第419回 深緑の蚕ノ社~太秦の夏休み~その1
[蚕ノ社] ブログ村キーワード
2016年も祇園祭の取材が終わり、ようやく「通常版」に戻ります……
と言いたいところですが、今年(2016年)はまだまだ変則的です。
全ては、7月半ばKBS京都のCMを見ていた母の一言でした。
「そう言えば、『東映太秦映画村』に行ったことないわ」
「へぇ~広隆寺の北隣なんや。広隆寺にも暫く行ってないなぁ~」
で、その場で観光コースを頭の中で組み上げて
「じゃぁ、盆休みに行ってみる?
お墓参りに行かない13日とか、まる1日空くし」
という自分の言葉で、今回ブログの記事を書くことになりました。
京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、「烏丸御池」駅で降ります。
そして、地下鉄東西線に乗り換えて、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、ここから「蚕ノ社」木嶋神社を目指します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時。
この日も京都は、炎天下の猛暑でした……
「太秦天神川」駅は、地下鉄東西線の終点です。
すぐに電車が出たりしないので、他の乗客がいなくなってから
ゆっくりと駅のホームを撮影しています。
では、こちらの階段を上りコンコース階に向かいます。
その階段を上がり、コンコース階に来ました。
では、「太秦天神川」駅の改札を抜けて
向こうに見えるエスカレーターでさらに地上を目指します。
そのエスカレーターは、途中からこのように吹き抜けになります。
このエスカレーターの先は右京区総合庁舎で、
その脇にかなり大きな市バスターミナルがあるので、
この辺りが京都市右京区で一番の交通の要所と言えます。
「太秦天神川」駅から、地上に上がってきました。
目の前が右京区総合庁舎で、フレームから外れてしまいますが
左(東)側に京都市バスの大きなターミナルがあります。
右(西)側に三条通が走っていて、
その路上に京福電車(嵐電)の「嵐電天神川」駅があります。
(第54回ブログ参照)
ほぼ同じ場所で、振り返りました。
この辺りの三条通は、北西ー南東方向に伸びています。
地下鉄東西線の「太秦天神川」駅から地上に出て、
僅か5mほどで、三条通上の「嵐電天神川」駅に辿り着きます。
ですから、ここからすぐに嵐山に向かうことができます。
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅が渡月橋から離れているため、
京都駅から大堰川沿岸の渡月橋や天龍寺に向かうには
地下鉄→嵐電の方が早く着きます。
(第398回ブログでも、このルートで進みました)
「太秦天神川」駅のエスカレーターから、北西に約50m進みました。
ここで三条通は、御池通と交差します。
京都中心街ではどちらも東西に平行に伸びている道ですが、
この辺りの三条通は北西-南東方向に曲がっているので、
「三条御池」交差点という
京都市民には違和感のある場所になっています。
では、ここを渡り「太秦天神川」駅前から離れていきます。
御池通から、三条通を北西に向いています。
4年前に訪れた第53回ブログには無かった建物に、
洋服屋さんの「しまむら」のテナントが入っています。
では、この三条通を進んでいきます。
御池通から、三条通を北西に約100m進みました。
今回の道順は、第53回ブログとはちょうど逆ルートになります。
目の前に、真北に伸びる木嶋大路が見えてきました。
三条通から、木嶋大路を北に向きました。
ここに、「蚕養神社」(こかいじんじゃ)と書かれた扁額の付いた
大きな石製の鳥居が現れます。
「蚕養神社」とは、「蚕ノ社」のことです。
つまり、ここが「蚕ノ社」木嶋神社の一の鳥居です。
その鳥居をくぐり、木嶋大路を北に向いています。
こちらは、平安京造営の際に造られた最西端の道です。
(足立建亮著/講談社学術文庫「地図から読む歴史」参照)
2車線の道が、ほぼ真北に伸びています。
では、ここを進んでいきます。
この間ここに来たのは約4年前ですが、
その頃と比べて新しい住宅がどんどん増えています。
ただこの辺りだけ、4年前と同じ建物が残っています。
では、向こうに見える森の辺りまで進みます。
三条通から、木嶋大路を北に約200m進みました。
ここで、東西に伸びる太子道と交差します。
(京都市街地から、聖徳太子を祀る広隆寺への参道ですね)
「蚕ノ社」木嶋神社の鎮守の森「元糺の森」で
木嶋大路が突き当たるように見えますが、
本当はこの東側に狭い道がまだ伸びています。
木嶋大路と太子道との交差点南東角に、こちらの建物があります。
4年前は、ここはコンビニエンスストアでした。
潰れたのかと思いましたが、「バイト募集」の看板が出ています。
どうやら、単に改装中みたいです。
木嶋大路から、太子道を東に向いています。
太子道は、千本通から何度も筋を替えてここを通って
最後は三条通と合流して広隆寺に向かいます。
木嶋大路から、太子道を西に向いています。
元糺の森の向こうに、鳥居が見えますね。
ちなみに、下鴨神社南側の糺の森は
平安京遷都以前はこちらにありました。
ですから、ここを「元糺の森」と呼びます。
木嶋大路から太子道を西に約30m進み、北を向きました。
こちらから、木嶋坐天照御霊神社・蚕ノ社に入ります。
普段自分が「蚕ノ社」木嶋神社と呼んでいる神社です。
……しかし、ここの鳥居は伊勢神宮と同じ神明式なのですね。
この写真以降、クリックすれば全て拡大されます。
神明式の鳥居をくぐりました。
さらに北を向くと、「蚕ノ社」木嶋神社の境内がよく見えます。
この小さな橋を渡ると、もう周囲は一変して神様の世界ですね。
境内に入り、すぐに西に向きました。
4年前はこの神社が経営する「このしま保育園」があったのですが、
更地になっていました。
これは閉鎖されたのではなく、現在改築中のためです。
境内の東側には社務所がありますが、誰もいらっしゃいません。
それは、4年前と同じです。
ここで、ウチの母が突然自動販売機のおみくじを引きました。
広げると「大吉」だったそうで、そのまま持って帰っていました。
社務所の南側に、「かいこのやしろ」と書かれた手水舎があります。
その脇には風水羅盤もあって、
陰陽道マニア垂涎の様相を呈しています。
このしま保育園の北側には、こちらの大きな蔵があります。
多分、神輿とか入っているのでしょうね。
その北側に、西に向かって小さな橋があります。
こちらが、その小さな橋です。
有名な「正三角形の鳥居」から流れ出した川に架かります。
(まぁ、その水は今涸れていますが)
橋の両脇に、狛狐がいらっしゃいます。
この先は、「蚕ノ社」木嶋神社から独立した稲荷社です。
では、先にこの橋を渡ります。
では、その小さな川を渡ってそちらの稲荷社に向かいます。
先ずは、この石製鳥居をくぐります。
川を渡ると、この辺りは元糺の森になります。
まずは、こちらの小さな稲荷社の祠にお参りします。
その西隣にも、祠がいらっしゃいます。
小さな狛狐がいらっしゃるので、稲荷社でしょうね。
さらに西隣にも、小さな狛狐がいらっしゃる祠がいらっしゃいます。
こちらも稲荷社でしょうが、
小さな鳥居がまるでこちらの祠を封じているようにも見えます。
この稲荷社は約50㎡の広さで、その周囲が元糺の森です。
その一番奥に、こちらの石碑が立っています。
この「白塚」というのが、こちらの元々の名前なのでしょう。
その石碑の南隣に、こちらの塚がいらっしゃいます。
こちらは古墳の横穴石室が崩れて玄室が露出したものです。
4年前と比べて、盛り土がさらに崩れている気がするのですが、
本当のところは分かりません。
こちらが、その塚が神社化した「白清稲荷社」です。
「白清さん」と「お稲荷さん」は全然違う神様です。
(それぞれ主神は、菊理媛と宇迦御霊神などです)
4年前と異なり、中は神棚や祠が置かれていました。
4年前のブログでは、「分からない」を連発しましたが
いろいろ調べて一応全貌が分かりました。
実は、こちらの古墳は明治時代半ばまで元糺の森に囲まれて
存在が知られていませんでした。
盗掘などされていて玄室内の石棺などは喪失しており、
そのことで誰の墓なのかは今も不明です。
ここが神社となったのは、その明治時代半ばのことです。
ここの発掘(とその後の破壊や解体)を防ぐため、
太秦の近隣に拠点を持っていた右翼団体が
こちらに賽銭箱を置いて
「ここは神社だ」と主張したのがその起こりです。
そういう感じでできた神社のせいか、ここの沿革は
あまりあちこちのサイトや書物には記載されていないようです。
自分も、数年間いろいろサイトを探して偶然見つけました。
では、こちらの鳥居からここを出て行きます。
向こうに見える橋を渡ると、「蚕ノ社」木嶋神社拝殿前です。
稲荷社から橋を渡り、こちらに来ました。
北を向くと、大きな拝殿があります。
拝殿の西側、本殿より手前に別の鳥居があります。
次は、そちらに寄ります。
鳥居をくぐると涸れた小川があって、
その奥に格子で囲まれた場所があります。
格子の先に泉があるのですが、数年前に涸れてしまいました。
元々の泉に、紙垂が突き刺さっていますね。
そこを囲むように、鳥居が正三角形状にくっ付いています。
こちらが「京都三珍鳥居」の一つで、
その中でもいちばん有名な「三柱鳥居」です。
この鳥居が結構「謎」とされて、様々な本のネタになっています。
(極端なものは、ユダヤ教起源説や宇宙人作製説)
とは言え、この鳥居はここだけではなく
京都でも大寧軒などにもあります。
要するに、こちらは泉を神格化した場所に建てられるもので
そう言った場所には普通に建てられているようです。
そして、拝殿の北側に木嶋神社の本殿がいらっしゃいます。
木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は
604年創建説が有力視されているものの、さらに古い説もあります。
つまり、こちらに秦氏がこの神社を創建したのがその頃ですが、
こちらには太秦に秦氏が渡来する以前から集落遺跡や古墳があり、
それを考えると弥生時代起源の可能性もあります。
御祭神は天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)など5柱ですが、
創建時の御祭神は不明です。
(来歴がはっきりしないくらい、古い神社です)
平安時代末期にはかなり大きな勢力を誇りましたが、
承久の乱で焼失後は一気に衰退しました。
それがここ数年、どんどん参拝者数を伸ばしています。
また、こちらの東隣にもう一つ社がいらっしゃいます。
こちらが「蚕養神社」(こかいじんじゃ)で、通称「蚕ノ社」です。
木嶋神社本殿を背を向け、南を向いています。
では、目の前の拝殿より南に進みます。
拝殿の前から、南に向いています。
ここからさらに南に進み鳥居をくぐり、この神社を出ます。
クリックすすると写真が拡大されるのは、ここまでです。
神明式の鳥居の下で、南を向いています。
太子道の向かい(南)に、このしま保育園のプレハブが見えます。
改築中は、こちらが仮の保育園のようです。
太子道に出て、このしま保育園の西側を撮りました。
この涸れた小川は、三柱鳥居から流れていた場所です。
先述の「地図から読む歴史」に出てくる御室川は、
この川ではないかという気がします。
現在の御室川(天神川)はもっと東を通っていますし、
昔はこの川はもっと水量が豊かだったっでしょうし、
それを考えればそうだろうと思います。
では、ここ太子道を西に進み
ここから広隆寺を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回は、広隆寺を訪れます~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
嵐電の「蚕ノ社」駅を起点にしています。
~2016年8月17日午前7時追記~
最初の更新から、約6時間後にこの辺りを書いています。
「普通の神社やん」と言われました。
ウチの母がここを参拝したときの感想です。
どうやら、無意識に自分はここを
相当禍々しい場所であるかのように伝えていたようでした。
ここは荘厳とした神社ですが、
それ以外は別に何かがおかしい訳ではありませんし……
気持ちでゴールにねじ込みました。
J2リーグ第29節京都vs町田戦は、ホームの京都が
有田光希のゴールで1-0と辛勝しました。
西京極この時期独特の無風で高湿度状態で、
選手には地獄のような試合だったと思います。
それでも京都が勝ったのは、
有田選手の気持ちがこもったゴールが原因でしょう。
いったんはキーパーに弾かれたのですが、
それを気持ちでゴール内にボールが吸い込まれていきました。
これで、7位以下との勝ち点がだいぶ開いてきました。
プレーオフには、連敗しない限りは大丈夫でしょう。
2位以上は厳しいですが、とりあえずそこに集中して
少しでも勝ち点を稼いでいければ
J1昇格の芽もあるのでは、と思います。
2016年も祇園祭の取材が終わり、ようやく「通常版」に戻ります……
と言いたいところですが、今年(2016年)はまだまだ変則的です。
全ては、7月半ばKBS京都のCMを見ていた母の一言でした。
「そう言えば、『東映太秦映画村』に行ったことないわ」
「へぇ~広隆寺の北隣なんや。広隆寺にも暫く行ってないなぁ~」
で、その場で観光コースを頭の中で組み上げて
「じゃぁ、盆休みに行ってみる?
お墓参りに行かない13日とか、まる1日空くし」
という自分の言葉で、今回ブログの記事を書くことになりました。
京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、「烏丸御池」駅で降ります。
そして、地下鉄東西線に乗り換えて、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、ここから「蚕ノ社」木嶋神社を目指します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時。
この日も京都は、炎天下の猛暑でした……
「太秦天神川」駅は、地下鉄東西線の終点です。
すぐに電車が出たりしないので、他の乗客がいなくなってから
ゆっくりと駅のホームを撮影しています。
では、こちらの階段を上りコンコース階に向かいます。
その階段を上がり、コンコース階に来ました。
では、「太秦天神川」駅の改札を抜けて
向こうに見えるエスカレーターでさらに地上を目指します。
そのエスカレーターは、途中からこのように吹き抜けになります。
このエスカレーターの先は右京区総合庁舎で、
その脇にかなり大きな市バスターミナルがあるので、
この辺りが京都市右京区で一番の交通の要所と言えます。
「太秦天神川」駅から、地上に上がってきました。
目の前が右京区総合庁舎で、フレームから外れてしまいますが
左(東)側に京都市バスの大きなターミナルがあります。
右(西)側に三条通が走っていて、
その路上に京福電車(嵐電)の「嵐電天神川」駅があります。
(第54回ブログ参照)
ほぼ同じ場所で、振り返りました。
この辺りの三条通は、北西ー南東方向に伸びています。
地下鉄東西線の「太秦天神川」駅から地上に出て、
僅か5mほどで、三条通上の「嵐電天神川」駅に辿り着きます。
ですから、ここからすぐに嵐山に向かうことができます。
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅が渡月橋から離れているため、
京都駅から大堰川沿岸の渡月橋や天龍寺に向かうには
地下鉄→嵐電の方が早く着きます。
(第398回ブログでも、このルートで進みました)
「太秦天神川」駅のエスカレーターから、北西に約50m進みました。
ここで三条通は、御池通と交差します。
京都中心街ではどちらも東西に平行に伸びている道ですが、
この辺りの三条通は北西-南東方向に曲がっているので、
「三条御池」交差点という
京都市民には違和感のある場所になっています。
では、ここを渡り「太秦天神川」駅前から離れていきます。
御池通から、三条通を北西に向いています。
4年前に訪れた第53回ブログには無かった建物に、
洋服屋さんの「しまむら」のテナントが入っています。
では、この三条通を進んでいきます。
御池通から、三条通を北西に約100m進みました。
今回の道順は、第53回ブログとはちょうど逆ルートになります。
目の前に、真北に伸びる木嶋大路が見えてきました。
三条通から、木嶋大路を北に向きました。
ここに、「蚕養神社」(こかいじんじゃ)と書かれた扁額の付いた
大きな石製の鳥居が現れます。
「蚕養神社」とは、「蚕ノ社」のことです。
つまり、ここが「蚕ノ社」木嶋神社の一の鳥居です。
その鳥居をくぐり、木嶋大路を北に向いています。
こちらは、平安京造営の際に造られた最西端の道です。
(足立建亮著/講談社学術文庫「地図から読む歴史」参照)
2車線の道が、ほぼ真北に伸びています。
では、ここを進んでいきます。
この間ここに来たのは約4年前ですが、
その頃と比べて新しい住宅がどんどん増えています。
ただこの辺りだけ、4年前と同じ建物が残っています。
では、向こうに見える森の辺りまで進みます。
三条通から、木嶋大路を北に約200m進みました。
ここで、東西に伸びる太子道と交差します。
(京都市街地から、聖徳太子を祀る広隆寺への参道ですね)
「蚕ノ社」木嶋神社の鎮守の森「元糺の森」で
木嶋大路が突き当たるように見えますが、
本当はこの東側に狭い道がまだ伸びています。
木嶋大路と太子道との交差点南東角に、こちらの建物があります。
4年前は、ここはコンビニエンスストアでした。
潰れたのかと思いましたが、「バイト募集」の看板が出ています。
どうやら、単に改装中みたいです。
木嶋大路から、太子道を東に向いています。
太子道は、千本通から何度も筋を替えてここを通って
最後は三条通と合流して広隆寺に向かいます。
木嶋大路から、太子道を西に向いています。
元糺の森の向こうに、鳥居が見えますね。
ちなみに、下鴨神社南側の糺の森は
平安京遷都以前はこちらにありました。
ですから、ここを「元糺の森」と呼びます。
木嶋大路から太子道を西に約30m進み、北を向きました。
こちらから、木嶋坐天照御霊神社・蚕ノ社に入ります。
普段自分が「蚕ノ社」木嶋神社と呼んでいる神社です。
……しかし、ここの鳥居は伊勢神宮と同じ神明式なのですね。
この写真以降、クリックすれば全て拡大されます。
神明式の鳥居をくぐりました。
さらに北を向くと、「蚕ノ社」木嶋神社の境内がよく見えます。
この小さな橋を渡ると、もう周囲は一変して神様の世界ですね。
境内に入り、すぐに西に向きました。
4年前はこの神社が経営する「このしま保育園」があったのですが、
更地になっていました。
これは閉鎖されたのではなく、現在改築中のためです。
境内の東側には社務所がありますが、誰もいらっしゃいません。
それは、4年前と同じです。
ここで、ウチの母が突然自動販売機のおみくじを引きました。
広げると「大吉」だったそうで、そのまま持って帰っていました。
社務所の南側に、「かいこのやしろ」と書かれた手水舎があります。
その脇には風水羅盤もあって、
陰陽道マニア垂涎の様相を呈しています。
このしま保育園の北側には、こちらの大きな蔵があります。
多分、神輿とか入っているのでしょうね。
その北側に、西に向かって小さな橋があります。
こちらが、その小さな橋です。
有名な「正三角形の鳥居」から流れ出した川に架かります。
(まぁ、その水は今涸れていますが)
橋の両脇に、狛狐がいらっしゃいます。
この先は、「蚕ノ社」木嶋神社から独立した稲荷社です。
では、先にこの橋を渡ります。
では、その小さな川を渡ってそちらの稲荷社に向かいます。
先ずは、この石製鳥居をくぐります。
川を渡ると、この辺りは元糺の森になります。
まずは、こちらの小さな稲荷社の祠にお参りします。
その西隣にも、祠がいらっしゃいます。
小さな狛狐がいらっしゃるので、稲荷社でしょうね。
さらに西隣にも、小さな狛狐がいらっしゃる祠がいらっしゃいます。
こちらも稲荷社でしょうが、
小さな鳥居がまるでこちらの祠を封じているようにも見えます。
この稲荷社は約50㎡の広さで、その周囲が元糺の森です。
その一番奥に、こちらの石碑が立っています。
この「白塚」というのが、こちらの元々の名前なのでしょう。
その石碑の南隣に、こちらの塚がいらっしゃいます。
こちらは古墳の横穴石室が崩れて玄室が露出したものです。
4年前と比べて、盛り土がさらに崩れている気がするのですが、
本当のところは分かりません。
こちらが、その塚が神社化した「白清稲荷社」です。
「白清さん」と「お稲荷さん」は全然違う神様です。
(それぞれ主神は、菊理媛と宇迦御霊神などです)
4年前と異なり、中は神棚や祠が置かれていました。
4年前のブログでは、「分からない」を連発しましたが
いろいろ調べて一応全貌が分かりました。
実は、こちらの古墳は明治時代半ばまで元糺の森に囲まれて
存在が知られていませんでした。
盗掘などされていて玄室内の石棺などは喪失しており、
そのことで誰の墓なのかは今も不明です。
ここが神社となったのは、その明治時代半ばのことです。
ここの発掘(とその後の破壊や解体)を防ぐため、
太秦の近隣に拠点を持っていた右翼団体が
こちらに賽銭箱を置いて
「ここは神社だ」と主張したのがその起こりです。
そういう感じでできた神社のせいか、ここの沿革は
あまりあちこちのサイトや書物には記載されていないようです。
自分も、数年間いろいろサイトを探して偶然見つけました。
では、こちらの鳥居からここを出て行きます。
向こうに見える橋を渡ると、「蚕ノ社」木嶋神社拝殿前です。
稲荷社から橋を渡り、こちらに来ました。
北を向くと、大きな拝殿があります。
拝殿の西側、本殿より手前に別の鳥居があります。
次は、そちらに寄ります。
鳥居をくぐると涸れた小川があって、
その奥に格子で囲まれた場所があります。
格子の先に泉があるのですが、数年前に涸れてしまいました。
元々の泉に、紙垂が突き刺さっていますね。
そこを囲むように、鳥居が正三角形状にくっ付いています。
こちらが「京都三珍鳥居」の一つで、
その中でもいちばん有名な「三柱鳥居」です。
この鳥居が結構「謎」とされて、様々な本のネタになっています。
(極端なものは、ユダヤ教起源説や宇宙人作製説)
とは言え、この鳥居はここだけではなく
京都でも大寧軒などにもあります。
要するに、こちらは泉を神格化した場所に建てられるもので
そう言った場所には普通に建てられているようです。
そして、拝殿の北側に木嶋神社の本殿がいらっしゃいます。
木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は
604年創建説が有力視されているものの、さらに古い説もあります。
つまり、こちらに秦氏がこの神社を創建したのがその頃ですが、
こちらには太秦に秦氏が渡来する以前から集落遺跡や古墳があり、
それを考えると弥生時代起源の可能性もあります。
御祭神は天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)など5柱ですが、
創建時の御祭神は不明です。
(来歴がはっきりしないくらい、古い神社です)
平安時代末期にはかなり大きな勢力を誇りましたが、
承久の乱で焼失後は一気に衰退しました。
それがここ数年、どんどん参拝者数を伸ばしています。
また、こちらの東隣にもう一つ社がいらっしゃいます。
こちらが「蚕養神社」(こかいじんじゃ)で、通称「蚕ノ社」です。
木嶋神社本殿を背を向け、南を向いています。
では、目の前の拝殿より南に進みます。
拝殿の前から、南に向いています。
ここからさらに南に進み鳥居をくぐり、この神社を出ます。
クリックすすると写真が拡大されるのは、ここまでです。
神明式の鳥居の下で、南を向いています。
太子道の向かい(南)に、このしま保育園のプレハブが見えます。
改築中は、こちらが仮の保育園のようです。
太子道に出て、このしま保育園の西側を撮りました。
この涸れた小川は、三柱鳥居から流れていた場所です。
先述の「地図から読む歴史」に出てくる御室川は、
この川ではないかという気がします。
現在の御室川(天神川)はもっと東を通っていますし、
昔はこの川はもっと水量が豊かだったっでしょうし、
それを考えればそうだろうと思います。
では、ここ太子道を西に進み
ここから広隆寺を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回は、広隆寺を訪れます~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
嵐電の「蚕ノ社」駅を起点にしています。
~2016年8月17日午前7時追記~
最初の更新から、約6時間後にこの辺りを書いています。
「普通の神社やん」と言われました。
ウチの母がここを参拝したときの感想です。
どうやら、無意識に自分はここを
相当禍々しい場所であるかのように伝えていたようでした。
ここは荘厳とした神社ですが、
それ以外は別に何かがおかしい訳ではありませんし……
気持ちでゴールにねじ込みました。
J2リーグ第29節京都vs町田戦は、ホームの京都が
有田光希のゴールで1-0と辛勝しました。
西京極この時期独特の無風で高湿度状態で、
選手には地獄のような試合だったと思います。
それでも京都が勝ったのは、
有田選手の気持ちがこもったゴールが原因でしょう。
いったんはキーパーに弾かれたのですが、
それを気持ちでゴール内にボールが吸い込まれていきました。
これで、7位以下との勝ち点がだいぶ開いてきました。
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2位以上は厳しいですが、とりあえずそこに集中して
少しでも勝ち点を稼いでいければ
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