るらら科学の子 2024年11月24日
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理系・文系を重ねて見る光景は
ドラマ「マイダイアリー」 桜の木が数式に見える頃
テレ朝ドラマ「マイダイアリー」を見ているけど、かつての「オレンジ・デイズ」のようなさわやかで優しい青春群像ドラマで、皆それぞれが悩みも抱えながらキラキラとしていて眩しいなあと思っていたら、視聴率はさっぱりで評判も薄味で緩いとのことでよくないらしい。今どきはインパクトがあって毎回、何事か起きて引っ張っていかないと視聴率は上がらないのか。先日、NHKで「山田太一の手紙」を見たけど、山田さんがそんなドラマばかりを求めるテレビに絶望していく様子が見えて、ドラマはふつうのありふれた世界の中にこそあるのにと感じる人が少なくなってしまったのだろう。もちろん、その系譜を継ぐ人は岡田惠和などもいて、でも新しい脚本家が出て来てもこんなふうに出ばなををくじかれる評価ではなあ。青春時代こそ、ささやかなことにも心が大きく動き、その機微を丁寧に描くことで受ける感動はその時だけの貴重なものといえるのに。今や僕たちがノスタルジーとしてきゅんとするものとなってしまったのか。
ドラマ「マイダイアリー」の話だった。ドラマでは数学の天才!?も出て来て、満開の桜の美しさを数式で表そうというのだからすごい。あれ見て数式が浮かび、そして美しいと思えるのだね。天才にしろ青春時代の感性のみがもたらすのかもしれない。
僕はもう小学校の分数から数学は怪しかったのだけど、因数分解で頭が宙にとび、微積分ですべて宇宙人の言葉にしか見えなくなった。ある日などはようやくはっきり見えた美しい数式と解がダリの絵のごとくぐにゃりと崩れ、立て直しようもなく、もう抽象画のようにしか見えなくなってしまったけれど、桜に見る数式はこれの逆バージョンなのか。
最近も最大の素数が発見されたらしく(新発見された素数はちょっと長すぎるので、「M136279841」と略され、この数は2を136,279,841回かけ合わせ、そこから1を引いて計算される)、これはメルセンヌ素数と呼ぶというけど、想像がつかんなあ。
また「素数」がどのような間隔で分布するかに関する新たな定理も発見されているらしく、つまり、数が大きくなると素数はまばらにしか見つからず、1~100の100個の中には2、3、5など素数は25個あるが、同じ100個でも、10万1~10万100には素数は6個しかない。では数が大きくなると、素数の間隔は際限なく離れていくのか。新定理は「そんなことはない」と否定するものだという。どうやって発見して、どう証明するんだろね。素数は小学校でも習う基本的な数だが、まだまだ謎だらけなのだ。

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祖父の「算術筆記帳」と「筆算筆記帳」から。明治32年とあるから祖父が13歳の頃だと思うけど、読みにくいということもあるけど、もう、僕にはいきなり分からなかったりする。祖父は秀才だったらしい。

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こちらも祖父の「筆算筆記帳」の冒頭、敬格は小学校の名前で、関新助というのは和算の関孝和のこと。平方根も出てきた。僕などはや分数で迷いはじめ、これや因数分解などではほぼ途方に暮れた。

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図形が出てきた。具体的な例示の問題は実践的で算術が生活に密接、身近なものだということを教えてくれます。
ほんとうは「マイダイアリー」の清原果耶の画像も入れたかったのだが。桜を数式で表すことが出来るなら清原果耶を数式で表すことも可能だろうか。

素数ってシンプルな数字でありながら、数学界最大の難問といわれるらしいのだが、どうも素数には確たる法則性が見つからず、数学者にとっては法則性がないことは美しくないということなのだろうか。そして素数はいちばんシンプルで美しく、素数に何の法則も見出せないはずはないと。まあ、数学が赤点だった僕の言うことだからね。
ミステリードラマだと「ハードナッツ!~数学girlの恋する事件簿~」というのあったけど、あれも面白かったな。ありふれた日常にも事件にも数式はある。

テーマ:数学 - ジャンル:学問・文化・芸術