第501回 そして長刀鉾へ~前祭宵山散策2017~その8
前回ブログ終了時点の山伏山付近で、
デジタルカメラのバッテリーが空になり
もう写真が撮れない状態でした。
そこでいったん占出山の脇を通り抜け、烏丸通に出て
「四条烏丸」交差点北側でファーストフード店など
客席にコンセントが付いている店を探しました。
ところが、どのお店もそのようなものが付いておらず、
半ばあきらめて「四条烏丸」交差点に出て
函谷鉾近くを見上げると……ありました!
「四条烏丸」交差点北西角のLAQUEの2Fに
「スターバック」があって、客席でコンセントを発見しました!
先ずコンセントが付いている客席を確保して、
(そこが空くまで、ひたすら立って待っていました)
バッテリーを入れた充電器をコンセントに差し込んで、
注文の行列に並びました。
実は生まれて初めての「スターバック」でしたが、
柚子風味の炭酸飲料がおいしそうだったのでそれを頼み、
それを飲みつつさらに約30分充電し続けました。
さて、ここから「錦室町」の辻に戻り占出山に向かいます。
この時点で、2017年7月16日宵山の日曜日午後7時。
もうすぐ日暮れですので、慌てて残りの撮影を開始します。
LAQUEを出て、「四条烏丸」交差点を南に渡りました。
この時間帯(午後5時~翌0時)の四条通と烏丸通は、
人も自動車と同じ左側通行です。
烏丸通から四条通を西に歩いています。
北側を見ると、ちょうど目の前に
第495回ブログの終盤に出てきた函谷鉾が立っています。
(詳しい沿革も、そちらを参照してください)
もう夕方ということで、囃し方の皆さんが鉾に登り
「祇園囃」を演奏されていました。
実は各山鉾で「祇園囃」の調べが異なるのですが、
([担ぎ山」には、元々囃手がいらっしゃいません)
個人的にはこの函谷鉾の調べが一番お気に入りです。
烏丸通から四条通を西に約100m進み、
室町通で北を向きました。
前回ブログで近づくのを諦めていた菊水鉾が目の前に立っています。
菊水鉾は、この周辺にあった「菊水の井」という井戸が由来です。
祇園祭の他の多くの山鉾同様どんどん焼けで焼失し、
1952年に約88年ぶりに再興されました。
確かその辺りから、多くの山鉾が復活していった記憶があります。
菊水鉾に最接近したのですが、大きすぎて全体像が撮れません。
結局菊水鉾の車軸だけを撮りました……
「菊水」だけに、きちんと菊花紋ですね。
そういえば、こちらの鉾先も菊花の形をしていました。
菊水鉾の前を通り過ぎ、四条通から室町通を約100m北上しました。
こちらの「錦室町」の辻南西角にある呉服屋さんが、
この時期限定の大安売りをしていました。
祇園祭を支える氏子(町衆)の多くが呉服関係の会社なのですが、
これらのお店が祇園祭期間中に大安売りを行います。
これも、祇園祭の名物の一つです。
四条通から室町通を北上して「錦室町」の辻まで来ましたが、
通行規制のためこれ以上の北上ができません。
まぁ、もう前回ブログで山伏山を訪れたので
今回ブログの取材には支障はありません。
(面白いことに、錦小路から来た方々は北上してもよいそうです)
室町通から、錦小路を東に向いています。
では、この先に見える占出山に向かいます。
室町通から、錦小路を東に約70m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
その西側で、こちらの和菓子が売られていました。
こちらが、その「吉兆あゆ」という和菓子です。
祇園祭前祭の期間限定で、この場所だけで販売されます。
戦の前に占って「戦勝祈願」するのは世界中よくあるのですが、
(たとえば、古代ローマは鶏が餌を食べる量で占いました)
古代の日本ではアユが釣れた量で占いました。
ですから、アユを漢字で「鮎」と書きます。
(これは、日本独自の習慣です。
ですから、中国語ではアユは「香魚」と書き
「鮎」という文字は鯰(ナマズ)を意味します)
この占出山は神功皇后が朝鮮半島の新羅に攻め込む前に行った
アユ釣りの占いを題材にしています。
ですから、こちらでアユを模った和菓子が売られています。
先程の竹皮をめくると、中からこちらが出てきました。
こちらは、個包装で6袋入りです。
袋から、製造元が大極殿本舗であることが分かります。
そして、個包装の袋から中を取り出しました。
こちらは、京菓子の一種「若鮎」(「鮎」とも言います)ですね。
カステラ生地をアユの型に入れて焼いたものです。
中に白餡が入っているものが多いのですが、
こちらには牛皮が入っていました。
では、占出山の南側から占出山の会所に入っていきます。
こちらは、元々神功皇后を祀った小さな神社です。
(ただし、普段は閉まっています)
その会所の柱に、こちらが貼り付けてありました。
2017年の前祭山一番は、この占出山でした。
そういえば、2014年もこちらが「山一番」でした。
先程の輝度を通り抜けると、急に中が広くなります。
では、こちらの占出山会所を巡ります。
こちらは、占出山を飾る胴掛と水引です。
水引に描かれた三十六歌仙が見事ですね。
その手前には、占出山の装飾品が並んでいます。
神具のアユの木像が、面白いですね。
その奥の手拭いは、こちらの会所で売られています。
占出山会所の一番奥に、見送りとこちらが展示されていました。
国宝三条宗近作「御太刀」です。
ほとんど現存しない三条宗近の作品のうちの一振りですね。
こちらは占出山が所有していますが、
さすがに山鉾巡行には帯同しません。
占出山会所で「御太刀」に背を向け、北を向きました。
道(東)側の社で、粽や手拭い、御朱印を求められます。
もう夕方なので、町内の小学生が集まって
「粽どうですかぁ~」のわらべ歌が始まっています。
社の奥に、こちらのご神体でいらっしゃる
神功皇后の木像が立っておられます。
船鉾や大船鉾同様に、皇后は仮面を付けておられます。
こちらで特にご神体の撮影を咎められたことはないのですが、
ご神体は撮影が難しい角度にいらっしゃるので、
こちらも神功皇后の木像の撮影は事実上不可能です。
(祇園祭では、神功皇后像の撮影がどこも禁じられています)
占出山会所から錦小路に戻り、東を向きました。
では、ここから約30m先の烏丸通に出ます。
錦小路を東に進み、烏丸通に出ました。
……のですが、この人出です。
この2時間前(午後5時過ぎ)から、
自動車を通行止めにして車道に歩行者が溢れています。
祇園祭前祭では、この状態になって以降は左側一方通行です。
(自動車と同じ感覚ですね)
このままでは、この右(南)約20m先に立つ孟宗山には行けません。
とは言え、孟宗山以降の山鉾に行かない選択肢はありません。
そこで、目の前の警察官に質問しました。
「ここを突っ切って、錦小路の東側に行くことは可能ですか?」
すると、こちらの警察官が振り返ってこうおっしゃいました。
「可能は可能やけど……大変やで」
一応は許可(?)が下りたということで、
先ずは烏丸通を東側に横断します。
錦小路で烏丸通を東側に渡り、南を向きました。
やはり、結構もみくちゃになりました……
ここから約20m南下して、再び烏丸通の西側歩道へと戻ります。
人混みを突っ切って進むと、いろいろボロボロになります。
烏丸通を再び横断して、ようやく孟宗山の前に辿り着きました。
では、ウチのブログで初めて孟宗山会所に入っていきます。
とは言え、こちらには撮影抜きなら10回以上訪れたことがあります。
「孟宗」山だけに、会所の周囲は孟宗竹に囲まれてます。
こちらが、孟宗山会所の様子です。
胴掛や見送りの前で、粽や手拭いが売られています。
この右手の奥にこちらのご神体がいらっしゃるのですが、
参拝者が多くて近付けませんでした。
こちらのご神体は、3世紀の中国にあった
呉という国で文官を務めた孟宗の木像です。
「三国志演義」で有名な陸遜の部下でした。
文官ということもあって、
その「三国志演義」では孟宗はほとんど登場しませんが、
「親孝行な人物」として中国を初め日本や韓国でも昔は有名でした。
この「孟宗山」は、その孟宗が一人で雪山に入り
母親の大好物の筍を採ったという故事にちなんでいます。
(これが日本に多く生えている「孟宗竹」という竹の名前の由来)
ちなみに、この孟宗は君主の孫権の命令に逆らい
母親の死後喪に服して戦に参戦しなかったそうです。
孫権は孟宗を処刑しようとしたのですが、
陸遜が身を挺して庇ったために
孟宗は謹慎処分だけで済みました。
ただ孫権と陸遜の死後、孟宗は呉の政治の中心となり
「乱世の能臣」として末期の呉を支えました。
最近の祇園祭各会所で売られている手拭いは
実に格好いいデザインが多いのですが、
こちらの孟宗山は特に「傑作ぞろい」です。
その中でも、この孟宗竹を模ったこちらに一目惚れして
即決で買ってしまいました。
こちらが、その手拭いの下半分です。
竹の脇の筍が、程よいバランスで描かれています。
手拭いは通常タオルとして使われますが、
自分は一種のタペストリーとして家の壁に貼り付けています。
孟宗山の会所から出て、またまた人波をかき分けて
烏丸通の西側から東側に渡り、南を向きました。
実は約2時間前の第499回ブログの途中で雨は止んでいるのですが、
雨傘を差されておられる方々が結構いらっしゃいます。
次は、ここを南下します。
先程の写真から、烏丸通を約80m南下しました。
ようやく「四条烏丸」交差点に辿り着きました。
普段は車窓からでしか見られないこの角度を
歩いて眺めるのは、祇園祭限定ですね。
烏丸通から、四条通を東に向きました。
向こうに、2017年祇園祭前祭宵山散策の最後の山鉾である
長刀鉾の雄姿が見えてきました。
ちなみに、こちらの鉾先に備え付けられている長刀の作者が
先程登場した三条宗近です。
こちらは、山鉾巡行中でも絶対に八坂神社に刃先が向かないように
考えて取り付けられています。
烏丸通から四条通を東に進み、だんだん長刀鉾に近づいています。
もう午後7時半を回りだいぶ薄暗くなってきて、
(たぶん日が沈んだ直後です)
こちらの長刀鉾からも祇園囃の調べが聞こえてきました。
さすがに山鉾巡行でないと生稚児さんは登っておられませんが、
それ以外は山鉾巡行の際と同じ状態のようですね。
こちらは、山鉾巡行の先頭を進む鉾です。
(第324回ブログを参照)
ですから、「魔」を切り裂く刃物が付いています。
元々山鉾巡行は神輿巡行の「露払い」の役割があるのですが、
特に先頭の長刀鉾は、さらに山鉾巡行の「露払い」という
役割が大きいのでしょうね。
長刀鉾の前を東へ通り過ぎ、
これで2017年の祇園祭前祭に立った全ての山鉾を取材しました。
あとは帰るだけなのですが……これだけの人混みでは
反対側の「四条烏丸」交差点には向かえません。
(そもそもこの辺は、歩行者一方通行です)
そろそろ東洞院通を通り過ぎますが、東進するしかありません。
そこで、「四条東洞院」交差点で歩道に上がりました。
そして、ここから高倉通近くを目指します。
すると、すぐに大丸百貨店が姿を現します。
こちらにいったん入って、ちょっと買い物をして
地下道経由で地下鉄烏丸線「四条」駅に辿り着きました。
そしてそこから京都駅に向かい、その後帰宅しました。
これで、2017年の祇園祭の連載記事を終わります。
~次回から、妙心寺や等持院など花園地区を散策します~
デジタルカメラのバッテリーが空になり
もう写真が撮れない状態でした。
そこでいったん占出山の脇を通り抜け、烏丸通に出て
「四条烏丸」交差点北側でファーストフード店など
客席にコンセントが付いている店を探しました。
ところが、どのお店もそのようなものが付いておらず、
半ばあきらめて「四条烏丸」交差点に出て
函谷鉾近くを見上げると……ありました!
「四条烏丸」交差点北西角のLAQUEの2Fに
「スターバック」があって、客席でコンセントを発見しました!
先ずコンセントが付いている客席を確保して、
(そこが空くまで、ひたすら立って待っていました)
バッテリーを入れた充電器をコンセントに差し込んで、
注文の行列に並びました。
実は生まれて初めての「スターバック」でしたが、
柚子風味の炭酸飲料がおいしそうだったのでそれを頼み、
それを飲みつつさらに約30分充電し続けました。
さて、ここから「錦室町」の辻に戻り占出山に向かいます。
この時点で、2017年7月16日宵山の日曜日午後7時。
もうすぐ日暮れですので、慌てて残りの撮影を開始します。
LAQUEを出て、「四条烏丸」交差点を南に渡りました。
この時間帯(午後5時~翌0時)の四条通と烏丸通は、
人も自動車と同じ左側通行です。
烏丸通から四条通を西に歩いています。
北側を見ると、ちょうど目の前に
第495回ブログの終盤に出てきた函谷鉾が立っています。
(詳しい沿革も、そちらを参照してください)
もう夕方ということで、囃し方の皆さんが鉾に登り
「祇園囃」を演奏されていました。
実は各山鉾で「祇園囃」の調べが異なるのですが、
([担ぎ山」には、元々囃手がいらっしゃいません)
個人的にはこの函谷鉾の調べが一番お気に入りです。
烏丸通から四条通を西に約100m進み、
室町通で北を向きました。
前回ブログで近づくのを諦めていた菊水鉾が目の前に立っています。
菊水鉾は、この周辺にあった「菊水の井」という井戸が由来です。
祇園祭の他の多くの山鉾同様どんどん焼けで焼失し、
1952年に約88年ぶりに再興されました。
確かその辺りから、多くの山鉾が復活していった記憶があります。
菊水鉾に最接近したのですが、大きすぎて全体像が撮れません。
結局菊水鉾の車軸だけを撮りました……
「菊水」だけに、きちんと菊花紋ですね。
そういえば、こちらの鉾先も菊花の形をしていました。
菊水鉾の前を通り過ぎ、四条通から室町通を約100m北上しました。
こちらの「錦室町」の辻南西角にある呉服屋さんが、
この時期限定の大安売りをしていました。
祇園祭を支える氏子(町衆)の多くが呉服関係の会社なのですが、
これらのお店が祇園祭期間中に大安売りを行います。
これも、祇園祭の名物の一つです。
四条通から室町通を北上して「錦室町」の辻まで来ましたが、
通行規制のためこれ以上の北上ができません。
まぁ、もう前回ブログで山伏山を訪れたので
今回ブログの取材には支障はありません。
(面白いことに、錦小路から来た方々は北上してもよいそうです)
室町通から、錦小路を東に向いています。
では、この先に見える占出山に向かいます。
室町通から、錦小路を東に約70m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
その西側で、こちらの和菓子が売られていました。
こちらが、その「吉兆あゆ」という和菓子です。
祇園祭前祭の期間限定で、この場所だけで販売されます。
戦の前に占って「戦勝祈願」するのは世界中よくあるのですが、
(たとえば、古代ローマは鶏が餌を食べる量で占いました)
古代の日本ではアユが釣れた量で占いました。
ですから、アユを漢字で「鮎」と書きます。
(これは、日本独自の習慣です。
ですから、中国語ではアユは「香魚」と書き
「鮎」という文字は鯰(ナマズ)を意味します)
この占出山は神功皇后が朝鮮半島の新羅に攻め込む前に行った
アユ釣りの占いを題材にしています。
ですから、こちらでアユを模った和菓子が売られています。
先程の竹皮をめくると、中からこちらが出てきました。
こちらは、個包装で6袋入りです。
袋から、製造元が大極殿本舗であることが分かります。
そして、個包装の袋から中を取り出しました。
こちらは、京菓子の一種「若鮎」(「鮎」とも言います)ですね。
カステラ生地をアユの型に入れて焼いたものです。
中に白餡が入っているものが多いのですが、
こちらには牛皮が入っていました。
では、占出山の南側から占出山の会所に入っていきます。
こちらは、元々神功皇后を祀った小さな神社です。
(ただし、普段は閉まっています)
その会所の柱に、こちらが貼り付けてありました。
2017年の前祭山一番は、この占出山でした。
そういえば、2014年もこちらが「山一番」でした。
先程の輝度を通り抜けると、急に中が広くなります。
では、こちらの占出山会所を巡ります。
こちらは、占出山を飾る胴掛と水引です。
水引に描かれた三十六歌仙が見事ですね。
その手前には、占出山の装飾品が並んでいます。
神具のアユの木像が、面白いですね。
その奥の手拭いは、こちらの会所で売られています。
占出山会所の一番奥に、見送りとこちらが展示されていました。
国宝三条宗近作「御太刀」です。
ほとんど現存しない三条宗近の作品のうちの一振りですね。
こちらは占出山が所有していますが、
さすがに山鉾巡行には帯同しません。
占出山会所で「御太刀」に背を向け、北を向きました。
道(東)側の社で、粽や手拭い、御朱印を求められます。
もう夕方なので、町内の小学生が集まって
「粽どうですかぁ~」のわらべ歌が始まっています。
社の奥に、こちらのご神体でいらっしゃる
神功皇后の木像が立っておられます。
船鉾や大船鉾同様に、皇后は仮面を付けておられます。
こちらで特にご神体の撮影を咎められたことはないのですが、
ご神体は撮影が難しい角度にいらっしゃるので、
こちらも神功皇后の木像の撮影は事実上不可能です。
(祇園祭では、神功皇后像の撮影がどこも禁じられています)
占出山会所から錦小路に戻り、東を向きました。
では、ここから約30m先の烏丸通に出ます。
錦小路を東に進み、烏丸通に出ました。
……のですが、この人出です。
この2時間前(午後5時過ぎ)から、
自動車を通行止めにして車道に歩行者が溢れています。
祇園祭前祭では、この状態になって以降は左側一方通行です。
(自動車と同じ感覚ですね)
このままでは、この右(南)約20m先に立つ孟宗山には行けません。
とは言え、孟宗山以降の山鉾に行かない選択肢はありません。
そこで、目の前の警察官に質問しました。
「ここを突っ切って、錦小路の東側に行くことは可能ですか?」
すると、こちらの警察官が振り返ってこうおっしゃいました。
「可能は可能やけど……大変やで」
一応は許可(?)が下りたということで、
先ずは烏丸通を東側に横断します。
錦小路で烏丸通を東側に渡り、南を向きました。
やはり、結構もみくちゃになりました……
ここから約20m南下して、再び烏丸通の西側歩道へと戻ります。
人混みを突っ切って進むと、いろいろボロボロになります。
烏丸通を再び横断して、ようやく孟宗山の前に辿り着きました。
では、ウチのブログで初めて孟宗山会所に入っていきます。
とは言え、こちらには撮影抜きなら10回以上訪れたことがあります。
「孟宗」山だけに、会所の周囲は孟宗竹に囲まれてます。
こちらが、孟宗山会所の様子です。
胴掛や見送りの前で、粽や手拭いが売られています。
この右手の奥にこちらのご神体がいらっしゃるのですが、
参拝者が多くて近付けませんでした。
こちらのご神体は、3世紀の中国にあった
呉という国で文官を務めた孟宗の木像です。
「三国志演義」で有名な陸遜の部下でした。
文官ということもあって、
その「三国志演義」では孟宗はほとんど登場しませんが、
「親孝行な人物」として中国を初め日本や韓国でも昔は有名でした。
この「孟宗山」は、その孟宗が一人で雪山に入り
母親の大好物の筍を採ったという故事にちなんでいます。
(これが日本に多く生えている「孟宗竹」という竹の名前の由来)
ちなみに、この孟宗は君主の孫権の命令に逆らい
母親の死後喪に服して戦に参戦しなかったそうです。
孫権は孟宗を処刑しようとしたのですが、
陸遜が身を挺して庇ったために
孟宗は謹慎処分だけで済みました。
ただ孫権と陸遜の死後、孟宗は呉の政治の中心となり
「乱世の能臣」として末期の呉を支えました。
最近の祇園祭各会所で売られている手拭いは
実に格好いいデザインが多いのですが、
こちらの孟宗山は特に「傑作ぞろい」です。
その中でも、この孟宗竹を模ったこちらに一目惚れして
即決で買ってしまいました。
こちらが、その手拭いの下半分です。
竹の脇の筍が、程よいバランスで描かれています。
手拭いは通常タオルとして使われますが、
自分は一種のタペストリーとして家の壁に貼り付けています。
孟宗山の会所から出て、またまた人波をかき分けて
烏丸通の西側から東側に渡り、南を向きました。
実は約2時間前の第499回ブログの途中で雨は止んでいるのですが、
雨傘を差されておられる方々が結構いらっしゃいます。
次は、ここを南下します。
先程の写真から、烏丸通を約80m南下しました。
ようやく「四条烏丸」交差点に辿り着きました。
普段は車窓からでしか見られないこの角度を
歩いて眺めるのは、祇園祭限定ですね。
烏丸通から、四条通を東に向きました。
向こうに、2017年祇園祭前祭宵山散策の最後の山鉾である
長刀鉾の雄姿が見えてきました。
ちなみに、こちらの鉾先に備え付けられている長刀の作者が
先程登場した三条宗近です。
こちらは、山鉾巡行中でも絶対に八坂神社に刃先が向かないように
考えて取り付けられています。
烏丸通から四条通を東に進み、だんだん長刀鉾に近づいています。
もう午後7時半を回りだいぶ薄暗くなってきて、
(たぶん日が沈んだ直後です)
こちらの長刀鉾からも祇園囃の調べが聞こえてきました。
さすがに山鉾巡行でないと生稚児さんは登っておられませんが、
それ以外は山鉾巡行の際と同じ状態のようですね。
こちらは、山鉾巡行の先頭を進む鉾です。
(第324回ブログを参照)
ですから、「魔」を切り裂く刃物が付いています。
元々山鉾巡行は神輿巡行の「露払い」の役割があるのですが、
特に先頭の長刀鉾は、さらに山鉾巡行の「露払い」という
役割が大きいのでしょうね。
長刀鉾の前を東へ通り過ぎ、
これで2017年の祇園祭前祭に立った全ての山鉾を取材しました。
あとは帰るだけなのですが……これだけの人混みでは
反対側の「四条烏丸」交差点には向かえません。
(そもそもこの辺は、歩行者一方通行です)
そろそろ東洞院通を通り過ぎますが、東進するしかありません。
そこで、「四条東洞院」交差点で歩道に上がりました。
そして、ここから高倉通近くを目指します。
すると、すぐに大丸百貨店が姿を現します。
こちらにいったん入って、ちょっと買い物をして
地下道経由で地下鉄烏丸線「四条」駅に辿り着きました。
そしてそこから京都駅に向かい、その後帰宅しました。
これで、2017年の祇園祭の連載記事を終わります。
~次回から、妙心寺や等持院など花園地区を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けました。
詳しくは、ここをクリックしてください。
占出山の会所が、起点です。
今回ブログでは、函谷鉾→菊水鉾→占出山→孟宗山→
長刀鉾の順に回りました。
~追記 その2~
実は、他にもトラブルがありました……
2017年7月16日は、散々いろいろなことがありました。
第499回ブログで既報のように、
このブログ開設以来愛用してきたデジタルカメラが天に召されて、
しかも新品カメラの扱いがよく分からずに
数日にわたりPCにダウンロードできずに悪戦苦闘しました。
カメラが故障した後は大雨で足止めされて、
しかも今回ブログで紹介したように
カメラのバッテリーが切れてしまい、充電に手間取りました。
それで帰宅時に夕飯(奮発して鱧落とし)を買って帰ったのですが、
帰宅後財布からキャッシュカードを落としたことに気づきました。
翌日慌てて鱧を買ったお店に行きましたが
もちろんカードはありませんでした。
ウチの取引銀行の「七条西大路」交差点の京都信用金庫に行き、
カードを再発行しようとしたのですが、
今度は銀行印がいつの間にか紛失していることが分かりました。
結局印章まで再発行することになり、
その間銀行からお金を引き出せなくなりました。
自分を担当された銀行員がとても親切な方で
その方の対応がとても快適だったのですが、
それでもカードの再発行には日数がかかってしまいました。
と言いますのも7月末から「夏の長時間労働」が始まり、
銀行に行ける日がだんだんなくなってきたからです。
結局8月の給料日直前(ウチの会社は毎月15日が給与日)の
2017年8月12日土曜日16時にカードがやって来ました。
まるまる1カ月分の給与が銀行に残ってたので、
(使ってないのだから、当然です)
今この瞬間は「大金持ち」です。
~2017年8月14日午後2時追記~
力尽きて、刀折れ……
先週のことなのですが、J2リーグ第26節が行われ
我らが京都サンガはJ2で優勝争いをしている福岡と
我らがホーム西京極陸上競技場で対戦しました。
闘莉王選手が先発せずに主力の何人かが欠場する中、
試合は終始京都が圧す展開でした。
最近先発に復帰しつつある大黒選手の動きもよく、
ケヴィン選手は点は取らないもののポストプレーで
「京都有利」の展開を支えていました。
つまり完全に「京都の勝ち試合」でした。
これをひっくり返したのは、福岡守備陣の集中力と
(大黒選手のシュートシーンは、常に数人に囲まれていました)
一瞬のスキを見逃さないウェリントン選手の集中力、
そして名将井原監督の試合内での修正力でした。
終盤の失点シーンでは京都の両センターバックが
福岡の攻撃陣に完全に崩されましたが、
あれは染谷選手も下畠選手も仕方がなかったと思います。
そもそもあの時間帯は、京都が決勝点を採るべく
さらに攻撃的にシフトチェンジした瞬間でしたし、
それを初めから狙っていた福岡の執念に負けたわけです。
この日の京都の方針は、正しかったと思います。
ですから、このやり方を続けるべきです。
もしこの日の京都に問題があったとするなら、
福岡との「地力の差」でしょうか。
「降格」と無縁である現状、この方針を「貫く」ということが
今後(来シーズン含む)の京都に必要なのでしょうね。
この辺りの地図を貼り付けました。
詳しくは、ここをクリックしてください。
占出山の会所が、起点です。
今回ブログでは、函谷鉾→菊水鉾→占出山→孟宗山→
長刀鉾の順に回りました。
~追記 その2~
実は、他にもトラブルがありました……
2017年7月16日は、散々いろいろなことがありました。
第499回ブログで既報のように、
このブログ開設以来愛用してきたデジタルカメラが天に召されて、
しかも新品カメラの扱いがよく分からずに
数日にわたりPCにダウンロードできずに悪戦苦闘しました。
カメラが故障した後は大雨で足止めされて、
しかも今回ブログで紹介したように
カメラのバッテリーが切れてしまい、充電に手間取りました。
それで帰宅時に夕飯(奮発して鱧落とし)を買って帰ったのですが、
帰宅後財布からキャッシュカードを落としたことに気づきました。
翌日慌てて鱧を買ったお店に行きましたが
もちろんカードはありませんでした。
ウチの取引銀行の「七条西大路」交差点の京都信用金庫に行き、
カードを再発行しようとしたのですが、
今度は銀行印がいつの間にか紛失していることが分かりました。
結局印章まで再発行することになり、
その間銀行からお金を引き出せなくなりました。
自分を担当された銀行員がとても親切な方で
その方の対応がとても快適だったのですが、
それでもカードの再発行には日数がかかってしまいました。
と言いますのも7月末から「夏の長時間労働」が始まり、
銀行に行ける日がだんだんなくなってきたからです。
結局8月の給料日直前(ウチの会社は毎月15日が給与日)の
2017年8月12日土曜日16時にカードがやって来ました。
まるまる1カ月分の給与が銀行に残ってたので、
(使ってないのだから、当然です)
今この瞬間は「大金持ち」です。
~2017年8月14日午後2時追記~
力尽きて、刀折れ……
先週のことなのですが、J2リーグ第26節が行われ
我らが京都サンガはJ2で優勝争いをしている福岡と
我らがホーム西京極陸上競技場で対戦しました。
闘莉王選手が先発せずに主力の何人かが欠場する中、
試合は終始京都が圧す展開でした。
最近先発に復帰しつつある大黒選手の動きもよく、
ケヴィン選手は点は取らないもののポストプレーで
「京都有利」の展開を支えていました。
つまり完全に「京都の勝ち試合」でした。
これをひっくり返したのは、福岡守備陣の集中力と
(大黒選手のシュートシーンは、常に数人に囲まれていました)
一瞬のスキを見逃さないウェリントン選手の集中力、
そして名将井原監督の試合内での修正力でした。
終盤の失点シーンでは京都の両センターバックが
福岡の攻撃陣に完全に崩されましたが、
あれは染谷選手も下畠選手も仕方がなかったと思います。
そもそもあの時間帯は、京都が決勝点を採るべく
さらに攻撃的にシフトチェンジした瞬間でしたし、
それを初めから狙っていた福岡の執念に負けたわけです。
この日の京都の方針は、正しかったと思います。
ですから、このやり方を続けるべきです。
もしこの日の京都に問題があったとするなら、
福岡との「地力の差」でしょうか。
「降格」と無縁である現状、この方針を「貫く」ということが
今後(来シーズン含む)の京都に必要なのでしょうね。
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