第498回 木賊山の雨支度~前祭宵山散策2017~その5
[木賊山] ブログ村キーワード
前回ブログでお邪魔した船鉾と岩戸山より新町通を南下して、
高辻通との交差点に来ました。
新町通には、高辻通以南に山鉾は立ちません。
ですから、今回は西に移動して油小路沿いの山鉾に向かいます。
撮影日は、2017年7月16日宵山の日曜日午後2時半。
そろそろ曇り空が、気になりだしました。
また、今回もクリックすると全ての写真が拡大されます。
新町通から、高辻通を東に向いています。
向こうに見える信号の辺りが、
第494回ブログに出てきた「高辻室町」交差点です。
ただ、約2時間半前に通ったときと天候が全然違います。
日光が雲に遮られて、日影がありません。
今度は、新町通から高辻通を西に向きました。
目の前のコンビニエンスストアで
2014年にソルティーライチを買いましたが、
この日(2017年7月16日)はもう売り切れていました。
その売り場だけ、ぽっかりと穴が開いたようでした。
結果論ですが、ここで買えなかったのが後々響いてきました……
そのコンビニエンスストアの前で、高辻通を西に向いています。
この辺りの高辻通は坂道が急ですね。
コンビニエンスストアの西隣に、半兵衛麩の建物があります。
たぶん倉庫とか配送センターとか、卸売の施設です。
そちらの玄関に、洛中洛外図屏風が飾ってあります。
かつては「祇園祭の屏風と言えば」と言われるくらい、
祇園祭となるとこの辺の企業の大半が飾ったものですが、
今は多分ここだけになっていると思います。
その建物の前で、高辻通を西に向きました。
目の前の横断歩道から南に、若宮通が伸びています。
その若宮通が高辻通で突き当たった先(北)に、
こちらの神社がいらっしゃいます。
こちらは昨年(2016年)に桜見物をした菅大臣神社です。
高辻通から、菅大臣神社境内を北上しています。
若宮通を延長するように、この道は神社北端の仏光寺通まで
境内を南北に貫いています。
また、高辻通沿いと仏光寺通沿いにいくつか住宅が並んでいます。
高辻通から、菅大臣神社境内を約50m北上しました。
ここで境内は、少し広くなります。
菅大臣神社境内は、若宮通を北に延長した南北の道と
西洞院通から東西に伸びる道で構成されています。
その2本が交わるT字路に、手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。
続いて、こちらの境内末社の稲荷社にお参りです。
こちらには、常に数人の参拝者が来られていました。
その位置で、東を向きました。
この神社は桜並木で有名なのですが、
祇園祭のこの時期はその全てが葉桜です。
続いてこの鳥居をくぐり、菅大臣神社本殿に向かいます。
菅大臣神社本殿の脇にも、境内末社の祠が並びます。
左(東)側が火之御子社で、右(西)側が白太夫社です。
この辺りは、小さな梅の木が並んでいます。
その向かい(北)側にも、境内末社が並びます。
左(西)側が福部社で、右(東)側が老松社です。
こちらは、北野天満宮本殿前と同じ配置です。
菅大臣神社本殿で、手を合わせます。
こちらには、第390回ブログ以来ですね。
こちらのご祭神は、菅原道真です。
右大臣まで上り詰めた菅原道真は、
京都市街地にいくつも邸宅や別邸を所有していました。
平安時代中期以降、その屋敷跡が悉く「天満宮」となりました。
それらのうちの1社がこちらであり、北野天満宮です。
菅大臣神社本殿本殿に背を向け、西を向ています。
ここから西洞院通まで、葉桜並木が続いています。
菅大臣神社本殿前の鳥居をくぐり、南に向いています。
では、ここを進み高辻通に戻ります。
菅大臣神社境内を南下して高辻通まで戻り、
その位置で西を向きました。
では、ここからまた高辻通を西に進みます。
菅大臣神社の前から、高辻通を西に約50m進みました。
ここで、高辻通は西洞院通と交差します。
だんだん雨が降りそうになってきました。
実はここを通る途中に美味しい餃子屋さんがあって、
そこで雨宿りを兼ねて昼食と休憩を摂ろうとしたのですが、
この時間帯は閉まっていて中に入れませんでした。
……とは言え、今にも雨が降りそうです。
(しかも、豪雨の予感……)
この先そういう飲食店は、四条通までありません。
そこで急ごうとしたのが、そもそもの間違いでした……
(詳細は、次回ブログで)
西洞院通から、高辻通を西に向いています。
今まで高辻通は急な下り坂だったのですが、
西洞院通以西は急な上り坂に変わります。
これは平安京遷都当時の8世紀末、
西洞院通が河川だった名残です。
西洞院通から、高辻通を西に約20m進みました。
こちらは、道元禅師の示寂(入滅。死亡)の地を表す石碑です。
1253年、道元禅師はこの地で病死しました。
西洞院通から、高辻通を西に約50m進みました。
ここでまた高辻通は、小路と交差します。
高辻通から、その小路を北に向いています。
この小路は、東中筋です。
七条通より約100m南にある木津屋橋通から北に伸び、
高辻通~仏光寺通間だけ「石畳の路地」に変貌します。
絶好の撮影ポイントなので、そのうち特集したいです。
東中筋から高辻通を約50m西に進みました。
ここで高辻通は、油小路と交差します。
油小路から、高辻通を西に向いています。
約100m先に、「高辻堀川」交差点が見えます。
ただ、ここから西はもう「山鉾町」ではなくなります。
高辻通から、油小路を北に向いています。
提灯に書いてある通り、この先に太子山が立ちます。
油小路は他の山鉾町とちょっと分離しているので、
参拝者が他の場所よりも少なくなります。
そのため、自動車なども普通に通っています。
この辺りはとても牧歌的なので、自分のお気に入りの場所です。
高辻通から、油小路を北上しています。
この辺りに、京都府綴喜郡宇治田原町のテントが出ていました。
北隣の宇治市同様、宇治茶の産地ですね。
宇治田原町のテントでは、冷茶の無料配布を行っていました。
前述のように宇治田原町も宇治茶の産地なのですが、
宇治市ほどの知名度がありません。
そこでこうやって、宇治田原町のPRをされています。
なかなかまろやかで、甘いお茶でした。
その北側に太子山が立っています。聖徳太子の「太子」ですね。
通常「山」には松を立てるのですが、
太子山だけ例外として杉を立てます。
またこちらは「学問の神様」として認知されており、
「山」の周囲の格子には「合格祈願」の絵馬が吊るされていました。
太子山の北側に、杉の木の丸太で作ったベンチがあります。
こちらに座ると知恵が付くという御利益があるのですが、
この瞬間は誰も座っていません。
実は、この時点で大粒の雨が降ってきました。
こちらは、太子山会所脇にあった荷茶屋(にないじゃや)です。
山鉾巡行に必要な物などが入っており、
山鉾と一緒に巡行します。
2014年は会所内を撮った写真を載せましたが、
今年(2017年)は町衆の方が「あまり写真を撮るのは……」と
お茶を濁すようなことをおっしゃっていたので、
内部の写真は撮っていません。
(ウチのブログは、不許可のものは撮らないようにしています。
まぁ、当たり前のことなのですが……)
太子山の北側から、油小路を北に向いています。
目の前に見える仏光寺通の先に、油天神山が見えます。
ただ、取りあえずその前に仏光寺通沿いの山を優先します。
油小路から、仏光寺通を西に向いています。
仏光寺通は、約100m先で堀川通と交差します。
また先述の通り、ここから西にはもう山鉾は立ちません。
今度は油小路から、仏光寺通を東に向きました。
だいぶ雨も本降りになってきましたね。
向こうに、仏光寺通沿い唯一の山である木賊山が見えます。
こちらが、木賊山(とくさやま)です。
ここより1本北の綾小路沿いには第495回ブログに出てきた綾傘鉾、
第496回ブログに出てきた伯牙山、
次回ブログに出てくる芦刈山と3基も立つのですが、
仏光寺通沿いにはこの1基しか立ちません。
木賊山に、たくさんの町衆が大慌てで張り付かれています。
突然の大雨に、胴掛や水引を大急ぎで撤収されています。
この後胴掛や水引にビニールシートを巻いて
こちらの山に取り付け直されます。
木賊山の前から仏光寺通を西に戻ると、木賊山の会所があります。
こちらは、普段は開業医のようです。
こちらが、木賊山会所の内部の様子です。
この奥に、ご神体の老人像がいらっしゃいます。
こちらの前掛けや見送りは、2014年に新調されました。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、漢方薬にも使われます。
京都では、よく町家の庭木に使われます。
その木賊を採って生計を立てていた老人のお話が
この木賊山の題材です。
木賊山会所の前で、仏光寺通を西に向きました。
では、油小路に戻ります。
木賊山会所の前から西に進み、油小路で北を向きました。
ここからでも、油天神山が見えますね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~次回は……その油天神山の会所前でデジタルカメラが壊れて、
約2時間後に撮影再開した様子を掲載します~
前回ブログでお邪魔した船鉾と岩戸山より新町通を南下して、
高辻通との交差点に来ました。
新町通には、高辻通以南に山鉾は立ちません。
ですから、今回は西に移動して油小路沿いの山鉾に向かいます。
撮影日は、2017年7月16日宵山の日曜日午後2時半。
そろそろ曇り空が、気になりだしました。
また、今回もクリックすると全ての写真が拡大されます。
新町通から、高辻通を東に向いています。
向こうに見える信号の辺りが、
第494回ブログに出てきた「高辻室町」交差点です。
ただ、約2時間半前に通ったときと天候が全然違います。
日光が雲に遮られて、日影がありません。
今度は、新町通から高辻通を西に向きました。
目の前のコンビニエンスストアで
2014年にソルティーライチを買いましたが、
この日(2017年7月16日)はもう売り切れていました。
その売り場だけ、ぽっかりと穴が開いたようでした。
結果論ですが、ここで買えなかったのが後々響いてきました……
そのコンビニエンスストアの前で、高辻通を西に向いています。
この辺りの高辻通は坂道が急ですね。
コンビニエンスストアの西隣に、半兵衛麩の建物があります。
たぶん倉庫とか配送センターとか、卸売の施設です。
そちらの玄関に、洛中洛外図屏風が飾ってあります。
かつては「祇園祭の屏風と言えば」と言われるくらい、
祇園祭となるとこの辺の企業の大半が飾ったものですが、
今は多分ここだけになっていると思います。
その建物の前で、高辻通を西に向きました。
目の前の横断歩道から南に、若宮通が伸びています。
その若宮通が高辻通で突き当たった先(北)に、
こちらの神社がいらっしゃいます。
こちらは昨年(2016年)に桜見物をした菅大臣神社です。
高辻通から、菅大臣神社境内を北上しています。
若宮通を延長するように、この道は神社北端の仏光寺通まで
境内を南北に貫いています。
また、高辻通沿いと仏光寺通沿いにいくつか住宅が並んでいます。
高辻通から、菅大臣神社境内を約50m北上しました。
ここで境内は、少し広くなります。
菅大臣神社境内は、若宮通を北に延長した南北の道と
西洞院通から東西に伸びる道で構成されています。
その2本が交わるT字路に、手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。
続いて、こちらの境内末社の稲荷社にお参りです。
こちらには、常に数人の参拝者が来られていました。
その位置で、東を向きました。
この神社は桜並木で有名なのですが、
祇園祭のこの時期はその全てが葉桜です。
続いてこの鳥居をくぐり、菅大臣神社本殿に向かいます。
菅大臣神社本殿の脇にも、境内末社の祠が並びます。
左(東)側が火之御子社で、右(西)側が白太夫社です。
この辺りは、小さな梅の木が並んでいます。
その向かい(北)側にも、境内末社が並びます。
左(西)側が福部社で、右(東)側が老松社です。
こちらは、北野天満宮本殿前と同じ配置です。
菅大臣神社本殿で、手を合わせます。
こちらには、第390回ブログ以来ですね。
こちらのご祭神は、菅原道真です。
右大臣まで上り詰めた菅原道真は、
京都市街地にいくつも邸宅や別邸を所有していました。
平安時代中期以降、その屋敷跡が悉く「天満宮」となりました。
それらのうちの1社がこちらであり、北野天満宮です。
菅大臣神社本殿本殿に背を向け、西を向ています。
ここから西洞院通まで、葉桜並木が続いています。
菅大臣神社本殿前の鳥居をくぐり、南に向いています。
では、ここを進み高辻通に戻ります。
菅大臣神社境内を南下して高辻通まで戻り、
その位置で西を向きました。
では、ここからまた高辻通を西に進みます。
菅大臣神社の前から、高辻通を西に約50m進みました。
ここで、高辻通は西洞院通と交差します。
だんだん雨が降りそうになってきました。
実はここを通る途中に美味しい餃子屋さんがあって、
そこで雨宿りを兼ねて昼食と休憩を摂ろうとしたのですが、
この時間帯は閉まっていて中に入れませんでした。
……とは言え、今にも雨が降りそうです。
(しかも、豪雨の予感……)
この先そういう飲食店は、四条通までありません。
そこで急ごうとしたのが、そもそもの間違いでした……
(詳細は、次回ブログで)
西洞院通から、高辻通を西に向いています。
今まで高辻通は急な下り坂だったのですが、
西洞院通以西は急な上り坂に変わります。
これは平安京遷都当時の8世紀末、
西洞院通が河川だった名残です。
西洞院通から、高辻通を西に約20m進みました。
こちらは、道元禅師の示寂(入滅。死亡)の地を表す石碑です。
1253年、道元禅師はこの地で病死しました。
西洞院通から、高辻通を西に約50m進みました。
ここでまた高辻通は、小路と交差します。
高辻通から、その小路を北に向いています。
この小路は、東中筋です。
七条通より約100m南にある木津屋橋通から北に伸び、
高辻通~仏光寺通間だけ「石畳の路地」に変貌します。
絶好の撮影ポイントなので、そのうち特集したいです。
東中筋から高辻通を約50m西に進みました。
ここで高辻通は、油小路と交差します。
油小路から、高辻通を西に向いています。
約100m先に、「高辻堀川」交差点が見えます。
ただ、ここから西はもう「山鉾町」ではなくなります。
高辻通から、油小路を北に向いています。
提灯に書いてある通り、この先に太子山が立ちます。
油小路は他の山鉾町とちょっと分離しているので、
参拝者が他の場所よりも少なくなります。
そのため、自動車なども普通に通っています。
この辺りはとても牧歌的なので、自分のお気に入りの場所です。
高辻通から、油小路を北上しています。
この辺りに、京都府綴喜郡宇治田原町のテントが出ていました。
北隣の宇治市同様、宇治茶の産地ですね。
宇治田原町のテントでは、冷茶の無料配布を行っていました。
前述のように宇治田原町も宇治茶の産地なのですが、
宇治市ほどの知名度がありません。
そこでこうやって、宇治田原町のPRをされています。
なかなかまろやかで、甘いお茶でした。
その北側に太子山が立っています。聖徳太子の「太子」ですね。
通常「山」には松を立てるのですが、
太子山だけ例外として杉を立てます。
またこちらは「学問の神様」として認知されており、
「山」の周囲の格子には「合格祈願」の絵馬が吊るされていました。
太子山の北側に、杉の木の丸太で作ったベンチがあります。
こちらに座ると知恵が付くという御利益があるのですが、
この瞬間は誰も座っていません。
実は、この時点で大粒の雨が降ってきました。
こちらは、太子山会所脇にあった荷茶屋(にないじゃや)です。
山鉾巡行に必要な物などが入っており、
山鉾と一緒に巡行します。
2014年は会所内を撮った写真を載せましたが、
今年(2017年)は町衆の方が「あまり写真を撮るのは……」と
お茶を濁すようなことをおっしゃっていたので、
内部の写真は撮っていません。
(ウチのブログは、不許可のものは撮らないようにしています。
まぁ、当たり前のことなのですが……)
太子山の北側から、油小路を北に向いています。
目の前に見える仏光寺通の先に、油天神山が見えます。
ただ、取りあえずその前に仏光寺通沿いの山を優先します。
油小路から、仏光寺通を西に向いています。
仏光寺通は、約100m先で堀川通と交差します。
また先述の通り、ここから西にはもう山鉾は立ちません。
今度は油小路から、仏光寺通を東に向きました。
だいぶ雨も本降りになってきましたね。
向こうに、仏光寺通沿い唯一の山である木賊山が見えます。
こちらが、木賊山(とくさやま)です。
ここより1本北の綾小路沿いには第495回ブログに出てきた綾傘鉾、
第496回ブログに出てきた伯牙山、
次回ブログに出てくる芦刈山と3基も立つのですが、
仏光寺通沿いにはこの1基しか立ちません。
木賊山に、たくさんの町衆が大慌てで張り付かれています。
突然の大雨に、胴掛や水引を大急ぎで撤収されています。
この後胴掛や水引にビニールシートを巻いて
こちらの山に取り付け直されます。
木賊山の前から仏光寺通を西に戻ると、木賊山の会所があります。
こちらは、普段は開業医のようです。
こちらが、木賊山会所の内部の様子です。
この奥に、ご神体の老人像がいらっしゃいます。
こちらの前掛けや見送りは、2014年に新調されました。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、漢方薬にも使われます。
京都では、よく町家の庭木に使われます。
その木賊を採って生計を立てていた老人のお話が
この木賊山の題材です。
木賊山会所の前で、仏光寺通を西に向きました。
では、油小路に戻ります。
木賊山会所の前から西に進み、油小路で北を向きました。
ここからでも、油天神山が見えますね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~次回は……その油天神山の会所前でデジタルカメラが壊れて、
約2時間後に撮影再開した様子を掲載します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
菅大臣神社が、起点です。
今回は菅大臣神社を散策した後、太子山→木賊山に回りました。
~追記 その2~
新作の中国タルトを開発しました
このブログでも何回か新作の中国タルトを掲載してきましたが、
数年ぶりに新作を開発しました。
元来の中国タルトでは
ココナッツケーキ生地の下に小豆餡を入れるのですが、
自分は小豆餡の代わりにいろいろなものを入れます。
柿・枇杷などのジャムや桜餅を入れたもの、
抹茶のエッグタルトなどをこのブログで紹介してきましたが、
今回は、桃のコンポートを入れたものに挑戦しました。
この辺りの写真も、クリックすると拡大されます。
こちらが、今回の主役の桃です。
この時期福島産もいいですが、今回は山梨勝沼産にします。
こちらは普通の水に見えますが、
本当は水の中に砂糖と蜂蜜が溶け込んだシロップです。
これを再び煮込みます。
(ウチは杏仁豆腐用に、いつもシロップを作り置きしています)
シロップが沸点近くになってたので、ざく切りした桃を入れます。
ここで、弱火にしてとろとろ炊き込みます。
そのうち、灰汁が出てきます。ですから、それを掬い取ります。
この状態で、シロップの汁を飛ばします。
シロップが、底の方に少しだけ残りました。
この状態になったら、火を止めます。
こちらのボウルには、ココナッツパウダーと砂糖が入っています。
先ずは、これを均等になるように混ぜます。
次にその粉に溶き卵を入れて、均等になるまで混ぜ続けます。
溶き卵は、全卵を使います。
こちらにオリーブオイルを入れて、混ぜます。
すると乳化して、ドロドロした生地に変わります。
プリン型(またはカップケーキ型)を用意して、
クッキー生地を型の壁面に貼り付けます。
ウチはいつでも中国タルトができるように、
クッキー生地をある程度作り置きしています。
こちらに、桃のコンポートを均等に入れます。
ついでに、シロップも流し入れます。
さらにその上に、ココナッツケーキ生地を流し込みます。
ここで、プリン型を一つ一つ揺らします。
生地を均等にするためと、中の空気を抜くためです。
先程の状態のものをオーブンで約20分焼きます。
設定温度は、約200℃です。
中国タルトは、温かいうちにプリン型から取り出します。
冷めると固くなり、取り出すときに割れてしまうからです。
これで、中国タルトの完成です。
ちなみに、中国語では「白桃鶏疋撻」(白桃タルト)と言います。
中国タルトを切り、断面図を見ます。
う~ん、桃とココナッツケーキ生地の境が波打っています。
さらに食べていると、桃のシロップが溢れて辺りが汚れます。
これは焼く前に、もう一工夫必要ですね。
また、ウチの母にこう言われました。
「ココナッツケーキの味が勝って、桃を食べている気がしない」
やはり、桃果実で作ったゼリーをトッピングするとか必要ですね。
~追記 その3~(2017年7月30日午後11時に書き込み)
更新ペースが元に戻ります
お気づきの方もいらしたと思うのですが、
7月後編のウチのブログの更新ペースがとても早くなっていました。
自分は夏休みに仕事が立て込むのですが、
この時期はその前の休暇をもらっていました。
ですから今までは週3回ペースで更新できたのですが、
先週末からその集中的な仕事が始まりました。
このため、ここからは月6回ペースになります。
とは言え、これはウチのブログの普通のペースです。
たぶん2017年の祇園祭の記事はあと3回くらいで終わり、
その後は……余裕があれば五条坂の陶器市に行きますが、
お盆休みのお墓参りの合間に、
「上立売通編」の番外編として等持院に訪れるのが、予定です。
~追記 その4~(2017年7月31日0時に書き込み)
祝!3000拍手!
ついさっき確認したところ、
ウチのブログ拍手が通算3000を越えていました。
今月に入ってブログ拍手をもらうペースが上がり、
これほどの多くのブログ拍手をもらえました。
これも拝読して頂いている皆さんのおかげです。
どうも、ありがとうございます。
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
菅大臣神社が、起点です。
今回は菅大臣神社を散策した後、太子山→木賊山に回りました。
~追記 その2~
新作の中国タルトを開発しました
このブログでも何回か新作の中国タルトを掲載してきましたが、
数年ぶりに新作を開発しました。
元来の中国タルトでは
ココナッツケーキ生地の下に小豆餡を入れるのですが、
自分は小豆餡の代わりにいろいろなものを入れます。
柿・枇杷などのジャムや桜餅を入れたもの、
抹茶のエッグタルトなどをこのブログで紹介してきましたが、
今回は、桃のコンポートを入れたものに挑戦しました。
この辺りの写真も、クリックすると拡大されます。
こちらが、今回の主役の桃です。
この時期福島産もいいですが、今回は山梨勝沼産にします。
こちらは普通の水に見えますが、
本当は水の中に砂糖と蜂蜜が溶け込んだシロップです。
これを再び煮込みます。
(ウチは杏仁豆腐用に、いつもシロップを作り置きしています)
シロップが沸点近くになってたので、ざく切りした桃を入れます。
ここで、弱火にしてとろとろ炊き込みます。
そのうち、灰汁が出てきます。ですから、それを掬い取ります。
この状態で、シロップの汁を飛ばします。
シロップが、底の方に少しだけ残りました。
この状態になったら、火を止めます。
こちらのボウルには、ココナッツパウダーと砂糖が入っています。
先ずは、これを均等になるように混ぜます。
次にその粉に溶き卵を入れて、均等になるまで混ぜ続けます。
溶き卵は、全卵を使います。
こちらにオリーブオイルを入れて、混ぜます。
すると乳化して、ドロドロした生地に変わります。
プリン型(またはカップケーキ型)を用意して、
クッキー生地を型の壁面に貼り付けます。
ウチはいつでも中国タルトができるように、
クッキー生地をある程度作り置きしています。
こちらに、桃のコンポートを均等に入れます。
ついでに、シロップも流し入れます。
さらにその上に、ココナッツケーキ生地を流し込みます。
ここで、プリン型を一つ一つ揺らします。
生地を均等にするためと、中の空気を抜くためです。
先程の状態のものをオーブンで約20分焼きます。
設定温度は、約200℃です。
中国タルトは、温かいうちにプリン型から取り出します。
冷めると固くなり、取り出すときに割れてしまうからです。
これで、中国タルトの完成です。
ちなみに、中国語では「白桃鶏疋撻」(白桃タルト)と言います。
中国タルトを切り、断面図を見ます。
う~ん、桃とココナッツケーキ生地の境が波打っています。
さらに食べていると、桃のシロップが溢れて辺りが汚れます。
これは焼く前に、もう一工夫必要ですね。
また、ウチの母にこう言われました。
「ココナッツケーキの味が勝って、桃を食べている気がしない」
やはり、桃果実で作ったゼリーをトッピングするとか必要ですね。
~追記 その3~(2017年7月30日午後11時に書き込み)
更新ペースが元に戻ります
お気づきの方もいらしたと思うのですが、
7月後編のウチのブログの更新ペースがとても早くなっていました。
自分は夏休みに仕事が立て込むのですが、
この時期はその前の休暇をもらっていました。
ですから今までは週3回ペースで更新できたのですが、
先週末からその集中的な仕事が始まりました。
このため、ここからは月6回ペースになります。
とは言え、これはウチのブログの普通のペースです。
たぶん2017年の祇園祭の記事はあと3回くらいで終わり、
その後は……余裕があれば五条坂の陶器市に行きますが、
お盆休みのお墓参りの合間に、
「上立売通編」の番外編として等持院に訪れるのが、予定です。
~追記 その4~(2017年7月31日0時に書き込み)
祝!3000拍手!
ついさっき確認したところ、
ウチのブログ拍手が通算3000を越えていました。
今月に入ってブログ拍手をもらうペースが上がり、
これほどの多くのブログ拍手をもらえました。
これも拝読して頂いている皆さんのおかげです。
どうも、ありがとうございます。
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