るらら科学の子 2021年05月
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理系・文系を重ねて見る光景は
危機を救うのは優等生ではなく、異端・みそっかす
今回は過去ブログより再編集、再掲となります。

「ダーウィン流の適者生存は環境に適応し、より多くの子孫を残した者を強者と考えます。ただしこれは環境変動による生存の危機が起きないとの前提の下です。鳥類には産卵能力を下回る数しか卵を産まない種がいます。目いっぱい卵を産むと、余裕をなくして危機の際に全滅しかねないからです。人間はさらに環境変化による影響を受けにくくするために集団生活を始め、社会を築き、文明を育ててきた。文明の初期では生き延びるため、皆が協調し、しかし生存が既定のものと思うようになると、自分さえ良ければいいという自己利益の最大化に走ります。結果は滅亡です」吉村仁静岡大学教授(進化理論)「一人勝ちを生まない経済に」新聞コラムより。

なるほどなあ。
地球温暖化の利害問題、過度の経済のグローバル化、それぞれに最大利益を求めるばかりの愚を説くもので、本当の強者は平時に支配的な者ではなく、危機を生き延びるものだと。
そういえば、映画・ドラマでもアニメ・マンガでも危機を救うのは必ずしも強者や優等生ではなく、みそっかす扱いされたりした者だったりしますね。 

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異分子、異端…、歴史を遡れば、科学や芸術も歴史の折々の偉人は多くが異端であり、軋轢はありながらも異端が新たな未来を切り開くものだった。
僕の好きだった米SFTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」(ロスト・イン・スペースとして映画化もされた)ではひとつのモデルケースとして家族を中心においたクルーが宇宙に送り出されます。
でもイレギュラーに加わったトラブルメーカー ドクター・ザックレー・スミスの存在が危険も招きながら、最終的にはより強い絆をもたらしクルーが生き延びる様は、長い宇宙の生活、すなわち社会には異端ほどでなくても僕たち「みそっかす」の存在も捨てたもんじゃないぞと妙な自信をもたらしてくれます!?
地球というクルーにはいつも多様性が担保されていて、進化発展してきたのだ。
過度の経済のグローバル化、インターネットによる意識の普遍化はより、最大の効率・利益を求めることを加速し、「みそっかす」を排除しかねないような気がするなあ。効率化を阻害する要因とされないからね。
地球とともに生きる、地球というクルーの資格はないのかもしれないぞ。
三等高校生や黒板五郎は欠かせないのだ。

画像は「宇宙家族ロビンソン」からロボットのフライデー。
田中邦衛 三等高校生
田村正和さんの映画ポスターを探していた時見つけたのが、これ、映画「三等高校生」。
以前、田中邦衛さんが亡くなったときはこのブログでも共演する「若大将シリーズ」や健さんの「居酒屋兆治」などずいぶん挙げたのだが、ポスターに大きく映っているものは一つもなかった。キャスティングでは主演・ヒロインを除いてほぼ二番手だったりするのにポスターなどで写真があまり扱われないのは「バカ言え、俺の顔なんか使って誰が見るんだ」という奥ゆかしさなんだろうな。
でも、ありましたよ、堂々とヒロインを差し置いて主演と肩を組んでですよ。
たのきんトリオのみそっかす!?野村義男唯一の主演映画ですね。まあ、田原俊彦、近藤真彦に比べて影が薄く、映画もドラマも彼だけ主演がないのではかわいそうと言わんばかりに作られた感があるけど、タイトルがまた自嘲がするがごとき「三等高校生」。
一流に対しての二流、さらには三流ということだからね。
言葉通り自らの自嘲ならともかく、こんな題名の映画に主演させられたヨッちゃんの気持ちはどうだっただろう。

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そんな思いに共感するところがあったかもしれないなあ、田中邦衛さん。
よーし、上等じゃねえか、三等高校生。おい、野村やってやろうぜって。
岡田奈々(ヒロイン)も共演していて、田中邦衛さんとともに地元岐阜出身者の揃う映画でもあります。
誰です!?岐阜を三等県という奴は。
確かに住みたい県ランキングなどでは下位ですが、いいところはいっぱいあって他人の評価(一応、統計的な指標であります)ばかりを気にしてもしようがないけど、まあ、かように自嘲はともかく、他人に言われるのはなあ。誰も言っていないか。

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訃報 田村正和 佇む人
「眠狂四郎」「古畑任三郎」などテレビ史に残る数々のドラマで存在感を放った俳優の田村正和(たむら・まさかず)さんが4月3日午後4時20分、心不全のため東京都港区の病院で死去したことが18日、分かった。77歳。京都府出身。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は妻和枝(かずえ)さんが務めた。ニヒルな二枚目で、私生活をベールに包んだミステリアスなスターだった。(スポニチアネックス)

僕が最初に田村正和さんを知ったのは木下恵介・人間の歌シリーズの「冬の旅」。
重苦しいテーマのドラマだったけど、僕もいちおう多感な年頃で見ていたのだった。ドラマでの役柄はまったくもって嫌な奴で、でも、その陰影のある美青年ぶりは心惹かれる妖しいものがあった。
誰もが惹きつけられたのだろう。この作品を契機に人気が広がり多くの映画やドラマに出演した。
孤高で妖しい美青年風は時代劇の「眠狂四郎」や「鳴門秘帖」に引き継がれ、ドラマではその意外性を生かすような「パパはニュースキャスター」などコメディタッチの役も多くあったけど、でもまあ、代表作はなんといっても三谷幸喜脚本の「古畑任三郎」ということになるのでしょう。刑事ドラマの謎解きの妙を見せるもので、刑事としてはもちろん、人間としても不思議なキャラクターだからこそ、犯人が見通せるというか、犯人すら気づかないその向こうにある闇まで見通すような感覚があった。
それは「古畑任三郎」に限らず、多くの出演作にもそんな気配があって、ストイックな生活、生き方もあって、芸能人だからというわけなく、ちょっと普通の人と違うような感覚を持ったのだった。
野島伸司脚本のドラマ「美しい人」(田村正和・常盤貴子主演)というのがあり、まさにあのような花のように、木のように静かに美しく佇む人、あるいは人であるより植物でありたかったのかなという気がするほどに。
古畑任三郎の推理も直截な動物的なものではなく、花が昆虫などの手を経て受粉するように、また種子が風などに運ばれて芽吹くように回りくどいようでありながら植物のような用意周到さだった。
筒井康隆にやはり「佇む人」という植物化していく短編があるけど、ちょっとやってほしかったかもしれない。

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ポスターを探してみたのだがよりによって「怪談 残酷物語」とは。1968年作品とあるからドラマ「冬の旅」以前ですね。

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こちらは映画「眠狂四郎」からなのだが主演は松方弘樹。下に映っているのが田村さんで、柴錬さんもこれも見て、やはり眠狂四郎は田村正和でと思ったのかもしれない。
ちなみに眠狂四郎の円月殺法はカムイの変異抜刀霞斬りと並んで少年時代の僕の必殺技です。

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群雄割拠だった日本のステレオメーカー
オンキヨーホームエンターテイメントは4月30日、主力のホームAV事業をシャープ(株)に譲渡する協議を開始したと発表した。オンキヨーは債務超過の解消が困難のため、上場廃止基準に抵触。事業継続のためにあらゆる選択肢を検討していたという。(東京商工リサーチ)
サンヨーを買収したパナソニックも中国の電機大手TCLとテレビ事業で業務提携し、今年度中にも中小型機種を中心に生産委託を始める方向で最終調整に入った。5月中の合意を目指す。2024年度までに自社生産は最大4割の削減となる見通しだ。海外勢に押されて日本の電機メーカーがテレビ事業を縮小する中、パナソニックも大幅な合理化に踏み切る。

僕が学生の頃はステレオなど音響機器メーカーはパイオニア、山水、オンキヨー、トリオ、ビクター、コロムビアなどがあって、総合家電メーカーもソニーや松下電器のテクニクスなど独自のステレオブランドを作ってにぎやかで群雄割拠ともいうべき時代だった。
家に最初に来たステレオは兄が買った家具調のものでコロムビアのステレオだった。33回転、45回転、78回転と調整する回転盤のゴムが摩耗すると、糸を巻き付けたりしてずいぶん強引な調整などもしたりした。

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こちらはステレオまでに至るラジオ、カセットレコーダー、ラジカセなどの変遷(ナショナルとソニーですね)。

自分でステレオを買ったのは社会人になってからで、パイオニアですね。

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実家にあった僕の部屋。右下にわずかにスピーカー部分が覗いている。もうすっかりアイドル・映画オタクの部屋で薬師丸ひろ子とか、下の外国人女性のパネルはたぶん「007」。

パイオニアのステレオは最近まで、ここ岐阜に引っ越す時までは大事に持っていたのだけど、さすがに一部壊れていて修理が必要なこともあり持ってくるのは断念した。

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僕の好きなアイドル達もステレオなどのCMに多く起用されたのは高音質の音楽は圧倒的に若者ものだったのだ。

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スマホ脳と、ほどほどのリアル
ネットの情報検索の便利さは言うまでもなく、実際の実験でも例えば国語辞典を使用した際には、時間内に3つの言葉の意味を調べることができ、一方、スマホを用いると5つもの言葉の意味を調べることができたという。
しかし、前頭前野の働きを見比べてみると、結果は驚くべきものだった。国語辞書を使っているときは、左右の大脳半球の前頭前野は活発に働いているのに、スマホを使うとまったく働いていないことがわかったというのだ。
つまり意味を閲覧しただけできちんと覚えるに至っていないらしい。
コロナ禍で一段とオンライン授業やリモートワークが推奨されて進むけど、どうもオンライン対面でも同様の結果、あるいは近いものであるらしく、とすれば、より効率的に代替えできるとばかりには安心できないだろう。
効率化が進むように見えて、実際、効率的にも進んでいくのだろうけれど、どこか実態にうろがあり、何か物事がダイナミックに有機的に動くような場面でうまく機能しないとかありそうな気もする。
まあ、コロナ対策を見ていると今でもそうなんですけどね。

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僕もずいぶんネットの情報を活用するようになったけど、実際のリアルな映画ポスターやチラシも確認するし、出来るだけ本や新聞なども読んで併用する。ブログの記事も最新の話題に沿うものがあれば、過去記事も再引用するし、間違いや考え方の変わったものがあれば修正もする。
重複、積み重ねたほうが考えが安定・定着するからなあ。
これからは全てにおいてますますネット頼みになっていくし、それは新しい可能性も見出すものだし、また抗しえないことでもあるけど、リアルにもほどほど立ち会うことでうまく折り合い、バランスが取れるのかもしれない。
僕はもう昔の世代で、インドアで、それこそ、NHKドラマ「半径5メートル」のような立ち位置だけど、それでも好奇心だけは旺盛で「半径5メートル」ながら多方面に興味もリアルも覗いてきたのであった、たぶん。

画像は中学時代の国語辞典。ネッキングなんて国語辞典で興奮していたからなあ。おかげで庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」などの何でもないさりげないシーンでもどきどきするのであった!?
アイドル女優番外編2 栗田ひろみ
以前にもアイドル女優を何人も取り上げているけど、今回のアイドル女優は番外編2として栗田ひろみです。
番外編としたのは活躍した期間が短いからで、でもデビューした折には第二の吉永小百合とも言われたこともあったのだ。
やっぱり、鮮烈だったのは森谷司郎監督の「放課後」でしょう。
挿入歌で使われた井上陽水の「夢の中へ」とともに鮮明に記憶されます。

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黒く長い髪が印象的。

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テレビドラマでは森田健作の青春ものの妹役と「伊豆の踊子」くらい。栗田ひろみが第二の吉永小百合と言われたのはアイドル女優の登竜門的作品で、やはり吉永小百合もヒロインを務めたこともある、この「伊豆の踊子」で同じくヒロインを演じたからだろう(ほかに内藤洋子・山口百恵などがヒロインを務めている)。
あとは大島渚監督の「夏の妹」かな。大島渚がアイドル映画!?というとそうではなくて、いまなお引きずる沖縄の戦中・戦後の憎しみ、悲しみを美しい沖縄を背景に少女を通して描くものだった。

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雨に打たれる少女といえばこの映像が焼き付いている。

「夏の妹」はテーマがテーマだからもちろんだけど、「放課後」にしろなんでこの頃の青春映画って、こうもやるせなくって痛ましく描かれるのだろう。青春というのは痛ましいような通過儀式を伴ってこそ、初めて大人になるというのだろうか。
あんまり、こういうイメージを振りまきすぎて、「大人になんかなりたくない」という世代を作ってしまったじゃないかなあ。
まあ、ぼく達の世代だけど…。よかったのか?
いや、よく考えればイメージを社会全般にふりまけるほどヒットしてなかったけれど。

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けっこう新聞記事がスクラップブックに残っている。

ブログは短めにと思ったけど、まだけっこう長い!?

テーマ:俳優・女優 - ジャンル:映画

H3ロケットの式年遷宮・一期一会
2021年3月17~18日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工業が開発する新型ロケット「H3」の機体が、初めて鹿児島県の種子島宇宙センターで射点(打ち上げ地点)に姿をあらわした。今回初めて、第1段、第2段、エンジン、個体ロケットブースター、フェアリング(ロケットの先端部、衛星を格納する部位)を統合した機体のタンクに推進剤を注入する「極低温点検」と呼ばれる試験が実施された。JAXAがエンジンを一新したロケットを開発するのは、LE-7エンジンに刷新したH-IIの開発を始めた1986年以来28年ぶりのこととなる(その間、LE-7エンジンの改良型エンジンを使ったH-IIAなどが開発された)。H3のように、エンジンを含めた新型ロケットの開発は、エンジニアにとって現役期間中に2回ほどしか経験できないといい、JAXA宇宙輸送技術部門の岡田匡史プロジェクトマネージャは「20年に一度の式年遷宮のようなもの」と例えている。(3/25ヤフーニュース)

宇宙科学の最先端で式年遷宮という言葉を聞くとは思わなかった。式年遷宮は伊勢神宮で20年ごとに、内宮・外宮の二つの正宮の正殿などの社殿を造り替えることで、むろん、老朽化するからでもあるけど、当時の技術を継承するという意味も大きいらしい。
まあ、今の世界的な企業センスで言えば無駄とも言われるかもしれないけど、当時の技術を確実に継承、高めて未来に繋げていくという象徴的な役割を果たしているのだろう。
ロケット開発も100万点を超える部品を統合するものであり、さらに約3000℃の高温ガスを燃焼させるエンジンを備えた新型ロケット開発はひんぱんには経験できるもではなく、開発を止めてしまうと複雑なシステムなどを実現する「知見の継承」ができなくなってしまう。ゆえの式年遷宮。

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伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとに行われる理由は不明らしいけど、当時の人間の寿命を考えれば脈々と技術の継承を計るためには20年という区切りが必要だったのかもしれない。さらに用材としての木、森は自然に寄り添い、待つものだから数百年単位で準備するというからなあ。
これからはロケットもコスト競争などももっと熾烈になるから、式年遷宮的な技術的・文化的発想が排除されていくようで心配だけど、ここは誠実、確実な式年遷宮的な発想を持ち続けてもらいたいものです。
これこそが式年遷宮が脈々と続けられた象徴的意味を体現するべき技術のひとつに違いないのだ。

一方、中国が打ち上げた大型ロケット「長征五号B」は機体の一部が、2021年5月9日ごろに大気圏に再突入する見通しだという。中国の宇宙ステーションのコア・モジュール「天和」を搭載した大型ロケットで、中国は今後も数年間に長征五号Bを使って宇宙ステーションのモジュールを少なくとも3基打ち上げる予定で、中国独自の宇宙ステーションを完成させるのだが、打ち上げに使う長征五号Bはどうも何のコントロールも出来ないまま落ちてくるようなのだ。回避する技術は様々な方法があるのに放置するのは地球に落ちる前にほとんどが燃えつき、落ちても多くは海であり、地上、人や建物などに損害が出るのはほとんどなく、余計なコストをかけないということでもあるらしい。
これで思い出すのはなにかの学生の座談会のようなもので読んだ、中国人学生が「一期一会」という言葉、言葉の意味に驚いたと言っていたこと。
「一期一会」という言葉を日本で初めて知ったという。
そうか、これは中国由来の言葉ではなかったのかと調べてみると千利休の茶道に由来する言葉であった。
意味はもちろん、この出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならないということなのだけど、中国人的(一般的なのかは分からない)には、一度きりならもう二度と会うこともなく、よって後顧の憂いはないのだから、ぞんざいに扱ってもかまわないのではないかとも思うらしい。
長征五号Bは一度きりでもないけど、まずは人に当たらないのだからぞんざいな扱いでもいいのだろうということだろうか。
かたや、日本はこの出会いなり、この一瞬は今だけのものであり、だからこそかけがえのない大切なものであり、誠実に向き合わねばならない、よって最大限の努力を果たすこと、また実はそれこそが未来に繋がるということなのだろう。
これから始まる未知の宇宙との出会いなどはまさに「一期一会」でその連続にちがいなく、この発想こそが必要・大切になるにちがいなく、ぜひとも式年遷宮・一期一会的な日本のロケット、宇宙開発に頑張ってもらいたいものです。

また、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公 渋沢栄一は「会社は『私』の有機的結合体であるがゆえに尊いのであり、社会変革の有力な道具となりうる。なぜかといえば『公』が『私』を支配し、『私』が『公』の言いなりになっている限り、それは江戸時代の士農工商の身分制度といささかも変わりがないからである」と言っていて、つまり、会社、資本主義といっても金儲けではなく、社会変革の道具として江戸時代的な日本を変革しようとした。
そう考えたからこそ、私的欲望を離れ、政府高官、銀行、保険、輸送通信、繊維、鉄鋼、教育と近代装置のすべてに深く関与したと。(渋沢栄一(1)&(2)/鹿島茂より)

さらに大澤真幸教授は「資本主義という経済は必ずしも民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能するのではなく、中国の現状を見ればむしろ資本主義は権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だということだ。資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているのである」と言い、そんな懸念をもって大澤教授が資本主義を越える普遍性を求めるものが倫理学者ジョン・マクダウェル「徳と理性」というもの。
日本の式年遷宮・一期一会にもそのあたりのヒントが隠されているのではないだろうか。

身の程を越えた、よくも分からないのにえらい話になってしまった。
あーあ、疲れた。こんな長い話、読んでもらえるのだろうか。
やっぱり、アイドルや映画の話にしておこう。短めにして。

画像は「サンダーバード」。未来はこんな家内制手工業的な組織もいいのかもしれない。

テーマ:星・宇宙 - ジャンル:学問・文化・芸術

純白の勝者! ソダシ 白馬幻想
“白い奇跡の衝撃”は海を越えた。5戦無敗で桜花賞を制した白毛馬ソダシについて英レーシングポスト電子版は11日に「純白の勝者! ソダシが日本のクラシックで偉業を成し遂げた」と見出しを打って記事を更新した。(日刊スポーツ)

映画やマンガなどではヒーロー・ヒロインが白馬に乗って颯爽と現れたりするけど、やはり絵的に見映えがあるのであってほんとうに白馬で強い馬がいるとは誰も思わなかった。
勇者とその愛馬という組み合わせでは白馬が似合い、また白馬の王子という根強い少女幻想もありますからね。その典型であり、やや亜種な少女マンガ的な登場の仕方として思い出されるのは「スクール☆ウォーズ」の伊藤かずえでありましょう。
なにしろ美少女が白馬に乗り、「馬上から失礼します」といって不良たちを蹴散らすのだからね。
今も真っ白なシーマを長く変わらずに駈って乗りこなすのだから、さすがです。
オーソドックスに考えれば白馬の王子的展開だったのは「はいからさんが通る」の花村紅緒と伊集院忍だけど、このときも白馬は添え物で、ヒーロー・ヒロインと一体となった強い白馬ではなかった。

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となればやはり、「リボンの騎士」のサファイアの愛馬オパールか、「ベルサイユのばら」のオスカルの愛馬や、「ラ・セーヌの星」も白馬だったかな。
「白馬童子」「鞍馬天狗」「ローン・レンジャー」というのもあるし、「怪傑ゾロ」にも白馬バージョンがあったりするから、やはり白馬=正義のヒーローのイメージが強く、馬そのものも抜きんでて強くヒーローに負けず劣らず活躍した。

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「白馬のルンナ」といういっそう純度の高い少女幻想な歌もあった。白馬というよりユニコーン幻想のような世界ですね。
柴田まゆみの「白いページの中に」
さて、自分に合う歌声を知れば最高の安らぎを得ることができるというなら、僕に合う歌声はなんだろうなあ。
「マツコの知らない世界」では原田知世のエンジェル系というのが盛り上がったけど、大林宣彦的世界観が加わってる感も影響してるのかもしれない。それでいうなら僕は富田靖子もいいと思うなあ。
「さびしんぼう」のエンディングで富田靖子の歌う「別れの曲」が好きだったのだ。
映画の幕間にかける富田靖子の挨拶付きの「別れの曲」の歌のカセットテープが映画館には届いていて、僕は映画館支配人にお願いして貰ったほどなのだ。

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昔はアルバムも出していたんだけどな。

なにかしらあの頃の心情的に語りかけてきて、少し泣きそうにもなってしまうものなら、柴田まゆみの「白いページの中に」かもしれない。サビにかかる「長い長い坂道を 今登ってゆく」のフレーズが、「好きだった海のささやきが今は心にしみる よみがえる午後のやすらぎも白いページの中に」のサビをより切なくしますね。

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岡田奈々にも「青春の坂道」があり、他にも「陽のあたる坂道」など坂道は青春の代名詞でもあるけど、「長い長い坂道を 今登ってゆく」という現在進行形の中にも並行して、あっという間に過ぎ去る日々が通り抜けていく感がなあ。
「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平さんは下り坂最高と言って、上り坂が苦手だけど、この「白いページの中に」を歌えばすこし、力が湧いてくるかもしれない。
まあ、僕にとっての、あの歌詞、あの曲、あの歌声なんだけどね。
僕はヤマハポプコン世代でもあるので、いわゆるコッキーポップ全般も好きで、中島みゆき、谷山浩子などはもちろん、大友裕子、辛島美登里など今に至る歌手も、あの時のみであろう歌手もまた、あの時のみの輝きがあって、まさに

長い長い坂道を 今登ってゆく 
好きだった海のささやきが今は心にしみる 
よみがえる午後のやすらぎも白いページの中に

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