冷蔵庫の中の池山水源の水もなくなったので
パルママさんから教えていただいた「手野の名水」を汲みに出かけました
最短で向かうには惜しいので、国道57号線から赤水温泉の方へ入り
車帰から北外輪山の麓に沿って旧豊後街道をゆっくり進んでみました
ブロガーの方々が紹介されているので気にはなっていたのですが
いつも看板を見はしても素通りしていた名所・旧跡がたくさんあります
まず最初に出てくる看板が「参勤交代道(石畳)」
ごめんなさい、向きが反対になっちゃいました
後で調べたらここは「参勤交代道」の下の入り口で
二重の峠(ふたえのとうげ)の上の入り口から約2キロにわたって
旧豊後街道の石畳が残っています
豊後街道とは、肥後の熊本城から豊後の鶴崎を結ぶ約120kmの街道で
細川藩の参勤交代のときは2700人もの行列が行き来したとのことです
この登り口の右側にあるのが「参勤交代道の檜」
妙に曲がりくねっているのは根っ子だそうな!
樹齢約300年とも言われる見事なヒノキが真っ直ぐに伸びています
この道を行き交う浪人や熊本城に走る飛脚を眺めてきたヒノキさん
だんだん人通りが少なくなったんで寂しかったのでしょうか
よく見ないと分かりませんが、何か着生しています
後で調べたらサカキとチシャノキだそうです
これで、仲間といつも会話ができるようになりましたね^^
<参勤交代道の檜>
[樹種] ヒノキ(阿蘇市指定天然記念物)
[樹齢] 推定500年
[樹高] 27メートル
[幹周] 3・8メートル
次回は二重の峠まで登らなくては、いや上から降りてくる方が楽か
江戸まで歩いていたお侍に聞かれたら
間違いなく、切り捨てられるだろうな^^
参勤交代を改めて調べてみたんですが、
「諸大名は1年毎に江戸と自領を行き来し、妻子は人質として江戸に常住しなければならないと同時に、その旅費や江戸の滞在費を全て大名に負担させていた。(Wikipediaより)」
地方の大名は、さぞ財政的にたいへんだったでしょうね
でもこのような街道や宿場が整備されたというメリットもあったんですね
明日は、そんなお殿様の休憩所です
パルママさんから教えていただいた「手野の名水」を汲みに出かけました
最短で向かうには惜しいので、国道57号線から赤水温泉の方へ入り
車帰から北外輪山の麓に沿って旧豊後街道をゆっくり進んでみました
ブロガーの方々が紹介されているので気にはなっていたのですが
いつも看板を見はしても素通りしていた名所・旧跡がたくさんあります
まず最初に出てくる看板が「参勤交代道(石畳)」
ごめんなさい、向きが反対になっちゃいました
後で調べたらここは「参勤交代道」の下の入り口で
二重の峠(ふたえのとうげ)の上の入り口から約2キロにわたって
旧豊後街道の石畳が残っています
豊後街道とは、肥後の熊本城から豊後の鶴崎を結ぶ約120kmの街道で
細川藩の参勤交代のときは2700人もの行列が行き来したとのことです
この登り口の右側にあるのが「参勤交代道の檜」
妙に曲がりくねっているのは根っ子だそうな!
樹齢約300年とも言われる見事なヒノキが真っ直ぐに伸びています
この道を行き交う浪人や熊本城に走る飛脚を眺めてきたヒノキさん
だんだん人通りが少なくなったんで寂しかったのでしょうか
よく見ないと分かりませんが、何か着生しています
後で調べたらサカキとチシャノキだそうです
これで、仲間といつも会話ができるようになりましたね^^
<参勤交代道の檜>
[樹種] ヒノキ(阿蘇市指定天然記念物)
[樹齢] 推定500年
[樹高] 27メートル
[幹周] 3・8メートル
次回は二重の峠まで登らなくては、いや上から降りてくる方が楽か
江戸まで歩いていたお侍に聞かれたら
間違いなく、切り捨てられるだろうな^^
参勤交代を改めて調べてみたんですが、
「諸大名は1年毎に江戸と自領を行き来し、妻子は人質として江戸に常住しなければならないと同時に、その旅費や江戸の滞在費を全て大名に負担させていた。(Wikipediaより)」
地方の大名は、さぞ財政的にたいへんだったでしょうね
でもこのような街道や宿場が整備されたというメリットもあったんですね
明日は、そんなお殿様の休憩所です