第385回 蓮台野 西向寺~千本通南から北~その42
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千本通を北上し、とうとう今宮通や北山通との交差点まで来ました。
今宮通以北は蓮台野で、古代や中世の墓所でした。
今回はその蓮台野を散策し、その中央にある西向寺に向かいます。
撮影日は、2016年3月17日木曜日午後2時50分。
この日は麗らかな快晴で、おかげで花粉も絶好調でした。
千本通はここで突き当たっているように見えますが、
よく見ると北西にまだまだ伸びています。
こちらはかなり急な上り坂で、この先が鷹峰地区です。
この交差点から北東に、北山通が始まります。
この北山通が、東蓮台野町と西蓮台野町に分けています。
その北山通の手前に、今宮通があります。
この横断歩道を渡ると、蓮台野地区に入ります。
千本通から、今宮通を東に向きました。
右(南)側に、前回ブログに出てきた京都府立盲学校が見えます。
では今宮通を東に進み、この急な坂を下ります。
千本通から、今宮通の坂道を東に約100m下りました。
この辺りが蓮台野地区の最南端ですが、現在は普通の住宅地です。
ここを約200m東に進むと、前回ブログの今宮神社楼門があります。
目の前に、左(北)に折れる道があります。
今宮通から、その道を北に向きました。
約30m先に、そこそこ大きな寺院が見えます。
今宮通からその道を北に折れ、約30m進みました。
では、この浄土宗西向寺に入っていきます。
ここから西向寺境内の写真は、クリックすると全て拡大されます。
西向寺の門の両脇に、大桜の木があります。
この時点(2016年3月14日)ではまだまだ蕾も硬いようですが、
もう2週間もすれば、この辺りも絶景になりますね。
では、こちらの門をくぐります。
……よく考えたら、南向きなのに「西向寺」なのですね。
西向寺の門をくぐり、すぐに右(東)を向きました。
鐘楼の手前に、お地蔵さんが何体かいらっしゃいます。
そのお地蔵さんが、この寺院の特徴でもあります。
その鐘楼の北側には、こちらの板碑があります。
西向寺は「爪彫地蔵」の板碑で有名ですが、
それはこちらではありません。
さらにその北側に、桜を見物できそうな休憩所があります。
その休憩所から西を向くと、こちらの景色になります。
「南無阿弥陀仏」の石塔を囲むのは、
お地蔵さんというより石仏群(つまり古代・中世の墓石)です。
京都で石仏群と言えば、六原の六道珍皇寺・西福寺や
化野の念仏寺を連想します。
そして、ここ蓮台野はその六原や化野と並ぶ
古代から中世にかけての墓所でした。
六原同様ここ蓮台野も今では完全に住宅街で、
(化野は、京都を代表する観光地鳥居本地区の只中です)
その名残はこのような石仏群のみとなりました。
その石仏群の西側にも、墓地が広がっています。
ただし古いものではなく、全てここ数百年のものばかりです。
そもそもこの西向寺も、江戸時代初期(17世紀初め)の建立です。
その頃には、ここ蓮台野も墓所としての役割を終えていました。
(江戸時代に入り、2代将軍徳川秀忠が制定した法律により
六原や化野などと共に蓮台野での風葬が禁じられました)
一方で、その休憩所からもう少し北を向いています。
向こうには、本堂が見えますね。
こちらが、浄土宗知恩院派幸阿弥谷西向寺の本堂です。
本堂と庭園との間がせまいので、こんな写真になりました。
ご本尊は、阿弥陀如来二十五菩薩像です。
こちらは安土桃山時代(16世紀末)に作られたものですが、
元々は上賀茂にあった西念寺のものでした。
江戸時代初期に(17世紀初め)、浄土宗の僧侶清誉浄顕が
念仏道場「西向庵」をこの地に建立しました。
それが、この寺院の始まりまりです。
明治時代に入り廃仏毀釈により上賀茂の西念寺が廃寺となり、
その際知恩院から「西向寺」の寺号をもらい、
西念寺の本尊と「爪彫地蔵」の板碑がこの寺院に移りました。
そして、現在に至っています。
ですから境内に古代や中世の石仏が残されているものの、
この西向寺は必ずしも「蓮台野」関連寺院という訳ではありません。
本堂の上部に、「龍」の透かし彫りがあります。
髭の部分が青く染まっていたので、
おそらく元々はもっと色彩豊かだったのでしょうね。
本堂の前から東を向きました。こちらが西向寺の庭園です。
比叡山を借景に、なかなかの絶景です。
本堂の北側は寺務所で、突き当りです。
その東に地蔵堂があって、さらに東に行けるようになっています。
地蔵堂の前に、「水子地蔵尊」の道標があります。
ただ、こちらは地蔵堂とは別の場所にいらっしゃいます。
浄土宗の寺院の割にはお地蔵さんがたくさんいらっしゃるのも、
この地が元々蓮台野であったことと関連しているのでしょう。
梅の木の背後に、鎮守社の祠と地蔵堂の土蔵が見えます。
こちらには、人間ほどの大きさの大地蔵菩薩がいらっしゃいます。
地蔵堂の東側は、このようになっています。
少し離れたところに、先ほどの道標に書いてあった
水子地蔵尊がいらっしゃいます。
その水子地蔵尊の東隣に、こちらの祠がいらっしゃいます。
祠の中には細長い板碑(石板)があって、
ここに描かれているお地蔵さんの絵が、かの「爪彫地蔵」です。
水子地蔵尊や爪彫地蔵の周囲は、椿に覆われています。
角度的にあまり写っていませんが、この時期が花の盛りでした。
爪彫地蔵の東側に、門があります。
この外側を、ちょっと覗いてみます。
ここは、西向寺境内の東側です。
向こうに京都市立旭丘中学校が見えますが、
その手前は広大な墓地です。
西側にも墓地があることを考えると、
西向寺境内は半分以上が墓地であることが分かります。
……とは言え、先述の通り墓石の形状から
全て江戸時代以降のものと分かります。
(つまり、蓮台野が墓所だった当時の墓石は
この辺りには残されていません)
この墓地はさらに東に50mほどで突き当たり、
そこから西向寺の外に出られます。
ただ、今回は元来た道を進み山門の方に戻ります。
西向寺東側墓地で、西を向きました。
では、この門をくぐり元来た道を進みます。
門をくぐり、西向寺境内で西を向ています。
次は地蔵堂の前を通り過ぎ、寺務所前に進みます。
今度は、事務所の前で南を向きました。
では、本堂や石仏群の前を通り過ぎ山門を出ます。
西向寺山門から、南を向いています。
突き当りに見えるのが今宮通ですが、
今回は石畳の道の先まで進みます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。
西向寺の前から、東を向きました。
この細い道はすぐに北向きになって、先ほどの墓地の脇に至ります。
今度は、西を向きました。次は、ここを進んでいきます。
右(北)側の白壁の向こうが、西向寺の西側の墓地です。
西向寺の前の通りを西に進んでいます。
北側の西向寺を除けばこの辺りは閑静な住宅街で、
古代や中世の墓所だった名残はほとんど残されていません。
西向寺の前から、西に約80m進みました。
ここで、北山通に突き当たります。
北山通に出て、北東に向きました。
北山通は、バブル期に「京都の青山通」という
微妙な二つ名を持っていました。
賀茂川以東は高級なお店が並ぶ場所で、
マールブランシュの本店などが並んでいます。
最西端であるこの辺りも、その街並みに片鱗があります。
また、この道より右側が東蓮台野町で左側が西蓮台野町です。
今度は、同じ場所で南西を向きました。
あと50mほどで、北山通が終わります。
向こうに見える大きな建物は、佛教大学です。
北山通を南西に進み、今宮通や千本通との交差点に戻ってきました。
向こうに見えるのは、京都府立盲学校ですね。
今宮通の横断歩道を渡ると、今回ブログ最初の地点に戻ります。
今宮通を南に渡り、西を向きました。
佛教大学の校舎の手前に、「ここから千本通」との標識があります。
まるでここから千本通が始まるようですが、
本当は北西にあと900mほど千本通は続きます。
千本通の横断歩道が、青信号に変わりました。
では、ここを渡り千本通西側歩道に移っていきます。
横断歩道を渡り、千本通を北に向きました。
ここから北西に、だいぶ道幅が狭くなった千本通が続きます。
だいぶ上り坂も急になり、もう自転車を扱ぐことができません。
そして、ここから先が鷹峯地区なのですが
もうだいぶ写真を貼り付けたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、鷹峯を散策します~
千本通を北上し、とうとう今宮通や北山通との交差点まで来ました。
今宮通以北は蓮台野で、古代や中世の墓所でした。
今回はその蓮台野を散策し、その中央にある西向寺に向かいます。
撮影日は、2016年3月17日木曜日午後2時50分。
この日は麗らかな快晴で、おかげで花粉も絶好調でした。
千本通はここで突き当たっているように見えますが、
よく見ると北西にまだまだ伸びています。
こちらはかなり急な上り坂で、この先が鷹峰地区です。
この交差点から北東に、北山通が始まります。
この北山通が、東蓮台野町と西蓮台野町に分けています。
その北山通の手前に、今宮通があります。
この横断歩道を渡ると、蓮台野地区に入ります。
千本通から、今宮通を東に向きました。
右(南)側に、前回ブログに出てきた京都府立盲学校が見えます。
では今宮通を東に進み、この急な坂を下ります。
千本通から、今宮通の坂道を東に約100m下りました。
この辺りが蓮台野地区の最南端ですが、現在は普通の住宅地です。
ここを約200m東に進むと、前回ブログの今宮神社楼門があります。
目の前に、左(北)に折れる道があります。
今宮通から、その道を北に向きました。
約30m先に、そこそこ大きな寺院が見えます。
今宮通からその道を北に折れ、約30m進みました。
では、この浄土宗西向寺に入っていきます。
ここから西向寺境内の写真は、クリックすると全て拡大されます。
西向寺の門の両脇に、大桜の木があります。
この時点(2016年3月14日)ではまだまだ蕾も硬いようですが、
もう2週間もすれば、この辺りも絶景になりますね。
では、こちらの門をくぐります。
……よく考えたら、南向きなのに「西向寺」なのですね。
西向寺の門をくぐり、すぐに右(東)を向きました。
鐘楼の手前に、お地蔵さんが何体かいらっしゃいます。
そのお地蔵さんが、この寺院の特徴でもあります。
その鐘楼の北側には、こちらの板碑があります。
西向寺は「爪彫地蔵」の板碑で有名ですが、
それはこちらではありません。
さらにその北側に、桜を見物できそうな休憩所があります。
その休憩所から西を向くと、こちらの景色になります。
「南無阿弥陀仏」の石塔を囲むのは、
お地蔵さんというより石仏群(つまり古代・中世の墓石)です。
京都で石仏群と言えば、六原の六道珍皇寺・西福寺や
化野の念仏寺を連想します。
そして、ここ蓮台野はその六原や化野と並ぶ
古代から中世にかけての墓所でした。
六原同様ここ蓮台野も今では完全に住宅街で、
(化野は、京都を代表する観光地鳥居本地区の只中です)
その名残はこのような石仏群のみとなりました。
その石仏群の西側にも、墓地が広がっています。
ただし古いものではなく、全てここ数百年のものばかりです。
そもそもこの西向寺も、江戸時代初期(17世紀初め)の建立です。
その頃には、ここ蓮台野も墓所としての役割を終えていました。
(江戸時代に入り、2代将軍徳川秀忠が制定した法律により
六原や化野などと共に蓮台野での風葬が禁じられました)
一方で、その休憩所からもう少し北を向いています。
向こうには、本堂が見えますね。
こちらが、浄土宗知恩院派幸阿弥谷西向寺の本堂です。
本堂と庭園との間がせまいので、こんな写真になりました。
ご本尊は、阿弥陀如来二十五菩薩像です。
こちらは安土桃山時代(16世紀末)に作られたものですが、
元々は上賀茂にあった西念寺のものでした。
江戸時代初期に(17世紀初め)、浄土宗の僧侶清誉浄顕が
念仏道場「西向庵」をこの地に建立しました。
それが、この寺院の始まりまりです。
明治時代に入り廃仏毀釈により上賀茂の西念寺が廃寺となり、
その際知恩院から「西向寺」の寺号をもらい、
西念寺の本尊と「爪彫地蔵」の板碑がこの寺院に移りました。
そして、現在に至っています。
ですから境内に古代や中世の石仏が残されているものの、
この西向寺は必ずしも「蓮台野」関連寺院という訳ではありません。
本堂の上部に、「龍」の透かし彫りがあります。
髭の部分が青く染まっていたので、
おそらく元々はもっと色彩豊かだったのでしょうね。
本堂の前から東を向きました。こちらが西向寺の庭園です。
比叡山を借景に、なかなかの絶景です。
本堂の北側は寺務所で、突き当りです。
その東に地蔵堂があって、さらに東に行けるようになっています。
地蔵堂の前に、「水子地蔵尊」の道標があります。
ただ、こちらは地蔵堂とは別の場所にいらっしゃいます。
浄土宗の寺院の割にはお地蔵さんがたくさんいらっしゃるのも、
この地が元々蓮台野であったことと関連しているのでしょう。
梅の木の背後に、鎮守社の祠と地蔵堂の土蔵が見えます。
こちらには、人間ほどの大きさの大地蔵菩薩がいらっしゃいます。
地蔵堂の東側は、このようになっています。
少し離れたところに、先ほどの道標に書いてあった
水子地蔵尊がいらっしゃいます。
その水子地蔵尊の東隣に、こちらの祠がいらっしゃいます。
祠の中には細長い板碑(石板)があって、
ここに描かれているお地蔵さんの絵が、かの「爪彫地蔵」です。
水子地蔵尊や爪彫地蔵の周囲は、椿に覆われています。
角度的にあまり写っていませんが、この時期が花の盛りでした。
爪彫地蔵の東側に、門があります。
この外側を、ちょっと覗いてみます。
ここは、西向寺境内の東側です。
向こうに京都市立旭丘中学校が見えますが、
その手前は広大な墓地です。
西側にも墓地があることを考えると、
西向寺境内は半分以上が墓地であることが分かります。
……とは言え、先述の通り墓石の形状から
全て江戸時代以降のものと分かります。
(つまり、蓮台野が墓所だった当時の墓石は
この辺りには残されていません)
この墓地はさらに東に50mほどで突き当たり、
そこから西向寺の外に出られます。
ただ、今回は元来た道を進み山門の方に戻ります。
西向寺東側墓地で、西を向きました。
では、この門をくぐり元来た道を進みます。
門をくぐり、西向寺境内で西を向ています。
次は地蔵堂の前を通り過ぎ、寺務所前に進みます。
今度は、事務所の前で南を向きました。
では、本堂や石仏群の前を通り過ぎ山門を出ます。
西向寺山門から、南を向いています。
突き当りに見えるのが今宮通ですが、
今回は石畳の道の先まで進みます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。
西向寺の前から、東を向きました。
この細い道はすぐに北向きになって、先ほどの墓地の脇に至ります。
今度は、西を向きました。次は、ここを進んでいきます。
右(北)側の白壁の向こうが、西向寺の西側の墓地です。
西向寺の前の通りを西に進んでいます。
北側の西向寺を除けばこの辺りは閑静な住宅街で、
古代や中世の墓所だった名残はほとんど残されていません。
西向寺の前から、西に約80m進みました。
ここで、北山通に突き当たります。
北山通に出て、北東に向きました。
北山通は、バブル期に「京都の青山通」という
微妙な二つ名を持っていました。
賀茂川以東は高級なお店が並ぶ場所で、
マールブランシュの本店などが並んでいます。
最西端であるこの辺りも、その街並みに片鱗があります。
また、この道より右側が東蓮台野町で左側が西蓮台野町です。
今度は、同じ場所で南西を向きました。
あと50mほどで、北山通が終わります。
向こうに見える大きな建物は、佛教大学です。
北山通を南西に進み、今宮通や千本通との交差点に戻ってきました。
向こうに見えるのは、京都府立盲学校ですね。
今宮通の横断歩道を渡ると、今回ブログ最初の地点に戻ります。
今宮通を南に渡り、西を向きました。
佛教大学の校舎の手前に、「ここから千本通」との標識があります。
まるでここから千本通が始まるようですが、
本当は北西にあと900mほど千本通は続きます。
千本通の横断歩道が、青信号に変わりました。
では、ここを渡り千本通西側歩道に移っていきます。
横断歩道を渡り、千本通を北に向きました。
ここから北西に、だいぶ道幅が狭くなった千本通が続きます。
だいぶ上り坂も急になり、もう自転車を扱ぐことができません。
そして、ここから先が鷹峯地区なのですが
もうだいぶ写真を貼り付けたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、鷹峯を散策します~
≪今回は、追記がたくさんあります≫
~追記その1~
実は、ウチのお墓は京都霊園という亀岡市近くの西山山中と
山科区小野の随心院霊園に分かれています。
(父方と母方のお墓です)
お彼岸のお参りに1日がかりで、(2か所なので、2日がかりになり)
さらに花粉症と相まって数日寝込んだりしてまして、
2016年3月20日更新予定のはずが、何日もずれ込みました。
……最近、更新が遅れた理由ばかり追記に書いています。
~追記その2~
蓮台野は、この辺りなのですが……
敢えて自分がここに何も書かなくても、
この京都市北区紫野蓮台野町がかつての蓮台野であることは
周知の事実です。
普通にBS11で西向寺のことを特集していましたし、
千本釈迦堂~千本ゑんま堂間が蓮台野ではないことは
京都市民なら誰でも知っていることです。
(ただ、自分も含めて上品蓮台寺周辺が
蓮台野と思っていた人は多いのですが)
ただ、住宅街である蓮台野そのものよりも、
観光地化されている千本釈迦堂や千本ゑんま堂を
「蓮台野関連施設」と考えたほうが分かりやすく、
インパクトも強くなります。
その辺を承知したうえで、
「千本今出川」交差点~「千本鞍馬口」交差点間を
「蓮台野関連施設」と呼ぶのは構わないのですが、
勘違い(中には意図的なこと)から
向こうの方を「蓮台野」と呼ぶのは、
いろいろ問題があると思います。
今回実際の蓮台野に拘ったのは、そういう事情からでした。
~追記その3~
崇仁~ひと・まち・れきし~という地域誌に
ウチのブログの写真が載ることになりました。
実は、2016年の年明けくらいから何度かメールを頂いて、
その雑誌の編集者さんから
ウチのブログの写真掲載の許可を求められました。
自分はあまり著作権を強く求めないことから
(全然求めていないわけではないのですが)
結構以前から多くの記事に
ウチの記事や写真が無断転載されている現状があります。
(いちいち抗議しませんが、相当数存在を確認しています)
まぁ、現状ではウソの記事の証拠として転載されたとき以外は
抗議しないようにしています。
(敢えて書くということは、時々そんな記事があるということです)
ですから、こちらの編集者さんのように丁寧に許可を求められると
嬉しくなってこちらも丁寧に接させていただきました。
第298回ブログの桜並木の写真が掲載されています。
その雑誌は、塩小路橋(鴨川に架かる橋)の西側にある
「清幸園」という中華料理屋さんで、無料配布されています。
(コアなラグビーファンなら、よく知っているお店ですね)
~追記その4~
塩小路橋西詰にある
桜並木の名称が決まりました
要するに、先ほどの雑誌に
写真が転載された場所についてのことです。
鴨川に架かる塩小路橋の西詰から南に約100m続く桜並木は
第298回ブログで紹介した通り
最近かなり人気スポットになりつつあるのですが、
実は正式な地名がありませんでした。
これは行政は勿論、地元民ですら「あそこ」とか
「あの桜並木」くらいにしか呼んでいませんでした。
そのことが先ほどのメールのやり取りの上で話題になり、
せっかくなので関係者一同が
共通の地名で呼ぼうということになりました。
そこで決まったのが、「桜のこみち」です。
ですから、これ以降はその場所をウチのブログでも
「桜のこみち」と書くことにします。
~追記その5~
この辺の地図を貼り付けます。
西向寺そのものを起点にしています。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅北側市バスターミナルから千本通経由の206系市バスに乗って
「千本北大路」バス停で下ります。
千本通を北に約300mで、今回ブログ最初の地点です。
~追記その1~
実は、ウチのお墓は京都霊園という亀岡市近くの西山山中と
山科区小野の随心院霊園に分かれています。
(父方と母方のお墓です)
お彼岸のお参りに1日がかりで、(2か所なので、2日がかりになり)
さらに花粉症と相まって数日寝込んだりしてまして、
2016年3月20日更新予定のはずが、何日もずれ込みました。
……最近、更新が遅れた理由ばかり追記に書いています。
~追記その2~
蓮台野は、この辺りなのですが……
敢えて自分がここに何も書かなくても、
この京都市北区紫野蓮台野町がかつての蓮台野であることは
周知の事実です。
普通にBS11で西向寺のことを特集していましたし、
千本釈迦堂~千本ゑんま堂間が蓮台野ではないことは
京都市民なら誰でも知っていることです。
(ただ、自分も含めて上品蓮台寺周辺が
蓮台野と思っていた人は多いのですが)
ただ、住宅街である蓮台野そのものよりも、
観光地化されている千本釈迦堂や千本ゑんま堂を
「蓮台野関連施設」と考えたほうが分かりやすく、
インパクトも強くなります。
その辺を承知したうえで、
「千本今出川」交差点~「千本鞍馬口」交差点間を
「蓮台野関連施設」と呼ぶのは構わないのですが、
勘違い(中には意図的なこと)から
向こうの方を「蓮台野」と呼ぶのは、
いろいろ問題があると思います。
今回実際の蓮台野に拘ったのは、そういう事情からでした。
~追記その3~
崇仁~ひと・まち・れきし~という地域誌に
ウチのブログの写真が載ることになりました。
実は、2016年の年明けくらいから何度かメールを頂いて、
その雑誌の編集者さんから
ウチのブログの写真掲載の許可を求められました。
自分はあまり著作権を強く求めないことから
(全然求めていないわけではないのですが)
結構以前から多くの記事に
ウチの記事や写真が無断転載されている現状があります。
(いちいち抗議しませんが、相当数存在を確認しています)
まぁ、現状ではウソの記事の証拠として転載されたとき以外は
抗議しないようにしています。
(敢えて書くということは、時々そんな記事があるということです)
ですから、こちらの編集者さんのように丁寧に許可を求められると
嬉しくなってこちらも丁寧に接させていただきました。
第298回ブログの桜並木の写真が掲載されています。
その雑誌は、塩小路橋(鴨川に架かる橋)の西側にある
「清幸園」という中華料理屋さんで、無料配布されています。
(コアなラグビーファンなら、よく知っているお店ですね)
~追記その4~
塩小路橋西詰にある
桜並木の名称が決まりました
要するに、先ほどの雑誌に
写真が転載された場所についてのことです。
鴨川に架かる塩小路橋の西詰から南に約100m続く桜並木は
第298回ブログで紹介した通り
最近かなり人気スポットになりつつあるのですが、
実は正式な地名がありませんでした。
これは行政は勿論、地元民ですら「あそこ」とか
「あの桜並木」くらいにしか呼んでいませんでした。
そのことが先ほどのメールのやり取りの上で話題になり、
せっかくなので関係者一同が
共通の地名で呼ぼうということになりました。
そこで決まったのが、「桜のこみち」です。
ですから、これ以降はその場所をウチのブログでも
「桜のこみち」と書くことにします。
~追記その5~
この辺の地図を貼り付けます。
西向寺そのものを起点にしています。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅北側市バスターミナルから千本通経由の206系市バスに乗って
「千本北大路」バス停で下ります。
千本通を北に約300mで、今回ブログ最初の地点です。
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