第1131回 金福寺の紅葉~一乗寺紅葉散策~その2
「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで叡山鉄道「一乗寺」駅から、
曼殊院道を東に進み一乗寺下り松まで来ました、
一乗寺下り松の前は十字路で、
右(西)側に一条下り松を見て南を向いています。
今回はこのままこの十字路を南下して、
金福寺を目指します。
撮影日は、2024年11月28日木曜日午前11時半。
紅葉も、だんだん見ごろになってきました。

一乗寺下がり松の十字路から、南下しています。
右(西)側に、一乗寺下がり松の石碑が見えますね。
その石碑の脇に、「公衆トイレ」の標識があります。

標識にある矢印の先と言いますか、
石碑の裏(南)側に、公衆トイレがあります。
左京区一乗寺地区は比較的公衆トイレが多いですが、
それでも位置を把握しておく必要があります。

その公衆トイレの前で、東南東に向いています。
この道は、蛇行しながら南下しています。

一乗寺下り松脇の十字路から、約50m南下しました。
本当はこの道にも名前があるのですが、
位置で名称が変わるので、ここでは掲載しません。
そして目の前の電柱辺りから、
この道は真南に伸びています。

その電柱の脇で、真南に向いています。
この道は蛇行しながら、南に進んでいます。

先程の電柱から、南下しています。
この辺りは住宅街ですが、
このようなお店もありました。

その洗濯屋さんの前で、南に向いています。
どことなく情緒のある住宅街ですが、
京都市街地の京町家とはまた別の雰囲気です。
右京区宇多野地区や鳴滝地区とちょっと似ています。
(その様子は、第262回ブログ参照)

さらにその道を南下しています。
右(西)側に見える家屋は一見寺院ですが、
実は単なる民家です。
ですから、詳細に撮るのはやめます。

一乗寺下がり松の十字路から、約150m南下しました。
ここで、また十字路に遭遇します。

その十字路で、南を向いています。
ここからこの道は徐々に南南西にカーブして、
約500m先で白川通に吸収されます。

今度は同じ十字路で、西に向きました。
この道は結構長いのですが、名称がありません。
約150m先で、白川通と交差します。
また約50m先に味のある洋菓子店がありますが、
予算と時間の都合で素通りします。

さらに、十字路で東に向いています。
この辺りは山のふもとなので、
東に進むほど標高が高くなります。

その十字路に、この道標が立っています。
ここからは、矢印が向いている東に進みます。

十字路から東に進み、急な坂を上っています。
両脇の家屋を見ていると、段差があります。
そちらを見ると、坂道の勾配が分かります。

さらに、東に進んでいます。
突き当りに大桜の枯れ枝が見えますが、
その辺りが東本願寺北山別院です。
そちらへは、次々回ブログで向かいます。

先程の十字路から、約50m東に進みました。
今度はここで、T字路に遭遇します。
このまま東に進むと、東本願寺北山別院ですが……

そのT字路に、この道標が立っていました。
ここで南に折れると、金福寺です。
なお約100m先に波切不動尊と書かれていますが、
実際は200m以上離れています。
さらに完全に山道に入りますので、
今回は波切不動尊へは向かいません。

そのT字路で、南を向いています。
ここからは、こちらを進みます。

T字路を約20m南下して、東に向きました。
(要するに一つ目の角で、左折します)
この先に、紅葉に囲まれた寺院が建っています。
では、そちらに向かいます。

その途中に、こちらの喫茶店がありました。
下調べの際には立ち寄ったのですが、
こちらも時間と予算の関係で素通りします。

その喫茶店の前で、東に向いています。
この先に、小さな寺院が見えます。
10日前に下調べした際には、
山門脇は完全な青紅葉でした。
結構短い時期で、一気に紅葉しました。

その寺院の右(南)に、さらに道が続いています。
上り坂が、さらに急になります。
こちらを進めば波切不動尊に進めますが、
今回はそちらへは向かいません。

では、こちらの寺院に向かいます。
今回ブログのメイン臨済宗南禅寺派金福寺ですね。
では、こちらから石段を上ります。

では、こちらから金福寺へ入ります。
当初の予定から1週間ずらしての訪問ですが、
紅葉の見ごろに見事にはまりました。

金福寺の門をくぐると、すぐに寺務所があります。
こちらで500円納めて、境内に入ります。
こちらは後で訪れる本堂と、同じ家屋です。
寺務所で確認したのですが、
こちらはご本尊などの仏像の撮影は不可です。
とは言え、それ以外のすべてが撮影可能です。

寺務所の脇に、蹲があります。
その脇はカエデではありませんが、
しっかり紅葉していました。

寺務所の前で、境内を南を向いています。
では、あちらの門をくぐります。

先程の門をくぐると、石畳の道が続きます。
その右(南)側に、カエデ並木が続きます。

こちらが、そのカエデの木です。
金福寺の紅葉は、この日(2024年11月28日)が
ちょうど見ごろでした。

その位置で、境内を東に向いています。
では、ここから金福寺の本堂に入ります。

金福寺の本堂に、入りました。
左(北側)の部屋に、ご本尊がいらっしゃいます。
ただ、そちらは撮影不可です。
ご本尊は、聖観世音菩薩です。
臨済宗南禅寺派佛日山金福寺は、
円仁を開基として864年に創建されました。
ですから、当初は天台宗の寺院でした。
その後この寺院は衰退して荒廃しましたが、
17世紀後半に近くの圓光寺の鉄舟によって
圓光寺の末寺として再興されました。
その際に、臨済宗南禅寺派に改宗されました。
この寺院には与謝蕪村のお墓があって、
村山たかの位牌が安置されています。

一方手前の部屋に、こちらの掛け軸がありました。
与謝蕪村が描いた松尾芭蕉です。
こちらには、与謝蕪村が様々なものを残しています。

ただ、こちらは村山たか関連のものです。
村山たかは元々祇園の芸妓で、
井伊直弼と親しくしていた時期がありました。
そのため井伊直弼の間者として
働いていた時期もあって、安政の大獄で
多くの人物を処刑に追い込んだりしました。
井伊直弼暗殺後は捕らえられて
処刑されかけたこともあってのですが、
難を逃れてこの金福寺で尼僧になりました。
そのため、こちらには彦根藩関連のものもあります。

部屋の隅に、かるたが飾ったありました。
こちらは、俳句のかるたです。
読み札に俳句のすべてが書かれていて、
取り札に中七と下五が書かれています。
(例:読み札→菜の花や 月は東に 日は西に
取り札→月は東に 日は西に)
俳句の作者は、松尾芭蕉、与謝蕪村、向井去来です。

そして、その部屋で縁側に向いています。
こちらから、石庭が見えます。

縁側に座って、1枚撮りました。
石庭に紅葉は、似合いますね。

こちらは、石庭の西側です。
紅葉に囲まれて、与謝蕪村の句碑が立っています。

さらに、こちらは石庭の東側です。
金福寺はさらに東側があって、
さらに登山すると庵があります。
(そちらは、次回ブログで紹介します)

縁側から、西を向いています。
ここから左(南)側を進むと、
東側のこの寺院の奥に通じています。
ここからそちらに向かいますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、金福寺境内の芭蕉庵に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
くわしくは、ここをクリックしてください。
臨済宗南禅寺派佛日山金福寺が、起点です。
~追記 その2~
2024年は紅葉が遅れています
京都市街地の紅葉の盛りは
毎年11月23日前後ですが、
2024年は1週間遅れています。
一方で、紅葉の終わりも
1週間遅い可能性が高いです。
2015年も紅葉が遅くて、
12月10日でも紅葉が盛りでした。
まぁ2024年は12月10日ごろに
紅葉が完全に終わるでしょうが……
~追記 その3~
元気は元気ですが……

本編と同じ2024年11月28日木曜日のウチのネコです。
一通り暴れて、所在無げです。
また元気になりましたが、いろいろ暴れています。
食欲はあるのですが、排便は微妙です。
まだまだお薬は必要です。
~追記 その4~
ラファエル・エリアス選手次回出場停止
2024年11月30日土曜日に、男子サッカーの
第37節が催されました。
文字放送でしか見ていませんが、
我らが京都サンガは東京都町田市で
町田ゼルビアと戦い1-0で敗戦しました。
これで京都は12勝10分け15敗勝ち点46の14位。
来年のJ1リーグ残留は決定しましたが、
一桁順位の可能性はなくなりました。
さらに累積警告で、ラファエル・エリアス選手が
出場停止になりました。
最終節は、エリアス選手抜きで戦います。
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで叡山鉄道「一乗寺」駅から、
曼殊院道を東に進み一乗寺下り松まで来ました、
一乗寺下り松の前は十字路で、
右(西)側に一条下り松を見て南を向いています。
今回はこのままこの十字路を南下して、
金福寺を目指します。
撮影日は、2024年11月28日木曜日午前11時半。
紅葉も、だんだん見ごろになってきました。

一乗寺下がり松の十字路から、南下しています。
右(西)側に、一乗寺下がり松の石碑が見えますね。
その石碑の脇に、「公衆トイレ」の標識があります。

標識にある矢印の先と言いますか、
石碑の裏(南)側に、公衆トイレがあります。
左京区一乗寺地区は比較的公衆トイレが多いですが、
それでも位置を把握しておく必要があります。

その公衆トイレの前で、東南東に向いています。
この道は、蛇行しながら南下しています。

一乗寺下り松脇の十字路から、約50m南下しました。
本当はこの道にも名前があるのですが、
位置で名称が変わるので、ここでは掲載しません。
そして目の前の電柱辺りから、
この道は真南に伸びています。

その電柱の脇で、真南に向いています。
この道は蛇行しながら、南に進んでいます。

先程の電柱から、南下しています。
この辺りは住宅街ですが、
このようなお店もありました。

その洗濯屋さんの前で、南に向いています。
どことなく情緒のある住宅街ですが、
京都市街地の京町家とはまた別の雰囲気です。
右京区宇多野地区や鳴滝地区とちょっと似ています。
(その様子は、第262回ブログ参照)

さらにその道を南下しています。
右(西)側に見える家屋は一見寺院ですが、
実は単なる民家です。
ですから、詳細に撮るのはやめます。

一乗寺下がり松の十字路から、約150m南下しました。
ここで、また十字路に遭遇します。

その十字路で、南を向いています。
ここからこの道は徐々に南南西にカーブして、
約500m先で白川通に吸収されます。

今度は同じ十字路で、西に向きました。
この道は結構長いのですが、名称がありません。
約150m先で、白川通と交差します。
また約50m先に味のある洋菓子店がありますが、
予算と時間の都合で素通りします。

さらに、十字路で東に向いています。
この辺りは山のふもとなので、
東に進むほど標高が高くなります。

その十字路に、この道標が立っています。
ここからは、矢印が向いている東に進みます。

十字路から東に進み、急な坂を上っています。
両脇の家屋を見ていると、段差があります。
そちらを見ると、坂道の勾配が分かります。

さらに、東に進んでいます。
突き当りに大桜の枯れ枝が見えますが、
その辺りが東本願寺北山別院です。
そちらへは、次々回ブログで向かいます。

先程の十字路から、約50m東に進みました。
今度はここで、T字路に遭遇します。
このまま東に進むと、東本願寺北山別院ですが……

そのT字路に、この道標が立っていました。
ここで南に折れると、金福寺です。
なお約100m先に波切不動尊と書かれていますが、
実際は200m以上離れています。
さらに完全に山道に入りますので、
今回は波切不動尊へは向かいません。

そのT字路で、南を向いています。
ここからは、こちらを進みます。

T字路を約20m南下して、東に向きました。
(要するに一つ目の角で、左折します)
この先に、紅葉に囲まれた寺院が建っています。
では、そちらに向かいます。

その途中に、こちらの喫茶店がありました。
下調べの際には立ち寄ったのですが、
こちらも時間と予算の関係で素通りします。

その喫茶店の前で、東に向いています。
この先に、小さな寺院が見えます。
10日前に下調べした際には、
山門脇は完全な青紅葉でした。
結構短い時期で、一気に紅葉しました。

その寺院の右(南)に、さらに道が続いています。
上り坂が、さらに急になります。
こちらを進めば波切不動尊に進めますが、
今回はそちらへは向かいません。

では、こちらの寺院に向かいます。
今回ブログのメイン臨済宗南禅寺派金福寺ですね。
では、こちらから石段を上ります。

では、こちらから金福寺へ入ります。
当初の予定から1週間ずらしての訪問ですが、
紅葉の見ごろに見事にはまりました。

金福寺の門をくぐると、すぐに寺務所があります。
こちらで500円納めて、境内に入ります。
こちらは後で訪れる本堂と、同じ家屋です。
寺務所で確認したのですが、
こちらはご本尊などの仏像の撮影は不可です。
とは言え、それ以外のすべてが撮影可能です。

寺務所の脇に、蹲があります。
その脇はカエデではありませんが、
しっかり紅葉していました。

寺務所の前で、境内を南を向いています。
では、あちらの門をくぐります。

先程の門をくぐると、石畳の道が続きます。
その右(南)側に、カエデ並木が続きます。

こちらが、そのカエデの木です。
金福寺の紅葉は、この日(2024年11月28日)が
ちょうど見ごろでした。

その位置で、境内を東に向いています。
では、ここから金福寺の本堂に入ります。

金福寺の本堂に、入りました。
左(北側)の部屋に、ご本尊がいらっしゃいます。
ただ、そちらは撮影不可です。
ご本尊は、聖観世音菩薩です。
臨済宗南禅寺派佛日山金福寺は、
円仁を開基として864年に創建されました。
ですから、当初は天台宗の寺院でした。
その後この寺院は衰退して荒廃しましたが、
17世紀後半に近くの圓光寺の鉄舟によって
圓光寺の末寺として再興されました。
その際に、臨済宗南禅寺派に改宗されました。
この寺院には与謝蕪村のお墓があって、
村山たかの位牌が安置されています。

一方手前の部屋に、こちらの掛け軸がありました。
与謝蕪村が描いた松尾芭蕉です。
こちらには、与謝蕪村が様々なものを残しています。

ただ、こちらは村山たか関連のものです。
村山たかは元々祇園の芸妓で、
井伊直弼と親しくしていた時期がありました。
そのため井伊直弼の間者として
働いていた時期もあって、安政の大獄で
多くの人物を処刑に追い込んだりしました。
井伊直弼暗殺後は捕らえられて
処刑されかけたこともあってのですが、
難を逃れてこの金福寺で尼僧になりました。
そのため、こちらには彦根藩関連のものもあります。

部屋の隅に、かるたが飾ったありました。
こちらは、俳句のかるたです。
読み札に俳句のすべてが書かれていて、
取り札に中七と下五が書かれています。
(例:読み札→菜の花や 月は東に 日は西に
取り札→月は東に 日は西に)
俳句の作者は、松尾芭蕉、与謝蕪村、向井去来です。

そして、その部屋で縁側に向いています。
こちらから、石庭が見えます。

縁側に座って、1枚撮りました。
石庭に紅葉は、似合いますね。

こちらは、石庭の西側です。
紅葉に囲まれて、与謝蕪村の句碑が立っています。

さらに、こちらは石庭の東側です。
金福寺はさらに東側があって、
さらに登山すると庵があります。
(そちらは、次回ブログで紹介します)

縁側から、西を向いています。
ここから左(南)側を進むと、
東側のこの寺院の奥に通じています。
ここからそちらに向かいますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、金福寺境内の芭蕉庵に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
くわしくは、ここをクリックしてください。
臨済宗南禅寺派佛日山金福寺が、起点です。
~追記 その2~
2024年は紅葉が遅れています
京都市街地の紅葉の盛りは
毎年11月23日前後ですが、
2024年は1週間遅れています。
一方で、紅葉の終わりも
1週間遅い可能性が高いです。
2015年も紅葉が遅くて、
12月10日でも紅葉が盛りでした。
まぁ2024年は12月10日ごろに
紅葉が完全に終わるでしょうが……
~追記 その3~
元気は元気ですが……

本編と同じ2024年11月28日木曜日のウチのネコです。
一通り暴れて、所在無げです。
また元気になりましたが、いろいろ暴れています。
食欲はあるのですが、排便は微妙です。
まだまだお薬は必要です。
~追記 その4~
ラファエル・エリアス選手次回出場停止
2024年11月30日土曜日に、男子サッカーの
第37節が催されました。
文字放送でしか見ていませんが、
我らが京都サンガは東京都町田市で
町田ゼルビアと戦い1-0で敗戦しました。
これで京都は12勝10分け15敗勝ち点46の14位。
来年のJ1リーグ残留は決定しましたが、
一桁順位の可能性はなくなりました。
さらに累積警告で、ラファエル・エリアス選手が
出場停止になりました。
最終節は、エリアス選手抜きで戦います。
- 関連記事
-
- 第1130回 一乗寺下がり松~一乗寺紅葉散策~その1 (2024/11/29)
- 第1131回 金福寺の紅葉~一乗寺紅葉散策~その2 (2024/12/01)
- 第1132回 金福寺芭蕉庵~一乗寺紅葉散策~その3 (2024/12/03)
- 第1133回 本願寺北山別院~一乗寺紅葉散策~その4 (2024/12/05)
- 第1134回 稱名寺ピカチュウ地蔵~一乗寺紅葉散策~その5 (2024/12/07)
- 第1135回 八大神社の紅葉~一乗寺紅葉散策~その6 (2024/12/09)
- 第1136回 詩仙堂の紅葉~一乗寺紅葉散策~その7 (2024/12/11)
- 第1137回 詩仙堂紅葉庭園 前編~一乗寺紅葉散策~その8 (2024/12/13)
- 第1138回 詩仙堂紅葉庭園 後編~一乗寺紅葉散策~その9 (2024/12/14)
- 第1139回 圓光寺の嵯峨菊~一乗寺紅葉散策~その10 (2024/12/17)
- 第1140回 圓光寺十牛之庭 前編~一乗寺紅葉散策~その11 (2024/12/19)
- 第1141回 圓光寺十牛之庭 後編~一乗寺紅葉散策~その12 (2024/12/21)
- 第1142回 曼殊院道を西へ~一乗寺紅葉散策~その13 (2024/12/23)