るらら科学の子
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理系・文系を重ねて見る光景は
ドラマ「マイダイアリー」 桜の木が数式に見える頃
テレ朝ドラマ「マイダイアリー」を見ているけど、かつての「オレンジ・デイズ」のようなさわやかで優しい青春群像ドラマで、皆それぞれが悩みも抱えながらキラキラとしていて眩しいなあと思っていたら、視聴率はさっぱりで評判も薄味で緩いとのことでよくないらしい。今どきはインパクトがあって毎回、何事か起きて引っ張っていかないと視聴率は上がらないのか。先日、NHKで「山田太一の手紙」を見たけど、山田さんがそんなドラマばかりを求めるテレビに絶望していく様子が見えて、ドラマはふつうのありふれた世界の中にこそあるのにと感じる人が少なくなってしまったのだろう。もちろん、その系譜を継ぐ人は岡田惠和などもいて、でも新しい脚本家が出て来てもこんなふうに出ばなををくじかれる評価ではなあ。青春時代こそ、ささやかなことにも心が大きく動き、その機微を丁寧に描くことで受ける感動はその時だけの貴重なものといえるのに。今や僕たちがノスタルジーとしてきゅんとするものとなってしまったのか。
ドラマ「マイダイアリー」の話だった。ドラマでは数学の天才!?も出て来て、満開の桜の美しさを数式で表そうというのだからすごい。あれ見て数式が浮かび、そして美しいと思えるのだね。天才にしろ青春時代の感性のみがもたらすのかもしれない。
僕はもう小学校の分数から数学は怪しかったのだけど、因数分解で頭が宙にとび、微積分ですべて宇宙人の言葉にしか見えなくなった。ある日などはようやくはっきり見えた美しい数式と解がダリの絵のごとくぐにゃりと崩れ、立て直しようもなく、もう抽象画のようにしか見えなくなってしまったけれど、桜に見る数式はこれの逆バージョンなのか。
最近も最大の素数が発見されたらしく(新発見された素数はちょっと長すぎるので、「M136279841」と略され、この数は2を136,279,841回かけ合わせ、そこから1を引いて計算される)、これはメルセンヌ素数と呼ぶというけど、想像がつかんなあ。
また「素数」がどのような間隔で分布するかに関する新たな定理も発見されているらしく、つまり、数が大きくなると素数はまばらにしか見つからず、1~100の100個の中には2、3、5など素数は25個あるが、同じ100個でも、10万1~10万100には素数は6個しかない。では数が大きくなると、素数の間隔は際限なく離れていくのか。新定理は「そんなことはない」と否定するものだという。どうやって発見して、どう証明するんだろね。素数は小学校でも習う基本的な数だが、まだまだ謎だらけなのだ。

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祖父の「算術筆記帳」と「筆算筆記帳」から。明治32年とあるから祖父が13歳の頃だと思うけど、読みにくいということもあるけど、もう、僕にはいきなり分からなかったりする。祖父は秀才だったらしい。

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こちらも祖父の「筆算筆記帳」の冒頭、敬格は小学校の名前で、関新助というのは和算の関孝和のこと。平方根も出てきた。僕などはや分数で迷いはじめ、これや因数分解などではほぼ途方に暮れた。

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図形が出てきた。具体的な例示の問題は実践的で算術が生活に密接、身近なものだということを教えてくれます。
ほんとうは「マイダイアリー」の清原果耶の画像も入れたかったのだが。桜を数式で表すことが出来るなら清原果耶を数式で表すことも可能だろうか。

素数ってシンプルな数字でありながら、数学界最大の難問といわれるらしいのだが、どうも素数には確たる法則性が見つからず、数学者にとっては法則性がないことは美しくないということなのだろうか。そして素数はいちばんシンプルで美しく、素数に何の法則も見出せないはずはないと。まあ、数学が赤点だった僕の言うことだからね。
ミステリードラマだと「ハードナッツ!~数学girlの恋する事件簿~」というのあったけど、あれも面白かったな。ありふれた日常にも事件にも数式はある。

テーマ:数学 - ジャンル:学問・文化・芸術

雑誌の絶頂期 活字に親しんだ時代
思えばあの頃が雑誌の絶頂期だったろうか。僕の大学生の頃は絶好調な各種週刊誌、マンガ週刊誌、総合月刊誌などが平積みされ、あまり売れないような純文学雑誌でもまだそこそこにはあったし、詩誌やよくわからない業界誌などさまざまにあった。雑誌というか活字の絶頂期というべきかもしれない、新聞も朝夕刊が当たり前で全国紙だけでなローカル紙なども多かった。誰も彼もが活字に親しんだ時代。
こちらの雑誌の系譜図は「東京おとなクラブ」のものだけど、アングラ系が幅を利かしていますね。下の成人誌系なんて、知ってはいてもふつうの本屋ではまず見かけないばかりだからなあ。こうしたアングラ系もサブカル文化をを下支えした。

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文学誌、教養誌、ビジネス誌などはこの一覧から欠けている。青年誌の王道!?「平凡パンチ」「プレイボーイ」は兄ちゃんがよく買っていた。

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これは僕がよく買っていた「GORO」と、アングラの王道「ウイークエンドスーパー」こういうのもたまに読んでしまうんだな。「やんろーど」は若者向けサブカル誌でよく投稿していた。

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そういう時代だから雑誌もさまざまに雨後の筍のように生まれ、あっという間に消えていく。「小説エンペラー」エロ系出版社から出されていたけど、ご祝儀なのか、そういう時代なのか名のある作家も書いている。沖山秀子がユニークです。「YYジョッキー」も知らない人が多いだろう。知人に聞いても誰も知らなかった。わが大学の先輩、つボイノリオも書いてます。「50冊の本」はブックレビュー。いずれも短かったな。

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こちらはかぜ耕士編集の「むうむ」。お得意のラジオと話題を集めつつあった少女マンガというエポックな編集。かぜのように消えた。御存じ「噂の真相」、時代の寵児でもあった。「週刊金曜日」というのもあった。

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実話誌系なのか自販機本系なのかよくわからないけど残っていた。情報誌、タウン誌系というのもありますね。「ぴあ」は当初、岐阜など地方では売っていなかったけど、評判が高くなったのだろう。いつの間にか岐阜の書店でも売られるようになった。

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この地方のタウン誌といったら「名古屋プレイガイドジャーナル」「タウン情報ぎふ」ですね。出版文化、華やかな頃、良くも悪くもいい時代だった。

他、雑誌のいろいろはこちらのブログでも紹介しています。

テーマ:雑誌 - ジャンル:本・雑誌

国立国会図書館からも零れ落ちるもの
本好きなので書店に行くのは大好きなのだが、図書館はあまり行ったことがない。学校の図書室も行かなかったし、勉強のできる子が行くイメージがあったのかもしれない。昨今はニュースを見ていてもなかなかすごい図書館が生まれていて、石川県立図書館とか、岐阜でも「メディアコスモス」という立派な図書館が出来ている。大学の図書館も特色のあるものなど充実しているらしく、きっとユニークな私設図書館みたいなのも多くあるのだろうなあ。
あと、一度は行ってみたいのが、国立国会図書館ですね。
国立国会図書館は国内で発行された図書などの同館への納入を義務付けているらしいから、基本的にはすべての出版物があるはずなのだけど、納本制度を知らない場合もあって、やはりすべてというわけにはいかない。
それでも自費出版物、団体・自治体の発行する記念誌、郷土史資料なども収集しているらしいから、同人誌なども対象なのだろう。まあ、納本はされないだろうけど。
出版物を文化的財産として後世に伝えていく制度というから、現時点での評価うんぬんではなく、あらゆるものをおくべきということになりますね。となれば低俗本、俗悪本ほど消されがちだから、より守るべき対象となるような気もするけれど、どうなのだろう。
ってなわけで、国立国会図書館にないかもしれない雑誌、同人誌などをご紹介。

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「まんがのむし」や「アニメ狂専誌」などはマニアでは有名だからあるのかな。岐阜の大垣市で発行されていた「CINEMA GUIDE」はさすがにない!?

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こちらは僕が所属していたファンクラブの会誌や同人サークル。右側は当時のマンガ同人誌など。

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アニメショップや模型店のみで流通していたような雑誌はどうなのかなあ。商業誌でも創刊準備号っていうのまではないのでは。
「シネメイツ」というのも映画館で配られていたなあ。他にも雑誌の付録本などもあるしなあ。

それにしても図書だけでなく雑誌や新聞、さらにはCDやDVDなども対象に入るらしいからきりがない。
ということはやはり、こぼれた本や雑誌を保存するような図書館もたぶん必要で、やはり民間の個人の私設図書館ということになるかもしれない。書棚の隅に残っている雑誌、意外に貴重かも。下世話な大宅壮一文庫(評論家・大宅壮一が遺した雑誌専門図書館)みたいなもの誰か作らないかなあ。

テーマ:図書館 - ジャンル:本・雑誌

マルモだけではない、ぼくたちの大好きな文房具
文房具ですよ。
筒井康隆の「虚構船団」で擬人化されるくらいフェチな存在、文房具です。
カマキリは嫌いでもコンパスの嫌いな人はいないでしょう、たぶん。
あなたの筆箱に入っていた鉛筆はuni(ユニ)でしたか、MONO(モノ)でしたか?
ペギー葉山の「学生時代」にもノートとインクの匂いと歌われるけど、インクというのは高校生以上な感じがした。
CMだけど、
僕の日記プラチナ 愛の手紙プラチナ 誰にも言えない言葉 秘密に書いてみた
僕だけの友達だよ マイ・プラチナ
なんてのもありましたね。

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こんなのが残っていた。こちらはプラチナではなく、パイロットのシャープペンとボールペン、そして万年筆のセット。高校生の時にもらったのかなあ。三菱のユニやカラーペンも。万年筆はカートリッジからけっこうインクが漏れたりしましたよね。つけペンというのもよく使ったりした。

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こちらは製図用。カラス口なんてのもありましたね。T型定規と30cm定規。定規は竹製、今でもあるらしい。

今は文房具女子というのもあって、それらの女子には絶大な人気があるという。女、子供という言い方は語弊があるかもしれないけど、もちろん子供にも人気で、ドラマ「マルモのおきて」では主人公は文具メーカーに勤めていて、、文具メーカーならではのアットホームさを感じさせますね。
僕も36色?の色鉛筆セットをもらった時は、そりゃあ嬉しかったもの。

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「マルモリ」のポスター、可愛い。映画「バンビ」のパンフレットにはこんな広告も。

そういえば芦田愛菜はドラマ「さよならぼくたちのようちえん」(名作です)でも、ともだちにクレヨン届けようとしていたなあ。
水彩絵具・クレヨンはかつてイーゼルペイントというのがあって、なんと製造は東京銀座 資生堂絵具株式会社。あの化粧品の資生堂ですね、まあ、口紅もクレヨンみたいだからなあ。案外、女、子供のものという言い方も間違いではないかもしれない。

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子供にとって文具は宝物でもあるんだよ。
なぜかやたらに多いシャープペン。昔のアニメキャラ商品といえば、下敷き、缶ペン、ノートなど文具が多かった。缶ペンならこんな具合だけど、子供か。

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今こそ踏ん張れ オタクのたしなみ 
いや、学生の頃はいかにしたらモテるのか、ちょっと森見登美彦的!?な妄想をした。
オタク系なのでスポーツ的なものは諦めるとして、ピアノとかギターが弾けたり、あるいは意表をついて、生け花、茶の湯などをささっとこなしてしまえば、女性の心を一気に鷲掴みではないのかと。
あの心得はなに?あの所作の美しさはなに?あの、オタクっぽいあの人が、まさかと。
イメージの落差が大きいだけに、そりゃあもう、イチコロさ。ま、そんなときはまず来ないんですけどね。
まあ、そんな妄想はともかく、ギターというのは大いにありえた。学生の頃はフォークがブームだったし、吉田拓郎や南こうせつなどの多くのフォークシンガーだってそんな動機も語っていたりした。のちにはバンドブームが取って代わったりするけど。
この手の類は実際、有名人になってしまうとさらに効果的で、たとえばかつて松山千春はラジオでゲストの初対面の早見優に向かって、いきなり「おい、これからお前のこと優って呼ぶぞ。優、お前、ハワイで生まれたんだってな」などと、見も知らぬ少女を「お前」呼ばわりして親密さを強引に獲得する手法で、あっけにとられるほどの図々しさは場合によっては効果的に機能する(中森明夫説)。ツッパリ、ヤンキーにも同様の傾向があり、「テメーら、ほんとのツッパリってのはな、横断歩道におばあちゃんが立ってたら手を取って一緒に渡ってやる、それがほんとのツッパリなんだ。ハンパやってないでスジ通すとこは通せよ」
あるいは文学少女系にだって森本レオ的な口調が利いたりもして、こんなふうに深夜ラジオ的に理想化されたアニキたちに、そのギャップに嵌ってしまう少女たちも多かったのだろうし、少年たちもそんなアニキに憧れた。意識化はされていなかっただろうけど、一種のグルーミングともいうべき手法かもしれない。
でもまあ、多くのオタクはそんな手法には目もくれず、あるいは羨ましく思っても結局できず、ひたすら森見的な無用の活躍の試練を受け続けるのだ。

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森見登見彦の傑作「夜は短し歩けよ乙女」。
モテない男はかくもかくも純情なのか、そして限りなく偶然を装い出会いを頻発させる男の不断の努力を見よ。
「ま、たまたま通りかかったもんだから」ちう台詞を喉から血が出るほど繰り返す私に、彼女は天真爛漫な笑みをもって応え続けた。「あ!先輩、奇遇ですねえ」

(乙女には幸福を、男には試練を)(片想いクサレ大学生、無用の活躍)とは著者の言葉、泣けますねえ。
僕たちにもあったささやかな青春、無用なる試練の数々。踏ん張って言えば「オタクの嗜み」というものである。

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