくなり閉山となった。
この金山の金の含有率(1トン中の金が30g)が比較的高かったのに目をつけて東洋金属鉱業が昭和62年(1987年)に金山を再興した。
しかしこれもつかの間で、採算が取れなくなると観光資源「砂金探し」として売りだしたのだ。
精錬所などの土や砂利などを水で洗って砂金が結構採れたようで、観光としてもまずまずであったようだが、落盤などがあり、金山はまた閉鎖され、数年前まで行われていた観光も行われなくなったという。
今ではこの地はコンニャク栽培と林業が盛んな場所である。
今回は奥まで入ることをやめてしまったが、今度また山歩きを兼ねて挑戦してみよう。
金山入口までは片道20~30分くらいだが、施設としてはその奥もあるという。
根渡神社(大子町)
茨城県北部の袋田の滝の手前の上小川から大沢川に沿って山の方に登っていくと、途中の栃尾金山跡の少し手前の道路沿いに「根渡神社」がある。
少し気になり立寄った。
根渡神社というのはどのような神社なのか? あまり平野にはないように思うが・・・。
少し調べて見ると、関東北部から東北南部の地に同じような名前の神社がたくさんあると言う。
名前も「根渡」「子渡」とネワタリと言う神社ばかりではなく「二渡」「荷渡」「仁渡」「庭渡」「二羽渡」「新渡」などとニワタリも多くある。また「三渡」「見渡」「海渡」「御渡」「水渡」などミワタリもある。
これらの「ネワタリ神社」や「ニワタリ神社」などはそれ程大きな神社はないが、山間部などの集落で大事にされている神社が多いようだ。但しミワタリというのは水渡で山間部よりは水辺なのかもしれない。
大沢川に沿った県道32号線を北上し、栃原の金山跡への分岐の1km程手前の道路沿い山側に建っている。
山の鎮守様といった感じの神社だが、かなり古くからあるようだ。
しかし、何が祀られているのかが良くわからない。
ニワタリで鶏の神を祀っているというのもあったが、少し違うような気がする。
ネワタリでやはり山の神を祭っているのか?
静岡の三島では根渡神社に「武内宿祢(たけうちすくね)命」を祭っていたという記述があった。
これは面白い。
武内宿祢は大和朝廷の成立期に関東の北部までやって来て、この地を攻めて取るべしと進言したと言われる人物だ。
ただ関東北部から東北南部の根渡神社は大己貴命(大国主)や 面足命などの国生みの頃の神を祭っているところが多いようだ。
また海洋族の祭神「おおわたつみの神」を祭るところもある。これも興味深い。
ここ大子の根渡神社の祭神はわからなかった。
古びた石段を登ると拝殿前に左右に狛犬。
この狛犬はちょっと気になる。なかなか個性的だ。
神社境内の隅に立派な岩が。
さて本殿は? この上?
拝殿はこのような平たい台地の上に建っていますが、すぐ裏が山です。
本殿はこの裏山にあります。そしてコンクリートで出来た階段があるのですが、段差があってすぐに登れません。
よじ登ればいいのですが、そこまですることもないのであきらめました。
きっと何かある時は台でも持って来て登るのでしょう。一般の人は登るの禁止?
この神社はやはり良くある岩や山を祭る神社でしょう。
山の神です。
この先の栃原で聞いたのですが、この辺りは木材の切り出しも多く、栽培しているものも野菜のほかお茶はあるそうですが、お米の栽培はほとんどやっていないそうです。
少し気になり立寄った。
根渡神社というのはどのような神社なのか? あまり平野にはないように思うが・・・。
少し調べて見ると、関東北部から東北南部の地に同じような名前の神社がたくさんあると言う。
名前も「根渡」「子渡」とネワタリと言う神社ばかりではなく「二渡」「荷渡」「仁渡」「庭渡」「二羽渡」「新渡」などとニワタリも多くある。また「三渡」「見渡」「海渡」「御渡」「水渡」などミワタリもある。
これらの「ネワタリ神社」や「ニワタリ神社」などはそれ程大きな神社はないが、山間部などの集落で大事にされている神社が多いようだ。但しミワタリというのは水渡で山間部よりは水辺なのかもしれない。
大沢川に沿った県道32号線を北上し、栃原の金山跡への分岐の1km程手前の道路沿い山側に建っている。
山の鎮守様といった感じの神社だが、かなり古くからあるようだ。
しかし、何が祀られているのかが良くわからない。
ニワタリで鶏の神を祀っているというのもあったが、少し違うような気がする。
ネワタリでやはり山の神を祭っているのか?
静岡の三島では根渡神社に「武内宿祢(たけうちすくね)命」を祭っていたという記述があった。
これは面白い。
武内宿祢は大和朝廷の成立期に関東の北部までやって来て、この地を攻めて取るべしと進言したと言われる人物だ。
ただ関東北部から東北南部の根渡神社は大己貴命(大国主)や 面足命などの国生みの頃の神を祭っているところが多いようだ。
また海洋族の祭神「おおわたつみの神」を祭るところもある。これも興味深い。
ここ大子の根渡神社の祭神はわからなかった。
古びた石段を登ると拝殿前に左右に狛犬。
この狛犬はちょっと気になる。なかなか個性的だ。
神社境内の隅に立派な岩が。
さて本殿は? この上?
拝殿はこのような平たい台地の上に建っていますが、すぐ裏が山です。
本殿はこの裏山にあります。そしてコンクリートで出来た階段があるのですが、段差があってすぐに登れません。
よじ登ればいいのですが、そこまですることもないのであきらめました。
きっと何かある時は台でも持って来て登るのでしょう。一般の人は登るの禁止?
この神社はやはり良くある岩や山を祭る神社でしょう。
山の神です。
この先の栃原で聞いたのですが、この辺りは木材の切り出しも多く、栽培しているものも野菜のほかお茶はあるそうですが、お米の栽培はほとんどやっていないそうです。
上岡小学校(大子町)
もうだいぶ前にブログの「なかなかひたちなか」のkurokenさんが紹介していた袋田の滝の少し先の方にあるい今は廃校となった「上岡(うわおか)小学校」に先週やっといってきました。
NHKドラマの「おひさま」の撮影に使われた学校です。
なんともこの雰囲気がいいのです。
中には入れませんでしたので内部の写真も、外から中を覗いた写真です。
(今回写真は全てクリックすると大きな画像を表示します。)
明治12年に開校した学校だそうです。
でも最近は学校の廃校が各地で増えています。
ここはフィルムのロケ地として残していくようです。
どこか懐かしくなりますよね。
奥の山間の雰囲気もとても郷愁を誘うのです。
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NHKドラマの「おひさま」の撮影に使われた学校です。
なんともこの雰囲気がいいのです。
中には入れませんでしたので内部の写真も、外から中を覗いた写真です。
(今回写真は全てクリックすると大きな画像を表示します。)
明治12年に開校した学校だそうです。
でも最近は学校の廃校が各地で増えています。
ここはフィルムのロケ地として残していくようです。
どこか懐かしくなりますよね。
奥の山間の雰囲気もとても郷愁を誘うのです。
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袋田の滝
だいぶ冷え込みが厳しくなってきたので昨日午後から茨城県北部の袋田の滝に行ってきました。
水曜日頃に7~8割くらいが凍結したと聞いていたので、完全凍結までもうすこしだとおもっていたのですが、その後の冷え込みが少し緩んでも来たようで完全氷結とはなっていませんでした。
これからもう少し寒さが続けば今月下旬頃に凍結するかもしれません。
(写真はクリックすれば拡大します)
エレベータにのって44m上にいきます。
そして下にまた降りて今度は滝を横から。
吊り橋と滝。滝の目の前に第1観瀑台。
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水曜日頃に7~8割くらいが凍結したと聞いていたので、完全凍結までもうすこしだとおもっていたのですが、その後の冷え込みが少し緩んでも来たようで完全氷結とはなっていませんでした。
これからもう少し寒さが続けば今月下旬頃に凍結するかもしれません。
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エレベータにのって44m上にいきます。
そして下にまた降りて今度は滝を横から。
吊り橋と滝。滝の目の前に第1観瀑台。
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袋田の滝(2)
袋田の滝の下流側の久慈川では先日「シガ」が流れたとニュースで言っていた。
滝に向かう途中で川面に時々眼をやって見ていたが、これが流れるのはやはり午後見るのはまだ無理なようだ。
川底の小石で氷が出来て川面に浮かんで流れてくる。こんな現象もこの川の特徴なのかもしれない。
車で川沿いを上流に向かってこの滝辺りまではほとんど氷もほとんど見えない。
しかし滝の近くの川に来ると徐々にかわが凍っているのがわかる。
この滝も沿道沿いに食事処や土産物屋が並ぶのであるが、秋のリンゴ狩りシーズンのようには観光客はいない。
町営の駐車場が滝の手前1000~1500mくらいの所にあるので、のんびり歩いていくがどの店もしまっているか閑古鳥が鳴いている。(金曜日の夕方)
ここは特徴的な構えの料理屋さんだが、今年はこんな「イノシシ」の看板が目を引いた。
ボタン鍋も美味しいのだが、あまりこの姿を見せられても私には食指は伸びない。
滝のすぐそばの川はこの通りだいぶ氷が張っていた。
毎年目につく大つららも健在。でもこれはもしかして人工的に水を撒いて造ったものか?
このつららの前には「案山子(かかし)」大会(里美のかかし祭り)での賞を撮った作品らしいものが2組飾られていました。
1つはグランプリをとったというこの流鏑馬。
もう一つが準グランプリ作品のフラダンス。
この寒そうなつららの前では、観るだけでも寒いです。
滝に向かう途中で川面に時々眼をやって見ていたが、これが流れるのはやはり午後見るのはまだ無理なようだ。
川底の小石で氷が出来て川面に浮かんで流れてくる。こんな現象もこの川の特徴なのかもしれない。
車で川沿いを上流に向かってこの滝辺りまではほとんど氷もほとんど見えない。
しかし滝の近くの川に来ると徐々にかわが凍っているのがわかる。
この滝も沿道沿いに食事処や土産物屋が並ぶのであるが、秋のリンゴ狩りシーズンのようには観光客はいない。
町営の駐車場が滝の手前1000~1500mくらいの所にあるので、のんびり歩いていくがどの店もしまっているか閑古鳥が鳴いている。(金曜日の夕方)
ここは特徴的な構えの料理屋さんだが、今年はこんな「イノシシ」の看板が目を引いた。
ボタン鍋も美味しいのだが、あまりこの姿を見せられても私には食指は伸びない。
滝のすぐそばの川はこの通りだいぶ氷が張っていた。
毎年目につく大つららも健在。でもこれはもしかして人工的に水を撒いて造ったものか?
このつららの前には「案山子(かかし)」大会(里美のかかし祭り)での賞を撮った作品らしいものが2組飾られていました。
1つはグランプリをとったというこの流鏑馬。
もう一つが準グランプリ作品のフラダンス。
この寒そうなつららの前では、観るだけでも寒いです。
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