第521回 紅葉の法金剛院~花園紅葉散策~その1
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2017年11月も下旬に入り、今年も紅葉に染まってきました。
今回ブログから、JR「花園」駅を起点とする企画をお届けします。
既にメジャーな寺院もありますが、
この辺りは京都市街地としてはまだまだ観光地化されておらず、
その分紅葉も「穴場ぞろい」となっています。
ですから、今回はいくつかの寺院が自分の「取って置き」です。
それが、どちらなのかはお楽しみということで……
ですから、いくつかの写真はクリックして拡大してみてください。

京都駅1番ホームから駅構内を約300m進むと、
京都駅最西端に伸びる32番ホームに出ます。
(京都駅のホームは、東西幅が日本でも屈指の長さです)
そちらから嵯峨嵐山行の嵯峨野線の電車に乗って、
約20分で4駅進み「花園」駅で降りました。
では、2017年の紅葉散策はこちらの「花園」駅から始めます。
ちなみに、自分たちが乗っていた電車は「太秦」駅経由で
終点の「嵯峨嵐山」駅に向かいます。
撮影日は、2017年11月23日勤労感謝の日の木曜日午前10時50分。
小雨と快晴の不安定な日でした。

第502回ブログでも書いたようにJR嵯峨野線は高架上を通り、
駅の大半も高架上にホームがあります。
当然「花園」駅も、ホームから階段を下りて改札口に向かいます。

「花園」駅ホームから下りた先に、改札口があります。
第502回ブログでは自分以外に乗降者はほとんどいませんでしたが、
さすがに11月23日はこのくらいは混んでいます。
(京都市内の観光客数は、毎年11月23日が最多です)

JR「花園」駅の改札口を出て、北を向いています。
丸太町通沿いにある市バスの停留所に、何人かいらっしゃいます。

JR「花園」駅前で、丸太町通を西に向いています。
駅構内の東側に、コンビニエンスストアがあります。
第502回ブログでは熱中症対策に飲料水を買いましたが、
ここまで気温が低いとそれは不要ですね。
では、先ずはこの丸太町通を西に進みます。

JR「花園」駅前から、丸太町通を西に約100m進みました。
目の前に、「花園扇野町」バス停が見えますね。
駅前とあって丸太町通右(北)側歩道には飲食店が並びましたが、
この辺りから木々が並びます。
そちらが、今回ブログのメイン法金剛院です。

その「花園扇野町」バス停から、丸太町通をさらに西に進みました。
ここで、丸太町通から北に府道130号線が伸びます。
丸太町通は約100m先の「双ヶ丘」交差点で天神川通と交差します。
さらにずっと進んでいくと、JR「嵯峨嵐山」駅前に出ます。

そのT字路の南側から、JR嵯峨野線の南側に行けます。
そこを南西に約200m進み、そこで南に折れて約400m進むと
「蚕ノ社」木嶋神社の前に辿り着きます。

今度は同じ場所で、北を向きました。
左(西)に見える緑地は、双ヶ丘ですね。
では、丸太町通を北に渡ります。

丸太町通から、京都府道130号線を北に向いています。
この道は双ヶ丘の東側を南北に貫いており、
双ヶ岡の北側に広がる御室仁和寺に至ります。

京都府道130号線から、丸太町通北側歩道を東に向いています。
こちらの桜は、法金剛院に隣接する幼稚園のものです。

その幼稚園の駐車場を撮りました。
こちらの紅葉は、日をたっぷり浴びて紅く染まっています。

その東側に、こちらの門があります。
では丸太町通北側歩道から、法金剛院に入ります。

法金剛院の境内に、入ってきました。
2017年の京都の紅葉は、この11月23日が盛りでした。
では、この石畳の道に沿って奥に入っていきます。

すると、すぐにこちらの門に行き当たります。
この門をくぐるとすぐに庫裏があって、そこで拝観料を納めました。

法金剛院庫裏の前から、東へと石畳の道が伸びています。
では、こちらを進み法金剛院に参拝をします。

法金剛院境内の東に伸びる石畳の道は、すぐに突き当たります。
このすぐ先が庭園で、池を囲む形で道が伸びています。
ただ、そちらより先に左(北)の道に進みます。

そのT字路で、北を向いています。
こちらに、法金剛院のお堂が並びます。
その前に嵯峨菊の鉢が並んでいます。
ちょっと大覚寺に似ていますね。

では、こちらで靴を脱ぎます。
スリッパに履き替えて、お堂の周囲を歩いていきます。

靴を履き替える「たたき」の部分にも、カエデが落ちていました。
紅葉が盛りを過ぎると、少しずつ落葉が始まります。

靴からスリッパに履き替えたお堂の中には入れません。
そのお堂の周囲が廊下で囲まれていて、その周囲を歩きます。

そのお堂の北西角から、西側を見ています。
その向こうに、また別のお堂が見えます。

こらのお堂からそちらのお堂に向かって、渡り廊下が続いています。
ではその渡り廊下を伝って、向こうに参ります。

法金剛院本堂は先ほどのお堂の北西側にありますが、
その南側にも仏殿があります。
こちらには、僧形文殊菩薩像や地蔵菩薩像がいらっしゃいました。
またそれほど大きくはありませんでしたが、
十一面観音像が細かい造りでついつい見惚れてしまいました。
こちらは全て、重要文化財に指定されております。

その辺りの地面の様子です。
まだ落葉には早いのですが、個人的な好みで撮りました。

こちらが、その地面の上です。
では、法金剛院本堂に向かいます。
この辺りは、平安時代初期は清原夏野の山荘でした。
その死後、山荘が寺院化したものがこの寺院の始まりです。
まぁ平安時代の貴族は、嵯峨野から双ヶ丘にかけてのこの地に
数多くの別荘を建ててそれらが現在多くの寺院となっており、
この法金剛院もそれらの中の一つという訳です。

法金剛院本堂には、ご本尊の阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
ただこの日(2017年11月23日)は当寺院の法要の日で、
そのため中には入れませんでした……
こちらは、その本堂から西を見た風景です。
向こうの丘陵地が、双ヶ丘です。

法金剛院法本堂に背を向け、南を向いています。
では、紅葉の渡り廊下を通り過ぎ戻っていきます。

法金剛院のお堂の渡り廊下を歩いています。
この寺院はお堂に寄り添うように、カエデが並んでいます。
この辺りのお堂の中に、便所がありました。
ちょっと、そこで休憩します。

その便所の前から、東を向いています。
向こうに、先程の嵯峨菊が見えていますね。
これで、法金剛院のお堂を1周したことになります。
カエデの向こうには、枝垂桜も見えます。
こちらは紅葉以外にも、桜の名所でもあります。

では、こちらでまたスリッパから靴に履き替えます。
この東側に、平安時代初期に
清原夏野の山荘であったころから存在した庭園があります。
法金剛院の紅葉の大半はそちらにあるのですが、
今回ブログもだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、こちらの法金剛院庭園を散策します~
2017年11月も下旬に入り、今年も紅葉に染まってきました。
今回ブログから、JR「花園」駅を起点とする企画をお届けします。
既にメジャーな寺院もありますが、
この辺りは京都市街地としてはまだまだ観光地化されておらず、
その分紅葉も「穴場ぞろい」となっています。
ですから、今回はいくつかの寺院が自分の「取って置き」です。
それが、どちらなのかはお楽しみということで……
ですから、いくつかの写真はクリックして拡大してみてください。

京都駅1番ホームから駅構内を約300m進むと、
京都駅最西端に伸びる32番ホームに出ます。
(京都駅のホームは、東西幅が日本でも屈指の長さです)
そちらから嵯峨嵐山行の嵯峨野線の電車に乗って、
約20分で4駅進み「花園」駅で降りました。
では、2017年の紅葉散策はこちらの「花園」駅から始めます。
ちなみに、自分たちが乗っていた電車は「太秦」駅経由で
終点の「嵯峨嵐山」駅に向かいます。
撮影日は、2017年11月23日勤労感謝の日の木曜日午前10時50分。
小雨と快晴の不安定な日でした。

第502回ブログでも書いたようにJR嵯峨野線は高架上を通り、
駅の大半も高架上にホームがあります。
当然「花園」駅も、ホームから階段を下りて改札口に向かいます。

「花園」駅ホームから下りた先に、改札口があります。
第502回ブログでは自分以外に乗降者はほとんどいませんでしたが、
さすがに11月23日はこのくらいは混んでいます。
(京都市内の観光客数は、毎年11月23日が最多です)

JR「花園」駅の改札口を出て、北を向いています。
丸太町通沿いにある市バスの停留所に、何人かいらっしゃいます。

JR「花園」駅前で、丸太町通を西に向いています。
駅構内の東側に、コンビニエンスストアがあります。
第502回ブログでは熱中症対策に飲料水を買いましたが、
ここまで気温が低いとそれは不要ですね。
では、先ずはこの丸太町通を西に進みます。

JR「花園」駅前から、丸太町通を西に約100m進みました。
目の前に、「花園扇野町」バス停が見えますね。
駅前とあって丸太町通右(北)側歩道には飲食店が並びましたが、
この辺りから木々が並びます。
そちらが、今回ブログのメイン法金剛院です。

その「花園扇野町」バス停から、丸太町通をさらに西に進みました。
ここで、丸太町通から北に府道130号線が伸びます。
丸太町通は約100m先の「双ヶ丘」交差点で天神川通と交差します。
さらにずっと進んでいくと、JR「嵯峨嵐山」駅前に出ます。

そのT字路の南側から、JR嵯峨野線の南側に行けます。
そこを南西に約200m進み、そこで南に折れて約400m進むと
「蚕ノ社」木嶋神社の前に辿り着きます。

今度は同じ場所で、北を向きました。
左(西)に見える緑地は、双ヶ丘ですね。
では、丸太町通を北に渡ります。

丸太町通から、京都府道130号線を北に向いています。
この道は双ヶ丘の東側を南北に貫いており、
双ヶ岡の北側に広がる御室仁和寺に至ります。

京都府道130号線から、丸太町通北側歩道を東に向いています。
こちらの桜は、法金剛院に隣接する幼稚園のものです。

その幼稚園の駐車場を撮りました。
こちらの紅葉は、日をたっぷり浴びて紅く染まっています。

その東側に、こちらの門があります。
では丸太町通北側歩道から、法金剛院に入ります。

法金剛院の境内に、入ってきました。
2017年の京都の紅葉は、この11月23日が盛りでした。
では、この石畳の道に沿って奥に入っていきます。

すると、すぐにこちらの門に行き当たります。
この門をくぐるとすぐに庫裏があって、そこで拝観料を納めました。

法金剛院庫裏の前から、東へと石畳の道が伸びています。
では、こちらを進み法金剛院に参拝をします。

法金剛院境内の東に伸びる石畳の道は、すぐに突き当たります。
このすぐ先が庭園で、池を囲む形で道が伸びています。
ただ、そちらより先に左(北)の道に進みます。

そのT字路で、北を向いています。
こちらに、法金剛院のお堂が並びます。
その前に嵯峨菊の鉢が並んでいます。
ちょっと大覚寺に似ていますね。

では、こちらで靴を脱ぎます。
スリッパに履き替えて、お堂の周囲を歩いていきます。

靴を履き替える「たたき」の部分にも、カエデが落ちていました。
紅葉が盛りを過ぎると、少しずつ落葉が始まります。

靴からスリッパに履き替えたお堂の中には入れません。
そのお堂の周囲が廊下で囲まれていて、その周囲を歩きます。

そのお堂の北西角から、西側を見ています。
その向こうに、また別のお堂が見えます。

こらのお堂からそちらのお堂に向かって、渡り廊下が続いています。
ではその渡り廊下を伝って、向こうに参ります。

法金剛院本堂は先ほどのお堂の北西側にありますが、
その南側にも仏殿があります。
こちらには、僧形文殊菩薩像や地蔵菩薩像がいらっしゃいました。
またそれほど大きくはありませんでしたが、
十一面観音像が細かい造りでついつい見惚れてしまいました。
こちらは全て、重要文化財に指定されております。

その辺りの地面の様子です。
まだ落葉には早いのですが、個人的な好みで撮りました。

こちらが、その地面の上です。
では、法金剛院本堂に向かいます。
この辺りは、平安時代初期は清原夏野の山荘でした。
その死後、山荘が寺院化したものがこの寺院の始まりです。
まぁ平安時代の貴族は、嵯峨野から双ヶ丘にかけてのこの地に
数多くの別荘を建ててそれらが現在多くの寺院となっており、
この法金剛院もそれらの中の一つという訳です。

法金剛院本堂には、ご本尊の阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
ただこの日(2017年11月23日)は当寺院の法要の日で、
そのため中には入れませんでした……
こちらは、その本堂から西を見た風景です。
向こうの丘陵地が、双ヶ丘です。

法金剛院法本堂に背を向け、南を向いています。
では、紅葉の渡り廊下を通り過ぎ戻っていきます。

法金剛院のお堂の渡り廊下を歩いています。
この寺院はお堂に寄り添うように、カエデが並んでいます。
この辺りのお堂の中に、便所がありました。
ちょっと、そこで休憩します。

その便所の前から、東を向いています。
向こうに、先程の嵯峨菊が見えていますね。
これで、法金剛院のお堂を1周したことになります。
カエデの向こうには、枝垂桜も見えます。
こちらは紅葉以外にも、桜の名所でもあります。

では、こちらでまたスリッパから靴に履き替えます。
この東側に、平安時代初期に
清原夏野の山荘であったころから存在した庭園があります。
法金剛院の紅葉の大半はそちらにあるのですが、
今回ブログもだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、こちらの法金剛院庭園を散策します~
~追記 その1~
この辺りの写真を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗五位山法金剛院が、起点です。
~追記 その2~
ちょっとイジケています

2017年11月23日にウチの母と花園で紅葉散策した後、
帰宅した際に写したウチのネコです。
まる1日独りきりでしたので、こんな表情です。

さらに、もう1枚撮りました。
本当はフラッシュが大嫌いなネコでしたが、
この日はあまり嫌がりません……と言いますか無反応です。

心配したウチの母が、なんと釜揚げをあげています。
滅多に食べられない大好物に、この瞬間はご機嫌でした。

その直後に、安心してすやすや眠ってしまいました……
と思いきや、この直後に何度か嘔吐しました。
このネコは毛玉をほぼ吐かないので、
ここまでの嘔吐はウチに来て初めてでした。
独りきりの時間が珍しく長かったので、
ストレスが溜ったのでしょうか?
次の日(2017年11月23日)は表面上は、元に戻っていました。
~追記 その3~
イタリアが!イタリアが?イタリアが……
少し昔のものも含めて、今回ブログから何回かに分けて
「サッカーネタ」を追記に載せます。
日本人である自分がサッカーで一番応援しているのは日本ですが、
それ以外にもW杯ではイタリアを応援していて、
さらにアメリカ、エクアドルの順に続きます。
その中でも、自分はイタリアに強い思いがあります。
自分がサッカーを見始めたのは、
1982年のW杯スペイン大会からです。
当時自分は、夕方は生前の祖父とよく一緒にいました。
2次リーグ「イタリアvsブラジル」の再放送を見たのは
本当に偶然でした。
(当時決勝トーナメントの代わりにリーグ戦がありました)
一方的に攻めるジーコやソクラテスなどのブラジルに
GKゾフを中心としたイタリアは終始防戦一方でした。
しかし、結果は3-2でイタリアが勝利し
(つまり守備ばかりしていたチームが3点取りました)
イタリアはその勢いのまま優勝しました。
75分ごろにロッシがコーナーキックから
決勝ゴールを決めた瞬間、
既に寝たきりだったうちの祖父がベッドから起き上がり、
叫び声をあげたのを今もよく覚えています。
以来、寝たきりだったうちの祖父はサッカー好きになって
4年後もイタリアの試合を追いかけて視ていました。
そして、自分もそれ以来イタリアをずっと応援していました。
こんなことを書くのは、先日エクアドル、アメリカに続いて
イタリアもW杯予選を敗退したからです。
これは、1950年ブラジル大会以来のことです。
まぁ、そういう予兆は2010年ごろからありました。
2010年と2014年と連続でグループリーグ敗退でしたし、
(これは日本よりもグループリーグの勝率が低いことを指します)
何よりカテナチオと呼ばれるイタリア独自の守備戦術は
もっと以前に消滅していました。
思い出すのは、1998年W杯フランス大会の予選です。
ここでもイタリアは今回同様プレーオフに回り、
しかも対戦相手は難敵のロシアでした。
極寒で大雪のアウェイを1-1で乗り切った後、
ホームを1-0で勝利して無事予選を突破しました。
その75分くらいのことです。
思うようにならず苛立ちだすロシア代表選手が、
(たぶんカンチェルスキス選手)
ピッチの外に出たボールを地面に叩きつけました。
その後、そのボールがマルディーニ選手の脇を転がりました。
しかし、マルディーニ選手は気付かぬふりして
最後までボールに触れませんでした。
(おそらく、日本人選手なら相手選手にボールを手渡したでしょう)
さらにロシア代表選手の苛立ちを募らせ、
ロシア側が集中力を欠きました。
そして、その直後にイタリアの決勝点が入りました。
これを卑怯とみるか戦術とみるかは意見が分かれますが、
少なくとも今のイタリアにはそういう駆け引きをする
発想自体が欠落しています。
個人技とか、戦術理解とか、そういうもの以前に
これがイタリアの弱体化の最大の原因と思っています。
この辺りの写真を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗五位山法金剛院が、起点です。
~追記 その2~
ちょっとイジケています

2017年11月23日にウチの母と花園で紅葉散策した後、
帰宅した際に写したウチのネコです。
まる1日独りきりでしたので、こんな表情です。

さらに、もう1枚撮りました。
本当はフラッシュが大嫌いなネコでしたが、
この日はあまり嫌がりません……と言いますか無反応です。

心配したウチの母が、なんと釜揚げをあげています。
滅多に食べられない大好物に、この瞬間はご機嫌でした。

その直後に、安心してすやすや眠ってしまいました……
と思いきや、この直後に何度か嘔吐しました。
このネコは毛玉をほぼ吐かないので、
ここまでの嘔吐はウチに来て初めてでした。
独りきりの時間が珍しく長かったので、
ストレスが溜ったのでしょうか?
次の日(2017年11月23日)は表面上は、元に戻っていました。
~追記 その3~
イタリアが!イタリアが?イタリアが……
少し昔のものも含めて、今回ブログから何回かに分けて
「サッカーネタ」を追記に載せます。
日本人である自分がサッカーで一番応援しているのは日本ですが、
それ以外にもW杯ではイタリアを応援していて、
さらにアメリカ、エクアドルの順に続きます。
その中でも、自分はイタリアに強い思いがあります。
自分がサッカーを見始めたのは、
1982年のW杯スペイン大会からです。
当時自分は、夕方は生前の祖父とよく一緒にいました。
2次リーグ「イタリアvsブラジル」の再放送を見たのは
本当に偶然でした。
(当時決勝トーナメントの代わりにリーグ戦がありました)
一方的に攻めるジーコやソクラテスなどのブラジルに
GKゾフを中心としたイタリアは終始防戦一方でした。
しかし、結果は3-2でイタリアが勝利し
(つまり守備ばかりしていたチームが3点取りました)
イタリアはその勢いのまま優勝しました。
75分ごろにロッシがコーナーキックから
決勝ゴールを決めた瞬間、
既に寝たきりだったうちの祖父がベッドから起き上がり、
叫び声をあげたのを今もよく覚えています。
以来、寝たきりだったうちの祖父はサッカー好きになって
4年後もイタリアの試合を追いかけて視ていました。
そして、自分もそれ以来イタリアをずっと応援していました。
こんなことを書くのは、先日エクアドル、アメリカに続いて
イタリアもW杯予選を敗退したからです。
これは、1950年ブラジル大会以来のことです。
まぁ、そういう予兆は2010年ごろからありました。
2010年と2014年と連続でグループリーグ敗退でしたし、
(これは日本よりもグループリーグの勝率が低いことを指します)
何よりカテナチオと呼ばれるイタリア独自の守備戦術は
もっと以前に消滅していました。
思い出すのは、1998年W杯フランス大会の予選です。
ここでもイタリアは今回同様プレーオフに回り、
しかも対戦相手は難敵のロシアでした。
極寒で大雪のアウェイを1-1で乗り切った後、
ホームを1-0で勝利して無事予選を突破しました。
その75分くらいのことです。
思うようにならず苛立ちだすロシア代表選手が、
(たぶんカンチェルスキス選手)
ピッチの外に出たボールを地面に叩きつけました。
その後、そのボールがマルディーニ選手の脇を転がりました。
しかし、マルディーニ選手は気付かぬふりして
最後までボールに触れませんでした。
(おそらく、日本人選手なら相手選手にボールを手渡したでしょう)
さらにロシア代表選手の苛立ちを募らせ、
ロシア側が集中力を欠きました。
そして、その直後にイタリアの決勝点が入りました。
これを卑怯とみるか戦術とみるかは意見が分かれますが、
少なくとも今のイタリアにはそういう駆け引きをする
発想自体が欠落しています。
個人技とか、戦術理解とか、そういうもの以前に
これがイタリアの弱体化の最大の原因と思っています。
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