2021年3月17~18日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工業が開発する新型ロケット「H3」の機体が、初めて鹿児島県の種子島宇宙センターで射点(打ち上げ地点)に姿をあらわした。今回初めて、第1段、第2段、エンジン、個体ロケットブースター、フェアリング(ロケットの先端部、衛星を格納する部位)を統合した機体のタンクに推進剤を注入する「極低温点検」と呼ばれる試験が実施された。JAXAがエンジンを一新したロケットを開発するのは、LE-7エンジンに刷新したH-IIの開発を始めた1986年以来28年ぶりのこととなる(その間、LE-7エンジンの改良型エンジンを使ったH-IIAなどが開発された)。H3のように、エンジンを含めた新型ロケットの開発は、エンジニアにとって現役期間中に2回ほどしか経験できないといい、JAXA宇宙輸送技術部門の岡田匡史プロジェクトマネージャは「20年に一度の式年遷宮のようなもの」と例えている。(3/25ヤフーニュース)
宇宙科学の最先端で式年遷宮という言葉を聞くとは思わなかった。式年遷宮は伊勢神宮で20年ごとに、内宮・外宮の二つの正宮の正殿などの社殿を造り替えることで、むろん、老朽化するからでもあるけど、当時の技術を継承するという意味も大きいらしい。
まあ、今の世界的な企業センスで言えば無駄とも言われるかもしれないけど、当時の技術を確実に継承、高めて未来に繋げていくという象徴的な役割を果たしているのだろう。
ロケット開発も100万点を超える部品を統合するものであり、さらに約3000℃の高温ガスを燃焼させるエンジンを備えた新型ロケット開発はひんぱんには経験できるもではなく、開発を止めてしまうと複雑なシステムなどを実現する「知見の継承」ができなくなってしまう。ゆえの式年遷宮。
伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとに行われる理由は不明らしいけど、当時の人間の寿命を考えれば脈々と技術の継承を計るためには20年という区切りが必要だったのかもしれない。さらに用材としての木、森は自然に寄り添い、待つものだから数百年単位で準備するというからなあ。
これからはロケットもコスト競争などももっと熾烈になるから、式年遷宮的な技術的・文化的発想が排除されていくようで心配だけど、ここは誠実、確実な式年遷宮的な発想を持ち続けてもらいたいものです。
これこそが式年遷宮が脈々と続けられた象徴的意味を体現するべき技術のひとつに違いないのだ。
一方、中国が打ち上げた大型ロケット「長征五号B」は機体の一部が、2021年5月9日ごろに大気圏に再突入する見通しだという。中国の宇宙ステーションのコア・モジュール「天和」を搭載した大型ロケットで、中国は今後も数年間に長征五号Bを使って宇宙ステーションのモジュールを少なくとも3基打ち上げる予定で、中国独自の宇宙ステーションを完成させるのだが、打ち上げに使う長征五号Bはどうも何のコントロールも出来ないまま落ちてくるようなのだ。回避する技術は様々な方法があるのに放置するのは地球に落ちる前にほとんどが燃えつき、落ちても多くは海であり、地上、人や建物などに損害が出るのはほとんどなく、余計なコストをかけないということでもあるらしい。
これで思い出すのはなにかの学生の座談会のようなもので読んだ、中国人学生が「一期一会」という言葉、言葉の意味に驚いたと言っていたこと。
「一期一会」という言葉を日本で初めて知ったという。
そうか、これは中国由来の言葉ではなかったのかと調べてみると千利休の茶道に由来する言葉であった。
意味はもちろん、この出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならないということなのだけど、中国人的(一般的なのかは分からない)には、一度きりならもう二度と会うこともなく、よって後顧の憂いはないのだから、ぞんざいに扱ってもかまわないのではないかとも思うらしい。
長征五号Bは一度きりでもないけど、まずは人に当たらないのだからぞんざいな扱いでもいいのだろうということだろうか。
かたや、日本はこの出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならない、よって最大限の努力を果たすこと、また実はそれこそが未来に繋がるということなのだろう。
これから始まる未知の宇宙との出会いなどはまさに「一期一会」でその連続にちがいなく、この発想こそが必要・大切になるにちがいなく、ぜひとも式年遷宮・一期一会的な日本のロケット、宇宙開発に頑張ってもらいたいものです。
また、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公 渋沢栄一は「会社は『私』の有機的結合体であるがゆえに尊いのであり、社会変革の有力な道具となりうる。なぜかといえば『公』が『私』を支配し、『私』が『公』の言いなりになっている限り、それは江戸時代の士農工商の身分制度といささかも変わりがないからである」と言っていて、つまり、会社、資本主義といっても金儲けではなく、社会変革の道具として江戸時代的な日本を変革しようとした。
そう考えたからこそ、私的欲望を離れ、政府高官、銀行、保険、輸送通信、繊維、鉄鋼、教育と近代装置のすべてに深く関与したと。(渋沢栄一(1)&(2)/鹿島茂より)
さらに大澤真幸教授は「資本主義という経済は必ずしも民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能するのではなく、中国の現状を見ればむしろ資本主義は権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だということだ。資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているのである」と言い、そんな懸念をもって大澤教授が資本主義を越える普遍性を求めるものが倫理学者ジョン・マクダウェル「徳と理性」というもの。
日本の式年遷宮・一期一会にもそのあたりのヒントが隠されているのではないだろうか。
身の程を越えた、よくも分からないのにえらい話になってしまった。
あーあ、疲れた。こんな長い話、読んでもらえるのだろうか。
やっぱり、アイドルや映画の話にしておこう。短めにして。
画像は「サンダーバード」。未来はこんな家内制手工業的な組織もいいのかもしれない。
宇宙科学の最先端で式年遷宮という言葉を聞くとは思わなかった。式年遷宮は伊勢神宮で20年ごとに、内宮・外宮の二つの正宮の正殿などの社殿を造り替えることで、むろん、老朽化するからでもあるけど、当時の技術を継承するという意味も大きいらしい。
まあ、今の世界的な企業センスで言えば無駄とも言われるかもしれないけど、当時の技術を確実に継承、高めて未来に繋げていくという象徴的な役割を果たしているのだろう。
ロケット開発も100万点を超える部品を統合するものであり、さらに約3000℃の高温ガスを燃焼させるエンジンを備えた新型ロケット開発はひんぱんには経験できるもではなく、開発を止めてしまうと複雑なシステムなどを実現する「知見の継承」ができなくなってしまう。ゆえの式年遷宮。
伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとに行われる理由は不明らしいけど、当時の人間の寿命を考えれば脈々と技術の継承を計るためには20年という区切りが必要だったのかもしれない。さらに用材としての木、森は自然に寄り添い、待つものだから数百年単位で準備するというからなあ。
これからはロケットもコスト競争などももっと熾烈になるから、式年遷宮的な技術的・文化的発想が排除されていくようで心配だけど、ここは誠実、確実な式年遷宮的な発想を持ち続けてもらいたいものです。
これこそが式年遷宮が脈々と続けられた象徴的意味を体現するべき技術のひとつに違いないのだ。
一方、中国が打ち上げた大型ロケット「長征五号B」は機体の一部が、2021年5月9日ごろに大気圏に再突入する見通しだという。中国の宇宙ステーションのコア・モジュール「天和」を搭載した大型ロケットで、中国は今後も数年間に長征五号Bを使って宇宙ステーションのモジュールを少なくとも3基打ち上げる予定で、中国独自の宇宙ステーションを完成させるのだが、打ち上げに使う長征五号Bはどうも何のコントロールも出来ないまま落ちてくるようなのだ。回避する技術は様々な方法があるのに放置するのは地球に落ちる前にほとんどが燃えつき、落ちても多くは海であり、地上、人や建物などに損害が出るのはほとんどなく、余計なコストをかけないということでもあるらしい。
これで思い出すのはなにかの学生の座談会のようなもので読んだ、中国人学生が「一期一会」という言葉、言葉の意味に驚いたと言っていたこと。
「一期一会」という言葉を日本で初めて知ったという。
そうか、これは中国由来の言葉ではなかったのかと調べてみると千利休の茶道に由来する言葉であった。
意味はもちろん、この出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならないということなのだけど、中国人的(一般的なのかは分からない)には、一度きりならもう二度と会うこともなく、よって後顧の憂いはないのだから、ぞんざいに扱ってもかまわないのではないかとも思うらしい。
長征五号Bは一度きりでもないけど、まずは人に当たらないのだからぞんざいな扱いでもいいのだろうということだろうか。
かたや、日本はこの出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならない、よって最大限の努力を果たすこと、また実はそれこそが未来に繋がるということなのだろう。
これから始まる未知の宇宙との出会いなどはまさに「一期一会」でその連続にちがいなく、この発想こそが必要・大切になるにちがいなく、ぜひとも式年遷宮・一期一会的な日本のロケット、宇宙開発に頑張ってもらいたいものです。
また、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公 渋沢栄一は「会社は『私』の有機的結合体であるがゆえに尊いのであり、社会変革の有力な道具となりうる。なぜかといえば『公』が『私』を支配し、『私』が『公』の言いなりになっている限り、それは江戸時代の士農工商の身分制度といささかも変わりがないからである」と言っていて、つまり、会社、資本主義といっても金儲けではなく、社会変革の道具として江戸時代的な日本を変革しようとした。
そう考えたからこそ、私的欲望を離れ、政府高官、銀行、保険、輸送通信、繊維、鉄鋼、教育と近代装置のすべてに深く関与したと。(渋沢栄一(1)&(2)/鹿島茂より)
さらに大澤真幸教授は「資本主義という経済は必ずしも民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能するのではなく、中国の現状を見ればむしろ資本主義は権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だということだ。資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているのである」と言い、そんな懸念をもって大澤教授が資本主義を越える普遍性を求めるものが倫理学者ジョン・マクダウェル「徳と理性」というもの。
日本の式年遷宮・一期一会にもそのあたりのヒントが隠されているのではないだろうか。
身の程を越えた、よくも分からないのにえらい話になってしまった。
あーあ、疲れた。こんな長い話、読んでもらえるのだろうか。
やっぱり、アイドルや映画の話にしておこう。短めにして。
画像は「サンダーバード」。未来はこんな家内制手工業的な組織もいいのかもしれない。
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