慈悲深い先生
昨日、図書館に行くと、先月まで娘の担任だった小学校一年生の先生に ばったり会いました。
先生も、Sunnyvaleに住んでいるので、Sunnyvale図書館にいるのはおかしくないのですが、そこは子供の本の部屋。
そして、一緒にいたのは、同じクラスだった男の子なのです。
先生は、もう先月で担任ではなくなったのだけど、その男の子の勉強を見るために、わざわざ自分の時間を割いて図書館にいたのでした。
どうも、英語の読み書きを教えているようでした。
すごい。。。!
夏休みだというのに。
確かに、その男の子は、アメリカ人家庭で育っていながら、読み書き能力がクラスでは とても遅れていました。
親が放任のようで、一年になった頃に文字が読めず、特別に遅れている生徒だけを抽出した別クラスで特別訓練を受けていた子供でした。
でも、年度末になると、だいぶ読めるようになったのです。
実は、もう一人、私がクラスの子供たちに英語のリーディングを教えていて、どんどん遅れてきているなぁと感じる子供がいました。
ただ、親は子供を教育しようとする姿勢があるのですが、どんなにがんばって教えても、覚えられないようでした。
結果として、二人とも同じくらいに感じられる能力で1年生を終えたのです。
確かに、親が放任の子供の方が覚えはよく、教える楽しみはあるのですが。。。
それにしても、ひいきだとか言われないのかな?
アメリカは、公立の学校でも、先生の個人的自由が広範囲で認められているのかしら?
学区にある図書館で、それも子供用の本の お部屋なので、学校の知り合いが何人か来ても当たり前な状況です。
ということから考えると、まったく後ろめたい行為ではないようです。
一部の親だけがクラス全員の成績を見た時にも驚いたけれど、また新たな驚きの出来事でした。
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